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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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8月2日のサンタクロース〜原子力潜水艦「ノーチラス」

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さて、アタックセンターとかナビゲーションルーム、EMSベイ、
といったところを見学しつつ、「ノーチラス」の北極点到達までの
いろいろについてお話ししてきました。



前回貼り忘れた写真。
誰かはわかりませんが、通信系の士官(イケメン)であろうと思われます。


「レイディオ・シャック」が「通信室」という意味であることを
アメリカのモールにある小型電気店だとしか思っていなかったわたしは
初めて知り、また一つ物知りになったわけですが、そのラジオシャック・ベイを
見学し終わると、通路は階下へと続いていました。



階段の角が金属製なのにもかかわらず、人に踏まれるところが
磨耗して形が変わっているのに驚き。
就役して26年、記念艦になってから36年、この艦ほぼ毎日
人々が同じところを歩いてきたということです。



このステーションはDIVING PLANE(潜舵)を司る部署です。
三人の下士官らしい乗員が席についています。



同じところのかつての写真。
中央の席の操舵を皆で見守っている感じですね。

まず、右の席から説明しましょう。
ここに座っている人は潜水艦のセイルから横に突き出した舵で、
潜水艦の潜行時の深度を調整する係です。

「BOW PLAINSMAN」

と呼びます。
潜行時、潜舵はヴァーティカル・ポジション(垂直)に固定させます。



ここにすわっているのがヘルムスマン(Helmsman)つまり舵手です。
艦の推進をコントロールします。



この真ん中の席が多分一番、いわゆる重職なんだろうなと想像するわけですが、
上の写真でも皆が操舵と彼の前にある艦の状態を示す計器を見ています。

前回お話しした「くさび型のトンネル」を通っているので、皆が
息を殺して彼の操舵を見守っているのではないかと思われます。
冒頭の写真は同じ時を横から撮ったものですね。



このとき、「ノーチラス」が完全に氷の下にいたのは62時間でした。
この間、「ノーチラス」は原子力推進と慣性航法装置にによって、
「エフォートレスリー」(努力することなく)航行したといわれます。

二日後の1958年8月5日、「ノーチラス」は氷の下を抜けて
グリーンランド海に浮上し、そのまま大西洋を目指しました。



その3日前、8月2日、北極点まであと100マイルと近づいたとき、
ソナーが突然、海底の接近を示しました。
この図で右側に針のように高くなっているのが、そのロモノソフ海嶺で、
「ノーチラス」はそれを操舵で無事に乗り切ったということもありました。



ともかくも、北極点を無事に通過したのです。
その瞬間、サンタクロースが「ノーチラス」艦内に降臨。

「HO-HO-HO! Welcome to MY HOME!」

ちなみにサンタのヒゲは医療用わた、赤い旗を利用して
乗員が手作りした衣装を着ています。





そしてキッチンのメンバーは、北極通過を寿ぐスペシャルケーキを・・。
日本人の感覚であまり美味しくなさそう、などと言ってはいけません。





一人の器用な乗員が、靴底のゴムを彫ってスタンプを作成しました。
このスタンプによって、ここ「ノースポール郵便局」から、
特別の手紙を出すことができることになったのです。

みな大喜びで北極から家族に手紙を出しました。

少し見にくいですが、左の大きな丸のスタンプには、「ノーチラスくん」が
アメリカの旗を持って北極点を表す立て札を見ています。
(いつのまにか人間の手が生えている)

ちなみに、この「ノーチラスくん」をデザインしたのは、
おなじみ皆さまのウォルト・ディズニー・プロダクションでございます。




さて、ここにはいかにもこの道何十年のベテランの風格漂う
おじさん下士官がなにやら捜査中。



ここは、圧縮空気によってバラストタンクをブローさせる装置があります。



右側に「ハイプレッシャーエア・サービス:と書かれたプレートがあります。



左のほうは、「サービスエア」、低気圧の空気がでるところで、
艦内のいろんな箇所に供給されます。



左から「メイン・シュノーケル・イグゾースト(マフラー)」
「セイフティ・フラッド」「ネガティブ・フラッド」(おそらくタンクのこと)
「シュノーケル・マスト」

この場合のシュノーケルとは水中でディーゼルエンジンを運転するために用いられる
吸気管のことをいいます。



Mk.19型のジャイロコンパス。
艦のプライマリーコンパスです。
防衛省の公示にこの型があったので、自衛艦にも搭載されているのかもしれません。



「ジェネラル・アナウンシング・コントロールパネル」
全艦放送のためのアンプです。
下のほうにずらっと並んでいるのが各コンパートメントのスイッチ。



「レイディオ・ルーム」。
外のガラス戸越しにしか見ることができませんでした。
ここには他艦や陸地との通信に必要な機器がまとめてあります。



さて、潜水艦乗りなら知っているとは思いますが、潜水艦の中というのは
太陽が見えないため、非常に不自然なバイオリズムで生活することを
余儀なくされますから、艦内ではしばしばこんな風にアイマスクをして
動き回る人もいたようです。(見えてるのかしら)



ノーチラス乗員の皆さん。
潜水艦乗りというのはどこの軍隊でも、選ばれた人がなるという傾向がありますが、
特にこの「ノーチラス」乗員は、選びに選び抜かれた超優秀集団でした。

全員が何年にも渡って理数系、数学、物理学、そして原子力工学の講義を受け、
おまけに全員があのリッコーヴァー大将の眼鏡にかなった俊英ばかりです。

アメリカ海軍の歴史において、これほど乗員が一人残らず、自分の艦と
そのメカニズムについて知悉していた潜水艦はなかったと言われるくらいでした。



一番右は、「ノーチラス」のキールに入れたトルーマンのイニシャル、
「HST」の場所を示すためのモデル。
「ノーチラス」起工は1952年で、まだ大統領はトルーマンでした。



トルーマン大統領ただいまキールにサイン中。
この写真にも大統領のサインがしてあります。
この特別なサインがなされた時点で、退役後の保存は決まっていたのかもしれません。
おそらくこれから先もこのサインが余人の目に触れることはないでしょう。

真ん中は、初代「ノーチラス」乗員が作ったオリジナルカップ。欠けてます。

左にちょっぴり見えているのは、「ノーチラス」が進水した時の楔です。



さて、北極点を無事に通過し、あとは大西洋に出て、西側諸国に
凱旋寄航を行うばかりになりました。

フランスのル・アーブルに寄航して、ノミ元帥から「海底二万マイル」
の初版本をプレゼントされたのもこの時ですが、「ノーチラス」乗員は
ヨーロッパ寄航に向けて、「フラッグ・コンテスト」を開催することにしました。

まあ、もうすることがなくなって暇になったってことなんでしょうけどね。

各部署がオリジナルの旗をデザインして、優秀賞を競うのです。
写真は、嬉々としてその旗をミシンで縫っている乗員。
ていうか、ミシンを乗せてたんですね。潜水艦なのに。



コンテストで優勝した旗は、イギリスのポートランドに寄航した時に
ちゃんと飾ってもらえたそうです。

ポートランドでは駐英アメリカ大使のホイットニー大使が、「ノーチラス」に
殊勲部隊章を授与しました。



現在もそれは「ノーチラス」に翻っています。(左端)



フランスで上陸した「ノーチラス」乗員は、この地から
自由に母国への電話通信を楽しみました。

その間、彼らの頭上には、ビービーという音(着信音)が「Tell-tale」
(何かが起こることを視覚や聴覚で示す注意警報的な機材などのこと)である、
ソ連の人類初の人工衛星、「スプートニク」がすでに軌道に乗って地球を回っていたのです。

このキャプションはこの写真に付けられていたものですが、つまりこれは
『ノーチラス』の偉業も、『スプートニク』が人類にもたらしたそれに比べれば
僅少なものであった、とか及ばなかった、と暗に言ってるんでしょうか。
だとしたら、アメリカ海軍内部の人なのに客観的な表現をするものだと感心します。


客観性は科学に通ず。

アメリカ人のこんなところが、その後のソ連との科学競争に
勝利をした(一応)と言えるのかもしれませんけど。 



続く。

 


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