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SEMPER PARATUS(常に備えあり)〜コーストガード・アカデミー

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沿岸警備隊の女性隊員のことを説明した時に、彼らのモットーが
「SEMPER PARATUS」、センパー・パラタスというラテン語で、
『ALWEYS READY」=「常に備えあり」という意味であることを書きました。

「センパー・パラタス」は海自の「軍艦」にあたるテーマソングでもあります。

Semper Paratus - United States Coast Guard Marching Song

2回も聞けば歌詞を見ながら歌えてしまうくらい単純な歌ですが、
特に最後のフレーズがツボを得ていて聞いていて気持ちいいです。

Semper Paratus is our guide    「センパー・パラタス」は我々の道標

Our fame, and groly too.       我らの名声、そして我らの誇り

To fight to save or fight and die,   命を救うために戦い、そして死ぬ

Aye! Coast Guard, we are for you! アイ!コーストガードは国民のためにある


この後半はそっくり、

「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もって国民の負託に応える」

という自衛官の服務の宣誓そのままであることにご注意ください。 



さて、博物館のあるホールに入っていったはいいのですが、キュレーターのジェニファーに
我々が着いたことを誰に取り次いで貰えばいいのかわかりません。

とりあえず、ホールにあるものの写真を撮りまくりました。

冒頭の絵画は

USCGC エスカナーバ(WPG-77)

であることが艦番号から推測されます。
エスカナーバといえば、前回構内にあった「グリーンランドパトロール」に参加し、
喪失したカッターではなかったでしょうか。

艦歴によると、民間船のSSドーチェスターがドイツのUボートによって撃沈されたとき、
その乗員の救助に当たったのがエスカナーバでした。

このとき、エスカナーバの乗員は水温1度の極寒の海にダイバースーツを着て飛びこみ、
救助者をカッターにすくい上げることができる海域に集めるという方法で
133名もの人命を救うことができました。(うち1名はその後死亡)

このとき、ドーチェスターに乗っていた四人の陸軍士官、いずれも従軍牧師でしたが、
彼らはライフジャケットが足りなくなったとき、他の乗員にそれを渡して、
静かに祈りの言葉を唱え、賛美歌を歌って船の底に降りて行ったそうです。



彼らは現在も「イモータル(不滅の)チャプレンズ」と呼ばれ、
その犠牲の精神を讃えられています。

彼らを顕彰するための彫刻や碑、ステンドグラスなどは全国に多くあり、
国防総省のステンドグラスには彼らの姿が刻まれています。

さて、そしてエスカナバの最後は1943年の6月、船団護衛任務の航路中、
原因不明の爆発によって四散し、ニューファンドランド島付近に爆発から5分で姿を消しました。
生存者はわずか2名で、遺体も一人のものしかみつけることはできませんでした。

U-ボートの攻撃もなかったと言われ、機雷に触雷した可能性も考えられています。



こちらはおそらくD-デイ、ノルマンジー上陸作戦の光景ではないかと思われます。



写真のようですが巨大な絵画です。

"The Cold War, Bering Sea Patrol"

と題されたこの絵は、沿岸警備隊のアラスカでの任務を描いています。
沿岸警備隊のアラスカでの任務は1800年代半ばから始まっていました。
沿岸警備隊の前身である例の「税収カッターサービス」が、灯台を敷設しており、
それが「救助部隊」と合併して今の形になってからはコンスタントに
ベーリング海での警備を行ってきたのです。

ここで何を警備するかというと、当初は毛皮のためにアザラシを乱獲する船だったそうです。

描かれている砕氷船USCGC ノースウィンド(WAG / WAGB-282)
は、先日ここでお話ししたリチャード・バード少将の「ハイジャンプ作戦」にも参加しています。

乗員は、史上初めて、北極の氷の上で野球の試合をダブルヘッダーで行い、
ゴルフもやってしまったという記録を残しました。

これ絶対記録のためにやっただけだろっていう。

絵は文字通り冷戦の頃のできごとで、黒い船はソ連の砕氷船「モスクワ」。
この海域はソ連が自国領だと主張したところで、バッティングしてしまいました。
ソ連は9隻からなる船団で現れたということで、潜水艦まで同行していたようです。

このとき、ノースウィンドの艦長(船長?)は、手旗信号で

「何か援助は必要か」

と聞き、その答えは

「ネガティブ」

だったそうです。
船団が通り過ぎた後、すぐさまノースウィンドのヘリが飛び立ち、偵察の写真を撮ったところ、
「モスクワ」からもヘリコプターが発進して発進して後を追いかけてきました。
ヘリが去った後、キャプテンはもう一度モスクワに向かってこう信号を打ちました。

「Good's speed and safe passage」(御安航を祈る)



この絵を描いたのは、サインによると「ルテナン・コマンダー」。
なんと軍人さんが自分が見たものを描いたってことですか。

夕闇の空にまるで蛍のように海戦の高射砲が散らばっています。
おそらくは太平洋での戦闘ではないでしょうか。



沿岸警備隊はベトナム戦争にも参加しています。
また博物館の展示について触れながらお話ししようと思いますが、
展示にはこの写真をもとにして描かれたらしい絵画もありました。



沿岸警備隊の航空機って、何を使っているんだろう、と思いますが、
まあなんのことはない、P-3とかシーホークとか(ジェイホークというらしい)
ハーキュリーズとかを名前を変えて装備しており、
偵察機にはフランスのダッソー「ファルコン」を持っている模様。

これは、上の飛行機が下のヘリに給油してもらってるんですよね?
TOがこれを見てよくローターが当たらないなあ、ていうか、パイプみたいなのは
なんでローターに当たらないの?と不思議そうにしていました。

もちろんわたしもそんなことまで知りません。




沿岸警備隊初の提督(vice admiral)、ラッセル・ランドルフ・ウェッシュ
沿岸警備隊が「税収カッターサービス」だった頃に「税収カッター学校」を出て、
1904年に士官候補生となります。
つまり、この年の卒業生が、41年後の1945年、提督になったということなんですね。

しかし彼は提督拝命半年後、白血病のため60歳で亡くなりました。
USCGC  Waesche は彼の名前を記念しています。



コーストガードアカデミーの銘がはいった銛。



ジェニファーを呼んでもらおうにも、人がいないので、わたしたちは
階段を降りて行きました。
今にして思うと、この階下には入学事務所があったようです。

で、ドアの上に

「このドアを通り抜ければコーストガードのリーダーシップの将来がある」

この時には何も考えずに見ていたわけですが、ここが入試事務所であれば
宣伝文句としては大変適切なものですね。




つまり、この学校に入学しよう、という人がここを歩くわけですから、これでもか!
とかっちょいい写真をかざってアピールしているわけです。

サーベルを着剣する女性士官たち・・・うーん、かっこいいぞ。



女性といえば現在の学長は女性士官であるという話をしましたが、
そういえば沿岸警備隊の救助ヘリパイロットに、初めてアフリカ系女性が合格した、
という話をここでしたこともありましたね。

なぜそれが特別なニュースになるかというと、救難ヘリパイロットを志願する学生は
大変多く、人気の志望先で、任期2回目からでないと配属希望すら受け付けてもらえない、
ということがまことしやかに言われているほどだからです。


ところでこの写真の1980年クラスということは、彼女らは卒業して
すでに36年経っているわけですが、そろそろ全員が退役したころでしょうか。
それともこの中から女性の将官は誕生したのでしょうか。 



軍学校ですから、理数系には力を入れます。
学業レベルも国のトップ大学のレベルにランクされているそうです。

学部はエンジニアリング、人文科学、マネジメント、科学、数学など。
専門的には戦略インテリジェンス、プロフェッショナル海事のコースもあります。




2011年の卒業式にはオバマ大統領の出席を仰ぎました。
一緒に写真を撮ってパネルになっているからには、彼女はクラスヘッド、
首席卒業だったりするのかもしれません。
将来はコーストガード・アカデミーの女性学長かもしれませんね。

ところで、彼らがしている、親指と小指を立てるポーズですが、

ハワイで昔から使われている挨拶のポーズ

なんだそうです。
彼女はおそらくハワイ州出身のカデットなんでしょうね。
バラク・オバマはハワイのホノルルの病院で生まれています。



続く。 

 


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