Image may be NSFW. Clik here to view. ロシア軍が攻撃をかけてくるという情報により待機している守備線で、 シュタイナーはソ連軍の子供捕虜を逃してやります。 この子供役はどこで調達してきたのか、本物のロシアンキッズです。
そのとき、それまで一言も喋ったことがなかった子供が、
「シュタイナー」
と彼の名を呼び、ハーモニカを投げて寄越しました。
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Image may be NSFW. Clik here to view. 茫然と死んだ子供の顔を見つめたのも一瞬でした。 ソ連軍が威力偵察をかけてきたのです。
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ドイツ側の塹壕にまで迫ってくる勢い。
Image may be NSFW. Clik here to view.Image may be NSFW. Clik here to view. ブラント大佐は激しい攻撃に狼狽するシュトランスキーに電話で指示を出します。 ていうか、この人戦場で何をオタオタしているの。
大口叩いてた割には怖がりさんなのね。
Image may be NSFW. Clik here to view. そして激しい戦闘でフラグの立っていたマイヤー中尉も戦死。 果敢に部下を指揮していましたが、塹壕に侵入した敵の銃剣に刺されるという壮絶な最後です。
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その後の戦闘で意識を失ったシュタイナーが幻覚から目覚めると、
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美しい看護師、マルガが彼を覗き込んでいました。
Image may be NSFW. Clik here to view. 仲間を何人も失ったあの戦闘で、シュタイナーは脳震盪だけですんだのです。 しかし、名誉の負傷ということで帰国を許されることになったのでした。
Image may be NSFW. Clik here to view. 負傷兵を収容する病院では、高官の視察のためにパーティが催されました。 負傷兵バンドが演奏するのは、
So ziehen wir unter fremder Fahne(もろい者どもが慄いてるぞ)
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全員直立不動で合唱しているこの歌は、ナチスの進軍歌です。 よーつべで探したのですが、ブラックメタルバージョンしかありませんでした(謎)
Image may be NSFW. Clik here to view. 昏睡から覚めたばかりのシュタイナーは幻覚が消えず、 部下と他人を見間違えます。
しかし当時にしてこの特殊メイク、すごいね。
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そこに高官がやってきて負傷兵の「閲兵」を始めました。
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こんな人に握手を求めてみたり。
ちなみにこの兵隊さんはしつこく左手に握手を求められると、 やはり手首から先のない左手を見せ、次にほらこれとでも握手しろよ、 といわんばかりに無表情で足を持ち上げてみせます。
Image may be NSFW. Clik here to view. 高官は次に握手をガン無視するシュタイナーに一瞬むっとしますが、 その胸に並んだ戦功の証である各種バッジに気がつくとたじろぎます。
ちなみにこの高官、宴席の料理から肉と酒だけ自室にちゃかり運ばせて、負傷兵たちには
「野菜を食べろ。体にいいぞ」
Image may be NSFW. Clik here to view. シュタイナーは美人の看護師とすっかり意気投合。
ダンスの時に流れているのは、ヨハンシュトラウスの「ウィーン気質(かたぎ)」です。
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しかし、一夜が明けてみると、彼は結局隊に戻ることを選択するのでした。
さっさと荷物をまとめ、寝室を出ていこうとすると、彼女は
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「戦争が好きなのね」
そしてひとことも返事をしない男に向かってこう最後に呟くのでした。
「ドイツ万歳 ”Long live Germany."」
続く。
バディグループは4人を超えることはできず、現代では女性も参加できますが、 男女混合のグループは不可です。
(最近のポリコレならそのうち差別だ!とか言い出して可になるかもしれませんけど)
バディとして入隊すれば、基本的に理由がないと離れ離れになることはありませんが、 病気とか、訓練に一人がついていけないとか、「最低限の水中生存資格を満たしていない」 つまり全く泳げないとかという止むを得ない理由があればその限りではありません。
というわけで、バーナード・マッドはこの写真の友人とともに バディシステムでシーマンを志望し、入隊したわけです。
そして、彼ベトナム戦争奉仕の間に行方不明であると報告され、 最終的に1970年6月29日に死亡認定されました。
記録された状況は次のとおりです。
非敵対的死者
行方不明
溺死
窒息死
地上死傷者
死亡場所:南ベトナム
これらの短い状況をつなぎ合わせると、彼は戦闘ではなく 艦隊勤務時に海中に落ちるなどして行方不明になったのではないでしょうか。
彼が行方不明になったのはベトナムに着いてわずか数ヶ月後だったそうです。
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同じアフリカ系の水兵たちと白いセーラー服を着て写真を撮った彼は、 MIA(任務中行方不明)のまま葬式が営まれました(4番)
彼の死は、ベトナムに奉仕した他の同郷の若者たちの死とともに 彼の属した故郷のコミュニティを落胆させた、とあります。
展示されている手紙は海軍の便箋に書いた父親宛のものです。
その最後にはこうあります。
「思うに僕はついに一人前の男になろうとしているのです。 家に帰ったらきっとそれがわかるよ。 僕が帰るまで落ち着いて待っていてください。
あなたの息子 ルロイ」
亡くなったとき彼は19歳。 あと2ヶ月で誕生日を迎えるはずでした。
■ 戦場で獲得したロースクール合格通知
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フィルムキャニスターと陸軍機関大隊のマーク入りヘッドバンド。
グレン・マホーン(Glenn Mahone)
の提供した展示です。 マホーンはペンシルバニア州立大学で心理学を勉強しているときに ROTC(予備役将校訓練課程)に参加しました。
卒業後、彼は陸軍に入隊して第18大隊の工兵隊に入り、 橋、道路、火力支援基地の建設を支援する任務を行いました。
さらに彼はベトナムで輸送船団の運営、軍需品の配備、 そして果ては地雷掃討の部隊にも参加しています。
彼のすごかったのは、そんな状況でも向学心を失わなかったことです。 ベトナムにいながらにしてLSAT試験(ロースクール入学資格)に合格!
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彼はベトナムで負傷しましたが、退院後1週間で、デュケイン大学 (ピッツバーグ)ロースクールに入学しています。
その後、彼はイエール大学でLLMの学位を取得し、弁護士となりました。
Glenn R. MahoneImage may be NSFW. Clik here to view.
続く。