というわけで、何日にも分けて見学記をお送りしました。
今回のツアーは厚生棟と東儀仗広場の見学が無く、
それだけは次へのお楽しみとなったわけですが、
残念なことがあるとすれば、厚生棟に行かなかったせいか
生の自衛官をあまり見かけなかったこと。
平日の午前中なので、みんな勤務中。
あまり外をうろうろしていないであろうことはわかりますが、
その点少し残念でした。
このお二人は海自の方でしょうか。
市谷記念館を見学した後グラウンドの横を通ったのですが、
自衛官が走りまくっていました。
これは任務?それとも休みの日の自主トレ?
だれかの自衛隊(陸自)レポートに
「朝からドカ飯、訓練の合間の休憩時間も走ったり球技したり。
死ぬのか?こいつらは運動していないと死ぬ動物なのか?」
と書いてありましたっけ。
それが仕事だからですよ、と今なら突っ込める。
去年、呉で旧海兵団こと教育隊の見学をしたのですが、
隊舎の共有部分には腕立てやら懸垂などの自主トレ達成表があり。
さらに雨の日曜にもかかわらずグラウンドを走っている隊員もいました。
「自衛隊に入ればいやでも体力はつく」
と誰かが言っていたのを思い出しました。
ここに写っている人影は後ろ姿も若々しいですが、
グラウンドには30代40代と思しき人も。
ね?
どの人とは言いませんが。
それとも単なる若くして髪が少なくなった人かな?
体型は首から上よりずっと若々しいですね。
毎日鍛錬。これぞ自衛隊員。
あまりにも隊員の姿がないので、
もしかしたら陸自の部隊は三島事件の日のように
富士演習場にでも行ってしまっていたのかと思って調べたら、
ここには陸自の
陸上幕僚監部
通信団
中央情報隊本部(通信、写真)
陸自警察隊本部
中央業務支援隊(人事など)
中央管制気象隊
中央会計隊
会計監査隊本部
研究本部システム開発隊
といった部門しかないことがわかりました。
そりゃどこにも隊員がいないはずだ。
つまり、平日の昼間は屋内で仕事をしている部隊ばかりです。
しかし、会計を「部隊」と称するとは、とさすがは自衛隊です。
補給のお仕事中。
ところでここの通信団の隷下には、
「第301映像写真中隊」
というかっこいいようなそうでもないような名前の隊があります。
広報活動に必要な映像は勿論、災害地に出動し記録を残し、
災害派遣部隊に資する「映像小隊」を擁するそうです。
自衛隊には一般にあまり知られていない部隊がありそうです。
メディアの発達とともに、たとえば「システム防衛隊」なんていう、
これははっきり言ってかっこいい名前の「サイバー防衛隊」
なども日々生まれてくるのですわけですから。
ドカ飯一日運動だけが自衛隊ではないってことですね。
体力に自信はないし体を動かすのは面倒臭い、
でも、国を憂う気持ちは人一倍。
そんな気持ちさえあれば大歓迎。
一日ネットの前で過ごす「自宅警備員」ぎみの君、
自衛隊サイバー防衛隊に応募してみないか!
(入隊後配属されるかどうかについて当方は一切責任を持ちません)
掲示板に貼られた「五省」のポスター。
自衛隊結成60周年記念に作られたもののようです。
五省(ごせい)。
それは帝国海軍から海上自衛隊に伝わる
その日の行いを反省するために
自分自身に投げかける、五つの問いかけ。
沈む夕日をフネの甲板から見つめている、
後ろ姿も凛々しい自衛官。
このような素敵なせっかくのポスターに、
いくらスペースが無いからってこんな風に
「入札公告」を貼らないでいただきたいの。
ついでに見つけた貼り紙のお知らせ。
いちいち粗探しするようですが
(というかそれが目的の防衛省見学)
ヘリポートを使用するのにいちいち
「ご迷惑をお掛けいたします」
などと謝らねばならないなんて・・・・。
かつて真珠湾攻撃をした海軍航空隊機動部隊の訓練が
錦江湾で大々的に行われたとき、
海軍はいちいち住民に
「ご迷惑おかけいたしますが、
引き続きご理解を賜りますようよろしくお願いします」
なんてことを断ったのか?
そんなことしてないでしょ?
しかし住民は飛行機の騒音などはものともせず、
皆日本国旗を振ったり手を振ったりしたんでしょ?
まあ、そのころとは社会情勢が全く違うとしても、
そこにヘリポートがあることは周知の事実なんだから、
ヘリコプターが来れば騒音があるくらい皆知ってます。
文句を言う方が間違っておる。
そんな輩に配慮せんでもよい。
と、つい義憤にかられるエリス中尉であった。
皆さまの自衛隊としてはそうもいかないんでしょうけど。
市谷記念館の玄関にまとめて飾られている防衛庁の札。
今六本木のミッドタウンがあるところが旧防衛庁だったわけですが、
もしかしたらその頃の表札と移転してからのもの二種類でしょうか。
防衛省の看板は防衛庁から移行になったのが急だったので、
完成が施行に間に合わず、しばらくはアルミの仮管板が掛けられていたとか。
そういえば防衛庁が防衛省になったのってごく最近なんですよね。
それは第一次安倍内閣下で行われたというの、覚えておられますか?
ええ、案の定この案には猛烈な反対論が一部にありまして(笑)
「省に昇格することによって自衛隊の自衛以上の役割の拡大や、
自衛隊を軍隊へ格上げしようとする動きであるというもの、
省への昇格によって中国や韓国などに日本が軍備の増強、
ひいては陸軍悪玉論を根拠とし、旧日本軍の完全復活をはかっている
などの批判を誘発することを危惧する声などがあった。
また、「制服組」の発言力向上をはかりたいという意識と結びついた
省昇格論への反発として、省昇格によって
文民統制が脅かされるのではないか、という警戒論も見られた」
左派っていつも同じようなことしか言わないんですね。
「軍靴の足音が〜」
「中国、韓国が〜」
「文民統制が〜」
これ、今現在「自衛隊の軍昇格」に対して反対しているのと
全く同じ人たちが言っていそうですね。
第一次のときの安倍総理を潰したのは、
主にこういうことを言う一派、つまりどう考えても
「日本が好きでない、あるいはよその国の方が好きな人々」
であったらしいことが、これからもよくわかりますね。
ところで、以前お話ししたこのメモリアルゾーン。
このコースに立って、この慰霊モニュメントを眺めると、
いやでも目に入ってくる建物がありまして・・・。
それがこれ。
こんなでかでかと「自衛官募集」という看板を
屋上に上げるところを見ると、このアパートは
自衛隊員か防衛省関係の官舎?
敷地内に住むのは独身で、家族持ちはこういうタイプに
住む、と理解すればよろしいでしょうか。
そこでこれ。
いかに中を見学しようと見せてもらえない秘密の花園、
それが自衛隊員の居住区。
しかしパンフレットには皆さまの興味にお応えするため、
居室、食堂、浴場の写真がちゃんと掲載されています。
で、この居室。
二人一部屋らしいですが、見たところ
パーティションで隔てられて個人のスペースは
確保されているように見えます。
なるほど、これを「準個室化」というのか・・・。
「フルメタルジャケット」や、最近読んだ漫画「ライジングサン」
なんかみたいに、大きな部屋に二段ベッドがあってその上と下に
一人ずつ、などという過酷なものではないようですね。
それとも準個室化はこの市谷だけの仕様?
いずれにしても、心配されるほど酷い環境ではないようで
何よりです。
お風呂も普通の銭湯のようですね。
というわけで色々語ってきた防衛省見学記。
防衛相の用意した「見学用」のコースに若干の、
いやある意味では大いに不満を感じつつも、
そういう「開示」の実態も含めて新たに知ることとなり、
収穫は大でした。
「三島自決の場」を見たことからまたぞろ触発されて、
若松孝二監督作品「11・25自決の日」を観ましたし、
栗林中将の絵手紙も文字を書きとるためにじっくり読み直し、
あらためて心に響くものを感じましたし。
もうすこししたら機会を見つけて午後コースにも潜入してまいります。
このツアーは平日しかやっていません。
当初、土日祝しか休めない人たちのためにも、
せめて土曜日くらいは開催してもいいのでは?という気がしていましたが、
防衛省は休日ですから構内はがらんとした状態です。
警備の人数も休日なら減っているわけで、逆に大変そうですし、
良く考えるまでもなく、構内で生活する自衛隊員たちも、
せっかくの休日なのに物見遊山客にあれこれ観察されたくないでしょう。
国民の権利として内部を開示することを要求することは間違いではありませんが、
そこに所属する人々の権利に無神経であってはなりませんね。
というわけで、防衛省ツアー参加記、これでおしまいです。
またいつか「午後ツアー」にも行って参りますので、その潜入記もお楽しみに。
情報を下さったM24さん、アドバイス戴いた鷲さん、お礼を申し上げます。
市谷・防衛省ツァー〜その他いろいろ
開設1000年記念ギャラリー〜一コマ漫画集
毒を食らわば皿まで、というのは譬えが少々ヘンですが、ここまでやったので
ついでに開設当初から挿絵として描いてきた一コマ漫画を挙げてみます。
これはまだ最初の頃、お絵かきツールを使って中指で描いた絵。
「空飛ぶ主計大尉」
というタイトルです。
軍事に興味を持ち出していろんな随筆を読んでいたら、
素人を飛行機に乗せてスタント(空中回転とか)
をしたら皆ゲロゲロになってしまった、という話を
結構面白がってしている人が多いのに気づきました。
なかでも、糧食の配分を全て管理する主計課の士官、
この人たちを言葉巧みに騙して連れ出し、
「いかに搭乗員の任務が過酷であるか」
を身を以て知ってもらうために、心を鬼にして()
彼らを無理やり飛行機に乗せ、極限までのGを味あわせ、
「ああ、搭乗員というのは大変な激務だ」
↓
「こんな激務に耐えるには体力がいる」
↓
「彼らへの食事の量を増やしてやろう」
という流れを作ったという話をたまたま3件知りました。
そのうち一つが坂井三郎中尉の話。
あまりにもその手口がやり方が同じなので、
実際はこのようなことが結構多かったのではないかと勘繰って、
このエントリを製作しました。
「ねずみ上陸」
帝国海軍ともあろうものが、とつい口をついてしまいますが、
フネにはびこるネズミ撲滅運動の一環として、
乗員にはネズミを一匹捕まえたらご褒美に一日上陸
(陸に上がる休暇)
というトホホなしきたりがありました。
映画「日本海大戦 海ゆかば」は日露戦争の三笠の話ですが、
水兵が上陸のご褒美欲しさにネズミを追いかけるエピソードがあります。
フネに乗る者にとって上陸は憧れですから、
ネズミを偽装してでもその恩恵に被ろうとしたのです。
画像左は「外から持ち込んだドブネズミ」。
右は「大事に育てた養殖ネズミ」。
いずれもフネのネズミにしては汚すぎ、あるいはきれいすぎて、
「偽装」がばれてしまったというお話。
ところでフネにネズミはどうやって乗り込むのか。
一度目撃した人の話だと、ブイに引っかけた鎖を伝って
ネズミが艦に侵入していたことがあるそうです。
聯合艦隊の軍艦はほとんどが沈んでしまったわけですが、
その直前に「なぜかネズミがいなくなった」
というような話はなかったのでしょうか。
ネズミは船が沈むのを察知するという能力があるらしいですが。
「海軍広報 懲罰言い渡し書」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/e3bd4362b99e0deb2f34cb89db6fe395
防衛庁の資料室でふと見つけた
「海軍懲罰についての事例報告書」
これが、旧字カタカナの読みにくい文献でありながら
ついついのめりこんで読んでしまうくらい面白かったのです。
海軍内の罪は海軍内で裁かれ、海軍内で罪に服す。
こんな当時の常識が、現代に置き換えてみると
「え、こんなことしてるのに罪が軽すぎない?」
「こんなことくらいでこんな思い罪っていったい・・・」
といぶかしく思うことが非常に多くて。
「海軍的にはOK」
「海軍的にはアウト」
それが世間一般のとは違っている、と言うのが何とも。
「伝説の男」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/e3bd4362b99e0deb2f34cb89db6fe395
海軍兵学校30期卒、都留雄三大佐。
この「戦史には残らないが海軍の有名人」
の兵学校時代の成績を調べようとして
30期の卒業名簿を調べたのですが、なぜか名前が無い。
187名という小所帯ですから見落とすわけはないのですが。
もしかしたら養子にでも行ったのかと思い、
「雄三」と言う名前で検索しても見当たらず。
この人、本当にちゃんと兵学校を出たんだろうか。
「ドボコン」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/fd760c125406819f17b43f190e23e5a9
音楽家が隠語として使っている省略形名称のうち
傑作と個人的に思うものを列挙してみました。
因みに「ドボコン」はドボルザークのチェロ協奏曲、
「たこはち」はショスタコービッチの交響曲8番、
「だふくろ」はドビュッシーの「ダフニスとクロエ」です(苦笑)
「美しすぎる仲人」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/302de65e1fdd61f064a9eabfb2f26f0b
このエントリを検索するために「美しすぎる仲人」でググったら、
なんと「美しすぎる仲人」を自称する方のブログが出てきました。
いやまあ・・・・この方の写真も大変お綺麗ではありましたが、
なんというか、自称してしまう段階でアウトかな・・・と・・・。
わたしがこの時目撃した「美しすぎる仲人」は、
自分のブログで自称しなくても、おそらく「伝説」になるレベルの、
絶世の佳人でした。
今現在、お歳をめされてもきっと周囲の方には
「美しすぎる老婆」
と言われているに違いありません。
「報道の意味」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/2de7882b2f8c9f6f5f3ce7e95a44f767
マスメディアの現状というのがここ数年で一気に
日本にとって危機的ともいうべきおかしなことになりました。
「まさか社会の木鐸ともあろう報道陣がそんなことはしないだろう」
と国民が性善説で判断していた媒体が、
三年前異常なほどに一致団結して起こした政権交代。
政権を取った民主党が彼らの予想をはるかに上回る
無能揃いだったおかげで、民主党は社会からNOを言い渡され、
今そのマスコミの最後の頑張りも虚しく消えて行こうとしています。
マスコミがアオり、民主に「やらせてみた」おかげで日本がどうなったか。
今、株価や国際関係、すべての惨状を見て、
国民は改めて「マスコミに騙された」との思いを新たにしています。
そして、あまりにも犠牲の多い三年間ではありましたが、要するに
マスメディアとは「そういうものなのだ」「そういうことをするものだ」
とはっきり国民が目覚めるに至ったという点では、
あまりにも高い授業料ではありましたが、日本は一歩進んだのです。
それが証拠に。
「お友達内閣」→「全く反応されませんでした」
「カツカレー」→「朝日新聞社ビルのカレーの方が高いことがばれました」
「慰安婦問題」→「朝日の捏造であることが国会で明らかにされました」
「憲法クイズ」→「首相ではなくクイズを出した議員がバッシングされています」
政権交代前とは、マスゴミの「誘導」「印象操作」「仕込み」が
まったく功を奏していないことがこういった件に表れています。
しかもこのブログでも語った「雛人形倒しゲーム事件」などによって、
報道内部の「特定日本人」「非日本人」たちのあからさまな反日が明るみに出、
「報道の公正さ」
に皆が疑問を持ち出しました。
このエントリは、当時「流行」だった、裁判員制度で死刑判決を出した
裁判員に、この画像のように
「辛かったですか〜?人に死刑を言い渡すのは?」
と嬉々としてインタビューしていたマスゴミを批判したものです。
そのときに
「需要と供給があるから、こういう報道はすぐなくなるだろう」
と言っていた身内の法曹関係者の予言は当たりましたね(笑)
「代車に乗りて我が未熟さを知る」
題名と楳図タッチの絵が説明する通り、
修理のために貸し出された車に乗って、
おのれの未熟さ(あらゆる意味で)を知った、という、
単なる反省文でございます。
それにしてもみなさん。
ETCカードを入れずにゲートに突っ込んでしまい、
バーが上がらないのに後ろから大型車が迫ってくる。
この恐怖は楳図先生の漫画どころじゃありませんよ(笑)
車の話が出たついでに。
先日タイヤを全交換することになり、
ディーラーが当たり前のように「橋石」のタイヤを勧めるので
「橋石は不買対象ですから」
と宣言し、ピレリのタイヤにしました。
ディーラーの方も、今までなんとなく橋石を勧めて来たけど、
今回ピレリにしてみたら安いし、「ランク」といっても
街中走行には何の意味もないレベルの違いでしかなく、
しかも、実際には足回りがソフトなのに驚き、
「勉強させていただきました」
と言われました。
え?
なんで橋石が不買対象なんだ、って?
60歳にもなって実の母親から「子ども手当」をもらっていた
元首相がいましたが、このメーカーはその実家だからです。
そこで一句、
”不買運動 できることからこつこつと”
(字余り)
「ある海軍軍人の(笑)回想録」
あまり反響はありませんでしたが、個人的にはこの
ある海軍軍人の(笑)シリーズ二編、自分でも気に入っている
エントリです。
「ある海軍軍人の(笑)回想録」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/0cd1a1220c0480cda789ef1fa119eafd
「ある海軍軍人の(笑)終戦
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/d37aa40955154f56573b04491f402f19
こんな人物とお会いして、海軍のお話を伺ってみたかった。(迫真)
「エリス中尉 v.s 韓流おばさん」
世の中、テレビが「流行っている」といえば、
本当にはやっていると思い込んで自分もまんまと
その誘導に乗って「マイブーム」(笑)にしてしまう、
そんな「釣られ好き」という層はいつの時代も
一定数存在するものです。
ところがインターネットによって「誘導する側」の意図が
最近では瞬時にして暴かれてしまうようになり、メディアは
仕掛けた途端それを糾弾されるという時代になりました。
韓流が所詮「仕掛けられたブーム」であることを知っていたのは、
この画像のエントリを書いた頃はおそらく「サイレントマジョリティ」
であったと思うのですが、その後、マスコミがごり押ししても、
肝心の「あちらさん」が
「大統領の竹島不法上陸」
「オリンピックでの領土主張メッセージ」
で派手に日本人の怒りの導火線に火を点けて、
片っ端からごり押しを逆効果にしてしまったのです。
その後民主党の自爆やカウンターデモの自爆により、
気付かなかった人たちは目をさまし、
気付いていた人たちはあらためて声を大にするようになりました。
先般国会において中山斉彬議員が明らかにした
「朝鮮半島併合の真実」。
今までインターネットとごく一部の言論人の中だけでのみ語られてきた
このことが初めて国会議員の手で開陳されたという意味では、
歴史的な瞬間だったのではないかという気がしています。
マスコミがこの件を全く報じず、肝心の韓国側がこれについて
何の反応もしないのも、これがいかに彼らにとって都合が悪い
真実だったかということにほかなりません。
因みに、この画像を挙げたエントリで、
無名の韓流スターのサイン会をやっていた施設ですが、
この時のファンの狼藉で顰蹙を買ったのかどうか、
最近ではそういうイベントはしていないようです。
あれはどう控えめに言っても、
「韓流おばさん、ことに大阪の韓流おばさんは最低」
とみなされても仕方ないお行儀の集団でしたから・・・。
「笹井中尉に叱られたい」
初めてマンガっぽい絵をブログに揚げようと、
gooブログに備えられている「お絵かきツール」を使って
ポインタを指でなぞって描いたものです。
その後、ときどきこのページのアクセスが、
中国語のウィキぺディアからあることがわかりました。
誰か(おそらく台湾の人)が、ウィキに貼りつけたようです。
台湾の「大空のサムライ」ファンの何人かは、
「坂井三郎の敵中宙返り事件」のあとの
「笹井中尉のお説教シーン」をこの絵でイメージしている、
という可能性もあるということです。
うーむ、誇らし・・・くはない。
横須賀軍港めぐりツアー〜「日本で一番危険な島」
ツアーの出ていた案内所でこんな地図を買いました。
裏が昔の海軍時代の地図になっています。
軍港めぐりツアーの航路は赤の点線で記されており、
ちゃんとジョージ・ワシントンの停泊位置もわかるように
記載されています。
これを見てお分かりのように、ツアーは
{吾妻島」という島の周りを廻って帰ってきます。
その吾妻島が左手に見えてきたところ。
なんだか寂れているようなアヤシイ雰囲気。
ガイドさんの説明によると、
「旧軍時代は燃料や火薬の貯蔵庫があったが、戦後
米軍に接収されて以後、共同管理地に戻ってもここで
何がされているかは明らかにされていない」
ひみつの武器弾薬貯蔵島ってことですか。
この島が米軍に接収されたのはなんと昭和20年の9月2日。
占領を始めるなり「大慌て」でここを抑えたようですね。
まあそれも燃料弾薬が貯蔵されているとあっては当然か。
その後、在日米軍と日本の共同管理下に置かれてはいますが、
何人たりとも一般人の立ち入りは禁止です。
ここでいったい米軍は何をやっていたのだろう。
島、といいますが。
実はこの吾妻島、人工島なのです。
造ったのは海軍。
メイドバイジャパニーズインペリアルネイビー。
弾薬貯蔵をするために箱崎半島と言われた岬の根元を堀削して
隔離のための島をつくってしまったんですね。豪快だ。
この水路を造るのも爆薬を利用して豪快にやったらしく、
海軍の技術力の高さが表れているという話でした。
何と1899年(明治22年)のことでございます。
人工の水路ですから、深さはあまりなく、
ジョージワシントンは勿論のこと、大きな船は航行できません。
従って、小型の艦船が「近道」に利用する水路となっています。
実は海軍には、横須賀の「夏島」という島の周りを埋め立てて
これとは逆に陸続きにしてしまったという前科?もあります。
もともと陸軍の土地で、陸軍軍人の別荘もあったそうなのですが、
海軍はここを手に入れ、そうやってここに飛行場を造りました。
それが「追浜飛行場」です。
前回お伝えした「日産」「住友重機」の工場がその跡にあたります。
水路を掘削したことでこの島は隔離され、
弾薬、燃料、武器を貯蔵するだけでなく
それらを調整したり開発する「秘密基地」にもなりました。
勿論現在もです。
現在は、在日米海軍補給センターの管理下で、
航空燃料・艦船燃料等の貯蔵・補給を行う貯油施設で、
吾妻島全域と堀割水路を隔てた旧田浦送油施設地区からなっています。
周辺水域は横須賀海軍施設水域の一部で常時立入禁止。
施設には吾妻島に37基の提供タンクがあり、
貯油能力は約397,000klといわれています。
燃料の貯蔵は、海上のブイまたは接岸により、
タンカーからタンクに送油される仕組みです。
燃料は、はしけ等を利用して米軍艦船に供給されているほか、
旧田浦送油施設地区に送油され、
その後タンクローリー車等により各施設に輸送されているのです。
ところで写真の二個一の酸素ボンベみたいなのは何かわかりません。
消火器のように見えなくもないですが・・。
建物は日本軍の頃からのものかもしれませんね。
これも何かわからないけど、燃料を移すための
特殊な素材の巨大なホースではないか?と予想してみる。
「全然ちげーよ」
という確信がおありの方、もし何かご存知でしたら
教えてください。
何か手がかりになりそうな文字が見えたので写真を撮ったのに、
前の人の頭で隠れてしまいました。残念。
水路を移動しているときに撮ったものです。
と言うことは、この何本もある細いパイプが、
水路の下を通っている燃料用のパイプ?
この水路を通る前に、肉眼では全く見えなかったのですが、
何か書いてあるらしいゲートを発見。
とりあえず撮って、拡大してみました。
「魚雷・水雷」「機雷」
横須賀施設
なんですって〜!
mine、というのは地雷のことも指しますが、
ここが海軍施設であることで「機雷」だと理解しました。
そんなものも作っているのか。
それとも作っていたのか。
あるいは単に「調整する」だけなのか。
このゲートが字もかすれるほど古くて、
とても現在使われているように見えないのと、
さらによく見るといたるところに鉄条網があり、
立ち入り禁止になっているっぽいのが謎です。
現在、グーグルアースではここを見ることはできませんが、
別に公開していないというわけではなく、ウィキペディアの
「吾妻島」のページからは、ここの航空図を見ることができます。
吾妻島航空写真
これを見ていただくと、島の何か所かに燃料のタンクがあり、
それらが島を斜めに横切る道路の一方にあるとしたら、
この「水雷、機雷施設」はその反対側の島の端に位置します。
つまりこの写真の島右上の出っ張った部分ですね。
やはり危険な作業であるため引火物とはできるだけ
遠くに離していたのでしょう。
今は軍艦の搭載武器も様変わりしましたから、
そのためこの部分は使用されない一角となったのではないでしょうか。
しかしながら今現在もここが
『日本一危険な島』
であることには間違いのないところでしょう。
因みに、この航空写真で見る、島の左下部分。
ここは、昭和54年から日米合同施設において
「海自水雷調整所として共同使用とすることが合意された」
区画です。(旧軍港市国有財産処理審議会承認)
米軍だけが使用しているわけではないんですね。
まあ、米軍としても昔と違って占領しているわけではなく、
「日米同盟の運用のために日本の土地を使わせてもらう」
という立場ですから、島の占有はありえないのかもしれません。
現在、全施設面積の30パーセントにあたる、
吾妻島補給所(貯油タンク6基、約20,000kl)、
弾薬施設(艦船用誘導弾薬整備・調整)、
吾妻島信号所、
気象観測所(港務支援)及び
横須賀水雷整備所(水雷武器整備・調整)
これらの部分が共同利用されています。
ここで勤務する日米軍人その数141名(現在)。
はい、その証拠。
という言い方も少し何ですが、新井削堀というこの水路を
抜けたところにある日米国旗。
ところで、このツアーのガイドですが、海自の制服に似た感じの
船員風スーツを着た、(でも茶髪だったりする)若い人。
調子のいいおしゃべりと、程よくすべるギャグとダジャレの連発で
なかなか楽しい一時間を過ごすことができたのですが。
このツアー、軍港と言う特殊なところを巡る関係上、
ツアーのたびに係留しているフネが違っているわけですから、
それなりに勉強して軍艦や護衛艦のことを調べておられるのですが、
ときどき「あれ?」「そうだっけ?」と思うようなことを
さらっとおっしゃるんですね。
例えばこの国旗掲揚については、お互いのメモリアルデーの際、
例えば日本は3月11日、アメリカは9月11日に半旗にする、
と言う説明をしたわけですが、その説明のときに
「ウサマ・ビン・ラディンが起こした同時多発テロが」
なんて断定してしまっていました。
うーん。
確かにアメリカはビン・ラディンを主犯と決めつけ、
派兵の理由にしてついには「死人に口無し」で
殺してしまったみたいですけどね。
このテロについて本人はわりと早い段階で
「わたしが指揮したのではない」って声明だしてませんでしたっけ。
うかつなことは言えませんが(とか言いながらエリス中尉、
以前に結構大胆な米政府陰謀説など書いてしまったことがありますが)
そういったことを全く考慮に入れなかったとしても、
もし本当にビン・ラディンが計画したなら、堂々と犯行声明を出して、
「アメリカの帝国主義に対する攻撃である」
って言ってたと思うんですよね。
だって、やったのに「やっていない」とうそをつくのなら、
じゃああれだけのことをやる理由って何?ってことになりませんか?
つまりこの件はいろいろとアメリカ政府にアヤシイことがあるのも事実だし、
ビンラディンが黒幕であると確定したわけでもないんです。
今のところね。
そういう微妙な問題をこんなツアーのガイドとはいえ
確定事項として語ってはダメでしょ、って話。
さて、と言うわけで、吾妻島の周りをぐるっとまわり、
また出港したところに帰ってきました。
護衛艦が見えてきました。
ここでもじつはガイド説明の「あれ?」があったのですが、
それは次の項のお楽しみ。
横須賀軍港めぐりツアー〜リムパック参加艦(?)
「日本で一番危険な島」、吾妻島の新井堀割水路を抜けると、
ツアーが出港した港がまた見えてきます。
この図でいうと、左下で自衛官が敬礼している、
その上に自衛艦が二隻、そこに差し掛かっていきます。
まず右手岸壁に係留しているのは
すま型 海洋観測船 すま AGS-5013
「にちなん」「わかさ」そしてこの「すま」、と
ここには海洋観測艦が勢ぞろい。
音響観測用のアンテナが立っていますね、
中央部と後部にあるのは電波収集用のESMアンテナです。
残念ながらこちらからは見えないのですが、「すま」は
右舷側に観測用のデッキがあるのです。
そして、
艦の一部をクローズアしました。
ボートを二艘搭載していますが、これは作業艇。
アームがググーっと海上にせり出し、
簡単にボートが出動可能になるというわけ。
そして、艦体にほかの護衛艦にはない舷窓があります。
海洋観測艦は基本長期行動が原則だからということですが、
やっぱり、これって
「長いことフネにいて外が見えないと気が塞ぐから」
という理由なんでしょうか。
この舷窓は海洋観測艦にはどれにも設けられています。
すこし変わった艦体のこのフネ、
水中処分母船 YDT-03
機雷や不発弾、爆発物の水中処理をする部隊のことを
水中処分隊
といいます。
横須賀のサマーフェスタに行くと、この処分隊の訓練展示を
見ることができるようですし、このツアーでも運が良ければ
訓練行動中の彼らに遭遇することもあるようです。
自衛艦旗も鮮やかな小さいゴムボートに乗る
真っ黒に日焼けした精悍な隊員は、全身鋼のように鍛えられ、
まさに「海の男」そのもの。
youtubeで見た勇姿にはため息が出るほどでした。
そのダイバーたちの業務支援を行うのがこの母船です。
居住区を備えているのは勿論のこと、水中処分具をはじめ、
潜水用機材、処分艇、揚収用クレーンなどを搭載しています。
そして、ダイバーたちが母船から出動できるような昇降機を
艦尾に備えているそうです。
艦尾をアップにしてみました。
ゲートみたいに見えるのが昇降機かもしれませんね。
はつゆき型護衛艦「さわゆき」DD125
つい最近就役を終え、今廃棄処分を待つ状態だそうです。
「わかしお」を見ても感じますが、引退の決まったフネというのは
見ていてどうしてこう、もの悲しいのでしょうか。
甲板のいたるところにはブルーシートが掛けられています。
気のせいか、何か魂の抜けかけたような雰囲気が・・。
それはこんなところにも。
おそらく名札であったと思われるプレートからは、
名前が消され、わずかに字の痕跡が覗えるだけ。
2012 Sawayuki Final Year
艦橋上部分に書かれていました。
最後の年であることを刻んで去年一年を過ごしたのですね。
そしてなんといってももの悲しいのはこの喫水線。
艦内の再利用機材をほとんど搬出してしまった結果、
これだけ喫水線が下がってしまったということがわかる画像。
武器類だけでも物凄い重量になりますからね。
ところで、ガイドの方がこの「さわゆき」を説明する際、
「リムパックで最優秀艦に選ばれたこともある」
と確かにおっしゃったわけです。
そのときは「ふーん」と思って聞いていたのですが、
帰ってから調べると、この「さわゆき」が記録の上では
リムパックに参加したことは一度もない
ということがわかってしまったのです。
しかも、おっしゃるところの「最優秀艦」ですが、
昔一度「あまつかぜ」という艦を調べたときにこの艦が
「あまつかぜ」
演習中4回の艦対空交戦をすべて成功させたほか
仮設敵である豪海軍「メルボルン」の航空攻撃により大破した
「コンステレーション」への再攻撃を企図して接近してきた
米原潜「サーゴ」と接敵、これを「撃破」したことにより
本演習における最優秀艦として高く評価された
(ウィキペディア)
であることを知り、驚いたことがあります。
もしかしたらこのガイドさんは「さわゆき」を
「あまつかぜ」と取り違えているのかと言う疑いが・・・。
しかもですね。
この「さわゆき」では、2008年に放火事件が起っているんですね。
21歳の海士長が
「仕事がきつく時間が無いので訓練をするのが嫌になった」
という理由で放火してしまった、という事故だったのですが、
非常に不運なことに、このときに取材に出たヘリコプターが墜落し、
報道の人間が4人亡くなってしまいました。
たとえ任務遂行中の自衛隊員が事故で死亡しても、片隅の三行記事で
簡単に報じるだけで済ませるマスコミは、その事故を大々的に報じました。
そして「自衛官が放火しなかったら報道員は死なずに済んだ」
と因縁付けるごとくに、あの手この手で印象報道をした結果、
ついに石破防衛大臣(当時)が
「こういうことが起こらなければ痛ましいことが起こらなかった」
などとその件について陳謝してしまったのです。
「放火が起きなければヘリも出動していなかった。
出動しなければ事故も起きなかった」
いやまあ、理屈から言えば決して間違ってはいませんが、
それを陳謝するなよ(怒)
放火した海士長が放火の罪を問われるにやぶさかではないけど、
ヘリの墜落は単なる操縦ミスか整備の不調か、天候か・・・、
いずれにしてもそんなことは自衛隊とは全く無関係でしょう。
ヘリの墜落の責任までトップが認めるなっつの。
しかも回収されたビデオによると、このヘリが墜落したのは取材前で、
全く事件との因果関係はなかったらしいじゃないですか。
それはともかく。
どちらにしてもこのような事件を起こしたフネをその後
常識的に自衛隊がリムパックに参加させるものでしょうか。
「さわゆき」の経歴を調べると、リムパックではなく、
事件2年後の2010年に遠洋練習航海部隊には参加しているようですが。
「さわゆき」がリムパックに艦名は載ってないけど出て、
優秀艦になったのは本当であるという話をもしご存知の方がおられましたら、
ぜひご一報くだされば幸いに存じます。
退役が決まったフネには国旗も自衛隊旗も付けられることはありません。
波乱の多かった(らしい)その護衛艦人生を終え、
彼女は今こうして静かに最後のときを過ごしているのです。
なにはともあれ、お疲れさまでした。
「さわゆき」に敬礼。
横須賀軍港めぐりツアー〜「ひゅうが」甲板のキリン
右 こんごう型ミサイル護衛艦「きりしま」DDG-174
左 あすか型試験艦「あすか」ASE-6104
横須賀軍港めぐりツアーもいよいよ終盤です。
この「あすか」ですが、去年の観艦式でお見かけしました。
この実験艦についてはこの時もお話ししましたが、
一番特徴的なのはシャープに突き出した艦首の形。
これは、艦首から錨をおろすときに、艦底に備えてある
バウソナーに間違っても当らないように。
向こうが「あすか」。
艦首のシャープさが良くわかりますね。
ってことがとても印象的なフネです。
実験艦は観測艦と違って武器を載せます。
ただしそれは艦のための装備ではなく、あくまでも
正式にどこかの艦に搭載するまでの一時的なもの。
「ひゅうが」が就役するまで、この「あすか」には
FCS-3(正式名00式射撃指揮装置)が搭載されていました。
「あすか」で実験したこの装置、今は「ひゅうが」に移され、
現在は基台だけが残っているそうです。
「ひゅうが」のどこかに写っていないかと調べたら、
ありました。
艦橋の上、大小のFCS-3のアンテナが写っています。
大きい方がC型のレーダーバンド面、
小さい方がX型のバンド。
はたかぜ型ミサイル護衛艦「はたかぜ」DDG-171
この「はたかぜ」にも観艦式で遭遇しました。
「しらね」と一緒に、祝砲を撃つ係。
ところで、この「はたかぜ」についている黒い大きな
スクリーン状のものにご注目ください。
はい、これですね。
これはSPS-52C三次元レーダーと言いまして、
この「はたかぜ型」に搭載されているアンテナです。
こう見えても幅が4.2メートルありますから、
「今いる部屋より広い」とおっしゃる人もいるかもしれませんね。
これはもともとアメリカ海軍が開発したものです。
最初のSPS-39型はいわゆるレーダーらしい曲面アンテナのもので、
1960年ごろに配備されていましたが、
この平面アンテナはその二代あとの後継型です。
この「はたかぜ」にはIFFアンテナも搭載しているそうです。
IFF即ち「敵味方判別装置」
これ、英語で言うとすごいんです。
Identification Friend or Foe
「友達か敵か認識する」
ってそのままやないかい!
なんというか、米海軍のネーミングもアツいわね。
昔、東急ハンズで買った「ポテトチップス用マジックハンド」に
NBCS No Broken Clush System
「対象物破損防止クラッチ機能」
NTTS No Touch Table System
「指先机上非接触機構」
FECS Finger Easy Cleaning System
疑似指先クリーニング機構
って説明書がついていたのを突如思い出しましたわ。
・・・で、これどうやって「友達か敵か見分ける」のかというと、
「電波を発射し、対象物に返信を要求する装置で、
電波を発射して既定の返信があれば友軍、
規定の返信がなければ敵軍と判別する」
相手が不幸にして所定の返信を忘れてしまったら敵認定で、
その時には容赦なくハープーンミサイルがぶち込まれます。
・・・っていうかこのシステム、
「アナタハワタシノトモダチデスカ〜?」って相手に聞くだけで、
別に独自の認識機能があるわけではないじゃないような・・・。
「山!」と言って「川!」と返してこなければ敵、ってことでしょ?
ポテチハンドより内容に偽りありだ!
非常に特徴的な艦首のこれ、なんですか?
カメラ?
「むらさめ」型護衛艦「むらさめ」DD-101
「Destroyer」を駆逐艦と呼んで何が悪い!
と、わたしかつて実際にある護衛艦勤務の士官に
(もう少し違う言い方で)言ったことがあるのですが、
そのときこの自衛官はこともなげにこう言いました。
「言いますよ、駆逐艦」
あ、自衛隊の中の人は「駆逐艦」って使うんだ。
拍子抜けするとともに
「やっぱり軍か自衛隊かなんてしょせん言葉だけの問題だなあ」
と実感したわけですが。
因みにわたしはシステムの問題なら軍への変更賛成。
でも、「自衛隊」という言葉がかっこいいので、痛し痒し。
だって、たとえば「自衛隊員」。
これ、軍に名称変更になったらなんていうの?
やっぱり、軍人?
そちらはそのままにして、どちらかというとわたしは階級の
「三尉、一佐」を「少尉、大佐」に変えてほしい。
閑話休題、
この「むらさめ」は実になんというか、個人的感想ですが
「駆逐艦らしい駆逐艦」という気がします。
リムパックに3回参加。
国際観艦式で先導艦。
トラファルガー海戦200周年記念観艦式に参加。
イラク復興、インド洋、ソマリアと立て続けに派遣。
全く、八面六臂の大活躍とはこのことでしょう。
もっとも「むらさめ」型の駆逐艦はどの艦も、
かわるがわると言った感じで派遣されているのですが、
とくにこの「むらさめ」は一番艦らしく活躍の場が多い気がします。
ここにいた護衛艦の甲板で乗組員が
何やら整列しています。
この日は日曜でしたが、勤務があってそれが終了したのでしょうか。
後ろに立っている士官がこちらを見ていますが、
ここにいた2,3人の士官だけがこちらに向かって
「帽振れ」してくれました。
やっぱり士官には「帽振れ推奨」されてるみたいですね。
そうそう、言い忘れましたが、冒頭写真の「きりしま」、
これはイージス艦です。
174番の艦体には先日も説明した「イージス艦の印」
オクタゴンのアンテナがついていますね。(復習)
ちなみに、このイージス艦がSPY送信中は甲板に人は出られないとか。
というくらい強力な電波だそうで・・・。
怖い。
というか、もし甲板に出たらどうなるの?
これほど強力な電波でデータリンクをすることが即ち「楯」なので、
肝心の艦の装甲そのものは結構ヤワだと言う話です。
至近戦には弱いってことですかね。
しかし、すごい映像を見つけてしまいました。
この「きりしま」が、6発放たれた大陸間弾道ミサイルを、
1発残らず全てをハワイ沖の大気圏外で撃破して海に沈めるシーン。
http://www.youtube.com/watch?v=_pr9WY2Xyj0&feature=player_embedded
練度が半端じゃありません。
やはり海軍の系譜という感がありますね。
「むらさめ」のアンテナをうしろから。
ところで、こうやって海自のフネをいろいろと見てくると、
どの艦も・・・退役する「さわゆき」ですら、
どこにも全くサビが見当たらない
のに少し驚きませんか?
出港してすぐ、米海軍のイージス艦を少しアップにしてみたら、
そこら中が錆びだらけだったの、覚えてますよね?
アメリカは「問題なく運用できればOK」って感じですが、
なにしろ海自のフネは、今まで何度か内部を見た経験からも
「本当に本当にクリーン」(『バトルシップ』の監督談」
なのは間違いないのかも。
そういえば「日本海海戦『海ゆかば』と言う映画で、
日本海対戦前、「甲板洗い」「全員が入浴」「持ち場の大掃除」
そして、大砲には清酒をかけてお浄めまでしてましたっけ。
こういう明治時代からの「海軍精神」が、
結局海自になった今も受け継がれてるってことなんでしょうね。
少年工科学校などの教育課程でも、防大でも、「掃除」を
非常に重視しますが、少なくともアメリカは違うでしょうね。
掃除は掃除人の仕事、って思ってそう。
とかなんとかいろいろ見ているうちに、
最初の「ひゅうが」停泊地に戻ってきました。
これは出発前の写真。
この写真をアップしてみました。
YO36。
これは支援艦で、艦艇用の「油船」(ゆせん?)です。
つまり・・・・「ひゅうが」お食事中。
たしかにホースみたいなのが「ひゅうが」に挿入されてます。
そして、絶対に油船の船体が「ひゅうが」に当らないように
大きな丸いボールを間に挟んでいるのが興味深い。
しかし、この巨大な「ひゅうが」のタンクを満タンにするのに
こんな小さなフネで補給するんですか?
それから!よくよく海面を見てください。
うっすらと赤っぽいフロートで囲まれています。
これ、件のオイルフェンスですよね?!
わーい、大型艦でのオイルフェンスの使い方がこれでわかったぞ。
帰りに通りかかったら、「ひゅうが」ではこんな作業をしていました。
何をしているかさっぱりわかりませんが、
こんな小さなボートでもちゃんと自衛隊旗をつけているのが
なにやら微笑ましい。
たくさん垂れ下がっているのはホース?
それともボートを降ろしたロープ?
電話で上と連絡を取りながら。
これも、携帯が普及しているからこそ。
携帯以前のこういう作業はどうやって意志を確認したんでしょうか。
やっぱり手旗かな。
この作業の上部の様子。
6人もの作業員が仕事しています。
右から二番目の隊員が被っているのは
「ひゅうが」のキャップです。
ツアーも終わりに近づき、ガイドさんは最後のフネの説明。
「わたしは『ひゅうが』が一番好きなんですよ。
その理由は・・・・」
「甲板にキリンがいるからです!」
「ひゅうが」のの上のCIWSがカバーをかけられてお休み中。
こちらは子供のゾウさん?
というわけで、横須賀軍港ツアーは終わりました。
その日その日によって軍港は少しずつその顔を変えます。
今回とは違った何かが見られることを期待して、
またしばらくしたらここを訪ねてみるつもりです。
次回横須賀探訪シリーズ最終回。
「横須賀海軍カレー」の巻、こうご期待。
霧島を行く〜新燃岳と乳牛の一生
レポートが行きつ戻りつしますが、また霧島の報告です。
霧島神社でさざれ石の巌となる生成過程を目にして、
非常にカルチャーショックを受けたエリス中尉と受けなかった家族。
(家族は全然さざれ石の存在に気が付いていなかったため)
次なる観光地、といっていいのかどうか。
新燃岳ハイキングコースの入り口に行きました。
この辺一帯を高千穂河原といいます。
二連の山に見える、右側が「高千穂峰」。
左が「御鉢」といわれる火口。
ほとんど人気無し。
噴火前はそれなりににぎわっていたんでしょうか。
駐車場にあったお土産所とレストランなど。
どれも結構建てられたばかりのような感じですが、
営業していたのは一番左に見える店だけでした。
後は休業状態です。
鳥居から向こうには行きませんでした。
神社の手洗いがありますが、ここに神社はありません。
鳥居の向こうには1934年まで霧島神社(この前に行った)があったそうです。
高千穂河原は天孫降臨の聖地として信仰を集めてきました。
ご神体が無くなっても、その痕跡を取り払えないのも
また日本人のメンタリティかも・・・。
新燃岳は活火山ですので、太古から噴火を繰り返してきましたが、
そんなところにもかかわらず飲食店を営業する人がいるとは・・。
現在のように入山規制レベル3(5段階の3)ともなると、
無期休業を余儀なくされてしまうというのに。
ご存知の通り、新燃岳は平成23年の初頭に噴火し、
降灰などの多大な被害がありました。
灰に留まらず噴石も落下し、車のガラスが割れたりしています。
見るからに新しい避難壕。
おそらく噴火以降作られたのではないでしょうか。
サイレンも噴火以降作られたようです。
噴火してから作ってどうする、と言う気がしないでもありません。
観光センターはオープンしており、
その時の様子を資料として展示していました。
赤く塗られた山のふもとに黄色い立て札が見えますが、
それが「高千穂河原」つまり現在位置です。
噴火したときここにいたらまず助からないでしょう。
噴石が木をなぎ倒し、その熱で火災が・・・。
当時、大変だろうなあと思いながらも
遠く離れた九州で起こっていることゆえ、なんとなく
「他人事」であったこの噴火ですが、住人には一大事。
「災害」って所詮そんなものかもしれません。
福島の災害ですら「他人事」と感じる人がいるのですから、
死者の出なかったこの災害を大したことに思えないのもむべなるかな。
皇国の降灰この一閃にあり。
こんなに降灰しては、農作物はきっと全滅だったでしょう。
地元地銀は災害に遭った農家に融資をしたそうです。
当時と現在のここの姿。
比べてみると警報サイレン、そしてこの日唯一営業していた
一番左の休憩所は当時無かったことがわかりますね。
何しろ火口のふもとですから、この降灰。
今跡形もなくきれいになっているのは
「片付けたんでしょうね」(案内の方)
各員一掃奮励努力したんですねわかります。
平常時の姿。
黄色い札が現在位置です。
鹿もいるようです。
奈良の鹿とは少し違いますね。
穏やかに見えますが、まだまだ入山規制は解けないようです。
さて、この後、お昼を食べることになりました。
高千穂河原からほんの少し走ったところにある牧場です。
牧場は当然皆車で訪れるのですが、入口には
タイヤのために大量の石灰が撒いてありました。
「車を消毒しても人間の靴底になにかついていたら
どうしようもないんじゃね?」
と息子がごもっともな突っ込みを入れていましたが・・・。
口蹄疫以降、九州の畜産家はぴりぴりしているのでしょう。
口蹄疫といえば。
そう、「赤松口蹄疫」ですよ。
この件に関してもわたしはいまだに民主党の馬鹿どもを全員
石灰をぶっかけて土中に埋めてしまいたいくらい腹が立っています。
全く、この一件をとっても彼らが「日本人を守る気が全くない政権」
であることが如実に表れていましたね。
それはともかく。
ひつじと触れ合う「ふれあい広場」。
顔の黒いひつじ、可愛いかも。
わたし「ヒツジと触れ合えるよ!」
息子「触れ合いたくない」
確かに。
触れ合うには少しニオイが気になる動物かもしれない。
この女の子も触れ合いをかたくなに拒否しています。
まあ、自分より大きいし、無理はない。
ヒツジの方もガンつけてます。
こちらにも触れ合おうという姿勢が全く感じられません。
大きなタンクにはミルクが貯められています。
DAIRY(乳製品)と記されていますね。
ソリ持参で斜面を滑る子供がいれば、
ソリ無しで斜面を転がる子供在り。
ここからは新燃岳がこんな風に見えます。
この手前の木は桜。
これが満開になったのはさぞきれいだったでしょうね。
ここでランチを取ることにしました。
TOは去年の夏一度来ているそうです。
「一度家族を連れてきてやりたい」
ということで、案内の方がわざわざコースに入れてくれました。
ここに来たらこれを食べるしかない。
まあほかにもメニューはありますが、
これを食べなければここに来た意味がない。
というラム肉のすき焼き。
高タンパク低脂肪。
ラムはヘルシー食材ですよ、ということで一同納得し
注文をしました。
正直言ってわたしはラムが大の苦手。
北海道に行ったときしゃぶしゃぶをいただき、
これならなんとか食べられると思ったのですが、
焼いたラムは・・・・・ダメでしたね(笑)
ヒツジ独特のあの匂いがどうしてもだめなんです。
タレが濃厚なので、かなりごまかされますが、
このときも一切れでギブアップ。
肉を食べるふりしてせっせと野菜をつついておりました。
やっとの思いで食べ終わり、土産物屋で定番のソフトクリームを。
これは、霧島名物のかんきつ類(なんだっけ)の味で、
美味しかったです。
土産物屋の棚を見れば。
ヒツジ、豚、キツネ、これはわかる。
しかし、抱き合っているピンクとブルーの物体、
それと茶色いトトロのようなこの物体は何か。
右は、ミミズク?
ところで、一切れのラム肉を持て余しながらふと、
ここに飼われているひつじさんたちの運命について
考えてしまったんですよ。
日本人はヒツジの乳を飲まないから、やはり
子ヒツジの内に先ほどのジンギスカンになってしまわなくても、
ウールの毛を刈られるのが主な仕事。
でも、やっぱり最後はお肉にされてしまうんだろうか。
そんなことを考えたのは、土産物屋に貼ってあった
この掲示を見たからです。
皆さん。見ました?
わたしはですね。
今の今まで乳牛はミルクを取るのが仕事だから、
メス牛は最後までその役目を果たし、
無事に一生を終えるのだと心のどこかで信じていたんですよ。
ですから北海道で牛の群れを見ても、心穏やかでいられたというか、
「こんな広々したところで一生を送れてよかったね」
などと、まるでジャングル大帝のレオ(末期)
みたいなお花畑なことを考えていたんですよ。
ところが。
これによると、オス牛は生まれてオスだと分かったとたん、
母牛と離されて、運が悪ければ数か月で
ランドセルにされてしまい、
さらには2年半で否が応でも
ステーキにされてしまう
というのですね。
まあ、それはよろしい。
牛にとっては全然よろしくありませんが、
それが牛に生まれてしまった牛の宿命というものです。
しかし、わたしが一生安泰だと思っていたメス牛は、
時期が来たら無理やり人工妊娠、そして出産させられ、
強制的に牛乳を取られるのです。
そして、3回も4回も同じことを繰り返し・・・・。
その任務ゆえオスよりも長く生かせてもらえはするわけですが、
妊娠と出産、それに伴う乳絞られ、それだけで終わってしまいます。
そもそも、すべての牛はオスもメスも、生まれてから一口も
母牛の乳、つまり牛乳を飲むことなく死んでいくんですね。
牛乳は人間様のためだけのものなのですから。
「うしのこどもが まきばにいました」
こんな出だしで始まる歌をコーラスで歌ったことがありますが、
その二番が
「ぼくがまいにち ぎゅうにゅうのむから
それをこうしが しっているのか」
つまり僕が呼んでも知らん顔して態度悪いけど、
(『しらんかおして あそんでいました』)
母牛の牛乳を取られて怒ってるんだな?
そうだな?
って歌だったんですね。
今にして思えば、牛の悲哀を無邪気な歌詞で、
切々と訴えているすごい歌だったんだ・・・。
人間は「人間なんだから人間の乳をやるのが
赤ん坊にとって一番いいことである」
と母乳を推奨されるわけですが、
これ逆に考えると牛だって牛なんだから、
牛乳を飲むのが一番いいに決まってます。
それをいくら早くて2年で殺してしまうからと言って、
一口も母牛の乳を飲めないとは・・・・。
そして、さらに哀れなことには、そうやって
人間のために尽くすだけ尽くした後、メス牛もやっぱり
肉になってしまうのです。
しかも、オス牛が「ステーキ」と限定されているのに対し、
メス牛は「ミンチ」。
ミンチですよ。
その理由は?
やっぱり年取って肉が固くなるからですよね?
差別するな!といいたいところですが、それも仕方のない話。
人間は他の命をいただいてのみ生きていくものであるからして、
こういうことに「かわいそう」とは口が裂けても言えません。
(しかし、こういう牛さんの災難に対しては何とも思わず、
日本人が捕るクジラやマグロにだけ憐れみをかけているのが、
そう、シーシェパードという団体なわけですね)
そしてこの上、ヒツジですよ。
ヒツジなんて食べなくたって、人は全く困らないんじゃないか?
とそれでなくても肉食をあまりしないわたしとしては
ついそんな風に思ってしまいますが、
老衰するまで飼って自然死させるわけにいかないから、
殺して食べてやるしかないんだよ、ということなんでしょうね。
「ヒツジさんとのふれあい」
などというコーナーでヒツジとたのしく触れ合った後、
隣のレストランでそのヒツジの肉を食らう。
自分が食べるためだけに草食動物を襲い、
それをきれいに食べてしまう猛獣たちより、
人間の方がよっぽど残酷な動物かもしれない、と思います。
中国のスパイを警戒せよ(Yuki von Murataの提言)
最近、わたしが危機感を受けた三つのニュースがあります。
「地方公共団体によって実施する「外国語青年招致事業」(JETプログラム)で、
中国から55人が送り込まれた。
目的は日本各地の外国語教育と国際交流の充実。
国際交流員や、小学校、中学校、高校の外国語指導助手、
スポーツ国際交流員として全国各地に派遣される」
「自衛隊員が外国籍の女性と結婚しているケースが、最新の調査では、
陸上自衛隊14万人中約500人、海上自衛隊4万2000人中約200人、
航空自衛隊4万3000人中約100人の計800人であった。
また、その7割にあたる約600人が中国人で、
ほかフィリピンや韓国出身者などが上位を占めるという」
「中国四川省から4月3日、日本で看護士を目指す15人が出発する。
15人は病院で仕事をしながら日本語を学び、
看護師資格を取得すれば正式に採用される。
月収は8〜10万。
日本の看護士として正式採用されれば年収は最高で450万ほどとなる」
日本人に仕事が無い昨今、どうしてこのような「中国人優遇」が起こるのか。
自衛隊の配偶者の例は少し違いますが、特に医療の分野で、
わざわざ言葉の不自由な、文化も考え方も、そして何よりも
仕事に対する責任感とか、人に対する優しさとか、そういった根本が
全く違う中国人をわざわざ採用するのはなぜか。
わたしはこれらに対して何とも言えない「不快」を感じてしまうのですが、
もし、ピンとこない方は、こう考えてみてください。
あなたは、重病の家族の担当が中国人の看護士だったらどうしますか?
いや、あなた自身が中国人の看護士にケアされたいと思いますか?
今日は少し異例ですが「クライン孝子の日記」というメルマガから転載します。
ちなみに、冒頭画像は、中国が今主張している「自国領海」。
・・・頭沸いてんのか(笑)
中国という国との「友好」について考えるきっかけになるかもしれません。
それではどうぞ。
(中国情報機関によるアメリカでのスパイ活動の実例)
先日、中国女性スパイにアメリカ軍・軍事情報が漏洩し、
元アメリカ軍将校が逮捕、起訴された。
アメリカ司法省は3月21日、恋愛関係にあった中国人女性27歳を、
核兵器(著者注釈:戦略核システムの配備)や他の軍事情報機密
(著者注釈:対短中ミサイル探知能力、ミサイル防衛システム、レーダー網)
など漏らしたとして元アメリカ軍将校を逮捕、起訴したものである。
このような中国の女スパイ達は世界中の国際的な情報交流会、
経済界の交流会、学術セミナー、投資セミナー、国際展示場などに
普通に参加し活動している。
日本にも彼女たちはいる。
カメラで親睦会などの人物を必要以上に撮り、名刺交換を行っている。
彼女たちはその動きから大した訓練はしていないが、
スパイだとすぐに見抜ける。外見は普通の女性だ。
ボンド映画に出てくるようなセクシーさなどない場合が多い。
彼女たちに甘い顔して無防備に名刺交換或いは接近しない方が賢明だ。
彼女の背後で、ビジネスパートナーと―ひそひそ話だが―
中国のスパイ活動について明らかになったこのようなニュースについて
かすかにこの中国人女性に聞こえるように話してみれば
面白いことが起こるだろう。
確実に即、脱兎のごとくその場からふっと消え二度とそこにはやってこない。
こんなケースもある。
フランスのワイン生産技術者が2年間の期限つきで中国の指導をしていた。
任期が終えフランス帰国する頃に、なぜか?ひとりの中国女性と運命的に出会い、
技術者はそのまま中国に残ってフランスワインの生産の秘儀を教えることになった。
中国はワイン生産の技術ノウハウを盗むのを目的に女を用いて目的を達成させた。
これを情報機関業界用語でセットという。
アメリカ航空宇宙局(NASA)の中国人研究員江波(ジアン・ボー)に対し、
連邦捜査局(FBI)が武器輸出規制違反に関する調査を実施した。
江波は、帰国直前3月16日にワシントン・ダレス国際空港で
虚偽の供述をしたという容疑(事実上はスパイ容疑)で逮捕された。
中国製の該当する数新機器やパソコンなどは使用しない方がよい。
バックドアーから気が付かずに国家、企業、個人情報が中国に盗まれる。
念のために。
インターネットのシステムを使用する限り、
その運営はアメリカ合衆国によってされている。
故に全ての情報はアメリカ合衆国に傍受されていると言っても過言ではない。
フェィスブックも例外ではない。
このため、ドイツ連邦共和国は個人情報保護の目的を兼ね
匿名での登録ができるようにフェィスブックに反対している。
ここでの問題はアメリカ合衆国か、中国に情報を傍受される場合
どちらがベスト或いはベターかということだ。
ロシア、イスラエルの情報機関などならば、場合によっては
この冒頭の中国人女性スパイは報復として暗殺されることになるだろう。
多くの軍事関係者は女性に拳銃を向けることをためらう。
女性が戦場に参加していなかった時代・・・
武士、騎士達が参加する武士道、騎士道が通用する戦争は現代ではない。
女性兵士、女性スパイ、女性テロリストが戦場に参加する時代だ。
軍隊でも女性に拳銃を向けられない者は死ぬ。
情報機関、軍の特殊部隊(SAS)などでは、
例えば攻撃する部屋の中に攻撃相手が集まっている場合は、
優先的に女性スパイ、テロリストに額と心臓に弾丸を撃ち込めるように訓練する。
そうでなければ、偽りの涙を流しながら命乞いする振りをして、
隙あれば逆に撃たれることになるからだ。
普段から、接近してくる女性(相手が男性でも同じだが)に気を許さず、
頭の中で拳銃を向けるように警戒を怠ることなく、
顔では笑顔を浮かべ敵か味方か識別する必要はある。
これは情報部の訓練か個人的な経験を重ねるしかできない。
さて、日本人は同じアジア人、東洋人或いは黄色人種だからと
中国人、朝鮮(韓国)人、に親しみを感じる人もいるかもしれない。
そして、多くの日本人は、
「自分は社会的に大したことがないしスパイ工作の標的にならない」と言う。
が、それはあなたの認識が極めて甘いことをここに警告する。
あなたが社会の底辺であっても中国、北朝鮮、韓国の工作員に
とっては利用価値あるターゲットとなり得る。
情報機関は使える者/物は徹底的に利用するのが基本原則である。
例えば、あなたが社会の底辺あるいは借金があるならば、
借金の肩代わりをする代わりに偽装結婚、
或いはあなたを旅行などに誘い出し拉致殺害し、
あなたの戸籍の乗っ取り、乗っ取った人物(表面上は日本人)
は別の中国人或いは朝鮮人工作員(異性)と婚姻し、
偽の親族を本国から呼び情報活動のアジト(基地)を構築することがある。
実際に、北朝鮮や中国の工作員は日本国ではこのような
背乗り工作(戸籍を奪い本人になりすます)を行っている。
或いは、中国人が日本人と結婚し、婚姻後に日本国籍を取った後に離婚。
日本人になった中国人は、本国から工作員と偽装結婚するのである。
離婚しない場合は、本国から親族と称する工作員を日本に送り込む。
やがて、工作員も日本国籍を取り日本人になりすまし、中国のために
情報活動または工作活動をする。
(日本政府への提案)
その1
警視庁・公安関係のホームページで、
敵国の工作を掲載させ国民に告知と啓蒙する、
(参照例:ドイツ憲法擁護庁(Bvf)ホームページ:スパイ、
イスラム系テロリストの活動などの報告)
及びパンフレットの配布を提案する。
同時に警察、公安関係の存在意義を高め、国民の支持を得るようにする。
その2
日本国籍の帰化条件の再検討及び審査の強化。
中国、朝鮮人の日本国籍への帰化条件として、
親族の日本への呼び込みは本人から2等身まで限定、他の親族まで呼ぶことは不可、
最初の帰化申請者の本人と2等身者が帰化した場合、
その帰化した2等身から見た2等身者は呼べないなどの
再検討及び審査の強化をすべきである。
これは同時に中国人の日本国での生活保護申請の誤用の多発を予防できる。
中国では日本へ行って生活保護を受け、本国でマンションを建てようなど
ふざけたことが流行っている。
その3
コンビニで働く中国人学生などの中には第五列のスパイとして
在日中国大使館の為に働いている場合もある。
日本の大学の研究成果などを盗み本国へ送っている。
日本では中国人学生の受け入れによる官庁、教育機関に巨額の利権が
生まれているが、無駄な国費を費やしている可能性も高い。
これは日本国にとって益なのか再考する必要もある。
利権は活かすなら…教育費を未来の日本人のために使用すべき。
この留学生達が日本企業に就職した場合は、中国政府から日本企業
の企業機密を盗み出すように指示を受けることがある。
手放しで日中友好など言うのはおめでたい結果になる。
日本社会で社会的に底辺層を標的にした工作例でもわかりだろう。
ならば、あなたが、会社員、重役、会社取締役、公務員、官僚、
防衛関係者であれば彼らはそれ以上に接近するようになる。
公になった橋本龍太郎元総理大臣の中国人女性の件を思い出されるといい。
(他にも過去の総理大臣経験者、官僚で敵国の女スパイ、愛人などとの
関係があった方もいる。が、これ以上は公表しない。)
中国式の過剰な接待、ハニートラップなどあらゆる方法を用いて、
産業スパイや国家機密情報の提供などに強要させ協力者とさせられる、
或いは接待、親しみ、お世辞などで親中国に洗脳され
“無意識のスパイ”にさせられることもある。
(エリス中尉註:丹羽宇一郎元中国大使のことですね)
良かれと思い、自分から日中友好という信条になり
中国に日本の技術、研究論文など無償提供するようになる。
中国人には“いいひと”と利用され、用済みになって放り出される。
中国に進出して撤退した企業にはこのような経験をしたことだろう。
滅多にないが・・・あなたが重要人物或いは情報部員なら、
キスしただけで口から毒が回る方法で毒殺されることも場合によってはある。
現代の検死方法で判別できない暗殺方法を執行される場合もある。
従って、中国、朝鮮の女と肉体関係を持ったりすべきでない。
或いはあなたが企業の幹部、重役で国外など出張し、現地取引先に
「女を用意してくれ」
など、たとえ日本企業に対しても頼まないことだ(よくあることだが)。
困り果てた現地日本人スタッフは
「某総合商社或いは某メーカーの現地御用達の女です」
など機転を回して言うだろうが、そのような女はいない。
そしてそこにはあなたの安全の保障もない。
意図せずあなたは日本を裏切って敵国の為のスパイになるかもしれない。
ある日、中国、朝鮮への言動が180°変わる惨めな自分を見ることになるだろう。
何かに怯える人生ほどつまらないことはない。
中国で自殺した日本の外交官の事件を忘れるな!
彼の死を無駄にするな!
エリス中尉註:おそらく領事館職員の間違いであろうと思われます。
補足:
売春婦の中には、情報機関の女性工作員、情報部員が働いて
いる場合もある。
イスラエル・モサド・ロシアも同様。
彼女たちは中国女性工作員と異なりボンド映画のようにセクシーで
教養、機転、会話力などが伴っている。
同時に暗殺能力も高い。
(文法の間違い、読みづらいところを逐一訂正してあります)
裏切る国・韓国 恫喝する国・中国〜Yuki von Murataの提言
昨日に引き続き、メルマガ「クライン孝子の日記」
からの転載です。
日本の報道機関が朝鮮(韓国)人などに批判ができないのは、
報道機関のトップ、現場責任者が、朝鮮企業、朝鮮系ヤクザなどが
手配する落ちつぶれた芸能人によるハニートラップによって
骨抜き或いは他のネタで弱みを握られているからである。
同様の手口で、与野党の議員、官僚、役員が多数ターゲットになっている。
中国、朝鮮、韓国と関連がある団体との繋がりからも
それはほぼ確実であろう。
◆日本国への提案
敵国の協力者にならざるを得なかった日本人を救済
(駆け込み寺的かつ保護)する方法も検討すべき事案である。
ターゲットとなった本人の恥部の暴露からの保護、
協力を強要した組織(ヤクザ、企業)への捜査権の拡大、
メディア報道でのターゲット報道の非公開による保護など。
◆朝鮮総連ビル競売阻止に協力すると民主党幹事長及び日教組
(北朝鮮系下部日本組織)輿石東氏が密約!
民主党政権時代、元輿石幹事長は政権に不都合な政敵、メディア、
或いは民主党政権に悪影響を与えるインテリジェンス・インフルエンスに
関係する様々な人物の社会的信用を失う工作や社会的失脚、圧力等を
図るように指示していた。
輿石氏の「何の話か全く分からない」の第二弾 産経新聞より
朝鮮総連、本部競売回避で政界工作か民主党政権に働きかけ・輿石氏密約か
2013年3月27日 14.44 産経 輿石氏「何の話か全く分からない」
http://sankei.jp.com/politics/news/130327/plc13032714440018-n2.html
皮肉なものだな!今度は輿石氏が追跡される身になろうとは…。
(情報の世界は日教組と同じではない)
そして肝心の身内の民主党は内ゲバ状態にある。
話は戻るが、このように朝鮮人は裏切り、捏造などが専売特許だ。
決して信用してはいけない相手だ。
それが、朝鮮人に対する危機管理の基本だ。
歴史的な多数の事実に基づく防衛意識への重要な警告である。
ロシア軍、旧日本軍も朝鮮人に対するそのようなマニュアルがある。
これは韓国との共同の防衛及び情報連絡などに反対する理由でもある。
日本だけでなくアメリカも政治、経済、防衛などで何度も韓国に“裏切られた”。
彼らは同盟国としては“信用に値しない”。
最低限の情報の連絡は必要なのはわかるし、また侮るつもりもないが、
足手まといとなる問題もある。
エリス中尉註:今回の北朝鮮のミサイル発射問題で、小野寺防衛相が、
「韓国の話はしょっちゅう変わってしまう」
と発射見通しについて韓国に苦言を呈していましたね。
金大中時代から韓国政府、韓国軍、国家情報院は
北朝鮮、中国のスパイによって侵蝕を受けている。
北朝鮮の故金正日がしたという
「韓国への対南工作(工作員などの浸透工作)は完了した」
という発言は誇張ではない。
韓国がアメリカ合衆国、日本国の軍事情報機密を
中国に常に流していることからもお分かりの事だ。
韓国政府、外務省、軍、国家情報院などは元の中国の属国状態だ。
このような病気/汚染/感染から消毒がされていない韓国と
手を組むということは日本としては命取りになりかねない。
また信用できる相手ではない。
冷酷非情に、このままでは関係を一時的或いは無期限に
切り捨てるという意思表示を示すことも選択として必要だ。
従来の韓国、北朝鮮の工作機関が過去やってきたような
「日本の政治家への資金援助によって日本人を抑えられる/洗脳できた」
時代は終えつつある。
なぜならば、日本のネット世代の大衆が
韓国・北朝鮮と関係ある日本の政治家を調べ挙げ、癒着、嘘などが暴かれると
そういった政治家は選挙で落されるという時代になった。
時流が変わったということだ。
このことを政治家は忘れてはいけない。
何度も言うが、これからはパチンコなどに代表される韓国、朝鮮との
黒い繋がりからは手を引かれたほうがいいと思う。
ネット上ではパチンコとの繋がりがある落選させるべき与野党議員の
名前が挙げられている。
◆韓国民団の対日工作の例
在日韓国民団が対日世論工作」の実践方法と成果を
本国でレクチャーしている衝撃の動画が公開された。
(現在は閲覧不可)
その内容である。
新しい歴史的教科書会への警戒。
(慰安婦・強制連行の削除を生んでいる)
日本で政治的情報工作が行なわれている。
日本人は韓国人が言う歴史的事実を知らない。
この動きに対して、対抗すべき韓国はプロジェクトを立ち上げた。
●(民団の支配下にある)“日本メディア”を用いて嫌韓という詭弁に抵抗。
海外メディアへの対日工作を遂行。
●第一次安倍総理を右翼勢力として非難。
●日本の右翼勢力が出版する新たな日本の歴史及び嫌韓本などに対し、
著者を右翼と連呼し、その著書内容を批判して挙げる。
●韓国民団は、日本人の歴史認識訂正プロセス工作、(韓国民潭の支配下の)
“日本メディア”を用いて日本人に戦略的に正しい歴史を教えてやる。
●歴史事実から「日本に謝罪しろ!」だけではだめ。
日本人が信じ始めた右翼的歴史事実に反論できる歴史的教材を制作し
日本中で展開させる。
●持続的長期的に継続する必要がある。
だが、この2004年時点で歴史認識に無関心だった大半の日本人の中間層は
2013年韓国大統領の天皇陛下謝罪要求を機会に、一気に目覚めることとなった。
そしていまや、韓国の歴史主張に疑問を持っている。
日本側は看破している。
メディアにはいまだ擁護しているところもあるが。
また、民主党政権の中国、韓国、朝鮮への“売国行為”、
或いは国会での中山成彬議員の朝日新聞の慰安婦捏造の指摘、
それに対する同新聞社の沈黙、同件のNHKのYouTube削除、
NHKの朝鮮人犯罪者の通名報道などは、日本人を自虐的歴史観の目覚めさせ、
同時に対朝鮮人への不信感、警戒心を目覚めさせる結果になった。
韓国民団への日本メディアを用いた洗脳工作は、
行えば行うほど日本国民の危機感から反発が今後強まる。
少なくても次世代の日本人の親韓親朝派は減少し、
嫌韓嫌朝を抱く層が増加しそれが中間層となるだろう。
人種差別でなく、感情のレベルで、厄介な朝鮮人への忌避感をもち、
それで一層韓国人の支離滅裂な主張に反発することになる。
現在、アメリカ合衆国は、戦後のアジア及び日本の分割統治の駒であった
日本内部の北朝鮮勢力を日本から追放する方針に変更しつつある。
アメリカの防衛の一環として中国包囲網の構築 及び、
日本国に自立かつ実行力が伴う防衛力を持たせるためにも
獅子身中の虫を排除する動きがある。
つまり、CIA及びFBI、財務省シークレットサービスなどによって
反日組織(第一段階、朝鮮人)の壊滅が実行されつつある。
具体的には、
9条を守る会、
NPO、
北朝鮮、
総連、
韓国民団、
在日、
労組、
パチンコ、
報道機関
などの動きと資金の流れが監視強化になっている。
この流れで民主党政権の対中国、韓国、北朝鮮の協力工作(売国行為)
の流れとスパイのあぶり出しと追跡が始まっている。
これは水面下の秘密の戦争でもある。
エリス中尉註:
最近、新大久保付近で、公安が一気に「リスト」作りをするのに効率的な
「無許可のカウンターデモ」がありましたっけ。
ここで再び日中関係についてです。
◆日中友好の双方の戦略、動機などは当初から異なっていた。
文化大革命で4000万の自国民を殺害した毛沢東は
日中友好にあたり、周恩来に
「日本で中国の革命工作を遂行させ、
日本内部から崩壊させるために日中友好を進めよ」
と指示した。
その中国の対日革命工作は今日も“継続”されている。
天安門で多くの中国人を殺害し多数の死者を出した一方、
日本からの経済支援、技術支援(技術の盗難、合法的な産業スパイなど)
それらを用いて豊かになれる者から豊かになれと言ったトウ小平、
反日教育を推進させた江沢民。
海外に巨額の私財を蓄えた温家宝達。
その大地、海、河川は汚染されている。
日本国の戦略、思い、動機
他方、日本人は日中友好と謳い、当時の田中角栄総大臣は
中国の8億の経済的市場に目を向けた。
その後、世界が天安門事件を非難する中で日本国だけが中国を擁護した。
日中友好の双方の戦略、思い、動機などは当初から異なっている。
その結果。
男女関係で言えば、貧しく阿婆擦れで金銭目当ての女と
世間知らずな初心な金持ちの男。
貧しく苦労している女に手を差し伸べて救ってやっていたつもりが、
いつのまにか足りないからもっと出せと恫喝されるようになったいうところか。
下手すると複数の家族が乗っ取られ殺害された尼崎の事件のようになる。
国民性の違いを理解していなかった日本の「日中友好」という名の
あまりにも無防備な政府、閣僚、官僚、の外交姿勢及び民間交流の結果は、
今日中国に進出した日本企業に「チャイナリスク」として表れている。
日本の技術者後と汗と涙が生んだ新幹線に代表される
交通、医療機械、精密機械、工作機、自動車技術、
家電、コンピューターなどの技術も中国に奪われた。
大企業パナソニック、富士通などでは雇用の機会も失った。
日本の富が奪われただけではない。
他方では、今日尖閣諸島の緊迫する状況をも生んだ。
最後に。
中国(属国・韓国も)をこんなにさせたのはだれか?
何も眼中にないかのように横暴に振る舞う中国(属国・韓国も)
にさせたのはだれか?
Yuki von Murata
注・原文の文法的間違いを全て訂正し、校正していることを
ご了承ください。
横須賀海軍カレー
横須賀の米海軍基地のスプリングフェスタ、
記念艦「三笠」見学、
そして「横須賀軍港めぐりツアー」。
これでもかと横須賀を堪能した一日でしたが、
「横須賀海軍カレーのお店でカレーを食す」
という有終の美を飾ることにしました。
いつもこんなときにお世話になるカードデスクに電話して、
「ここが人気です」
と教えていただいたのがこのお店。
ごちゃごちゃしていて良くわかりませんが、
オレンジの日よけが窓にかかっているのが
「横須賀海軍カレー本舗」。
因みに写っていませんが、この右角にはあの
「ココイチ」こと「CoCo壱番屋」(だっけ)があります。
「うーむ。なんて挑戦的な態度。
海軍カレーにあらずんばカレーに非ずと言われるここ横須賀で
普通のカレー屋をしかも隣のビルで営むとは」
「いや、横須賀の人だって『海軍』でないカレーを
食べる権利はあるんじゃないでしょうか」
因みにわたしもTOも入ったことはありませんが、
ココイチ、美味しいらしいですね。
これがこのお店のマーク。
「カレードロップス・・・・・だと?」
店内は日曜で米海軍基地でイベントがあったこともあり、
大変にぎわっておりました。
どうです、このレトロな感じ。
重苦しいビロードのカーテン、黒のドレスに白のエプロン、
今ではメイドカフェでしかお目にかかれないカチューシャ(←)。
我々と同じくおのぼりさんらしく、店内の写真を撮りまくる人。
旭日旗にZ旗。
どこかの国の人とか特定日本人が見たら発狂しそうな光景。
最近、この「旭日旗的なもの」をどこから見つけてくるんだというくらい
執念深く探し出して、しかも日本と関係ない外国のメーカーに
イチャモンをつけ「謝罪」させている国があるそうです。
こういうの、ちょっと何か言ってやるべきじゃない?日本政府。
現行でこの意匠を旗にしている自衛隊の立場を護るためにも、
外務省はこういう「面倒なこと」にも口をはさんでおくべきですよ。
外務省が動かないのなら最悪朝日新聞でもいいから(←嫌味)
この旗にケチをつける意味も資格もてめーらにはないってことを、
一度びしっと表明しておく必要があると思いますが。
ウェイトレスがメニューを持ってきました。
テーブルに置かれたマットにはカレーについての薀蓄が。
横須賀と付ければそれ即ち横須賀名物、ってことで。
右側はブランデーとジンジャーエールをミックスした飲み物、
「横須賀ブラジャー」の宣伝。
「あんたも好きねえ」
って、いつの時代だ。だいたいどういう意味だ。
ここのおすすめメニュー。
チキンとビーフを一つずつ注文しました。
注文が来るのを待つ間、さらに店内を子細に観察。
店内のテレビでは「坂の上の雲」の日露戦争パートが。
今から広瀬中佐が戦死するところです。
この日、「戦艦三笠」を見学したこともあって、
今まで全く日露戦争について知識がなかったTOが俄然興味を持ち出し、
「坂の上の雲観たいから借りておいて」と言い出しました。
早速言いつけどおりにDVDを5枚まとめて借りましたが、
やたら忙しく平日はDVD観賞などとんでもない、
というお人ゆえどうも進捗状態ははかばかしくなく、
返却期限だけが無慈悲にも迫ってきております。
やたらドラマティックなポスターですが、これは
その「記念艦三笠」のイメージポスター。
「坂の上の雲」効果で「三笠」見学者は年々増える一方。
勿論ドラマの影響には違いないのですが、日本人が
今、「日本軍の大勝利」であった日露戦争にこれほど関心を持つことと、
最近の国際情勢からあらためてひとりひとりが国家観を
意識する機会が増えたことは、全く無関係ではないという気がします。
「秋山真之と正岡子規」特別展。
「坂の上の雲」で、東京予備門を辞め兵学校に入る決心をした
秋山が同居していた下宿から突然いなくなったとき、
それを知った子規が驚き、悲しみ、そして最後にはその成功を祈って
「じゅんさん・・・・気張れ!」という。
その香川輝之のあざとい演技につい泣かされてしまったエリス中尉です。
というところでお待ちかねのカレー、キター!
ライスの向こうにビーフ、こちらにチキン。
二人で頼んだのでどちらも楽しめました。
デザートに二人で一つ頼んだセット、
これを注文したとき
「ソフトクリームのお味はバニラか
カレーか
どちらにいたしますか?」
と聞かれて思わず二人で「へっ?」と
聞き返してしまったのですが・・・。
最初に画像を挙げた「カレードロップス」の味は、
感想としては
「カレーの味がするドロップ」
それ以上でも以下でもない、というものだったので、
おそらくこのカレー味のソフトクリームも、
「カレーの味がするソフトクリーム」
それ以上でもそれ以下でもなかったのではないでしょうか。
お店の人は
「ほとんどの方がバニラを選ばれます」
と言っていました。
「グループの一人がウケ狙いで選ぶ」
「話の種に一生に一度のつもりで食べてみる」
「毒を食らわば皿まで」
注文する人の動機はこのどれかであろうと思われます。
錨のマークのコーヒーカップ。
そういえば「さみだれ」の士官室に行ったとき、
海軍マーク入りのカップでコーヒーをいただいたっけ。
いいなあ、とそのときに嘆息し、カップを持って帰ろうかと思った、
そんなエリス中尉が今回ここ横須賀で見つけたもの。
それがこの復刻盤「海軍どんぶり」。
つい自慢になってしまいますが、これ、いいでしょう?
これを軍港ツアーのお土産カタログで見た瞬間、
「これ欲しい!」
と瞳にお星さま状態になってしまったエリス中尉。
フェリーを降りてセンターに突入し、見本を指さし、
「このどんぶりください!」
ところが、お店の人の反応が
「え・・・・?あ、は、はあ」
という感じでいまいち鈍いというかなんというか。
なんとなく
「こんなもの買う客って、いるんだ〜〜」
みたいな空気がレジを漂いました。
まあ・・・・わたしもね。
たしかに少し高いんじゃないかと思いますよ。
ひとつ5000円もするんですから。
でも、このお値段には理由があるのです。
と、自分で自分に言い聞かせたその理由とは。
丼の底の銘。
富士山の意匠がなんとも「海軍御用達」の雰囲気。
この復刻どんぶりを製作したのは
深川製磁販売株式会社。
その製作の曰くは、
「第二次世界大戦中、金属不足に陥った
大日本帝国海軍は、
発足当時から使用していた金属食器を取りやめ、
日本一の硬度を持つ陶磁器「有田焼」という観点から、
宮内庁御用達であった深川製磁社を中心に、
有田焼で製作させました。
今回弊社がその当時の丼を入手し、その当時のレプリカを
深川製磁販売株式会社に制作依頼をし、
復刻版として販売する運びとなりました」
つまり、このどんぶりは、本当に海軍が使用していたのと
全く同じ仕様のものを、しかも当時の製法そのもので作っていると。
ならば5000円でも仕方ない。
・・・・と思いたい。
さすがに家族全員に一つずつというわけにはいかないけど、
海軍さんの丼、主にわたし専用として大事に使いましょう。
というわけで買い求め、スープにサラダに勿論丼物にと、
その後毎日のように使っていますがこれが実によろしい。
手触りといい持った感じといい、その度に目にする
我が帝国海軍の桜に錨といい・・・・。
本当にいいものを買ったなと思い満足しています。
それではついでにほかのお土産もご紹介。
横須賀には「海軍カレー」を作っている会社がこれだけあります。
それらの発売しているカレーを一種類ずつまとめたセット。
こんな布のトートバックに入れられて売っています。
海軍カレー、大好きなんですが、一つだけクレームつけるなら、
全てのメーカーが化学調味料を使用しているんですよね・・。
極力『アミノ酸等』の表示があると手に取らないようにしているので、
これだけが少し残念です。
でも、どうせわたしがまた自衛隊イベントや
講演会に一人で出かけるときに、家族が食べる「非常食」
として買ったようなもので、常食するわけではないからいいとしましょう。
横須賀海軍カレーの製造元の方、もしこれを見ておられたら、
「化学調味料不使用バージョン」出してくれないかな・・。
さて、というわけで、横須賀を堪能しつくした一日でした。
軍港沿いのヴェルニー公園には
「海軍の碑」「軍艦の碑」などもあるそうですから、
もう一度来たいなあ、などと思っていたら、ニュースが。
バンドフェスティバルとやらに息子の学校のバンドが招待され、
近々横須賀米海軍に行き、演奏をするというのです。
朝、学校に6時半ごろ集合して、バスで基地に向かうのだとか。
「だから、入場許可証つくらないといけないんだって」
「うわー、わたしも行きたいなあ・・・・見学できそう?」
「だめじゃない?俺たちでも許可証を前もって作るくらいだから」
「チェロ運んであげようか」
「オーケストラじゃないよ。バンドでは俺ドラムだから」
「引率のボランティア募集してる?」
「してない。小学生じゃあるまいし」
というわけで、何とかして一緒に潜り込もうとしたのですが、
・・・・・・ダメでした(笑)
海軍的お楽しみがぎっしり詰まった町、横須賀。
とても充実の楽しい一日でした。
またすぐに来てしまいそうです。
鹿屋航空基地〜大鷲の系譜
鹿屋航空基地所属、第一航空隊(鹿屋が第一なんですね)は、
海上自衛隊最初の航空部隊として1961年9月に編成されました。
2008年3月に第7航空隊と統合し再編成。
P-3Cで哨戒を行う主力部隊です。
鹿屋航空基地の広大な敷地には、史料館だけでなく
その周りに今まで自衛隊が使用してきた航空機が展示され、
ちょっとした「エアーメモリアル」となっています。
史料館の見学を終えた後、ここを一周して写真を撮りました。
R4D-6Q 多様機「まなづる」
この名前からはピンときませんが、ダグラス社の民間輸送機の傑作、
D3-C/C-47の流れをくむ航空機です。
C-47。
愛称スカイトレイン。
連合軍の欧州司令官だったアイゼンハワーは、
「C-47とジープとバズーカ砲があったから連合軍は勝てた」
と言ったそうな。
ノルマンディ上陸作戦では、兵力の輸送をし、その他にも物資輸送や
空挺作戦にも従事する活躍で、絶大な信頼性がありました。
その頃一方我が日本では。
日中戦争の拡大と、落下傘部隊の輸送のため、海軍は
本格的な輸送機を必要としたため、ダグラスDC-3に白羽の矢を立て、
三井物産経由で製造権を獲得します。DC-3
そして1937年から昭和飛行機によってライセンス生産されていました。
その後、昭和飛行機の生産力不足を補うために中島飛行機が、
エンジンを三菱の「金星」に変えて零式輸送機(L2D2)とします。
このエンジン採用のおかげでカタログ上のスペックはC‐47を
性能において上回っていたということですが、本当でしょうか。
写真を観ていただけると分かりますが、やはり基は同じ、
みな形が同じですね。(当たり前か)
因みに、米陸軍仕様がC-47、海軍向けがR4Dという名称です。
戦後、昭和33年から34年にかけて、日本自衛隊はこの海軍型のR4D‐6を
アメリカから4機購入して輸送任務に利用していました。
そしてこの4機のうち1機をR4D-69Qとし、ECM訓練、つまり
電子戦のための訓練専用機
として使用していました。
それがここ鹿屋に保存されている機体です。
ECMとは電子支援手段
(ESM:Electronic Support Measures)
のことで、電子戦機とは
敵レーダーなどに対してジャミング(電波妨害)を行う航空機のことです。
つまり当時の最先端を行く科学兵器であったということですが、
こうしてみると今は昔、レトロな感じは否めません。
機体のレドームとアンテナカバーがおわかりでしょうか。
これは電子支援機だけに追加された装備です。
黒のカバーがミッキーマウスの鼻って感じで愛嬌があります。
まるで戦時中の戦闘機のようなこの黄色い航空機。
SNJと称する中間練習機です。
海自ではパイロットの訓練段階に応じて
初等練習機=KM-2
中等練習機=SNJ
高等練習機=T-33
という段階ごとに使用航空機を変えていたのですが、
このSNJだけが初等と高等用の機の「前輪式」に対し、
「尾輪式」であったことから、合理的ではないという理由で
1960年代にはT-1に後を譲って引退しました。
「まるで戦時中のような」と書きましたが、
このT-6テキサンは、単発低翼のレシプロ機として、
非常にオーソドックスで汎用性のある機体であることから、
ちょこちょこと改造されていろんな映画に「出演」しています。
ウィキペディアより。
映画「トラ・トラ・トラ!」
で零式艦上戦闘機に扮したT-6テキサン。
うーん・・・・これは・・・・。
(テキサンの飛行機が零戦に云々というシャレ自粛)
ご存知21型零戦なのですが、この色。
よく「飴色だった」といいますが、これは、どちらかというと灰色。
なんか、こうじゃなかったんじゃないかな、って気がします。
だいたい、飴、ってどんな飴よ。
21型の零戦の色は、いまだに確かな実証のないものらしいですね。
色の記憶、というのは年月が経つと曖昧になりますし、
なんといっても口では表しようのない事柄でもあります。
「零戦の飴色って、どんな色だったんですか」
と聞かれた元搭乗員が
「これだよ、こんな色」
とそこにあったカーテンだかクッションだかを指さした、
という話を聴いたこともありますが、
このように、白黒写真の頃の色の記憶というのは、
それを知る人の脳裏にのみ残るもので、彼らがいなくなった日には
それはいかなる方法でも再現できないものになってしまうのです。
多くの人が「零戦の飴色」にロマンを感じるのもむべなるかな。
さて、閑話休題、
T-6が演じたのは零戦が一番多いようですが、その他
「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」
→(九七式艦攻)
「遠すぎた橋」
→(P-47B)
など、各種戦闘機に扮しています。
航空機界の名エキストラといったところですね。
P2V−7「おおわし」
昭和29年、日本はそれまでの保安隊から海上自衛隊に
改変発足したわけですが、
使用する機はすべてアメリカ海軍からの「おさがり」でした。
ロートル飛行機を廃棄一掃処分市として払い下げられたわけです。
この米軍機はアベンジャーやロッキードハープーンなどでしたが
「遅れてる」感は半端なく、しかも敵国だったアメリカ仕様で
使いにくく、修理もしにくい。
保安隊からなった当時の自衛隊員は帝国軍人として
日本機を操縦したことのある者ばかりだったわけですから、
さぞいろんな意味で歯がゆい思いをしたことでしょう。
実際、当時の海自は機を飛行させるので精一杯であったということです。
1956年(昭和31年)になって、ようやく米海軍から最新鋭機であった
このP2V−7(対潜哨戒機) が2機供与されることになります。
おそらく喜び勇んで(かどうかはわかりませんがたぶん)海上自衛隊は
初めて得たこの実用的な哨戒機に「おおわし」という名前を付けます。
アメリカでの愛称「ネプチューン」をそのまま使わず「海鷲」「荒鷲」を思わせる
「おおわし」に変えたところに、当時の海自の心意気が覗えます。
只今お色直し中。
ここにある二式大艇についても
「世界的にも貴重な人類の遺産であるのに、
雨ざらしなんて酷過ぎる。せめてドームをつけろ」
という声がたくさんあるわけですが、ご存知の通り、
これは海上自衛隊の所有物でありますからして、
このようなものの保存に大金をつかうなんてことはありえないのです。
なぜなら、そんなことをしようものなら、必ずアレな人たちが
大騒ぎするからですね。
で、このように時々塗装を塗り替えてメンテナンスしているのです。
うう・・・泣ける・・・。
そしてこの機の後継機となったのが・・・
P-2J「おおわし」
これもおおわしです。
海自はこの「おおわし」と言う名称に非常なにこだわりがあったらしく、
後継機として改良したこの哨戒機にも全く同じ名前を与えました。
前回鹿屋基地について書いたときに、読者の鷲さんが
この機で訓練を受けた、というご報告を下さいましたが、
鹿屋航空基地には、当時第203教育航空隊 鹿屋教育航空群
があり、ここにこの機が配属されていたわけですね。
このP-2Jは米海軍のおさがりであった先ほどのP2V-7を改良したもので、
改良とはいえこれが記念すべき最初の国産哨戒機となったわけですが、
あらゆる点が格段に向上しており、当時米海軍で使われていた
P-3Bと比べても遜色なくほとんど性能は同じだったということです。
この飛行機の改良点というのはそれまで立って機内を歩けなかった(!)
P2V‐7の狭さを改善し、床を下げることで空間を確保し、ついでに?
冷房と冷蔵庫を備えたことでしょう。
ところでみなさん、哨戒任務って、何時間続くと思います?
一回のフライトが10時間超えるんですよ。
10時間ったら、朝の9時に始まって終了は夜7時。
お腹も空くし喉も乾きます。
おまけに海の上を哨戒しているときと言うのは高度が低いので
熱気が物凄いのだそうですね。
そんな過酷な状況において狭くて暑くて飲み食いもままならないなんて、
そんなことでは隊員の士気にも影響が出かねません。
ですから、この環境改善は実に大きな一歩であったということなのです。
そして、機内が広くなったので操縦席以外に「戦術航空士」(TACCO)が
乗り組むためのスペースができ、より任務が効率的にこなせるようになりました。
このtactical coordinator、TACCOは我が海上自衛隊のオリジナルです。
タコとかタコーと言います。(シャレ自粛)
一言で言うと
TACCOは機長も務める対潜水艦戦の指揮官です。
この「戦術航空士」ですが、基本的には航空学生から選抜され、
1、第201教育航空隊(小月航空基地)で初等操縦訓練
単独飛行ができるようになるまでの訓練をここで行う。
2、第205教育航空隊(下総)で航空士基礎訓練を受ける
3、第203教育航空隊でP-3Cによる実機訓練を受け部隊配属となる
こういう過程を経てそう呼ばれるようになります。
この203教育航空隊ですが、今は下総にあるようですね。
P-2Jがまだ使われていた鷲さんの教育隊時代には鹿屋にあった、
ということだったのでしょうか?
いくら調べても確認できなかったのでそうじゃないかと思ったのですが。
TACCO に話を戻しますと、第203航空隊で訓練を終了すると、
修業者は金色のウイングマーク(航空徽章)を授与されます。
このシステムはこのときP-2Jのために生まれたものですが、
もちろんのこと現在もP-3Cに受け継がれています。
ちなみにこのP−2Jは1981年にP-3Cが導入され始めてから
1994年にかけて全機が退役しましたが、
生産、配備された83機全てが、一機も事故を起こすことなく、
無事にその任務を終えたそうで、これは軍用機としては
非常に珍しいことなのだそうです。
鹿屋には2機のP-2Jが野外展示されています。
これらは鷲さんがかつて訓練で乗った機かもしれませんね。
ここの売店でいくつかお土産を買いましたが、
その一つがこのTシャツ。(背中部分)
鹿屋に展示されている航空機についてもう少し続けます。
楽器の「お値段」〜握手券付きチェロ購入の巻
コメント欄でチェロの購入を考えているという話をしましたが、
その後いろいろあってついに決断しました。
「欲しいなあ」と思っても実際に買うとなるとやはりタイミング。
たまたまある楽器店のフェアを教えていただき、
それが購入のきっかけになったわけです。
ところで皆さん。
楽器の値段って、どういうものかご存知ですか?
いちおう音楽関係者であるエリス中尉も、楽器の値段、
特に弦楽器の値段については全く知りませんでした。
そこで購入に当たり少し調べてみました。
弦楽器の価格帯は次の通りです。
ヴァイオリン 1万〜3億円
ヴィオラ 10万〜500万
チェロ 10万〜3000万
コントラバス 3万〜500万
この価格は、いずれも
「一番安い価格」=「新品」
「一番高い価格」=「アンティーク」
つまり、高額の価格というのはいずれも100年200年、
ずっと使用されてきた楽器だけが持つ価値なのです。
管楽器はもっとも高いフルートで、純金製のものなどでも
せいぜい500万、たいていは300万どまりですから、
弦楽器の中で一番小さな楽器であるヴァイオリンが
値段においていかに特殊かわかるでしょう。
しかも、安いものはどの楽器よりも安い1万円から。
コントラバスなど安いものは新品でも3万円なのに・・・。
で、チェロです。
ヴァイオリンのレベルには及びませんが、
最高額がやはりダントツに高い弦楽器です。
わたしと息子の今までの二人の先生方も、
何千万クラスの楽器を持っておられます。
オーケストラにいたり、リサイタルをするようなクラスのチェリストは
当たり前のようにこのクラスの楽器を所有しているのです。
初心者は普通「スズキの練習用」の10万円から始めます。
息子は4歳の時にパリで当時確か700ユーロだった12分の1楽器で
練習を始め、それから二つの分数楽器を経てフルサイズになりました。
フルサイズのチェロを初めて購入することになったとき、先生に
「今お店にスズキの13万の楽器があるらしい」
と教えていただき、それを買うつもりで楽器屋に赴きました。
しかし敵(楽器屋)もさるもの。
最低ラインの楽器だけではなく上のクラスの楽器もちゃんと用意していて
「どうせ買うならもう少しいいものを・・」
という欲を誘ってくるわけですね。
いきさつについては以前も述べましたから割愛しますが、
結局このとき最終的に20万円くらいの楽器を購入しました。
20万の楽器。
・・・・・・・というのがどのレベルのものであるか。
少しこれをご覧ください。
上段三つがいわゆる「初心者向き」です。
このチラシを先生からいただいたとき、
「(右上の)ピグマリウスってどうですか」
と訊ねてみると、
「これは・・・・実は中国製なんですが・・・」
なーんだ。
唯でさえフリーチャイナを心がけているこのわたしが、
大金払って中国製の楽器など購入するはずがあろうか。
(いや無い)
「ええ、やっぱり中国製は・・・。
木材の質というか乾燥が甘くてお勧めできません」
と先生。
ん・・・・?
その中国製ですら33万円?
ってことは、20万(弓込み)の楽器って、いったい何?
「・・・・・・先生、ズバリ言っておいくらくらいの価格なら
今の楽器から『買い替える意味』があると思われます?」
「楽器本体だけで80万円くらいでしょうねー。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ガーンガーンガーンガーンガ〜〜ン
(エリス中尉がショックを受けた音)
そこでもう一度上画像の下部分を見ていただくと、
「初級から中級向き」の楽器のお値段が。
67万から149万円。
この149万円というのが「ハンドメイド」
であることにご注目ください。
わたしはこの瞬間まで夢にも知らなかったのですが、
弦楽器には「工場製」と「手作り」があり、
流れ作業で組み立て調整までする工場製、そして
一人の作家が木を削るところから最後まで作り上げるのが
ハンドメイドです。
わかりやすく価格で説明すると、その境界は100万。
工場製はどんなに高くても100万にはなりませんが、
ハンドメイドはどんなに安くても100万からなのだそうです。
そこまで聞いても、所詮趣味で弾いているだけのエリス中尉は、
「それじゃ60万くらいで気に入ったのがあれば買おうかな」
という軽い気持ちで楽器店に赴きました。
そのときのこと。
「今日私の生徒さんが来ます」
と先生から聞いていた楽器屋の人は、
現れたわたしが担いでいたチェロのハードケースを見て
「初心者だと聞いていたが・・・・・・・?」
といぶかしく思ったそうです。
それもそのはず、わたしがその時抱えていたのは
楽器よりはるかに高いプロ御用達のケース。
先生が全く同じケースを使っているというくらいのものです。
(上画像の商品案内にあるもっとも高額のケースより高い)
後で楽器屋さんが言うには
「ケースを開けて出てきた楽器を見てがくっとしました」(笑)
そりゃそうでしょうさ。
それもこれも楽器を買ったときに、
お店には「メイドインコリア」か「メイドインイタリー」しかなく、
選択の余地すらなかったんですねー。
さて、楽器選びが始まりました。
楽器屋のフェアというのは、日頃より豊富な品ぞろえの中から
楽器を選ぶことができるという意味があります。
そこでターゲットの60万円から80万円までの楽器を中心に
いくつか弾いてみましたが、敵(楽器屋)もさるもの、
音の良しあしだけではなく、
「ハンドメイド楽器の持つ付加価値」
という観点で手作りの楽器を奨めてきます。
つまり、一人の作家がすべてを手掛け、最後まで責任をもって
心を込めて製作した楽器には、それだけ「気持ち」が込められていると。
曰く、
中でも今日展示されているこのチェロの若い作者は、
当店が「応援している作家」でもある。
この間コンクールで賞を取り、将来有望である。
でも、作家というのは材料を自費で仕入れ、
半年かけて楽器を仕上げてもそれを飛行機に乗って持ってくるので、
正直生活ができるのかどうか、こういってはなんだが心配(笑)している。
うーん。
そういう「物語」にエリス中尉が弱いということを
まるで知っているかのようなセールストーク。
これがこのフェアのハンドメイド楽器のおすすめ。
ハンドメイドと工場製の間には大きな壁がある。
それは、たとえば何年かたって楽器を売ることになった場合、
工場製は全く「値がつかない」が、ハンドメイドであれば
「中古」として中古市場に売れるので、買い替えも損ではない、
というお店の女性の説明も後押しして、
すっかり「それならハンドメイドを・・・」という気になりました。
この女性は自分でもチェロを弾くということでしたが、
客への説明においてそういう価値観にまで目を開かせたという意味で
敵(楽器屋)ながらあっぱれだったと言えましょう。
そんなこんなで、どうせ買う(つまり応援する)ならば、
と日本人作家の楽器に絞りこみ、
さらに評価のある程度定まった方ではなく、若くて
「これから」というイタリア在住の作家さんのものを買うことにしました。
さて、次に弓です。
「今の弓(おまけについてきたもの)では楽器がかわいそうです」
と試弾に付き合ってくださった先生がやけにきっぱりと言い切ります。
やはりそうだったんですね。先生。
わたしが今まで使ってきたのは
「この弓で弾いてもかわいそうではない楽器」
だったと言うことですね。
それでは、この楽器に相応しい伴侶を見つけなければなりません。
「破れ鍋に綴蓋」であった今までの弓は忘れて、お似合いの相手を。
これがこの日出品されていた弓。
勿論300万の弓が悪かろうはずはありませんが、
楽器の二倍以上の値段の弓というのもいかがなものかと。
それに、この弓、試弾の際ずっとこれで弾いていたのですが、
はっきり言ってエリス中尉の演奏レベルでは、
これがそんなに価値のあるものだとは思えませんでした。
文字通り猫に小判豚に真珠。
おとなしく「本日の超お買い得」の、15万円の弓
(実は30万円くらいの値打ちあり)に決めました。
値段のことばかり書きましたが、実際楽器というものは
値段を実に正直に表すそうで、先生に言わせると、
今回購入した弓くらいの「掘り出し物」はあっても、一般には
面白いくらい値段とその価値は一致して例外はないのだそうです。
わたしが最終的に購入したこの楽器の作家さんですが、
今回楽器が売れたことを楽器店はさっそく報告し、
かれは非常に喜んでいたということです。
お店の方によると
「この作家さんはときどき日本に帰ってきますから、
楽器について問題点や調節したいようなことがあれば、そのときに
実際に会ってお話もできます」
これを横で聞いていたTOが、いよいよ最終決定をする段になって
「これがいいんじゃない?握手券付きらしいし」
と言いだし、それが結局購入の決め手になりました。
毎日弾いていますが、響きの良さは勿論のこと、
これまでの楽器(息子のオケ用に置いてある)
では弾きにくかった箇所が楽にできるようになったりするんですね。
初心者こそレスポンスのいい楽器で始めるべきなのではないかしら。
弦楽器は弾けば弾くほど楽器が鳴ってきます。
弾き出して一時間くらいでも音が変わってくることもあるのだとか。
この楽器は今のところ実感はありませんが、一年ほど弾きこめば
かなり鳴ってきそうで、これからが楽しみです。
しかし、今回知ったことで最も心に残ったのは
「楽器の値段は、その質そのものである」
卑俗な言い方をすれば銭ただ取らんという事実。
もし将来今の楽器で「物足りない」と思うようなときがきたら・・・
そのときはいったいどんなレベルの楽器を買うことになるのでしょうか。
TOにそれを言うと
「物足りないというくらい上手くなったらその時考えれば?」
「その時」・・・・・来てほしいような来てほしくないような。
開設1000年記念ギャラリー〜一コマ漫画集その2
先日の一コマ漫画集の続きです。
「一日副官」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/3bb0f7cb4be52f4b4c9c4b8f03f4686e
副官という仕事を知っていますか?
ということで海軍副官のお仕事について説明ついでに、
陸軍とカルチャーの違いについても切り込んでみました。
この一コマ漫画は、阿川弘之の「井上成実」を読んで以来、
ずっと引っかかっていた井上大将のオウム、コーキが
「フッカンノバカ」
と言っていた、という記述から推測して書きました。
「フッカンノバカ」
を仕込んだのが、井上大将であることは間違いない事実でしょう。
海軍広しといえども、副官のことを「副官」と呼ぶのは、副官より
上位の軍人だけです。
しかも、副官を従えるのは軍部大臣、司令官、上等の隊長のみ。
井上大将の家にいて、「副官」という呼び方をするのは、
井上大将以外にいないわけですから。
というわけで、犯人?は井上大将本人で決まりみたいなんですが、
それにしても、この副官、何をやらかしたんだろう・・・。
「副官の花道」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/4d4d01883068937dacfe7d684ae538e1
一日副官の続編です。
先日、歌舞伎座が改装なってリニューアルしましたが、
それまでの歌舞伎座は、このころからあったものです。
副官の仕事とは、このような
「粋なお姐さんたちの献納した報国号贈呈式に出て、
歌舞伎座の舞台に立つこと」
なども含まれていたのです。
この絵には描き忘れていますが、海軍の場合、
副官は銀色の参謀飾緒を必ず付けました。
軍の副官は黄色いたすきです。
陸海軍共に副官は優秀な人物しかなれなかったのですが、
陸海ではまた随分と待遇も違っていたようです。
勿論、上下の関係が陸軍より緩やかな海軍の方が、
「副官特典」が多かったようです。
副官経験者ならではの役得について、このエントリでは語ってみました。
この「副官シリーズ」も自分では気に入っているエントリです。
「士官候補生東京行状記」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/83cbc538e6515467f3f05fc8a84e5136
東京に行く、というのはこのころ、今とは全く違う
「別の国に行くような興奮と高揚」があったのではないかなあ、
とこのいろんな兵学校学生の「珍道中」を調べながら思いました。
日本全国各地の選ばれた秀才であっても都会にあっては
「おのぼりさん」「山出し」の引け目を感じてしまう若者もいて、
それがゆえのてんやわんやがあった、ということを書きました。
それにしても、さすがは海軍軍人の卵、候補生時代から遊ぶ気満々。
陸軍の士官候補生の空気と比べてみたいところです。
菅野大尉伝説1
後に延々と続く「菅野伝説シリーズ、
記念すべき第一回目はこんなポップな絵柄でした。
勿論、トラックパッドを指でなぞる手法で描いたものです。
これは、マバラカットと間違えてバンバンに着陸した菅野大尉が、
飛行場にいた偉い人に「貴様誰だ」とえらそうに言われて
「見ているうちに顔がぷーっと膨れて」(部下談)
この後、テントに零戦の気流をぶっかけて去っていった、
というエピソードをちょっと魔がさして描いてしまいました。
因みに、かつてこの時の「部下だった方」にお会いしたことがあるのですが、
このエントリで書いている
「ニコルスに行くつもりでマバラカットに着陸してしまった説」
は間違いであることだけは確認しました。
当事者のお話も、巷間伝わっている通りだったので、
この話は脚色なしの実話であることが判明した次第です。
「甲板士官のお仕事」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/06a8ac5bf1ec7b46cdb2b220877a99a0
日露戦争の日本海海戦を描いた映画の中ですら、この
「ズボンまくり上げてはだしで棒きれ持った甲板士官」
がしっかりと描写されているのに驚いたことがあります。
へんですよね。
どうしてほかの者が全員靴はいているのに、甲板士官だけが
はだしなのか。
はだしで歩いても危険ではないくらいまで艦を徹底的に
清浄に保つ、ということと関係しているのかもしれません。
この「日本海軍の異常なまでのきれい好き」というのは、
伝説にまでなっています。
このエントリで、ある甲板士官が先輩から言われる、
「最初に兵員厠に行ったら、便器を指でこすって舐めて見ろ」
という大変な話ですが、あの軍神広瀬中佐も捕獲した敵艦、
「鎮遠」を清掃するというときに指揮官として範を示すため、
便器を爪でこすって掃除したという話があります。
・・・・・・・・・・・・・。
広瀬中佐、それはあまりにも無謀ではないだろうか。
なぜならば、そのフネは少し前まで軍紀だらしないことで
若き日の秋山真之を呆れさせたあの中国海軍が使用していたフネ。
当然その厠も、その中国海軍の兵がさんざん使用した後です。
それだけでもドン引くのに、その爪を、その後どうやって消毒したのか。
・・・・まあ、そんな話に熱くなってもなんなのでこれでやめますが、
「厠をきれいにすると美人になれるんやでとおばあちゃんが言ってた」
という歌もありましたね。うろ覚えですが。
すべてのものに神が宿るのであるから清浄に保つことが肝要。
この日本人特有の精神性と清潔の相関関係が
こういうあたりにも表れていると思うエリス中尉です。
でも、広瀬中佐やこの士官の先輩の方法でないとダメとか言われるくらいなら、
わたし別に美人にならなくてもいいや。
「オペラ歌手の容姿」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/b72e3cd9dc02734fa4eafe44f555bf18
この日、新国立劇場で行われたオペラ、「椿姫」。
主役級だけ外国人を招聘してくる、というタイプのキャスティングで、
なんとこの日の主役は「こんなアルフレード」だった、というお話。
わざわざ大枚はたいて、何が悲しくて小太りの不細工な韓国人が
軽やかに飛び跳ねながら歌い踊るシュールな「椿姫」を観なければならぬのか。
一場の夢を売るオペラで、こんな反応に困るような思いをしたことは
後にも先にも一度もありませんでした。
と言いたいところですが、実はこのようなことは一度ではなかったのです。
さらに話はこの講演の一年くらい前に遡ります。
その日のオペラはそのシーズンの講演の中でも注目度といい、
演奏者のステイタスといい、おそらくもっとも高いと思われた、
バレンボイム指揮、ミラノスカラ座の「ドン・ジョバンニ」。(だったかな)
全てが終了し、カーテンコールのとき、いきなり思いっきりスタイルの悪い
韓国人女性が出てきて、あたかも主役のように挨拶をするので、
「こんな人どこかに出てたっけ」と不審に思いました。
確かに彼女の名はプログラムには載っているのに、その役名が判然としない。
なんかステージの裏で歌う「エコー」みたいな役であるらしかったのですが、
全員がイタリア人(しかも飛び切りの美男美女揃い)のミラノスカラ座の
歌手と一緒に、しかも「わたしを見て!」と言わんばかりにやたら張り切って
カーテンコールしている様子ははっきり言って「浮きまくり」でした。
周りの観客もみな「?」という状態だったのではないでしょうか。
わたしもそんなに頻繁にオペラに行くわけではありませんが、
たまたまこんなことが続いたのと、現在ベルギー在住の知人が、
「ピアノの国際コンクールを聴きに行ったら、コンテスタントが
ほとんど韓国人だったので驚いた。でももっと驚いたのは、
あんなにたくさんいたのに、第一次を受かってきた韓国人は
誰一人としてファイナルには残れなかったこと」
と言っていたことから、あるニュースを思い出したのです。
韓国では映画やテレビドラマの制作、K-POPアーチストの育成、
コンサートの開催にも国費を投入する。
コンテンツに関連する補助金などの政府予算は、
日本が87億円であるのに対して、韓国は217億円。
日本は韓国の3.8倍のコンテンツ市場があるが、
コンテンツ予算では韓国政府が日本政府の2.5倍を投入している。
韓国は、政府系企業が専門投資組合を組成し、
資金面において直接的な支援を積極的に実施している。
日本は政府主導で資金提供を伴う支援策は少なく、
人材育成や展示会、海外販売支援などが中心である。
2009年以降、韓国政府によるコンテンツ重視の政策は
さらに厚みを増している。
2009年1月に、大統領直属の国家ブランド委員会を設置し、
国家のブランド価値を向上させる対外宣伝戦略を立案している。
この大きな戦略の下で、映画、放送、音楽、ゲームなどの文化について、
韓国コンテンツ振興院(KOCCA)が
韓国企業のコンテンツ制作と輸出を強力に支援している。
(日経ビジネスオンラインニュース)
先日、「白洲次郎」を演じた俳優の伊勢谷友介が、ツイッターで突然
「ネット右翼批判」を始めたものの、すぐに撤回したという話がありました。
原因は、伊勢谷がオペラ歌手を扱った日韓合作のドラマに出ることを、
噂になった本人のドメスティックバイオレンスとともに非難され、
それに反発したためと見られています。
何か制作側からの指示でもあったのでしょうか。
また、ある評論家が最近言っていたことですが、韓国出身のバイオリニスト、
チョン・キョンファがデビュー当時、少しでも批判をしようものなら、
山のように抗議の電話や手紙が(昔なので)が来て大変だったとか。
わたしが目撃したこの日の悲惨なアルフレードや、謎の女性歌手、
決して優勝できないけど一次予選だけは大量に合格するコンテスタント、
全てにこの「コンテンツへの投資」ということに関係があるのだろうなあ、
と納得するのに十分な「事柄」ではあります。
同じお金をかけるにしても、音楽教育やコンクールや音楽事業を充実させ、
国内での演奏人口のすそ野を広げていくのではなく、いきなりコンクールに
「根回し」したり、誰もが納得しないレベルの歌手をねじ込んで来たり。
「過程を無視していきなり結果を欲しがる」
あの国らしいと言えばあの国らしいなあ、と思いました。
どんな方法でも観客が納得するくらいの実力と歌手であれば容姿で、
本物の感動を味あわせてくれるならば何も文句はないのですが。
「短剣を吊りて来ませよ」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/58e85f23dfe4fc8dda1788323e858799
短剣を 吊りて来ませよ
海のごと 深き夜空に 迎え火を焚く
この、戦後詠われた歌のあまりのせつなさ美しさに衝撃を受け、
その思いから短剣にまつわる話をいくつか語ってみました。
絵は・・・全くの思い付きのこじつけです(笑)
鹿屋航空基地〜ヘリコプター群
V-107 掃海ヘリ 「しらさぎ」
先日訪れた鹿屋航空基地の屋外展示について、
写真を挙げながら引き続きお話ししています。
情報と言うのはなぜか「偶然性」を持つものです。
大したことではないのですが、このエントリ制作をしたとき、
わたしはたまたま門田隆将著「風にそよぐ墓標」
を読んでいました。
その序章には、あの日航ジャンボ機墜落事故の後、
生存者の少女を吊り上げて救出した第一空挺団の隊員と
著者が共に御巣鷹登り、現場に慰霊に行った、ということが
書かれていたのです。
そこで目を惹いたこの一節。
作間さんたちが乗るバートル一〇七は
午前八時五分に習志野を飛び立った。
出発前、三番機の隊長、岡部俊哉二尉が
作間さんら隊員に向かって言った。
「悲惨な現場を見ることになると思うが、
しっかり任務を全うせよ」
皆さんも、きりりと精悍な陸自隊員が少女を
ホバリングしたツインローターのヘリに抱きかかえて救出する
あの写真を一度はご覧になったことがあるでしょう。
あのときに事故現場に投入され、習志野空挺部隊を運び、
生存者救出作業をしたのが、この「バートル」でした。
あの、歯を食いしばった隊員にかかえあげられる少女の図は
あの災害における唯一の「救い」として何度も観てきましたが、
あのヘリがどういう機種なのか、全く考えたこともなかったのに
この同日中に起こった情報の見事な符合に、
なにか不思議な感じがしてしまったエリス中尉です。
1962年、ノックダウン生産(部品を購入して日本で組み立てる)が始まって
三年後にはこの機種のライセンス生産が始まっています。
自衛隊はこの機体を「しらさぎ」と名づけましたが、
なぜか皆「バートル」と呼びました。
バートルとはボーイングのヘリコプター部門である会社の名前です。
現地の説明プレートには「掃海ヘリ」となっていました。
海自はこれを掃海用に保持していたからです。
掃海のとき、ヘリは掃海具を海に降ろして牽引します。
しかし一般にバートルは日航機事故のイメージのせいか、
「救難ヘリ」として認識されているようです。
このタイプを一番多く保持していたのがやはり陸自で、
床を補強したりウィンチやローラーコンベアを増設し、
重機材も搭載できるようにし、機体も一番多く保持していました。
ウィキより。
これが陸自仕様。
これは空自仕様。
空自はこの機体を救難機としていましたので、
「救難」=「危急」→黄色
というイメージから、こういうあまり自衛隊らしくない
カラリングにしていたようです。
通常戦闘、哨戒用が「カモフラージュ」であるのと反対に。
この空自のバートルは、最後の一機となった
2009年、入間の空自際でのデモフライトを最後に
華々しく引退しました。
この時にしたデモンストレーションは、ホバリングの状態から
救難隊員が降下して負傷者を吊り上げるもの(!)や、
左右に移動したり水平に回転したり。
youtubeでは、最後に観客に向かって
丁寧にお辞儀する姿が見られます。
あまりの可愛さに萌え死ぬかと思いました。
http://www.youtube.com/watch?v=j2AqGLbHLQc&NR=1&feature=endscreen
(7分から)
BELL-47 練習、観測用ヘリ「ひばり」
ベル47。
ベルというのはヘリコプター会社の名前です。
極限まで機体の重量を減らしたデザイン。
いかにも軽そうで「ひばり」という名前が付けられたのも納得。
海自はヘリにあくまでも鳥の名前をつけたかったんですね。
ただ、このヘリに関して言えば、なんというか・・・虫っぽくない?
もっと言うと「ヤゴ」という言葉が浮かんで来たり・・・。
この骨組み剥き出しの仕様のことを「ティル・ブーム」といい、
さらにこのまん丸のキャノピーを「バブル・キャノピー」といいます。
たしかにバブルとしか言いようがないわ(笑)
しかしこれだけ極限の軽量化をしても、エンジンパワー不足。
だって、エンジンがどこにあるかわからないくらい小さいですから。
なので、コクピットに二人乗ったらもうあとは何も積めません状態で、
いろいろと大変だったと思われます。
もっとも当初はローターが木製だったのでいたしかたないかと。
その後ローターは金属製に変わり、エンジンもパワーアップして
航続距離は飛躍的に伸びました。
OH-6D
海自はヘリに鳥の名前を付けていたのですが、この
「カイユース」にはどうやらつけなかったようです。
川崎はOH‐6を387機製作しましたが、ほとんどが陸自用で、
海自にはOH-6Jの時代から合わせても17機しか採用していません。
この6Dは14機導入されました。
使用中に川崎が製造を中止してしまったので代わりに
MD500E(カイユースの民間向け)を購入しました。
海自はこれを教育用としていましたが、陸自は
ご存知のようにこれを汎用しています。
陸自向けのOH‐6Dには暗視ゴーグル対応操縦席、赤外線監視装置、
赤外線照射装置が搭載されています。
これを調べていて、某ヤフ知恵で
「カイユースには武装しないのか?」
という質問を見つけました。
それに対するたった一つの答えが
「武装しても使い道がないからしません。
哨戒ヘリとしても小さすぎて使い物にならないから、
海自も武装は絶対にしないでしょう」
というにべもない?もので、さらに質問者のコメントが
「武装したらかっこいいんですけどね残念」
だったので、思わず笑ってしまいました。
武装して役に立つのはせいぜい…市街戦ですかね。
ビル街にかいじゅうが現れたとき、とか?
HSS-2A(ちどり)
そう、対潜哨戒機にするにはせめてこれくらいないと(笑)
海自ヘリ、鳥シリーズ、「ちどり」です。
これもねえ・・・
千鳥というよりは「トラフグ」って感じのシェイプなんですが。
機体はシコルスキのS-61。
HSS-2Aは日本での運用名です。
最初は陸上基地からの発進用でしたが、この2Aからは
艦載用としての装備(着艦拘束装置)が追加されました。
現在はSH-60J(シーホーク)に置き換えられ、2003年、
この「ちどり」は全機が退役しました。
にもかかわらず。あ
鹿野航空基地資料館ニ情報更新ノ要アリト認ム。
鹿屋航空基地〜海自の「鳥たち」
T-34 練習機 メンター
変な名前だな、と思われた方。
メンターは英語のMentor。
ホメロスの抒情詩「オデュッセイア」の登場人物です。
メントール(右)。
早い話、スターウォーズで言えば、
アナキンスカイウォーカーとヨーダの関係。
メントールはオデュッセイアの父であった王の
僚友であり、息子のオディッセイアの
「良き指導者、理解者、支援者」
であることから、mentorは英語で「指導者」という意味。
初等練習機であることからこの名が与えられました。
単発レシプロ機で、戦後のパイロット教育の原点ともいえる機です。
空自のメンターは「はつかぜ」という愛称が付けられています。
富士重工がこの機をライセンス生産していましたが、
後にこれを改造したLM-1「はるかぜ」を陸自のため製作。
ウィキペディアより。
LMのLは「連絡」( liaisonか、連絡のレ)、
MはまさにメンターのMです。
さらに、これを改造したのが
KM-2 練習機 「こまどり」
また鳥か。
KMのMはこれもメンターのMなんですが、
このK。
「改造《KAIZOU》のK」
だというのです。
うーん、やっぱりLMのLは《LENRAKU》かな。
海自は練習機をT-5に変更していきましたから、
1998年にはこの「こまどり」は用途廃止になりました。
このころまでにパイロットになった海上自衛隊の隊員は、
皆、この「指導者」に最初はお世話になったということでしょうか。
S2F‐1 対潜哨戒機 「あおたか」
アメリカ名は「Tracker」。
「追いかける人」みたいな感じですかね。
日本ではおなじみ鳥類シリーズで「あおたか」。
はて、アオタカなんて鳥いたっけ?
と思って辞書を引くと「蒼鷹」。
さらに聞いたことがない。
英語で言うとgoshawk。
これをもう一度日本語に翻訳すると・・・
おおたか。 ///ORZ///
なるほど、「おおたか」はミサイル艇に取られたからですね。
ちなみに海自の飛行機(ヘリ含む)の「鳥シリーズ」ですが、
うみつばめ
ちどり
らいちょう
しらさぎ
はつかり
ひばり
かりがね
べにばと
まなづる
うみばと
こまどり
おおわし
退役したものも入れてこれだけです。
決して二文字の鳥名は使わないんですね。
(ちなみにこのウィキのページは『おおわし』を
『おおたか』と間違えています)
がん=かりがね
つる=まなづる
といった風に。
確かに自衛隊の飛行機ですから、鳥と言っても
すずめ
がちょう
あほうどり
わらいかわせみ
などというのは何となくしまりがないですからね。
飛行機として最もかっこいい鳥の名前であった
はやぶさ
はもういろんなものに使われてしまったし。
ただ、また別の日にお話しするつもりの
この水上艇救難機、US-1Aなんて、言わせてもらえば
形といい、水上に着水する様子といい、どうみても
「ぺりかん」
なんですが・・・・。
この新明和工業製作の一連の飛行艇にはすべて
愛称が付けられていません。
かすかに「名称としてのこだわり」が見えるのは
このUS-1の前身であった
「PS-1改」
で、これもやはり「改造」の改ですが、大戦中新明和の前身であった
川西航空機の製作だけに名機「紫電改」を彷彿とさせます。
さて、この「あおたか」ですが、アメリカから新造機を供与され、
日本の会社がそれをライセンス生産することもなく、
使用が終わったときにはそのほとんどを返還しています。
ここにある「あおたか」はアメリカに帰らなかった貴重な一機。
この機がアメリカから海上自衛隊に供与されるとき、
自衛隊内にこんな話がありました。
受け取りのために海自のパイロットがアメリカまで赴き、
使用法の説明とともに操縦訓練を受けることになったのです。
このS-2はもともとアメリカでは空母艦載機ですから、
主翼を折りたたむこともできます。
そのために装備を小さな機に詰め込みすぎていて、
パイロットには居住性が悪いと非常に不評でした。
アメリカ人よりは日本人は小さいので、
その点はマシだったかもしれません。
とにかく、受け取りに赴いたパイロットたちは、そこで
訓練の一環として母艦の離発艦訓練も受けることになりました。
日本が空母を持っていないことは米軍も百も承知ですが、
もしかしたらこの機のパイロット訓練マニュアルがそうなっていたので、
あらたにマニュアルを組みなおすのも面倒だからやらせよう、
まあ、彼らにもいい思い出になるし、ってことだったのかもしれません。
しかし、海自の隊員の間ではまことしやかにこんな噂が立ちました。
「S-2と共に空母が供与されるらしい」
S-2のおまけに空母。
さすがあアメリカさん、超太っ腹だ!
・・・・・・・って、それはないわ。
自衛隊みやげ総集編
【鹿屋航空基地資料館見学】
最近、自衛隊が「萌えポスター」で隊員勧誘しているそうです。
そういえば「ひゅうが」の中でも
微妙にそれらしいポスターを目撃しましたが、
まさかここまで来ているとは思わなかった、というレベルで、
こんなところにも進出。
画像のなぜか困っていらっしゃるお嬢さんは、
「自衛隊三姉妹」「空自のあきなさん」です。
これは「自衛隊三人娘シリーズ・パンの缶詰」。
パンの缶詰シリーズは何度か買ったのをご報告していますが、
それらは自衛隊協力企業の製菓会社「「岡根屋」が、
自衛艦で派遣され、長期の任務にあたる自衛官たちに美味しいパンを食べさせたい!
という思いで製作したものでした。
それらは甘くてパンというよりお菓子っぽいですが、
我が家の非常食としていくつか貯蔵庫に入っています。
ここで見た「三姉妹は」因みに、
空自のアキナ・黒豆味
海自のナナミ・パンプキン味
陸自のハルカ・キャラメルチョコ味
でした。
実は、他の「ネタ缶詰」を買ったので、これは店頭でこっそり
写真を撮っただけ。
三姉妹全部撮るのは気が引けたので、アキナさんだけにしました。
というわけで、これは鹿屋基地の入り口近くにあるお土産物屋
(レストランもあり)で目撃したもの。
今日は、今まで行ってきた自衛隊イベントでエントリに挙げそこなった
「自衛隊みやげ」を思いつくままにアップしていきます。
これは前にも一度アップしましたが、P-3CのTシャツ。
ここ鹿屋は「オライオンの巣」と言われているほどで、
(言っているのはわたしだけですが)
海自基地にはP-3Cの配備されている第一航空群があります。
第一航空群について調べていたら、
司令部の写真が見つかりました。
この右側の写真をアップした時に、鷲さんが
「この建物は今も使われているはず」とおっしゃっていましたが、
これこの通り。
市谷の歴史記念館なんかと違って、そのままです。
ソテツの木で見えませんが、昔海軍旗が掲げられていた
掲揚ポールもそのままで、国旗が立っていますね。
やはり、「地方」と言う「目につかなさゆえ、
こういう保存をする際にもいらない雑音が入らなかったのかもしれない、
と考えてみる。
聯合艦隊軍艦図鑑のプリントされた手ぬぐい。
なぜか五省が変な向きに書かれています。
これは今、新しく買ったチェロの胴体を拭くために使っています。
横須賀の海軍カレーを大人買いする前だったので、
つい変わったタイプを見て買ってしまいました。
鹿児島らしく「ポークカレー」、しかも黒豚使用。
発売元は
「鹿屋大隅地域おこし公社」。
パッケージには
「金曜日はカレーの日」
と刷り込みを欠かしません。
海軍=海自=カレーの浸透率高し。
【陸上自衛隊第一空挺団降下初め】
陸自のグラウンドでのイベントだったのですが、
テントによる物品販売の店が出ていました。
胸には「陸上自衛隊特殊作戦隊」
背中にはその英語が書かれたTシャツ。
陸自らしくカーキなのですが、その色が結構明るくて、
お洒落に着こなせるような気がちょっとしたのと、
日本国旗の赤いワンポイントが気に入って。
さすがに実際着てみたら、お洒落にってのは・・・ちょっと無理でしたが。
第一空挺団そのもののTシャツ。
これも背中です。
やはり息子のために。
といいつつ今もわたしの部屋にあります。
これも息子用。ウェストバッグ。
防衛大学の記念祭でもウェストバッグを買い、
それは息子が気に入って旅行などに使いまくったのですが、
意外と作りが弱くて(笑)紐が切れてしまいました。
で、この時もう少し大きめで紐が絶対切れないほど
ベルトの太いバッグを見つけたので購入。
こちらも気に入って使い倒していますが、
今のところびくともしていません。
【入間航空祭】
この日は傘を持って出たというくらい、朝は曇っていました。
まさか陽射しが強くて暑いほどになるとは夢にも思わず。
日焼けはお肌の大敵だというのに、じりじりと照りつける太陽。
耐えかねて途中で陽射しを遮れれば何でもいいから、と
キャップを買いました。
このときは役に立ちましたが、少し大きすぎるのと、
少し派手すぎて、その後何となく出番がなく、
今や「部屋の飾り」と化しています。
なんとこんなものまで買ってしまった航空祭。
左胸にはブルーインパルスの一番機クルーであるというロゴと、
その下には息子の名前が刺しゅうされています。
これは、購入してすぐにこの部分だけ刺繍代を(800円)払うと
刺繍完成後郵送でこのプレートだけが送られてきます。
左方には「絆」のワッペン。
せっかく買ったのですがわたしは着られませんし、
息子にもまだ大きすぎです。
これ、パイロット用だからだと思うのですが、
袖の縫い付けが普通と違ってラグラン袖なので、
ものすごくダブダブしてるんですね。
来年くらいに息子が着てくれるかなと思ってますが、
これもいまのところタンスの肥やし状態。
しかもカサ張ることったら(笑)
【防衛大学記念祭】
何となく買ったトートバッグ。
買い物の際持って出るエコバッグとして役に立っています。
楽譜を入れるにもちょうどよく、なにかと便利。
防大グッズも呆れるほど()豊富にありました。
お菓子のたぐいも選り取り見取り。
この時は息子とTOに留守番をさせていたので、
彼らの喜びそうなお土産を、とこれを購入。
なぜかバームクーヘン。
なぜ防大がバームクーヘン?
穴のところに貼られたのは、
これでございます(笑)
それはいいんですが、このバームクーヘン、
このシールを取ると・・・・。
想像を上回る穴の大きさ(笑)
まあ、美味しかったからいいんですけどね。
【横須賀軍港めぐりツアー】
海上自衛隊出版、
「海上自衛隊写真員が撮らえた
任務と訓練の歴史」
アマゾンで見てほしいなあ、と思っていたのですが、
軍港めぐりツアーのお土産店のカウンターで売っていたので
迷わず購入しました。
市谷の見学について書いたときに「写真中隊」がある、と
言うことをお話ししたのですが、これは海自の写真班。
すごいです。
帯に「海上自衛官にしか撮れない世界がある」
と書いてありますが、全くその通りで、
流氷の上を飛ぶP-3Cの姿、
「ひえい」の連写砲が二門火を噴く瞬間、
そしてペルシャ湾の史上初機雷爆破の瞬間・・・・。
写真集としても、報道写真としても見ごたえ十分。
【鹿屋航空基地】(おまけ)
おっと、忘れていました。
パンの缶詰、ネタバージョン。
自衛隊だから手投げ弾。
なぜか購入してしまいました。
なぜパンが手投げ弾なのかって?
「パ〜〜ン」
だからだそうです。
因みにこれはまだ食べていません。
いかにも非常用って感じなので、取って置こうと思ったのですが、
今本体を子細に観察すると、これは自衛隊協力企業の岡根屋ではなく
どうやら「便乗商品」。
「あすなろ」という、要するに知的障害者支援施設が製作している模様。
オリジナルのパンの缶詰が一個入りに対し、この「パーン」は、
小さいサイズが二個入り。
そして『不発弾もあるよ』って何。
これについてもチェックしたところ、どうやら缶を開けるときに
非常に大きな音がするらしい。
信管を引き抜いたとたん暴発する手りゅう弾ってとこですか。
でも、全部が全部そうではありませんよ、ということかしら。
いずれにしても、自衛隊土産、とくに食べ物類はネタの宝庫なので、
こういう催しに参加すると、必ずなんだかんだと買いすぎてしまいます。
でもいいの。
こういう自衛隊グッズの収入は全て防衛庁に行くんだから。
できる形でコツコツ応援、です。
世襲の本領
安倍晋三。
キム・ジョンウン。
習金平。
パク・クネ。
これらの東アジアの現在の指導者には見事な共通点があります。
それは全員がその親に政治家を持つ二代目三代目であるということ。
安倍晋三の父親は中曽根内閣で外務大臣を務め「首相に最も近い男」
と言われながら病死した安倍晋太郎。
キム・ジョンウンは言わずと知れた北朝鮮「金王朝」の三代目。
習金平の父親は太子党で元国務院副総理の習仲勲。
パク・クネは日本の陸軍士官学校卒の第五代大統領、朴 正煕(パクチョンヒ)の娘。
偶然でもなんでもなく、政治家という職業が世襲になりやすい、
ということを示す結果になったわけですが、そういえばやたらと
世襲制に反対していた党がありましたね。
前回の衆議院選挙では民主党から立候補できなかった世襲党員がいたとか。
「うちは世襲制は認めてないんですよ。
なのに自民はあの議員もこの議員もみんな世襲じゃないですか。
国民の皆さん、どう思います〜?」
と言いたいだけのために妙な制限を設けたんですね。
民主党という党はどうも『キャッチフレーズありきでそれに則って攻める』
ことをどうやら党是としているらしく、
「コンクリートから人へ」
「脱官僚」
「二番じゃダメなんですか」
なんぞという珍奇なスローガンを挙げてはそれを金科玉条として
反自民に励んできたわけですが、この「世襲反対」もその一つ。
(最後は違います。念のため)
それなら鳩山由起夫という元首相は何だっていうの?
もしかしたら、民主党の連中ですら、鳩山を「なかったことにしたい」と思うあまり、
本当にその記憶から消してしまったのかしら。
そうそう、田中角栄の娘、というだけで今までその地盤で当選してきた、
田中真紀子なんてのもいましたね。
その夫の田中真紀夫じゃなくてえーと、名前を忘れたけどあの「もしもし男」に至っては、
田中角栄の「娘婿」として「舅の七光り当選」でしたからねえ。
こういう議員を多数抱えていながら「世襲反対」なぞとどの口が言うのか。
だいたい、なぜ世襲がダメなんですか?
まあ確かに田中真紀子を見ていると素直に「世襲はダメだなあ」と思いますがね。
世襲が増えると国会内における社会の階層の多様性が失われる、とか
能力がなくても地盤を引き継いで当選できる、とか言われますが、
一般人の候補者に資質があるかどうかはやらせてみなきゃわからないし、
世襲議員にだって職業選択の自由は保障されています。
それにどちらかというと、幼いころから政治家としての親の背中を見てきた世襲の方が
政治の「空気」を良く知っていて、仕事にもスムーズに入りやすい。
それがいいのか悪いのかは、田中真紀子の悪例もあるように
「人によりけり」なのであって、世襲が必ずしも悪いわけでもないのです。
資質も何もない跡継ぎを七光りだけで政治家にする親もいましょうが、
「優秀な人間がいると思ったら息子だった」
という小泉純一郎元総理のような例もあるわけです。
そこで本日の挿絵。
こんなあからさまな印象操作をして、もしかしたら河野太郎事務所から
何かクレームでも来ないかと内心びくびくしているのですが(←嘘)
ひとつお断りしておきたいことは、この絵は、スケッチそのもので、
どちらも全くデフォルメしていないんですね。
わたしが見たままを絵にしたわけです。
・・・・まあ、花を咥えさせたり、純一郎のヘアを縦ロールにしたり、
ってくらいのお遊びはさせていただきましたが、それにしても
同じ二世でもずいぶんとそのキャラや親への評価、その他諸々、
違って見えるものだなあ、と。
あまり文章で追い打ちをかけるのは武士の情けでやめておきますが、
この二人の違いは見た目だけではないのですねこれが。
新人議員でありながら言うことはいい、アドリブでも余裕のある返しをする
進次郎議員の国会での質疑の様子を見ていると、なんというか
このような銀の匙をくわえて生まれてきたような世襲議員が、
才気煥発でありながらファンクラブができるほどの容姿を持つ
「天は三物(資質、容姿、生まれ)を与えたもうた」
というべきプリンスであることをいやでも認めざるを得ません。
そして最近、この才気煥発ぶりは生まれ持っての資質で、
むしろ国会の外もいかんなく発揮されていると思った二つの事件がありました。
いずれも政治家の足元を救って失言失態を誘うことを(おそらく)目的に
マスコミが小泉議員に質問した時のことです。
「まもなくAKB48の総選挙ですが関心は?」
これが質問。日本の新聞の政治記者が国会議員にした質問。
・・・・・・・・・・・馬鹿?
つまり「関心ない」と答えれば「世間の動きに疎い余裕のない政治家」
何か答えたら「選挙前にこんなことにうつつを抜かす軽薄な政治家」
ってことにしたかったんですかね。
どっちに転んでも叩かれそうなこの質問への新次郎議員の答えは、
記者「AKB48の総選挙が行われているが関心は」
(進次郎真顔で聞いてる)
「とんでもない所から弾撃ちますね」
(進次郎質問者に向かって呆れ顔)
「今政治家がそんなことでコメントしたらね」
(他の記者に向かって「コイツ馬鹿なの?」と同意を求める呆れ顔)
あ、頭いいなあ、とこれたまたま聞いていてエリス中尉思いました。
そしてもう一件は、つい最近のこと。
最近よほどネタに困ったのか、2013年4月8日発売の「週刊現代」に
という記事が載ったのです。
ここから先はJCastニュースから。
確かに進次郎氏からは、女性の話題が聞こえてこない。
議員宿舎で女性と「密会」があったと報じられたこともあるが間もなく立ち消えに。
野田聖子総務会長から「婚活」を勧められたが、これもやんわりかわした。
「見合いが進んでいる」「周囲も身を固めてほしいと期待している」
といった話も出るが、表向きには目立った進展はない。
そこに着目したのが週刊現代の記事だ。
「講演の際、女子学生にはつれなかったが男子学生には優しかった」
「体育会系出身でノリが男子校的」といった証言を掲載し、
同僚議員や政治部記者の話などから「永田町で進次郎男好き説」が流れているとする。
またゲイの聖地・新宿二丁目の面々にも進次郎氏は好評だとして、
「二丁目でも大人気」とまとめている。
そして、この件をまた本人に聞いた記者がいたんですね。
日本の政治記者が、議員に向かって。
・・・・・・・・・馬鹿?
そうしたらその答えは。
「ちょっと気をつければ女っ気ない、
鼻の下伸ばすとアイツは女好きって書かれるんですから」
「何書いてもらってもいいんですが…。
もう、まな板の上のコイズミですよ」
「もうね、否定も肯定もしない。
今後は謎多き“霧”をまとわせます」
まな板の上のコイズミ。
誰がうまいこと言えと。
というか、いつかこれ使ってやろうと思ってたんだろうなあ。
それはともかく。
こちとら今や「河野談話」で悪名高き河野洋平の息子、河野太郎氏。
ネットには「元在日朝鮮人でありながら帰化した議員」
の一覧表が良く出回るのだそうです。
帰化したかどうかというのは日本の政治を任せられるかどうかに取って
ある意味重要な事実ですから、わたしはそういう経緯も明らかにしたうえで
有権者に審判を仰ぐべきだと思っています。
これは決して「差別」などではありません。
なぜなら、「日本の政治を自民族に有利にするために帰化して政治家になる」
という、それどこの民主党、みたいな政治家が国政を握ることにもなりかねないからです。
民主党はそういう帰化議員が、白真勲を始めかなり多くいて、当初から
マニフェストに載せずに外国人参政権付与を何度も成立させようとし、
しかし能力が無かったため失敗に終わって結局下野したわけですが、
なにしろそういう情報を明らかにすることを「差別」と騒ぐ本末転倒な人たち
(通名で生活する本人含め)がその公開を許さないので、このようなサイトが
噂を元にしたこのようなリストをしょっちゅうインターネットに上げることになるのでしょう。
この、ある「帰化人議員リスト」に、河野太郎の名前が載ったそうです。
これはおそらく、日本を今いろんな意味で窮地に陥れている
「河野談話」をだした張本人(しかも本人は全く悪びれず堂々としている)である
河野洋平が
「国賊」=「非日本人」
と勘繰られたからであろうと思われます。
ついでに言いますがこの河野洋平という政治家は、
中国に行くときにアクシデントで飛行機が台湾に着陸、
駐機中飛行機から一歩も出ずに機内で頑張り通し、
中国に行って高らかに
「わたしは台湾の土を全く踏みませんでした!」
と中国共産党に衷心を表明したという人物。
最近も中国政府に呼ばれて
「わたしは中国でいつも歓迎される」
と自慢しておりましたね。
中国に歓迎される人物はむしろ日本の政治家をやるべきではないと思いますが。
まあ、そんなこんなで日本人であることすら疑われてしまうようなお父さんを
持ってしまったゆえ河野太郎も自動的に「在日認定」されてしまったと見えます。
本当かウソか、土井たか子、福島みずほにも在日疑惑はあるそうで。
そしてこの在日認定に対し、太郎氏はなんと13年4月9日、ツイッターで
「謝罪と削除が速やかに行われない場合は、法的措置も検討します」
と表明したのです。
加えて「人種・民族差別は容認できない」とも。
それに対して、ツイッターには
「訴えるなんて、在日と認定されることはそんなに不名誉なのか」
という声もあったのだとか。
このあたりが同じ世襲でも小泉進次郎との器の違いかな、と思うのです。
「ゲイだ」
と噂されて、彼が
「失礼な!撤回しないと法的に訴える!」
と息巻いた場合、もしアメリカだったらほぼ確実に「ゲイの権利を守る会」
みたいなのから「ゲイを差別している!」という文句が出ます。
ええ絶対に(笑)
日本でもそれが無いとは限らないし、たとえなくても、ゲイたちが
「そんなにむきになって、そんなにゲイって言われるのが嫌なのね」
と、テレビに出ているその筋の方たちを中心に騒がないとも限りません。
進次郎議員の答えは誰をも傷つけず、かといって肯定もせず否定もせず、
しかも質問したマスゴミに対して攻撃的になるでもなく、ユーモアを交え、
思わず微笑んでしまうような明るささえ感じさせて、完璧です。
ああ、きっとこの青年は回りに愛されて育ったんだろうな、育ちがいいな、
政治家の口八丁であるというよりこんな風に感じさせられました。
本当の意味の「プリンス」というのはこの人のことを言うのかもしれません。
おそらく、メディアの記者たちも、この若様のことだけは「憎めない」
と思っているんじゃないかなあ。
市民運動家上がりの「史上最悪の首相」などに閉口した国民の一人としては、
「やっぱり政治家も基本育ちよね」
とこのような「いい世襲」に対して好意的に見てしまいます。
まあもっとも、「史上最低の首相」の呼び声高かったある世襲議員は
「世襲が日本の政治をゆがめてきた。
世襲の私が言うのだから間違いない」
なんて言っていましたがこれ、
「世襲の私が日本の政治をゆがめてきた」
の間違いだろと。
独善的で空気読めない、周りの意見を聴かない、金にルーズ。
批判が受け入れられない。
世襲の最も悪い部分の権化みたいな人物でしたからね。
さて、冒頭のアジアの「世襲リーダー」は・・・・・
いまのところ特に朝鮮半島二国のリーダーは世襲の「ダメダメ」なところが
どうも目につくような気がしますが、皆さまいかがご覧になりますか。
Formidable Emily〜二式大艇物語
戦争中の日本の飛行機というと、零戦や紫電改、隼などが
日本の航空技術の最高峰であると称えられるわけですが、
実は知る人ぞ知る戦前の航空機の傑作が、この水上艇です。
二式飛行艇(Kawanishi H8K)、
通称、二式大型飛行艇、二式大艇。
米軍コードネーム、Emily。
現在、鹿屋航空基地に展示されている二式大艇は、
ここにある史料館の敷地内に翼を永遠に休めている
戦後の海上自衛隊の航空機群を見てきた目に、
一種異様な威圧感と存在感を与えずにはいられません。
それは決してその巨大な機体からくるものだけでなく、
制式採用以来、空中においては大型ながら俊敏な動きをする機体の、
しかも強力な攻撃によって米軍には怖れられ、
絶大な航続力から「K作戦」などの長距離作戦に従事するなど、
この「空の戦艦」が「世界最高の飛行艇」として受けてきた称賛と畏敬が、
残光としてこの機体を内側から照らしているように見えるからでしょう。
「K作戦」とは、昭和17年の3月、制式になったばかりの二式大艇三機で
「お披露目」とばかりに真珠湾を攻撃してきた作戦です。
偵察機に「真珠湾攻撃」後の米軍の様子を探らせたところ、
大急ぎで復旧を行っていることがわかったので、
その妨害をするとともに米軍の士気を殺ごうというものでした。
オアフ島に行って爆撃を行うという任務は果たしましたが、
いかんせん密雲にさえぎられ、下方が見えないまま、
「目標と思しきところに投弾してきました。
これが本当の盲爆ですよ」
(二番機機長・笹生庄助特務中尉)
で、相手に与えた被害は軽微なものでした。
これによって米軍の士気が落ちたかどうかは・・・・。
それは言うまでもありますまい。
さて、この鹿屋基地に展示されている二式大艇のノーズを見ても、
全体の写真を見ても、戦時中基地だった詫間(香川県)の人々が
その威容に目を見張ったというのがよくわかりますが、
実はこの水上艇、空から見ると
このように非常にスマート。(画像下)
このスマートな機体ゆえ、空中性能は抜群だったのですが、
いかんせん水上ではこれが機体が跳ねて制御できなくなる
ポーポイズ現象の原因になりました。
これを解消するために川西の技術者たちは、
機首ピトー管に横棒(カンザシ)をさし、これをガイドとして
風防に書かれた横線を基準にして操縦するべし、という
操縦法のマニュアルを配布したのですが、前線では
皆が全く読まなかったため
事故が多発したそうです。
エミリーがなぜピトー管になぜカンザシをさしているのか、
誰も疑問に思わなかったのでしょうか。
この二式大艇も九七式飛行艇も、川西航空機の製作です。
川西航空機は戦後新明和工業として、PS-1など、
やはり大型の水上艇を作った会社ですが、
日本海軍は意識的に川西を大型水上機の専門メーカーとして
育成しようとしたということだったようです。
海軍兵学校六七期の水上機専攻佐々木孝輔大尉は、
豪州地方のアラフラ海上空でこのような空戦を経験しています。
ひょいと後方を見ると、双発機がすぐお尻のところにくっついて、
わが機めがけてバリバリ撃っている。
敵機は豪州空軍のロッキードハドソン高速爆撃機で、
われわれを水蒸気と侮って追尾してきたらしい。
雲に入って敵を振り切ろうと思ったが、何度か雲を出入りするうちに
敵が気になって元のところに戻ってきたら、
サンゴ礁の真ん中にドラム缶のようなものが二個浮いている。
後で電信員に聞いたところこういうことだった。
「我が機はどんどん旋回するのに、敵機はなおも追っかけてきて、
いつまでも照準器ん中におったです。
10発くらい撃ったらぐらりと左に傾いて海中に突っ込みました」
敵は二連装機銃で我々のおしりにくっつき、
ゆうゆうと撃ちまくったのだろう。
水上機と見て、いつまでも追いかけてきて、その結果
正副操縦士とも空中で被弾したのだろう。
(『飛べ!空中巡洋艦』「丸」掲載)
水上機だと思って簡単に撃墜できると侮り追撃し、
後ろに銃座があることに撃たれて初めて気づいたのでしょうか。
どちらにしても、この「エミリー」は、敵にとって恐ろしい相手で、
一式陸攻のように防戦一方の飛行機とは違い、
見かけによらず俊敏な動きをしました。
モノにできると甘く見てついて行ったら手酷くやられてしまう。
彼女はそんな一筋縄ではいかない淑女たったわけです。
さらに、血気盛んな詫間飛行隊のパイロットは、
索敵に出てもB-17やB-25などの大型爆撃機を追い掛け回し、
時にはこれを撃墜することもありました。
Formidable Emily(手強いエミリー)
というニックネームの所以です。
しかし、戦況は愈々悪化の一路を辿り、一機、また一機と
二式大艇はその数を失っていきました。
その巨大な躯体ゆえ、避退させることもできず、
むざむざと空襲を受け破壊されたものもあります。
「二式大艇にしかできない」
と任命された、丹作戦における梓特攻隊の誘導や、あるいは
ラバウルへの強硬輸送や人員救出などの作戦においても、
大艇は大きな戦果を挙げつつ、決して無傷ではいられませんでした。
そして終戦。
終戦時、まともな機体で残された二式大艇は5機。
派生型の「晴空」が6機、計11機のみ。
そしてそのうち8機は終戦の報に際して処分されます。
終戦から6日目のことです。
日本海側にある七尾基地には三機の二式が残っていました。
詫間基地に戻るようにとの命を受けた三機は飛び立ちますが、
一機は燃料不足で中国山脈が越えられず、
島根県の中海に不時着してしまいます。
乗員は詫間基地に連絡しますが、
「その機を飛ばせる手段は尽きた。
搭載兵器を破壊したうえで機体は銃撃で処分せよ」
という詫間基地の隊長、日辻少佐の命令が返ってきます。
哀惜の念にかられながら、一同は機銃をおろし、
無線を破壊したうえで湖岸に整列し、
愛機に対し決別の挙手の礼を送りました。
全員滂沱たる涙で顔はくしゃくしゃになった。
言わず語らずに事情を知った近くの住民が、
搭乗員の後ろに集まって涙ながらに合掌していた。
機銃を湖岸に据え、まさに銃撃を開始しようとしたとき、
今まで岸に並行して横腹を見せていた大艇は、
風もないのにその向きを変え始めた。
そして、まるで撃たないでと哀願するかのように
こちらに尾部を向けてしまった。
(略)
射手は弾倉を交換しながら涙の射撃を続けねばならなかったが、
ついにタンクから火を噴いた。
あの特徴のある高い尾翼をしばらくの間湖面に浮かべていたが、
やがて聖者の最後を思わせるかのように水面から姿を消した。
搭乗員は呆然と立ち尽くしていたが、
しばらくして号泣に変わった。
流れ弾丸のために稲田に火災が起きたが、
住民たちはこの火を消そうともせず、
我々とともに沈みゆく悲劇の大艇をいつまでも見守っていた。
(日辻常雄著「大空への追憶」より)
戦後、この命令を心ならずも下した日辻少佐は、
米国の空軍調査団のシルバー中尉の、
「あなたのことは皆知っています」
という第一声に驚きます。
そしてシルバー中尉からさらに、、米海軍が日本海軍を尊敬していたこと、
そして二式大艇を極めて高く評価していたことを知らされます。
その後、米国に運ばれることになった大艇を横浜に空輸することになり、
日辻少佐は三か月ぶりに、シルバー大尉を乗せて操縦席に座りました。
空輸にあたって試飛行が許されることになりました。
二式大艇が詫間の空に飛翔するのを見て、
敗戦に打ちのめされていた隊員は勿論、
詫間の住民までもが歓喜し、その姿に再興への闘志を
かきたてられたそうです。
「日の丸こそ消されていたが、久しぶりに詫間に羽ばたく
二式大艇の姿を拝し、市民は地にひれ伏して手を合わせた」
(飛べ!空中巡洋艦)
飛行の後、日辻少佐は二式の前で写真のモデルを務め、
カメラマンの要求に応じで色々なポーズを取りました。
そして、いよいよ空輸のときがやってきます。
同乗のシルバー中尉は操縦する日辻少佐に
「日本海軍はこんな優秀な機を持っていながら
なぜ敗れたんだ」
と聞きました。
日辻少佐はそれにこう答えます。
「戦いには敗れたが、二式大艇だけは
世界のどこにも破れていない」
横浜沖が近づいてきました。
日辻少佐と二式大艇の最後の飛行も、終わりに近づきました。
そこはすでに米軍の基地となり、かつてソロモンで戦った
PBM(マーリン)が荒れた海面で苦心惨憺の訓練をしています。
それを見ているうちに、日辻少佐の口はこう言っていました。
「最後のお願いだ。
超低空飛行を許可してほしい」
シルバー中尉はなにも言わなかった。
わたしは、
「世界一の二式大艇ただいま見算ッ!」
と心の中でさけびながら、
艦隊の列間を超低空でぬい、機首を回した、
わんさと飛んでいたPBMたちは
かつての強敵、空の巨人のために道を譲ってくれた。
わたしは米海軍全員の注目を意識しながら、
全身全霊を最後の着水に打ち込んだ。
シルバー中尉が私の目の前に右指で丸印を作って
”ナンバーワン!”と叫んだ。
その後、米軍は日本で川西航空機改め新明和工業が
水上飛行機を開発するにあたり、実験用の改造に使う
飛行艇の提供や電子機器、あるいは研究レポートや
データの供与を惜しまなかったと言います。
そして、その協力と関係者一同の努力の成果は、
新明和工業の水上飛行艇PS-1、US-1となって結実します。
これらはかつての敵国アメリカが、かつて畏怖した、
「フォーミダブル・エミリー」に対して捧げる尊敬のしるしでもあったのです。
All About Emily〜二式大艇物語2
今日は二式大艇の内部写真をお送りします。
パネルを写真に撮ったので、光って見にくいですが・・。
乗降扉は前だけでなく後ろにもあったようです。
トイレにはなんと手洗いまでついています。
素晴らしい、
ところで、水上艇なのにトイレを、しかも排出式のトイレを
造ったりしている場合だったのだろうか。
というのは、二式大艇はそれでなくても水密性はあまりよくなく、
艇の底に溜まる水をしょっちゅう汲み出す必要があったからで、
海水につながる廃棄装置など作っている場合か、
という気がしないでもありません。
しかしそれを設置することは二式には不可欠でした。
なぜなら、この製作に際して川西航空が要求された性能の
主眼ともいえるのが、「航続距離を持つこと」だったからです。
航続距離は偵察時で7,400km、攻撃時6,500km以上というのが
海軍の要求で、これは一式陸攻の二倍というものでしたが、実際にも
二式は攻撃時の魚雷2発を搭載した状態で5000kmを記録しました。
一度索敵や哨戒に出ると24時間近く飛行を続けるので、
生理的現象に対処する必要があったのです。
このトイレですが、なんと、
座ると同時に観音開きの扉が自動で開き、
ペダルを踏むと便座が跳ねあげられるようになっていたとか。
現在、日本という国がこの分野で世界に比類なき地位を占め、
「日本のトイレ」は今や固有名詞になっているわけですが、
そのこだわりの一端がここにも垣間見える気がします。
この写真には「水洗式」と書いてありますが、それは「水上艇」
からきた間違いで、なんのことはない機構そのものは「落下式」でした。
懸念されるところの水密性、という観点からいうとこれは問題でしたが、
それでもやっぱり作ってしまうあたりが、日本人たるゆえん。
水上滑走時、厳格にトイレは使用禁止で、使わないときは水防扉を
固く締めておく必要がありました。
その穴から海水が入ってきて沈没するからです(笑)
二式運用の歴史上、トイレの蓋を閉め忘れて機が海の藻屑に、
なんて事故が一度もなかったのは、さすが規律粛正なる我が海軍航空隊です。
ちなみに、1996年のアエロペルーの航空機墜落の原因は、
機体洗浄時に貼るピトー管のマスキングテープを整備が外し忘れ、
速度、高度が検知不能になって無茶苦茶に飛んだ結果、というものでした。
このトイレ問題ですが、その対策が運用する人間の生理的不快を
顧みないものだと、乗員は勿論、整備員が悲惨です。
人間、いかに志を高く持ったところで生理的な部分がダメだと、
特に日本人のような清潔好きの国民にはダメージが大きいと思います。
しかも非常時であるからそういったことにも耐えよ、と上が言い放つことは
結果としてそうなってしまうことより士気をダダ下がりさせるでしょう。
形だけ作り上げるのがやっとで、艦内にトイレがなく、
バケツに貯めるしかなかった陸軍潜水艦「まるゆ」の乗員は、
この観点からだけ言っても悲運だったの一言に尽きます。
そういった「人間の生理」を極力考慮していたという点においても
二式大艇は偉大な兵器であったと言ってもいいでしょう。
それどころか二式には仮眠用のベッド、食品保存庫、冷蔵庫まで備わっていました。
戦後、哨戒機として開発されたP2V-7には、その後のP-2Jになるまで
冷蔵庫が無かったそうですから、戦時中に製作された二式の方が
その点においては進んでいたということになります。
二式大艇には12名のクルーが乗務しました。
分隊長がサブ(副操縦士)のときは、もう一人サブがいました。
普通、15,6時間飛ぶので交代で操縦するからです。
この次席サブが全員の食糧4食分を石炭箱に入れて
かついで乗り込むことになっていました。
飲み物も公用の魔法瓶のほかに、私物のものに
熱いコーヒーをたっぷり入れて持ち込んだそうです。
操縦時の眠気覚ましとして、時には軍医から
「コーヒー錠剤」
というものを処方される操縦者もいました。
これは効き目絶大だったそうです。
さらに二式の勤務は滞在時間が長く、機内のスペースにも余裕があるので、
各自が「自分に必要なこだわりグッズ」を持ち込みました。
いよいよ用意ができたら、移乗のために大型のゴムボートに乗り込みます。
そして艇体左舷後方の入り口から一人ずつ、艇に入ります。
ある乗組員の述懐によると、艇にはもう一か所、
機首の右側にブイ取り用の小さな出口があった、
ということなのですが、
この丸窓の部分がそれでしょうか。
飛行艇にしてはこの「小さなドア」、大きく見えますが、
後ろに回って写真が撮れなかったので、
出入りするところの大きさがわかりませんでした。
この写真の艇底にはメモリがついていますが、
どれくらい海中に没しているかのケージのようです。
1,2,3などのメモリの単位はわかりませんでした。
メートルではないと思うのですが・・。
ポーポイズ運動を防止する波消し仕様を
「かつおぶし」と言いました。
真下から見た銃搭。
後部動力銃座というのは、背中にコブのようにあるドーム。
左に見えているのは射手の座席でしょうか。
操縦席。
伝声管はついていなかったようです。
しかし、クルー(当時はペアと言っている人もいる)は、
いずれも以心伝心、言葉など無くてもたいていのことは
目線だけで通じたそうです。
「そろそろ高度を下げようかなと思っていると、
坂田上飛曹がひょいと後ろを見て手のひらを上方に
ひらひら動かす、そこで私がオーケーサインを出す、
といった具合で、おたがい顔を見ただけで言わんとすることも
行わんとすることも通じるのである」
(炎の翼『二式大艇』に生きる 木下悦朗)
飛行帽の耳隠しをめくったりわめいたり、
そんなことはしなくてすんだということです。
日本的、といえば実に日本的です。
二式も九七式も、操縦装置は皆人力で動かすようになっていて、
操縦を楽にするためのマスバランスが設計されていました。
このため、操縦には力がいるので、二式の操縦者には
大抵体格の大きなものが選ばれたそうです。
米軍の大型機は早くから油圧式補力装置がついていました。
良くわからないのですが、後部下面に射撃扉が開いている、
だから2重構造であったということでしょうか。
アメリカのウィキに掲載されていた写真。
後部銃座です。
銃口があるのがお分かりでしょうか。
PB4Yは、「シーリベレーター」だと思うのですが、
この「ベレーター」というのは間違いでしょうか。
まさに攻撃の雨あられをかいくぐって逃れようとする二式。
この後、無事に避退し、生還することができたのでしょうか。
丹作戦において梓特攻隊を誘導する二式大艇。
ここにいます。
この作戦時に参加した二式は三機。
任務こそ「誘導」でしたが、実質特攻作戦のようなものでした。
「今回、当隊は三機を以て神風とけ別攻撃隊を
編成することになった。梓部隊と命名される」
一瞬室内がシーンとなった。
食器室の蒸気の音までがぴたりとやんだ。
「万歳ッ、その命令を待っていたんだッ、やるぞーッ!」
歓声とも怒声ともつかぬ叫びが飛び交った。
いままでにはなやかな攻撃隊のかげに、
捨石となってただ黙々と戦い、
そして莞爾と死んでいった大艇隊員。
やはり神風の命名を待ちわびていたのだ。
いつ伝わったのか搭乗員室には「総員起こし」がかけられ、
三機のクルーを中心に割れかえるような歓喜の渦が
巻き起こったのである。
私はただひとり呆然として感涙にむせんでいた。
(大いなる愛機「二式大艇」奇跡の飛行日誌 日辻常雄)
この時出撃した三機のうち、一機は撃墜され、
一機は不時着、(乗員は生還)、無事だったのは一機だけでした。
空中性能には優れていた二式でしたが、やはり離着水時に
事故が起こりやすいという欠点は関係者の研究努力にもかかわらず
最後までいかんともしがたいものでした。
訓練中の殉職も、この時に起こりがちであったようです。
中には着水時、艇がぽっきり折れて、前部にいた二人は
海中に投げ出されて助かったが、
あとは沈む機体と運命を共にしたという事故もありました。
二式が高性能であることは誰しもが認めるところでしたが、
これも当事者に言わせると、高性能であればあるほど
口では言い表せないような微妙な操縦者のカンというか、
コツがものを言う、という代物であったようです。
名機と言われた零戦がそうであったように、
誰が操縦しても上手く繰れるというわけではない、というのも
当時の航空機一般に言えることだったかもしれません。
あるパイロットはこのように言っています。
二式大抵を名馬にたとえるならば、これを乗りこなす名騎手が必要で、
騎手としての心構えとその馬の癖をよく呑み込んでおかねばならない。
この馬は走り出したら他の馬をぐんぐん抜いてトップで走るが、
こまったことに発信するときに、ヒヒーンと嘶いて前足で立つのである。
騎手をふるい落として走るのだ。
しかし、このじゃじゃ馬を乗りこなし、完璧に御することができたとき、
操縦者は世界でも有名なこの稀なる名機に乗って闘ったことを
誇りに思い、これを心から愛したのでした。
ブーメラン戦隊ジミンガー〜「特命!民主予算を執行停止せよ!」蓮舫
民主党のジミンガーシリーズを先日連続して書きましたが、
「ジミンガーピンク」であるところの辻元清美については書きませんでした。
というのも辻元議員が
「慰安婦問題がアメリカ議会で決議されているというのに、
安倍政権は河野談話を破棄するつもりなのか」(そうはさせん)
ということを大阪弁でまくしたてたその日の午後、
あの中山斉彬議員の「神質疑」があって、
「当時朝鮮半島では警察官や役人の80パーセントが朝鮮人であり、
強制的な連行など起こりようがなかった。
慰安婦問題は朝日新聞が捏造して火をつけたのがきっかけである」
ということが新聞記事を元にして明らかにされてしまい、
国会の中で「論破」されてしまったので、
むしろそちらのことをエントリに挙げる必要があるとおもったからです。
それにしても、その後順次国会に出てくる民主党議員が、
出てくる議員出てくる議員すべて
「与党だった民主のやったこと、やらなかったことを棚に上げて自民を批判」
するので結果として全員がブーメランで討ち死に状態になってしまっているのを、
わたしは痛切な思いで(←嘘)見守っています。
「ブーメラン戦隊ジミンガー」の隊員はもしかしたら民主党全員かもしれない。
少なくとも48人くらいはいそうだから、これからは「BSJ48」でもいいかしら。
さて、辻元清美については語らなかった「ジミンガー女子部」ですが、
ここに「超大物」が登壇し、予想以上の大ブーメランで自爆してくれました。
全く、ネタをどうもありがとうございました。
その蓮舫議員でございます。
口癖というか名言が
これは必要なんでしょうか。
時間の無駄ですので早く答えてください。
この中から省けるのは、ありますか。
私の質問に対してだけを答えてください。説明など求めていません。
いやー、いい性格してますわ(笑)
この人を見ていると思うのですが、この人は一体何のために議員になったのでしょうか。
民主党や社民党、共産党の皆さんにはおおざっぱにいうと
「天皇制を廃止し自衛力を放棄して日本の主権を他国に委譲し、統治していただく」
という明確な目標があるわけですね。
しかしこの人の場合、たとえば外国人参政権には反対の立場を取っています。
その反面、中国に行って日本の歴史教育を批難してみたり、外国人献金を受け取って、
ついでに外国人と思しき人間と不倫をしていたようなのです。
「参政権反対」は、ほとんど飾りというか、
グーグル原口始め民主議員のブルーバッジみたいなものなんでしょうか。
つまりは、
「ああいえばこういう言語感覚だけは優れているが、
日本をどうしたいという政治信念は空っぽで、
それゆえ特定外国人勢力利用されるがまま」
という議員だったと判じるのが一番近いのではないかと思います。
(今は大臣ではないので利用する側も前ほどの旨味はなくなって、国会で言われていた
『会うだけで百万もらえる』というような美味しい献金は無くなったかもしれません)
眉間に皺をよせ、もっともらしい深刻な様子で実はあまり中身のない質疑をし、
それをもって「わたしはできる」と高い自己評価をしているらしいことも、
漏れ聞くさまざまな逸話に象徴されています。
ファッション雑誌にそそのかされて国会内でシャネルを着て写真を撮り、
「議員活動の記録のため事務方の示唆で」とうそをついた事件がありましたが、
実はその時の雑誌記事のキャプションにあったのがこの文字。
「女性初の総理大臣も否定しない」
・・・・・お前は本気で言っているのか。
考えただけで背筋が寒くなりますね。
いくら日本が落ちぶれても「日本に帰化するとき絶望した」
なんてことを公言するタレント上がりを宰相に戴くことはありませんわ。
万が一あったとしてもわたしが全力で阻止する。
このときの蓮舫はおそらくついに大臣になって得意の絶頂だったのでしょう。
すっかり舞い上がってその気になってしまっていたとはいえ、
こんな発言をして後からどう言われるかをちらっとでも考えなかったんでしょうか。
マスゴミに騙された馬鹿な東京都民によってトップ当選したことを
「ワタシの実力」
と思ってでもいなければ出てくるセリフではありません。
あの、あまりにも有名になった世紀の暴言、
「二番じゃダメなんですか」
も、つまりは颯爽とした政治家(ビジュアル的に)を演じている陶酔から生まれた
幼稚なヒロイズムが彼女をして口走らせた「失言」であったという気がします。
一人の政治家としてたとえ自分が国民から恨まれようと、
この仕分けが真に国益につながると信じ、
あえて泥をかぶる真摯な覚悟のひとつもあったのなら、
決してこんな傲慢なセリフは吐けるものではないでしょう。
さて、そんなこんなで政権交代し、国会質疑に立った大物ジミンガーが、
もれなくブーメランが刺さりまくって民主党の存続も危ぶまれる最中、
果敢にも質疑に登壇した蓮舫議員。
やってくれました。
以下、例によって悪意を込めた抜粋です。
茶色が蓮舫議員。
「民主党政権の予算のどの部分が水膨れなんでしょうか」
アベ「ばらまき4Kのうち民主党が凍結しなかった2Kと
農業個別保障と高校実質無償化は手続き上継続しました
(が徐々に対応していきます)」
「野党のときにばらまきだからといって批判しているのに継続したのはなぜか」
アベ「我々もおかしいと思っているが変えていくにも周知する時間が必要だから」
「おかしいと思っているのに予算を継続するのはおかしい。削減するべきだ。
それに削減と言いながら復興予算と防衛予算が増えている」
麻生「選挙が年末で、年度ぎりぎりに予算編成がスタートし、
全て詰めることはできなかったから」
「時間が無かったから切りやすいところから切ったんでしょ?
地域対応経済活性化予備費をバッサリ切っていたが、
これは麻生さんが作られた政策です。それをバッサリ切って『徹底した無駄を省く』
と総理がいうのは(麻生さんにとって)あまり気持ちのいいものではないんじゃないですか」
麻生「経済があまりお分かりになっていない新聞記者も同じことを言っていましたが、
良くお分かりになったうえで聞いておられるんだと思いますが(汚物を見る目)
あの時はリーマンショック後だったので私はつけましたが、
今は状況が違う。以上」
「よくわかりました」
「気持ちのいいものじゃないんじゃないですか」
とまで煽っておいて、論破されたらそれか。
「安倍総理が野党のとき声高に主張していたバラマキとか民主党の無駄は
予算編成のときに時間がないことで継続し続けるしかなかったということですね?
(勝利宣言)
日本の財政は硬直化しています。
政策批判などしている場合ではない。
財政健全化のために考えを共有しなければならない。
政権交代したからといって前政権のやり方を変えようとして混乱するべきではない。
前政権がやったら無駄だというのはおかしい!」
これ、政権交代した時に自分たちがさんざんやってましたよね?
早々に麻生政権の予算を執行停止。何でもかんでも停止。
これすべて子ども手当、高速道路無料化、高校無償化などの財源確保のため。
つまりマニフェストの人気取りバラマキ政策のためでしたね?
「復興予算会議で『使途の厳格化』を決めたというが、
不適切な復興事業を執行停止するつもりはありますか?
私はこの問題についていつも追いかけてきました。
民主党政権下でどうしてこのような事業を執行してしまったのかと思うことがある。
我々は反省をしているが、
被災地とは関連の無い事業がまだ行われています。
山口にあるパチンコ店、
家電量販店、お土産屋、安売りスーパー、
ここに建築物節電対策資源事業費が配られています。
あれ?蓮舫って、震災の後「節電大臣」っていう胡散臭いポストにいなかったけ?
つまり自分でやったんじゃないのこれ?
これは山口県(安倍総理の地元)栃木県(茂木大臣の地元)総務大臣の地元、
行革大臣の地元などで配られています。
被災地で修復していないところがあるのになぜこちらに財源が行くのか」
茂木「民主党政権時代に民主党が基金化したんで、我々がしたんじゃねーわw」
「あの、何度も言います!
私達が間違った予算を組んだことは私は猛省をしなきゃいけないと思います。
だけれども実際に今なおそれで動いている事業があるので、
執行停止していただきたいということを再三言わしていただいてるんですね。
つまり前政権が作ったから仕方ないと切り捨てたら行革って進まないんですよ。
私達は政権を取ったときに前の政権の無駄を洗ったら相当批判されました。
時間がたつほど癒着があるから抵抗勢力もあるからです。
それでも間違った予算は正していくのが時の行政改革の役割です。
森大臣、野党のとき『復興予算の流用をやめて被災地に使ってくれ」
と質問されましたが、全国で予算の流用による森林整備が行われている。
この現実をどう思いますか」
森「民主党政権下で基金が計上され執行された結果そのような予算の
使われ方になっているということを大変残念に思います。
安倍政権になって、事態が激変しないように留意しながら、被災地に
予算が使われるように取り組んでいます」
「基金は執行停止できます。なぜそれをやらないのか」
森「蓮舫さんの大臣になられた内閣で作られた政策でありますけれど、
私達福島の人間は被災地への復興予算が流用されたことで心を傷つけられました。
すぐ執行停止するという影響を考慮しながら正常化に努めています」
「パチンコ屋さんへの節電施設の整備が執行停止することによって
どんな影響が出るんですか?
それを『執行停止しろ』と根本大臣に言うのが森大臣の仕事じゃないでしょうか」
森「蓮舫大臣今森林整備の話をされていたと思いますけど突然パチンコの
質問になりましたけど・・、それは所管の大臣の仕事です。
被災地のために安倍内閣は仕事をしております。
百の言葉よりも一つの結果を出そうということで・・・前政権の
負の遺産を背負いながら
精一杯やっております!!」(拍手)
ここ、すごかったですよ。
最初は慎重にゆっくりした口調で答弁していた森まさこ大臣、
自分たちがやったパチンコ屋への予算の流用について、言うに事欠いて
「それを執行停止するのがあんたの仕事だろ」
とやった本人に言われ、明らかに激しく憤って、ここは物凄い早口になりました。
そりゃ、福島出身議員としてあれだけ国会で地元の被災者のために、
ある時は涙を流しながら民主政権の無茶苦茶な震災対応と戦ってきた
森まさこ議員が、よりによって震災対応中作業服のエリを立てて
コンビニ視察をしていた蓮舫にこんなことを言われるとは・・・・。
しかし、森大臣の精一杯の皮肉も、この襟立て女には通用しなかった。
「あの、わかりません。
前政権の負の遺産があるということを私は猛省を込めて指摘
をしていますから。
復興担当大臣にちゃんと相談をすれば執行停止という措置がとれるから、
停止措置を取っていただきたと言うのに、答弁でなかなかお答えを戴けない」
以下、復興予算が適正に使われていない!精査しろとひとしきり。
自分たちでむちゃくちゃな予算を立てておいて、政権交代したら
「なぜ執行停止しない!」って食って掛かってるわけです。要は。
「猛省している」と言いさえすれば、自分たちの失敗を是正できないことに対して
ここまで居丈高になっていいってか?
むしろここは「なんとかしてください、お願いします」
と頭をさげるべきじゃないでしょうか。
もし猛省しているというのが本当ならば。
そして質疑は佳境へと・・・・・・・。
「安倍総理、水膨れした予算を徹底的に洗っていただけないでしょうか!?
そして、被災地に使っていただきたいというのが私の要請です」
アベ「まさに皆さんのときに造られた仕組みなんでして・・・・
首をかしげておられますけど、皆さんが作ったんですよね?
反省してるんですから。
皆さんのときにこの基金を作ったわけですよね?
この仕組みを作ったのは皆さんですよね?
反省しないんですか?
・・あ、それは反省してるんですよね。www
反省しているうえにおいておっしゃっているんだと思います。
ですから我々の政権としては
皆さんの作った負の遺産を背負っているんですよ。
その中においてしっかりと基金については所管大臣の責任の下で、
適切に執行されるものと期待しておりますが、会議と財務省との協力で
それらの調査並びに適切な執行を求めていきたいと思っています。
さっき、山口県とか、我々の地元の県のことを挙げられましたが、
全く関係のない話ですからね?
我々がまるでそこに利益を持って行ったようなイメージ操作を、
アナタ、しようとしてるんでしょうけど。
まず第一にみなさんがやったということはきっちりと反省していただいて、
その上で我々は予算の執行について厳正に対処していくということは
申し上げておく」
「あのー、何度も言っていますけど反省しているのは前提です。
それとイメージ操作を使用とかそんなことは全く考えていません!
一国の総理大臣がそういうフリップ一枚で反応していただきたくない!
(議席から笑いおきる)
全国でそういうことがあるという事例で出させていただいただけです!」
いやここどう見ても「イメージ操作」でしたけど。
全国どこでも予算の流用が行われているのなら、わざわざ山口県や
復興大臣の地元ばかり写真パネルにする必要あるんですかね?
反論されると「一国の総理が・・・・」って、それ、卑怯ですよ。
このほかにも、よほど自分が大臣のときに突っ込まれて、
ファッション写真撮影の件で謝罪に追い込まれたことを恨んでいるのか、
わざわざ森まさこ大臣の献金についてあたかも不正があるかのように
「収支報告書の提出を約束したのに二週間たっても出さない!」
と鬼の首を取ったように言い募っていましたが、森大臣には
「受け取ったのは公設秘書からの任意のもので合法です。
それらも収支報告書に記載されています。
理事会がまだ開かれていないから出していないだけです」
と、うっすらと憫笑を浮かべてあっさり言い返されて追及失敗。
蓮舫さん、あなた大臣時代外国人献金で突っ込まれてませんでした?
あれ、どうして何事もないように終わったの?
知らなかったから?返却したから?
それにしてもなんという切れ味の特大ブーメランを投げるのでしょうか。
しかも、それを言えば「あんたたちのやったことだろうが」
と全方位から突込みが入ることが火を見るより明らかな。
というわけで、蓮舫の質疑を一言でまとめると、
「民主党がした予算を仕分けしなければいけない!」
なんですが・・・・・。
あれ?
「仕分けの女王」ってあだ名の人が確か民主政権にいたような・・・・。
ブーメラン戦隊ジミンガー〜「息をするように嘘をつく」徳永エリ
二日も続けてジミンガーなぞ見とうもないわ、
二式大艇シリーズの続きがあるかと思ってわざわざ開けてやったのに、
と思った方、すみません。
わたしもそう思いますが、何しろ時事問題は旬が命。
話が盛り上がっているうちにアップしないと何の意味もありません。
エミリーシリーズは明日からまた続きを再開しますので
よろしくお願いします。
芸能人(みのもんた)の元付き人。
元テレビリポーター、元雑誌記者、元飲食店(バー)経営。
それぞれの職業にはまあ社会通念上何の不都合もありませんし、
偏見を持たれる筋合いのものでもないと言えますが、
これらが一人の国会議員の前歴であったとしたら、
あなたはこの議員にはたしてどんな印象をお持ちになるでしょうか。
今日ご紹介するジミンガー女子部、
「ラチヒガイシャカゾクガー」
こと徳永エリ議員が、そうです。
インターネットでニュースを見ておられる方は、この議員が国会で
162名の国会議員が靖国神社の春の例大祭に参拝したことを
「拉致被害者の家族が厳しい目で見ている」
と非難し、逆に安倍首相と古谷大臣から
「聞き捨てならない。誰に聞いたのか」
と逆に問われたものの答えられなかったこの顛末をご存知でしょうか。
この徳永議員の中身のない、しかし左翼にありがちな
「中国、韓国目線のメディア(特にテレビ)のテンプレにありそうな質問」
について、しかしながらとりあえず公平な判断をするために、
いつもの通りこの部分の質疑をそのまま書き出してみます。
麻生副総理は政権のナンバーツーであるのでその影響は大きい。
韓国が不快感を示し、外相の訪日を取りやめた。
尖閣への中国監視船が今まで最多の8隻も領海侵犯した。
皆さんの立場を超えたナショナリスト的な考えが
外交上の利益を損なっている。
わたしは大変に懸念をしている。これは参拝の影響なんです」
麻生「領海侵犯をしていることを是としているのはいかがか。
間違えないでいただきたいが、あそこは日本の領土であって、
法を犯しているのは向こうであることをはっきりさせていただかないと。
それから、世界中で祖国のために尊い命を捧げた人に、
政府が最高の栄誉を持って敬することを禁じている国はない。
わたしは祖父に連れられて学校を中退、じゃなくて早退して行って以来、
4月10月の例大祭には国民として必ず参拝している」
徳永「情勢とかタイミングというものがあります。
手を合わせる気になればどこでもできるではないですか。
領海侵犯をさせたことが問題なのです。
韓国、中国と協力して拉致問題を解決する立場の古谷拉致担当相が、
国益よりも自分の思いを優先する。
これ、いいんでしょうか?」
(小首をかしげて。はっきり言ってキモい)
古屋「国会議員として英霊に哀悼の誠を捧げるのは当然のことです。
私は初当選から22年間、春、夏、秋の参拝を欠かしたことはない。
その一環で参拝をした。
しかも、公務に影響のない日曜日の午前中に参拝した。
当たり前のことをしただけだ」
徳永「参拝したことが公務に支障をきたしている。
北朝鮮自由集会のための訪韓は非常に大事だが、訪韓しないのか」
古屋「(笑いながら)誤解のないように申し上げます。
内閣の一員として安全保障会議は常に対応しておかなくてはいけない。
そういう時に防衛大臣や国家公安委員長が日本にいないというわけにはいかない。
ですから今回の案件とは全く関係ない話なんです。誤解しないでいただきたい。
今度初めてニューヨークで、日本が主催する拉致問題の委員会がある。
わたしが主催者なのでそちらを優先せざるを得ない」
徳永「ま、そこを韓国とはなぜ調整できなかったのかとおもいます。
訪韓は重要ではないかと私は思う。
韓国との連携が拉致問題を解決に大事である」
(徳永選手、人の話を全く聞いていません。
だから、ニューヨークの委員会の方が大事だって言ってんだろーが)
徳永「今年1月11日の産経新聞インタビューで古屋大臣は、
アジア諸国で北朝鮮と国交のある国と積極的に連携していくと答えている。
この国交ある国とは中国のことですよね。
その中国からも靖国参拝に対して不快感をあらわにされている。
この点に関してはどう思うのか?」
古屋「まず韓国での集会は私達が主催しているものではない。
韓国の民間団体が主催しているもので、我々はゲストスピーカーの立場だ。
それと北朝鮮と国交のある国というのは中国以外にも、
東南アジア諸国にたくさんあるんです。
そういう国とは積極的に連携しています。
中国のことだけを言っているが、違うのではないか。
産経でも、そういうアジア諸国との連携について申し上げた」
徳永「まーあのいずれにせよですね。
拉致被害者家族の方々は実は非常に、まあマスコミベースの話ですから、
いまご説明を受けて誤解したところもあるかもしれませんけれども、
落胆しているとの声が聞こえてきている。
はい。
こんなことでしっかりと拉致問題の解決に取り組んでくれるんだろうか、
という声も上がっているが、その点はどうなんでしょうか」
古屋「委員に聞きますが、それは今度の閣僚が靖国参拝したことについて、
家族が批判をされているということですか?」
徳永「反応ということです」
古屋「いや。それはまったく、ちょっと聞き捨てならない話ですよ。
ええ、それは誰なのかお名前を言って下さい。どなたか」
徳永「・・・・・・・・・それでは総理にお聞きます。
いずれにせよこの靖国参拝問題が中国や韓国に対して
影響を与えたということは私は否めないと思っている。
この点どう考えますか」
安倍総理「その前に申し上げておきますが、
拉致被害者の方々が懸念を表明されたというのは極めて重要な質問です。
どなたがそれを言われたか?
これはやはり予算委員会ですからちゃんとして頂かなければ、
質問者としての信頼性、民主党としての質問なのですから、もしいい加減な、
言ってもいないのに言ったというならば、これは大変なことですからね。
それは明らかにして頂かなければおかしいですよ」
(質疑席から徳永委員手を挙げて『明らかにします』)
「外交というのは、あらゆる手段が取られるものです。
尖閣は歴史的にも国際法的にもわが国固有の領土であるが、
我々の主張を崩そうと中国はしているわけであって、そのうえで
さまざまなことを言って来たり、宣伝をしたりしてくるわけであります。
その中において我々はそれに屈しないという態度を取っている。
靖国が抗議をし始めたのはいったいいつか?
ノムヒョン時代が顕著で、それ以前にはほとんど無いのです。
なぜ急に態度が変わったかということも調べておく必要がある。
中国もそうだ。
いわゆるA級戦犯が合祀されたときも総理の参拝について抗議していない。
ある日突然抗議をし始めた。
尖閣も1985年以降急に抗議を始めている。
国のために尊い命を捧げた英霊に対して尊崇の念を表するのは当たり前であり、
我が閣僚においてはどんな脅しにも屈しない自由は確保してしている」
徳永「では中国と韓国が不快感を示しているのはどう対応するのか」
(議場あちこちから笑い声が起こる。
徳永さん・・・・・・人の話、聞いてた?)
安倍総理「徳永さんですね。徳永さん。(憐れむような目)
日本の国にある靖国神社の英霊に対してお祈りをする、
それについて、
批判をされることには何も痛痒を感じずに、
批判されたことに対して『それはおかしい』と思わないことが
おかしい
と、私は思いますよ。
これは我々はあくまでも国益を守る、そして私たちの歴史や伝統の上に立った、
私たちの誇りを守るのは私の仕事であります。
それをどんどん削っていけばいい、関係がうまくいくという考え方の方が、
私は間違っているとはっきりと申し上げておきたいと思います。」
国会で「落胆しているとはどの家族が言ったのか」
と二人に尋ねられても徳永議員は答えませんでした。
安倍総理に尋ねられた時に徳永委員はとたんにキョドっています。
「『こう言っている』『こういう話も聞く』『事情通の話によると』
などという曖昧な伝聞の形で意見を表明する。
本当にそんな事実があったかどうかということは全く検証、ソースなし、
なぜなら自分がそう言っているだけだから」
という、マスゴミの常套であるこの論法をそのまま国会質疑に流用したのも
彼女の「腐っても元業界人」たるゆえんでしょう。
しかも悪質であったのは、拉致被害という我が国の主権にかかわる重大な事案を、
靖国参拝批難に利用したことです。
考えようによっては、永田議員の偽メール問題より悪質ではないでしょうか。
徳永さん、質疑の最中からガンガンメールや電話でクレームが来たらしく、
次の日のブログでなかなか居丈高に言い訳しています。
今日も、予算委員会が開かれています。休憩で事務所に戻ってきました。先ほど、自民党の北川委員にも昨日の私の、質問について指摘をされました。それに、総理が等弁し「捏造」という言葉を使われました。「捏造」の意味は、事実でない事を事実のようにこしらえる事であります。公共の電波を使って、個人の名前を出し名誉を著しく傷つけるような事はしてはならないことなのではないでしょうか。昨日の委員会の議事録です。皆さん、それぞれにご判断下さい。
○徳永エリ君 いずれにせよ、拉致被害者の家族の方々は、実は非常に、まあマスコミベースの話ですから、今ご説明を受けて、少し誤解をしているところもあるかもしれませんけれども、落胆をしているという声が聞こえてきています。こんなことで本当にしっかりと拉致問題の解決に取り組んでくれるんだろうかという声も上がっておりますが、その点はいかがでしょうか? ○古屋国務大臣 委員にお聞きしますけど、それは、今度の私ども閣僚が靖国を参拝した事に対して家族が批判をされているということですか。○徳永エリ君 反応ということです。○古屋国務大臣 いや、それは、全く、ちょっと聞き捨てならぬ話ですよ。是非それお名前を言ってください、どなたか。
というもの。拉致被害者を支援している同僚議員から、「一連の韓国や中国との関係、問題、影響しないだろうか?」と心配する声が出ている、それを話して欲しいと言われたので、お話ししたと言う事です。そして、こんなことで本当にしっかりと拉致問題の解決に取り組んでくれるんあろうという声も、上がっていますと言うのは、私たち議員もメディアも含めて色々なところからという意味です。冷静に、裏事情や、それぞれの弱い立場も考えてご判断下さい。そんなことは一番良くわかっているはずの、閣僚が以上に反応する事の方が問題ではないでしょうか?私だったら「ご心配なさっているとしたら申し訳ない。しかし、影響のないように拉致担当大臣として、しっかり取り組みますし、靖国参拝に関しては必要ならば直接ご家族にもご説明に上がりたいと思います。」と申し上げるでしょうね。
徳永さん。ちょっといいですか?
読みにくーい!(笑)
我慢して読んだ方、どう思われます?
要は
「誰から聞いたとは言えない。というかいう必要はない。
そんなことに反応せずにさっさと靖国参拝を家族に謝れ」
って言ってるんですね。何故謝らないといけないかわかりませんが。
はっはっは。
しかしどうでもいいけどこの人、本当にライターだったんでしょうか。
変換間違いはわたしも時々(しょっちゅう?)やってしまいますので
あまり人のことを言えたものではありませんが、
誤字脱字以前に、この人の文章の句読点の打ち方、かなりヘンじゃないですか?
よく、日本人として生まれ育っていないと、
自然な句読点の打ち方は感覚的に身につくものではないといいますが・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・あっ。
しかし、このエラソーな言い訳がブログに載った後、肝心の拉致被害者家族会が
このような声明を出して、徳永さんの退路をすっぱりと絶ってしまいました。
もし、徳永議員が意図的にではなくとも、
国民に対し誤解されるような質問の材料に
「被害者家族」の名前を使われたとしたら誠に遺憾である。
本日、本会役員による確認の結果
前述のような「感想」を抱いている家族会メンバーは確認できなかった。
更に言うならば、現安倍内閣における「拉致問題解決」に向けたスタンスを
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会としては支持しているのが現状であり、
不満を感じている拉致被害者家族会メンバーはいないと思われる。
また、これまで被害者救出のためにご尽力いただいた支援者の方々に対しても
誤解を与えるような質問をしたことに対して被害者家族として近々に説明を求めたい。
この拉致問題は超党派で取り組んでいる状況下で、
こういった質問に何の意味があるのか、また、どういう意図があるのかを含めて
徳永議員には、本会と国民の皆様に対して説明する必要があると考える。
・・・・・・あーあ。やっちゃいましたね。徳永さん。
「わたしなら靖国参拝についてご家族に直接説明にあがりたいと思います」
ってブログに書いてますが「直接説明にあがる」ことを
あなたが家族会から求められてますよ?
これ、行くんでしょうね?行きますよね?
この後、徳永議員はブログもフェイスブックも速攻で消して「逃亡」してしまいました。
そして、4月27日現在。
彼女の味方は、おそらくブログ文中の「同僚議員」であろうとされる、
特定日本人の有田ヨシフ!
韓国の大手新聞、中央日報!
有田議員は「一国の首相がこんな断言(嘘をついている)をすることは異様だ」
と安倍首相を批難。
中央日報は安倍首相の「歴史歪曲」を批判したうえで、「まるで罪人扱いだ」
と徳永議員を擁護しました。
・・・これ、どちらにも擁護されちゃ困るというか、擁護がとどめになっているというか。
いずれにせよ、この件について安倍総理が驚くほど激しい調子でツイートしています。
安倍 晋三 はっきり言います。徳永議員は嘘をついている。
拉致被害者をこんな形で利用するのは許せません。
誰が言ったのかと聞いた時の彼女の狼狽が何よりその嘘を証明しています。
やはり民主党は息を吐くように嘘を言うのか?
安倍 晋三 国民の皆様に民主党の実態を見て頂きたいと思います。
シェア宜しくお願いします。
安倍 晋三 もう民主党は社民党化してます。
言うか北朝鮮労働党の友党だった社会党でしょうか。
恐らく、テレビニュースでは報道しないであろう民主党の醜態をYOUTUBEでご覧ください。
息を吐くように嘘を言う、と言うのは、インターネットの世界においては
某民族の民族特性として認知されている言葉ですが、これを使うということは、
もしかしたら安倍首相かその秘書あたりが、
ネットにおける「某国批判」に結構な頻度で目を通しているのかもしれませんね。
しかし、徳永エリ。
こんな人がよく国会議員になれたなあ、とあきれてしまいますが、
それより今回の質疑では、安倍首相の答弁に思わず胸が熱くなりました。
「日本人の誇りを私が守る」「慰霊を外国が非難するのは間違っている」
こんな当たり前のことが今までの首相には誰一人として言えなかったんですから。
「日本は統治時代に韓国にいいこともした」
と言っただけで大臣の首が飛んだんですよ。昔は。
それと同時に、すでに中国や韓国が今までのように
「対談をしない」「訪日を取りやめる」
などという手で恫喝しても、全く今の日本には「効かない」ことに焦りすら見せています。
つまり、わたしは考えるのですが、日本が経済的に強くあることは、
ある一定までは巨億の軍事力に匹敵するくらいの「力」、こういった外国の
「不当な恫喝」「不当な圧力」を跳ね返すだけの「武力」となるのです。
現に韓国は「靖国参拝に対する非難決議」を出すことすらできませんでしたね。
配慮に配慮を重ね、日本人の誇りを足蹴にしてまで中韓に阿り続けた民主時代、
かえって両国との関係は向こうが「遠慮しなくなった」だけ悪くなりました。
こちらが一歩引けば一歩踏み込んでくる。そんな相手だからです。
先日、呉善花氏(知日派の韓国人。韓国から『親日派』として入国拒否された)
と安倍首相が会食をしていたというニュースを見て、もしかしたら安倍首相は、
呉氏や、もちろん金美齢さんのような「知日外国人」に、外交に当って必要な
「民族特性」「付き合い方」「対し方」「御し方」
などの知識を仕入れ、研究しているのだろうかと思いました。
とにかく、連休が明けたら本格的に徳永エリに対して何らかの措置が
国会、そして拉致被害者家族会などで検討されそうですね。
うふふ、た・の・し・み!♥