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ある海兵隊パイロットとその妻の話(前半)

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2013年というともう何年も前のことのような気がしますが、
1年半前なのでやっぱり気のせいではなく随分前のことになります。
当ブログでもご報告した岩国の海兵隊基地訪問記で、彼らのうちに遊びに行ったことだけ
なんとなくそのときに書き残したまま日にちが経ってしまいました。

海兵隊の話題になるたびになんとなく思い出していたのですが、
今日ふとお話しする気になったので、お付き合いください。


うちのTOがアメリカで留学した大学には、日本にもいわゆる同門会があり、
日本に仕事で立ち寄ったりあるいは縁あって住むことになったアラムナイ
(alumuni・学校のOB、OGのこと)のために定期的に会合を持っています。

アメリカ人を始め外国から来たアラムナイと日本の卒業生の懇親会のようなもので、
いわゆる「外人受け」するような催し、築地市場を見に行ったり、花火大会に行ったり、
というようなイベントが企画されることが多いのですが、そこで出会ったのが、
海兵隊のホーネットドライバーを夫に持つ女性、レイラさんでした。

・・・・え?

たしかそのときはアンジーとか言ってなかったかって?
はい、ブラッドというのがドライバーの名前だったので、つい実在のカップルの名前から
拝借してきたのですが、その後アンジェリーナ・ジョリーの方が嫌箱入りしてしまったので(笑)
というか男性は本名だったのか、と気づかれた方は速やかにスルーしてください。
軍機ですから。

というわけで、一度上げた写真で、今日はおさらいをしておきます。
レイチェルさんがTOと話をしていて、

「わたしの夫はマリーンでF-18のパイロットをしているの。
息子さんがいるのなら家族で基地にぜひ遊びに来てちょうだい」

とお誘いを受けたTOは、

「その件については息子より妻の方が興味を持つだろうと思う」

と、わたしのために海兵隊基地訪問を実現させてくれたのでした。
上の写真は、彼の飛行隊のスコードロンマークで、もともとのキャラクターである
コウモリの意匠を、在日部隊の典型的な象徴である旭日と絡ませたもの。

これは木のテーブルに彫り込んだものですが、基地にはかつてここに駐在した
飛行中隊のマークが数多く飾られていて見ることができ、その約35%に
日本駐在の印として旭日があしらわれているのにわたしは気づきました。
全く、旭日旭日と大騒ぎする何処かの国の人に、在日米軍に一度文句をつけてみろ、
といってやりたいですね。

何処かの国と違ってアメリカ軍というのはかつて日本と戦争していた当の相手で、
その相手が今や「イケてること」至上たるスコードロンマークに使いまくってる、
これは一体どういうことなんですか?
どうしても文句を言いたいのなら在日米軍にも言うべきでは?と。



廊下に剥製が飾られているなんてまるで学校みたいですが、
スコードロンマークがコウモリなのでコウモリの剥製。
なんかこういうセンスが日本人とはちょっと違うなと思ってしまったりするのですが。



ロッカールームを見学した時、息子に耐圧スーツを着せてくれているブラッド。

わたしなど民間人で、自衛隊の方々ほど在日米軍との付き合いがないせいか、
こういう光景を見ると、というかアメリカ軍の軍人と一緒にご飯を食べたりして
親しく付き合うと、わたしなどふとその間も、70年前のアメリカ人と日本人が
こんな未来をもし知ったらどれほど驚くだろうか、などという他愛もないことを
ついつい想像せずにいられません。

もしお互い70年前に生まれていたら、間違いなく殺し殺される国民同士だったのに、
今、ここ日本でこんな風に友好している・・。

当時の若者たちはよく「悪い時代に生まれた」と自嘲するように言ったようですが、
今の我々と何が違うかというと、ただ生まれた時代だけなのです。

生まれた時代が不幸だった、生まれた場所が不幸だった。

よくぞ当時でなく現代に、政情不安でテロの続発する場所はなく平和な日本で
子を為したものだとただ、自分の幸運を喜ぶとともに
これからも息子を戦地にやる母親が日本に生まれるようなことが決してないようにと
心から祈らずにいられません。



ロッカールームでは他の人の耐圧スーツやヘルメットも興味深く見学。
この真ん中のヘルメットですが、どう見ても日本の面ですよね?
フォークみたいなのが突き出しているのが謎ですが。



飛行隊の作戦会議室にデカデカとかけられていたポスター。
こういうのを面白がって飾ってしまうのがアメリカ人らしいというか。
ブラッドに意味を知っているかと聞いてみたらなんと知らないと言ったので、お節介にも
中国語でアメリカの侵略者はきっと負けるって書いてあるよ~と教えてあげました。
きっとブラッドは仲間に教えてあげて、彼の飛行隊は中国人に対して一層印象を悪くしたでしょう。

どう見てもベトナム戦争時代のポスターであることを言い忘れたけどまあいいや。



こんな風に本ちゃんの軍人さんが航空模型を操っているのを目の当たりにすることができて感激です。

ところでブラッドのしているかっこいい時計、軍支給でしょうか。
やっぱり耐圧の専用時計があったりするんだろうか。



アメリカ人の悪趣味というか悪ノリ好きが遺憾なく現れている会議室のドア。
ここは彼らのブリーフィングルームの後ろにある小さな二つの小部屋のうちの一つで、
それぞれのドアには中国国旗とこのイラン国旗がペインティングされており、
先ほどのベトナムのポスターは「中国の間」に飾ってありました。

議題によって部屋の使い分けをするのかどうか聞きそびれました。



部屋を出たところにあった各自の「マイカップ」掛けボード。
汚い~!
リリアンさんが呆れたように「ボーイズ・・・」とつぶやくと、

「わたしはちゃんと洗ってますよ?」

とブラッドが一生懸命言い訳していたのが可愛かったです。



それから、基地内にある零戦の格納庫を見学させてもらいました。
昔海軍の飛行基地だった頃の掩体壕が銃痕の痕も生々しくそのまま保存されています。

ここには航空基地の他に終戦間際には海軍兵学校が分校として間借りしていたそうです。



中には映画「零戦燃ゆ」のために作られた零戦52型がこのように格納されています。
空いたスペースには日の丸に書かれた寄せ書きや写真など、日本海軍についての資料がありました。

ところでここの鍵を開けてもらうために下士官の到着を待っている間、ここにも懲りずにやってくるらしい
基地反対派の『市民団体」の話になったときTOが、

「ああいう人たちのバックには中国共産党がいる、というのが彼女(わたし)の説で」

とふともらしたところ(もらすな)、ブラッドが妙に真剣な顔をして「そうなの?」と
聞いてきたという話をしたことを覚えておられる方もいらっしゃるかもしれませんね。
その後、ここの海兵隊基地の偉い人が全く同じ発言をして、案の定基地の外の人とマスゴミが大騒ぎ、
という事件があったのは記憶に新しいかと思います。

このニュースを見た時、まさかとは思うけどこの時の会話が発端になったりしてないよね?
と思わずドキドキしてしまった小心者のわたしでございました。



この後格納庫のホーネットF-18を実際に見せてもらいました。
ブラッドがここは撮らないようにね、と言ったところでは、
ホーネットのエンジンがむき出しで置かれていました。

そして、絶対撮影禁止のホーネットのシミュレーターを体験。
わたしたちの中で一番まともに操縦できたのは息子でした。
ブラッドは飛行機に乗らない日も必ずトレーニングとしてシミュレーターに入るそうで、
この日も午前中はずっとここにいたというくらいで、いかにこのシミュレータが
本物のホーネットのコクピット通りに作られているかということだと思うのですが、
わたしたちが全員墜落死した後、みんなで頼んでブラッドの操縦を見せてもらいました。

皆でワイワイやっていたらシミュレータのエンジニアが監視所から出てきて、

「キンタイキョウブリッジの下をくぐれ」

とリクエストするではありませんか。
普通のトレーニングでシミュレータを使うときにはそんなおふざけはできないのだが、
お客さんと一緒に遊んでいる時なら構わないだろう、といったところです。

わたしたちがわあと囃し立て、ブラッドは錦帯橋の下にトライしてくれました。
さしもの現役パイロットもようやく3回目にくぐることができたのですが、
実際は橋桁がもっと低いのでおそらく絶対無理だよね、と皆で笑いあったものです。


さて、というわけで、基地見学が終わったわたしたちを、ブラッドは飛行機の時間まで
家でコーヒーでも飲んでいかないか?と誘いました。

というか、前もここで終わったんでしたね・・。


続く。


 


ある海兵隊パイロット夫妻の結婚式(とその犬)

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一通りの見学を終わって、ブラッドが「飛行機の時間までうちでコーヒー飲んでけば?」
と提案してくれたので、お言葉に甘えることにしました。
日本人らしくわたしたちがえ?そんなのいいんですか?お邪魔じゃないですか?
と気を遣ったのに対し、ブラッドは軽~く

「House is just a house」

と言ったのがなんかおかしかったです。
彼らの家は、基地からわずか5分くらい車で行った高台の住宅街の、
いわば「普通の日本家屋」でした。

玄関を開けたら上がり框があって、入ってすぐ廊下があって、応接間の横に和室があって・・、
というあのお馴染みのタイプの家屋です。

もちろん基地の中にドミトリーがあるのだけど、職場と家は切り替えたい、
という二人の考えで、外に住むことになったそうです。
こういう風に考える軍人は結構多いものらしく、この家も前の借主は
やはり海兵隊の軍人家族だったということを言っていました。


わたしたちがとまどったのは、日本家屋の玄関のたたき、普通ならそこで靴を脱ぐところを
ひょいと階段のように上がって靴のまま入ってしまうことで、全員がそこでえ?と
立ち止まってしまい、二人にそのままでいいよ~と促されて中に入りました。

そして、お留守番していた彼らの愛犬が上がり框までお迎えしてくれました。



和室にダイニングテーブルを置いてそこで食事、日本人がダイニングテーブルを
置きそうなスペースには何も置かず、その分ソファーのスペースが広くとっています。

同じ間取りなのに、アメリカ人が住むとこうなるのか、とちょっとした驚きでした。
そして畳のダイニングのところも靴で歩いてしまうというあたりも。
日本人ならスリッパすら憚られる(畳が傷むから)ところですよね。



ブラッドはいかにもイヌ好きなタイプだなと思っていたのですが、やはり。
この犬(時間が経ったので名前を忘れてしまいました)はもともとブラッドの飼い犬だそうです。
わたしたちのためにキッチンに立ってコーヒーを入れてくれているブラッドを
期待の眼差しで見つめる犬。

耳が垂れているのに短毛で精悍な体型のこの犬、なんていう種類でしょうかね。

とにかく、彼はアメリカ生まれで、子犬の時日本に連れてきたのだそうです。



ところでキャリーさんはブラッドがシミュレーターに入っている間車であちらこちら
基地を案内してくれていたのですが、そのときにブラッドとの結婚式について

「サーベルのトンネルをくぐっている写真があるから後で見せてあげる」

と言ってくれていました。
もしかしたら、家に呼ぶことは最初から二人の間で決まっていたのかもしれません。
ほとんど初対面の人間を家に招じるくらい信用するというのは、ひとえにTOと
大学のアルムナイ同士であったということに他ならないと思います。

それはともかく、その二人の結婚アルバムを見せていただきました。
写真を撮ることも許可済みです。
ブログにアップするとは断っていないので顔隠しで。

この表紙らしい写真の飛行機、何でしょう?



出た、アメリカ人の好きな写真ポーズ。
ジェシカさんはアメリカ女性の中でも少数派に属する「ものすごくスマートな人」で、
体型的にはジョン・F・ケネディの息子の奥さん(ファッション関係者だった)の
キャロラインという人に雰囲気が似ているタイプ。
つまり美人です。

ある集まりで偶然出会ってブラッドが一目惚れしたとのこと。



そうそう、これが見たかったのよ。
教会から出てくる二人をサーベルのトンネルが・・・・・
・・・・まあ、飛行中隊なのでずらりとというわけにはいかなかったようだけど、
いや本当にかっこよろしいなあ。

自衛隊員と結婚した人も、メスジャケットなどをお召しになった新郎が
かっこいいので新婦はもちろん新婦の友人大感激、というものらしいですが、
このときのブライドメイド(花束を持っている新婦の友人、左のブルーのドレス)
たちは新郎友人にときめいたりしたのではないかと勝手に思ってみたり。

ちなみにこのブライドメイドの衣装も、結婚式の雰囲気を決する重要なファクターなので、
新婦と友人たちはこれにこだわりまくります。
これを決める様子を毎回三組ずつカメラで追う番組がアメリカにはあるくらいで。

さすがに彼女の友人は美人さんが多いようで、このような難ありスタイルの人には
難しそうなデザインと色も、綺麗に着こなしています。
ブルーはやはり海兵隊のブルードレス?と思ったのですが、ブライドメイドのドレスは
「サムシングブルー」で圧倒的に青が多いのです。



結婚式会場の上空をおめでとう飛行するF-18ホーネット。
すごいですよね。
一回の飛行にとんでもなくお金がかかるらしいということはわかりますが、
それを(さすがに編隊飛行ではないにせよ)出してくれるとはさすがアメリカ。

それぐらいせんでなんのアメリカ軍か、というわけでしょう。



皆に祝福を受ける二人。
ブラッドの左胸にはウィングマークがありますね。
ちなみに彼は軍人になろうとは全く考えておらず、エンジニアになりたかったそうです。



棚の上に飛行機の模型が(笑)

彼らは結婚して3年目でしたが、まだ子供を作る時期ではないということで、
日本では犬との三人暮らしでした。
もしかしたら日本に赴任している間は色々と大変なので(彼女の不便とか)、
アメリカに帰るときまで我慢するつもりなのかもしれないと思われました。


また、キャロラインさんの親族には軍関係の人物は一人もいなかったため、
「軍人の妻」の立場に未だに慣れていないという部分があり、特に夫が危険な仕事をしていることについては

「考えないようにしている」

とのことでした。 



時間が来てお宅を辞する時、ブラッドがわたしたちにくれたお土産の一つ。
ペナントやコップのカバー、メダルなど、マーク入りの品ばかりです。
Tシャツは2枚あって、わざわざ基地でわたしたちのために買い求めてくれたのだと思うと感激でした。 



ところでこのわんちゃんなんですが(笑)
カメラ目線でしょ?
このあとなぜかわたしのところにまっしぐらにやってきて、熱烈歓迎。

昔から犬猫に妙になつかれるという体質を自負するわたしですが、
ここでもまたものすごく好かれてしまい、もう舐めなさる舐めなさる(笑)
とりあえず外に出ている部分、肘から先は満遍なく彼の唾液まみれです。

舐めるって、本当に犬の歓迎のしるしなんでしょうね?
と疑わしくなるくらい、わたし一人が集中して「舐刑」(舐めの刑)にあいました。

TOも息子も普通に犬好きなんですが、わたしほどではないので、
動物ってそういうのがわかるのかな、と度重なる彼らの歓迎にあらためて思った次第です。



ブラッドはさようならのとき、わたしに向かって敬意溢れる態度で、

「ハグさせて」

といい、ハグ(息子とTOは握手だけ)をして別れの挨拶をしました。


優しく、かっこよくていかにもパイロットらしい精悍な男性と
やはり知性溢れる美人の(しかもブロンド)カップル。
まるでアメリカのドラマに出てくるような絵になる二人です。

「もし息子ができて自分と同じ道を選ぶといったらどうする?」

という質問には、知的な人たちらしく

「彼がそうしたいと言うならそれは彼の意思なので尊重する」

と答えていましたが、とりあえずそれについてはこだわらないそうです。 

ブラッドの部隊はこの後すぐ外地に行く予定になっており、そのあとも
二人が一緒に居られる時間はあまり多くない、ということでしたが、
この美しい夫婦と、将来彼らの間に生まれてくる子供達ががこれからも幸せでいられるように、
アメリカと彼らの上に何事も起こらないでほしいと、心から今も祈らずにいられません。




 

人民海軍はブルーウォーター・ネイビーの夢を見るか 

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相変わらず本題以外のことに寄り道している当ブログですが、
今日は腰を据えて?海軍兵学校同期会で行われた、元海幕長の講演の内容をまとめてみました。
しかし、後から読み直してみたところ、実際に元海幕長が述べた内容の、ごく一部を
例によって当方の興味にまかせて膨らませてしまったりしているため、実際の講演では
おっしゃらなかったことがかなり含まれていることをご了承ください。



さて、演者の元会場幕僚長は、ここ水交会の専務理事でもあります。
講演に先立ち、

「もし海軍兵学校が継続していたら、私は100期ということになります」

と前置きして、講演を始めました。
本日のお題は、「中国の海洋進出」。
わたしはまったく同じ題で、3年ほど前に同氏の講演を聞いているわけですが、
あれから国際情勢は少し変化しています。
ベクトルはまったく変わっていないだけでなく、むしろ深化しているだけとはいえ、
講演の内容にも当然なんらかの変化が見られるはずです。


●中国の海洋進出の目的

簡単に言ってこの目的とは、海洋資源と海上交通の確保です。
資源については周知の通り、尖閣付近に海洋資源があることがわかった1970年から
急に領有を主張しているので、あまりにもわかりやすい意図で見え見えなのですが、
何しろあの国は「言ったもん勝ち」とでもいうのか、たとえば南京大屠殺とやらも
10万人単位で数だけ増やしてそれと比例して声も大きくなっているわりに、
新たな証拠や検証結果などはまったく出してこないのが、「お隣の国」韓国の、

「我が国がそう言っているんだから竹島はわが国のものだ」
「慰安婦がそう言っているんだから強制連行はあった」

という独自のロジックに基づく理論展開と極似していて、さすがは宗主国であると思わされます。
この辺りのお話でもっとも印象的だったのは、

「中国の国土面積は日本の25倍であるが、海岸線はわずか5分の1」

という事実で、あらためて驚きました。
さすがに島国日本、そのおかげでEEZ、国土の海岸面積から200海里以内を
経済水域とする基準でいうと、その広さはなんと世界第6位となるんですね。

目的としてはもちろん、「本土防衛のための防御縦深拡大」があります。
「縦深」という言葉には馴染みがないですが、軍隊で、最前線から後方に至るまでの縦の線の意です。

 

日本列島から出てくるように引かれた二本の線ですが、
左側を第一列島線、右を第二列島線と称しています。
称しているのは中国で、日本ではありませんので念のため(笑)

この勝手に引いた列島線を中国はつまり

「対米防衛線」

だとしているわけですね。
この第一列島線の内側には日本列島の一部、つまり尖閣諸島が含まれていたので、
当時日本国民は騒然となりました。(一部の人々のぞく)

例えばこの図でいうと、

第1列島線 AA(A2とも)アンタイ・アクセス アメリカを接近させない

第2列島線 AD エリア・ディナイアル アメリカを地域から追い払う

という戦略のために作り上げたラインです。
追い払うとか近づかせないとか、何を勝手なことを言っているんだ、
この線の内側には完璧に日本の領海もあるじゃないかと思った方、その通り(笑)


中国は目標の一つに「海洋強国」をあげていて、そのためには、24時間衛星やドローンで
中国の動きを逐一見張り、不法行為を行おうとした瞬間事前攻撃を仕掛けてくる、
「憲法9条」を持たないアメリカが大変邪魔なわけです。

そのため、強大な人民海軍を建設することを目標に、中国は倍々で軍事費を増加しており、
現在の日本の国防費5兆円に対し、17兆円、実質はその2倍になると言われているのです。

そして航空母艦を建造し、潜水艦を増やしているのですが、元海幕長に言わせると
「遼寧」というこの空母は艦載機も未習熟であり、むしろ警戒するべきは潜水艦だとのことです。
そして潜水艦の建造も着々と進んでいるのですが、問題は性能。

この点日本の潜水艦はバッテリー推進の性能、静謐性において現在世界一の性能だそうで。
保有隻数も従前16隻であったのを、22隻まで増やす予定だそうです。



ところでなんで日本の領土なのに、中国が列島線戦略でアメリカアメリカと言っているのかというと、
つまり中国が本当に恐れているのが、日本ではなくその後ろのアメリカだということなんですね。
これは元海幕長がおっしゃったのではなく、わたしが今そう思っただけなんですが、
もしアメリカが前述のように監視していなければ、中国はもっとやりたい放題するはずです。

日本のサヨクを抱き込んで、沖縄で米軍基地の反対運動をしょっちゅう起こしたり、
(日当が出ているらしいですね。どこからお金が出ているのかな?) 
住民票の操作、選挙管理に不正をしてでも沖縄の知事に親中派の人物を押し上げたのみならず、
先日はわざわざ中国に「朝貢」というか忠誠を誓わせるために呼びつけていますね。
ついでに色々とあてがって、しっかり弱みも握ったんでしょうね、きっと・・。

こんなことからも、中国はまず日本からアメリカをなんとかして
「引きはがしたい」のが、手に取るようにわかりますね。


●ブルーウォーター・ネイビー

という言葉をご存知でしょうか。
反対語というか対義語は「グリーンウォーター・ネイビー」といいます。
ブルーの方は、日本語では「外洋海軍」といい、自国の沿岸に留まらず、
世界の各海域で広域的かつ長期的に艦隊を運用し、作戦を展開できる能力を有する海軍で、
これに対し、自国沿岸でのみ作戦展開する海軍が「グリーン」の方です。

現在、世界ブルーウォーター・ネイビーを保有するのはたった3カ国。
アメリカ合衆国、イギリス、そしてフランスです。

フランスが意外なのですが、フランス海軍というのは完成度が高く(歴史もあるし)、
イギリスの王立海軍に引けを取らないのだそうです。
もちろんいうまでもなく、我が大日本帝國海軍も、ブルーウォーター・ネイビーでした。

つまり、かつてのブルーウォーターネイビーは、世界三大海軍と言われた、
アメリカ、イギリス、日本3カ国の海軍であることになります。

現在の海上自衛隊は、憲法の関係でグリーンにカテゴライズされますが、
シーレーン防衛を戦略目標とし、策源地への攻撃能力を有しないものの、
広域的に艦隊を洋上展開し、艦隊並びに護衛する商船団を防衛するに十分な防御力を有していて、
「実質ブルーウォーター・ネイビー」というべきでしょう。

そして現在の中国が目標にしているのがブルーウォーター・ネイビーなのです。

「沿岸から1,500海里以上の遠方海域を制圧可能な能力」

を保有することをめどにしていて、ジブチの海賊対策にも積極的に出動していますが、
これは、国際貢献というより「実戦に習熟して海軍力をあげるため」であるという見方が専らです。

せっかくいいことをしているのにこんなことを言われてしまうのも、
日頃の行いがあまりよろしくないせいで、これは仕方のないことかもしれません。
そういえば佐世保の海自基地に向かって叫んでいた左翼団体のHPには

「海自の派遣は血に飢えた自衛隊の野望がどうしたこうした」

と書いてあったのを思い出しますね。
いったい海賊対策派遣のどこが「血に飢えた野望を満たすため」なのかと、
あの文章を読んで首をひねったものですが、中国海軍の下心を反映したものである、
と考えるとわかりやすいかもしれません。

韓国が試合に負けたり何か自分たちに都合の悪いことが起こると「日本が金をばらまいた」と
大騒ぎするのが、おそらく自分たちの行為の投影であるように。
 
ちなみにその韓国ですが、装備自体は外洋海軍になりつつあるものの、
その海軍の本質的な戦略目標や海軍の運用能力から、

(所詮)地域海軍の域を出ない。

とされています。

蛇足ですが、「ブラウンウォーター・ネイビー」というのもアメリカにはあり、
これはイメージ通り、河川や沿岸部を担当範囲とする部隊を指します。


海上自衛隊は三大海軍だった頃の「海軍力」を文化として引き継いでいますので、
実質そうではなくとも実力的にはブルーウォーターネイビーであるわけですが、
中国の場合はいかにもその辺りが未成熟で、元海幕長に言わせると大きな図体をした赤ん坊、
といったところだそうです。

2013年1月、海上自衛隊の護衛艦「ゆうだち」に対して、中国海軍のフリゲート艦「連雲港」が、
火器管制レーダー(射撃管制用レーダー)を照射した事件がありました。
それだけでなく、翌月の2月に、こんどはフリゲート艦「温州」が、海自の「おおなみ」の
艦載機であるSHー60哨戒ヘリに、同じ火器管制レーダーを照射しました。

射撃管制用のレーダー照射、というのは、まさに引き金を引けばズドン、の状態なわけです。

中国側からは「軍の暴走ではないか」という意見も出たそうですが、指揮系統からいっても
それはありえない話で、実際にも共産党の意を受けた中央軍事委員会の決定であると判明しました。

これははっきりいって、自衛隊が(というか日本が)なめられていたといってよく、
海上自衛隊は安易に火力で反撃してこないと"信頼"して実施されたと言われています。

元海幕長が実際にアメリカ海軍の軍人とその話をしていたところ、

「自分が当事者であればレーダーの照射があった時点で先に攻撃している」

と述べたそうです。
このほかにも、防空識別圏の設定や、航空機の異常接近など、とてもネイビーとして
「イケてない」、つまり図体ばかり大きくても洗練やましてや「三大海軍」などには
到底ありえない田舎海軍の振る舞いをしている間は、ブルーウォーター海軍への道は遠いと言えます。



●円満時代から敵対時代へ

昔は中国海軍と自衛隊の間はそう悪くはありませんでした。
韓国海軍と自衛隊の交流が今でも行われているように、防衛交流として
例えば士官候補生を乗せた人民海軍の練習艦が江田島を訪問し、そこで交流を行いました。 

【特集】 中国海軍 広島訪問の5日間


晴海埠頭にも「深セン」が入港したこともありますし、2008年には「さざなみ」が
日本の護衛艦としては初めて中国の湛江に寄港し交流するという出来事もありました。

しかし、上に述べたような常識の欠如した振る舞いを海軍が共産党の意を受けて
自衛隊に挑発するように仕掛けてくるようになり、事態は悪化し、
現在ではそういった交流の一切が遮断されているのが現状です。


●ベトナムという国

確か、前の講演会でも元海幕長はベトナムに学ぶべきであると言いました。

1979年、大量虐殺を行っていたカンボジアのポルポト政権に対し、
軍事侵攻によってこれを壊滅させたのに怒った中国が、

カンボジア侵攻に対する懲罰行為

と称してベトナムに侵攻してきて起こったのが

中越戦争

です。
しかし、ベトナムはこのとき中国軍を返り討ちにしました。
その5年前のことになりますが、1974年にはベトナムは

西沙諸島の戦い

で、ベトナム戦争の末期で大変苦しい状態にありながら、
中国の軍事侵攻に対し一歩も引かず、戦っています。
結果としてベトナムはこの戦いにも、南沙での海戦にも負け、
どちらもを中国に奪われる結果となってしまったのですが、
強大な相手に立ち向かっていく、国土を守るために決して泣き寝入りしない
この国の誇り高い気概からは学ぶものが多い、と元海幕長は言いました。

わたしも全く同感です。


●集団的自衛権


つまり、一言で言うと、「事態は全く好転していない」ということで、
中国が進出の野望を捨てる可能性がなくならない限り、我々は
海上防衛力の強化とたゆまぬ警戒監視、そして日米同盟の強化により
軍事バランスを取って抑止力とするしかなすすべがないということでもあるのです。

そこで集団的自衛権なんですが(笑) 

ところで、株式会社カタログハウスの「通販生活」という通販雑誌がありますね。
そこでしか買えない商品もあり、機能的で優れた品質のものを扱っているというイメージで、
なんだかんだと買っているうちにわたしはお得意様番号まで持つようになったのですが、
いつの頃からかこのカタログの読み物が気持ち悪くなってきました(笑)

チェルノブイリの子供たちに対する支援などを呼びかけているうちはよかったのですが、
特に民主党政権時代あたりから露骨に「オルグ雑誌」の様相を呈してきて、
最新号の対談はなんと、

「安倍総理が目指しているのはいつでもどこへでも自衛隊をおくり出すことです」
(これがタイトル)
柳沢脇二・落合恵子対談

ですからorz

柳沢という元官僚がどういう人物かは調べていただければわかると思いますが、
例のISIS人質事件の時に「安倍総理はやめるべき」といっていた人間、といえば
だいたいどんな傾向の人かわかっていただけますでしょうか。
フェミの代表で典型的な9条信者である人とこの人物を選んだ時点で、この読み物には
公平な視点というものが全くないということになってしまうのですが、
とりあえず我慢してざっと読んでみました。

まあ色々と尤もですが、(説明が足りないとか実際に行かされる自衛隊員のことを思えとか)
ないんですよ。一言も。「中国」という言葉が一度も出てこない。

日本以外の武力の脆弱な国、先ほどのベトナムもそうですし、チベットやウィグルや、
そういったところには侵攻や弾圧を加えている国が、我が国の領土に食指を伸ばしている。
なぜ日本に対してそれ以上のことが起こらないのか、というとそれは日米同盟なんですよ。

これは元海幕長も同じことを言っていましたが、決して憲法9条のおかげじゃないんです。

日本の後ろにやったら勝てない敵がいる、だから今まで手が出せなかっただけなのに、
この人たちはごく一部の情報をもとに

「集団的自衛権の行使は日本が前のめりになっているだけで米国の要救ではないんです」(柳沢)
「日本も血を流すべきという人がいますが、その意味を真剣に考えたことがあるのでしょうか」(落合)

などととんちんかんなことを言っているわけです。
おまけに要求を『要救』とか間違えているし(笑)

で、落合さんはアメリカ軍人が日本のために血を流すのは構わないって意見でおk?

本来の集団的自衛権というものは、同盟国などの関係にある国が相互に
侵害を排除するという双務的(どちらもが義務を負う)もののはずですが、
今の日米同盟はこれでいうと片務的なものです。
何かあった時に日本のために血を流しているアメリカ軍を幇助することすらできないわけです。

左翼の人たちは一足飛びに血を流す流さないの話をしたがるわけですが、
国家間の話し合いに戦争の手段を日本が取ることは「ありえない」のですから、
これはどう考えても「最悪の場合、どこかが攻めてきたら」の仮定でしょう。

その仮定において、自分が血を流すことを想像できても、アメリカ人が血を流すことは
全く想像できないと。そういうことですかね?

そして柳沢君、「米国の要救」でなかったら、なぜそれは必要がないことだと言い切れるのかね。
まず主権国家として当然負うべき義務であるなら、米国から言い出されなくても
当然それを果たすために日本が動いて当然だ、とわたしは思うのであるが。

そして、お二方の対談にすっぽりと抜けている「中国」という国にとって
この権利が抑止力として機能し、結果、平和が均衡として保たれると考えたことは?

・・・・ないだろうなあ(笑)

●いずも

さて、だいたい上のようなことを講演した元海幕長は、
後半からの懇親会にも出席し、その冒頭でちょっとした補足を行いました。

「先日ヘリ搭載艦『いずも」』が就役しました。
軽空母くらいの大きさで、物理的には戦闘機も載せることができます。
しかし、これは絶対に空母ではありませんし、空母にはなりません」

笑いを含んで言葉を収めた元海幕長の表情に、

「どこかの国が攻めてくるようなことがない限り」

という言わなかった言葉を聞き取った元海軍軍人たちの間から、かすかに笑いが漏れました。



続く。




 

 





護衛空母「ガンビア・ベイ」~ "THE LITTLE GIANTS"

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昔、当ブログを開設した年にアップしたこんなエントリがあります。

駆逐艦「藤波」のこと

サマール沖海戦で重巡「利根」に撃沈された米海軍の護衛空母、

ガンビア・ベイ(USS Gambier Bay, AVG/ACV/CVE-73)

の海に漂う乗員に対し、無用の攻撃をせず甲板から彼らに敬礼を送り、
そのあと撃沈されて全員が戦死した駆逐艦「藤波」のことを、
「ガンビア・ベイ」の生存者が

私は世界の人々、とりわけ日本の人たちに駆逐艦「藤波」の乗組員のことを知ってもらいたいのです。
これら乗組員たちの、見事な行為を知ってほしいのです。

という手紙を日本に送ってきたということを取り上げたものでした。
このとき、偶然記事を目にした遺族の方が二人コメント欄に連絡を下さったことで
(一人は『藤波』が収容していた『鳥海』の乗員の関係者)わたし自身大変感激したものです。

今日はこの「ガンビア・ベイ」と護衛空母(Escort carrier )について、
例によって、空母「ホーネット」艦内の資料展示の写真を挙げつつお話ししたいと思います。 

まず冒頭写真の、地獄絵のような「ガンビア・ベイ」の総員退艦の様子をご覧ください。
艦腹に無数に降ろされた救助ロープを伝って、前の者と間も分かたず海面に逃れる乗員たち。

所々に高く上がる水しぶきは、ロープが間に合わず甲板から飛び込んだ身体があげたものか、
あるいはこの間も続いている日本軍の攻撃によるものでしょうか。

すでに左舷に向かって傾いている艦体の後部からは劫火のような炎が黒煙と共に噴き上がり、
この瞬間にも、爆発が構造物の何かの破片を空中に四散させています。
艦内は一つのハッチを通じて、すでにその中は火炎が燃え盛り、内部にはもう既に
手のつけようもない状態になっていることが窺い知れます。

海面に逃れたものは次々と救命ボートに泳ぎ着くのですが、
すでにあふれんばかりになってしまったボートの上に上がるすべもなく、
ただ呆然と、その縁に手をかけてしがみついている様子です。


当ブログのエントリで取り上げた「鳥海」の黛治夫艦長の戦後の証言によると、
「ガンビア・ベイ」乗員は「鳥海」の攻撃によって総員退艦となったとき、
「冷静に縄梯子を下りる順番を待っていた」そうですが、確かにこの様子からは少なくとも混乱は見られません。

ただ、

「無用の殺傷を避けるために船体の中央を狙った」

という証言と、この絵の様子とは少し違うようにも思われます。
黛艦長の言い方だと、ひとところから脱出していたように取れますが、
実際には中央からも続々と将兵たちが海面に降りていますね。

実際に「ガンビアベイ」の致命傷になったのは右舷後部への着弾で、
艦隊の最後尾にいて栗田艦隊の集中攻撃を浴びた「ガンビア・ベイ」には、
雨あられのように砲弾が向かってきたそうですから。



こちら絵の全体像。
右手向こうの水平線に見えるのは栗田艦隊の艦でしょうか。
海面に逃れる乗組員たちの傍でも容赦なく砲弾が炸裂しています。
絵の題名は

”REEDOM'S COST ”(自由への代償) 

 

アメリカ人らしいといえばこんなアメリカ人らしい言葉もありますまい。
彼らにとって戦争とはアメリカの自由を守るものであり、そのためには
血を流すことが義務であるというわかりやすい信念を、アメリカという国は
その建国の成り立ちからDNAに刻み込んできたのです。

アメリカ人のいう「フリーダム」には、「自由」というそのものの意味とともに
「独立」という理想がイコールと言っていいほど色濃く含まれます。
いかなる他国にも侵害されない権利、自主独立の権利。
自身が独立戦争によって血を流し建国したが故にこの信念を高く掲げ続けてきたのがアメリカです。

そのアメリカが、日本に勝ったあと、日本から「自主独立の権利」を奪ったということに、
わたしは多くの日本人がそう思う以上に、米国の日本に対する「精神支配」をみるものです。

何が言いたいかちうと(笑)、 つまりアメリカは日本から

「血を流して得られる独立」

 

を選ぶ権利を奪ったということなのです。
それが尊いと自ら信じている行為を、日本から"は"剥奪したということなのです。 

こちらは血を流さずともアメリカが守ってくれるって言ってるんだからラッキー!
とか言っている人は、血を流す権利すら剥奪されていることの本当の意味から
目をそらされているに過ぎない、とわたしは思っています。

アメリカがそれを日本に与えたのは、決して日本人の命を重んじたからではなく、
国ごと日本を「別の何か」に作り変えたかったからだと思っています。
それは少なくとも自分たちの目指しているような独立国家とは別の違う国に。

さて、というような話はここまでにして(笑) 



この日、ガンビア・ベイのマストにあった星条旗。
沈みゆく巨艦から 脱出した乗組員によって持ち出されました。



この展示室にあった巨大な「ガンビア・ベイ」の模型。
ガンビア・ベイは当初 AVG-73 (航空機搭載護衛艦)として計画されましたが、
1942年、 ACV-73 (補助空母)に、翌年再び CVE-73 (護衛空母)へと、
1943年の就役までに運用状況に応じて何度も分類が変更されました。


例年このカイザー造船所は16隻の船を海軍に納入していましたが、1943年の目標を
海軍が2隻引き上げて18隻にしたため、造船所側は起工からわずか171日という
記録的な日数で「ガンビア・ベイ」を就役させてしまいました。
このため、「ガンビア・ベイ」は目標の18隻を上回る19隻目の艦となり、
彼女は造船所の「ボーナス・ベイビー」と呼ばれたそうです。



このときのカイザー造船所にはこんな目標が与えられたそうです。

「目標、18隻かそれ以上、44隻まで」

目標より少しでも多く、だ。
なぜ44隻なのかなんて野暮なことはいいっこなしだぜ。(って感じ?)

就役後「ガンビア・ベイ」はマーシャル諸島で「エンタープライズ」に航空機を
輸送する任務に就き、1944年6月にはサイパン島、テニアン島攻略に参加し、
その間に呂-36を撃沈するなどしています。




アルバート・ロスは沈没した「ガンビア・ベイ」の航空整備員でした。
総員退艦の後、ロスは44時間漂流して命を救われ、その後は「ホーネット」
(今この展示がされているまさにその)に勤務した後、戦後はコロラド大学で
メカニカルエンジニアリングの学位を取得しています。

ここにある模型はロス氏が製作し、ここに寄贈したものです。

しかしロスさん、若い時は超イケメンですなあ。



1944年10月25日、サマールに展開していた第77任務部隊第4群第3集団の一艦として、
最後尾を航行していた「ガンビア・ベイ」が、「大和」を旗艦とする栗田艦隊と遭遇、
集中的に攻撃を受けたのは朝8時10分のことでした。

この写真は護衛空母「キトカン・ベイ」から撮られたもので、やはり護衛空母群の
「ホワイト・プレインズ」(CVE/CVU-66)とともに航行している時で、
「ファンショウ・ベイ」(USS Fanshaw Bay, CVE-70)がバックに写っています。



この写真は今しも「ガンビア・ベイ」を攻撃した4発が巨大な水柱が上げた瞬間を
やはり「キトカン・ベイ」艦橋から撮ったもので、
甲板の上の「キトカン・ベイ」乗員が呆然といった感じで、攻撃される僚艦を見つめています。

レイテ湾の戦いは、第二次世界大戦最後の大規模な海戦となり、
このときに戦った日米豪海軍艦艇は282隻、投入された人員は200万人に及びました。

しかし、アメリカの軍艦で砲戦によって沈没したのは、「ガンビア・ベイ」ただ一隻だけです。



なんだなんだ、いきなり「サッチウィーブ」かい?

とわかってしまったあなた、今更ですがすみません。
なんかここにいきなり現れたんですよ。サッチウィーブが。

「Thach Weave」は米海軍のジョン・サッチ中佐が編み出した対零戦対策の戦法で、
ペアで一組となり零戦に相対する場合、サッチウィーブは、機織り(ウィーブ)のように
互いにクロスするようにS字の旋回を繰り返すことで、
たとえ駆動性に優れた零戦に後方を取られても、僚機がその敵機のさらに後ろに付き、
効率的に戦闘ができるというやり方でした。



ジョン・サッチ中佐(たぶん)。
この絵のクォリティといい、ここにわざわざ解説があることといい、激しく謎です。
どなたか「ガンビア・ベイ」とサッチ中佐の関係をご存知ないですか。



立派な金属の銘板には、金文字で

「アメリカ合衆国海軍護衛空母で救助に当たった男たちに捧ぐ」

という表題の後、なかなか詩的な?碑文が続きます。

彼らはアメリカの隅々からやってきた
草原から、産地から、大都市から、海辺の町から、北から南から西から東から
彼らは季節雇いの船員などではなく、最初から遠くに航海する護衛空母の男になった

戦火に憤り怒れる大波に翻弄されて、彼らはすぐさま、戦時のセイラーになったことを知る

敵艦と対峙してそして勝ち、世界中の海で敵の潜水艦と戦iい、神風特攻の猛攻に苦しみ、
アフリカの北や沖縄の揚陸を支援し、航空機を運び航空機を供給して、
彼らの誰もが聞いたこともない太平洋の嵐や大西洋の強風と戦った

彼らは決して尻込みしなかった
彼らの国を救うためにやってきて、そして二度と海から故郷へ戻ることのない者もいた
これらの艦上の男たちの何人もが、誇り高き救助を行いそして帰って来なかかった
 
リスカム・ベイ(11/24/43) ガンビア・ベイ(10/25/44)  ブロック・アイランド(5/29/44)

オマンシー・ベイ(1/4/45) セント・ロー (10/25/44) ビスマルク・シー(2/21/45)

これらの男たち、これらの艦が、名誉、勇気、忠誠、そして無私の奉公によって
アメリカ合衆国を救ったことをもって、彼らを尊敬すべき愛国者として列する

彼らの偉業は後世にわたって記憶されん


こんな感じでしょうか。
ここに挙がっている6隻の艦はいずれも戦没した護衛空母ばかりです。
 
護衛空母とは、帝国海軍でいうと「大鷹」「雲鷹」「海鷹」「神鷹」「冲鷹」
(冲鷹は移管前に戦没)の「鷹」シリーズ、「あきつ丸」「熊野丸」などで、
いずれも商船を改造して造ったものでした。

アメリカでも目的は船団護衛、航空機輸送を目的としたもので、小型・低速の空母を
「護衛空母」(escort carrier)として艦種を分類していました。
 アメリカ海軍における護衛空母の艦種コードは「CVE」です。
これは空母を表すCVに護衛(Escort)の頭文字を付加したものなのですが、

燃え易い(Combustible)
壊れ易い(Vulnerable)
消耗品(Expendable)

と案の定中の人たちからは自嘲されていたようです。
また「ジープ空母」、「赤ちゃん空母」などとも呼ばれていましたが、いずれにしても
簡単な改造で多数送り出された商船改造空母を揶揄した響きには違いありませんでした。



護衛空母かく戦えり、といったところです。
この文章にもありますが、アメリカの艦艇があの戦争をいかに戦ったかを語るとき、
必ずそこには「カミカゼ」と「潜水艦」という文字があるのに気づきます。
いずれも戦後、過小評価しようとする一派によって不当にその戦果を貶められる存在ですが、
当のアメリカがいかにこのどちらもを恐れていたかはこのような文章にも表れています。

過小評価といえば、「ガンビア・ベイ」を沈めた時の栗田艦隊の砲撃についてもそうでした。
 
相手が正規の空母ではなく、さらには正規の機動部隊でなかったことから、

”戦後、戦史研究家を自任する一部「有識者」が、日本海軍の砲術技量そのものにまで、
底意地の悪い疑いの目を向け”(都竹卓郎)

たり、あるいは敵艦隊の目撃者から「われわれより劣る」「不正確であった」
などといういわば悔し紛れの評価がそのものにたいする印象となったりしたことです。

しかし、Wikipediaにも、例えば「利根」が408発の主砲弾のうち7発命中させた、
つまり全力で避弾運動をしている艦に対する1.7%の命中率は高いものである、とあるように、
この時の海軍艦の砲術技量は決して劣ったものではなかったことが証明されています。



ところで今回のエントリのために一連の関係資料を見ていて、思わず「そうだったのか」
と気づいたことがありました。
栗田艦隊謎の反転の始まりとなった事象は、敵機動部隊が栗田艦隊から北100kmの地点、
「ヤキ1カ」に存在するという電文が届いたことでした。

この「ヤキ1カ」という言葉。

ああああ・・・いや、昔、「ヤキ1カの偽作電」さんというIDネームの方がおられましてね。
そのときには何のことだか全く見当がつかず、お尋ねしてみたのですが、
栗田艦隊のくの字もおっしゃらなかったので、以前謎のままだったのです。

今日になって初めてその意味がわかりました。
「ヤキ1カの偽作電」さん、その節は無知ゆえ失礼をいたしました。
謹んでお詫びを申し上げます。

って「ガンビア・ベイ」と何も関係ないし(笑)




みどりの日のディナー

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東京の丸の内にあるフォーシーズンズホテルのメインレストランは
今年に入ってずっと改装工事をしていたのですが、それが完成したので、
さっそくディナーを楽しんでまいりました。

少し息抜きにおつきあいください。



規模としては大きなホテルではないのですが、5つ星で、
在京ホテルの中ではマンダリンオリエンタルとともに我が家の評価の高いホテル。
どんな風に変わっているのか楽しみです。

エレベーターを降りたところのインテリアも変更あり。



開業当時はフロントがこのフロアにあり、この部分から右側が
全てフロントスペースのソファなどになっていましたが、
一階にフロントを移し、ソファスペースをティールームのようにしていました。

今回の改装で、このフロア全部を飲食のスペースにしてしまい、
左をダイニング、右をバー&ティーコーナーにしつらえたようです。



ダイニングスペースも大幅にリモデル。
花瓶に生けられた満天星 (どうだん)が広がりを感じさせます。



バーテンダーも変わったそうです。
どんなカクテルでもイメージだけ頂ければ作ってみせるということだったので、
まずはグレナデンを使ったノンアルコールカクテルを注文してみました。
通されたテーブルはもっとも上席であるコーナーで、東京タワーが見えます。

グレープフルーツを使って甘さ一辺倒にしていないのが大人、なお味でした。




しばらくお料理は大皿の上に敷かれたリネンの上にサーブされます。
プリフィックスコース、まずはタマネギのキッシュ。
熱々で火傷しそうなキッシュは、タマネギの甘みが生きていました。



実はこの少し(3日)前に、お昼にお茶を飲みにきたのですが、
そのときにもこの木の枝にクッキー?を引っ掛けて持ってきました。

見かけからは何か想像もつきませんが、要は練り物系天ぷらです。
これも熱々で、噛むとフキノトウのほろ苦い味がしました。



見ればわかる。ウニですね。
息子はウニカニの類が大嫌いなのですが、これは食べていました。
普通の味付けでは食べられないものでも、創作したものであれば口にできるようです。
オクラのとろりとしたジュレの中に浮かぶウニをすくって食べるのですが、
お味はともかく大変食べにくかったです。
ウニの殻に入っていなければぐいっと一飲みしたい感じでした。

安物のウニは型崩れを防ぐためにミョウバンを大量に使うので、
苦くて妙な味がするものですが、ここのはもちろん塩水ウニといって、
ミョウバンを使わず塩水で保持しているものですから美味しかったです。

北海道出身のアドバイザー(シェフのことかどうかはわからず)が、
今調理を担当しているので、素材も新鮮なものばかりということでした。



このカップが出てきたときに息子が、

「このカップ、ホテルの客室に置いてあったコーヒーカップだ」

といいました。
確かにそうです。
ホテルの部屋でコーヒー紅茶を淹れて飲むために備え付けのものなのですが、
なにしろデミタスサイズなので不便で堪らず、わたしたちは
お茶を飲むときわざわざ大きなカップを持ってきてもらっていました。

「もしかして部屋で不評だからこっちで廃品利用することにしたんじゃ」
「・・・それはないと思う」

真偽はともかく、これはオマール海老のビスク。
フォームの上にかかっているのはカレーパウダーで、このカレー味が
オマール海老独特のちょっとした「臭み」を見事に消す役目をしていました。



お酒の飲めないわたしたちは、「白」といってもこのようなものを注文。
ぶどうジュースじゃありませんよ。
ノンアルコールワインといって、ワインからアルコールだけを抜いたものです。
ジュースのような渋みが全くなく、全くワインのような風味があります。



実は一番美味しかったのがこのお皿。
ただのサラダのようですが、アスパラガスを細かくナイフで刻み、
お皿に乗せられた3種類のゴマやソースで味の変化をつけていただきます。



ウェイターが銀色のドームをばーん!と開けてこれが出てきたので驚きました。
ホッキ貝です。
そういえば北海道の漁港で、ホッキ貝専門食堂のホッキ貝のカレーを食べたことがあるなあ。
今にして思えば、ホッキ貝をカレーに入れるってなんてもったいないんだろうというか、
味がわからなくなってホッキ貝の意味ないんじゃね?というものでしたが。

「イメージキャラクターがホッキー君・・・・だったっけ」
「そういえば、ホッキ貝がホッケー選手の格好してましたね」
「英語でホッケーは”ホッキー”だから・・・」

などと思い出話をしながら貝の蓋を取ります。



これも泡か。
この中にホッキ貝の身が入っているわけですが、さらにその実態はリゾット、
つまり底の方にはご飯があるのだった。
貝も嫌いな息子がなぜかこれにも果敢にトライしておりました。
これだけ手間ひまかけてれば、家でも好き嫌いなくなんでも食べるってことなんだろうか(笑)

うーん、悪いが、母ちゃんそんな料理にかけている時間はないんだよ。



続いての銀色ドームを一応写真に撮るわたし。
ちなみにバケットとバターは死ぬほど美味しかったです。
しかしウェイター氏は

「パンをあまり召し上がられると、お料理の方が・・」

とおかわりを勧めませんでした。
ごもっともです。

さて、例によって恭しく三人のウェイターさんが一斉にドームを持ち上げると、



続いてのお料理は北海道でしか獲れない、カスベでございます。

「ああ、そんな歌ありましたね。カスベの女って」
「それはカスバ」

さすがは関西人、こまめに突っ込んでくれてありがとうTO。 

「へー、初めて見るけどカスベって変わった調理法で食べるのね」

と思う間もなく、



こちらがカスベでございます。
奥の立柱はジャガイモでした。 
ジャガイモだけをわざわざシルバーのドームかぶせて持ってくるんじゃねー(笑)

で、カスベって何者なのかね。

「エイのヒレのことです。北海道や東北などでは煮付けにして食べます」

お味は柔らかくて、なんというか、ハモをこってりと脂っこくした感じ。
ケッパーのと後からかけられたバターソース(冒頭写真)が合う味でした。



ここでまた再びTOがバーテンダーに無理難題を吹きかけます。
(このひとはこういうことになると情熱を燃やす傾向に)

「ウーロン茶を使ったさっぱりめのカクテルを・・」

職人肌のバーテンダー(たぶん)が、一旦できた完成品を気に入らぬ!と捨てて(!)
もういちど作り直した自信作がこれ。
確かに食事と一緒にいただくのに最適のあっさり味でした。



松の香りを肉に移すため?
今からこれを焼きます、と持ってきたカモ肉。
メインはコースによって牛肉、豚肉、そしてこの鴨肉の三種類があります。



実はこのころには十分予想されたことですが、お腹がいっぱいになってきていました。
決して大きな肉ではないのですが、食べられるかどうか不安。



付け合わせもあとから乗せてくるし(笑)
ポテトも肉も、わたしは残してしまいましたm(_ _;)m



しかし非情にもまだまだデザートが終わっていないのだった。
別腹などと言えないレベルにお腹いっぱいですが、頑張ります。



いちごのシャーベットにいちごを煮たソースがけ。
ここで終わりと思ったら、



駄目押しで出てきたケーキは日本酒のババ。
babaというのは決してお皿に書いてある「ハッピーバースデイ」とは関係なく(´・ω・`)
お酒(たいていラム酒)を染み込ませた焼き菓子のことなのですが、
これは日本酒を染み込ませてありました。



そこで運ばれてきた花束代わりのニコライバーグマン・フラワーボックス。
ケーキに火のついたローソクがさしてあって、従業員が皆でハッピーバースデーを歌うというような
恥ずかしいサービスは、ここではやらない主義のようです。よかった。

この日は祝日だった(みどりの日)にもかかわらず、レストランには我々を含め
ディナーを取っているのは3組だけで、わたしたち以外はどちらも
白人系外国人のゲイカップル(多分)の旅行者でした。



最後のお茶と共に出してくるお茶菓子。
だからもう寸分たりとも入らないんだよ!
と思いながらも、ウェイターがこのマシュマロを好きな長さに切ってくれるというので、
本来の大きさくらい、と頼んで切ってもらい、口に押し込む羽目になりました。

というわけで本年度の誕生日は滞りなく終了したわけですが、
今年プレゼントにもらったのは、・・・・・・ニコンのレンズでした。

これについてもいろいろあったので、またそのうちご報告します。



 

映画「機動部隊」~空母「ラングレー」から「サラトガ」へ

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先日ホーネット博物館の展示から空母「フランクリン」について調べたとき、
日本機の爆撃によって火災大炎上したこの空母をモデルにした映画があると知り、
早速観てみました。

機動部隊  "TASK FORCE"

というシンプルなタイトルで、ゲイリー・クーパー主演、1949年作品です。
一口で映画の内容を言うと、「アメリカ海軍空母発展史」。

このためにわざわざわたしは日本公開当時のパンフレットを購入したのですが、
その解説のしょっぱなで

「この映画はアメリカの海軍空母発達史においてその最大の恩人とまでいわれる
ジョナサン・スコットの伝記で、彼の苦悩の半生を淡々と描いている」

などともっともらしいことが書かれているので、そうなのかー、と思い、
まずそのスコットとやらの軍歴を当たってみようと調べたところ、
おいおい、どこにもそんな人物が実在していたなんて話はないじゃないの。

今はインターネット検索で、多少でも有名な人なら即座にバイオグラフィがでてきますが、
たとえば本当にジョナサン・スコットがいたのか、みたいなことひとつ取っても、
映画公開当時は、調べるのに大変な時間と手間がかかったということなんでしょうが、
問題はたかが映画の解説とはいえ、刊行物で堂々としょっぱなに筆者の思い込みが
さも本当のことのように書かれてしまっていることなんですねー。


読んだ方も、映画のパンフレットの内容を検証しようなどとは決して思いませんから、
はあそうなのか、と一瞬思ってそれでおしまい、といういい加減さ。
もちろん読んだ人はそんな知識片っ端から忘れてしまうものだとはいえ、
こういう小さな「ごまかし」「創作」がいつの間にか既成事実として喧伝されていった例って、
実は世の中に無数にあるんだろうな、といきなりしみじみ()してしまいました。

だいたいWikiにしても、特に人文系はある意図を持って恣意的に編集されていることも多いわけでね。


ちなみにこの映画が日本公開されたのは、アメリカ公開のなんと4年後である1953年。
さすがに劇中全編にわたって全ての登場人物が「ジャップが」「ジャップが」と
叫びまくりのこの映画を、終戦4年後に日本人に見せるのは憚られた・・・・・というより、
この当時は現地公開と日本上映までの間に何年かタイムラグがあるのが普通だったようです。

日本ではあまり話題にならなかったようで、wikiもないくらいですが、
アメリカでは「ハワイ・マレー沖作戦」と同じような位置付けで評価されている模様。

というのは、この映画は米海軍の全面協力を得て制作され、公式アーカイブから
ミッドウェイ海戦、攻撃されたヨークタウン甲板、そして同じくフランクリンの甲板、
なんと我が二式大艇「エミリー」が攻撃される瞬間のシーンなど、
実際の映像がふんだんに流用されているという貴重な記録映画でもあるからです。

ゲイリー・クーパーの出演(日本だと三船敏郎みたいな感じですかね)もあって、
アメリカ国民は熱狂し映画は大ヒットとなったようですが、ラジオ・モスクワなどは

「プロパガンダメッセージを興行作品に乗せるとは、まさに戦争賛美であり、
全体主義的な軍国主義を推進するものである」

と、ちょうど冷戦が本格的になった当時のソ連らしくこのように批難しました。


さて、それではいつものように画像を追いながらお話ししていくことにしましょう。



本編は白黒ですが、後半にミッドウェー作戦のシーケンスにテクニカラーが挿入されます。



どこの解説でも触れられていなかった部分に注目。
軍事指導に、S.G.Mitcell大尉、James Dyer大尉とありますが、
お二方ともウィキペディアに名前の乗るような軍人さんではありませんでした。
ミッチェル大尉の方は1953年、つまりこの映画に協力したずっと後に
空母「アンティータム」の艤装艦長並びに初代司令となったらしいという記事が検索できました。



さて、映画は戦後、主人公のジョナサン・スコット(ゲイリー・クーパー)が
トランクに自分の軍帽を仕舞う手元のアップから始まります。
その袖には2インチと0.5インチの金線が一本ずつ。
つまりスコットは少将で退役したという設定です。

元帥でも大将でも中将でもなく少将が最終位であったというあたりで、
この主人公が ”アメリカ海軍の一軍人” であると言いたいようです。



あれ、次のシーンで軍帽かぶってるし(´・ω・`)
トランクに入れていた軍帽はなんだったのか。


ゲイリー・クーパーこのとき48歳。
実年齢は退役にはちと早いかなというところですが、メイクと演技のせいで全く違和感がありません。
違和感といえば、冒頭に絵でつい描いてしまったように、48歳のクーパーが
独身の海軍中尉から退役する少将までを全部一人で演じてしまうので、
このころはともかく、最初の頃は、いくらなんでもこんな老けた中尉はいるまい、
というような違和感バリバリありまくりの絵面になってしまっています。

まあ、ゲイリー・クーパーで客を呼んでるような映画ですし、クーパーの
20代を演じられる男優は、さすがにアメリカにもいなかったのかもしれません。

「Navy will miss you, Sir,」(海軍は寂しくなります)

という言葉に送られて艦橋に立ち別れの挨拶をするスコット少将。

「空母のない時代から共に暮らした者もいる。
諸君の成長をわたしは一歩先に陸から(on the beach)見守ろう」



退役と同時に下される少将旗を持って私服で退艦する少将。
最後に吹鳴されるサイドパイプに見送られる時、その脳裏には
走馬灯のように空母に捧げた海軍人生が甦るのでした。



スコット少将が退艦したこの空母がなにかはわかりませんでした。
このときにはすでに「フランクリン」も「エンタープライズ」も退役しています。

このときバージ(はしけ)に乗り移ったスコット少将が最後に
二度と乗ることのない艦を振り返ってみるのですが、
艦上の誰一人として帽触れはしてくれておりません(T_T)
帽触れはもしかしたら日本海軍だけの慣習だったのでしょうか。

さて、少将、いや元少将が回想するのは27年前。
サンディエゴの航空基地で行われた母艦着陸訓練の日のことです。



石炭船を改造して造った空母「ラングレー」は、軍縮会議での廃棄を免れました。
そこで航空隊は、この空母で離発艦の訓練を実地することになったのです。



「動く船に着艦しろと言うんですか?」

今なら当たり前のことを、まさかと言う感じで確認する航空士官たち。
以前当ブログでもお話しした、ユージーン・バートン・イーリーが
「ペンシルバニア」に航空機を着艦させたのは1911年のことですから、
それからすでに10年は経っているはずなのですが、やはり
まだまだ必要性もないため、実用化の点でかなり遅れていたのでしょう。



地上訓練の様子は先が長いせいか全く描かず、次の瞬間いきなりスコットらは
「ラングレー」に乗艦しております。

 

細い金線二本の中尉たち。(そして全く似合っていないゲイリー・クーパー)
士官室で映画鑑賞です。
何を観ているかというと、着艦の失敗例特集。
「翼が傾いた」くらいでは皆ヘラヘラ笑っていますが、「海に落ちて死んだ」例では
皆思わず乗り出して息を飲んでおります。



そこに現れて皆を激励する艦長。

「飛行機は増やすつもりだ。これからは空母の時代になる」



着艦の手順を説明されている中でなぜか長アップになる士官。
映画的にはこういう人が、真っ先に犠牲になってしまうんですが。



「着艦延期」「続行」「高杉」「低すぎ」「遅すぎ」「速すぎ」
などの手旗を一挙に説明しております。
こんなもん一回で覚えられないっつの。

  

そしていきなり実地訓練。
飛行甲板脇にずらりと並んで低みの見物をする同僚と、
引きつった笑いを浮かべて発進するスコット中尉。
なんとこのころの飛行機はプロペラを手回しして始動する複葉機です。

 

「甲板の幅など無きに等しく、空から見た甲板は墓標の形をしていた」
(スコット中尉独白)



なんどもアプローチを繰り返し、危うく海に落ちそうになりながらも
(この飛行機のシーンは訓練の実写)なんとか着艦。
皆が駆け寄ります。

このころの海軍で着艦方法を知っていたのはわずか34名ですから無理もありません。
そして次に訓練を行ったジェリー・モーガン中尉は発艦をミスし、殉職してしまいました。



同僚の殉職を、なぜか一中尉であるスコットが妻に伝えに行きます。
呆然とするモーガンの若妻、メアリー。
ジェーン・ワイアット演じる本編の女主人公です。

洗濯中に知らせを受けたせいか、

「彼のシャツを洗うのが好きだったのに・・・」

と意味不明の発言。



月日は流れて2年後の1923年。

給料2ヶ月分を叩いて購入した礼装に身を包み、上官のリチャード大佐から

「将官の奥方や上院議員と親しくなって母艦の飛行機調達に結びつける」

との使命を帯び、要路の集まるパーティに繰り出すスコット大尉。
(冒頭絵では中尉と書いてしまいましたがさすがにそれは無理ぽ)
お前は男前だからこういう役目を果たすためにワシントン勤務になったんだと言われ、
憮然としますが、他ならぬ航空機のためなので我慢です。

というかアメリカで、しかも男の軍人であっても「容色」は武器になるというか、
本当にこういうことがあったかどうかはともかく、
偉い人の奥さんにイケメンが取り入るという図式はありなんですね。



ところが肝心の提督、大鑑巨砲主義なので(笑)、飛行機など全く無駄で、
出世したければ戦艦に乗るべきなどと言い放ちます。

"Time you can down the sea level." (地に足をつけたまえ)

と誰がうまいこと言えと状態で一人で大ウケ。
スコット大尉がむっつりしていると、リチャード大佐に提督が笑えば笑え、と叱られます。



さらに偉い人のところを引き回れ中、ふと気づけば、
肩胸を露わにしたドレスもやる気満々なジェリー・モーガンの未亡人が海軍士官といい感じ。

スコットは思わず道義的な怒りを感じて二人に割って入りますが、この未亡人、
全く悪びれる様子もありません。

海軍士官だった旦那を亡くしたので、代わりを探しに来たって風でもあります。



(夫の話なんか)「もうやめましょう」というメアリ(おいおい)に誘われ
庭の温室植物園に入ってみると、

「アメリカには軍隊など必要ありませんよ!どこと戦争するっていうんですか」

などとまるで日本共産党や憲法9条信者のようなことを大声で喋っているおじさんが。
その新聞社社長、ベントリー氏に向かって、スコットはつい論戦を挑みます。

「海軍の発展に空母は欠かせません。もし戦争が起こったら・・」

「戦争だと?相手は誰かね」

「日本の不穏な動きがあるとお聞きになったことはありませんか」


おいおいおいおいおい(笑)1923年にかい。

第一次世界大戦が終わって、まだナチス党も政権を取っていない時代、
軍備を増強するのが「不穏」というなら世界中が不穏な国ばかりなんだが。
どうもいかんね後出しの結果をこんな風に言わせるとは。



そのときなぜか温室を散歩していた日本大使と海軍次官。
この設定もすごくて、左が野村大使で右の軍人、これ誰だと思います?

山 本 五 十 六  (海軍次官時代)

なんですってよ。こりゃびっくりだ。
で、このスコット大尉の言葉を耳にして、二人とも温室を立ち去るわけですが、
いかにも「こいつ、見抜いているのか」みたいな怪しげな態度なわけ。

野村大使も五十六もギリギリまで戦争を避けるという動きをしていたわけだし、
ましてや海軍次官時代からアメリカと戦争することを企んでいたなど、
とんでもない創作なんですが、要するにスコットが慧眼であったと言いたいわけだ。

まあ、「戦争が起こった際に備えて配備が必要」って考えはごもっともなんですが。



しかしスコット大尉、余計なことを言ったために提督に呼び出され、

「日本の大使館員に恥をかかせたばかりか我が国で最も影響力のある
人物まで敵にまわしおって・・・・(怒)」

ということで、その場でパナマ運河の事務職に左遷決定。話が早すぎ。



こちらも話が早すぎ。なんでそうなる。



というわけで、2年間ハンコを押す毎日。



ところが人生糾える縄のごとし。
人生楽ありゃ苦もあるさってことで、或る日突然スコット大尉は
新しく海軍が建造した空母「サラトガ」からお呼びがかかりました。



パーティの日スコットを連れ回していたリチャード大佐が
どうも口利きをして「サラトガ」航空隊に引っ張ってくれたようです。
あんなに怒っていたのにいいやつだ。



誰も知っている人がいないので心細く思っていたところ、
ようやく「ラングレー」時代の同僚、ディクシー大尉を発見。



隊長なのに後発参加のスコットは皆に追いつくために早速訓練に入ります。
空母の昇降機など、古い飛行機乗りである彼には見るのも初めてです。

 

字幕は出ていませんでしたが、このシーケンスでは「ヘルダイバー」と言っていました。
カーチスのSBCのことであろうかと思われます。

 

これがいわゆる「エナーシャ回せ!」ってヤツですか。

 

ブランクもなんのその、軽々と発艦成功したスコット大尉。
飛行機の機能はラングレー時代からは大違い、空母「サラトガ」も巨大で
おもちゃのような「ラングレー」 とはえらい違いです。

 

こういった映像は海軍が貸し出してくれた本物を使用していることもありますが、
現存していた飛行機はスタントが操縦して撮ったそうです。
そのスタントの名前が、ポール・マンツ

・・・聞いたことありません?(このブログで)



ここでスコットの乗機に問題発生。
進化していたはずの「ヘルダイバー」、なぜか上空で操縦不能になり、海に墜落。
「ラングレー」の頃なら、飛行機はそのまま海底に沈みスコットの命もなかったはずですが、
飛行機の性能に加えて救出体制も格段に違っていたという設定で、怪我だけで済みました。



なぜかローラースケート靴と「戦争と平和」の本を持ってお見舞いに来る悪友たち。
そして、案の定同僚の未亡人メアリが怪我を聞きつけて突撃してきます。

 

突如BGMにロマンチックなエレベーターミュージックが流れ、
二人は俄然怪しい雰囲気に。
そして唐突に結婚を申し込むスコット大尉。

それにしても、この人たちはお互いの何を知っていると言うのだろうか。
しかも2年前のパーティーの夜以来、初めて会うというのに。
もう少しお付き合いしてから結婚を決めたほうがいいのでは・・・。

 

とまあそれは映画だから仕方がないとして、負傷したスコットは結婚と同時に
「サラトガ」から転勤を命じられます。
何かと転勤が多いというのは、日本国自衛隊だけではなかったんですね。

さて、海軍軍人ジョナサン・スコットの次の職場はどこでしょうか。


続く。

 

映画「機動部隊」~エンタープライズ乗艦と真珠湾攻撃

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というわけでネットで見つけたこの映画日本公開時のパンフレットですが、
う~~~~ん・・・・・・。

これ、どう見ても写真に上から色付けしてあるだけの絵なんですよ。
手抜きもいいとこ。
当時の刊行物らしく、パンフなのに発行人の名前とか住所電話番号まで記載され、
どうやら映画会社ではなく外注の出版社(外国映画社)が製作したものらしいですが、
外注なのにこんないい加減でいいものなのか。

解説もしょっぱなから間違ってるし・・。

でも、当時の広告なども掲載されていたりして非常に面白いので、
このパンフからの画像もご紹介していこうと思います。

 

さて、空母「サラトガ」の艦載機の隊長になった途端負傷し、転勤になったスコット大尉。
いくらなんでもこれは・・。
と思ったのですが、どうも名誉の負傷扱いで、少佐就任と共にハワイに転勤になりました。
(ハネムーンを兼ねての転勤だったそうです。そんなのあり?)

さらに2年後、アナポリスの海軍兵学校の教官に着任。

 

ここでアナポリスの実写映像を出してきたのは、海軍の要望でしょう。
「ファイナル・カウントダウン」と同じく、映像提供のスポンサーである
海軍を宣伝しイメージアップしてくれんと困るよキミ、というところです。

そういえば真珠湾攻撃の1年後、名匠ジョン・フォード監督が海軍の要請で
制作した「真珠湾攻撃」は、海軍があたかもやられるがままの無能に描かれている、
ということで、半分ぐらいがカットされてしまったという件をお話ししたことがありますが、
フォード監督ですら、海軍という大スポンサーの逆鱗に触れたらこうなるのですから、
この映画や「ファイナル・カウントダウン」はじめ、軍の全面協力で作られた映画が、
海軍全面ヨイショに終始したとしても致し方ないことだと思われます。

そういえば昔、高倉健主演の「野性の証明」という映画がありましたが、
(自衛隊が悪の組織で元自衛官の高倉健と薬師丸ひろ子を殺すために全兵力投入して
追いかけてきて高倉健が一人でそれに立ち向かうという内容で薬師丸ひろ子が
お父さん怖いよ何か来るよ大勢でお父さんを殺しに来るよとかいう映画)
この映画は防衛庁の協力は全く得られなかったそうです。

というか、こんなものに協力が得られると思っていたのか角川春樹事務所は。


画像は本物のアナポリスでの課業行進(っていうのかなアメリカでも)。
別のシーンで、生徒たちが隊伍を組んで授業に向かう様子が映されています。



兵学校官舎が暗いと文句を言うメアリ。

「私の腕の見せ所ね。未来の提督の住まいだもの」
「その前に中佐にならないと・・」



アナポリスではしょっちゅう行われている(らしい)合コン、
じゃなくてダンスパーティ。
みなさんこういうところでガールフレンドを見つけられるんでしょうね~。
この映像も本物のアナポリスでのパーティの様子に違いありません。

真ん中の白いドレスはメアリで、生徒とダンスしております。

「ご主人の講義は大人気だそうですね」
「私も聞いてみたいけど、妻で十分ラッキーだわ」

アメリカの社交のおもしろいところですね。
日本でダンスパーティがあっても、学生が教授の妻と踊ることはないでしょう。



「あのパーティの夜を覚えてるかい。日本の大使館員は司令官になり・・」

これは勿論山本五十六のことで、大使館員というか駐在武官ですね。
ちなみに五十六が大使館付き武官に着任したのは1926年。
この映画だとパーティは1923年という設定ですから、ちょっと惜しかったかな。

「ベントリーは今や上院議員だよ」

もしかしたらこれはJ・ウイリアム・フルブライトがモデル?
さっそくベントリーはスコットを見つけて絡みます。

「戦争は起きそうかね、コマンダー」(ゲス顏)

そこに早速メアリが駆けつけ、会話を遮りまくって夫が口喧嘩するのを阻止。
メアリさんなかなか賢妻ではないですか。
正義感はあるが直情でカッとなりやすい夫の性格を熟知してカバーです。



アナポリスの教官として教壇に立つスコット少佐。
大鑑巨砲に時代は終わりを告げ、航空戦の時代がやってくるので、
これから空母が重要になってくる、と授業で熱く語ります。
生徒の一人が授業の最後に

「なぜ戦艦ばかりが重要視されるのですか」

と質問するのですが、

「その質問なら私がしたいくらいだ」

先生それ答えになってません。



しかし海軍上層部的にはこういう考えはアウトなようです。
ていうかそれ本当だったの?

わざわざ校長である提督が授業の後やってきて

「空軍力の限界を生徒に教えるのが君の仕事だ。
我々にはたった三隻の空母しか所持がない。
しかし機雷施設船や掃海艇、水上艦なんかのほうが大事なんだ。
当校の目的はミシップマンをパイロットではなくセイラーにすることだ」

まあ、海軍ですからそれもわからないではありません。
日本でも同じような論争が行われており、つまりこれは過渡期のジレンマというものだったのかと。



悩めるスコット少佐の元に、ある日、組織への不満を口にしてクビになった
元海軍の同僚が、外国に爆撃機を販売している彼の今の会社に
ヘッドハンティングの話を持ちかけてきます。

「給料は天井知らず”cieling unlimited ”だよ」



折しもスコット少佐は昇級試験に落第してしまっていました。
自衛隊だと2佐への一選抜から漏れたというところです。
これで提督の夢は潰えたと心が折れそうなスコットが、
ヘッドハンティングに心を動かされたとしても誰に責められましょうか。

しかし、海軍をやめることに反対したのはメアリでした。

「今まであなたを誇りに思っていたわ」

妻の説得でスコットは海軍を辞めてムッソリーニに飛行機を売る仕事を
思いとどまる決心をしたのです。



アナポリスのクリスマス聖歌隊がキャロルを歌います。(本物)

それからメアリは内助の功を発揮しまくりで、クリスマスパーティには
姪まで総動員して、若い士官たちに航空隊の魅力を宣伝するのでした。

「潜水艦と迷ってるですって?狭くて魚しかみえないわ」

「船は狭いけど夫はラッキーだわ。航空士官室はとっても広いのよ。
朝食にはステーキ、アイスクリームは毎日・・・」

そんな妻に夫は

「マタ・ハリ」

と一言。
伝説の女スパイで、色香を武器に諜報活動をし銃殺になったダンサーですが、
どうやらこれは褒めるつもりで言ったらしく、字幕にはただ

「見事だ」

とだけ翻訳されています。 

写真は、アナポリス学生による聖歌隊がキャロルを歌う様子。
これもどうやら本物。



年が明け、スコット中佐は「エンタープライズ」に配置されました。
もちろん航空隊の隊長です。
そして、再びハワイへの赴任を命じられました。

ハワイ・・・・嫌な予感しかしません。

 

そして1941年12月7日、日曜日の朝がやってきました。
ヒッカム基地では水兵たちがキャッチボールに興じ、礼拝が行われています。



メアリは夫の同僚の妻たちとテニスに興じていました。
右が八千草薫の若い時にそっくりな女優さんで、真ん中の美人はなんと

ジュリー・ロンドン!

ご存知ですかね。ジャズファンなら馴染み深い名前だと思うのですが。


Julie London Cry Me A River Colour TV Show



そこにやってきた帝国海軍機動部隊の艦載機。
これは合成ですが、ここからのフィルムはふんだんに本物が使われます。
ここで零戦を演じているのはカーチスホークP-36。



航空機の爆音に不審がっているうちに猛攻が始まり、
八千草薫に弾が当たって死んでしまいます。



こちら「エンタープライズ」艦上。
このときご存知のように空母は真珠湾におらず、真珠湾を母港にしていた
「エンタープライズ」もウェーキ島に輸送任務で赴いていました。

 

直ちにスコット中佐は航空隊に爆装させて発進させるのですが、
戻ってきたパイロットの答えは

「ゼロ・ゼロ!」(収穫なし)

右の飛行機はヘルキャットですかしら。



わ、ワイルドキャット?



ボタンを押すと三角のパネルがグイーンと立ち上がって、アレスティング・ワイヤが立ちます。
フックが引っ掛けるワイヤの高さって、こうしてみると高いんですね。


それよりスコット中佐は、日本軍が空母艦載機で攻撃してきたことにショックを受けます。
自分が若い時から海軍に母艦の必要性を折あらば提唱してきたのに顧みられず、
今その方法を敵に先に実践されてしまったからです。


ところでここまで書いてあることに気がついたのですが、
奥さんのメアリはスコットのことを「スコッティ」とよんでいるのです。
スコットってファミリーネームじゃなかったんだ、と思っていたら、
真珠湾攻撃の後病院でボランティアをするメアリを看護婦が「スコット夫人」と呼び、
どうやら夫の愛称がこの夫婦は、たとえば「山田」なら「やまちゃん」、
「望月」なら「もっさん」というノリであるらしいのです。

そんなことってアメリカでもあるんですね。ってそこかい。


続く。
 

 

映画「機動部隊」~ミッドウェー海戦

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映画「機動部隊」三日目です。
パンフレットの内表紙の写真で、おそらくアメリカ公開時のものでしょう。
アメリカ映画お約束の「 抱き合う男女」が挿入されていますから(笑)

 さて、ジョナサン・スコット少佐はエンタープライズの航空隊を率いて戦争に参加。
そして、半年の間にウェーキ、マーシャル諸島、ニューギニアで戦闘が繰り広げられます。
戦闘機と共に優秀な飛行士を何人も失い、米軍はより優秀な航空隊の指揮官を必要としていました。

そこで旗艦の作戦責任者に任命され、昇進して中佐になったスコット。



旗艦への着任はシップトゥシップ、直接飛行機で移動です。
そしてそのままミッドウェイ海戦に参加。
ところで実名があまり出てこないこの映画ですが、このときスコットは
「ヨークタウン」に赴任したと映画では言っています。(相変わらず字幕なし)

「ヨークタウン」の作戦参謀という曖昧な設定にしたのは、スコットがこの後
「フランクリン」に勤務してあの壮絶な事故に遭遇するという話の都合上、
たとえば実在の人物、ジョン・サッチ少佐などをモデルにはできなかったためだと思われます。

スコットの同期に「マクラスキー」という士官がいいて、「エンタープライズ」に残りますが、
このマクラスキーだけが(クラレンス・マクラスキー少佐)実在の人物です。
勝利の立役者となったわりに出世しなかったらしいこの軍人をトリビュートしたのかもしれません。



本編での「ヨークタウン」に座乗している司令官はリーブス提督。
フレッチャー提督がモデルだと思われます。(似てませんが)


リーブス監督は悩んでいました。

「我々にもう3隻の空母があれば敵がミッドウェーに着く前に攻撃できる。
ミッドウェーを守るより前に、日本の空母を沈めるのが先決だ」

しかし未だに日本の空母は見つかりません。
この段階では南雲機動部隊の位置を特定できていなかったという設定です。


このシーケンスを見て思うのは、戦後明らかになったミッドウェーの米軍勝利に
大きく寄与していた情報戦と、それに基づいて米艦隊が準備していたというのが
当時まだ全くなかったことになっていたらしいということです。

ミッドウェー海戦についてまさかとは思いますがご存知ない方がいるかもしれないので
産業で説明しておくと、

まずダッチハーバーを攻撃し、ハワイ艦隊を北上させたところでミッドウェーを攻撃し、
米艦隊がミッドウェーに向かったところを挟み撃ちにして叩き、米国に精神的打撃を与える作戦だったが、
米側は暗号解読して作戦を知っていたので、ミッドウェーで待ち伏せしていて日本がやられた

というものでした。(よね?)


史実通りとすれば、アメリカ側は待ち伏せしている側だったわけですから
そう悩まなくたって、と映画の提督には言ってあげたいくらいですが、
ここは映画なのでやはり苦悩して見せているというわけですね。

そこにミッドウェー基地から零戦の攻撃を受けたという知らせが入り、

「ミッドウェー付近に日本の機動部隊はいるらしい」

とリーブス提督は推察します。(またまた~良くご存知だったくせに~)


これもご存知のように、山本長官の案はミッドウェーを叩くことではなく
ミッドウェーに誘い出したハワイ機動部隊を叩く、というのが主目的だったはずですが、
現存する命令書とか協定書はことごとく

「ミッドウェイ島を攻略し」

となっており、結局山本長官の意図は南雲長官に伝わっていなかったのではないか、
というのが通説になっているようですね。


ともかくこの映画では、日本の作戦をアメリカ側が把握した上で
それに呼応する動きをしていたという史実はなかったことになっており、
ミッドウェー付近でアメリカ艦隊が待ち伏せしていたことなど全く描かれません。

戦後4年なので、まだ諜報戦については明らかにされていなかったのでしょうか。
海軍の全面協力で映像もアーカイブからふんだんに貸し出され、実機も提供されながら、
こういう肝心なところで海軍はまだ対戦中のいろんなことを秘匿していたようです。



ミッドウェーに敵艦隊がいることがわかったので、航空隊の出撃です。



エンタープライズからは航空隊が発進。
すでに日本軍とどこかで交戦したらしい搭乗機には撃墜マークが2機あります。

ところで日本の零戦はこのころまだ米軍機に対して無敵状態でした。
アクタン・ゼロといわれる零戦を米軍が鹵獲したのは、このダッチハーバーでのことです。

つまりこのときの航空戦において、米軍機は多数零戦に撃墜されているのです。
中にはほぼ全機撃墜された飛行部隊もあったくらいですが、彼らは勇敢にも次々と飛来して
日本の機動部隊に襲いかかりました。

 

右側の映像は本物です。
ミッドウェーを記録した映像をYouTubeで見るとこれが出てきます。
またこの旗振ってる人が男前なんだ(笑)

 

戦闘機に続き爆撃機も次々と発進していきます。



ジリジリと待つだけの時間。
落ち着かない風のスコット中佐、泰然自若とタバコを吸うリーブス提督。
このシーケンスはこの速展開の映画で、異常なくらい時間をとって描かれます。



日本艦隊を求めて索敵行を行う米航空隊。

ちなみに実際このころ、南雲艦隊は米機動部隊がいったんダッチハーバーに向かった後、
ミッドウェー攻撃を知って慌てて南下している途中だと信じきっていたため、
(つまり自分たちの立てた作戦通りに事が進んでいると疑わなかった)
敵空母に対する攻撃予定をミッドウェー島への攻撃に切り替え、地上爆撃のために
航空機の爆装を取り替えさせているところでした。


史実とはかなり違うとはいえ、日本艦隊に遭遇するまでの米艦隊上層部の不安は
やはりこの映画で描かれたような緊迫したものであったと思われます。

ここでナレーションが

「日本軍は予想外に速かった。
進路左寄りの位置ではなく、北寄りへと場所を変えてきていた」

と入ります。
実際にも南雲艦隊は、ハワイ艦隊がダッチハーバーに向かった後、
ミッドウェー攻撃の報を受けて南下してきていると信じていたため、
それを迎え撃つための態勢を取りかけていたことを言うのでしょう。



そしてついに日本の巡洋艦を発見・・・・・・
なのですが、このときのセリフがひどい。

" A Jap cruiser. After all the serch, one stinking cruiser."

stinkingというのは「悪臭を放つ」以外に「嫌な」「ひどい」という意味があり、
いずれにしてもろくな言い方ではありません。
もちろん字幕ではDVDとなってからも当時も翻訳されていませんが、
当時英語がわかる人はこういう細部を聞き取ってムカついていたのだろうなと。

日本人が英語を理解しない国民であるからこそ、戦後こういうものを見せられても
反発しないどころかアメリカ文化に憧れたりしていたんでしょうね・・・。


とにかく、このときマクラスキー少佐のドーントレス隊が実際に見つけたのは
巡洋艦でなく駆逐艦「嵐」であったということです。

「やっつけますか」

との部下の質問にマクラスキーは

「奴らの艦隊を遅いお昼(レイト・ランチ)に頂こう」

「彼らの目指す方向には空母が待機しているはずだ」

「嵐」の航行する先に行けば日本艦隊を発見できるはずだと判断します。

 

そして彼らの報告が提督とスコット中佐の元にとどきました。

「円形配置中の敵空母4隻を発見。
巡洋艦6隻とたくさんの駆逐艦」(many, many destroyers) 

 それにしてもなんでこんなに寄り添っているんだこの二人は(笑)



急降下する戦闘機隊。

 

ここから以下はすべて実写フィルムの連続です。
傲慢なアメリカの態度はともかく、戦後の日本人はこのときの様子に
息を飲んで画面を見つめたであろうことは予想に難くありません。

何しろ日本ではミッドウェー海戦の後、敗戦の結果を知らされず、
こちらの損害は軽微であるという「大本営発表」を信じていたのですから、
戦後になってミッドウェーがこんな惨憺たる有様だったことを
目の当たりにして、ショックは大きかったでしょう。

1952年当時まだ生存していた多くの軍関係者は、この映画を見たでしょうか。
そして何を思ったでしょうか。



アベンジャーの後部座席からの射撃の映像と、零戦が実際に火を吹く瞬間を
繋げて、まったく違和感のない戦闘シーンを作り上げていることも
この映画の大きな特色の一つです。

この魚雷投下シーンも、実際に命中し爆破を起こしたシーンとつないでいます。




こちら本物。
日本軍の空母が爆発炎上した瞬間です。

「加賀」に先陣を切って襲いかかったのはマクラスキー隊でした。
このとき「加賀」のみならず各空母は直掩機の発着艦を行っており、
攻撃隊は飛行甲板に並んですらいない状態だったと言われています。

「加賀」乗組員の証言によるとちょうど「第二次攻撃隊員整列」のアナウンスがあり、
搭乗員達が出撃前にお茶を飲もうと一息ついた時だったということです。

(wikiでこの「お茶」がリンクに飛ぶのが面白かったので残しました(´・ω・`)




サイドパイプが鳴り響き、総員戦闘配置の合図。



戦闘中銃撃され瀕死の雷撃機パイロットはなんとか着艦を果たすも重傷。
しかしこの着艦事故で甲板が損傷します。



そのとき日本機の一群が「ヨークタウン」に襲いかかりました。
これは飛龍から発信した22機の第一波攻撃隊で、零戦と艦爆から成っていました。



これは本物。九九艦爆ですね。
3機で急降下爆撃をしています。
このときF4F直掩隊12機の迎撃により零戦3機、九九艦爆10機が撃墜され、
九九艦爆8機のみが「ヨークタウン」を攻撃することになりました。

 

これも本物。
それにしても戦闘中ずっとカメラを回していた人がいるわけで、
それもすごい話だなあと思います。
アメリカ側の記録は全てこういう命知らずのカメラマン達によって撮影され、
後世に残されることになりました。

右側の機銃手は、アメリカ人らしくガムを噛みながら撃っております。



誰もいない上甲板。
この一階下の銃座からは猛烈に迎撃が続いています。



アメリカ軍の飛行機だよね?と思ったのですが、このあと指揮所のスコットが
喜んでいたところを見ると、どうやら日本機である模様。
艦上攻撃機であろうと思われます。



指揮をするスコット。
飛行甲板が損傷して「ヨークタウン」には降りられなくなったので
他の空母に着艦するようにと飛行隊に伝えています。



炎上する「ヨークタウン」飛行甲板。
日本側は艦爆3機が撃墜され、5機が投下に成功し、爆弾3発が命中しました。

 

これも実写映像で、よくこんな低空を、と思われるくらいギリギリの高度で
「ヨークタウン」にまっすぐに向かってくる日本機をカメラは捉えています。

雨あられのように降り注ぐ銃弾をかいくぐって近づいてきた零戦は、
悠々ととでも見える熟練さで投弾してのけました。



航空指揮所でそれを見るや、フェンスを掴んで衝動に備えるスコット中佐。
この一発がボイラー室に火災を発生させたため、
「ヨークタウン」は動力を失って一時航行不能となります。



機関室浸水、発電機が故障して出力が停止、という報告を受け、

「Prepare to abandon ship.」(総員退艦用意)

の決断を下すリーブス司令官。
実際にはフレッチャー司令官はこのあと「アストリア」に移乗しました。



飛行甲板を損傷して帰ってきたパイロットを手当てするメディック。

「時間はある 止血剤を取ってくれ」

とこちらは悠々としています。



飛龍攻撃隊は「エンタープライズ」型空母を大破或いは大火災、撃沈と報告しました。
しかし「ヨークタウン」はその後爆撃による火災を鎮火し、航行可能となっています。



さてこちら、ハワイのスコット中佐宅。
スコットの同僚であるバーバラが(ちなみに歌手のジュリー・ロンドン)
心配で眠れない、ここにいさせてくれと訪ねてきます。

「エンタープライズとヨークタウンが沈んだって・・・」

 

二人で慰め合っていると、物音がして誰か来た様子。
明かりを消して(灯火管制?)ドアを開けると、見慣れたシルエットが・・・。

「男が一人寝る場所はあるかい?」
「あらいでか。・・・っていうかスコッティ?」



「ハイ、ハニー。二日間寝てないんだ」



でもこちらの奥さんはかえって不安を募らせている様子。
スコット夫妻の感激の再会に水を差す形で、

「マックのこと何か知らない?生還した雷撃機は?」

スコットも気を遣って、

「生還したのは3機で8機撃墜された・・・
でもマッキニーならきっと無事だ」

せっかく生きて帰ってきて奥さんとそれを喜び合うシーンだったのに、
この奥さんが矢継ぎ早に質問をするので、まいったなみたいな様子のスコット。
さらになにか言いかけるのを、妻のメアリは

「彼なら大丈夫よ(あっさりと)。あなた、こちらに」



とバーバラを無視して()寝室に連れて行きます。
そりゃまああんたの気持ちもわかるけど戦争だし仕方ないわねえってことで。

取り残されたバーバラは暗い顔で部屋を出ていくのでした。

ベッドに横たわったスコットは、自分が爆撃隊長としてこれまで飛行機に乗ってきたのに
今回の戦いで自分は船に乗ったままで、かつ多くの部下を死なせたことを心に病んでいました。

「僕は、一体、何をやっていたんだ・・・・・」



続く。







映画「機動部隊」~沖縄攻撃

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映画「機動部隊」、4日目です。
ミッドウェー海戦で戦没した「ヨークタウン」に乗り組んでいた主人公スコット大佐のことを、
日本公開時のパンフレットでは「アメリカ空母発達史において最大の恩人とまで言われる」
と実在していたかのようにもっともらしく書いてあるわけですが、大嘘です。

たかが映画のパンフと思って甘く見たんだろうが、後世はこれを許してくれないのである。
「重爆の隅をつつく」が信条である当ブログも、当然この嘘を見逃さないのであった。

しかし、これを真に受ける人もいて、「米空母の最大の恩人」で検索をかけたところ、
このパンフの文句が、ある戦争映画専門サイトで一字一句違えず継承されていました。orz



さて、ミッドウェー海戦後生きて帰ってきて、大佐に昇進したスコット。
ワシントン勤務を命ぜられ、またしても妻とのお別れです。

「大佐の妻という立場に慣れるまで一緒に居てよ」

やっぱり旦那の昇進というのは、妻にとって自分のことのように嬉しいものなのです。
というかそれは実質”自分のこと”なんですね。ええ。
飛行機事故で亡くなっていた前夫では、こうはいかなかったかも・・・おっと。

 

こちら「エンタープライズ」でしばらく生存不明となっていたマック。
嫁とよく分からない諍い(翻訳も下手だけど英語でもよくわからなかった)を起こしております。
まあ、それもこれも生きて帰ってきたからこそ。よかったですね。(適当)



大佐になったスコットがワシントンに行くのは、今回の海戦を踏まえて
さらに空母の数を増やしてくれるように上にお願いするためでした。
若い頃はその「イケ面」が評価されて折衝役に選ばれたスコットですが、
ミッドウェーを経験した今は現場を知る軍人として、貴重な存在です。



またまた出たよこのおっさんが。
戦争など起こらない!だから空母など買えない、と力説していた新聞王兼上院議員。

「レキシントン、沈没。ワスプ、沈没。ヨークタウン、沈没、ホーネット、沈没。
サラトガも大打撃を受け、エンタープライズは浮いているのもやっとの状態」

と我が日本海軍の戦果を褒めてくださっています。
空母は脆く非効率的でお金がかかるから作るだけ無駄だ、といいたいわけですが、



それを逆手にとってリーブ提督が反撃。

「我が軍の空母を壊滅させたのは日本軍の空母なんですが」

しかしおっさん負けずにリーブ提督と論戦を始めます。

「それは空母の扱い方も日本軍がスマートだったってことですな」

「我々は敵空母を4隻沈め、打撃を与えています。我々の損害は1隻」

「日本軍も同じ教訓を得たでしょうよ。空母は無用の長物だと」

いやいやいやいや(笑)
日本はお金さえあれば空母をもっと作りたかったと思いますよ?
民間船を空母に転用したり、涙ぐましいリサイクルをしていたし。

尤もその日本軍も、空母よりは「大和」「武蔵」など戦艦のほうに国力を傾けすぎ、
しかも「割に合わない」使い方(とくに大和)で失った・・というのは結果論ですが。



ここは字幕が「日本人の方が頭が柔らかいですね」なのですが翻訳の大間違いで(笑)
英語をちゃんと聞けば、

「もしあなたの言う通りにしていたら、今頃西海岸の新聞は日本語になっていたでしょうよ」

と言っています。
聞き取れなかったのかよ~翻訳の人(´・ω・`)



「空母では勝てない」というおっさんの持論を二人が覆そうと奮闘しているのを
黙って聞いている海軍作戦部長。
アメリカのウィキでは「エイムズ提督」となっていて架空の人物ですが、
エイムズというと、確かスプルーアンス提督のミドルネームじゃなかったっけ。

いずれにせよ容貌が立派すぎて、スプルーアンスにもニミッツにも見えません。
この人はエドワード・ウォルター・エバリー提督がモデルであるということですが、
それが、この映画の英語版wikiも間違っていて、誰と勘違いしたのか

「映画のエバリー提督には髭がないが実際のエバリーには髭がある」

なんて書いてあるんですよ(呆)
映画のエバリーも、名は体を表して偉そうな髭生やしてるっつの。

とにかくこのおひげのCNOが、 

「日本との戦いを有利に進めるには空母が必要だ」

と海軍軍人側から鶴の一声、駄目押しの意見を出して会議終了。



大統領の認可により海軍の要求は通り、スコット大佐は

「戦艦と空母の機能を併せ持つ美しい空母」

の艦長となりました。

米海軍でも空母を中心とした艦隊が主流となっていたということで、
「ラングレー」以来頑張ってきた甲斐があった!俺もとうとうここまで来たか?
としみじみモードのスコット。
ということで、これは見ればその通り
あの「フランクリン」 (USS Franklin, CV/CVA/CVS-13, AVT-8)です。

ですが、モノローグでは「クリッパー」だと言っています。
実在の艦名を使わなかった理由は、実在の「フランクリン」艦長への配慮でしょうか。

 


ところで皆さん、ここで大変重要なことに気づきませんか。
そう、いきなり映像がカラーになったのです。
白黒で始まった映画が急にカラーになるのは、ワーナーブラザーズが海軍から借り受けた
戦闘シーンのアーカイブがここからはカラーになるからなのです。



というわけでいきなり人物のシーンもカラー。
初期のテクニカラーなので、白黒映像より画質が悪い気がします。
さて、場面は「フランクリン」艦上で行われている作戦会議。

「沖縄を手中に収めよう」

そしてイギリス軍の協力のもと空母16隻を現地に集結させ、
600機の飛行機でそこから本土を攻撃する、というのですが、

「敵は7000機を所有している。劣勢を挽回するには奇跡を祈るしかない」

まあ敵本土に侵攻しようというのですから、これくらいの覚悟だったとは思いますが、
なんか必要以上にアメリカが不利だったと強調しすぎているような・・・。

これも「しかしそれにもかかわらず勝った」という物語のための
スイカに塩的な?加味というものだったのか、それとも本当にアメリカ軍は
これくらいの悲壮さをもって戦っていたのか・・・。

いずれにしてもこのときリーブス提督は、

「最も恐ろしいのは敵の捨て身の攻撃、”カマカゼ”だ」

とつぶやくのでした。なにがカマカゼだ。

この時点で、米側が特攻を「カミカゼ」という名称で認識していたという史実はありません。
この名称がアメリカ側に認知されたのは戦後ではないかという気もします。



という会議の途中にも轟音が響き、デッキに出てみると
警戒網をくぐってやってきた日本機の爆弾で炎上する僚艦の姿が!

「グレイト。東京はこのニュースで喜ぶだろうな」

 

沖縄上陸作戦は4月1日、エイプリルフールの日に決まりました。

 

沖縄攻撃のフィルム。
二本柱を描いて対地砲が打ち上げられる瞬間が映っています。

 

星条旗の揚がったマストの後ろに飛び交う砲弾の雨。(見えませんが)

 

戦艦と護衛の駆逐艦で埋め尽くされた海面には、隙間もないほどです。
沖縄の海岸がそのときどんな状態になっていたかが、右の映像でも伺えます。
海兵隊を乗せたボートが、頻繁に岸に漕ぎ付いている様子が残されています。

これ以降沖縄は「死の島」と化したのでした。



続く。



 

映画「機動部隊」〜”So Long, Emily!" 撃墜される二式大艇

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沖縄侵攻を決めたアメリカ軍。
主人公のスコット少佐は「フランクリン」がモデルの「クリッパー」に
参謀として乗り込んでいます。



「わからんな。ジャップは何を待っているんだ」
「防衛に必死なんです」

いやだからもうこのころはほとんど船も残ってなかったんですってば。

しかし、疑心暗鬼というのか、アメリカ側は見えない敵に怯えたまま、4日を過ごします。



敵のいかなる動きも見逃すまいと緊張してレーダーを見張る監視係。

「退屈と恐怖、どちらも体には悪い」
「早く始まってくれ」
「カミカゼがくるぞ。敵機は7000機を上回るそうだ」

いやまあ、日本全国の羽根のついた飛行機の総数はそれくらいにはなったかもしれませんが。
これは買いかぶりというか、とんでもない過大評価で、本土決戦のために
用意されていた航空機は、練習機2200機を合わせてもせいぜい5千機くらいにすぎませんでした。

さて、いずれにせよそのとき緊張が破られます。
レーダーに九州地方から飛来する飛行機の一群が捕らえられたのです。

「九州上空を敵の飛行機が通過中」

どうでもいいけど九州を「カイユウシュウ」はやめてくれるかな。

 

「クリッパー1号」飛行隊に、レーダーからの情報を送られます。
そしてわたしは思わずここで息を飲んでしまったのですが、この日、発見されたのは
あの二式大艇でした。

索敵機が「1機発見」の一報後降下して攻撃を行う様子は、カメラマンによって撮影されていました。

 

実写フィルムで不鮮明ながら、そうと知ってみるとあきらかに機影は二式大艇、エミリーの形です。
このフィルムは3月11日に第二次丹作戦で特攻出撃した二式大艇のうち一機が
ウルシー泊地への航行途中で撃墜されたときのものである可能性があります。

だとすれば、この機には杉田正治中尉以下12名が乗っていたことになります。

 

撃墜され、着水と同時に爆発を起こす二式大艇の最後の姿。
ああ、この瞬間12人の日本人の命が一挙に失われたのだと思うと
胸がきゅっと痛くなる光景です。

この映像が冒頭のユーチューブですが、ナレーションも当時のものらしく、
二式が撃墜されて海に落ち大爆発を起こしたとき、

”So long, Emily!"

などと言っています。 

 


で、映画で「一機撃墜」の報を受けたリーブス提督、フンと鼻で笑うんですよ。
いかに戦争だったとはいえ、そして映画とはいえ、なんだかやりきれない気がします。

日本側の制作であれば、こういう表現は決してしないだろうなとつい思ってしまいました。

 

総員配置に就けの合図が出、ヘルメットを締めながら航空指揮所に出るスコット。

「飛行機は嫌いだ。人類の失敗作だな」

などと意味不明の冗談を言ってみせます。
乾いた洗濯物を仕分けするとき、同じような大量の靴下をペアにするのに嫌気がさして、

 「男物の黒い靴下なんて、この世から撲滅するべきである」

 とわたしなどもよく思うのですが、きっと同じ言い回しに違いありません。


違うかな。

 




さて、沖縄上陸を支援している(という設定の)「フランクリン」、いや「クリッパー」。
我が海軍の二式大艇を撃墜した後、また別の日本機の機影が接近するのを認めます。



作戦司令室からは

「Archduke(大公)、Rebel(反逆者)、Angel(天使)、
こちらはBaldeagle(白頭鷲)。直ちに出動させよ」

と指令が飛びます。
タックネームですが、どうもここのところの字幕が変です。

「大公は本艦の北25マイル地点に待機」

ここまではいいのですが、そのあと

「Angel's five, Rebel over base, Angel's ten, cupid over base」

を、

「”反逆者”は5機、”天使”は10機、残り25機を出せ」

と訳しているんですねー。
これはいくらなんでも飛行機の数なんかじゃなくて各自の待機地点の指示だろっていう。

DVDで鑑賞していて、こりゃ違うだろう、という間違いをよく見つけるのですが、
映画の翻訳者って、特に昔は結構いい加減な仕事をしているもんだなあと
最近やっと気づくようになりましたよ。

映画館で上映されれば、あとはテレビで放映されるときにも吹き替えだし
検証されないので安心して?いたんだろうと思いますが、
最近はDVDで、しかもバージョンによっては英語字幕も出ますからね。
(こういう古い映画には英語字幕は出ませんが)

 

轟音を立てて発艦していく艦載機。

 

そして空戦シーンも実際のフィルムから。
はっきりと翼に日の丸が認められるおそらく零戦が、
低空を飛行しながら翼から炎を噴き出させて海に墜落します。

フレッチャー提督がモデルのリーブス提督に二式大艇撃墜の時に鼻で笑わせたように、
このときもパイロットにフフンと笑わせたりするのですが、
実際に人一人の命が失われている映像を取り上げてそりゃないだろう、
それとも何かい?日本人の命っていうのはこういうネタにしても別に構わんって考え?
とおもわず詰め寄ってしまいそうなくらい、こういうのを見るとどうしてもムカつきます。

特にこのころは戦後まだ4年で、日本に配慮するよりも戦争で身内を失った遺族の
感情を優先して映画は作られていたとすればこれも無理からぬことと思いますが。



片足のまま着艦してくる・・・ヘルキャット?。
着艦と同時に残った片足を引っ込めるのですが一瞬遅く、
しかし傾いた翼がアレスターフックの役目をしてとりあえずスピードは落ちます。



艦橋から飛び出して逃げようとする人が、自分の方向に機体が向かってきて
慌てて向きを変えて避難している様子がばっちり映っています。
操縦者は無事だった模様。

 

こちらは上半身裸で必死にうちわみたいなものを振る誘導員。

 

着地の瞬間バウンドして砲座の側壁に激突。
激突の瞬間全員が「伏せ」をしています。
ノーズを引っ掛けて飛行機は真っ二つになってしまいました。



しかし幸運にもパイロットは全く無事です。
私事ですが、昔東名でやらかした事故と同じ状況なのを思い出しました(笑)
回転したので外側は大破しても、乗員には何の損傷も与えなかったんですね。



「こちら”白頭鷲”、敵機来襲」



猛烈な対空砲の中、まっすぐ突っ込んでくる特攻機。
これで僚艦の何隻かが爆発炎上を起こします。

リーブス提督は左回頭を命じました。

ここからしばらくは、特攻機が次々と軍艦に激突するシーンが続きます。
リーブス提督が恐れていた「カミカゼ」攻撃が始まったのです。
そしてついに・・・・・、

 

「フランクリン」がやられました。
炎上するハンガーデッキ。
スコット大佐は即座に消火活動を命じます。
パイロットたちも今や一体となって消火活動に加わりました。

 

迎撃されて海に墜落する零戦。

 

左は実写フィルム、右は現代に撮られた映像。
この映画の撮影はアメリカ海軍が全面的に協力して、軍艦を貸し出して行われました。
アーカイブの使用許可も含め、破格のことであったとされます。



最終回に続く。

 

映画「機動部隊」~カミカゼ と終戦

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映画「タスク・フォース」、機動部隊最終回です。
冒頭に貼ったYouTubeは、本映画の主人公スコット少将が乗り組んでいたという設定の
空母「フランクリン」が、一機の日本軍機の投弾によって炎上大破するも、
乗組員たちの決死の活動によってなんとかニューヨークまで航行し工廠に入るまでの姿を
ドキュメントフィルムだけで構成された映像で紹介しています。

本映画に使用されている米海軍アーカイブからの映像というのはこれのことで、
当エントリ本文の写真と大量に重なっていますが、ご了解ください。


さて、ここで、航空指揮所から双眼鏡を覗いていたスコット大佐が、

「右舷真横に敵機」

と叫びます。

 

砲弾が雨あられと打ち込まれる中を、優雅と言っていいほどゆっくりと、
一機の零戦が真っ直ぐ向かってくる、あの映像です。

わたしはこの映像を見ると、まずこの零戦を操縦していた特攻隊員の、
自分の確実な死がそこにあるのにもかかわらず、確実に体当たりを遂げることだけが目標の、
スポーツの試合で全神経を一投、あるいは一跳躍、一打に注ぎ込むのに似た
ひたむきな、悲しい集中を思わずにいられません。

そしてうまくいく、これで本懐を遂げられると確信した瞬間、
充実感と達成感が体を満たして、えもしれぬ心地よさを感じるというのは、
同じような瞬間を経験した、何人かの搭乗員が戦後語っていることでもあり、
おそらくこの零戦の搭乗員は、突入の成功を信じて、この瞬間、
法悦すら感じていたのではないかと思うと、それだけで落涙を止めることができません。

そして、この激突までの瞬間、最初から最後までファインダーを覗き続けた
従軍カメラマンの勇気にもわたしは感嘆します。



特攻を犬死に呼ばわりするのは論外として、戦術としても効果はあまりなかったと、
戦後これを過小評価する者が日本人の中にいました。(もちろん今も)
しかし、実質アメリカ海軍が沖縄で被った被害は、この戦争で最大のものとなりました。
死傷者は1万名余、撃沈された艦船は3隻、369隻がなんらかの損傷を受けています。

なにより特攻がアメリカ軍に与えた極度の緊張と恐怖は、実際の被害以上に問題でした。
これによって多くの兵士が精神的に崩壊するほどのダメージを受けたのです。

それを重く見た太平洋艦隊司令官ニミッツは、

「もうこれ以上は持ちこたえられない」

とワシントンに打電しています。
これが物質的なものではなく精神的な敗北であったことは明らかでしょう。

特攻を賛美するとかいう以前に、発案者言うところの「統率の外道」が、
結果としてこれだけアメリカを苦しめたことは、紛れもない事実だったのです。


 


僚艦から撮られたこの時の映像。
「フランクリン」がモデルになっているとはいえ、実際には「フランクリン」は、
特攻の激突と爆弾の投下をどちらも受けており、後者が致命傷だったという史実を、
ここでは特攻によるものであったということにして描いています。

このことからも、実名ではなく「クリッパー」という架空の空母名をつけたのでしょう。

 

激突された瞬間、衝撃に耐えて皆が手近なものにつかまります。

 

ふと気づけば同期で、スコットの親友でもあったディクシーが死亡していました。



フェンスを掴みかけて熱くなっているので慌てて手を離す中佐。



「この状態では仕方がないから、サンタ・フェとミラーに移乗しよう」

リーブス提督は提案しますが、スコットは

「沈まない限りわたしは船を棄てません!」

と頑強に言い張り、消火活動を継続します。
「フランクリン」艦長が、船を捨てて避難した乗員たちを強く非難し(洒落)
訴えるという騒ぎにまでなったことは以前お話ししたかと思います。

特攻とまではいかなかったものの、アメリカ海軍にもそれと似た
軍人精神至上主義のドグマがこのような形となって現れることがあったということですね。

 

「クリッパー」艦載機が帰還してきましたが、艦は火災の黒煙に包まれ、
無線も応答しません。
みんなそれどころじゃなかったんですねわかります。



そして、なんとか火を消し止め、満身創痍で帰国の途中、艦上では海軍葬が行なわれました。

 

冒頭に貼ったYouTubeでも見られる、「フランクリン」NY帰還の図。
「フランクリン」は神戸沖からウルシーまで「ピッツバーグ」に牽引され
そこで応急手当を受けて時速26キロの速度でなんとか帰国を果たしました。
映画にはありませんが、ユーチューブではこの時の盛大な出迎えを見ることができます。

このあとブルックリンの海軍造船所で修理を受け、「フランクリン」は回復しましたが、
そのときには戦争は終わっており、記念艦の意味もあってモスボール処理されていました。
それからは朝鮮戦争にもベトナムにも行くことはないまま、1966年に廃艦となっています。

 

伝令の持って来た終戦の知らせを見て息を飲むスコット艦長。
艦長が「終戦のお知らせ」をアナウンスする間、映像は破壊の後も凄まじい
「フランクリン」艦内の各場所を映し出します。
鉄の塊と化したハンガーデッキの柱、内部が全て真っ黒に焼け焦げた船室・・。

実際に「フランクリン」の乗員がボロボロのままの艦に乗ったまま終戦を迎える、
というようなことはなかったわけですが、そこは映画ですので。



そして終戦から4年が経ちました。
「フランクリン」を永遠に降り、バージで陸に上がるスコット大佐、いや少将。




船を降りてくるスコット少将を待つのは夫人とリーブス提督だけ。
もう少し華やかに、というか友達はおらんのか少将。

「ハイ、白頭鷲」
「ハイ、クリッパー」
「オーバーアンドアウト」
「ラジャー、オール」

とそれらしい会話を交わして最後を惜しみます。

 

4機のF9Fパンサー(なんとこの撮影の1年前に就役したばかり!)が
少将の退役を記念してフォーメーションを行います。
しかも、最初は4機なのに、何航過もするうちだんだん数が増え、
最終的には12機による大編隊に・・・・・・。

いくらなんでも地上で二人しか迎えがない少将の退役のために12機の戦闘機を
出してくるものだろうか。

えーと、これはやっぱり海軍が新型機を宣伝したかった、でおK? 




ワーナーブラザーズの多大なる海軍の協力への感謝の辞で映画は終わります。

この協力に関しては、たとえば少将が乗ってきたバージや、撮影に使用した「アンティタム」、
施設の使用に対しWBは、米海軍に1日につき2万4千ドル(当時の250万円)払ったということです。




しかしこの映画撮影では主に海軍側の手落ちと思われる事故が連続して起こりました。

まず、ストックのフィルムとラッシュ(素材フイルム)を運搬していたトラックが火災を起こします。
これもなにやら「フランクリン」の災難を思わせる事故です。
もしかして映画関係者は、よく日本の怪談ものを撮るスタッフが事前にお参りに行くように、
お祓い祈願でもするべきだったのでは?と嫌な予感がするのですが、それだけではありません。

続いて、クーパーが退役するシーンで乗っていた海軍のバージが霧で座礁しました。
船に浸水がしてきたため、無事に救出されたものの、その後彼は高熱で倒れたそうです。
撮影したのが12月だったというのがまた不運でしたね。

砲撃シーンの練習の時、撮影が行われていた「USSアンティータム」に無人機が突っ込み、
俳優とスタッフの頭をギリギリかすめて海に落ちるという「あわや大惨事」もありました。



日本での公開時、そのような制作時の事故については全く伝えられなかったようですが、
当時の日本人が知ったら、因果めいたものを感じて、納得したのではないでしょうか。



まあ偶然でしょうけどね。


終わり。



 

Nikon1の専用望遠レンズ70-300mmを使ってみた

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わたしのようにもともと写真が趣味でもなんでもなく、単純に
ブログに載せるためのちょっとばかり見栄えのいい写真を撮りたい、
という程度のものが写真の話をするなどおこがましいのですが、
牛歩のようなレベルではあってもとりあえず昨日より一歩前進しているはず、
と信じて、またそう思うためにも試行錯誤しているわけで、
その過程をここでご報告するのも、意味のあることかなと思うしだいです。


というわけで、先日コメント欄でmizukiさんに教えていただいたニコンの新製品、
COOLPIX900を見にニコンショップまで行ってきました。



レンズでかっ(笑)

こちらの売りは超望遠高画質。
離れたところにあるものを撮ることが多いので、もしかしたらこれはいいかも、
と思ってわざわざ見に来たわけですが、ニコンの人に話を聞いてみると、まず、

「動きのある被写体にはあまり向いていないかもしれませんね」

まあどんなレンズを搭載していても、所詮はコンデジですからねえ。
わたしの腕ではもしかしたらあまり関係ない話かもしれないけど。
お店の人は、サンプル写真を指して、

「どの写真もじっとしているものばかりでしょう」

ふむ。お月さま。そうですね。フクロウ。むちゃくちゃじっとしてますね。

「今Nikon1のV2ですが、飛行機や船を撮ろうと思ったら、どっちがいいんでしょうか。
望遠は一眼の300mmをマウントして使ってるんですが」

「一眼レフという選択肢がおありでないならそれがベストだとわたしは思いますが」

「あ、そうなんですか(拍子抜け)」

「ニコン1は最近専用の望遠レンズが新発売になりましたし」

場所を移動して70-300mmのレンズを触らせてもらいました。
いいかもしれない。
なんといっても小さくて軽く、今のレンズと取り回しやすさは変わらないくらいです。
お値段は今持っているのの約2倍ですが。
インターネットで購入者の評価を当たってみたところ、そちらも上々です。

超望遠でありながら手ブレ補正機能も優れていて、圧縮効果(被写体群において
離れている被写体間の距離感が少なくなるという効果)も実現、さらに
ナノクリスタルレンズ採用でゴーストやフレアも少なくなりましたとのこと。

もう少し早く出していてくれれば、マウントして使うレンズ買わずに済んだんだけどな。

クールピクスを見に行ってレンズを買う気になるという、いつも通り
直感的すぎる判断によって、今年の誕生日プレゼントはレンズに決定いたしました。


ところで、ニコンショップの人と話をしている時、報道用に使われる大きなレンズを見ながら
ふとあることを思い出したので、話題にしてみました。

「去年のアジア大会で水泳選手がカメラを盗んだという話がありましたね」

「ああ、あんなのはですね」

打てば響くように彼はきっぱりと

「もしカメラのことをよく知っているのなら、レンズを外して本体だけなんか盗みません。
高いのはレンズで、本体なんてたいした価値はありませんから。
しかし、もしカメラのことを知らなかったとすれば、カメラ本体からレンズを外すことすらできませんよ。
水泳選手がこんなレンズ(とレンズを指して)を外せるわけないと思いますね」

「・・・ということはつまり?」

「やらせがばればれですよ」

はあ、カメラに詳しい人からあの事件を見るとそういうことになるわけですか。
そもそも、今のカメラはシリアルナンバーで出元がわかってしまうので、
盗難品を市場に出すこともできないのだそうですね。



そんな話はともかく(笑)、お店の人の言葉に意を強くして、レンズを購入するという
方向に話がまとまったわけです。
一眼レフは・・・まあ、もう少しNikon1で修行してからってことで(笑)

Amazonで購入すれば確かに少し安いのですが、ここはぐっと我慢して
ニコンダイレクトで直接買うことにしました。
保証とか売る時とかにちょっとその方が得かなと思っただけですが、
届いてみれば3年保証つきでこんなレジャーシートがオマケに付いていました。



下取りに出そうと思ったら箱の類は捨ててはダメだそうです。
ただ、たとえば今持っている一眼レフ用の望遠レンズですが、もし箱が全部揃っていたとしても
(そして案の定わたしは箱を次の日には捨ててしまいました)下取り価格500円だということで、
査定してもらったり梱包したり、なんてことをやる手間を考えたらバカバカしいという気も。



いよいよレンズとご対面~。
ちゃんとフードもついてます。



早速部屋の中で試し撮り。
おお、なかなかいいボケではないかい?



かなり離れたところに置いてある譜面台の上の楽譜を撮ってみました。
すげー!



早速外に出て試し撮りです。
動き回っている鳩をまず撮ってみました。



ドラマを感じる(笑)



超望遠レンズですが、こういう「近寄せる」写真もいい感じに撮れるみたいです。



かなり遠くにいる鳥さんと、その向こうの人のシルエットを撮ってみました。



これもかなり遠くの対象です。
後ろのツツジが綺麗に写り込んでいますが、こういうのを圧縮効果っていうんですか。



どのくらい遠くを取れるか限界を試してみた写真。
こちらを向いている女性が、撮られていることに全く気付かない距離からです。
ちなみにぼかしてありますが、彼女の顔のディティールまではっきりと写っていました。



ここでもう少し植物の大アップにこだわってみました。





これは、一面蔦に覆われた建物。



蔦が覆っていない部分はこんなのです。



動き回る鳩はシャッタースピードを上げて撮りました。
構図にドラマを感じます(笑)



さらに歩いていると、捕食中のすずめ発見。
青虫をとらえて、地面にびったんびったん叩きつけていました。
新鮮な食材をタタキにして食す、グルメなすずめさんです。



階段を登っているときに気づいたのですが、すずめが逃げないように
一歩づつ近づいて行きました。
かなりの距離から捉えることができて、望遠ならではの写真が撮れました。



青虫も必死で体をよじりますが、なすすべもありません。(-人-)ナムー
しかしこうしてみるとすずめも結構獰猛な顔をしています。



すずめもう一枚。



バスケットコートでは外人さんの一団がゲームに興じていました。



緑の人の表情は何枚か撮った写真のどれもが大変ビビッドでした。



再び植物。思い切り引きよせてみました。



ツツジの花ですが、これだけ拡大してみるとツツジに見えません。



かなり遠くの景色を撮ってみました。



再び植物。こういうものの撮影のためにあるようなレンズだと思いました。



このころはフォーカスリングを使って手動でピントを合わせる使い方で撮っています。



飼い主はベンチに座っているのに道の反対側に立って道を塞ぐ犬。
すごく変わった毛並みなんですが、なんて種類の犬でしょうか。



池のカモを撮ってみました。
水鳥は動きがゆっくりなので撮りやすいです。





カモのくちばしだけに注目してください。
ここに黒い犬の顔が見えますね?



カモが鳴くと、犬も一緒に鳴きます(笑)



鳩給水中。





ここには鯉も大きな亀もたくさんおります。



公園の真ん中で白い花をつけている木を撮ってみました。



思いっきり近づいて、花をアップ。
日が暮れてきて、少し画面が暗くなってしまっています。



タイトル「お家に帰ろう」。

女の子はシャボン玉を飛ばしながら歩いているのですが、さすがにそれまでは写りません。



というわけで、家に帰ってきてからも近所の植物を接写。





カメラを向けたらたまたまハチが蜜を吸っていました。
遠くからはわからなかったのですが、ファインダーを覗いた時初めて気づきました。



家に帰ってきたら、自宅敷地にいつもベランダに遊びに来る猫がいました。
遠くから狙ったので彼はこちらに気づいていません。



入って行っちゃった。



ツツジの生垣で何をしているのかな。



尻尾の先大アップ(笑)



ふと気づくと、彼の相棒である黒猫さんがこちらを見ていました。
サバ猫の尻尾の先とわたしを見比べているのでもっと撮ろうと思ったら、
電池切れとなってこれでおしまい。

そうそう、ニコンショップの方に、夏いつも写真を撮りに行くカリフォルニアの
ペリカンの生息地でペリカンの飛来写真を一発で上手に撮りたいんですけど、というと、
彼の答えは明快でした。

「連写して後からいいのを選ぶんですよ。プロでもそうやってます」

なるほど、そうだったのか~。
これは動くものを撮るのが楽しみになってきました。



空母「ホーネット」艦橋ツァー〜アングルド・デッキ

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アメリカの西海岸、サンフランシスコの対岸にあるアラメダに係留されて
博物館となっているエセックス級航空母艦「ホーネット」。

ここアラメダにはかつてアメリカ海軍の航空基地がありましたが、
今は閉鎖されてこの場所は当時の建物が放置されたゴーストタウンになっています。
アメリカというところは国土が広大なせいか、こういう使いでのない場所は
跡地利用しようという気配もないままほったらかしになっているのですが、
ここも全く人の気配がなく、夜はきっと麻薬の売人などが建物の影でブツの受け渡しを、
とつい想像してしまうような地域となっています。

ホーネットが係留されている岸壁は稼働しているらしく、ホーネットの周りにはずらりと
貨物船らしき船舶が取り囲んでいましたが、もちろん民間船ばかりです。


さて、このホーネット博物館、前にもお話ししたように、たとえばパーティのために貸し出されたり、
船室のキャンバスベッドに宿泊し、乗員の食堂で朝ごはんを食べる企画や、
あるいは深夜に「何かが出るのを期待して」艦内探検をするミステリーツァーが催されたり、
つまり他の普通のアメリカの博物館と全く同じノリでアメリカ市民に利用されています。

運営については企業からの出資もあるでしょうし、「パールハーバーの生き残りの元軍人に話を聴く会」とか、
「ドゥーリトル空襲記念日のダンスパーティ」(笑)とか、しょっちゅう面白そうなイベントを
催しては資金を集めてやりくりするほか、政府や軍からの応援で行われているようです。
(日本人でなければ、これ、どちらも参加してみたいんですけど)


結局ここには一夏で3回行ったのですが、いつ行っても広い艦内に一定の人数がいて、
本日お話しする「艦橋ツァー」が始まると結構な数の人が集まってきていました。

「艦橋ツァー」はそのまま「アイランドツァー」と称し、入り口でチケットを買うとき、

「アイランドツァーに参加したければそこで待っていれば時間に始まるから」

と言われて場所を指定されます。



参加したい人はここで待っていると、ツァーガイドが現れ、ちょっとした説明をしてから
アイランドへと皆で歩いていって、説明を聞きながら中を見て歩くことができます。

このときわたしたちは息子のキャンプのお迎えがあったため最後まで参加できなかったのですが、
全行程、たっぷり時間を取られますので行きたい方はくれぐれも余裕を持って。
わたしも今年の夏には早めに行って全部見てきてまたここでご報告します。



ツァーの時間は「だいたい」決まっているのですが、さすがはアメリカ。
わたしたちは説明後甲板のレベルまで連れてこられ、ここでガイドを待つようにといわれてから
たっぷり20分以上放置されておりました。
何かの都合でツァーガイドが来るのが遅れているのだろう、と思いながら待っていると、
甲板を悠々と横切る専属ボランティアらしき人影あり。

あまりにも悠々としているので、まさかこの人物が我々の回のガイドだとは思いませんでした。
彼は急ぐ様子もなく手持ち無沙汰に待っている見学客を全く意に介する様子もなく、
このままどこかに行ってしまい、さらにしばらくしてから

「私が来たからにはもう大丈夫!」

というような堂々たる様子でツァーの開始を告げました。
あんたは丹波哲郎か(−_−;)



アイランドの甲板レベルにある、一般客が入り込めないようにドアが閉められた
小さな部屋からツァーは始まります。

博物館というだけあって、いたるところに懇切丁寧なパネルや写真の展示があります。



パネル部分拡大。

航空母艦とは何か?どういう機能が備わっているか?を図にしたものです。
逐一説明するのにやぶさかではないのですが、先を急ぎますので省略。

ホーネットは終戦後、1947年に予備役となって引退していましたが、51年、
再就役してから攻撃航空母艦と艦種変更されました。
これはあきらかにソ連との冷戦での軍備だったと言えましょう。

55年にはこの図面に見られるアングルドデッキの追加工事が施されました。

アングルドデッキとは、このアイランドツァーの解説員も入っていましたが、
航空母艦の甲板の船首方向に対して斜めに配置された着艦用飛行甲板のことで、
「アングルド・フライト・デッキ」とも表記されます。

艦の進行方向から斜めに着艦専用の甲板を設けることによって、
着艦の時に前方で行われている発艦中、あるいは駐機している機体にぶつかる、
という第二次世界大戦中多々起こった事故を避けることができます。

万が一アレスティングワイヤーを機が引っ掛け損なって着艦を失敗したとき、
従来は何もない甲板をそのまま速度を落とさず通過して発艦し、
もう一度やり直すという方法でしたが、どうしても戦闘中などは甲板を空けておくことができず、
したがってこういう事故も相次いだのです。

そのうちジェットエンジン機が運用されるようになると、アレスティングフックを
引っ掛け損なう率が大変高くなったため、イギリスでアングルドデッキが考案され、
艦中心線に対して振り角度6°のものが運用さたのを受けて、アメリカ海軍でも
ミッドウェイ級の1番艦「ミッドウェイ」で試験を行い、その後「アンティータム」が
改造第一号となってアングルドデッキ装備の空母が生まれたというわけです。



ちなみにちょうど「ホーネット」の「エセックス」クラスと「ニミッツ」クラスの
大きさを比較したわかりやすい図が飾ってありました。
「ホーネット」も甲板に立つとその広さに圧倒されるほどでしたが、「ニミッツ」は
これだけ大きいということです。

アングルドデッキの角度は「ニミッツ」級で9°となっています。
「ニミッツ」の大きさがあってこそこの角度が可能だということだと思うのですが、
わが日本自衛隊の「いずも」は全長248mで、「ホーネット」(266m)よりも短いのです。
先般から空母になる空母にすると外野ばかりがやいのやいのとうるさい「いずも」=空母問題ですが、
こういう面から見てもかなり現実性の「遠い」(ないとはいいませんよ)話だなと思います。



艦橋の入り口にあったマーク。
もちろん空母のほうでなく、「博物館ホーネット」の印です。



昔の軍艦らしく、スイッチが棘のようにいっぱい突き出した機械が
もう今は使われることもなく往時の姿をとどめております。
足元に通るパイプ?は、ここでつまづかないようにそこだけが
昔は赤に、今はその上から黄色くペイントされています。



解説員は皆同じキャップを被り同じジャンパーを着ているのですぐわかります。
この解説員は、おそらくボランティアなのだと思うのですが、なんとなく
ただのボランティアのおじさんとは俺は違うぜ!みたいなスカした雰囲気が
当初からビンビンと伝わって来るおじさんで、その理由はすぐにわかったのですが、
彼はかつて海軍軍人でこのホーネットに乗り組んでいたのです。

話の端々に「わたしが乗っていた頃は・・・」「わたしはこのフネで」という言葉が挟まれ、
彼が「ホーネット」の乗員だったことを誇りに思っているのがよくわかりました。
この中で他の解説員に「あなたはヴェテランですか」と聞いてみたところ違ったので、
ボランティアが皆元軍人とは限らず、実際にこのフネに乗組員として乗っていた人に
解説してもらえたというのは結構ラッキーだったのかもしれません。

アメリカ人独特の、ポケットに手を入れるポーズがお気に入りのようで、
しゃべり方も心なしか尊大な感じがしました。(とわたしが思っただけかもしれませんけど)



これは戦後備え付けられたものだとおもうのですが、
右下がヤード、その上の窓はマイルで表記されている計器が謎です。
ぐるぐる円板を回して操作するものがあったり、ブザーが鳴らせるようにもなっている模様。



 アイランドツァーの最初の頃ですから、艦橋の下の方の階だったと思います。
写真の置かれた部屋がありました。

 

写真を間違って小さくしてしまったので字が読めなくなり誰かはわかりませんが、
おそらく最後の艦長ではないかと思われます。

 

いかにも年季の入っているらしいダイヤル式の電話。

わたしがこのようにいちいち「昔からのもの」に固執するのは、
この「ホーネット」の大東亜戦争中の艦歴を知っているからです。

「ホーネット」は1942年、日本軍に南太平洋海戦で沈められた先代のCV~8の跡を継ぎ、
進水して以来、終戦までまさに日本軍と戦い続けてきたフネでした。

1944年にはニューギニア侵攻戦への航空支援を行った後、カロリン諸島の日本軍への
大規模な攻撃を行い、そのあとテニアン、サイパン、グアム、ロタへの爆撃、
そして硫黄島、父島への爆撃を次々と行っていますが、なんといってもあの
マリアナ沖海戦において「マリアナの七面鳥撃ち」と称される戦闘の中核を担いました。

続いてマーシャル諸島、パラオ、フィリピン海域、レイテ沖、シブヤン海での戦闘に加わり、
1945年に入ってからはウルシーから東京までいって本土の爆撃を行い、
4月6日は戦艦大和に対する攻撃を他の艦載機と共同で行い、これを撃沈しているのです。



どれだけ「ホーネット」が日本にとって恐ろしい敵だったか、これを見ていただければわかるでしょう。
さすが戦時中に描かれただけあって堂々と「JAP」の文字も見えますね。

別の解説員のおじさん(ベテランではない)がわたしにどこから来たの、というので日本ですというと、
なにやらものすごく微妙な表情を浮かべたのであれ?と思ったのですが、
館内にこんなものがでかでかと誇らしげに掲げられているわけだから、まあ仕方ないかもですね。



その中でもとくに「大和」を沈めたことは(このシルエットはあまり大和に見えないけど)
彼らにとって大金星というのか、よほど誇らしいことだったと見えて、特別に
このようなイラストが描かれています。
魚雷4本、爆弾3発命中させたぜい!とついつい自慢してしまうのであった。


さあ、そんな歴史的な空母、あらゆる鬼畜な()命令の出されたその艦橋に、
今から入っていこうというのです。
これが興奮せずに居られるでしょうか。

続く。

 

工作艦と「幻の急設網艦」

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工作艦「明石」慰霊碑


みなさん、工作艦ってなんだと思います?
日露戦争の時の「旅順港閉塞作戦」みたいに、「工作」をする艦?

まあわたしは最初そうだと思っていたのですが(←)そうではなく、
クレーン・溶接機・各種工作機械などを装備し、艦船の補修・整備を行うための艦、
つまりいわば「移動工廠」とでもいうものです。

艦船の補修・整備はドックに入渠しなくてはいけませんが、
拠点から遠くに展開している場合は往復に時間がかかり、作戦展開上それは難しい。

そこで、作戦海域の近くで整備・補修が行えるようにと作られたのが工作艦です。
行動拠点の港湾や泊地内に停泊し、整備が必要な艦船に対して作業を行います。

小学生に説明するように言うならばフネのお医者さんってところですね。

「明石」は改造や改装ではなく、最初から工作艦として作られた唯一の艦でした。
その目的に応じて艦体は大変大きく、工作のための器具を行き来させるため

全艦バリアフリー

だったそうで、実に先取です。 

内部には17もの工場があり、原材料を精製する溶鉱炉から部品を鋳造する鍛冶施設、
旋盤による削り出しや製品の組み立てなどの仕上げ作業までが可能でした。
しかも搭載されていた機械は国内の海軍工廠にもないドイツ製。
移動式工廠でありながら、本物よりもずっと先端の装備を備えていたのです。



「明石」さん(右から三番目)お仕事中。


開戦後はトラックを泊地に、南洋を駆け回り、多くの艦船の修理に携わりました。
当然、敵からは最重要目標としてマークされることになります。

給糧艦の「間宮」が狙われたようなものですね。

乗組員は779名のうち半分以上の443名が工作部の工員で、
軍人だけでなく一部民間人も乗り組んでいました。
これら工作艦に乗っている「兵曹」に相当する階級は

「工曹」(一工曹、二工曹などという)

とされていたそうです。
特務艦乗り組みという使命感のなせることか、「明石」の工員たちは、
海軍工廠勤務より勤務態度が良かったという話もあります。

しかし、一般人である大多数の工員もまた、アメリカ海軍の「最重要攻撃目標」
である「明石」に乗っている限り、死の危険から逃れることはできませんでした。 

昭和19年2月、トラック島を空襲した米機動部隊の攻撃で「明石」は大破。
そのあと「修理のために」パラオに回航されます。

「明石」は自分自身の修理ができなかったということなんでしょうか?
おそらく、ある程度ならできても大破してしまってはもうどうしようもなかったのでしょう。
「明石」はパラオに停泊した直後、またもや空襲に遭い、今度は着底して戦没しました。

「明石」の喪失は日本海軍にとって大変な痛手となります。

これ以降、南洋の日本軍艦船は当地で修理をすることが不可能になったため、
内地に帰ることを余儀なくされた艦船はその航路、次々と米潜の攻撃の前に喪失していきました。
 

 

ひっそりとあった、これも工作艦「朝日」そして「山彦丸」「山霜丸」の合同慰霊碑。

日本海軍は全部で5隻の工作艦を所持していましたが、
そのうち4つの碑がここ呉海軍墓地にあるということになります。

「明石」以外の工作艦は全て元からあった船を改装したもので、
「朝日」は明治時代、英国から購入され、その後戦艦として日露戦争に参加しています。

そう、「朝日」。「ア・サ・ヒ」です。 覚えてませんか?
なに、お分かりにならない?それでは。



これですよこれ。

先ほど少し「旅順港閉塞作戦」の話が出ましたが、そのとき部下の
杉野孫七兵曹を探していて下船が遅れ、戦死して軍神となった広瀬武夫少佐は、
「朝日」の水雷長をしていたことがあり、杉野は「朝日」の回航メンバーでもありました。 

「坂の上の雲」では、広瀬が、恋人のアリアズナに自分の乗っていた日本語の
「朝日」の意味を教え、彼女がそれを「ア・サ・ヒ」と繰り返すという回想をしたところで
爆死したんでしたね。とても感動的なシーンでした。(←本気で言ってますよ?)

つまりこの「朝日」は、旅順港閉塞作戦で「工作船」となり、その後改装されて
全く違う意味の「工作艦」にされたということです。
だれがうまいこといえと、と海軍省の中の人がウケを狙って決めたに違いありません。(ゲス顏)

改装されて工作船になった「朝日」ですが、日露戦争で広瀬武夫が載っていたというだけあって、
もうすでに老朽艦(1900年竣工)のお婆ちゃんです。
ゆえに速度が遅く、米潜水艦の格好の餌食となってしまいました。

1942年、シンガポールで任務に当たっていた「朝日」は自身の修理と移動のため、
内地に帰国する途中、米潜水艦「サーモン」の攻撃を受けて転覆沈没しました。
多くが救助されましたが、それでも数十名もの戦死者を出しています。


あと二つの工作艦「山彦丸」「山霜丸」は共に山下汽船の貨物船を改造したものでした。

山彦丸

「山彦丸」は昭和16年徴用と同時に工作艦となり、南西方面で任務に就いていました。
トラック島から船団を編成し横須賀に航行中、鳥島沖で米潜「スティールヘッド」の
魚雷を機関室に受けて航行不能となり、艦長以下そこにいた全員が戦死。
その後曳航中に船体が切断し、沈没してしまいました。

また「山霜丸」は1941年徴用されたもので、こちらは元々徴用後輸送任務についていましたが、
昭和18年、ここ呉で特設工作船に改造工事を受けました。
昭和19年、サイパンから横須賀に向う途中、米潜水艦の魚雷を受け、
やはり艦長以下船員3名が艦橋で戦死しています。


海軍の所持していた5隻の工作艦のうち、あと一隻は「関東」といいます。
これも明治年間の建造で、日露戦争の時にロシアから鹵獲した「マンチュリア」とう船を改造して
工作艦としたものですが、こちらは戦前(1924年)、福井県沖で岩に激突して沈没したので、
ここに唯一慰霊碑がないというわけです。

このとき「関東」の乗員は99名全員が死亡しています。




軍艦「初鷹」の碑。

自然石の立派な基礎がある大きな慰霊碑なのでなんとなく空母かなと思ったのですが、
じつは「初鷹」は当初、急設網艦という艦種として建造されました。

工作艦ならこれだけでなんとなく意味はわかっても、この言葉から
その役目をすぐに答えられる人はあまりいないかもしれません。(わたし含む)

世界の海軍にとって、第一次世界大戦後最も脅威となったのは潜水艦です。
やってくる敵を深海に潜んでじっと待ち、近づいては魚雷を打ち込んでくる恐ろしい敵。
それ自体の消耗率も高かったのですが、潜水艦の攻撃によって沈んだ船はとても多く、
アメリカ海軍では特にUボートの投入以後、潜水艦への危機感は高まる一方でした。


そこで艦隊の停泊する泊地を潜水艦の攻撃から守るために、防潜網を張ることが考え出され、
日本はこれを敷設するための艦を世界で最初に造ったのです。
こういうのを真っ先に思いついて、実際に造ってしまうあたりが日本人だなあと思わずにいられないのですが、
世界初の急設網艦「白鷹」は、なぜか就役の時には「急設網艦」ではなく「敷設艦」とされます。

新たに「初鷹」「蒼鷹」という二隻の「初鷹型」急設網艦も、敷設艦に区分けされたので、
「急設網艦」というものは海軍史上一つも存在しない「幻の艦種」ということになります。 

wiki 


ここに慰霊碑のあるのはその「初鷹」型敷設艦の一番艦。
急いでいたので正面の写真が撮れずわかりにくいのですが、立派な石碑には凝った字体で
「軍艦初鷹慰霊碑」の文字が彫り込まれ、その傍には第4代艦長土井申二大佐と、
第5代艦長である尾崎隆少佐の名前が刻まれています。
おそらく慰霊碑建造の時に生存していた艦長経験者は6名のうちこの二人だけだったのでしょう。

昭和14年に播磨造船所で起工され就役した「初鷹」は、開戦後は南遺艦隊として
あの「落下傘部隊」で有名になったパレンバン攻略作戦を支援しています。

防潜網を敷設するのが目的で作られたといっても「初鷹」のように比較的大型なものは
艦隊に随伴し、前進基地で輸送任務、対潜哨戒を行うのがが主な任務でした。
「敷設艦」は英語で「マインレイヤー」といい、機雷の敷設が「本業」です。

「初鷹」は触雷で小破したこともあり、最後は米潜「ホークビル」の雷撃で沈没しています。
どちらに対しても「専門家」であった「初鷹」ですが、これを自らが避けることはできませんでした。


「初鷹」の同型艦は「蒼鷹」「若鷹」。
「蒼鷹」も米潜「パーゴ」の雷撃に没し、「若貴」は敵潜の雷撃で艦橋を切断した状態で終戦を迎えています。

 






天皇海山列とロバート・シンクレア・ディーツ

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ちょっと今日は息抜きに変わった話題をお届けします。

先日、息子が学校で科学のプロジェクトに「火山」というお題をもらいました。
息子の学校では歴史や科学に、研究課題が出され、それについて調べて
一冊の冊子を作るというような授業が行われるのですが、一つのテーマについて掘り下げ、
文章をタイピングし、必要であれば図面や写真を盛り込んで、
まるで大学でやるような研究(学習ですけど)レポートを書き上げるのです。

先生は一つ一つのレポートに目を通すのですが、Wikipediaなどの規制の文章を
コピーアンドペーストすることは絶対に禁じられていて、一つでもそれがあると
点数が貰えません。

「そんなのどうやってわかるの」
「わからないけどそういうの探すソフトでもあるんじゃない?」

今の時代、先生も丸ペケだけで点数をつけていればいいわけではないんですね。
愚息はこういった研究課題形式のものが得意で、いつも高得点を取ってくるのですが、
実はその陰には父親であるTOの身を惜しまぬ協力が(少しは)あるのでした。

「こんど研究課題いつでるの」「出たら教えてね」

というのが彼の口癖で、特に科学系課題はドラフトを書かせ、それに目を通して、
「先生の立場で」それを読み、ここはどうしたらいいとかアドバイスするだけでなく、
実際に関連書籍を買い込んできて自分も仕事の合間に読み込み、
必要とあらば実際にその関係するものを見に連れて行ったり・・・。

孟母三遷ではありませんが、こんなことに関してだけは協力を惜しみません。
むしろ、自分が楽しむために手伝っているのではないかと思うこともしばしば。

息子の課題に「火山」が出た時には、TOは何冊かの本を読むうち
すっかり火山博士になってしまっていたようですが(笑)、あるときその検索の過程で

「こんなのあるの知ってた?」

と教えてくれたのが、本日タイトルの天皇海山列でした。
冒頭写真の妙に男前の科学者が、天皇海山群の命名者である

ロバート・シンクレア・ディーツ(Robert Sinclair Dietz)1914~1995

です。
教えてくれたTOも、もちろんわたしも初めて知ったのですが、この天皇海山群は、
アリューシャン海溝と千島−カムチャッカ海溝の結合部から南に向かって
約2500kmにわたって海底に存在する海底山脈です。



わかりますかね。
画面の中央に少しだけ右に振れるように降りてきている線がそれです。
線は降り切ったところで右に向かっておおきく曲がっていますが、
そこからは「ハワイ海嶺」と称する海底火山で、長さは3,500kmあります。


天皇海山列一発見・命名のいきさつ と生成の謎一杉山 明 より


海の中の山脈のことなど、大抵の人は何の関心も持たずに一生を終わるのだと思いますが、
今回わたしとTOがこの海山列にふと関心を持ったのは、その名前が、
「天皇」の名の通り、我が日本国の歴代天皇の御名より取られていたからです。

この上の図を大きなモニターで見ておられる方は少し良く見てみてください。

「桓武」「応神」「推古」「応仁」・・・。

古くは8500万年前にできた海底山に、日本の天皇の名をつけたのが、
先ほどの男前学者、ロバート・シンクレア・ディーツだったのでした。



もう一枚、男前だから写真サービスしちゃう。
海底火山の研究なんて地味なことをやってる学者でなければ、
どこかでプロデューサーのの目に止まって科学者の役で映画に出そうだわ。


さて、このイケメン科学者がどうしてこの海山群に天皇の名をつけたのか。
地図をお借りした杉山博士の論文によると、この海山列の現在の正式名は

「北大西洋海山列」Northwest Pacific Seamount Chain

というものらしいです。
こういう名称は「海底地形名統一のための小委員会」という機関で決められ、
こちらの名前は日本人の研究者、田山利三郎が1952年に命名したものです。

ところが、その2年後の1954年、ディーツが

「天皇海山群」Emperor Seamount Chain

と同じ海山群を名付けました。
ディーツは田山氏の論文を知らなかったから、という説と、
知っていて無視をした、という説があるそうですが、どちらかわかりません。

研究のデータは、わかっているところによると1935年、
日本の淀鑑という船が測量を行ったものが元になっているようですが、
ディーツは1953年にアメリカの海洋研究所が行った測量を基にし、
このときに発見された火山群に対して個々の名前をつけたというわけです。

それでは、日本に近いところから順番に名前を記していきます。
名前の後ろの数字は海面から頂上までの距離です。
すなわち、少ないほど「高山」ということですね。

「明治」 2,009m
「デトロイト」 309m
「天智」 1,819m
「神武」 1,296m
「推古」 1,029m
「用明」 980m
「仁徳」 959m
「神功」 792m
「応神」 1,608m
「光孝」 18m
「欽明」 1,095m
「雄略」 11m
「大覚寺」11m
「桓武」 280m

こうしてみると「デトロイト」の異質さが謎ですが(笑)、
この「デトロイト」は、あの「キスカ島」「アッツ島」に最も近い海山です。
それにしても「雄略」「大覚寺」の11mというのは、ほとんど海のすぐ下にあるわけですが、
これがある日海面から顔を出して島になってしまう可能性なんかはないんでしょうか。



それにしてもどうしてディーツは海山群に天皇の名前をつけたのでしょうか。
彼はアメリカ人なので、命名といっても「Meiji 」「Kanmu 」「Yomei」という調子で、
いまいち我々にはいい命名とは思えないのですが、それはともかく、戦後、
まだまだ戦争の傷がお互い癒えていない時期に、アメリカ人の学者が
自分の発見した海山群に、日本の歴代天皇の名前をつけたわけです。

学者らしく、戦争のあったことには全く拘泥しなかった、ということでもありましょうが、
先の杉山氏の論文によると、

「日本の古代史に興味を持っていたから」

ということを後で当人が言っていた、という話があった、という話です(笑)
ディーツはフルブライト研究者として東京大学に留学し、海上保安庁水路部において
研究を行っているので、やはりそれは本当だったのだろうと思います。

世の中には自分の嫌いな国に留学に来て、留学先でその国をわざわざディスる国民もいるそうですが、
ごく常識的に考えれば、敬意を払える国であるから留学に来るのが普通だろうと思います。

どうしてディーツが天皇の名前をつけたか、ということについては、
かの偉大な知恵袋において、いくつか質問がなされています。
そのうちの一つに、こんな回答が寄せられていました。

命名するときに日本に居たから「たまたま」じゃないでしょうか?
あくまで想像ですが、こういう命名って学者さんは途中から真剣に考えなくなるんですよね。
当たり前ですが、生まれてくる我が子の名前を必死に考えるようには考えません。

ちなみに台風の名前も適当すぎるんですよ。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html
日本の名付け分でも「コップ」だの「コンパス」だの適当です。

そんなもんですよ。意味なんか無いと思います。
強いて言えば少なくとも皇室に敬意は持っていたんでしょうが・・・


うーん・・・なんでこの回答者はこんなに必死なのか。
「たまたま」とか「真剣に考えなくなる」とか「必死ではない」とか、「適当」とか
「意味がない」とか、言葉を尽くしてこの命名を矮小化しようとしているけど・・。

だいたい学者の命名がほとんど適当であるなんて、想像だけで決めつけていいの?
学者ならなおさら、自分の死んだ後も永遠に残されるであろう学名に、
「意味もなく」名前をつけるはずはないんですが。

 台風の名前と比べているのもなんだか変ですよね。
台風に名前をつけた人の名前って、 台風と共に記録に残るようなものですか?
そもそも台風って、学者の業績と比べるようなもんですか?


最後でお茶を濁しているけど、実はこの人、天皇の名前が使われたことそのものが、
気に入らなくて仕方がない人なんじゃないかと思いました。



というわけで、こういう話になると、こういった皇室反対論者なんかが噛み付いてくるし、
今のところ気づかれていないけど、「日本海」という名称を変えさせようとしている国が、
もしこのディーツの命名に気がついたら、発狂してえらいことになるのは必至なので、
海保の地図には、「天皇海山群」ではなく「北大西洋海山列」とだけ記されているのかなあ、
などと穿ったことを考えてしまいました。



最後に超蛇足になりますが、息子の火山プロジェクトは父親の影の助力の甲斐あってか、
99%(つまり99点)のA+がつきました。<(_ _)>
もしかしたら・・・?などと、早速ディーツのような科学者になる将来を想像し、
悦にいる親バカ全開のわたしでございます。
 



 


MAST Asia 2015を見てきた~MAST is a MUST!

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パシフィコ横浜で行われたMAST Asiaを見てきました。

"MAST is a MUST!"

というのがHPの最後の文句だったりして、考えることは皆同じと思ってしまうわけですが、
mastというこの展示会は、アメリカの支援によって防衛省が主催する防衛見本市で、
経産省や自衛隊が支援して、現行の防衛グッズ?を一同に展示しているわけです。

防衛グッズ?そりゃー武器兵器のことだろ?

と思ったあなた、主催が平和国憲法下専守防衛を旨とする防衛省であることにご注目ください。
武器兵器といっても、地雷そのものや銃の類は展示されておりません。
もちろん地雷(機雷含む)や銃を自衛隊もまた防衛のために運用しているわけですが、 
見終わって思ったのは、やはり主催国のニーズに対応したものか、展示商品の大きな部分を
海底探査器や機雷発見のための器具が占めているということです。

今回、関連企業を経営されている方が

 「ブログのネタにもなると思いますよ」

と、この開催を教えてくださったので、行ってみることにしました。



というわけで横浜である。
この日はいきなり真夏日となって、ただでさえホットだったのが、
イベントへの期待で熱気もムンムンです(あーつまんない定型句)

パシフィコ横浜に来るのは生まれて初めてです。
同じ日、別のホールでは「アジア栄養学会議」というイベントをやっていました。

アジア栄養学会議・・・・少し見てみたい。



わかりやすく支援団体(というか主催?)は向こうで受付、のお知らせ。
自衛官用に「制服着替え用の別室」も用意されていました。
彼らはここまでわざわざ私服で来て、イベント会場に入るために制服に着替えるみたいです。

国防を担う軍人が普通に制服で街中を歩いたり電車に乗ったりできない国って?
と思うんですが、まだまだ当分こういう風潮は無くなりそうにないですね。

この入り口からいきなり入っていこうとすると、

「招待状はお餅ですか」

と尋ねられたので、持っていないというと、受付で名刺を求められました。
ていうかわたし、地球防衛協会の名刺しかないんですけど・・。

ところが、本イベント的には地球防衛協会顧問というのは十分な肩書きのようです。
受付の青年が独自に「地球防衛協会」を英訳してこんなIDを作ってくれました! 



うふふ、なんだか意味ありげでそれらしい人みたいではないの。
おまけに彼はこれを渡す時に、流暢な巻き舌英語で高らかに内容を読み上げてくれました。
なんというか、こんなところでもお得感満載です。

さあそれでは、この胡散臭い()名札をつけて、いざ会場へ!



おっと、その前にこれをいただくのを忘れてはいけません。
書類やパンフレットなどを入れるために用意された布バッグ!

普通こういうのはせいぜい紙袋だとおもうのですが、なんとスポンサーが
ロッキードマーチンという超大物であるせいか、扱っているものの単価が高いせいか(笑)
販促グッズにも手を抜いておりません。
今回は自衛隊といっても海自の主催という形になるので、自衛隊旗がデザインされてます。



裏側には参加企業のロゴが。
やはり一番出資している企業が一番上に名前を載せていますね。

さて、わたしはたまたま教えていただいてなんとなく行ってみただけなので、
何がどう展示されているのか全く予備知識なしだったのですが、
会場に入るなり、



US-2の大きな模型がお出迎えしてくれたのですっかり瞳にお星様状態です。

「ああ、US−2が!来て良かったあああ」



しっかりパンフレットも記念にいただいてまいりました。
US-2といえば、インドに販売するという話が先日あったと思うのですが、
これについては日本とインドの間で若干意見の食い違いがあって、
日本としては輸出したいのだけど、インドは3機くらい買ったら、
あとはライセンス生産をしたいという意向なのだということです。

日本とアメリカもそうやっている飛行機は多いし、別にいいのでは?
と思ったのですが、インドはさらにそれを輸出したがっているということで、
素人から見ても、それはちっと図々しくないか?と思ってしまうわけですが。

川西だって並大抵でない苦労と犠牲を払って今日のUS-2を造ったんだし。



パンフを見て初めて知ったのですが、US-2って、海水を汲み上げることもできるんだそうです。
右下の写真は、そうやって貯めた水を消化活動に散水しているところ。
消防飛行艇の場合、20秒水上滑走するだけで15トンの水を汲むことができます。

「猿沢池にも降りることができる」

というくらい、局地着水の能力に優れているのですから、たとえ山火事でも
付近の湖と現場を往復して消火することができるというわけですね。

エンジン換装によってパワーアップできるので、EEZ内はもちろん、
大きな行動可能範囲で離島保全、海洋管理など、多様化が期待されています。

 

そしてその横には、「いずも」が!
モニターで流している映像は、就役の式典のものだったと思います。

ところでUS-2は外国に販売するという今後の目的があるわけですが、
日本が「いずも型」をどこかに売るという話は今後もないはずなので、
なぜ見本市に「いずも」が飾ってあるのかという気もしますが、
これも会社の技術力をアピールするという意味なんでしょうか。



この模型は小西製作所という大阪の会社が製作しています。
博物館のや、こういった用途のために船舶模型を作る会社で、
愛好家が自分で作るパーツを買うような模型会社ではありません。

おそらくこういう模型は一台30万円クラスだろうと聞いたことがあります。
改めて小西のHPで調べてみたら、一応パーツ売りもしているのですが、
完成品になると1/200の金剛・愛宕が55万円、「大和」だと同じスケールで100万円以上。

あと百万越えは1/200の「長門でした。
空母型は戦艦より安くなりそうですね。構造物が少ないので。



やっぱり艦載ヘリの尻尾、はみ出してる・・・。
ところで、このエレベーターに乗ったことのある人の話によると、
「ひゅうが」と違って、このエレベーターの動きはかなり粗く、
がくっ、がくっ、という感じで稼働するそうです。

観艦式の「ひゅうが」はあのエレベーターで人を一気に輸送していましたが、
おそらく「いずも」はここに見学者なんか載せないでしょうね。

落ちそうだし。



「いずも」の近くにあったIHIのブースにはこのような不気味なものが(笑)
これについては見ていたら会社の方が説明をしてくださいました。

これは無人海洋システムの「洋上中継器」だそうです。

母船から放たれたこれは、これをもう少しスマートにした形のやはり黄色い
「AUV」を、海面直下を航走させながら管理するものです。
子分のAUVに集めさせたデータを集めて、衛星を通じて母船に情報を伝える、
というものだと(言っておられたように)思います。


複数の無人機を運用することで、広い海域を短時間で効率よく探索できるんですね。

このノーズを見て、航空機のドローンを思い出したのですが、
なぜドローンって皆こういう形の下さがりノーズをしているんでしょうか。



「ふゆづき」「ましゅう」「おおすみ」「しょうなん」・・

「ふゆづき」ですぐおわかりのように、ここは三井造船のコーナーです。



入るなり馴染みのあるものばかりだなあと思ったら、それもそのはず。
会場の入り口近くには「JAPAN」ブースばかりが集まっていたのでした。
つまり防衛省の展示ということです。

場内には海自の自衛官が見られましたが、若い人(2尉クラス)が多く、
自衛隊の中でも技本などに勤務しているのではないかという雰囲気でした。



これ、なんだと思います?
後ろの説明には「アンフィビアス・ヴィークル」とあるように、「水陸両用車」です。
検索してみたら軍事ニュースのサイトに記事が上がっていました。

JMUの防衛装備品開発・製造部門であるJMUディフェンスシステムズは
MAST ASIA 2015の会場で、水陸両用車(Amphibious Vehicle)の模型を展示した。

展示された水陸両用車は、同社が陸上自衛隊向けに開発し、製造した
94式水際地雷敷設装置をベースに自社開発しているもので、基本的な車体レイアウトは
94式に準じているが、94式水際地雷敷設装置が4×4の車輌であるのに対し
6×6となっており、不整地を含む路上での走行能力が向上していると思われる。

車体は装甲化されていないが、必要に応じて増加装甲の装着も可能とされている。
ペイロードは6t程度で、人員であれば28名程度の輸送が可能と見られる。
浮航時は94式水際地雷敷設装置と同様、左右のフロートを倒して浮力を向上させる。

航行時の推進システムは、94式水際地雷敷設装置(プロペラ)と異なり、
2基のウォータージェットを使用する。

シーステート3での運用が可能とされているが、会場で公開された試験時の映像では、
限りなくシーステート4に近い海面での浮航が行われていた。

同社は水陸両用車の用途として、水陸両用部隊用の輸送や
大規模災害の救援などを想定しており、防衛省に提案を行なっている。
また離島の多い国や地域での需要を探ることも視野に入れている。


というものです。
どこかで見たことがあるなあと思ったら朝霞のりっくんランドでした。
あのとき、機雷を積む場所に隊員を乗せて、大震災に出動したという話を聞きましたが、
この「両生類」も大規模災害を想定しているようです。



水から上がってくるところ。
なんかシュールです(笑)



ブレーキテスト中。

 
聞いた話によると、これは防備の点でイマイチなので、揚陸、たとえばですが、
ノルマンディ上陸作戦レベルには使えない、という問題があるらしいです。

日本が運用するならいいんじゃないか?という気もしますが、
離島奪還などという最悪の場合も想定するのが国防というものですから・・。




上から

「きりしま」「いせ」

海賊対処「パシフィック・ヴィーナス」

洋上給油

とあり、ロゴは

Defence Technology Foundation

これは「防衛技術振興財団」のことらしいですが、HPにあった住所を
拡大していったら、なんと

皇居宮殿長和殿

に行き当たりました。
いいのか。 



防衛計画の年次に建造された航空機の一覧。


こちらは掃海艇ですね。
掃海艇が「~しま」という命名基準になったのは1970年代からのようです。

というような雑学にまたくわしくなってしまったmastでした。




続く。


 

2015静岡ホビーショー~「いずも」1/700発売!

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模型会社の「中の人」から、「模型の聖地」静岡でのホビーショーに
ご招待をいただきました。
この週末は一般客でおそらくにぎわったこのホビーショー、去年東京ビッグサイトで行われた
模型ショーとほとんど同じ・・・・ではないのです。

大きな違いは何か、というと、わたしの興味はなんといってもヘリ搭載型護衛艦「いずも」が
就役に合わせて発売になることでした。
自衛艦旗引き渡し式という歴史的な瞬間をこの目で見た関係上、やはり「いずも」には
今後もきっと思い入れを持つものと思われますが、それはたとえばプラモの発売、
といったことであっても例外ではないのです。

んが、わたしには懸念がありました。
そう、先日から噴火レベルが2に引き上げになったという箱根山です。
会場の静岡にはどうしても新幹線に乗らなくてはいけないのですが、万が一のときには
新幹線の線路は大変怖いところにあるため、こういうことにはやたら注意深いわたしは

「箱根山が心配なので様子を見ます」

と返事をしたところ、

「そうまでして来るようなもんではありませんから」

となんとも返事のしようのないお気遣いの言葉が返ってきました。
しかし、前日になっても別に噴火レベルが引き上げられる様子もなく、
というか世間的には全く無いことになっているみたいだったので、
安心したわけでもありませんが、今日1日は大丈夫だろうと判断して行くことにしました。

当日の新幹線はやたら混んでいて、皆静岡で降りるという感じ。
現地に着いてから関係者にそれを言うと、

「そんな大したイベントでも無いのに・・・」

ただ、彼らの中には業者招待の今日ではなく、明日からの一般招待のために
モデラーズクラブの作品を展示するために前日に乗り込む人もかなりいたようです。

静岡駅のプラットホームには「模型の首都静岡」というロゴがありました。



会場には駅前からシャトルバスが出ています。
それに乗り込み、だいたい10分くらいで会場のツインメッセ静岡に到着。 

業者招待日は初日は混むのですが、二日目のこの日は大したことはないということで
お誘いをいただいたというわけです。

 

今回「いずも」を発売するのはハセガワ模型でした。
会場に入って右手を見るとまずこの看板がパッと目に入ってきます。

「いずも」のような話題&人気艦の模型は、就役となった途端、
各社がこぞって趣向を凝らしたパッケージで発売したりするのだと思っていましたが、
実はそうではなく、タミヤ、ハセガワ、そしてあと一社が(青島だったっけ?)
話し合いをしてどこが出すかを決めるのだと聞いて驚きました。

カルテル・・・・?

ちなみに「ひゅうが」のときもそうやってどこかを決めたようですが、
今はフジミ模型、アオシマなどが出しています。
ある程度の期間が過ぎたら解禁になるってことなんでしょうか。




見よこれが1/700モデルの「いずも」である。

無駄に焦点を艦橋に合わせてしまい艦首がボケていますが、
この部分に見える金色の部分はオプションの柵で、金属製です。
わかりやすいように色を塗装していませんが、ここは将来白く塗られます。

オプションは2000円くらいのプラスになるそうです。

下に敷いてある大きな「いずも」のマークは、記念グッズとして同梱される模様。


 

 

これが切り取り前のパーツでございます。
模型作りをしたことはなくこれからもする予定がないわたしとしましては、
こういうものをみせられると、よくこんなものを切って組み立てて、
間違いなく接着して正しい形に持っていけるものだと心から驚嘆してしまいます。




防衛省は模型業界に協力的ではありますが、さすがに就航の前に
どういう構造になっているかまでは質問に答えてくれることもなく、
ゆえに会社は就航になってから初めて全てを動かしていくことができます。

これは防衛機密上当然ですが、同時に装備がギリギリとなっていきなり変更になる、
という可能性だってないわけではないからなのです。

精密さと組み立てやすさが両立したパーツ構成、というところには、

「艦橋はスライド金型を使用して少ないパーツで複雑な形状を再現」

「船体は前/左/右/後/底底の分割式で、桁を挟みこみながら組み上げる設計」

などと、全く門外漢には理解できないメリットが書かれています。 




パッケージデザインと細密図がパネルになっています。



展示されている「いずも」はおさわり禁止ですが、こちらには
わざわざ手に取って見る用の艦体が置いてありました。
艦載機はもうくっつけてあります。

 

こういうのも組み立てないといけないんですかね(呆然)

艦載機は

MCH-101  2機

SH-60K  2機

MV-22(オスプレイ)  1機 

で、こんなに小さいのにSH-60Kのローターが完璧にわかるという・・。
搭載ヘリはローターをたたんだ状態にもなります。(手前から2番目)

横のさらに小さなのは各種車両。



トラック、牽引車、フォークリフト、清掃車、クレーン車、
高所作業車、救難車、なんと、パック3まで。

やっぱりみんな自分で色つけるんですね・・・(T_T)

パック3の右前にあるかじりかけのドーナツのような形のものは
なんと無人の牽引車で、ヘリをリモコンで移動させるものだそうです。

わたしの記憶に間違いがなければ、このお値段は確か1000万円以上するとか。

 

いかに「いずも」が大きいのか示すために置かれていた「きりしま」と「こんごう」。
そういえば、「いずも」の就役のとき、同じ岸壁に「きりしま」がドック入りしていて、
上空から報道各社が撮影した空中写真でその比較ができましたね。



「あたご」といえば、ご案内くださったFさんは、取材のために「あたご」に乗って以来、
すっかり「艦(ふね)派」になったそうです。
その取材も飛行機と船が同日にあり、たまたま船を選んだのが運命の分かれ目だったとのこと。

模型会社の人といっても、全員が会社の扱っているにくまなく詳しいかというとそうではなく、
ましてや「戦歴」などについての知識は「趣味の範疇」みたいなものだということです。 

特定の船だったら艦これファンの「俺の嫁」に対する知識の方がよっぽど上なのかもしれません。

「わたしたちに必要な知識は”外側”だけですから」

模型会社ですから考えたら当たり前なんですが。


 

と話が繋がったところで「艦これ」です(笑)
なぜか「島風」だけが大きく取り上げられてコーナーになっていました。



こちらは小さな模型とフィギュアの組み合わせ。
うーん、これは「島風」さんファンなら欲しいかもわからんね。

これはマックスファクトリーという会社が企画しハセガワが扱っていて、
つまり「艦これ」ファンをモデルの世界に呼び込もうという試みのようです。

ここに書かれている「艦船模型の常識を覆す完全新規開発」というのは、
初めての人にも迷わず組めるような工夫がパーツにも、説明書にも網羅されていて、
例えば塗装も最初から施されていたりするそうです。 

元からがっつりやっている人ではなく、

「模型に興味はあるが作るのは面倒なのでできたのが欲しい。
でもどうしてもというなら簡単に作れるならば作ってもよい」

などと考えている向きにはぴったりの企画といえましょう。

1/350スケールの島風の模型化は世界初で、艦娘島風だけでなく、
連装砲ちゃん(なぜちゃん付け?)もセットでついてくるそうです。



従来の飛行機モデル。



P-3C。
この中では比較的大きなモデルです。



ドイツの模型も扱ってはいますが、本日は受注はしておりません。

模型会社というのは世界中にあるわけですが、やはり日本とドイツの模型は特殊だそうです。
国民性と言ってしまえばそれまでですが、

「電車が時間通りに来る国はいいものを作る」

というのが「世界の模型首都」の大手と言われる会社(しかし実態は中小企業だとのこと)
の中の人のお話でした。 



今模型会社がヒットを祈願しているのがこの

「紫電改のマキ」

(これぜってー紫電改のタカのパロディだろっていう)で、なんでも
美少女が紫電改やスピットファイアーで通学しているという・・。



読んでみたいようなみたくないような・・・・。



前回東京のホビーショーでこのコーナーを見た時には全くわけがわからなかった
松本零士先生の戦場漫画シリーズ。

「スタンレーの魔女」「復讐を埋めた山」「アクリルの棺」

皆読みましたよ~!
おかげでそれぞれ一式陸攻、ゼロ戦52型、キ84四式だとわかります。
ここでふと版権のこととかが気になって質問してみました。

「松本零士先生には今でも使用料が行っているんですか」

「もちろんです。一箱いくらが使用料として松本先生に行きます」

「本の印税みたいですね」



これは読んでません。「キャプテンハーロック」。
なんと2015年6月、これからの発売となります。 
いまだにこういうパッケージのものを買い求めるファンがいるってことなんですね。 



宇宙海賊戦艦「アルカディア」1番艦。(だそうです)



こちらゲームの架空航空機のモデル。
この「エース・コンバット」を息子に聞いたら知っていました。



前回の東京でのホビーショーで注目した「たまごヒコーキ」。
向こう側のブルーインパルスにピントがあってぼけてしまいましたが、手前に注目。
NASAでボーイング747がスペースシャトルを乗せて運んでいるところ。

かわいい(笑)



こんなものもあります。
思わず欲しくなってしまうミニチュアシリーズ。
パイプいすなんか欲しいかな。



小さいものというのは無条件にかわいい。
船や飛行機の模型に人が惹かれるのも、こういう原初的な萌えが根本にあるんでしょうね。


続く。


 

MAST Asia 2015を見てきた〜科学の粋

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横浜パシフィコにて行われたMAST Asiaに潜入(本当に場違いでこんな感じだった)
してきた報告、後半です。

前回のエントリを上げたあと、自衛隊について色々と勉強させていただいている
元自衛官が、同日同時刻にパネリストとして講演をしておられたことを知りました。
教えていただいて慌ててディレクトリをみたところ、会場ですれ違っていたというタイミング。

全く気づかなかったのは現地にそのようなお知らせがなかったのと、告知HPも
会場で配られる資料も全て英語であることでしょう。
パネルディスカッションも当然英語で行われ、通訳もないのかもしれません。

英語でだけ告知をするのは誰でもかれでも来てもらっては困る、ということと、
妙な団体に絡まれるといった不要のアクシデントを防ぐためなのかと思いました。

ところで、このイベントの「プラチナ・スポンサー」で、どの媒体でも
一番最初に名前が出てきていたのが、 このロッキード・マーチン。

これが全体プログラムの裏表紙ですが、冒頭写真の

「我々はより良い明日を約束します」

といい、

「次のミッションにできることから何かのために」(適当)

といい、気合が入りまくっている感じがひしひしと伝わってきますが、
彼らの気合はこんなところにも。



アメリカ人の考えるところの「和」をさんざんあしらってみました(笑)
丸障子に(紙なし)紙のランプシェードの照明。
日本庭園をイメージしたフェイクグリーンはわざわざ白石を敷き詰めて。

障子の桟ごしに、こちらはいかにもアメリカーンなソファに、これも
いかにもアメリカンなおじさまが談笑しているロッキードマーチンのブース。

ブースというとパネルに囲まれた3畳くらいのスペースがほどんどなのに、
このコーナーは仕切りすらありませんでした。



ロッキードマーチンがヘリコプターを作っているという話は、
大統領専用機のVH-71「ケストレル」くらいしか聞いたことがないのですが、
これはどう見てもシーホーク・・・・。



なんだかすごく見覚えのある形、と思ったら「こんごう」でした。
ロッキードマーチンはイージスシステムを導入しているからですね。



艦番号がないですが、「アーレイバーク」型駆逐艦でしょうか。



ネクストジェネレーション「フリーダム」ということなので、ロッキードマーチン社が手がけた
次世代型「フリーダム」級のようです。

フリーダム (USS Freedom, LCS-1) は、沿海域戦闘艦(LCS)。

本艦は正式採用を目指してロッキードマーチンによって設計され、ジェネラル・ダイナミクス社の
インディペンデンス (USS Independence, LCS-2) と競合して建造されました。

艤装中に火事が起こって就役が遅れたそうですが、2008年9月から運用されています。





サーブってあの車のサーブですよね?
いやー、軍需産業にも手を出していたとは初めて知りましたが、もともとこの会社は
航空機メーカーで、第二次世界大戦中には軍用機を生産していたという歴史があり、
今でもその流れで対艦ミサイルや無反動砲なども作っています。


車メーカーのサーブは、昔は同じだったのですが、今は資本関係はなく別会社だそうです。

このポスターを見てお分かりのように、サーブは「シージラフ」というものを作っています。
そこで「Girraffe」って何かしら、と調べてみると、レーダーなんですね。



これはもう「キリン」以外の何物でもないというシェイプである。

これはエリクソン・マイクロウェーブ・システムズであった現在の「サーブ」が、
最初に開発した探知距離40kmのレーダーですが、第3世代の今では
それはアンテナをフェーズドアレイ化した三次元レーダーとなっています。

今のシステムになっても見た目はやっぱりキリンです。



サーブ、こんなものも開発しているのだった。

黄色いのは、機雷探査機。
右側の赤いのは、オペレーターのトレーニング用に使う無人の訓練機だそうです。



無人機といえばこれ。
愛称「ブラックジャック」と言われるRQ-21 インテグレーターが飾ってありました。
それを見ながら無料のコーヒーを飲む来場者。

何に使うのかわかりませんが、とにかく回収の仕方が面白い。
スカイフックというもので回収するのですが、その映像が見つかりました。

無人航空機 RQ-21 インテグレーター(Integrator)


なんか信じられませんが、空中に張った糸に翼がうまく引っかかって止まります。
”とんぼつり”という言葉を思い出してしまいました。



これもサーブと同じくスウェーデンのボフォースという会社の57ミリ砲。
なんとピアノブラックの豪華家具調対空砲?!

・・・と思ったら、これはただ実物の大きさを示しているだけのようです。



本物はこの色。そりゃそうだ。
なかなかすっきりしたシェイプの艦砲ですね。



ブラジル海軍も使ってるよ!ということですが、速射能力、追随能力に優れ、
多くの国海軍に採用されており、最新型はアメリカ海軍と沿岸警備隊の大量導入が決まっているそうです。



ソリューションズという会社でしょうか。



こちらは英国の企業コーナー。
ということはこの後ろ向きの軍人さんも英国海軍?

それにしても、海軍の夏服というのは全世界共通なんですね。



イギリスの会社がヘリコプターを作っているという話も初耳でしたが、
それを海自が導入しているというのはさらに初めて知りました。

アウグスタウェストランド社の掃海・輸送ヘリ、MCH-101。

現在すでに5機が導入されており、全部で11機を運用する予定だそうです。 




潜水艦の潜望鏡やオプティカル・センサーの会社。



潜水艦の前を泳ぐイルカさんたちに注目。



航法装置などを専門に製作している会社です。
搭載するものによって仕様が違い、例えば奥の緑のものは戦車用。



機雷処理のためのセンサーですね。



この会社は海底探査機を開発していました。
どんな機械か写真を撮るのを忘れたのですが(←)、海底に沈む戦跡、
航空機や船舶などをこうやって探査するためのシステムです。

これはもしかしたら旧日本軍機・・・零戦でしょうか。



機雷対策・水中偵察・港湾セキュリティ・捜査&探索

についての製品開発をしている会社のポスター。
まるで昔の戦闘機のようなシャークの顔が書いてあるのが「脅威」の象徴?

わたしはGE日本支社にいたとっても偉い人を知っているのですが、
彼のお父さんは元海軍軍人でした。 
ユーボートに沈められた船に乗っていて、漂流の末助かったという経歴があるそうです。

彼はまた硫黄島にいたこともあり、目の前で海兵隊の兵隊が投降してきた
日本兵を容赦なく撃ち殺すのを見て心からショックを受けたという話を聞きました。
その父上は、わたしがその話を聞いたわずか1ヶ月後にこの世を去ったそうです。

と、全く関係ない話でしたが、GEも軍需産業だったんですねー。 



主にエンジンを製作しているそうです。



ローデ・シュワルツはドイツのエレクトロニクス企業。
日本では、主に高周波用高性能測定器のメーカーとして知られています。

「情報優越」って、日本人にはイマイチというか、いかにも外人さんが考えたって感じ?



入場者は多くはありませんでしたが、なんらかの形で参入している業者など、
関係者がほとんどのように見受けられました。
わたしのように「物見遊山」組はおそらく超少数でしょう。



我が日本からNEC。
電子情報システムの分野で参入しています。



prevent illegal activities というのは不法侵入などを予防するということだと思うのですが、
そのためのシステムについてちょうど来訪者が社員の説明を受けていました。



そのために開発されたのがこの「NEXTER」のようです。



衛星システム「ネクスター」は、例えば地球を視る目として、
短期間に低コストで高機能な人工衛星を市場に提供し、より一層の宇宙利用促進に貢献します。
NECでは長年に亘るバス機器開発のノウハウを元に、その機能構成を大幅に見直し、
機器間を標準ネットワークでつなげ、オープンアーキテクチャや民生技術などを
積極的に採用しシステム開発を進めています。(NECのHPより)



ネクスターでできること。
衛星写真から地図を作ったり、大災害の被災による地形の変化を調査したり。



オーストラリア企業群の展示。


さて、わたしが注目した展示はこんな感じでしたが、少なくとも本日一堂に会した国は
「国防」を目的とした装備をお互い売ったり買ったりしているわけで、
ということは皆「こちらがわ」(西側とも言いますが)なわけです。

それでは我々の仮想敵は彼らの敵であり、彼らの敵は日本の敵、ということになるのですが、
MAST Asiaというわりに日本以外の企業はいなかったし、どうもわたしの浅薄な知識では、
この催しに見える構図は少し理解にあまりました。

単純に、この日の参加企業国は日本と同じ価値観を有する、で良いんですよね?


日本が降伏した時、最もそれを悲しんだのはボーイング社の社員だった。

という冗談があるように(わたしが今作っただけですが)、世の中には
戦争が金輪際なくなってしまうと困る人たちもいるわけです。
しかしそういう構図はともかく、産業革命以降の科学技術というのは
軍需産業ありきで発展してきたという現実があります。

科学を大きく推進させた軍需。
かつての航空機の発達に始まり、今は衛星システムを駆使した情報の分野
(イージスシステム含む)にこそ、科学技術の粋が結晶されているらしいということを
改めてこの目で確かめることになったMAST Asiaでした。





2015静岡ホビーショー~「模型少年がいっぱい」

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「ネイ恋」で旧海軍や海自について語っているうちにご縁ができ、
いつの間にかこういうホビーショーにも足を運ぶようになったわけですが、
きっと5年前のわたしにこんな未来を見せたら驚いたことでしょう。

というくらい、人間の将来は読めないものなのですが、5年前のわたしに
冒頭写真のようなジオラマを見せたら、普通に目を輝かせていたことと思います。
昔から好きなんですよ。ジオラマ。

これも最初に見学したハセガワのシリーズなのですが、どうもここは
「街と電車」をテーマにしている模様。


冒頭写真は立体駐車場に古い建物の立ち並ぶごくありふれた街。
少し変わっているのは道路に路面電車のレールがあることです。



ビルの屋上にはちゃんと給水塔まであるこだわりよう。
よく見ると街灯や信号機、盲人用のカラーブロックまで。

路面にロッテリアのあるビルの広告はハセガワです。
拡大してみるとさらに凝っていて、道を歩く人が大きな荷物を持っていたり、
ちゃんとマンホールもあったり・・。



これなんかすごいですよ。
街神輿の列はどうやら練習らしいのですが、周りには
写真を撮っている人や、呉服店、陶器店などの店先に仕事途中で神輿を見に
ふらっと出てきたらしいお店の人まで表現されています。



こういうタイルの、しかもあまり趣味のよろしくない色のマンションってありますよね(笑)
マンションの最上階のベランダにはちゃんと人がいます。
洗濯物を干している人と、犬と遊びながら水を撒いている人。



このジオラマは別の会社のものです。
「気仙沼風ジオラマ」とありました。

大震災後の応援企画だったりするんでしょうか。



駅前に停まって待っているタクシーに今から乗り込む人、
右下の青い屋根の建物はコーヒーショップで、店先では女の人が掃除中。
横断歩道で信号待ちをしているのはあきらかに老人、と、小さいのに全てが表現されているのです。



山間部を走る線路を中心にした大きなジオラマ。



橋の上をアップにしてみました。
黒いコートを着て一人で下を覗きながら佇んでいる人が・・・・!

映画「The Bridge」を思い出してしまいました(; ̄ー ̄A 



線路の脇にはがけ下にもかかわらず普通に商店が!
八百屋さんの店内は黄色ですが、遠くから見ると灯りに照らされているよう見えます。



阪神電鉄が1927年から廃線まで運用していた路面電車。
実家の地域を長らく走っていた形だということですが、あまり覚えてません。

何れにしても京都なども次々と路面電車は廃止されていきましたね。
たしか広島や岡山ではまだ走っていたと思いますが・・。 



ボーイング747と「赤城」日の丸仕様バージョン。
甲板に日の丸、という仕様はミッドウェー海戦のときだけだったそうですが、
珊瑚海海戦で艦載機が間違えて敵空母に降りてしまったのでこのようにしたとか。

ということは、これは「赤城」最後の姿だということになるのですが・・。


日の丸なしバージョンもありまっせ。



こちらの特色は甲板の「裏」。
裏といっても空母ですから下から見えるのでこんなところもディテールに手を抜きません。
(当たり前か)


向こう側は説明不要の「大和」。こちらは氷川丸。



氷川丸は横浜の日本郵船歴史博物館の所有なのですが、ここでも何かタイアップがあった模様。
この日本郵船歴史博物館は、昔日本郵船の待合室でもあった本社ビルの建物を使い、
会社の、そして日本の船舶の歴史を企画などによって知ることができる貴重な博物館です。

横浜の空襲にも無傷だったのは、もちろんアメリカがこれを占領後使用するつもりで
爆撃などを一切しなかったからです。

この博物館には籾山艦船模型製作所の製作による氷川丸の模型がありますが、
これは第2次世界大戦前、カナダ・バンクーバーの日本郵船代理店で保管されていたものです。
戦中の対日資産凍結により、カナダ政府に没収されたものが、戦後、競売で落札され、
その後ウィスコンシン海洋博物館に寄贈され、同博物館に展示されていました。

どうしてそこにあるのかがわかったかというと、そこで生まれ育った人が、
老人になって日本郵船のクリスタルハーモニーに客として乗ったときに、船員に向かって

「この船には小さい時に町の博物館で見ていた模型と同じ模様がある」

と、煙突の赤い2本線を指したことがきっかけでした。
その後日本郵船は模型の返還を求めて交渉し、難航の末返還されたのです。


船舶模型に興味のある方は、ぜひ博物館でこの芸術品と言っても過言ではない、
「氷川丸」の模型を見に行かれるといいかと思います。 




日本海海戦110周年記念モデル。
今年はそういう記念となる節目の年だったんですね。



模型には付いていませんが箱絵にはちゃんとZ旗が揚がっています。
「天気晴朗なれど波高し」の電報通り、海は高く波が立っています。



110周年記念モデル特典は東郷平八郎と秋山真之のフィギュア。

「これだけ売ってないんですか~!!」

思わずわたしは聞いてしまったのですが、これに色をつけるのも買った人のお仕事。
いったいどうやって・・・・。

このフィギュアにも製作者の名前が記載されていますが、
きっとこういう人は米粒に般若心経とか書いてしまうに違いありません。



「しんかい6500」。

「しんかい」は2012年現在世界で2番目に深く潜れる有人潜水艦です。
その名称が示す通り、6,500mまでの大深度の潜水調査を目的とし、その主な任務のなかには、
地殻や地層の調査の他に海底生物の生態系や進化の解明などというのもあります。



「しんかい」が就役してから2014年で25周年が経ちました。
というわけで「しんかい6500」ディティールアップバージョンに特別に付いてくるのは、

ダイオウイカ1匹とダイオウグソクムシ3匹!

「しんかい」のスケール1/72に合わせてあるので、まるでオキアミのイカバージョンとまるむしですが、
実際の大きさはイカが6m、まるむしの方が60センチ位あることになります。




初めて見た、「列車砲」。
クルップ K5(Krupp K5)こと28cm列車砲K5 (28 cm Kanone 5 (E)) 。
レオポルドとありますが、、そのうちの一両に付けられた固有名詞です。

線路の上からドコーンと大砲を撃ってしまううわけですが、こんなのちゃんと狙い通りに飛ぶのか?
そもそも、線路の軌道上に敵を攻撃するのにちょうどいい場所があるのか?という疑問が・・。

なんかあのドイツにしては、アバウトな兵器を作ったものだなあと思うのですが、
連合軍がこれを鹵獲して解析しておきながら、似た武器さえ作らなかったというのが全てです。



ロボットバトルというアニメのキャラクターシリーズ。



VF-1 バルキリー(ブイエフ・ワン バルキリー)。
テレビアニメ「超時空要塞マクロス」の架空兵器。 



前回、東京のホビーショーでも見たニッサンサニートラックとバイク。
どちらもぐるぐる回って展示されています。


それよりこの模型を覗き込んでいる男性の顔!
顔半分を隠しましたが、それでも彼の表情がキラキラ輝いて(笑)いるのがお分かりいただけるでしょうか。

模型ショーでは、みんながかつて模型に夢中になった少年の頃に戻れるのかもしれません。


続く。 

平成27年度「練習艦隊壮行会」

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去年、平成26年度の海上自衛隊練習艦隊を晴海埠頭に見送り、
そして再び半年後に帰国してきた彼らを出迎えました。
それだけではなく、艦上で行われたレセプションにも参加し、若い実習候補生の
覇気あふれる姿に接して心から頼もしく思ったばかりでなく、
南方で収集された旧軍将兵たちのご遺骨を、日本の埠頭に迎える光栄に浴したものです。

さて、本年度は、練習艦隊を見送る壮行会に参加してきました。

海上自衛隊の支援活動が大きな目的の一つである水交会では、旧軍の昔から
練習艦隊の出航に際して壮行会で彼らを励ます夕べを持つのが慣わしです。

というわけで当夜の様子をお伝えしていきますが、基本的に
候補生と自衛艦の皆さんは写真の目隠しなしでアップしてあります。


 
さすがは海軍5分前の海上自衛隊。
時間ぴったりにアナウンスがあり、候補生が入場してきました。

入場とともに鳴り響いたのは「海をゆく」です。

海を守る わ〜れ〜ら〜♪

というあの曲ですね。



水交会は広い宴会場などを持っていないのですが、この日ばかりは
ロビーを含めて全ての仕切りをぶち抜いて場所を確保してあります。

・・・・・が、初級幹部が入場してくる前ですら、立錐の余地もないといった感じ。
さらにそこにこうやって初級幹部が170人入ってくるわけです。
あんなところでどうやってパーティをするのだろうかと危ぶんでいましたが、
やっぱり大変な混雑になりました。 



わたしなどギリギリに行ったものですから、部屋の中に入ることができず、
廊下のところから彼らの入場を見ることになりました。

ちなみに前で拍手をしておられるのは元海幕長です。
この後後ろを振り向かれたので、ご挨拶をさせていただきました(笑)



行進してきたといっても奥に入れる場所など限られていますので、
この辺りの実習幹部は渋滞のため立ち止まってしまっていました。



なんとかかんとか皆がそれなりの場所に落ち着き、まずは
水交会の一番偉い人のご挨拶。

「年金生活の中からやりくりしたお金で皆さんのために催した夕べです。
どうか心して大いに飲み大いに食べ・・」

というセリフで会場はどっと受けました。

水交会側の出席者は4種類。
海上自衛隊、海軍、そして賛助会員と有志です。
海上自衛隊のOB、旧海軍出身者には年金生活者の世代が多いということですね。
わたしはもちろん「有志」という立場での出席で、名簿を見たところ女性の出席者は
ほとんどが「有志」となっていました。



廊下にあるドアの外で中を覗き込む場所に立っているので、
挨拶が行われているところは全く見えません。
というわけで、艦隊司令の挨拶は音声だけ聞こえてきましたが、
どの方が艦隊司令の中畑海将補なのかよくわからずじまいでした。

ただ、艦隊司令の、

「我々はやります!やってのけます!」

という力強いこれからの航海に対する決意表明は心に残るものでした。



この後、司令官始め、首席幕僚、群先任伍長、「かしま」「やまぎり」「しまゆき」の
各艦長と先任伍長始め、主要幹部の紹介が行われました。

狭いところにひしめき合っているので、名前を呼ばれた人はその場で
返事をして挙手、皆はそれに対して拍手という流れです。

わたしの立っていたところには実は偉い人たちが固まっていて、
この写真に見えているのは技本開発官、中央病院副院長、教育航空集団司令官だったりします。



法人賛助会委員の企業名も呼ばれました。
出版会社、艦船技術会社、ビール会社、生命保険会社、日立、三菱、IHI、
そして東郷会からも。

ちなみに名前を呼ばれて手をあげる時、自衛官は皆グーでした。

それがすんでから乾杯です。



人が移動しだしたのでようやく式次第の前まで来ることができました。



始まって数分でものの見事にこの状態である。
お寿司は一瞬にしてかき消えてしまった模様。



食べ盛りの皆さんがいちどきにテーブルを囲めば、
まるで吸引されているように食べ物は無くなっていくのだった。

若い人、しかも朝から規則正しく体を目一杯使っている人たちの食べっぷりは
見ていて気持ちがいいほどです。



会場の隅にはコック帽をかぶったシェフが三人ほどいて、カレーをサービス中。
このカレーは「海軍カレー」で、賛助会員の寄贈だそうです。
わたしはサラダとこのカレー一皿をいただいてこの日の夕食としました。



会場に人多すぎで負け出てしまった実習幹部か?と思ったら、
白い煙が立ち上っているので喫煙していると知りました。
水交会のロビーはタバコ好きの海軍さんが多いせいか喫煙可ですが、
今日は外でしかタバコを吸うことができないみたいです。

今時の若い男の人はあまり喫煙をしないというイメージがありましたが、
結構な数の初級幹部がタバコを吸っていました。



煙草飲みのおじさんたちと一緒に外で一服。
しかし、年配の方に声をかけられれば話し相手になるけれども、
実習幹部の方から会員に声をかけることはなく、仲間同士で固まって話している幹部が大方でした。

先日取り上げた映画「機動部隊」では士官候補生がアナポリスの教官の奥さんと
ダンスを踊ってお愛想の一つも言ったりしていましたが、そういう社交は
日本ではまず考えられません。(上官も奥さん連れてきてないしね)

これも先日取り上げた海軍兵学校67期の遠洋航海アルバムで、
候補生たちが壮行会のパーティで仲間同士集まっていたのを思い出し、
こんなところでも帝国海軍の伝統の継承を見る思いがしました(笑)




わたしは乾杯直後に近くにいた元海幕長が声をかけてきてくださったので
しばらく共通の知人のことなど話していましたが、息子のことを聞かれたので、ふと

「わたしとしては防衛医大なんかにいってくれると嬉しいんですが・・」

と漏らしたところ、即座に近くにいた防衛医大出身の海将を紹介しされてしまいました(−_−;)
いや、わたしはそう思っているのですが本人には全くその気はなくて・・・と言う間もなく、

「お住いの地域の地本に行けば受験の明細がわかりますし、もし連絡したら
おそらく自衛官が家まできて説明してくれますよ」

そ、そうなんですか・・・・(^◇^;)

このときにいただいた名刺を見ると中央病院の副院長。
前の防衛医大出海将も中央病院「副院長」だったし、そういうことに決まってでもいるのでしょうか。

この海将のお話がきっかけで愚息が防衛医大に行くなんてことになれば、
色々と美しいのになあ・・・。



一番右は呉でお会いした当時の幹部学校長。
その後今年になってからの人事で海将に昇進されました。
同時に下総の教育航空集団の司令官に赴任されたため、幹部学校から
ずっと一緒の学生もたくさんいるそうです。

驚いたのは、海将はP-3Cのパイロット出身なのですが、海将となった今でも
操縦を現役でするのだそうで、ご本人曰く

「やはり現場の空気にいつも触れていたいので」

ということでした。
誰でもそうなのかというとやはりそれはご本人の意向があるのだそうです。
そういった意向をちゃんと組んでもらえるというのも海自ならではなのでしょうか。
しばらくお話をしたあと会場を回遊していたところ、海将がもう一度近づいてきて
この三人娘を紹介してくれました。

それぞれ艦艇志望と調達(だっけ)志望のお嬢さんたちです。
艦艇志望のコに

「末は女性艦長ですね」

というと、

「頑張ります!」

と元気に答えてくれました。頼もしいのう・・。
女性初の艦長だった東さんが初めて自衛官として初めて1佐になった感想を
お聞きすると、なんと彼女たちは知らなかったようで「そうだったんですか!」と・・・。

いや、自衛隊、特に初級幹部のころって「秘密の花園」みたいに外界の雑音が、
たとえ自衛隊内のことでも遮断されているらしいということがこの会話で垣間見えました。

さて、やはり若い女子なので「恋ばな」についても聞いてみますか。

「いません。仕事が恋人です」

「同期でいいなあと思う人いるでしょ?」

「えー・・それは」

「じゃ上官とか?」

「あ、それならいますねー」

そこでどういうきっかけだったかは忘れましたが、去年の艦隊副官、阿川大尉の話がでました。

艦娘A「わたしはお祖父さんの(阿川弘之の)本が好きなんですよ」

わたし「お父様(阿川尚之)も黎明期の自衛隊についての本を書かれてますよ」

艦娘A「知りませんでした。今度ぜひ読んでみます」

彼女と同世代でこんな話ができる若い女の子は今の日本に何人いるでしょうか(笑)

わたし「あの方素敵ですよね」

艦娘B「しゅっとしてますよね」

「しゅっとした」という表現はわたしが時々イケメンなどを表現するときに使うのですが、
彼女が普通に使っていたのでちょっと驚きました。



宴たけなわ。
元海軍のじいちゃんなども若い人に声をかけて楽しそう。



ここで廊下にある真珠湾攻撃の絵に気がつきました。
アメリカ海軍の軍人でフィリピン系アメリカ人のトロタ博士が寄贈したもの。
説明によるとトロタ博士は「稀に見る日本海軍の礼賛者である」ということで、
紹介したのは千早正隆千早正隆会員(戦後有名な海軍軍人ですね)だそうです。

この「礼賛」というのがどういう意味なのか興味ありますね。



うろうろしているうちに玄関まで来てしまいました。
ふと外を見ると、黒塗りの車の前に一人ずつベテラン海曹(運転手)が立って待っています。
いつ出てくるかわからない海将たちのために、パーティの間中ずっとこうやって待機しているのです。



初級幹部ではありませんが、胸の体力徽章に目を留めてお話を聞きました。
去年の実習幹部たちも何人かがこのバッジを胸につけていましたが、
体力テストであるレベル以上いくとその次の年はこれをつけることが許されます。
彼は「水泳でとった」とのことでした。

「そんなに速くないです。50m26秒ですから」

女子の日本記録くらいの線はいっているのでなかなかのものだと思います。

この後わたしはひとりでいた女子にも声をかけてお話を聞きました。
彼女は操縦、それも固定翼機志望であるとのこと。

「狭き門なのですが・・・」 

女性だから難しい、というより、男性でも女性でも操縦に必要な適性は同じなので、
やはり体力の劣る女性はその点で何かと不利になってくるのだそうです。
わたしは彼女を励ますつもりで、回転翼機のパイオニアであるジーン・ティンズリー
(このあいだ当ブログで取り上げた”ウィリーガール”です)のように、80歳でも
現役で飛んでいる女性がいるのだから、などと話したところ、彼女は目を丸くして

「そんなすごい人がいるんですか」

と言いました(が、これ、励ましになったかな?)

この彼女のようなチャレンジ精神のある女性がこれからどんどん増えていって、女性海将や
女性のパイロットも増えていくんでしょうね。
ぜひこの彼女にも頑張って欲しいと思います。 



このあたりで実習幹部代表の決意表明。
彼はクラスヘッドですかね。 




続いて元海幕長が締めの挨拶。

「えー、もらった給料30万円、東京で飲んだり食ったりして散財せず(皆笑)
ぜひ海外で交流を深め自分を高めるために使ってください」

・・・30万円って本当ですか。



ばんざーい。



そして練習幹部たちは退場となりました。
がっちり手を組み合う・・・向こうは統幕学校副校長で、海将補同士です。



おそらくこの方が練習艦隊司令官、中畑海将補。



おそらく艦長。



練習艦隊の退場は「軍艦」に乗って行われました。
「軍艦」が終わった時、ちょうど最後の一人が玄関を出て行き、
さすがは時間に正確な海上自衛隊、と感心しました。



懇親会で会話した水交会会員を見つけて握手をする実習幹部。



体力徽章の金バッジを持っている人がいますね。
さっきの人は水泳で取ったとのことですが、金バッジは
「体力」(走る飛ぶなどの基礎体力)「水泳」どちらも1級をとった印です。

「たいしたことない」と先ほどの自衛官は言いますが、体力検定1級は


腕立て伏せ制限時間2分82回以上

腹筋80回以上(制限時間2分)

3000m走10分38秒以内

走り幅跳び5m10以上

ソフトボール投げ60m以上

懸垂17回以上


というとんでもない規定をパスしなければなりません。
体力自慢の多い自衛隊でもめったに金色がいないのも当然です。
しかも、1年後の検定で基準値に達しなければバッジは召し上げです。



海自には珍しくものすごく大きな人。
船や潜水艦に乗るのにあまりに大きいと大変だから、大きな人は陸に行くようなイメージがありましたが。

ところで、さきほど自衛隊のHPで「あなたの適性を知る」というのをやってみたら、
わたしは「空自」職種は気象・航空管制、なぜか警備という答えが出ましたorz



ところで、水交会の会長は挨拶の中で

「今年の練習艦隊はマゼラン海峡に挑む」

ということに触れたのでそのことを初めて知りました。

マゼラン海峡は南北アメリカをつなぐあたりにある海峡で(適当)
その発見者のマゼランの名前が冠されています。

マゼラン海峡

マゼランは初の世界周航者として、歴史に名を残しながらその一生は不遇でした。
功績を横取りされ、一家はその後断絶、そして本人も非業の最期を遂げています、

なにより自分の名を冠したマゼラン海峡が、あまりにも危険な場所ゆえに、
後の世にうとまれ、無用のものとされ、パナマ運河が開通するとともに忘れ去られてしまいました。



というくらいマゼラン海峡は難所だというのですが、今回の練習艦隊は
そこを抜けるということなのです。 

「帆船が通れたのだから君たちができないはずはありません」

といって水交会会長は場内の笑いを誘いました。
現在のマゼラン海峡は対岸を結ぶフェリーが普通に運行しているくらいですから、
帆船時代はともかく現代の船であればそう難しいことではないと言いたいところですが、
現在でも大型船の難所であることはまちがいなく、熟練した経験者でないと
ここを通過するのには苦労するといわれています。

日本国練習艦隊がここに挑むことは初めてなのだそうで、
彼らがここを通過する6月後半から7月にかけては、ぜひ艦隊動向に注目しましょう。


本日晴海埠頭から出港する日本国練習艦隊の皆さん、
この航海で多くのものを得て帰ってきてください。


 

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