Quantcast
Channel: ネイビーブルーに恋をして
Viewing all 2815 articles
Browse latest View live

平成29年度防衛大学校開校記念祭〜「アウフヘーベン≒昇華?」

$
0
0

平成29年度の防大開校記念祭の様子をお話ししています。
観閲行進で第四大隊までの入場が完了し終わりました。

続いて防衛大学校旗が入場してきます。

この写真では自衛隊の旗に対する敬礼、

指揮刀を持っている者・・刀を下げ持って敬礼

旗を持っている者・・・・旗竿を地面と平行に、旗の敬礼

銃を持っている者・・・・銃口を持ち銃床をついて頭中(敬礼対象に顔を向ける)

が全て見ることができます。

士官の「抜刀礼」は、帝国陸軍で行われていた形がそのまま継承されています。

刀を振り上げているのはただいまから来賓が入場してくるので
それを迎えるために取る動作です。

指揮刀を体に沿わせて号令一下。

刀の柄を両手で持ち、刀を斜めに捧げ持って「整列休め」の姿勢。
その他の者は両手を後ろに組んで脚を開き立ちます。

その時、観閲台の後ろで待機していた陸海空の自衛官たちが駆け足!
来賓をお迎えするたびにこれを繰り返していました。

本日の主賓、防衛副大臣の山本朋広氏、防大校長、防大同窓会長などが壇上に上がります。

そして主賓に向かって学生部隊は敬礼、ないし「頭中」。

佩刀していない学生は「捧げ銃」を行なっています。
捧げ銃とは「銃の敬礼」で、武装していない時に行う敬礼の代わりに、
左手で銃の中央部を持ちながら上に引き上げて体の中央で構え、
右手で銃の下部を持つやり方です。

この姿勢に至る前に顔の中央に刀を立て、その状態から下に払います。
個人的には旧陸軍の儀礼でわたしがもっとも美しいと感じる形です。

「国旗が入場いたしますのでご来場の皆様はご起立ください」

とアナウンスがありました。
わたしの周りの人は全員が(足腰のおぼつかないおばあちゃまも)
立ち上がり国旗に敬意を評しましたが、向こうに座っている人たちは座ったままの人が多いようです。

この写真を見て、銃床は地面に着くのではなく宙に浮かせていたことに気がつきました。
これって結構重そうだし姿勢を保つのも大変なのでは・・・・。

「こちらにどうぞ!」

を絵に描いたようなポーズで、巡閲者たる副大臣を車に案内する指揮官。
この姿勢の美しさには惚れ惚れしますね。

ちょっと余談です。

幹部学校の卒業式、防衛大学校の巡閲には防衛副大臣や政務官が
いずれも防衛大臣の代理ということで出席するのですが、今、
歴代防衛副大臣の名前を見ていて、民主政権時代にはこの職に
安住淳と小川勝也議員が就任していたことを知りました。

このどちらかに観閲や卒業式の立会いをされた自衛官も存在するんですね。
敢えてお気の毒とか残念でしたとかは言いませんが。

ちなみに「巡閲の譜」の流れる中、近くの中年男性は
自衛隊とその儀式についてまっっっっったくご存知ないらしく、

「これ何してるの」

と奥さんに聞いたりして(もちろん奥さんも知らない)いたので、

「昔でいう『閲兵』ですよ。隊を点検してるんです」

と囁くと、

「えっぺい・・・点検・・・?」

と驚いたようにまた奥さんに言っていたのがおかしかったです。
このご夫婦の席は、防大の生徒がシートを敷いて確保していたもので、
子供が防大生なのに何も知らない親御さんってのもいるんだなあ、
とむしろこちらが驚きました。

副大臣の祝辞、國分校長の訓話などが終わって学生隊は全員が退場します。
この訓話で國分校長は、

「小池百合子都知事の『アウフヘーベン』が流行語大賞の候補になっている。
アウフヘーベンというのはヘーゲルの弁証法の概念で、止揚と日本語に訳されているが、
その意味(Aがあってそれに相対するBがあり、それらを統合して高い段階で生かす、
という説明あり)を考えると「止揚」より、今年の開校祭のテーマ

『昇華』

の方が本来のアウフヘーベンの意味としてふさわしいのではないか」

てなことをおっしゃいました。
はっきり言って、防大の訓話に相応しい話題とは思えませんでしたが、
わたしにとっては今まで聞いた校長の訓示の中で一番面白い意見でした(笑)

AとBというのは「テーゼとアンチテーゼ」のことをわかりやすくおっしゃったのでしょう。
ちなみに「両者を統合し新たに高い次元で行われる問題解決」を

「ジンテーゼ」

と称します。

いや、確かに一見そうかなと思わせる内容ですが、わたしはあえて

「それは違うだろーっ!」

と同じ流行語大賞候補で反論させていただきたいと思います。
これが本当のアンチテーゼってやつですか。

「Auf」「 heben」というドイツ語には「上」「持ち上げる」という意味しかなく、
Aufhebenそのものの意味は「廃止」「キャンセル」でしかありません。

ヘーゲルが「アウフヘーベン」という一般語に哲学的定義を施した通りにいうと、
「止めて」「揚げる」と「昇って」「花(華)」を咲かせる、
止揚と昇華とは全く違う行為じゃないかってことなのです。

止揚は「破棄した上で別の要素を含め高い次元の結論を得ようとする」行為。
昇華は「そのものの中から純度の高いものを抽出させる」行為。

ね?違くない?
最終的に得られる結果が同じでも、今は過程を定義しているのですから。

校長の言いたかったことはなんとなくわからんでもないし、
何より学者である校長の口から「ヘーゲルの弁証法」とか言われると、
下々の者は「はえ〜」と思って納得してしまうじゃないですか。

しかしそもそも、校長、政治学者だけど哲学は素人でいらっしゃいますよね?

その素人が、雰囲気で適当なことをこんな公の場で言わんでいただきたい、
とわたしはここでだけ厳しく(ご本人は読まないから)いっておきます。

銃を右手に持ったまま退場していく人あり。
何をしているのかわからなかったので、とりあえず顔をマスクしました。

自衛官が持っているのは防衛副大臣旗です。

退場が終わると、祝賀飛行が行われました。
上空を飛来する航空機の指揮官には防大出身者が選ばれ、名前がコールされます。

まず陸上自衛隊のAH-1コブラが3機。

同じく陸自の輸送へりCH47Jチヌークは1機です。

海自のSH60Jが3機も。

ヘリなのでとりあえずシャッタースピードを落として写しました。
今回の写真はほとんどがD810で撮ったものです。

次は哨戒機P-3Cかな、と思ったら、なんとP−1でした。
祝賀飛行でP-1を見るのは観艦式以来です。

全体的にツルツルした質感の機体で、薄いブルーがかかっており、
綺麗な飛行機だなと思いました。

運用開始になって4年目で、現在は14機が稼働しています。
Pー3Cは順次これに置き換えていく予定で、生産予定数は70機。

Pー1は国産ですが、これには

「たった70機のためにゼロから開発するのか」

と随分開発反対派から(石破とか石破とか石破とか)
文句が出たとか・・。
こんなものでなく、Pー3Cを延命させて使う方がずっといい、という意見もあるようです。

航空自衛隊からはつい最近見たばかりのCー1が・・・。 

戦闘機はFー15が三機、編隊飛行にて通過。

今まで一度もちゃんと撮れたことのないFー15(難しいんですよね)
を撮るのを楽しみにしていただけに観閲式が中止になったのは残念でしたが、
防大でお目にかかれるとは思っていませんでした。

防大屋上の洗濯物干し場?上空を通過していくFー15。

今度は改めて主賓席に対して行われる「観閲行進」です。
ブラスバンドがまず観閲台の前を通り過ぎます。

防大では校友会活動として運動部に入ることが必須で、文化部をやりたいものは
運動部を決めた上で両立させないといけないという決まりがあるそうですが、
ブラバンだけは掛け持ちを免除されているとか。

そういえばブラバンという部活は、全国どこでも「体育会扱い」です。
これを「日本のブラバンの発祥は軍楽隊だから」とわたしは定義づけています。

ドラムメジャーは長身の男性が務めると決まっている模様。

観閲式の様子を脚立の上に立って撮っていた学生。

観閲行進は先ほどより小規模で行われます。

再び国旗入場。

「国旗が前に来た時にはご起立ください」

というアナウンスがありましたが、みんな立ったり立たなかったり。
立った人には後ろから「立つな!」という怒号が飛んで殺伐とした雰囲気でした。

こういうのって・・・日本国民としてどうなの?

観閲台に向かって敬礼しながら通過するだけなので、先ほどより短時間で済みました。

近くからは息子が参加しているらしい人たちの

「どこ?」

「あそこ。5列目の右から5番目」

などという会話が聞こえて来ました。

しかし、自分の娘息子がこんなにきりりとした表情で行進していたら、
親としては感無量なんだろうなあと、わたしとしては少し羨ましく思いました。

 

続く。

 


陸自第一空挺団降下〜平成29年 入間航空祭

$
0
0

 

イベントがたくさんあって行きつ戻りつしますがご容赦ください。
11月3日に入間で行われた空自の航空祭の続きです。

本来なら救難ヘリでの展示が行われていたはずの午前中のプログラムは、
事故を受けて中止され、次はC−1の飛行と空挺降下です。

朝一でC-1に乗り込んでいく空挺隊員の雄姿をもう一度。
空自のC-1は物資輸送の他には第一空挺団の戦術訓練・支援が主任務なのです。

第一空挺団の皆さんは、早い時間に乗り込んでずっと待たされていたことになりますが、
おそらくその間落下傘のチェックを入念に行うのでしょう。

テールの観音開きのハッチを開けたままメカニックが集合。
ここは貨物扉なんだそうですが、航空祭で貨物を積み込むことはしていなかったはず。
おそらく、観客に貨物扉の開き方を見せていたのではないかと思われます。

彼の指差す先には何が。

 

搭乗前のクルーとメカニックのひととき。
あくびをしているところを写してしまってすみません。

こういういつも通りの様子を見ることができるのが入間航空祭の楽しみです。

搭乗前、おそらく全機のクルーとメカニックが集合を始めました。
今更ブリーフィングでもないだろうし・・・。

記念写真撮影でした(笑)

最初のプログラム、チヌークの水撒きが始まっています。

そして前の展示が行われている間にもタキシングが始まりました。
C-1全機が編隊を組んで帰って来るためには、遠く海上にまで出ないといけないのかも。

次々と C-1が離陸していく様子はそれだけで大迫力です。

輸送機ながら駆動性が機敏なのが自慢のC-1。
荷物の輸送と空挺団の支援が主任務です。

基本人員を運ぶことを想定していないので(第一空挺団は人ではないのか?)
乗客としての乗り心地は騒音的にも振動的にも全く配慮がされておらず、
たまに基地間を高級将官を乗せて飛ぶこともあるようですが、
よっぽどの場合(それしかなかったとか)に限られるのではないでしょうか。

前にも書きましたが、 C-1計画時、航続距離の長い輸送機導入は

覇権主義の復活だ

と国会で野党が大騒ぎしたため、政府がこれをかわす目的で
C-1の航続距離を極端に短くしたということがありました。

結局C-1は沖縄や硫黄島にも増槽なしでは行けないということがわかり、
それを補うためにCH-130Hを購入するなどという無駄なことをしていたのです。

しかし、航続距離の長さ=覇権主義という考え方って、そのまんま
その時の野党=社会党の残党がオスプレイに反対しているのと同じ理屈ですね。


あ、そういえば今年はCH-130Hハーキュリーさんの展示もなかったぞ。
なんか今年は全体的にスカスカした感じだと思ったら、随分展示自粛していたようです。

さて、アナウンスがあり、6機編隊のC-1が入間上空に進入してきました。

これだけ大きな輸送機が編隊飛行をすること自体、珍しいことのような気がします。
もちろん入間航空祭以外では見たことがありません。

傘型の編隊飛行なので、後ろから見るとこうなります。

続いてはいつもC-1と展示を行うことになっている YS-11。
中型輸送機にカテゴライズされるので一緒に紹介するんでしょうか。

2機のC-2とYS-11が一緒に飛ぶ、アナウンスによると
『難易度の高い編隊飛行』は今年はなぜか行われませんでした。

昔は海自もこの輸送機としてYS-11を運用していたそうですが、今では全て退役、
空自のYS-11も一機また一機と退役していって、今ではこの機体が見られるのは
ここ入間基地だけだそうです。

尾翼付け根のところと前部の前脚にライトが点灯しています。

先ほど編隊飛行をしていたC-1が戻ってきました。

先ほどから1機減って、5機編隊で入間基地上空をパスします。

航空自衛隊は今後輸送機をC-2に順次置き換えていく予定です。

リンク先を見ていただければわかりますが、明らかにシェイプは
このC-1をベースにしているものの、薄いブルーのスマートな印象の機体は
まるでC-1の綺麗な娘さん、といった風情(ただし父より大柄)です。

C-2の航続距離はC-1の、なんと4倍になりました。
札幌の丘珠空港から那覇まで行けちゃう感じですか。
装備が近代化されているのはもちろん、搭載重量もC-1の3倍と飛躍的に多くなります。

C-2は平成28年度に開発完了し、その後は美保基地に配備されるのを始めとして、
今後、2個飛行隊に配備される予定ということですが、入間には来るのでしょうか。

このC-1のシェイプに親しみを覚えるものの一人として、 C-2が先代の面影を
色濃く受け継いでいるのは嬉しい限りです。


さて、編隊飛行に加わらなかった一機が単機飛来しました。
ドアが開き、いわゆる「お試し降下員」が降下します。

上空の状況が落下傘降下をしても支障がないかとりあえず飛ぶ係なのですが、
それにしてもこれって、

「もし何かあってこの人がピーーーーも最悪一人だから」

「少なくもピーーーは一人ですむ」

という考えのもとに行われてるわけですよね・・。
まあそれだけ熟練の隊員が飛ぶんでしょうけど。

そのピーーーの可能性を試される一人が今飛び降りました。
一人で乗って一人で飛び降りる孤独で危険な任務。

メンタル的にも強靭で、フリーフォールの資格も持っているような
ベテランが務める役だとみた。

時速300キロの速度で飛ぶ飛行機から飛び降りる気分や如何に。

飛行機のドアからテープのようなものがなびいていますが、これは
彼が飛び降りる時に機体の飛び降り口上部のバーにカラビナをかけ、
飛び降りることによって体重に引っ張られて自動的に傘が開いたあと、
機体に残ったテープです。


この方式は「空の神兵」の昔から変わっていません。

ここでもお話ししたことのあるアニメ「海の神兵」(海軍落下傘部隊)
でも、環をかけている様子が描写されていました。

瞬間には、人の重みで傘は一瞬縦に開きますが・・・、

この日は上空に風があったらしく、真横に傘が引っ張られました。

人体も傘に引っ張られて地面と平行に飛んでいきます。

お試し降下員は無事に降りてきましたが、風で随分向こうの方に流されてしまいました。

フリーフォールの降下に使われる傘とは違い、こちらの696MI・通称12式落下傘は
自分が降りたいところにピンポイントで降りるということができないのです。

確かこの後、単機で結構いちびって飛んでいったと記憶します。
人が乗っていないのでやりたい放題、って感じ。
体がごついくせに不気味なくらい身が軽いんですよねこいつら。

朝方黙々と列を作って飛行機に乗り込んでいった空挺団のみなさんが、
なんと一気に大空にばら撒かれるという事態になりました。

「降下降下降下!」

というおなじみの号令が聞こえたら、等間隔に人が連なって降りてきます。

一人でもためらったり、どこかに引っかかったりすれば、
あの、絵に描いたような傘が一列に並ぶ降下は成功したことになりません。

飛び降りることそのものより、自分のタイミングを外して、あとで正座させられ、
全員が連帯責任で叱られる方が彼らにとって恐ろしいのではないでしょうか。

想像ですけど。

写真を拡大してみて、向こう側からも降りていることに気づきました。

向こうとこちらで飛び降りるタイミングは同時のようです。
あの一列に並ぶ傘は、計算しつくされたタイミングの賜物なんですね。

飛び降りた次の瞬間、皆同じように傘に引っ張られ横向き状態。

空挺降下はC-1を使用する場合陸空の共同訓練となりますが、
固定翼機で訓練を行う場合、習志野から入間に移動するのは大変なので、
海上自衛隊の下総基地を借りて行うという話をどこかで読みました。

これが本当の三自衛隊共同訓練です。

脚は閉じて飛ぶことになっているようですが、態勢によっては開いてしまう模様。

そうやって飛行機が一航過したあとはこの通り。
上空で傘がほとんど一列にきれいに並んで降りてきます。
この日は雲がほとんどなかったので、目をみはるほどの美しさでした。

しかし不思議なことに、高度が下がるとこんなに降りてくる速さに違いができてきます。
やっぱりあれ?体重の重い人は早いとか?

でも、最初の写真を見ていただくと、皆ほとんど同じ体型なんですが・・。

ピンポイントでは降りられませんが、とりあえず柵の向こうに落ちないように
調整するくらいはできるようです。

まあ、習志野ではたまーに隣のグラウンドに降りちゃったりするんですけどね。

傘が重なった瞬間を狙ってみました。

地面に降りる頃の傘の速度は時速20mくらいにはなっているそうなので、
彼らは着地の際地面に転がって衝撃を緩和します。

滑走路やエプロンでなく、草地に降りているのも衝撃緩和のためでしょう。
鍛えている彼らもさすがにコンクリートの上に落ちるのは怖いのではないでしょうか。

着地したらすぐさまパラシュートの索を引いて傘を纏めていますが、
本来の彼らの任務はここから戦闘を行うことです。

降ろすものをおろして身軽になったC-1がまたもや不気味な身軽さで
変態飛行を行って皆に愛嬌を?振りまいていました。

 

続く。

ブルーインパルス ウォークダウンからチェンジオーバーターンまで〜2017年度入間航空祭

$
0
0

というわけで入間航空祭、あっという間に午前のプログラムが終わりました。
招待客は例年格納庫に設置された会場で催される祝賀会に出席することができます。

わたしは

「招待者の方々は祝賀会場にお越しください」

というアナウンスを律儀に待っていたのですが、いつまでたってもお知らせがないので、
会場に入っていきました。

招待客だけが中で飲食できる祝賀会場は、ハンガーの扉をひとところだけ開けて、
招待客の印であるリボンをつけているかどうか自衛官が確認する仕組みです。

会場に入ると、そこはもう人でいっぱい。

前にも言ったように、わたしは空自協力企業のCEOの代理として参加しているので、
この日の祝賀会における割り当てのテーブルは限りなく前方に近い上席です。
もう挨拶が始まろうとしているところを、人を縫って前へ前へとじわじわ移動していき、
同じリボンの色の人たちがいるゾーンに着いた途端、乾杯となりました。

しかも会場ではうっかりしていて、外で撮った時のカメラの設定を変えずに
そのまま写してしまい全ての写真がまっくろくろすけに・・・・。

というわけで祝賀会の様子の写真は今回なしです

まあ、祝賀会の料理は去年と寸分変わらぬ同じ内容でしたし、
乾杯の後、テーブルに体をくっつけて他の人を寄せ付けまいとするように
立ちはだかり、黙々と無表情でお膳に向かうように食事を続けている人がいたのも
去年と全く同じでした。(去年とはさすがに違う人でしたが)

わたしは招待者しか入れない一角とはいえ、一眼レフを席に置いていたので、
手っ取り早く空腹を(朝から何も食べていなかった)満たし、アウェイの空自で
唯一の顔見知り?だった宇都隆史先生(こちらは空自がホームグラウンド)
にご挨拶して、早々に会場を後にしました。


ところで、例年入間航空祭の祝賀会は3〜4000円会費を徴収していましたが、
今年はどういうわけか無料となっていました。

そう、早く席に戻りたかった理由はこれです。

のんびりしているととこういうのを見逃してしまうんですよね。
ブルーインパルスの駐機してあるのは観覧席のはるかかなた、エプロンの向こう端ですが、
今年はD810に望遠レンズという力強い味方がわたしにはいるのだった。

肉眼では細部は見えなかったのですが、何か始まっている雰囲気を察して
とりあえず望遠で写真を撮ってみると、各機の前に点検整備員の
「ドルフィンキーパー」たちが整列し、さらに!
ブルーのパイロットが向こうからウォークダウンしてくる様子がばっちり写っておりました。

1番機の後席にはもうすでに一人が座っています。
そしてウォークダウンで歩いてくる四人のパイロット。
2番機の前でパイロットの一人が服装点検?みたいな動作をもう一人にしています。

3番機のドルフィンキーパーの一人、女性じゃないですか?

こんな詳細に写っていると知っていれば、ウォークダウンが終わるまで撮ったのですが、
D810は撮った画像をファインダーで確認する機能がないので、(ないですよね?)
二枚写しただけで、この後の写真はいきなり全機がタキシングを始めているところです((T_T)

ドルフィンキーパーの皆さんはひとところに固まってタキシングをお見送り。

タキシングが始まってしまえばすでに我々の手からブルーは離れた、
とばかりに整列してどこかに行ってしまうドルフィンキーパーの皆さん。

どこかで待機していて演技が終わったらまた戻って来ます。

地上で今一度スモークの点検を行なっているところ。

本日は1機ずつのテイクオフです。

よせばいいのに流し撮りをしようとして失敗した写真。

初心者は余計なことをせずに大人しくシャッタースピードあげて撮ればいいんだよ!

とどこからともなく叱責する声(誰のだよ)が聞こえてきそうです。

いきなり飛来してエプロンのCー1の前に着陸し、皆の注目を集めていた黒い飛翔体。
これが本当のブラックバードだ。

テイクオフした4機が密集形で会場上空に進入してきました。

ダイアモンドフォーメーションで右前方からやってきて後方にパス。
去年は4機でのフィンガーフォー(フィンガーチップとも。
並びが右手の指をまっすぐ伸ばした状態の爪先の部分に似ている事から。
左手の中指が1番機、人差し指が2番機、薬指が3番機、小指が4番機に当たる)
で離陸したものですが、今年は1機ずつです。

ご覧のようにまだ脚を出したままの演技です。
よく見ると着陸灯も点灯していますね。

5番機と6番機が後から離陸を行い、5番機はハーフループを行います。

ループの頂点に達したら、ロールを行いながら降下。

5番機は「リードソロ」、6番機を「オポージングソロ」と言います。

5番機はその後水平飛行に移ります。

ロールを行いますので分解写真でどうぞ。

続いてはファンブレイク。
機体と機体の間は1mくらいしかない、と言われていますが・・・、

これをみるとさすがに1mってことはないと思う。(1mって機体の幅くらい)

ブルーインパルスのことを「戦技班」と言いますが、ブルーの動きは
基本戦闘機として戦闘に必要なマニューバを基本としています。

例えば先ほどのフィンガーチップも、目視での周囲警戒に適するため実戦的であり、
特にレーダーの性能が不足した時代の戦闘機編隊に多く見られた陣形であるように。

次に5番機が左手からスローロールでパスします。

ゆっくり低い高度で通り過ぎながら回転、というのは難しいマニューバだと聞いたことがあります。

三半規管がよっぽど丈夫でないと、今自分がどれくらい回転したかわかんないんじゃないかと思ったり。

続いて1、2、3、4、6番機がトレイル隊形で進入してきました。

 

おお、下から2番目の4番機が1番早く翼を左に傾けて・・・?

これはトレイルから隊形をチェンジするための動きです。
マニューバの名前は「チェンジ・オーバーターン」。

はい、綺麗なデルタ隊形になりました。
この時にはデルタの形は大きく、一辺が110mあるそうです。

そのまま全機でぐる〜〜〜〜〜〜〜っと旋回。

会場の向こう側をデルタ隊形のまま五線を描いて通過して行ったと思うと・・・

上昇。
デルタの形は徐々に小さくなっています。

旋回中に各機の感覚をだんだん詰めてデルタを小さくしていくのが
このフォーメーションの特徴であり見どころなのです。

見よこの最終的な密集形を。


ところで、過去の自分のブルーインパルスの写真を見ると、画質において
一眼レフとの差は歴然としてるのに愕然としました。
機体のブレのなさもさることながら、何と言ってもスモークの質感が繊細です。

いやー、重くてイベントに参加するのがさらに大変になったけど、
それもこんな写真が撮れるのなら報われているって気がします。

一眼レフを買うと人生が変わると聞いたことがあって、そりゃ大げさでしょう、
と思っていたのですが、少なくとも楽しみの点ではその通りだと思っています。

続く。

 

 

 

 

平成29年度自衛隊音楽まつり〜『ONE』

$
0
0

今年も秋の一大イベント、自衛隊音楽まつりに参加してまいりました。

全てが終わった今日、わたしは渋谷のスターバックスでこれを打っています。
今日は息子があの!(っても知らない人も多いかと思いますが)

TED youth カンファレンス

に出場するので、一眼レフ疲れで発生した肩と背の痛みに鞭打って車で送ってやり、
このあと彼の出演を見に行く予定なのです。


さて、今回の音楽まつりでは、初めて写真をRAWで撮ってみました。
ご存知でない方のために説明すると、RAWで撮るとデータが「生」のまま記録されるので
データの量は多くなりますが、その代わり画像で調整が容易になるのです。

朝早くに起き、音楽まつりが終わって帰ってきて、それから初めて
ライトルームを使って書き出しを行ったため作業は深夜に及んでしまいました。

ただ、仕上げるのにとてつもなく大変だったわりには、ブログ用にすると
元の高画質が明らかに損なわれているので、実のところ愕然としているのですが、
気を取り直して、今日はざっと概要と参ります。

トップバッターは陸上自衛隊北部方面隊の演奏です。
羽織袴姿の演歌歌手(でも自衛官)が北海道の生んだ大演歌歌手、
北島三郎の「まつり」を熱唱しました。

「音楽まつり」ってことでこの選曲でしょうか。

北海自衛太鼓は自衛隊名物自衛太鼓でいつも中心的な役割を演じますが、
この日北部方面隊のソロを飾ったのは太鼓パフォーマンスでした。

続いて陸上自衛隊中部方面隊。
最近わかったのですが、空自と海自の地方音楽隊が出ないのに、なぜ陸自だけ
北部、中部方面隊音楽隊から出場できるのかという理由は、この音楽まつりがそもそも
陸自の主催という一面があるからではないでしょうか。

MA(Middle Army)BANDと書かれた台を活用しての演奏です。

以前「進撃の巨人」をテーマにしたことがある中部音楽隊、
今年は「エヴァンゲリヲン」できました。

陸上自衛隊東部方面音楽隊は「陸軍分列行進曲」で入場するという鉄壁のパターン。
いつもそうであるように第302保安警務中隊との共演です。

そして海上自衛隊東京音楽隊。
カラーガードの女性隊、錨が回転するフォーメーション、
といういつものパフォーマンスでしたが、今年はいい意味で
予想を裏切られました。

去年の「われは海の子」にも涙したわたしですが、今年も実は
感動のあまり胸が熱くなったことを告白します。

その理由はこの三人の男性歌手の歌唱によるものでした。

曲は海自らしく「艦隊これくしょん」より「海」、そして
いつもの「軍艦行進曲」です。 

カラーガードとバトントワラー、いつも華やかなパフォーマンスの
航空自衛隊中央音楽隊。 

光の量が足りないステージの撮影はよく言われるように大変難しく、
特にこの空自の旗振りお嬢さんたちのパフォーマンスを
ブレずに撮ることはわたしの悲願だったのですが、 今年はなんとかなりました。 

ISO感度を上げると画像が荒れてしまっていましたが、
それほどダメージもなくここまで動きを止めることができたのです。

やっぱり一眼レフは伊達ではありません。 

「翼とともに」「インフィニティ」「大空への挑戦」「空の精鋭」

空自のモットーを並べたかのようなこの日の演奏曲です。
「インフィニティ」は空自の委嘱作品で、ブルーインパルスの描く「8」を
意味している、と最終公演で前にいたおじさんが話していました。

この日は新しくなった第302保安警務中隊の制服紹介がありました。 

夏、冬、そして合服は旧海軍方式で夏冬の混合方式です。 

陸海空自衛隊音楽隊の合同演奏曲目は「ゴジラ」シリーズ。

ゴジラが現れて ヤシオリ作戦でやっつけ、凱旋するまでを表現です。

改めて伊福部先生は偉大だと思いました。

ちなみに前のファンファーレトランペット軍団は、アイーダの
「凱旋行進曲」で活躍です。

第二章は外国招待バンドによる演奏が行われました。
トップは米海兵隊第3海兵機動展開部隊音楽隊。

曲は音楽まつりの「常連曲」でもあるホルストの「惑星」より火星、
そして映画「スーパーマン」のテーマ。 

親日国タイ王国から、今回はタイ空軍音楽隊が参加しました。

歌手が日本語で「翼をください」を歌い、聴衆は大喜び。

このタイボクシングの型を披露した女性たちも軍人なんでしょうか。

散々「マケイン」呼ばわりしたトランペット奏者のギター弾き語りで
幕を開けたのはおなじみ米国陸軍軍楽隊。

曲はチャック・マンジョーネの「チルドレン・オブ・サンチェス」。
当然ながらトランペットが大活躍です。

今回はこのセミデイさん(名札に書いてあった)が大活躍。
彼の階級についても面白いことがわかりました。 

第二部の終わりにはいつも全員での合同演奏が行われます。
東京オリンピックのファンファーレが三階席から演奏され・・・、

全出演部隊によるロス五輪のテーマ、そして東京オリンピックマーチ。

楽しさ最高潮。
全部隊の歌手が皆で歌い上げる

「We Are The World」。

海兵隊からは生真面目そうな青年が参加です。
あっ、三宅さんと腕を組んでるー。 

ここでもセミデイが圧倒的なうまさと卓越したパフォーマンスを発揮。

自衛隊音楽まつりの名物となった自衛太鼓、今年は
そのテーマも「一致団結」です。 

いつ聴いても、何回聴いても、その音の力には圧倒されます。

写真撮影のことを言うと、いつもはバチの動きを止めるのも大変なのに、
今年は難なくこんな写真が撮れました。

自衛太鼓とともに人気の防衛大学校儀仗隊のファンシードリル。

今回も当たり前のようにノーミスで終わった儀仗隊でした。
J( 'ー`)し たかし、頑張ったわね(去年のネタ)

フィナーレは全出演部隊が一堂に会して盛り上がります。
いかにも最後らしい楽しげな入場は陸自中央音楽隊。 

先に日本側が入場し、後から来た外国バンドとはハイファイブで挨拶。

全部隊で演奏したのは中島みゆきの「糸」でした。

陸海空の三人の歌姫たちが歌い上げます。

演奏部隊の周りでは自衛太鼓出演者、防大儀仗隊が合唱を行います。

国旗が退場し、第302保安警務中隊が最初に退場。
あとは皆が手を振りつつ会場から去っていきました。 

最後の歌は三人の歌姫による「世界に一つだけの花」。
手話で静かに「歌唱」を終え、音楽まつりは終焉します。


以上が概要ですが、各ステージについては続いて詳しく
お話しさせていただきたいと思います。

続く。 

 

平成29年度自衛隊音楽まつり〜オープニングと陸自北部方面音楽隊

$
0
0

それでは平成29年度音楽まつり参加報告、あらためて最初から参ります。

音楽まつり当日の武道館です。
その周りには

だーれもいません!

って、こんな非常識な時間から並んでんじゃねーよ、
とまともな人ならきっと思うに違いありませんが、はっきりいって
この日同行したイベント友達はまともな部類ではないのです。
今回も朝10時からの招待公演に誘ったところ、

「私は朝一で並びますから」(きっぱり)

お、おう・・・。まそういうと思ったけどさ。

「じゃわたしは駐車場が開くのを待って車を入れてから並んでもいいですか」

と尋ねると、

「駐車場の開く時間にちょうど会場がオープンするかもしれませんよ?」

はいそうですね。
ちっ、その人に並んでもらってる間に車で寝ようと思ってたのに。

仕方なく当日朝民間の駐車場に入れて現地に来たら、
その人は1番をゲットして先頭で待っておられましたorz

しかし上には上がいて、まだ暗いうちから2時の公演を待っていた人たちがいたのです。
その人たちは自作の「2時公演」と言う看板を作って列を独自に整理していました。

そして、朝公演の人が増えて来たから後ろに行ってください、と言う整理係の自衛官に

「前にそうやって言うことを聞いたら間に人が入ってしまったんです。
こちらは朝暗いうちから並んでいたのに。
今年は正直者が馬鹿を見ることのないようにしてほしいんです!」

と詰め寄り、困った自衛官は上官を呼んでくるという騒ぎになっていました。
確かに暗いうちから並んでいるのに、後から来た人に割り込まれたら腹たつよね。

まあただ空自の自衛官の方々、色々とご苦労様でございました。

ここで待っていると次々と出演部隊がやって来て(ちょうど出入り口)
入って行くのですが、カメラを向けたり顔をジロジロみるのも失礼なので
わたしは目を伏せて皆の足元ばかり見ておりました。

おかげで自衛官の靴がいかにピカピカしているかがよく確認できました。

こちらは別の日の招待公演出入り口です。
この日わたしは幕長招待の赤いチケットを持っていたのですが、

「5番入場口ってどこに並べばいいんですか」

と整理係の自衛官に尋ねると、チケットを見せるように言われ、

「赤は皆ここです」

と3、4番入場の列を指してきっぱりと言い切られました。

なんだか変だなと思ったら、同行者から電話がかかって来て、
間違えて別の入り口に並ばされていたことを知りました。

この日は並んだら前から三番目でしたが、先に入った人が
最前列全部荷物で抑えて確保するという暴挙を働こうとして、自衛官に

「この席はもう(座る人が)決まっています」

と咎められ、席が足りなくなったらしく、わたしたちに
そこをどいてくれないかと頼んで来たのには呆れました。

荷物での席取りは固くお断りしますという放送が聞こえないのかな。

武道館前ではタイ王国の空軍音楽隊がファンサービスで写真撮影に応じていました。
ちゃんと日泰の国旗と音楽隊のマークをあしらったバナーを持って。

なぜか音楽隊の列の中に加わって自分の写真を撮らせている人あり。

地本ブース前ではとうちくんたち地本キャラが大人気。

同行者の執念のおかげで一、二回目とも最前列に席を取ることができたのでした。

二日連続でお見かけした不肖宮嶋茂樹氏。
しかも全公演、朝から晩までおられたようです。

もしかしたらまた自衛隊関係の写真集でも出されるのでしょうか。

最終日の招待公演で、有名人発見。
野田聖子議員はご家族で参加されてました。

上に防大校長がおられますね。

会場のビデオでは、陸自音楽隊が海外で音楽経験ゼロの現地の人たちに
2ヶ月で合奏ができるまで指導するというボランティア活動を紹介していました。

こういう機会にしか自衛隊の活動に生で触れることのない人たちにとっては
大変有益で興味深い内容だったと思います。

本番少し前になると海上自衛隊のハーピスト荒木美佳三曹が調弦を始めました。
ハープという楽器は調律も全て奏者が行うのです。

しかし絵になるなあ、楽器と東京音楽隊の制服の取り合わせ。

オープニングでは台上の小編成バンドを東京音楽隊が務めました。
スタンバイするピアニストの太田二曹。

隣に座っていた人が、今更のように彼女がピアニストとして
世界的にも評価された人材であったかを語ってくれました。

さて、会場には開始15分前から、耳を敧てないと聞こえない音量で
ラベルの「ボレロ」が流れていて、気づかない程度に徐々に大きくなっていきます。
と同時に会場角からスモークが焚かれて会場を煙らせていきます。

このスモークの効果は今ひとつよくわからなかったのですが、
始まりに向けて会場がうっすらと煙っていくことで、
ボレロの展開とともにテンションが高まっていくとかかな?

「ボレロ」が十分大音量になった頃、合図と同時に2007年を『0』として

防衛省へ移行

という文字が出ます。
この頃には「ボレロ」はクライマックスにさしかかっています。
以下、順番に

2008 中期防衛力整備計画見直し

2009 海賊対処法施行

2010 22年度防衛大綱策定

2011 東日本大震災への対応

2012  防衛省施行5周年

2013 防衛装備移転三原則策定/25防衛大綱策定

2014 防衛整備移転三原則策定

2015 新ガイドライン策定/平和安全法制成立/省改革・防衛装備庁新設

2016  平和安全法制施行/熊本自身への対応

そして「ボレロ」のエンディング、

(うん)パラパ〜〜〜〜 パラパパラパパ!(わかってもらえます?)

と同時に、

今年は防衛省に移行して10年目です。
本年度行われる自衛隊イベントには「防衛省移行10周年」が冠にされており
雨天のため結局行われなかった航空観閲式も、

「防衛省移行10周年記念 航空観閲式」

が正式なタイトルでした。

まずオープニングセレモニー。
陸上自衛隊中央音楽隊、海上自衛隊東京音楽隊、
そして航空自衛隊航空中央音楽隊が入場します。

この三音楽隊が、防衛大臣直轄部隊です。

オープニングに演奏されるにおいてあまりにも違和感のなさすぎるというか
こんな時のためにあるような曲、

R・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」

で音楽まつりは幕を開けました。
続いてはテレビを持っていないわたしでもなぜかよく知っている

The Song of Life 鳥山雄司 世界遺産テーマ曲

あらためてツボを得たいい曲だと思いました。
特に自衛隊各隊のかっこいい映像を見ながら聴くと最高です。

オープニング指揮を務めるのは東京音楽隊隊長樋口好雄二佐。
去年、隊長に就任して最初の音楽まつりでもオープニングを指揮されました。

そして、思わずため息が出るくらい凛々しい第302保安警備中隊登場。
真新しい白の新制服で儀仗を行いました。

国旗入場に続き国歌斉唱が前奏なしで行われました。

国旗国歌の儀式の時、わたしはいつも敬意を払って写真を撮りませんが、
国歌が終了して旗を降ろす寸前、一枚だけ急いで撮影することにしました。

17日招待公演の回、挨拶は小野寺五典防衛大臣でした。

小野寺さんの四人隣に前防衛大臣の姿発見!
二列上には若宮前防衛副大臣もおられるようです。

さて、こちらの写真は別の日の招待公演で、挨拶されたのは山本防衛副大臣。
大臣の横は公明党の議員(なつおではない)、一番左はもしかして女王殿下?

山本大臣は先日防大でも観閲をされましたが、上の方には校長の姿も見えます。

第1章の最初は陸上自衛隊北部方面音楽隊です。

曲はNHK大河ファンタジー「精霊の守り人」からメインテーマ。
まあよくこんなブラス向きのかっこいい曲を探してくるものだと感心します。

精霊の守り人 メインテーマ(吹奏楽セレクション)

曲のどの部分でカンパニー・フロントを行ったかお判りでしょうか。
youtube演奏の1:21からです。

続いて奥のパネルから着物を着た歌手が登場。
彼が出てきた時には、参加した全回、周りの(特に女性)から笑いが起きました。

歌ったのは北海道の生んだ北島サブちゃんの「まつり」。
日本のまつりに躍動する男たちの肉体が織りなす意気と粋を、
一番は豊年まつり、二番は大漁まつりに絡めて歌い上げています。

で、この画像をアップしてみると、羽織とかすごい上物に見えるのよ。
歌唱力もあってちょっとプロっぽい(本物の演歌歌手が無名でも桁外れにうまいのを
わたしは知っているので、”まるでプロ”とはとても言えない)歌手ぶりですが、
開始前の各参加部隊の練習風景に写っていた迷彩服姿は、紛れもなく自衛官でした。

そして北海太鼓のソロ。

陸自の方面隊といえども毎回全部隊の音楽隊が出演できるわけではなく、
去年は本州最南端から陸自西部方面音楽隊が参加していました。

今年は北端も最北端からの北海道からです。

どうしてこんなフォーメーションの写真が撮れたかというと、
最終公演ではここに座ったからです。
初めて「ONE」を人文字で描いていたことを知りました。 

2014年にロシアのハバロフスクで行われた

「アジア太平洋諸国国際軍楽隊」

に方面隊としては史上初の参加を果たしました。

ステージ後方にはスクリーンを兼ねたパネルがあるのですが、
太鼓の響きや演歌の朗々と艶めいた歌声とともにそこに映し出される
雄大な北海道の大地の光景は、今この瞬間も陸上自衛隊北部方面隊が
北の守りの最前線に立っていることを雄弁にもの語っていました。


続く。

 

 

 

ブルーインパルス バーティカルキューピッドまで〜平成29年度 入間航空祭

$
0
0

入間航空祭、何度かお話ししているように、この日わたしは招待席にいたため、
周りにいる人たちも招待客で、なんらかの自衛隊との繋がりがある人たちでした。

そんな中わたしの近くに座っていた時計もカフスピンも金づくめのおじさんは、
いきなりわたしに

「どこから来たんですか」

と話しかけてきましたが、それはわたしのことを知りたいからでもなんでもなく、
単に自分の自慢をするためだったと思われます。

観艦式では「くらま」に乗ったの、「はしだて」には3回乗ったの、つまり
自分がかくも大物であるということを赤の他人に聞かせたかったようです。

また、ガラケーで長々と電話をしておられましたが、飛行機の轟音の合間に
(大声なので)政党や政治家の名前が聞こえてくるものですから
なんとなく聞くともなく聞いていると、

「あの何々の党の〇〇ね、あれを代表にすればうまくいくんで」

(うーん、何々の党の〇〇なあ、献金など背後関係で地雷を抱えていそうだし、
どう考えてもうまくいくようには思えないけど・・・)

などと心の中で突っ込みながらも、もし今後本当に〇〇議員があの党の代表になったら、
このおじさんは本物の「フィクサー」だということになるなあと楽しみにしていました。

すると先日、本当に、みんなに人材不足もいいところだと驚き呆れられながらとはいえ、
その〇〇代議士が何々の党の代表になってしまいました。

この入間からの電話によってそれが決まったってことはさすがにないとは思いますが、
一応このおじさんは政界の黒幕界隈の人であったらしいことだけは判明したわけです。


ただこのおじさん、わたしとの会話の中でオスプレイ廃止派らしいことを
さりげなくアピールしていたので、(わたしは聞こえないふりをして返事せず)
黒幕は黒幕でも、「あちら側の黒幕」ではないかとは思います。

自衛隊という組織は政治的思想に与しないのが身上なので、政治家でもなんでも、
政権与党だけを招待するというようなことはせず、関係者でもお世話になったとか、
肩書き上呼ばなければ角が立つとか、相手が怒るとかいうことにならないように
こういう基地祭には各方面に満遍なく声をかけることになっています。

そういえば、入間基地で行われた納涼祭で秘書が運転する車を呼び寄せる際、
空自側の規則どおりの対応に不満を抱き、隊員に「おれをだれだと思っているのか」
と恫喝しうちわで隊員をペンペンした議員は民主党でしたっけ。


野党側のフィクサーや反政府運動をしている団体お抱えのジャーナリストなども、
ご縁があれば普通にご招待するのが自衛隊という組織であり、それは
たとえ日頃自衛隊廃止を声高に叫んで旗を振っている人でも
いざ災害となれば助けるという自衛隊の信条に通じるものがあると思っています。

 


さて、そんな話はどうでもよろしい。
ブルーインパルスの演技、続きです。

ソロがインバーテッド&コンティニアスロールに入ります。

急上昇。この後急降下です。

急降下ののち、ロールしながら右から左に会場をパスしていきます。
連続写真でご覧ください。

続いては1、2、3、4、6番機の5機で行うサンライズ。

Δ(デルタ)隊形で上昇していって、背面にひっくり返るループを描きます。

ループ頂点から全機が下向きになる瞬間。

途中でスモーク・オン!

youtubeなどで、無線の通信を傍受してアップしているのを聞くと、
スモークを止めたり出したりはリーダーが合図をしているのがわかります。

スモークを出したまま急降下していき・・・・、

ここから全機が別れて熊手状のスモークに。

はいお見事でした。

今からバーティカルクライムロールをしようとしている5番機。
ぐるんぐるんロールしながら垂直に(バーティカル)クライムしていくわけです。

4機で行うチェンジ・オーバーループ。


トレイル隊形で上昇してゆき・・・、

ダイヤモンド隊形のまま垂直に。この後急下降してレターエイトに移ります。

レターエイト、つまり一機だけがみんなと別方向に行ってしまい、
二手に分かれて1対3で描いた二つの円が8の字見えるから、レター8。

最終的にはスモークを出さずに1機がほかの3機に追いついて、ダイヤモンド隊形に戻ります。

3機のコースよりかなり内側をショートカットするので追いつけるんですね。

追いつく方はスモークを出さないで飛びますが、これ見ると少し漏れてます(笑)

そしてダイヤモンド隊形を取るために、先頭の機の出すスモークの「上に」オン。

スモークを潜って下に潜り込みます。
完全に先頭機のスモークを浴びながら飛んでるよねこれ。

これ、前が全く見えていない状態で飛んでいるのでは・・。

と思っていたら、おお!

いつのまにか先頭機はスモークを切り、後ろの機が代わりにスモークを出しています。
きっとこの合図も無線の交信で行われるのだと思われます。

名前のわからないフォーメーションでしたが、すげー!と思ったもの。
一機に後ろからもう一機が音もなく忍び寄ってきて・・・(そんな風に見える)

背後からほとんど重ならんばかりに近付いていき・・、

一瞬重なってから追い越していくというもの。
これこそ互いの間隔が1mくらいしかないように見えます。

しかしこれ、追い越す方より追い越される方がきっと緊張するよね。

後ろからきた5番機は「ソロ機」なので、こういう難易度の高いパートをするようです。

さて、タッククロスです。
これが始まると、写真を撮っているものは緊張マックス。

こちらから進入する機体を追いかけて連写するという去年のやり方でやってみましたが・・

微妙に失敗。

というか、わたしの座っている招待者席はエプロンの端に近いため、
ちょうど中央で行われるクロスを横から見ることになってしまいます。

クロスといっても、実は結構両機は前後にかなりずれて飛んでいるので、
真正面から見た時だけ、ギリギリですれ違っているように見えるのです。

4機で背面飛行になるフォーシップ・インバーテッド。

まず内側の1、4番機、続いて外側の2、3番機と順番に180度回転し、
全機が背面になってそのまま通過します。

次は皆のお待ちかね、バーティカルキューピッド。
ハートの割れ目?から始まるその瞬間です。

これまでの演技のスモークがわずかに残っていますが、ハートを描くには絶好の気候です。
風が強いと描き終わるまでに描き始めが崩れてしまうのです。

今年はハートを射抜く矢がやってきた時も、ほぼ完璧なシェイプのまま。

近年で1番綺麗に決まったバーティカルキューピッドだったのではないでしょうか。
観客はこのハートに大喜びです。

 

続く。

 

 

行進曲「軍艦」〜平成29年度自衛隊音楽まつり

$
0
0

2017年音楽まつり、続いては陸上自衛隊中部方面音楽隊です。

指揮者のタクトに続き、鶫真衣士長がスポットライトに浮かび上がりました。
ハープの伴奏で歌うのは新世紀エヴァンゲリオンより「魂のルフラン」。

この曲は最初に「シングル」(A面B面あり)発売されたというくらい
(20年前)古い曲であることを知りました。

鶫士長ですが、今彼女の名前で検索をかけるともうWikipediaがあり、
それによると、彼女は

「2014年、陸自が最初に採用した声楽要員」

となっています。

歌が終わると全員で華やかなファンファーレ。

ラストノートにかかった時、いきなり警報音が鳴り響きました。
楽器を抱えて右往左往する隊員たち。

いったい何が始まるんです?

暗い中をよく見ると、何人かの隊員が台を運び込みました。

上から見ると「MAB AND」と読めますが、これはマーチングの関係で
Bと Aの間を空けなくてはならなかったのです。

「MA BAND」は中部方面隊、ミドル・アーミーのバンドを意味します。

曲はやはりエヴァンゲリヲンから「DECISIVE BATTLE」。
ディサイシブバトル、つまり「決戦」です。

エヴァでは、人類の敵として襲来する使徒を迎え撃つための準備シーンや、
ヤシマ作戦を思い出す人もいるでしょうか。
「ヤシマ」とは日本の古称である「八島の国」から取られています。

かっこいいパートで台の上に乗り、ここぞと吹きまくるトランペット。

その間、後ろのスクリーンには総火演における戦車の咆哮や
ヘリの攻撃などがこれでもかと映し出されてバトル感満点です。

画面が暗くなり静かなトーンで始まった最終曲は「残酷な天使のテーゼ」。
横須賀音楽隊で中川麻梨子士長が歌ったのを思い出し、もう一度
鶫士長が登場するのかと思ったのですが、クラリネット4本の演奏でした。

以前も「進撃の巨人」に真面目に?取り組んだ記憶が新しい中部方面音楽隊、
今年の「エヴァンゲリヲン」も、マーチングバンドの本領に忠実に、
高速ステップでのマーチを堪能させてくれました。

緩急のメリハリも効いていて、派手な全員でのテーマに続くサビの部分は
クラリネットとサックスだけで演奏し、その間に全員が
カンパニーフロントの準備を行うといった具合。

そしてこれがラストサウンドの時の隊形。
音楽隊長である柴田昌宣三等陸佐のタクトが高々と天を突いて。

続いては陸上自衛隊中央音楽隊と第302保安警務中隊です。

ドラムメジャーの「前へー、進め!」という命令に続いて始まるのは
陸軍分列行進曲。
ドラムメジャーの後ろには第302保安警務中隊、そして音楽隊員が続きます。

第302保安警務中隊。
「だいさんまるにほあんけいむちゅうたい」と読みます。
(”さんまるふた”じゃないんだ・・・)

陸軍分列行進曲に合わせて音楽隊の前に一列に並び、
「捧げ銃」を挟んで銃を持った場合の整列休め状態で静止。

続いてはNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」のオープニングテーマ曲。

わたしは一度も観たことがないので、当然初めて聴くわけですが、
ファンファーレに始まるじつに吹奏楽向きの曲だと思いました。
原曲のピアノの早いパッセージはクラリネットが代わりにやっていたようです。

音楽隊とともに、保安警務中隊もマーチングを行います。
緩徐部分で銃を持ち替える時の「がちゃっ」という音が一つに聞こえてきた時には
なぜかわかりませんが、胸がドキドキしました。

しかしすぐにクライマックスへ。
曲がファンファーレ風のメロディとともに早くなると、それに合わせて
音楽隊の間を通り抜けるように前進して行きます。

そして一瞬ファンシードリル的なことを・・・。

第302保安警務中隊は昔方面総監直轄だった時代には名称は「保安中隊」で、
その頃にはファンシードリルも披露していたのだそうですが、改編になり、
保安警務中隊と名称が変わり防衛大臣直轄部隊の警務隊となってからは
その主任務の内容上行われなくなりました。

第304保安中隊として行ってきたファンシードリルは、平成19年、
中部方面音楽まつりの出演を最後に38年の幕を閉じたそうです。

ですから、第302保安警務中隊にとって、この音楽まつりが
ファンシードリル的要素を少しなりとも加えたマーチングをする
唯一の機会でもあるのです。

いつも複雑なマーチングを軽々と行ってくれる陸自中央音楽隊ですが、
今年の四角がひし形になったりそれがそのまま回転したりという
フォーメーションは特に高い技術に支えられていると感じました。

カンパニーフロントは第302警務隊と一緒に。
白とOD色の制服が一列になってクライマックスを迎えます。

保安警務中隊が銃を構えるのが最終形。

中央の二人だけが銃を構えていませんが、これはもしかしたら
来賓席中央に防衛大臣(あるいは防衛副大臣)ら政治家
が来ることに対する配慮でしょうか。

 

陸自中央音楽隊といつも一緒にドリルを行う第302警務保安中隊、
今回の音楽まつりは新制服のお披露目を兼ねたものとなり、
その硬質な華やかさを十分に見せてくれました。

そして海上自衛隊東京音楽隊です。

「この世界、この地球、そう、海はただ一つの海としてそこにあるのです」

という言葉に続いて演奏されたのはその名も「海」。
艦隊これくしょんからの楽曲のようです。

指揮は北村善弘一等海尉。
私ごとですが、昔呉音楽隊隊長時代に音楽隊練習棟を案内していただきました。

東京音楽隊おなじみのカラーガード。

自衛艦旗を中心に、音楽隊旗、女性隊旗などがバナーとともに入場して来ます。

最初に描く人文字は「SEA」。

オープニングが終わり、「出撃」に曲が変わってテンポが速くなると、
このようなフォーメーションで右から左に移動するのですが・・・・。

これは何を表しているのかお分かりの方おられますか。
ステルス艦橋の新型護衛艦・・・かなあ。

これも東京音楽隊の恒例になっているパーカッション部隊の演奏。
リズムを刻む間に、全員がフォーメーションを変化させて行きます。

隣のドラムを叩くのもいつもと同じ。
最後に全員でさっ!と上を見て敬礼するのですが、シンバルの人は
右手のシンバルだけを胸に当てる動作をしていました。

これがシンバルの敬礼か・・・・。

そしていつもの「錨」フォーメーションへと・・。

敬礼をし終わったドラム隊が再びリズムとともに錨の先の部分を完成させ、
いよいよ行進曲「軍艦」の始まりです。

スクリーンには観艦式の際の艦尾に揚げられた自衛艦旗がなびき、
ドラムのリズムに合わせてスクリーンから登場した三人の男性隊員。

なんと最初のコーラスから「軍艦」を歌で攻めようという考えです。

真ん中は音楽まつりには歌手として登場することの多いホルンの川上良司一曹ですが、
やはり管楽器奏者には歌の上手い人が多い、という定説通り、このお二人も
朗々とした声で・・というか、注意して聴いても三人のピッチが完璧に揃っていて
一人で歌っているようにしか聴こえませんでした。

そしてその間も当たり前のように回転する錨フォーメーション。

ノウハウは昔から伝わっているものをそのまま再現するとはいえ、
カーブの部分を完璧な形を保ったまま回転するのは相当難しそうです。

そして、

「仇なす國を攻めよかし」

というところまできました。
さて、次をどうするのか、とこの曲をなんども聴いてきた者としては
当然のように想像するわけですが、わたしがそうであったように

「三宅三曹が登場し次の部分を歌い出す」

と予想した人は会場におそらく何十人かがいたのではないでしょうか。

ところが違いました。

「海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば草生す屍

大君の辺にこそ死なめ 長閑(のど)には死しなじ」
(万葉集では最後の部分は『 能杼尓波不死』

これが中間部のいわゆるトリオの部分です。

この部分を続いて三人が歌い出したときには衝撃を受けました。


軍艦行進曲のトリオ部分で「海ゆかば」という本居宣長の詠
(歌ではない)が君が代のメロディで歌われるということを知っている人は
一般社会にはいそうで実はほとんどいないとわたしは思っております。

しかし、元海軍軍人にとってはそうではないらしいのです。

海軍兵学校の元在校生と軍艦行進曲の話をしたとき、
自称リベラルで兵学校の集まりでも軍歌演習になると
歌うのを嫌がって逃げているような方が、軍艦のことを

「海行かばの部分を歌うとなぜかね、涙が出そうになる時がある」

とおっしゃったのにハッとした経験がわたしにはあります。

音楽的に見てもメロディと歌詞の不調和がどうも解せないこの部分、
しかし「海行かば」のもつ言霊が、元軍人にとっては
特別な感興を呼び起こすらしいことをその言葉から感じたからでした。

そんなことを思い出しながら川上一曹らの朗々とした歌声を聴いていると、
ブリッジの 

「ソドミッミミミ ソドミッミミミ ソドミッレドレッラッソーミ」
(移動ド)

部分で東京音楽隊、なんとカンパニーフロントを・・。
海行かばの歌のあとでそう来るか。この部分で。

理屈はわかりませんが、わたしは今回の音楽まつりを三回聴き、
その三回ともこの部分に来ると涙が溢れて来るので困りました。

しかもパブロフの犬的根源的理由でもあるのか、 アップされた
音楽まつりの動画を見ても、必ずここで鼻の奥がツーンとなるのです。

恐る恐る言わせてもらうと(もしかして少数意見なのかもしれないので)
わたしにとって今回の音楽まつりにおける東京音楽隊のステージは、
昨年の「われは海の子」と並ぶ過去最高のものでした。

続く。 


カラーガードと呼ばれる日〜平成29年自衛隊音楽まつり

$
0
0

平成29年度音楽まつり、海自が終わり次は航空自衛隊です。

ドラムメジャーとカラーガードの出待ち?表情。

ファンファーレでまずマーチングするのはそのドラムメジャーとカラーガード隊。
ひたいの真ん中に手先を当てて上を向く、独特の敬礼があっていよいよ開始です。

カラーガードというのはマーチングバンドで視覚的効果を添えるため
フラッグ、ライフル、セイバーなどの小道具を使いマーチングを行う部隊です。

ホーンとフラッグを持つ女性隊が空自おなじみのカラーガードです。

ヘアスタイルを全く同じ長さのポニーテールにしているのですが、
髪の短い人はもしかしたらウィッグをつけて臨んでいるのでしょうか。

いずれもブルーインパルスや「空」をイメージしたブルーと白のコスチューム、
フラッグは航空機が空に描く航跡を表すデザインです。

ファンファーレに続く曲のタイトルは「翼とともに」。

次の曲「インフィニティ」の始まりは一転して静かなピアノのメロディです。
そこで一人のカラーガードが現れ、ソロで優雅にフラッグをはためかせ、踊ります。

こちらが最終公演で会場上段から望遠で撮った画像です。
この後四人のカラーガードが二手に分かれて舞いますが、その時、
マーチングのフォーメーションは∞を描いています。

この「インフィニティ」という曲は最終公演で前に並んでいたおじさんによると
(わたしに向かって喋ってたんじゃありませんが)空自の委嘱作品で、
インフィニティとは先日お話ししたばかりのブルーインパルスの演技、
「レターエイト」の意味もあるのだそうです。

しかも既存のなんとかいう空自の曲に似ている部分(別の言い方で言っていた)
があるんだということをおじさんは力説しておられました。

わたしは「インフィニティ」がそもそもどれかもわからず聴いていたのですが、
もしこのカラーガードが皆でフラッグを振っていた箇所がそうだとすると、
パクるも何も、こういうシチュでよくある感じの曲だと正直思いました。

カラーガード隊の右側に地味に控えている人の姿が見えますね?

これは、空自のステージではもうおなじみ、全員の上を航過する
4機のブルーインパルスのスクリーンを持って走る係。
今回、準備しているのを初めて間近で確認しました。

五人のジャージを着た空自隊員が、棒を持ってかがみこんでいます。

レディー、ナウ!

人と人の間を全く同じ歩幅で棒を持って走る。
開始前の練習風景紹介ビデオでこの走る人たちも出ていましたが、
一瞬のパフォーマンスを成功させるため幾度となく練習を繰り返したのでしょう。

上階からだと、こんな風にブルーが飛んでいくのが綺麗に見えます。

最後は空自、陸海と同じく空自の公式行進曲である
「空の精鋭」でまとめました。

この曲についてはいつも冷淡なわたしですが(笑)「空」のイメージに特化した
クールでスマートな、しかし一般には無名の曲が続いたあとだけに、
ここで手堅くこの曲が出てくると、耳馴染みのあるメロディにホッとしたのも事実です。

空自はカラーガードがいろんな意味で主役になって目を奪ってしまうので、
あえて「空の精鋭」は聴衆の注意を音楽に引き戻すためにもよかったのでは、
と思いました。

ドラムメジャーは田村二朗二等空曹です。
いつも陸空海いずれも同じ人ではないかというくらい体型が似ていますが、
ドラムメジャーの身長はもしかしたら決まっているのかもしれません。

ここで本年度から採用された第302保安警務中隊の新しい制服の紹介がありました。
左から夏服、合服、冬服の三パターンです。
音楽まつりにはOD色制服の陸自中央音楽隊の共演があるせいか、純白の白で臨みました。

制服が変更されるのは実に52年ぶり、デザイン監修はコシノジュンコ氏です。

発表された時には従来の質実剛健がよかった、という声や、
さらにここでもちょっと出ていたように、詰襟のスタイルが
三島由紀夫の結成した「楯の会」を思わせるという声もあり、
写真だけでは賛否両論でしたが、実際に見ると、これがなかなかよろしい。

まず、その詰襟ですが、従来の自衛隊の制服は海自の夏服、
防衛大学校の制服を除き、全てスーツとネクタイのものになっており、
詰襟ファン(というのがいるのかどうかわかりませんが、わたしとか)
にはこの導入は大変歓迎すべきものといえましょう。

さらにどのデザインにもトリミングにあしらわれている赤は、
日の丸と同じ色であるという説明を聞いて、わたしは深く頷いたのです。

上から見ると、その正帽の鍔の紅は、説明せずとも
これが日の丸からとったものであることが一目瞭然です。

というわけで、特にこの白は季節を問わず、例えばオリンピックでも
儀式などには是非是非多用してほしいとわたしは思ったのでした。

ところで、音楽まつりが終わってすぐ、ある方への表敬訪問の機会をえて
わたくしは市ヶ谷にいくことになったのですが、例の儀仗広場を通り抜けると
そこでは迷彩服の第302保安警務中隊のみなさんが儀仗の訓練真っ最中でした。

「写真撮りたい・・・」

思わず呟いたのですが、さすがに防衛省の中でカメラを取り出すことは
理性がかろうじて押しとどめました。
もしあそこでNikon1をバッグから出していたら、たちどころに
警衛の人が飛んできて、取り押さえられていたかもしれません。

 

それにしても任務だから当然とはいえ、音楽まつりの本番直後なのに
あの華やかな姿で見たのと同じ人たちとは思えぬくらい質実な姿で
(って迷彩ですから当然ですが)小隊ごとに、隊長の叱責を受けながら
周りの視線など全くないかのような真剣さで儀仗を行う彼らを見て、
これが彼らにとっての日常なのだと改めて感じ入った次第です。

そういえば、開始前のビデオで、第302保安警務中隊の隊員は、
シャツにアイロンをかけるシーン、靴を磨くシーンを紹介されていました。

各国首脳や皇室の方々の前で儀仗を行う特別な部隊ですから、
身だしなみはもちろん日頃の佇まいまで厳しく鍛えられているのです。

迷彩服の男たちが年に一度カラーガードと呼ばれる日。
音楽まつりでの姿は、厳しく地味な日常の訓練の中のごく一部に過ぎないのです。

陸海空のステージが終わり、全部隊による合同演奏が行われました。
後ろのスクリーンにはゴジラのシルエットが浮かび上がり、
おなじみゴジラのテーマ、続いて映画「シン・ゴジラ」では
列車爆弾が走るシーンに流れ出して思わず気分が高揚してしまった
「ヤシオリ作戦」のテーマが演奏されました。

その二曲が終わると、各部隊から一人ずつのファンファーレトランペットが
歌劇「アイーダ」の凱旋行進曲を演奏します。
ヴェルディのアイーダにはこの部分、原譜にファンファーレトランペットの指示があります。

指示は「エジプト風のトランペット」となっていて、
ファンファーレトランペットといえばあのメロディを思い浮かべるほど
有名であり、そのことからファンファーレトランペットのことを
アイーダトランペットと呼ぶこともあるくらいです。

「シン・ゴジラ」、映画ラストではヤシオリ作戦でゴジラは殲滅したのではなく、
凍結されただけで、いつか何らかの形で蘇る可能性が暗示されているのですが、
この際そういうことはなしで、まずゴジラが出没、ヤシオリ作戦で戦って、
やっつけたので凱旋行進曲、という三段跳びのストーリーで綴った合同演奏でした。


映画における歴代ゴジラと正面で戦ってきたのはいつも自衛隊です。

現に自衛隊では(消防庁や海保もそうだと思いますが)非公式ながら
ゴジラが現れた場合どうやってやっつけるかが議論されることもしばしばなのだとか。

もしゴジラが上陸したら?現役自衛官が真剣に考えてみた


詳しくは読んでいただければわかりますが、この記事で面白かったのが、
もしゴジラが上陸したら?という問いに対し、

海自「うち(海上自衛隊)がいちばん強いに決まっているではないですか?」

空自「対ゴジラ戦ではうち(空自)が1番強いです」

ところが陸自のインタビュイーは

「領海侵犯の段階では、海自と空自、そして陸自の精鋭部隊を軸としたオペレーションだが、
もし上陸されたら陸自主体にならざるを得ない」

つまり、初動から展開まで核をエネルギーとするゴジラに対応できるのは
我が陸自化学部隊を置いてない、と。

わたしは猛烈に感動しました(T_T)

実際にゴジラが出現しても、自衛隊がいる限り日本は大丈夫。
もし戦わば、この日の演奏のように、戦闘の暁には勝利の凱旋曲が
高らかに鳴り響くに違いないと確信したからです(適当)

 

続く。


点検飛行隊フライトチェッカー再び入間に舞う〜入間航空祭

$
0
0

入間基地には、陸海空全自衛隊の航空施設を点検して回る点検飛行機を
所有する部隊、フライトチェッカー・スコードロンが存在します。

赤と白の「チェッカー」フラッグをシンボルにした、文字通りのチェッカーズ、
全国の自衛隊の航空保安施設及び航空交通管制施設の点検を行なうのが任務です。

点検機は二種類。
まず大型がこのYS-11FCです。

正式にはこの飛行機を

「飛行検査用航空機」Flight Inspection Aircraft

と称します、
飛行検査用航空機は国土交通省によって定められた

航空保安施設等の機能あるいは航空路等について定期的に行う検査

を日常業務として行うもので、自衛隊の場合は全国にある
43の飛行場にある165箇所の点検対象航空施設を

YS-11FC 2機、

U-125 2機

の計4機で点検して回っているということになります。

もちろん新しく航空施設を増設した場合の点検、飛行場の運用を始めるときの点検、
あるいは航空機の離陸又は着陸のための飛行の方式の設定や、
航空機の航行の安全に関する検査又は調査を行います。

YS-11は戦後初めて日本が開発した飛行機で、日航も全日空も、
旅客機として使用しているので、自衛隊機といえども大変馴染み深いのですが、
点検機ってこんなに大きくないといけないものなんですね?

つまり、旅客機で人員を搭載する部分には点検用の機械が、みっちりと積まれていると。

 

タキシングしているフライトチェッカー機、まるで首輪のように
胴に(首か?)赤い線を巻いていますが、これには白い文字で

「プロペラ」

と書かれ、そのラインをさす矢印には「危険」とあります。
ブレード事故を防ぐため危険を喚起しているんですね。

また、フライトインスペクター機体は視認性の高い赤と白で塗装されています。

こちらがU-125点検機。
同型の U-125Aはやはり空自で救難捜索機として運用されていますが、
こちらは

戦闘捜索救難(Combat Search and Rescue:CSAR)

を想定しているので、視認性の低いブルー塗装です。

ちなみに戦闘捜索救難とは、戦時下において、前線、もしくは
敵の勢力圏内に不時着した航空機の乗員を救出することを指し、
通常は特殊部隊が乗り込んで任務にあたります。

空自は戦闘捜索を主眼にしていないので、単に救難隊が運用しているはずです。

ところでわたしは、今年の飛行点検隊のデモを見ながら、去年の入間で
このチェッカーズを見た記憶がないのにふと気がつきました。
そういえばブログにも書いた覚えがないなあと思っていたのですが、
調べたら、去年は地上展示だけで、飛行はしなかったことがわかりました。

同年4月6日に九州でU-125が墜落した事故を受けての中止だったようです。

その時には赤白塗装のT-4が浜松から参加してレッドドルフィンとして
シルバー部隊の飛行に文字通り色を添えたのですが、今にして思えば
同じ赤白機体はチェッカーズの分も引き受けて頑張っていたのかもしれません。

U-125御嶽墜落事故

この事故は飛行点検隊所属のU-125点検機が、飛行点検業務のため訪れた
海上自衛隊鹿屋航空基地付近で作業中消息を絶ち、その後の捜索で、
機体が御嶽の山岳地帯で、墜落しているのが見つかり、

機長 3等空佐(46歳)

副機長 1等空尉(34歳)

機上無線員 准空尉(54歳)3等空曹(27歳)

機上整備員 空曹長(43歳)2等空曹(34歳)

の計6名全員が死亡していたというものです。

衝撃的な事故でしたが、点検機が墜落した原因については

「U-125は戦闘機のように高速で飛ぶこともなく、
整備もしやすい機体なので、なぜ事故が起こったのかわからない」

などという声が上がっていたということです。

約4ヶ月後、事故調査委員会は

「事故機機長が飛行点検経路上の山の標高を誤認識し、また事故機副操縦士も
その誤認識に気付かなかったこと、高度を変更した以降、雲に接近して、
または入って視界が遮られる状況になっていたこと、
GPWS(対 地接近警報装置)が作動しているにもかかわらず適切な対応をとらなかった」

として危機回避できなかった機長と副操縦士の責任を厳しく断じました。
さらに、調査報告では、

事故に至った背景には、不十分な監督指導があった

とその原因について言及しています。


事故機の機長は東日本大震災発生当時ブルーインパルスの編隊長でした。
活動停止していたブルーが飛行を再開した際にはメディアへの露出も多く、
それだけに殉職は大きなショックを内外に与えました。

ところで、技術的にも人格的にも評価の高いベテランがなぜ状況を誤認識したのか。

報道によると、鹿屋付近を知悉している海自のパイロットが、
事故原因をこのように推測しています。

「墜落現場近くは高い山が連なっており、雲が発生しやすい。
おそらく事故機は、一度入った雲を抜けた先に山肌が急に現れたため、
回避行動が間に合わなかったのだろう」


全国各地の馴染みのない基地にも点検のために飛来する点検航空隊ですが、
この難しい鹿屋の地形に不案内だったことが事故原因に繋がったということでしょう。


事故後、殉職した隊員には旭日単光章が授与されましたが、
機長と副操縦士には昔の勲六等に相当するこの勲章叙勲は行われませんでした。
事故原因が二人のミスにあったと判断されたことを受けての措置でしょうか。

空自側が判断することだから仕方がないこととはいえ、割り切れない気持ちが残ります。

YS-11とU-125は、同時にタキシングを始め、YSが先にテイクオフ、
続いてU-125があとを追うように機敏に滑走路を飛び立ちます。

空中で合流し、2機並んで会場を左から右にパスしていきます。

それから1機ずつパスして、意外な駆動性を見せてくれます。
よく考えたら、いやよく考えなくても、この YS-11は旅客機と同じタイプ。
もし乗客を積んでこんな動きをしたら、機内では阿鼻叫喚となること間違いなしです。

機体は正確には YS-11FCと称し、FCとはフライトチェックを意味します。

偵察機のようにカメラの窓が開いていたりするのかと思いアップにしてみました。
カメラかどうかはわかりませんが、赤い首輪?と垂直に
検査装置と関係のありそうなものが装着してあります。

旅客機と同じ大きさのYS-11FCには検査装置、計器着陸装置、通信装置、
グラフィックレコーダー、機上録音機、信号観測用オシロスコープなどの
無線機材が搭載されています。

例えばこのT−4の後ろに見えているチェックの建物、これも
フライトチェッカーの点検対象のはずです。
(実はこれがなんなのか未だによくわかってないんですが)

フライトチェッカーが点検するのは、例えばグライドパス。
計器着陸装置(ILS)のうち、航空機に電波を発射し、適切な降下経路へ誘導する装置です。

これがちゃんと作動していなければ、飛行機は計器飛行で着陸することができません。

また、航法支援施設から出される電波を頼りに長距離の航路を間違いなく飛ぶために、
その電波が正確に出ているかどうかを確認しなければなりません。

そのために、観測機器を積んだ点検飛行機を実際に飛ばして、測定を行うのです。

デモフライトが行われている間、アナウンスで

「今何々の点検を行なっています」

というようなことを言っていたと思いますが、もちろん我々には
普通に飛んでいるだけにしか見えません。

昨年の不幸な事故を受けて前年度の展示飛行を控えていた飛行点検隊ですが、
2年ぶりに、こうして雲ひとつない蒼天の空に高く舞い上がりました。

彼らフライトチェッカーズは、失われた仲間と彼らが乗っていたU-125機を悼み、
祈りを捧げるような気持ちでこの時入間の空を飛翔していたかもしれません。

わたしがそう確信したのは、2年前の同航空祭の当ブログエントリ中、
その時に展示飛行を行った飛行点検隊の、U-125を写したこの写真を見た時です。

機体番号、043。

2年前、入間航空祭で展示飛行を行ったこの写真の機体は、
5ヶ月後の4月6日、御嶽での事故に遭遇します。

もしかしたら、この時に操縦桿を握っていた正副操縦士も、
他のクルーも、遭難したその同じメンバーだったのかもしれません。



飛行点検隊には特に高い技量を持つパイロットが配備されるといいます。

点検飛行には、検査の正確な結果を得るため、正確で緻密な操縦が要求されるからで、
それこそ殉職した機長のように、ブルーインパルス出身の、しかも編隊長というような
前職をもつベテランが操縦を行ってきました。

それだけに、この事故によって彼らが失われてしまったことは無念でなりません。


無念といえば、例年行われていた UH60J救難ヘリコプターの
リペリング降下とストレッチャーによる負傷者引き揚げといった
デモンストレーションも今年は行われませんでした。

これももちろん、先月18日に墜落したと思われる同機の事故を受けてのことです。

この事故も、U-125と同じく、緊急事態が起きたことを知らせることがないまま
レーダーから突然機影が消え、消息を絶ったのち墜落が確認されました。

さらに当日の飛行前点検や消息を絶つ5分前の交信内容に全く異常はなく、
短時間に何らかのトラブルが起き通信する間も無く墜落したとみられています。

ということは今回の事故も操縦ミス(というか判断ミス)の可能性があるのでしょうか。

自衛隊に限って「人心の弛み」があったとは考えにくいですが、
先月の百里基地のF−4出火といい、不可抗力の事故ではなさそうなのが気になります。

事故調査の結果を真摯に受け止め、精密に解析した上で、少しでも事故を減らすため、
さらなる安全対策の改善に繋げていってほしいものだと切に思います。

 

 

続く。

カラーガードと呼ばれる日〜平成29年自衛隊音楽まつり

$
0
0

平成29年度音楽まつり、海自が終わり次は航空自衛隊です。

ドラムメジャーとカラーガードの出待ち?表情。

ファンファーレでまずマーチングするのはそのドラムメジャーとカラーガード隊。
ひたいの真ん中に手先を当てて上を向く、独特の敬礼があっていよいよ開始です。

カラーガードというのはマーチングバンドで視覚的効果を添えるため
フラッグ、ライフル、セイバーなどの小道具を使いマーチングを行う部隊です。

ホーンとフラッグを持つ女性隊が空自おなじみのカラーガードです。

ヘアスタイルを全く同じ長さのポニーテールにしているのですが、
髪の短い人はもしかしたらウィッグをつけて臨んでいるのでしょうか。

いずれもブルーインパルスや「空」をイメージしたブルーと白のコスチューム、
フラッグは航空機が空に描く航跡を表すデザインです。

ファンファーレに続く曲のタイトルは「翼とともに」。

次の曲「インフィニティ」の始まりは一転して静かなピアノのメロディです。
そこで一人のカラーガードが現れ、ソロで優雅にフラッグをはためかせ、踊ります。

こちらが最終公演で会場上段から望遠で撮った画像です。
この後四人のカラーガードが二手に分かれて舞いますが、その時、
マーチングのフォーメーションは∞を描いています。

この「インフィニティ」という曲は最終公演で前に並んでいたおじさんによると
(わたしに向かって喋ってたんじゃありませんが)空自の委嘱作品で、
インフィニティとは先日お話ししたばかりのブルーインパルスの演技、
「レターエイト」の意味もあるのだそうです。

しかも既存のなんとかいう空自の曲に似ている部分(別の言い方で言っていた)
があるんだということをおじさんは力説しておられました。

わたしは「インフィニティ」がそもそもどれかもわからず聴いていたのですが、
もしこのカラーガードが皆でフラッグを振っていた箇所がそうだとすると、
パクるも何も、こういうシチュでよくある感じの曲だと正直思いました。

カラーガード隊の右側に地味に控えている人の姿が見えますね?

これは、空自のステージではもうおなじみ、全員の上を航過する
4機のブルーインパルスのスクリーンを持って走る係。
今回、準備しているのを初めて間近で確認しました。

五人のジャージを着た空自隊員が、棒を持ってかがみこんでいます。

レディー、ナウ!

人と人の間を全く同じ歩幅で棒を持って走る。
開始前の練習風景紹介ビデオでこの走る人たちも出ていましたが、
一瞬のパフォーマンスを成功させるため幾度となく練習を繰り返したのでしょう。

上階からだと、こんな風にブルーが飛んでいくのが綺麗に見えます。

最後は空自、陸海と同じく空自の公式行進曲である
「空の精鋭」でまとめました。

この曲についてはいつも冷淡なわたしですが(笑)「空」のイメージに特化した
クールでスマートな、しかし一般には無名の曲が続いたあとだけに、
ここで手堅くこの曲が出てくると、耳馴染みのあるメロディにホッとしたのも事実です。

空自はカラーガードがいろんな意味で主役になって目を奪ってしまうので、
あえて「空の精鋭」は聴衆の注意を音楽に引き戻すためにもよかったのでは、
と思いました。

ドラムメジャーは田村二朗二等空曹です。
いつも陸空海いずれも同じ人ではないかというくらい体型が似ていますが、
ドラムメジャーの身長はもしかしたら決まっているのかもしれません。

ここで本年度から採用された第302保安警務中隊の新しい制服の紹介がありました。
左から夏服、合服、冬服の三パターンです。
音楽まつりにはOD色制服の陸自中央音楽隊の共演があるせいか、純白の白で臨みました。

制服が変更されるのは実に52年ぶり、デザイン監修はコシノジュンコ氏です。

発表された時には従来の質実剛健がよかった、という声や、
さらにここでもちょっと出ていたように、詰襟のスタイルが
三島由紀夫の結成した「楯の会」を思わせるという声もあり、
写真だけでは賛否両論でしたが、実際に見ると、これがなかなかよろしい。

まず、その詰襟ですが、従来の自衛隊の制服は海自の夏服、
防衛大学校の制服を除き、全てスーツとネクタイのものになっており、
詰襟ファン(というのがいるのかどうかわかりませんが、わたしとか)
にはこの導入は大変歓迎すべきものといえましょう。

さらにどのデザインにもトリミングにあしらわれている赤は、
日の丸と同じ色であるという説明を聞いて、わたしは深く頷いたのです。

上から見ると、その正帽の鍔の紅は、説明せずとも
これが日の丸からとったものであることが一目瞭然です。

というわけで、特にこの白は季節を問わず、例えばオリンピックでも
儀式などには是非是非多用してほしいとわたしは思ったのでした。

ところで、音楽まつりが終わってすぐ、ある方への表敬訪問の機会をえて
わたくしは市ヶ谷にいくことになったのですが、例の儀仗広場を通り抜けると
そこでは迷彩服の第302保安警務中隊のみなさんが儀仗の訓練真っ最中でした。

「写真撮りたい・・・」

思わず呟いたのですが、さすがに防衛省の中でカメラを取り出すことは
理性がかろうじて押しとどめました。
もしあそこでNikon1をバッグから出していたら、たちどころに
警衛の人が飛んできて、取り押さえられていたかもしれません。

 

それにしても任務だから当然とはいえ、音楽まつりの本番直後なのに
あの華やかな姿で見たのと同じ人たちとは思えぬくらい質実な姿で
(って迷彩ですから当然ですが)小隊ごとに、隊長の叱責を受けながら
周りの視線など全くないかのような真剣さで訓練を行う彼らを見て、
これが彼らにとっての日常なのだと改めて感じ入った次第です。

そういえば、開始前のビデオで、第302保安警務中隊の隊員は、
シャツにアイロンをかけるシーン、靴を磨くシーンを紹介されていました。

各国首脳や皇室の方々の前で儀仗を行う特別な部隊ですから、
身だしなみはもちろん日頃の佇まいまで厳しく鍛えられているのです。

迷彩服の男たちが年に一度カラーガードと呼ばれる日。
音楽まつりでの姿は、厳しく地味な日常に支えられたごく一部に過ぎないのです。

陸海空のステージが終わり、全部隊による合同演奏が行われました。
後ろのスクリーンにはゴジラのシルエットが浮かび上がり、
おなじみゴジラのテーマ、続いて映画「シン・ゴジラ」では
列車爆弾が走るシーンに流れ出して思わず気分が高揚してしまった
「ヤシオリ作戦」のテーマが演奏されました。

その二曲が終わると、各部隊から一人ずつのファンファーレトランペットが
歌劇「アイーダ」の凱旋行進曲を演奏します。
ヴェルディのアイーダにはこの部分、原譜にファンファーレトランペットの指示があります。

指示は「エジプト風のトランペット」となっていて、
ファンファーレトランペットといえばあのメロディを思い浮かべるほど
有名であり、そのことからファンファーレトランペットのことを
アイーダトランペットと呼ぶこともあるくらいです。

「シン・ゴジラ」、映画ラストではヤシオリ作戦でゴジラは殲滅したのではなく、
凍結されただけで、いつか何らかの形で蘇る可能性が暗示されているのですが、
この際そういうことはなしで、まずゴジラが出没、ヤシオリ作戦で戦って、
やっつけたので凱旋行進曲、という三段跳びのストーリーで綴った合同演奏でした。


映画における歴代ゴジラと正面で戦ってきたのはいつも自衛隊です。

現に自衛隊では(消防庁や海保もそうだと思いますが)非公式ながら
ゴジラが現れた場合どうやってやっつけるかが議論されることもしばしばなのだとか。

もしゴジラが上陸したら?現役自衛官が真剣に考えてみた


詳しくは読んでいただければわかりますが、この記事で面白かったのが、
もしゴジラが上陸したら?という問いに対し、

海自「うち(海上自衛隊)がいちばん強いに決まっているではないですか?」

空自「対ゴジラ戦ではうち(空自)が1番強いです」

そして陸自のインタビュイーは、

「初段階では海自と空自、そして陸自の精鋭部隊を軸としたオペレーションだが、
もし上陸されたら陸自主体にならざるを得ない」

つまり、初動から展開まで核をエネルギーとするゴジラに対応できるのは
我が陸自化学部隊を置いてない、と言い切っています。

わたしは猛烈に感動しました→(T_T)

仮にゴジラが出現しても、陸海空自衛隊がいる限り我が日本は大丈夫。
もし戦わば、この日の演奏のように、総力戦の暁には勝利の凱旋曲が
必ずや高らかに鳴り響くに違いないと確信したからです(適当)

 

続く。

コークスクリュー〜平成29年度入間航空祭

$
0
0

さて、色々と間に挟まってしまいましたが、入間航空祭のブルーインパルス演技、
何としても最終回にこぎつけたいと思います。

入間上空にはよく鳥が飛来します。
何年か前のブルーの演技がバードストライクで中止になったことがありましたが、
このときも三機編隊の飛行を目撃し、大丈夫かとちょっと心配になりました。

ちなみに、先日知ったところによると、中国空軍のある飛行基地は、
周辺にその鳥の天敵である猿を放逐して解消にこれ努めているそうです。

入間は対策してなさそうだなあ・・・。

さて、ブルーインパルスの演技、蒼空に見事にハートとそれを射抜く矢が描かれ、
会場の興奮はますます高まって来ました。

1、2、3番機で行うライン・アブレスト・ロール。

アブレスト隊形で左から進入してくるフォーメーションです。
アブレスト、あるいはラインアブレストとは、2機以上の機が
横一列に並んだ編隊のことを言います。

フォーメーションというのは日本語で編隊ですが、そもそも編隊の定義とは

2機以上の機が、相互の位置関係を一定に保ったまま飛行すること

となっています。
日本語では編隊を組んで行動する航空部隊自体も「編隊」と称します。

4機以上の編隊を「フライト」といい、ブルーインパルスの隊長を
フライトリーダーと称するのはここから来ています。

ちなみに2機だけだとこれが「エレメント」となるそうです。

このラインアブレストロールや、ファンブレイクなどもそうですが、
エアショーのフライトはフォーメーションを組むとき見栄え重視で
必要以上に機体の間を狭くして密集形になります。

しかし実戦を想定したフライトではこんな飛び方は決してしません。
もし何か起こったとき、回避機動するだけのスペースが最低限必要なためで、
下手すると僚機との間が数マイル離れることも決して珍しくないそうです。

もちろん、こんな密集形で飛ぶ技量があってこその実戦なのですが。

ライン・アブレスト・ロールでは三機がまるでめざし状態、つまり
芯で連なっているように正確に隊形を維持したままバレルロールを行います。

バレルロールとは文字通り「バレル」(たる)の外側をなぞるような動きです。

続いてソロ機である5番機が行う360°&ループ。
読んで字のごとく、360度水平飛行と宙返りです。

ちなみにこれは「さんびゃくろくじゅうどアンドループ」ではなく
「スリーハンドレッド・シクスディ・エンド・ループ」と読みます。

ループの後、急降下してもう一度ループ。
ターンとループは同じ位置で開始し、同じ位置で終了。
ターンもループも同じ大きさの円なので、つまり丸くリボンを描く
(9とeをくっつけた状態)ような感じです。

続いては今ソロを行なった5番機以外の全機で行うワイド・トゥー・デルタ・ループ。
ワイド、つまり広い状態からデルタの隊形に飛びながら移行していきます。

会場の後方から幅の広いデルタ隊形で進入してきて、ループを行ううちに
だんだんそのデルタを小さくしていくという素人目にも難しそうな技。

会場の正面で宙返りを行いますが、この時点でデルタは最小になっています。
収束されたスモークが彼らの航跡に美しく五線を描きます。

それに5番機が加わって、6機全部で変則デルタ隊形で進入して来ます。

デルタループは6機でデルタ隊形を保ったまま今度は横に回転する技です。

アナウンスによると、そもそもこの隊形を保ち続けること自体が
高い技術がないと行うことができないくらい難しいことみたいですね。

しかもこのデルタループでは、まるで一枚の薄い板のように陣形を崩さず、
きっちりと回転していくというマックスの難度が要求されるのです。

フォーメーションの位置を決定するのは1番機ですが、外側の僚機は
一ミリの狂いもなく難しい機動をそれぞれ駆使しながら1番機についていきます。

ここからクライマックスへと向かっていきます。

ここだけ写真を撮り損ねたのですが、スモークを出しながらた全機が、
スモークを切った瞬間、一斉に回転を行うボントンロールが行われました。

ボントンロールが終わった瞬間。
やっぱり「レディ〜ナウ!」が合図だったんでしょうか。

続いては上向き空中開花です。
会場後方からデルタ隊形で進入した5機は、会場正面で上昇を行います。

全機が上昇し真上を向いたところでいよいよ・・・

ブレイクが始まります。

5機がそれぞれの方向にスモークを描きながら飛び、空中に花を咲かせます。

この「上向き空中開花」という演技名、少し不思議に思われたことはありませんか?
花は普通上を向いて咲くものです。(一部を除く)


かつてブルー演技に「下向き空中開花」というフォーメーションが存在していました。

1982年、浜松基地で行われたエアショーで4番機がこの演技中に墜落、
パイロットが殉職すると共に周辺住民に12名もの負傷者を出す大事故が起き、
それ以来、演目から「下向き空中開花」は削除され実施されることはなくなりました。

現在、「レインフォール」が下向き空中開花の改善形として残されていますが、
明らかに「上向き」とつける必要のないこのフォーメーションを未だにこう呼ぶのは
「下向き空中開花」への鎮魂の意が込められているというのは考えすぎでしょうか。

五方向に散っていった機が遠くでターンして帰って来て、
また再び会場上空に集結し、スモークで星を描きます。

スタークロスです。

ただこれを描くだけならともかく、(それでも十分難しいと思いますが)
上向き空中開花のブレイクの後、遠方から集まって来てこれだけ正確に描けるとは。

5番機、6番機によるタッククロスです。

二機は揃って背面飛行に入り、その姿勢から旋回を開始します

ただいま旋回中。
やや機首をあげて、右か左いっぱいにエルロンを当てて横転する
マニューバ、エルロンロールを行なっています。

そんな近くで旋回したら危ないってば。

という警告の言葉に聞く耳持たず、5番機と6番機はこの後
機体が交差するように内側に切り返すクロスターンを行い、そのまま
左右に分かれて上昇していきます。

上昇が終わると同時にスモークを切り、ループを描いて下降、そして・・・

スモークオンの背面飛行で会場に帰って来て中央でクロス!

1、2、3、4番機によるローリング・コンバット・ピッチ。

エシュロンという、右肩上がりの斜め隊形で進入して来た4機が、
上昇横転しながらブレイクします。

その後、4機でスモークによる半円をそれぞれが描いていきます。

1、2、3、4番機にとってはこれが最後の演目となります。
この後は解散し、着陸態勢に入っていきます。

最後のトリとなるのが、コークスクリュー。
5番機と6番機のソロ機で行うブルーインパルスだけのオリジナルです。

背面飛行をする5番機の周りを6番機が螺旋を描きながら追いかけ、
まるでコークスクリューのような形を作るものなのですが・・・・。

この演目は、正面から見ていないとちょっとよくわからないことになります。

両機の機動はよくわかるのですが、「コークスクリュー」には見えないというか・・・。

もし今度コークスクリューを撮ることがあれば、飛行機を追いかけず、
スモークを含めた全体を狙うべきであるという教訓を得ました。

コークスクリューが終わった頃には1から4番機までが着陸態勢に入っています。
今滑走路の上にオンしている2番機と、帰ってくるブルーたちの整備のために
エプロンを行進してくるドルフィンキーパーズ。

ドルフィンキーパーは全自衛隊の中でももっとも派手な?
ハレを味わえるメカニック軍団であることは間違いありません。

1番機無事着陸。

続いて2番機。
この時にすぐ会場を離脱していればあれほどの混雑に巻き込まれなかったかも・・。

この日はブルーインパルスは帰投しないというアナウンスが行われました。
告知しないと、帰投シーンを見るために待ち続ける人がいるからに違いありません。

空中であんなに華やかに、激しく機動を繰り返した6機が、
しずしずといった感じで駐機場に戻っていくのを見るのもいとおかし。

6機が全てエプロンに機首を並べ、キャノピーを開けたところを見届けて、
わたしは会場を離脱しました。

ちなみに、入間市駅付近の駐車場から出た途端激しい渋滞に巻き込まれ、
家に着いたのは夕方6時半でした。
ブルーインパルスの演技が終了したのは2時過ぎです(笑)

ちなみにこの日航空自衛隊からいただいた記念品はフリースのひざ掛けでした。
「IRUMA AIR BASE」と白で刺繍されたそれは、今現在もわたしの膝にあって
この冬のお役立ちとなってくれることと思われます。
音楽まつりの車の中の仮眠にも大変重宝いたしました。

招待券を手配くださった方、航空自衛隊の皆様、ありがとうございました。
また来年もいくぞー!(えっ)

 

入間航空祭シリーズ終わり



We Are The World 〜平成29年度自衛隊音楽まつり

$
0
0

音楽まつり、第2章は「想いをひとつに」。

「平和と安定の未来に向け、互いを信頼し力を尽くす」

というサブタイトルがつけられたこのステージでは
外国招待バンドが出演します。

まず米海兵隊第3海兵機動展開部隊音楽隊。
日本に在留している海兵隊の正式名称はこのドラムにもあるように

第3海兵遠征軍(3rd Marine Expeditionary Force: 3MEF)

というのですが、遠征軍という響きが物々しいと考えたのか、
日本では「機動展開部隊」と訳しているようです。

第1曲めは音楽まつりでは頻繁に登場するホルストの「惑星」より
「火星」が選ばれました。

これも滅多に紹介されたことはありませんが、「火星」の原題には
「Mars, the Bringer of War」というサブタイトルがあります。
つまり「マルス=戦争をもたらす者」という不穏なものなのですが、
単に「マルス=戦いの神」という翻訳をしている例もあります。

執拗に繰り返される「ダダダ・ダン・ダン・ダダ・ダン」という5拍子のリズムが
すでに戦いが始まっていることへの不安と恐怖を内包し、近未来的で不安定な
(作曲されたのは第一次世界大戦の頃ですが)メロディがそれを一層煽ります。

お約束、5拍子のリズムの盛り上がりとともにカンパニーフロント。

有名なユーフォニアムのメロディをドラムメジャーの向こうで演奏する奏者二人は、
一人が膝をついて座り、もう一人がその膝に脚をかけるという前衛?スタイル。

5拍子のリズムはドラムシーケンスによって引き継がれ、次曲、
映画「スーパーマン」のテーマに引き継がれていきます。

「戦いをもたらす者」から「スーパーマンのテーマ」。

うーん、なんてわかりやすい勧善懲悪ストーリーなんだ。

ちょっとわかりにくいですが、海兵隊、最後のフォーメーションは
スーパーマンの胸のマークで決めました。

ちょっと残念だったのは、いつも必ず最後、退場前に演奏する
「海兵隊讃歌」Marines' Hymnが今回は聴けなかったことです。

 

 

続いてタイ王国空軍音楽隊の出場です。

空軍らしい青と白の制服で登場。
演奏中スクリーンにはタイ空軍使用機が次々と映されましたが、
タイ王国空軍、Fー16なども導入しているようです。

ファンファーレに続き、楽しげなタイ情緒あふれる音楽とともに
ダンサーが乱入してきました。
曲名は「カンカーウキンクルアイ」というそうです。

次曲ではこのダンサーたちがタイボクシングのジェスチャーを行うという趣向。

タイボクシングというのはつまり「ムエタイ」のことです。
以前やはりタイ王国からの出演でムエタイを男性二人で見せたことがありました。

それに比べると今回は女性のムエタイ風ダンスといった感じです。

二曲め、専属歌手による日本語の「翼をください」。
彼女の歌にダンサーが今度は長いスカートをつけて出てきて踊りで花を添えます。

フォーメーションはハート型。

「今 私の願い事が 叶うな”れ”ば 翼が欲しい」

と3回とも歌詞を間違えて歌っていましたが、まあ意味は間違ってないしいいよね。

テーマをアレンジして転調した「この大空に」の部分とともに全員で
(ダンサーはスカートを広げ、楽器は横一列)カンパニーフロント。

 

今年の招待バンドは二カ国3音楽隊です。
常連の在日米軍軍楽隊の演奏は、去年に続き音楽まつりでおなじみの顔となった
トランペット奏者のセミデイ技術陸曹のギター弾き語りで幕を開けました。 

技術陸曹という階級は自衛隊のものをそのまま転用しました。
アメリカ軍ではシンプルに「スペシャリスト」と称し、「特技兵」と翻訳します。

文字通り特殊技能や資格などを有する者をさし、最初から特殊技能を持っていて
通常の志願兵とは別枠で採用された軍人のことです。

一般に飛行機や船舶に関わる人間は全て技能兵という考え方もあります。

先日お話ししたコードブレイカーなどは典型的であり、法曹資格を持つ者も
アメリカ軍ではスペシャリストとして扱われます。
ちなみに自衛隊の法務官には旧軍とは違い法曹資格の有無は問われないので、
スペシャリストというカテゴリには含まれません。


セミデイ技術陸曹は音楽という分野での『スペシャリスト』なのですが、
それなら軍楽隊全員がそうなのかというとどうも違うようです。

つまり、技術曹の位は「雇用の経緯」を指すのであり、これを有するものは
特殊技能を持っていることで(いきなり)伍長待遇で採用された民間人と考えられます。

そのセミデイ伍長待遇の技術曹が弾き語っているフレーズですが、
本日のプログラム「チルドレン・オブ・サンチェス」のヴァースかとも思われます。

その歌詞は

「夢、希望がなければ人は死んでしまう
体はまだ動いているけど心は墓で眠っているようなものだ
安らぎの地がなければ、人は何かに縛られ安心して眠ることはできない
人は皆威厳を持って生きることができる場所を求めている」

(字幕の間違いは訂正しておきました)

このスパニッシュ風のギター弾き語りが、鳥居や五重塔など、
日本の美しい風景の映像とともに流れます。

そして・・・

「フィール・ソー・グッド」で有名なフリューゲルホーン奏者(元トランペット)、
チャック・マンジョーネの「チルドレン・オブ・サンチェス」の始まりです。
メロディーはもちろんトランペットで。

その間、後ろのスクリーンにはこんな映像が流れていました。
広島の原爆ドームを訪問したバラク・オバマ前大統領が花輪を捧げる姿。

ハワイの真珠湾に永久展示されている軍艦「アリゾナ」で慰霊を行う安倍首相。
その後合同訓練を行う米軍と自衛隊、トランプ大統領と安倍首相といった具合に、
日本側が決してしないであろう(というかできない)アプローチで、日米両国の和解と赦し、
そして未来に向かっての両国の連携を誇らしげに見せてくれたのです。

「チルドレン・オブ・サンチェス」に歌詞があるとは知りませんでした。
調べたところ、同名の映画のために作曲されたそうで映画の最初のタイトル部分を見つけました。

Lupita Ferrer & Anthony Quinn - The Children of Sanchez

これを聞いて、セミデイ技術曹が弾き語っていたのは
この歌詞の最初の部分であることが判明しました。

掛け合いをしていたサックス奏者と客席に手を振るセミデイ技術曹。

隣の同行者が

「今日はこのおじさんに全て食われてしまった感があるなあ」

と言っておりましたが、つまり今年は米陸軍、全面的に彼をフィーチャーする
セミデイ作戦(オペレーション・セミデイ)発動だったのに違いありません。

さて、第二章のラストは全部隊の合同演奏です。
まず米陸軍軍楽隊がそのままロスオリンピックのファンファーレを演奏しました。
このファンファーレを作曲したのが「スターウォーズ」「スーパーマン」
「ジョーズ」「ハリーポッター」の作曲者、ジョン・ウィリアムスであることを
皆さんは当時ご存知だったでしょうか。(わたしは知りませんでした)

John Williams - Olympic Fanfare and Theme (The Original 1984 Recording)

そうと知って聞けば、ファンファーレに続くテーマにスターウォーズ的な要素が感じられます。

ロス五輪のテーマの間に全部隊が入場し、客席二方向から
東京オリンピックのファンファーレが響き渡りました。

このファンファーレは一般公募作品から選出されたもので、アメリカにおける
ジョン・ウィリアムスのような大物の作品ではありません。

ちなみにその後日本で行われたオリンピックのファンファーレは、
札幌冬季オリンピックでは三善晃、長野冬季では湯浅譲二とそれぞれ
一流作曲家が手がけましたが、だんだん進化?の度を増してゆき、特に長野では

「普通でええんやで」

と言いたくなるくらい超前衛的なファンファーレだった記憶があります。
作曲家としては短いファンファーレに思いっきり色々盛り込んでしまうんでしょう。

東京オリンピックのファンファーレを誰が担当するのか楽しみですね。
坂本か、三枝か、久石か、千住か、それとも・・・?

 ファンファーレの後、軽やかに始まったのは古関裕而作曲「東京オリンピックマーチ」。

後ろのスクリーンに74式戦車、海自の観艦式、ブルーインパルスのタキシング、
陸自の行進が流されていましたがそれが案外曲とマッチしています。

今回聴いて、曲の最後に雅楽の「越天楽」があしらわれているのに気がつきました。

終曲は各自衛隊から一人ずつ歌手が登場し、全員の歌で紡ぐ
「We Are The World 」。
セミデイ技術陸曹と空自の歌手がデュエットで登場し歌が始まります。

「ウィ・アー・ザ・ワールド」はアフリカ・エイドのキャンペーンに作られた曲で、
ビッグなミュージシャンがワンフレーズずつ参加して話題になりました。
最近(といってももう7年前)にはハイチ地震エイドバージョンも作られています。

わたしたちは地球 わたしたちは神の子供たち

今日より明るい明日を作る者たち

さあ今こそ始めよう

選択肢は 自らのいのちを救うこと 

より良い明日を作ることができる あなたとわたしとで


5人の歌手のハーモニーは溶け合って
武道館に集まった多くの人々の心をより一つに、
暖かい色で染めていくかのように思われました。

さて、いよいよ音楽まつり、最終章です。

 

続く。

 

世界に一つだけの花〜平成29年度自衛隊音楽まつり

$
0
0

平成29年度自衛隊音楽まつり、続いて第3章を迎えました。

ところで超余談ですが、音楽まつり会場前に出ていた地本ブースにいた
とうちくんの「中の人」が誰かが今日わかってしまいました。

「わたしが入っておりました」

と伺ったその人は、「将」のつくえらーい人だったのです。
さすがは指揮官先頭の日本国自衛隊。
まあ毎日ではなく最終日だけだったそうですが。
自衛官はついとうちくんに敬礼してしまったりして(着帽だし)

(参考画像)

「脚が黄色かったらそれはわたしです」

そ、そりゃとうちくんだから・・・。

会場のアナウンスでも音楽まつりの「目玉」と紹介されていた自衛太鼓です。
今年のテーマは「一致団結」。

確かにこれだけの数の太鼓が一堂に集結するのを聴く機会は他にないかもしれません。
最初に音楽まつりに来た人が一様に声を揃えていうのが、自衛太鼓の衝撃です。

今回、 TOは音楽まつり初体験だったのですが、彼もまた、感想を問うと、
もっとも印象的だったのは自衛太鼓だった、と言下に答えたものです。

一斉に掛け声をかけつつ決める動作のキレも只者ではありません。

女性奏者が一般における女性自衛官の割合(10パーセント)くらいいます。
彼ら、彼女ら全員が自衛官であることにこのパフォーマンスの
素晴らしさの意味があるとわたしはいつも思っています。

ちなみに海外でこのyoutubeがアップされると柔道着の袖を切ったようなユニフォームに対し、

「ストリートファイターのリュウがたくさんいる!」

とコメントがあがるようです(笑い)

今年の参加部隊は全部で12チーム。
クラブ活動のように練習をおこなっている自衛太鼓ですが、全国には
陸自駐屯地を中心にたくさんのチームがあり、北海自衛太鼓、入間修武太鼓、
朝霞振武太鼓などの常連以外は交代で出ているらしいことを知りました。

ちなみに海上自衛隊にはその勤務形態の関係上か太鼓チームはありません。

全員演奏の後は会場右と左で交互に行われる部隊ごとの演奏です。

アルプス太鼓は長野県松本駐屯地所属です。

皆上腕三頭筋の発達具合がやばい。

空自の太鼓チーム入間修武太鼓のノリは鐘と太鼓で軽やか。

朝霞駐屯地の自衛隊イベントでもおなじみ朝霞振武太鼓。
昔朝霞にあった陸軍予科士官学校は「振武台」と呼ばれていました。

滋賀十戦太鼓はその名の通り、滋賀にある第10戦車大隊に所属する太鼓です。
てっきりヒトマル式戦車の部隊かと思ったのですが、74式が主体だそうです。

自衛太鼓チームの扱いは他と同じく部活動というものですが、HPによると
その活動は大変熱心でそれこそ同部隊の「目玉」であるように思えました。

ところで今回撮った写真に写っていた太鼓のカバーに、地元小企業の名前が
さりげなく入っていたりするのを発見しました。

自衛官が手弁当で行うのが基本の部活動ですが、地元の寄付もあるようです。
自衛太鼓が地域に古くから溶け込んでいることの証左と言えましょう。

第3章、続いて防衛大学校儀仗隊のファンシードリルです。

24名の儀仗隊は6×4の列ごとに時差で行うドリルから演技開始。

一糸乱れず行われるファンシードリルに出演できるのは4年生だけだろうか、
とふと思って彼らの制服の袖を拡大して調べたところ、さすがに星なし(1年)
はいませんでしたが、2年生から4年までが混在しているようです。

この後フォーメーションは十字型、横2列と変化し、十字型の大回転を経て
横一列のフォーメーションで行われるドリルに移行します。

順番に投げ上げ、銃を回転させるなどを左から右、右から左に行い・・、

一番左の隊員が銃を回し続けながら敬礼を行うと会場はどっと湧きます。

左から右へと床に銃を付いていき、右端の隊員はジャーンプ!

そしてお待ちかね、銃潜り。
二列になった隊員が互いに銃を投げ交わす中を、隊長が進んでいく、
わたしの一番好きなフォーメーションです。

今回は上階からのこの角度が一番よく撮れていました。
この写真を見ると、本当にギリギリであることがわかりますね。

受け取った銃は背中で、しかも縦にまっすぐ支えています。

銃は練習の段階で落として壊すこともないわけでないようです。

ここまで軽々とドリルをおこなっているその陰には、何度も銃を落とし、
上級生に叱責されながら訓練を積んだ日々があるのでしょう。

武道館の本番、彼らはやっぱりたくさんの観衆の前で緊張するのでしょうか。

儀仗隊長の正帽には一佐以上相当の縁飾りがあることに今気がつきました。

皆が中央に目を奪われているとき、ステージの隅で銃を手に立っていた二人。
万が一のアクシデントに備えて銃を渡す係でしょうか。

そして一番最後、全員で敬礼しながら銃の片手回し。

頭(かしら)中で全く視線を手元にやらずに片手回しをしています。

肘の高さも全く変えずに、手首のスナップだけで回転させていますね。
当然のように全くミスをすることなく終わった儀仗隊のファンシードリルです。

わたしは何度か彼らのドリルを実際に見ていますが、今まで銃を落とす者がいたのは
防大開校祭でのただ一回だけで、音楽まつりではもちろん全ての演技が完璧でした。

音楽まつりの恒例、最終ステージの前に音楽まつりの設営部隊、
陸上自衛隊第32普通科連隊と隊長の一等陸曹が紹介されます。

「タタタン、タタタン、タタタタータタン」

と手拍子を打ちながら自衛太鼓、防大儀仗隊、カラーガードなどが出てきました。
いよいよフィナーレです。

みんな楽しそうー!

空自のカラーガードのお嬢さんたち。

最終公演ではこの時に泣いてしまう人もいるそうです。

自衛太鼓の凛々しい女性たち。

そこにまず陸海空それぞれの音楽隊が位置につき、外国バンドを迎え入れます。

みんなで片っ端からハイファイブ。

米陸軍と陸自は、今年の9月に15年ぶりに総火演でおなじみ
東富士演習場などで合同訓練を行ったというニュースがありました。

タイ空軍音楽隊と中央音楽隊。

全員が入場後、儀仗隊に続き参加国の国旗が入場してきました。
音楽はエルガーの「威風堂々」、今日は1番ではなく4番の第二主題できました。

(有名な『威風堂々』は実は5曲ある同名の1番であることをご存知でしょうか。
ちなみにわたし個人はあえて無名の5番推しです)

こののち陸海空3人の歌手が登場して中島みゆきの「糸」を歌いました。
海自、陸自は専属歌手である三宅由佳莉三等海曹、松永美智子陸士長、
そして空自からはモリタ・サキ二等空士。

専属歌手を持たず、音楽まつりには歌の上手い人を選抜していた空自ですが、
昨年度の募集要項に「ボーカル兼ピアノ」という応募があったということなので、
もしかしたら彼女がその応募で採用された初の声楽枠隊員かもしれません。

彼女の声の素晴らしい伸びの良さは聴いていただければお分かりかと思います。

「ラーラララーラララーラララーラー」で国旗と第302保安警務中隊が退場。
最初のセレモニーでは真っ白だった儀仗隊の制服が、最後には合服の
上着紺、ズボン白になっていたことに気づいた方はおられるでしょうか。

小さな緑のポンポンを振っている人発見。

手を振って出演部隊が退場していきます。
音楽隊、自衛太鼓、防大儀仗隊、そして舞台設営を行なった部隊の隊員も。

米陸軍の皆さん、キャンプ座間のマークに富士山を使ってくれてありがとう。

会場に残った3人の歌手は、ピアノの伴奏で「世界に一つだけの花」を
それぞれワンフレーズずつ歌い・・・、

手話で残りのワンフレーズを静かに歌い終えました。

フィナーレ指揮は陸自中央音楽隊隊長、樋口孝博一等陸佐でした。

長々と語ってきた音楽まつりシリーズ、
今回の参加に手厚いご配慮いただきました皆さまに対する感謝の気持ちを
厚い御礼に代えさせていただき、報告を終わりたいと思います。

ありがとうございました。

 

 

儀仗隊ファンシードリル〜平成29年度防衛大学校開校記念祭

$
0
0

音楽まつりのご報告が終わったので、中断していた
防衛大学校開校記念祭の続きに戻りたいと思います。

レバ

観閲行進が始まるまでの間、朝ごはんを食べがてら校内散策をしました。
観覧席後ろにある体育館の中では校友活動の展示が行われています。
1日目に来ればパラシュート部と第一空挺団の降下が見られたんですけどね。

ところで、体育館にかかっていたこの巨大なスクリーン風バナーには驚きました。
わざわざ開校記念祭のために製作したらしいのですが、なんと!

たくさんの防大生活のスナップ写真でできているのです。
こういうのをフォトモザイクというのですが、どうも今はカメラロールにある
たくさんの写真から一枚の写真を作ってくれるアプリなんていうのがあるらしいですね。

しかしこの作品の凄いのは、それを実際にプリントアウトした写真で
再現した(つまり写真を並べて貼り付ける作業を行なった)ということです。
さすがは防大、人海戦術はお手のもの?

えーと、レンジャー部?(多分違う)

ヨットが風を帆にはらんで展示されておる。

将棋部の机では、ちびっこ棋士と真剣に対戦する防大生の姿あり。

なんと防大に自動車部がありました。
部車で軽自動車の耐久レースなどに出場しているそうです。
ちなみに部車には「National Defence Academy」のロゴあり。

今まで特に考えたこともなかったのですが、防衛大学校の英語名称は
「国際防衛アカデミー」だったんですね。
このナショナルはやっぱり留学生を受け入れているから?

日本国自衛隊の幹部養成学校なのに「JAPAN」が付かないのは何故なんだろう。

耐久レース参加時熱で溶けてしまった(!)エンジンの展示あり。
レース使用車はやっぱりというか萌え自衛官のイラスト入りだ!

舎前の模擬店は留学生グループが着々と売り上げているこの時間にも
まだ全然オープンの気配なし。

「程田さん家のケバブ」?

これが程田さんのようです。

通りがかりの人に「インスタ映えにいかがっすかー」と声をかけて
写真を撮らせていた謎の集団の訓練士。

女性二人、インスタ映えという言葉に見事籠絡され写真を撮る羽目に。
いやー、今最強の言葉だね。「インスタ映え」(笑)

防大生もインスタ映え狙い?

最初に開校記念祭に来た時にもこの怪しげ()な集団はいましたが、
その頃にはまだインスタグラムなるツールは存在していませんでした。

ツィッターといいインスタといい、ほんの数年前にはなかったことが
登場し市民権を得てその中毒性が何かと非難対象になるまでがワンセット。

例えば5年後に開校記念祭に来たら?

おそらくこの集団は中の人を変えてそのまま存在すると思いますが、
彼らの姿はその時どんなツールで捉えられ拡散されているのでしょうか。

さて、儀仗隊がミニドリルを行うこともあるこの広場を通りかかると、
隊員が観閲行進前に家族知人と交流をしていました。

もう一度くらいは通しのリハが終わっているのでしょうか。

校舎の反対側には専用のテントも設営してありました。
時間がなくて立ち寄りませんでしたが、広報ブースと思われます。

というわけで、観閲行進が終わり、儀仗隊のファンシードリル、開始です。

音楽まつりよりも人数が多いような気がします。
今数えて見たら音楽まつりは隊長を入れて25名でした。

音楽まつりは「選抜隊」だったということですか。

最初は正面に向かって(来賓席に向かって)敬礼を行います。

「ファンシードリル」と云う名称には、

Fancy=趣味的な意匠を凝らした Drill=訓練

と云う直接の意味があります。
たまたま見つけたタイ海軍の儀仗隊の人のブログによると、どの国かはわかりませんが、
平時の軍隊において兵士たちが自由時間に銃を回したりして遊んだことから
自分自身と他のものが楽しむためにそれを組織しだしたのが始まりだそうです。

今では軍のみならず国際プロトコルに欠かせない儀仗隊ですが、
ファンシードリルはさらにその団体の統制と技術、研鑽の成果を
わかりやすく人々に伝えることのできる手段となっています。

音楽まつりと同じく、隊長は唐川航輝学生が務めます。

HPによると唐川学生第62期隊長ですので、防大儀仗隊の歴史は今年で62年目、
1955年(昭和30年)に始まったということになります。
防大開校が大きなフォトモザイクにもあったように今年で65周年ですから、
開校して3年目、儀仗隊が開設されてそれ以来の歴史があるということです。

つまり初代儀仗隊のメンバーはもう80歳台になっておられるんですね。

ちなみに儀仗隊の歴史について何かわかることはないかとHPを見たら、
儀仗隊の歴史コーナーは鋭意(たぶん)工事中でした。

一旦グラウンド中央で指揮刀を掲げたのち、来賓席に向かって進んできます。

来賓に向けて、捧げ〜〜〜〜〜〜

銃(つつ)!

捧げ銃は「銃の敬礼」、隊長が行なっているのは指揮刀の敬礼です。

礼式が終わると元の場所に戻っていよいよドリルの開始です。

全体で大きな十字フォーメーションを作っての演技。
タイ海軍の人によると、これを「サークル」と呼んでいるとか。

ちなみに手前のモヤモヤしたものは、前に座っている人の帽子の飾りです(笑)

ドリルの間、ずっとリズムを刻んでいるパーカッション隊。
華やかな演技を支える重要な役割ですが、正式になんというのかは知りません。

午前中はグラウンド反対側の芝生にはそれほど人がいっぱいではありません。
棒倒しの時間には立ち見も含めて大変な人になります。

儀仗隊HPの自己紹介のページによると、なぜ儀仗隊員になったかという理由で
圧倒的に多かったのが「かっこよかったから」そして「防大ならではのことをしたかった」。
中には同室の上級生の勧誘がすごくて(断れなかった?)という理由もありました。

二列縦隊になって対面通行しながらのドリル。

銃を地面に立てたまま歩いていき、次の人が倒れる前に拾うという趣向ですね。
銃の置き方にも注意が必要です。

これは広いグラウンドならではのフォーメーションですね。
全員で一列になってそのまま中央を芯に回転していくサークルです。
今数えたところ本日のフォーメーションは30名で行なっていることがわかりました。

真横に来たときにちゃんと列をまっすぐに保っているかがわかります。
うっ、向こう端の一番外側3名、もしかしたら少し遅れてますかー?

こちら側はほぼ一線です。すごい。

地面に写る影を見てもまっすぐかどうかわかってしまうという・・・。

 

順番に銃を空中で一回転させていくドリル。

銃が空中にある間手は拳にして下が基本です。

ギリギリになって落ちてくる銃を迎えにいって掴みます。

さて、いよいよ最後のフォーメーションに入りました。

二列で隊長の通る「通路」を作りました。
そう、正式には何というのか知らないのですが、わたしが勝手に
「銃潜り」と呼んでいるフォーメーションが始まるのです。

しかし、残念ながらこの日の観覧場所からはいまいち何が起こっているわかりません。
角度のせいで銃の交換も隊長の姿も人の壁に阻まれて見えなかったのは残念です。

ただ、この写真で銃を投げる前には右脚を振り上げる動作をすることがわかりました。

銃潜りはやはり音楽まつりで上から見るのが最高ですね。

全ての演技が終わり、整列してもう一度観閲台前に行進してきます。

演技の最後は「敬礼」。
ただし、隊長以外は敬礼しながら片手で銃を回し続けるスタイル。

 

今年も開校記念祭に続き音楽まつりで活躍した防大儀仗隊。
音楽まつり最終日には公式アカウントでこんなツィートをしてます。

いよいよ、自衛隊音楽まつり最終日となりました!
最終公演まで全力で走り抜けたいと思います"<( ̄^ ̄)(←かわE)

ちなみに隊長もそうであるところの62期隊員は、音楽まつり最終日をもって
引退し、後進に道を譲ることになっているようです。

みなさん今までお疲れ様でした。

 

その凛々しさ、爽やかさ、キビキビした動きとひたむきな表情で
いつも見るもの全てを魅了する防衛大学校儀仗隊のファンシードリル。

あなたたちとまた来年再会するのを心から楽しみにしています。

 

開校記念祭シリーズ、続く。

 

 

棒倒し始まる〜平成29年度防衛大学校開校記念祭

$
0
0

さて、わたしが今回防大の開校記念祭に行こうと思ったのは、久しぶりに
棒倒しを撮ってみたいと思ったからでした。

午前中の観閲行進が終わったとき、偶然知り合いの方(息子さんが自衛官)
を見つけ、ちょっと立ち話をしたところ、棒倒しなら、今ガラガラのグラウンドの
向こう側の一番高いところを取れば後ろに座っている人がいないので
気兼ねなく撮れますよ、と教えていただきました。

なので早速真ん中に近いここに席を取りました。
上はもう同じことを考える人がシートで席を抑えていて、
ここしかなかったのです。
目の前の配電盤が邪魔ですが、この際仕方ありません。

場所取りをしてまだ棒倒しが始まるまで3時間もあるので、構内を歩きに行きました。

必見3大隊 恋の片道切符 あなたの心に捧げ銃

心に捧げ銃をしても一方通行、そういう状況しか見えないのだが。

プログラムによると、講堂で音楽演奏があるということだったので
暖をとるのも兼ねていってみることにしました。

途中の校舎の窓にこんなお知らせがありましたが、
迷彩服を着せてもらえて、訓練メイク体験・・・

これも「インスタバエ」狙いでしょうか。

さらに歩いて行くと、今日献花されたばかりらしい顕彰碑がありました。
花輪には防大校長と防大同窓会長の名前があります。

裏に回ってみると、防大出身者で殉職された方を顕彰する石碑であることがわかりました。

同じ一角に小さな「勇魂」と書かれたこれも慰霊碑があります。
第5期生の第一大隊岩崎正章学生は昭和33年1月26日、ラグビーの試合中
亡くなったということが書かれています。

第12中隊の学生長でありラグビー部でも主将だったということですから、おそらく
優秀で勇猛果敢な学生だったのでしょう。

講堂に入ると、ギター部が演奏中でした。
それにしても防大の講堂でかすぎ(笑)

演奏していた曲はパッヘルベルの「カノン」とか「第3の男」とか・・。

聞けば全員防大に入ってからギターを始めたということです。
校友会活動は文化部を選択するものは運動部と掛け持ちしなければならず、
しかも忙しい防大の学生生活で練習する時間もままならないと思うのですが、
こうして、これだけたくさんの学生がとにかく何曲かを人前で演奏しているのです。

そんな健気な彼らの演奏に対し、あれこれ音楽的に論うことは厳に慎みたいと思います。
うん、みんなよく頑張ったよ!聴いてて楽しかったです。

実はわたしはこれを聴きに来たの。
ピアノサークルの発表。

期待通りというか、迷彩服がピアノをステージに運んで来て、そのまま
ベートーヴェンの悲愴の二楽章を弾いた記憶があります。

最初はちゃんと弾いていたのですが、なんか色々と曲を省略したり
違うところに行ったりして、独自のアレンジをしていました。

クラシックピアノの先生からは叱られそうですが、彼は随分余裕があるというか、
わかってやってる感ありありで、実はかなりのやり手とお見受けしました。

もしかしたらジャズなんかも弾けるタイプかもしれません。
わたしは、へー、防大生にもこんな人材がいるのね、と感心しながら聴いていました。

しかし防大生はこの人だけだったので、しばらく聴いて講堂を後にしました。

一度だけ学生舎にも入ってみました。

ここは第三大隊の建物なので、緑の法被を着てます。

さて、そんなこんなで時間が潰れ、グラウンドに戻ってみることにしました。
この時には気づかなかったのですが、写真にはしっかり
宮嶋茂樹氏と愛用の白レンズが写っていました。

やっぱり防衛大学校の写真集をお出しになるんでしょうね。
この日棒倒しに出た人は写真集に載る可能性大だ。

グラウンドの端には怪我人を即救急輸送できる態勢で救急車も待機。

誰もいないグラウンドをその辺の人の視線を一身に受けて歩いていた医療関係者。

さて、いよいよ棒倒しの始まりです。
まず隊長と大隊旗が入場してきました。

旗の色はそのまま大隊のカラーとなります。
シンボルは第1=龍、第2=獅子、第4=鷲。

第2大隊の旗には同大隊の職員一同からの寄贈とあります。

昨年優勝した第2大隊による優勝旗返還の儀式。
優勝旗を預かるのはいつのまにか迷彩服にお色直ししてきた国文校長です。

試合は単純に勝ち抜き戦で勝敗を決めます。
まず、第一試合を行う第1大隊が入場してきました。

ソイヤ、ソイヤ、という感じの掛け声とともに入場してくる一団。
最初に棒倒しを観る人はここでもう圧倒されてしまうくらいの迫力です。

第1試合は第1大隊(赤)対オレンジの第3大隊。奇数組ですね。

試合前にそれぞれのチームがエールで気合を示します。

時間が経って詳細は忘れてしまいましたが、基本挑発していくスタイル。

皆、気合い入ってるかー!うぇーい!

みたいな?

こちらは「いただきます」と「相手を食う」スタイル。
前にも同じのを聴いたことがありますが、大隊ごとに決まったのがあるのかも。

こちら顔に日よけペインティングしてただでさえ凄みのある集団がさらにすごいことに。
応援部はこの日自分の所属する大隊を応援することになっているようです。

試合準備が始まりました。
向こうに攻める色シャツ軍団、自陣の棒を守る白シャツ防衛軍。

えーと、応援団の方達は一体何を・・・。

棒の上には「上乗り」。
その周りをサークルの肩に乗って守るのが「四天王」(多分)。

攻撃の方法なども各大隊で作戦を練って訓練を積みこの日に臨むそうです。

始まりを待つ一瞬、上に乗っている人はきっとドキドキしてしまうんだろうなあ。

開始の合図と同時に敵陣に駆け込んでいくオフェンス。

こちらには敵の攻撃隊が襲いかかりました。
右側で相手に向かっていっているのがおそらく「キラー」。

敵の武闘系運動部員をサークルに寄せ付けないように
複数人で襲いかかる役目のことをキラーといいます。

もちろんサークルの後ろから回り込んでくる敵もいるわけで・・・。

オレンジの手を伸ばしている人はおそらく「特攻」という役目でしょう。
「スクラム」がサークルの手前で組んだスクラムを駆け上り、
サークルの上に攻めていこうとしております。

サークルの周りを固める人たちは皆左手に赤いバンドを巻き、
それを体に付けて反対の手を高々とあげています。

どこからともなく襲ってくる敵に対し、防御する姿勢になるのでしょうか。
もしかしたらベルトはスクラムを組むために他の人と繋いである?

右側でサークルに寄せ付けまいとするディフェンスとオフェンスが戦い、
地面では早速一対一の取っ組み合いが始まっています。

上乗りの生徒は「猿」と言われるくらい身軽で、登ってくる敵を
上からけり落とすのが仕事。

ディフェンスのスクラムに割って入ろうとするオフェンス、
それを引き戻そうと後ろから羽交い締めにするディフェンス。

どうしてこの状況で一対一になるのかわからないのですが・・・。

一旦タイマンになってしまうと、ずっともみ合ってしまうことになるようです。
もしかしたら日頃気にいらんやつ、とか思い合っていたりして?

まあ元祖の海軍兵学校では棒倒しが下級生にとって日頃の恨みを晴らす
いいチャンスだったという話も残っていることですし。

ああ、こちらでも取っ組み合い続出。
一方棒の周りにはついにオレンジが迫る事態に。

オフェンスの役割に土竜(モグラ)というのがあります。
敵の円陣の足から下を潜り込んで崩すというものなのですが、
大抵は踏み付けられて全滅してしまうそうです。

オレンジ、いいところまで何度も迫っているのですが・・・。

場外乱闘も佳境に入っております。

ああ、上に乗っている人が足を踏み外した!?
十分棒は倒れているような気がしますが、まだ人がいるので判定にならないのでしょう。

上の人落ちちゃったよー。

上も下も大変なことに。
オレンジが上の人のシャツを掴んで引き摺り落としています。

ちょっと右端で取っ組み合いしている人たちに注目してみましょう。

棒が倒されるかどうかの瀬戸際にこんなところでなにをやっているのか、
という気もしますが、彼らは真剣です。

ごんずい玉みたいになってますが、よく見ると皆一対一で戦ってます。

棒を抱えている人「せいやあ〜〜〜!」

その時判定の笛が鳴りました。
まあ、これだけ傾けばオレンジが倒したといってもいいんじゃないでしょうか。

皆で手を挙げているのでなぜ負けた方が?と思ったのですが、どうもこれは
試合が終了してもう何もしてませんよ、ということをアピールするためと思われます。

でも、端っこではオレンジが喜んでいる様子がわかりますね。

どうもこれは試合終了後の決まりで、左にいる審判団が
全員の手が上がって凶器を持っていないか(多分)チェックしているのでは。

第1大隊の攻撃隊が帰ってきました。
ちょっと意気消沈している様子。

かたや決勝戦に進む第3大隊は退場の時も拳を振り上げ、ガッツポーズです。

さて、続いては偶数大隊の予選が行われます。

 

続く。


5年後の棒倒し〜平成29年度 防衛大学校 開校記念祭

$
0
0

防大名物棒倒し。

これはいうまでもなく、発祥は海軍兵学校です。

兵学校を描いたものには必ずこの棒倒しについての言及があるのですが、
中でも兵学校の英語の先生だったセシル・ブロックがこの棒倒しについて
外国人の目で素直に感動したことを述べています。

ブロック先生に限らず、江田島を訪問した海外の武官は、やはり皆
この棒倒し競技に驚愕し強い印象を受けて帰るのが常でした。

自分の過去ログに()ブロックが見た棒倒しの記述を発見したので貼っておきます。

紅白に分かれ、約百メートル離れて対峙した一団は、
在校生を二分した同数の攻撃隊と守備隊に分かれています。

防御隊は、高さ2メートル半、直径15センチの丸い棒を中心に、
その周りを幾重かのスクラムを組んで固めています。
棒の周りには頑強な体格の者ばかりが選ばれます。

下級生たちの肩の上には一号が乗って、敵の攻撃隊と直接戦うのです。
そして、その棒のてっぺんに刺さっている旗を取るのですが、
その棒の根元には、二人の特に頑丈な生徒があぐらをかいて棒を支えています。

 

昔は頂上の旗を取れば勝ちということになっていたのですが、今では

「3秒間30度の角度に傾けば勝ち」

というルールに変わっています。
さらに、昔は時間制限はなく、とにかくどちらかが取るまで行われましたが、
今は2分と決まっているそうです。

最初にこれが2分、しかも大抵は時間制限内に勝負がつくと聞いた時には
その短さに結構驚いた記憶があります。

さらに、昔は棒が倒れなくとも旗を取れば勝ちだったので、
厳密には棒倒しではなく「旗取り」というべきだったのですが、
今は倒せばいいだけなので名実ともに「棒倒し」となっているのです。

予選第二組は緑の第3大隊対青の第2大隊。
抽選によるものか、寒色系同士、暖色系同士の予選となった訳です。

慣例に従い、両チーム交互に気合いを入れるタイム。

こちら青の第2大隊は、攻撃隊と防御隊で交互に万歳?をするスタイルです。

ところで、確認のために自分のブログから防大の棒倒しの記事を探してみたところ、
昔(2012年だからもう5年前)当時の棒倒しは

「対決前に両大隊の棒倒し責任者が出てきて中央で睨み合う」

という儀式をやっていたっぽいんですよ。
プロレスラーとかボクサーが試合前に顔の距離1センチのところで
互いの目を睨みつけるパフォーマンスに近い感じのを。

あれから5年、何が起こったのか、このにらみ合いはなくなっていました。

競技が始まる前には、地面に描かれたサークルのきっちり真ん中に
棒倒しの棒が横たえてあります。
2m50cm、直径15cm、規格は兵学校のを踏襲しているようですね。

団体の中央で一人ヘッドギアなしなのが「棒倒し責任者」。
昔は「棒倒し総長」といいましたが、暴走族が社会問題になった頃、
まるで暴走族のリーダーのようだ、ということで「責任者」になりました。

これも世論を忖度する防衛省的謎の圧力の被害と言えなくもありません。

前にもいったことがあるように、わたしなど、責任者という名称は
どうにも役所的で棒倒しの実態にはそぐわないと思ってしまいます。

さらに本来なら責任者同士でメンチを切り合う(この文章もなんか変)はずが、
いつのまにかそれを無くしてしまい(たぶん不良の喧嘩みたいで柄が悪いとかで)
何のために両チームの火元責任者、じゃなくて危険物取扱責任者、でもなくて
棒倒し責任者がヘッドギアなしで出てくるのか、すでにその理由が失われていることを、
わたしはこの日、草葉の陰でじゃなくて上で一人考えずにはいられませんでした。

防大生の気質も5年も経てば変わってくるのは当然ですが、それが
より一層ジェントルに、ソフィスティケートされ、荒々しさの対極へと
変化していっているその実証の一端を見た気がしたからです。

いや、いいんですよ。
紳士たれがモットーでもある防衛大学校としては。

ただ、たとえ形骸的にであっても荒ぶることが許されているはずの棒倒しですら
徐々に徐々に牙を抜かれ、お行儀のいいスポーツへと変遷しているようで、
普通の学校ならいざ知らず、戦闘指揮官養成学校でこれは如何なものか、
と「ぼんやりとした不安」を感じずにはいられなかったのも事実です。

いずれにせよ、例えば今日から5年後、ここ防大グラウンドでは
どんな棒倒しが行われることになるのでしょうか。

 

合戦前の準備が始まりました。
総員配置につきます。

棒を立て、「上乗り」が頂点に軽々と飛びつきます。
簡単そうに見えますが、実はそうでもない気もします。

 

下にいる人たちが皆で手を上げている様子は、まるで太陽神ラーの祈祷とか、
ムウ帝国のマンダに捧げる祈りみたいですが、これは推察するに「空手証明」、
爪が覆われて武器を隠し持っていないことを証明するための動作です。

これも5年前は整列している時に手を前に出して、それを審査員が
歩いて見て回っていたのが今回なくなっていたのでそう解釈したのですが。

開始の合図があり、青の攻撃隊が一斉に駆けていきます。

そしてたちまち敵のオフェンスがサークルを攻略せんとやってきました。
手前の4人はサークルの後方から攻めようとしていますが、そうはさせじと
サークルの後ろには武闘系の学生を配置します。

棒の周りを立って固めるのは四人。
勝手に「四天王」と呼んでいたのですが、どうも本当にそういうらしいです。

兵学校の頃は、これは上級生の役目と決まっており、四号生徒(1年生)は
大体が下で棒を支える係に配されていたようです。

あっ、緑の攻撃隊がサークルを割ろうとしてますね。

ちょっとこれ一体どうなってるの、と一見思ってしまいました。

オフェンスが肩の高さに浮遊しているように見えますが、
これはサークルに取り付くようにして背中を向けている攻撃隊の背中に
駆け上がろうとしてジャンプした瞬間なんですね。

そして、四天王はいつのまにか一人が脱落して3人に・・・。

手前、大体6人くらいで(笑)乱闘となっております。
攻撃隊が一列に並んでいるように見えるのは、連続してサークルに突入し、
活路を開こうという作戦に違いありません。

手前の海自迷彩の審判が何かアクリルのボードを掲示しています。

向こうからサークルをよじ登ろうとする突攻を
果敢にも足蹴にして撃退する四天王(のうちの二人)。

左、サークルに突撃していこうとする突攻を二人掛かりで
引きずり出そうとしているオフェンス。

右は緑勢がサークルの外側から人員を剥がして突破口を作ろうとしています。

棒の周りを固めているサークルを緑が覆い隠すような状態になってきました!
どう見ても緑が優勢。

しかし棒の上の上乗りは健在。
上乗りがいる限り棒を倒したことにはなりません。

ずっと上から自分を引き摺り下ろしにやってくる
敵と戦う味方を見ているのってどんな気持ちなんでしょう。

張り手?を食らう人、突攻を羽交い締めする人の脚にしがみつき
足止めをする人、ウレタンのギアが壊されてしまう人・・・。

しかし次の瞬間・・・、

青の第2大隊の攻撃が棒を倒したらしくホイッスルが鳴りました。
すごくいいところまでいっていたのですが、青組が早かったようです。

勝敗が決したらさっさと自陣に戻ります。
真ん中の人、ノースリーブになってしまいました。

試合が終わり、両者定位置に整列して礼。

礼が終わるなり思わずガッツポーズ。
第2大隊対第3大隊は第2大隊の勝利となり決勝進出を決めました。

ここで観客に向けてアトラクションタイムです。
柔道部が二人ひと組で投げ技を披露しました。

えー、これは背負い投げでいいのかな?

単なる「型」とはいえ、全員が相手を地面に叩きつけた時、
観衆からは驚きのどよめきが漏れました。

投げられる方も受け身ができているとはいえ、
硬い地面に体を落とされて痛くないんでしょうか。

しかもその中に女性が一人混じっていました。
投げている方の柔道着には63期と刺繍されていて、4年生なので
投げ役を最後にしているらしいのがわかりますが、観客としては
女性が男性を投げ飛ばしているのをちょっと見たかったかも(笑)

 

迷彩服でベートーヴェンを華麗に弾く男子がいれば武闘系柔道女子もいる。
なかなか防衛大学校とは人材豊富な集団だと思った一日です。

続いて防大応援団による演舞が行われました。
「あおざくら」を読んだばかりの知識によると、応援団の訓練は凄まじく、
これに耐えて一人前になるのが「男の証」みたいな風潮があるとか。

持ち上げるだけで大変そうな巨大な大団旗を見ただけでその気迫を感じます。

応援団の団員については出身高校と氏名が紹介されたのですが、例えば

「埼玉県立川●高校出身」

というと、後ろで見ていた防大生の中から

「めいも〜〜ん」

「東京都竹●高校出身」

「めいも〜〜ん」

その日家でその話をTOにしたところ、

「それ、応援団文化。学校をいうとめいもーん、というのが約束なの。
旧制高校時代で高校イコールみんな名門だった時代の名残りなんだよ」

と教えてくれました。

「なんだ、川●高校と竹●高校が本当に名門なのかと思っちゃった」

わりかし失礼なことをさらっというわたし。
生徒が防大に入るくらいだしどっちも名門に決まってますよね?


 

続く。

 

攻撃精神棒倒し〜平成29年度 防衛大学校 開校記念祭

$
0
0

さて、平成29年度の防大開校記念祭における棒倒し、
いよいよ決勝戦となりました。

第一試合の勝者大4大隊対第二試合で第3大隊を下した第2大隊の対決です。

グラウンドで柔道の組み手や応援団の演舞が行われている間、
学生舎の屋上には決勝進出する第2大隊のブルーが見えました。

最後の試合に向けて秘策を練っているに違いありません。

そしていよいよ選手が入場してきました。
先ほどは気がつきませんでしたが、写真の手前には応急セットと
怪我人を搬送するための担架がスタンバイしています。

棒倒し責任者を先頭に拳を振り上げ、掛け声とともに入場。

棒倒し舞台の後ろには応援団が伴走してついてきます。

この大きな旗を持って走る人は大変そう。
この日は風がそんなに強くなかったのでよかったです。

後ろ姿・・・・あれ?靴を履いている人がいる。
棒の周りを抑える人は靴着用可だったのですね。

それからズボンのお尻の部分を白いテープで補修している人が・・。
破れちゃったのか、それとも裂け防止?

試合に先立ち真摯に礼。

攻撃隊が膝につけているパッドは、膝の怪我防止と、
膝そのものが凶器になることを予防するためでしょう。

交互に気合を入れて相手を威嚇する儀式です。

第4大隊の気合入れは中腰で手をぶらぶら。

わたしの後ろには防大生の一団が立って見学していたのですが、
(応援団の紹介の時に『めいも〜ん』と言っていた人たち)
口々に「第四大隊〜!」「頑張れ〜!」と声援を送っていました。

海軍兵学校の棒倒しは毎週一回、全校生で行われましたが、防大では年一度(ですか?)
だけで、参加するのは全学生の半分くらいと聞いたことがあります。



試合前のセレモニーも終わり、やる気満々で自陣のスタート地点に移動です。
ところでふと気がついて2013年、つまり4年前の棒倒しの写真を確認すると、
攻撃隊のこのニーパッドはその時にはまだ使用されていません。

この4年の間に膝が原因で何か事故でも起きたんでしょうか。

ヘッドギアも昔はもちろんなしで戦っていて、脳震盪や鼻血は日常だったのですが、
まず耳が切れるのを防ぐために布の帽子をかぶりだしたのが30年前。
しかし所詮布なので終わった時には脱げてしまっていたということです。

しかも、これはわたしの推測ですが、布の帽子はあご紐を首で結んで着用するので、
外れて喉を締めてでもしたら変危険ということになったのではないでしょうか。

もう一つついでに気がついたところをいうと、彼らのシャツのデザイン、ネックに
V字の切れ込みを入れてありますが、これは5年前から変わっていません。
いざとなると裂けてネックの輪に首が吊られるような事故を未然に防ぐためです。

棒倒しでシャツがビリビリになるシーンはもうおなじみですが、
ふつうのTシャツより裂けやすくなっているからなのです。

ディフェンスがラーの祈りをやっている間にも攻撃隊が出陣準備。
この走る順番も厳密な計画の上に決まっていると思われます。

腕の力だけで体を軽々と持ち上げる「上乗り」の人。
あっ、ズボンのお尻を補強していたのはこの人だったのか。

上乗りに続き、棒の周りを立って固める四人が準備をします。

そして競技開始!
平成29年度防大開校記念祭、棒倒しの今年の勝者を決める戦いが火蓋を切りました。

敵陣に全力疾走していく攻撃隊。
合戦ならば鬨の声を上げつつ突進するところですが、棒倒し競技は
昔から「無言で行うべし」と定められているので静かです。

しかし、無言ならではの迫力がこの瞬間からグラウンドを支配し、
人々はその空気にただ飲まれたようになって勝敗の行く末を見守ります。

グラウンド中央で攻撃隊同士がすれ違う瞬間。

サークルに近づいた途端「キラー」と呼ばれるオフェンスの先鋭隊が
カウンターをかましに出てきました。

走りながらいきなり膝蹴りをカウンターにくらわそうとしている人もあり。
(なるほど、それでニーパッドが必要になったのか)

「キラー」には武闘系のクラブに入っている者が選ばれますが、
左で構えている学生もそんな雰囲気がしますね。

上乗りは指差しで防御に注意を与えながら・・・・ってこれ聞こえるんだろうか。

正面突破するチーム、横に回り込むチーム、そして後ろから・・、
と、攻撃隊は細かく役割分担して作戦を練ってくるようです。

昔たまたま第2大隊の学生舎の中庭のようなところで、棒倒し隊が
背中からサークルに駆け上る特訓をしている光景に遭遇し、
写真を撮ってしまったのですが、別大隊の作戦を偵察するべく
スパイを送り込むことも(おそらく意図的に)行われていて、
しかももしそれが発覚したら捕まって大変なことになるとか・・。

それからこの写真で気がついたのですが、彼らが持っている布ベルトは、
腰に巻いたものを隣のディフェンスが左手に握り肘の先に巻きつけて
棒周りの結束を強めるために使うらしいですね。

つまり棒の周りの「サークル」は、その結束を解くわけにいかず、
サークルを駆け上ってくる敵の攻撃を右手だけで阻止しなければなりません。
「四天王」はその敵を棒に寄せ付けないようにする武闘派なのです。

サークルの芯に迫ろうとする攻撃隊を引き剥がそうとするキラー、
そうはさせまいと二人掛かりでキラーを抑える攻撃隊。

サークルに駆け上るための「台」を形成しようとしているようです。

うっわーわかりやすっ。

背中を踏み台に何人かで作った「人間のラッタル」を、今
4名の攻撃隊が駆け上っていきます。

次々と駆け上ってくる第2大隊の攻撃陣。
なんか気のせいかもしれないけど、今までの試合で一番作戦が
作戦として成功しているように見える。

わたしの座ったところからは向こうのサークルがこんな風にしか見えません。

第4大隊の攻撃と第2大隊の防御の様子を望遠でなんとか一枚。
サークルに駆け上る通路で捨て身のディフェンスをしている模様。

こちらではサークルの反対側にも馳けあがるための踏み台が作られてしまいました。

防御の四天王は右側からの攻撃隊によって引っ張られ、
逆側から侵入した攻撃隊が棒にたどり着きます。

二人掛かりで棒を引き倒すつもりですね。

第2大隊、棒に完全に一人が抱きつく態勢になりました。
勝負がつくのも時間の問題か?

棒に抱きつく人を肩に乗せている縁の下の力持ち。
第2大隊が勝ったら功労章はぜひ彼に差し上げて!

サークル右側では次々と駆け上る攻撃隊を引き摺り下ろそうとするオフェンス、
それを抑える攻撃隊がもみ合いに。

ついに攻撃隊の手が棒の先にかかってしまいました。

せめて棒を倒させまいとする防御の肩を掴み邪魔している攻撃隊。

棒の周りのせめぎ合いがすごい。
ついに脚をかけ、体重を思いっきりかけるところまできました。

えーと、一人ぼんやりしているように見える人がいるけど気のせいかな?

これだけ倒れたらもう勝負あった、って思うでしょ。
それがなぜかホイッスルが鳴らないんですよ。
「30度角で3秒」の3秒ルールでいうとまだダメみたいです。

ここで全体像を俯瞰してみますと・・・。

サークルの足元で倒れてる人、大丈夫なのかしら。

今度こそ!と4人がかりで棒を引き倒しにかかります。
逆摺鉢山の4人。

地面での個別戦闘も平常通り行われております。

初段からイケイケで早くから勝機を掴んだと思われましたが、
ここにきてなかなか棒を倒しきれない何秒間が過ぎていきます。

どうなる第2大隊!

と、そのとき。

勝負あったのホイッスルが鳴り渡りました。
攻めあぐねていただけにハッとして自陣の棒を確認する選手。

わたしの目には勝負はもう少し早く着いていたと思われるのですが、
ここにきて青の第2大隊の勝利が確定したのです。

万歳ではなく、終了後の「空手チェック」のため皆が手を挙げて。

サークルの下でまだ立ち上がれない人もいます。

そして平成29年度棒倒し競技、青の第2大隊の勝利で幕を閉じました。

礼が終わって初めて感情を爆発させる勝者の第2大隊。
あちこちで抱き合って喜びを分かち合っています。

確か昨年度の優勝も第2大隊ではなかったですか?
ということは、彼らは優勝旗を守り抜いたということになります。

棒倒し責任者がなんか言ってますが、溢れ出る喜びを隠すこともできず。
防御隊のシャツは切込みから裂けてしまっていますね。

帰りを急いでいたのでわたしはこの後の表彰式は見ずに家路につきました。

 

棒倒しを見ると、海軍兵学校の同窓会に参加した時に元生徒さんたちが
何かと言うと「軍歌演習を行(おこ)のう!」という一声のもとに
必ずみんなで歌っていた「兵学校数え歌」の二番を思い出します。

〽ニツトセ

踏んだり蹴ったり殴ったり

攻撃精神棒倒し

ソイツァ 豪気だネー

戦後も70年経ちましたが、兵学校の象徴たる棒倒しを引き継いだ
防衛大学校は、この平和の世において相変わらず

「踏んだり蹴ったり殴ったり」

の「手荒な儀式を行のう」ことによって、未来の戦闘指揮官としての覇気を養っています。

戦後社会らしい人権意識があまねく浸透し、防具の機能発達やルール改変が
兵学校時代と比べると確かに全てをマイルドにジェントルに変えてきましたが、
この日グラウンドに横溢した彼らの「攻撃精神」そのものは、
兵学校時代のそれに全く劣らないものだったに違いありません。

わたしはその興奮の余韻を噛み締めながら小原台の長い坂を降りていきました。

 

防衛大学校開校記念祭シリーズ終わり



海底に斜めに突き刺さる伊58潜水艦〜海没処分潜水艦調査

$
0
0

イベントが重なって喉風邪をひいてしまい、まだ本調子ではないのですが、
知人よりこんなイベントがあると聞いて聴講してきました。

五島列島沖合に海没処分された潜水艦24艦の調査

ー海底に斜めに突き刺さる伊58潜水艦ー

ラ・プロンジェ(フランス語で”潜水”の意味)深海工学会という団体が
独自に行なっている海底調査についての報告で、内容はタイトル通り。

終戦後、日本海軍が保有していた艦艇は潜水艦も含めそのほとんどが
廃棄処分になりました。

「長門」が水爆実験(クロスロード作戦)でその生涯を終えたのは有名ですが、
日本の技術を結集した伊、呂、波型の潜水艦は五島列島沖、
戦艦大和が眠る地点からそう遠くない海底に沈められたことがわかっています。

当学会はこの現場を探索し、現代の科学で可能になった探索データをもとに
それらのアイデンティファイを行なっている団体です。

もちろん国からも一切支援が出るわけではないので、全て寄付金から
活動資金をまかなっており、そのため幾度となくこうした公開の場で
その進捗状態と活動そのものを広報しているというわけです。

というわけで、講演の行われる横須賀の記念艦「三笠」にやってきました。
ここに立つのはずいぶん久しぶりのような気がします。

最初に来た時にこの「軍艦の碑」の写真を撮って、そのことについて
ログをアップした日、東日本大震災が起きました。

それからしばらくの間掲載をストップしていたのもずいぶん昔のことに思えます。

前回来た時(米軍基地のフェスタの日だったかな)にはなかった案内。
なんとご親切にも30分コースと1時間コースのご提案です。

今日の講演は中甲板艦首にある講堂で行われます。

ところで、これまで何度か来て気づかなかったのに、今日、
ラッタルを上ろうとすると、どこかにセンサーがあるのか
「ホーヒーホー」とサイドパイプの音が鳴り響いたのには驚きました。

乗客全員に東郷平八郎元帥になった気分を味わってもらおうという趣向です。

講堂のある艦首側に向かって歩いて行く途中に建造当時の甲板あり。
(巾広い部分)と言われましても・・・どこのこと?

砲撃中の砲郭の実物大模型も健在です。
ちなみにこれらの砲は全て模型です。

時間があったので中甲板展示室も少し見学しました。
軍神広瀬中佐が使用していた柔道着。

測距儀も、わたしはここで見たのが最初だった覚えがあります。

なんと、最新式の海戦ゲームが導入されておりました。

三笠に乗ってバルチック艦隊と戦ったりするわけですか。
じゃ東郷ターンを使わずに勝てるかどうか、などというシミュレーションも楽しめるんだ。

艦内には外国人観光客(白人系、多分ロシア人)が結構いて、彼らが
楽しんでいたのがバーチャルゴーグルをつけて行うゲーム。

時間があればちょっとやって見たいと思いました。

まず最初に代表理事の浦環氏が(男性です)調査結果を淡々と報告されました。
つまり海底に眠る潜水艦をスキャンして解析し、それが
なんなのかをこれまでの研究から特定して行く過程、その結論に至った理由などです。

本講演のタイトルにもなっていた「海底に斜めに突き刺さっている」伊58の画像。
ほぼ半分が海底に突き刺さっているわけですが、一体どういう経過で
このように直立することになったか想像を巡らすだけでワクワクしてしまいます。

呂号50は鎮座している状態です。

これらのスキャンのために器具を曳行したりする作業を行なった日本サルベージの船。

この日はニコニコ動画の生放送も入っていました。
以前にも海中のカメラ画像をインターネット衛星を通して配信したことがあります。

初めて知りましたが、過去の探索の様子は、当時生放送でたくさんの人が鑑賞し、
その調査結果に注目していたということなのです。

海没処分にされた潜水艦は全部で24隻。
皆ひとところに次々と廃棄したらしく、こんな感じで海底に散らばっています。

そして、演者は代わり、どうやって艦名を特定していったかの詳しい説明が続きます。
もし興味がおありでしたら、ニコニコ動画でご覧ください。

建造時に残された写真を解析し、艦橋の形、窓、穴が空いている場所など、
沈んでいる潜水艦と照合して特定していくのです。

大変な仕事ですが、わたしにはこういうことに夢中になる気持ちはよくわかります。
さぞかし楽しんでやっておられるんだろうなと思いました。

各艦の細かいアイデンティファイについては、当日会場で販売されていた
資料集に事細かに載っています。

さて、次にこの探索を行ったガジェットについての説明が
技術者の立場から行われました。

スキャニンングの方法は大まかな方から三通りあります。

まずどこにあるかの初期的な探索を行うための方法。
船を当確海域に走らせて海底を上からスキャンします。

水深が20mくらいならかなり鮮明な画像が得られますが、200mとなるとこう。
「潜水艦らしきものがある」という感じですね。

潜水艦の場所が特定できたら、ソナーを船で曳航し、
横からのスキャニングを行う方法でアプローチします。

しかしここまででは各潜水艦の特定をするほどの情報は得られません。
そこでROV(遠隔操作型の無人潜水機)を投入して詳しい画像を得ました。

これで伊58、呂50が特定できたというのが「←今ここ」なのですが、
これらの報告を聞いていて思ったのが、特定を阻む要素、つまりその艦体が
なんであるかを見極めるのを阻害している原因の一つとして、

「漁網が絡みついて」

という文言がほとんどの艦に当てはまるくらい出てきたことです。

漁網というのはそんなにあちこちに絡みつき、放置されるものなんでしょうか。

この後一番右の勝目純也氏(潜水艦関連の著書多数)が
特定された潜水艦についての戦歴などを説明されました。

項目を箇条書きしておきます。

●昭和21年4月1日に米軍によって五島沖で廃棄処分された潜水艦は24隻

●日本海軍の潜水艦の歴史は明38〜昭20までの40年

●その間海軍が保有した潜水艦は241隻

●実戦に参加したのは3年8ヶ月、154隻参加し127隻が戦没

●戦果は艦艇撃沈13隻、撃破撃破8隻、船舶撃沈撃破220隻

●戦没艦127隻中114隻が全員戦死、戦死者総数10,817名

●兵学校60〜70期の配置別戦死率78.1%(飛行機70.9% 水上艦40.5%)


「潜水艦は撃沈されたら全員が運命を共にする」

というのは、当ブログでも常々書いてきたことですが、勝目氏は
そのことにより一層悲劇性を感じる、とおっしゃっていました。

五島沖で処分された潜水艦たちは消耗率の高い潜水艦の中でも
奇跡的に生き残り終戦を迎えた「強運艦」だったというわけです。

伊号第36潜水艦(横須賀、2代目艦長は神戸商船大出身)

伊号第47潜水艦(佐世保、回天特攻金剛隊多々良隊を発進)

伊号第53潜水艦(呉、アンダーヒルを撃破)

伊号第58潜水艦(横須賀、橋本以行艦長、回天戦でリー撃破)

呂号第50潜水艦(三井玉野、揚陸艦1隻他撃沈)

このように戦果を多数挙げてもいます。

この後

「まとめ 日本の潜水艦の伝承は継承されている」

として、2016年の2月に海上自衛隊で行われた
日本国潜水艦運用100年、海上自衛隊潜水艦部隊創設60周年の
式典の様子、そして先日の「しょうりゅう」進水式の写真が紹介されました。

せっかくですのでわたしが進水式執行者の呉地方総監部から送っていただいた
生写真をここぞとばかりに掲載させていただきましょう。

潜水艦を建造する技術を持っている国は世界でも少なく、
それを戦前からほぼ途切れることなく続けてきたということは
日本のものづくりの継続力を表しているというお話でした。

最近しかし、ものづくりの世界に不祥事があいつぎ、日本人の原点である
ものづくりの心が失われつつあるのではないかという危惧もあります。

今後のプロジェクトとして、舞鶴湾の海底にある呂500と、
日本郵船の大洋丸についても探索を行うそうです。

艦内の通路に壁全面を使った艦艇のモデルコーナーが設えられていました。
前には見た覚えがありませんので、最近新しく設置されたようです。

後半のパネルディスカッションでは、高校生らしき男性が、先日
ポール・アレン氏の調査チームがスリガオ沖で「山城」を発見したことの
感想を求めていましたが、主催の浦氏は

「こういう調査はどこも補助が出るわけではないので、寄付金に頼るか
ポール・アレンのような大富豪が道楽でやるしかない。
こういう人がこういうことをやってくれるのは大変ありがたい。
日本にはポール・アレンのような人がいないので、
我々の活動に賛同された方はぜひ寄付をお願いしたい」

と訴えておられました。

同学会では、今後全24潜水艦を詳細画像の撮影と特定を行い、
2年後くらいには

「24潜水艦記念バーチャルメモリアルの構成」

を目指しています。
そして最終的にはそこから

「戦争のない世界の実現」

に結びつけていきたい、ということを謳っておられます。
皆様もおそらくそうお感じなるかもしれませんが、
正直わたしのようなプラグマティストには、即座に真顔で

「いやそれは無理だろう」

としか言えない飛躍的かつ実現不可能な目標です。

(というか、バーチャルメモリアルの構成を戦争のない世界に
どう繋げていかれるおつもりなのかそのメカニズムに大変興味はあります)

まあこれも穿った見方をすれば、戦時、軍事遺産を保存しようとすると
必ず「軍国主義の復活」とか「いつかきた道」、「軍靴の足音」が
見えたり聞こえたりする特殊なバーチャルリアリティが体験できる方々に向けての
「お札(ふだ)の呪文」というところなのかもしれません。

ともあれ、こんな活動を通して歴史を次世代に残そうとする
プロジェクトに興味を持たれた方はぜひニコニコ動画をフォローして、
彼らの活動に賛助をぜひお願い致します、と主催者に勝手に成り代わって
ここでお願いしておきます。

HPによると、Tシャツも販売しているということです。

ラ・プロンジェ深海工学会

 

 

「ホット・ショット」〜フォートポイント・サンフランシスコ

$
0
0

 

ゴールデンゲートブリッジのあるサンフランシスコの最西北端は、
真珠湾攻撃後、ここに多くの砲台が設置され、
まるでハリネズミのように太平洋から向かって来る外敵を排除する
防衛の要所であったことをお話ししたことがあります。

元々は南北戦争の時に陸軍が沿岸防衛のために要塞を作った場所で、
今でもその史跡が「フォート・ポイント」として公開されています。

いつもサンフランシスコに来たら一度は散歩するクリッシーフィールド。
昔陸軍の飛行場があったフィールドにはまだ格納(手前)も残されています。

うっすらと向こうにアルカトラズ島が煙っています。

この日もクリッシーフィールドからフォートポイントまで歩き、
往復しようと歩き出しました。

ダウンベストにマフラーのスタイルですが、8月の映像です。
気温の低く風の強いここでは夏でも防寒着が必須。

「プリンセス・ダイアリー」という映画では、ハイスクールのパーティが
ここで行われたという設定でしたが、あれを見て

「あそこで、しかも夕方、こんなピラピラのドレス無理だって」

とここの気候を知っている人なら皆思ったでしょう。

今日は全体的に快晴で、ブリッジだけが霧で隠れています。

午後には晴れることが多いですが、午前中はだいたいこんな感じです。

Caspian Tern、オニアジサシという水鳥がいました。

日本でも旅鳥として飛来することがあるそうですが、
大抵単独でやって来るのだそうです。

ダイサギもご飯を探し中。

ペリカンが何か捕まえた!と思って写真を撮ったら海藻でした。
ミネラル補給のために海藻も食べるんでしょうかね。

観光地なので自転車を借りて走る人もあり。
彼らはゴールデンゲートブリッジをバックに家族で記念自撮り中です。
子供がつまらなさそう(笑)

犬の散歩のメッカ?でもあります。
フィールドの小道沿いには始末用のプラスチックバッグ供給スタンドがあり、
バッグに入れればトラッシュボックスに捨てても構いません。
ゴミは1日一度、必ず自治体の清掃車が集めに来ます。

いつも思うんですが、日本の自治体って、住民一人一人の道徳心に
甘えすぎというか、頼りすぎって気がします。
犬を飼ったことがないのでわかりませんが、散歩に出て
いちいち袋を家まで持って帰るというのは、いかに愛犬のものといえど
結構煩わしいものではないかと思うんですよね。

ちなみに、この近くには陸軍がいた時代からのペット墓地があります。

サンフランシスコ・ペット・セメタリー

古い墓石には「大佐」「少佐」など、必ず階級が書かれていて、
ペット所有者が軍人であることを表しているのだそうです。

おなじみ、犬の散歩業者。
契約した家の犬をピックアップしてまわり、散歩させる専門業です。

いろんな意味でアメリカにしか存在しなさそうな職業ですね。

霧が少し晴れて、ブリッジの頭が見えてきました。

こんな日は行き交う船の汽笛が数分おきに鳴り響きます。

鵞鳥が綺麗なV字を描いて飛んでいきます。

いつもこのポジションはどのように決まるのだろうと不思議です。
先頭を飛ぶ鵞鳥は明らかにリーダーだと思うんですけどね。

フォートポイントが見えてきました。
元々ここは海面5mまで切り崩されていたため、花崗岩を巧みに組み合わせ、
その隙間を鉛で塞ぐという工法で護岸壁が構築されました。

以来ここで100年以上荒波を防ぎ驚異的な強度を誇ってきましたが、
1980年代に再建築するとともに、強大な波の力を弱めるために防波堤を設置しました。

さて、写真を撮りながらクリッシーフィールドを突き当たると、そこはフォートポイント。
もちろんブリッジができる前に建造されたレンガの要塞です。

大抵は閉鎖されているのですが、この日は珍しく公開されていました。

入ってみることにします。
ちなみに要塞の入り口はここだけです。
「出入り口」と呼ばず「出撃路」と呼んでいたのが要塞ならではですね。

「太平洋沿岸全域へのキーポイント」

と言われたこの場所には難攻不落の要塞が必要とされました。

入り口上部のアーチ部分のレンガの積み方は、海軍兵学校のレンガの生徒館、
元呉鎮守府の庁舎と全く同じ方法です。
兵学校の生徒館は1888年、こちらは1861年と、20年の開きはありますが、
ほぼほぼ同時代の建築ということでレンガの積み方には共通点も多いのです。

一つしかない入り口から入り、ゲートを抜けるとそこは建物に囲まれた広場です。
全体は三階建ての回廊式で、堅牢に城壁が周りを囲んでいます。

ちなみにこの博物館、見学は無料。
ゲートが開いていれば入ってくることができますが、こういうところの常として
常に寄付を募っていますので、入ったところにある寄付金箱に
いくらか寸志をいれてから見学した方が良いかもしれません。

この写真に見えている一つ一つのドームが砲郭になっています。

一つの砲郭につき一基ずつ大砲を備え、窓から砲口を外に向けます。
こちらの鉄製は台座のみ。

これを見る限り、砲口を出せば窓がふさがりますが、どこから敵を見て
目標を定めたのか不思議といえば不思議です。

こちらは南北戦争時の木製台座と上に乗っているのは「コロンビヤード」砲。

重い砲弾を高角・低伸いずれの軌道にも投射する能力をもち、かつ
大口径・前装式、長い射程を誇る滑空砲で、沿岸用警備兵器に重宝されました。

1811年、アメリカ陸軍のジョージ・ボンフォード大佐が開発し、米英戦争から
20世紀の初頭まで使用されていたものです。

地面のピヴォットのレールを見ればわかる通り、稼働角度は180度未満ですが、
中には360度回転させることのできる砲台もあることはあったようです。

砲台は重量が重く、いちど据え付けられたものは移動せずにそのまま使用しました。

こちらは火器士官であったトーマス・ジェファーソン・ロッドマンが
「コロンビヤード」砲を改良開発した進化形、「ロッドマン砲」。

圧力により砲弾を打ち出すことによりより爆発が強力な方式を開発しました。

ミニチュアの可愛らしい砲ですが、もしかしたらこれも本物?

南北戦争の写真や映画で見覚えのある大砲といえばこれでしょう。
「12インチナポレオン砲」というそうです。

敏速に馬で移動させることができるように、大砲に大きな車輪をつけ、
さらに実弾、榴弾、キャニスター弾など多目的に撃つことができ、
革命的な野戦兵器と言われた傑作です。

砲郭に展示されていた説明板。

「ゴールデンゲートの防衛」というタイトルですが、内容は
当時の砲兵がいかに大変な任務であったか、ということにつきます。

それによると・・・・、

一つの砲を担当する砲員5人は、連日、朝から晩まで
通称「42パウンダー」の装填と発射の厳しい訓練を行いました。
堅牢なレンガの壁は耳をつんざくような爆発音を始終反響させ、
発砲されるたびにあたりを鉄粉が充し、視界がなくなるほどだったと言います。

また、暴発や砲身がノッキングすることによって怪我する可能性など、
彼らの訓練には命の危険がつきものでした。

幸いだったのは、ここで実際に戦闘が行われるような状況にはならず、
厳しい訓練が結論として実戦に役立つ日が来なかったことでしょう。

当時の大砲による艦船攻撃の方法を書いた図がありました。
なんと驚くことに、砲弾を直接船に当てるのではなかったようです。

穏やかで波のない海面にはね飛ぶことによって、砲弾は威力を失わず
確実に大きな船舶の船腹に命中させることができたはず、だそうです。

本当にこうなるのかは、実戦に至らなかったので永遠の謎ですが。

砲身に弾を込める装填棒が立てかけてありました。

要塞には当初141門の大砲が装備されることになっていましたが、
1861年10月の時点で、24ポンド、32ポンド、42ポンド砲および
10インチと8インチのコロンビアード砲、合わせて69門の火器が
要塞内および周辺に設置されていました。

南北戦争後、軍はロッドマンが開発した強力な

「10インチ ロッドマン式 コロンビアード砲」

を要塞底部の砲郭に導入しました。
これらの大砲は、128ポンドの砲弾を使用し、2マイル以上の射程を誇りました。

かくも重武装されていたこの要塞ですが、さらに強力な兵器、
「ホットショット」なるものを使用することが可能でした。

そういえばチャーリーシーンの映画にそういうのがあったわね、
と思い出したりしたわけですが、最近観た映画の中でも、

「イケてる人」

という意味合いで" You're hot shot. "と使われていましたっけ。

武器としての「ホットショット」とは専用の砲弾用加熱炉です。
鋼鉄製の 砲弾を真っ赤になるまで加熱し、 大砲に装填・発射すると
木製の敵艦 を燃え上がらせることが可能でした。

加熱した砲弾のことも「ホットショット」と称したようで、転じて

急行貨物列車  、有能な[ぶる]人 、やり手、偉い[ぶる]人

(スポーツの)名人 
例:He's a hotshot at archery. 彼は弓術[アーチェリー]の名手だ

有能な[ぶる]、やり手の、得意がる、気取った

という意味で現在は使われています。

 

赤くなるまで熱した砲弾をどうやって装填したんでしょうか。

とにかく、サンフランシスコ防衛の要として、どんな敵をも撃退するため、
厳しい訓練を通じてそんな兵器も扱えるようにしていたということです。

去年車で走っていて偶然発見した、ブリッジを渡った向こう岸、
サウサリート側の「ライムポイント」、そしてこの「フォートポイント」が、
サンフランシスコ湾内に敵を入れないための最初でかつ最重要な砦であることが、
この図を見てもお分かりになると思います。

それは敵が「北軍」の時代から「日本軍」と変わっても全く同じでした。

横から見た架台とコロンビヤード砲。

次回は建物内部の展示と兵士たちの生活についてお話しします。

 

続く。

 

 

 

 

映画「ペチコート作戦」〜社交界の人気者、潜水艦に乗る

$
0
0

今までいろんな映画を紹介してきました。
主に戦争映画ですが、中でも潜水艦映画は個人的に大好物なこともあって
日本のもの、アメリカのものといくつか取り上げてきました。

先日の潜水艦探査の学会での言葉ではありませんが、潜水艦はその特殊性ゆえに
映画の題材としても大変好まれ、洋の東西で名作がたくさん生まれました。

というわけで「ペチコート作戦」。
オペレーション・ペチコートです。

この作品を名作というのかというとそうでもない気がしますが、
ケーリー・グラントとトニー・カーチスの共演、ついでに音楽は
ヘンリー・マンシーニという豪華陣なので、アメリカではそれなりに
お金もかかった有名な作品という位置付けなのでしょう。

今回この映画をご紹介することになった経緯は、たまたま某所でお話しした
潜水艦を職種とする自衛官にオススメされたのがきっかけでした。

潜水艦乗りが勧める潜水艦映画なら、さぞかしすごい戦闘シーンが、
と期待をして見始めたのですが・・・・。


冒頭漫画で皆さんもどういう映画かうっすら察しがついたと思いますが、
1941年12月10日、真珠湾攻撃直後の太平洋を描きながら、
この映画はコメディもコメディ、戦争コメディだったのです。

というか題だけで薄々察しろよ、という声もあるかと思いますが、
この「ペチコート」も、実は製作者の配慮というか忖度の末こうなったのであり、
実は映画を観終わった後には、違うタイトルがあなたの脳裏をかすめているであろう、
ということだけ予告して、紹介に入らせていただきます。

そうそう、こんなおふざけ映画をいくら潜水艦が舞台だからといって
どうして本職が評価しておられたかについても、
紹介しながら解き明かしていきたいと思います。(できるだけ)

まずタイトルロールが洒落てますでしょ?
(潜水艦のではないですが)窓から海洋生物が順番に顔を出す趣向。

アシカが可愛い〜!

ウツボが可愛くない〜。

 

さて、1955年ごろのあるアメリカ海軍基地。
今日廃棄処分になる潜水艦「シータイガー」に一人の海軍少将が乗り込んできました。

マット・シャーマン少将は、かつてこの「シータイガー」の艦長でした。

艦長室で一人、かつての艦長日誌を眺めながら思い出に耽ります。

1941年12月10日。
真珠湾攻撃直後のフィリピン、カビテ海軍工廠で、シータイガーは当時イケイケだった
日本海軍の戦闘機の空襲に遭います。

ちなみに零戦21型を演じているのは、やはりテキサン、T−6です。

なすすべもなく繋留されたまま轟沈してしまうシータイガー。

ちなみにフィリピンのカビテ基地で繋留されたまま日本軍の攻撃を受け
沈没した潜水艦「シーライオン」 SS195をモデルにしています。

「損傷だと?撃沈されとるじゃないか。
潜望鏡付きのスクラップメタルみたいなもんだ。
解体して別の潜水艦に乗れ」

「いえ、乗員でなんとか直してみせます!」

まだ就役して1年、開戦後3日で一度も交戦せず沈没では
あまりにシータイガーがかわいそう・・・というわけで、

全員でまず沈没した潜水艦を引き揚げる作業からです。
指揮官先頭、なんと艦長が潜水して海中のパイプ作業を。

乗員の力だけで2週間以内にフィリピンからオーストラリアの
ポート・ダーウィンまで行けるようにする、と
司令官に向かって豪語してしまったからにはやるっきゃありません。

銃を積んだりしているのですが、どうも作業そのものや働いている人が
本物っぽいんですよね・・・。

総員一斉に奮励努力の甲斐あって潜水艦浮上。
みんな歓声をあげて喜びますが、部品が足りないことには違いありません。

「部品が欲しいぜ」とぶつくさ言いながら潜望鏡を眺めていたXO
 (先任下士官?)のワトソンが、その視界に発見したのは・・・。

まるで掃き溜めに鶴。
この修羅場のような現場に純白の第二種軍装で現れた新任士官の姿が。

「ちょっと艦長、見てくださいよこれ」

「なんじゃあありゃあ」

「新しい補充の士官ですな」

「ちょ・・・勘弁してくれー」

「どわっはっっは」

社交界の寵児(ダーリン)で提督の夫人とダンスのペアを組み、
ボールルームダンス選手権で2年連続優勝、というふざけた情報に、
シータイガーの連中が艦長を筆頭に大笑いしているのも知らず、
颯爽と場違いな格好でやってくるホールデン中尉。
みんなの視線を一斉に浴びながらの華々しい着任です。

やはり飾緒は左肩につけていますね。

ちなみに英語では「ルテナント」としか言わないので、字幕では
「大尉」とされているのですが、ホールデンの階級章は
「ジュニア・ルテナント」、つまり中尉です。
慣例的に「ジュニア」は省略して呼称することが多いのです。

 

そもそも彼がなぜシータイガーに配属されたか?

提督の側近(副官兼夫人のダンスパートナー)であるため、
提督視察の準備のためにここにきていたら運悪く開戦してしまい、
視察は中止になり、自分だけが取り残されて、しかも人数合わせで
シータイガーに乗ることになってしまったという悲しいストーリーを
彼は眉を曇らせ語るのでした。

念のため艦長が聞いてみたところ、潜水艦、銃砲関係経験、
航法、通信一切経験なし。

「海軍で何してたんだ」

「アイデアマンです」

「アイデアマンって何」

「パレードや娯楽施設の企画とか、連絡係も」

「連絡・・どこと」

「ハリウッドです」

「ああ」

「ホノルル勤務も」

「水上艦に乗ったのか」

「駆逐艦に1週間乗りましたが間違いだったらしく呼び戻されて」

「提督夫人のご希望だな」

 

こんな見かけだけの役立たずをこの非常時に乗せなきゃならんのか、
と内心うんざりのシャーマン艦長。

ところがこの色男、意外な才能があったのです。

左の水兵ハンクルは資材調達の係。
6ヶ月前に見本付きでトイレットペーパーを補充するように手紙を出したのに
未だに返答がない、と艦長に訴えます。



「USSシータイガー艦長より海軍補給処担当士官へ 潜水艦隊総司令官経由
サブジェクト、トイレットペーパー」

ちなみにこの書簡は、 USS「スキップジャック」の艦長、ジェームズ・ウィギンスが
実際にメアアイランド海軍工廠の補給部門に出した嘆願書そのままだそうです。

「一つ 1941年6月6日 本艦より150ロールを請求
1941年12月16日 品目不明の付箋(ペーパー見本)とともに請求書が返送される

二つ 艦長は本件につき理解に苦しんでいる
資材部では当品目無くして何を代替品に使用されるのか」

陳情の手紙を艦長がハンクルに口述するのをつまらなさそうに聞いていた
ホールデン中尉、

「艦長、そんなやり方はラスベガスでは素人だとバカにされます」

「なんだって?」

「わたしに任せてください」

「甚だ疑わしいが君を補給将校に任命する。頼んだぞ」

この際中尉に調達を任せ、力強く肩をたたく艦長でした。

で、これだよ。
ホールデンのいう「調達」というのは倉庫から勝手に持ってくること。

MPに見つかると、

「軍則41982号、海軍軍人たるもの顔を黒く塗らずに夜間外出すべからず。
ニミッツ元帥からのお達しで夜間は顔を黒く塗ることになった!」

と靴墨を渡して逃れます。
慌てて顔に靴墨を塗りたくるMPでした。

もしかしたら中尉、こっちの方面に異常に才能があるんじゃ・・?

必要なものはなんでも持っていく。そう、指令室の壁でもね。

しかもホールデン、トラックを「調達」させた海兵隊員を
勝手にシータイガーの乗員にすることを約束して連れてきてしまいます。
彼、ラモーンはコックの立場を利用し横流しをして捕まった脱走兵ですが、

「有能の証拠ですよ。島中の闇屋の敬愛の的です」

「しかし脱獄囚を・・・」

「乗艦を断れば今回の”調達”が通報されますよ?」

どうみても脅迫ですありがとうございま(略)

ここでまた零戦2機にまたしても襲われ、シータイガーは
ここを出発してセブまで潜航することを余儀なくされました。

出航準備などの描写は非常に迫真に迫っております。

部品が足りない状態なのでエンジン出火。

最後の置き土産ならぬ行き掛けの駄賃として潜水隊司令官の金庫まで盗み出した
ホールデン中尉が雇った、悪霊払いの祈祷師の祈りが効いてエンジン始動。

ちなみにこのシーンの撮影は、フロリダのキーウェスト海軍基地で行われました。
映画の作成は海軍が全面的に協力したということです。

兎にも角にも出航し、バッテリーと2番エンジンをかばいながら航走する
シータイガーの艦橋で、副長がシャーマン艦長に

「愚痴を言うわけではありませんが選択を間違えました」

「何だ」

「ウェストポイントに行けばよかった」

この後の潜行の操作も、コメディとは思えないくらい詳細で、
さすがは海軍の全面協力によるものだと感心します。

潜水艦出身の自衛官がこの映画を評価している理由は
もちろんこういったディティールの確かさにあるのだと思われます。

せっかくですので号令を英語日本語取り混ぜてそのまま記します。

「潜行用意」(クリア・ブリッジ)

「ナンバーワン・ダイブ!」「ナンバーツー・ダイブ!」

ウーウー、ウーウー、(サイレン)

艦長「深度58フィート」「アイサー」

「58フィート」

「水準器」

「通風孔閉鎖」

「半速前進」

「トリムよろしい」

艦長「水漏れを調べる。深度100フィート」

「全速前進」

「傾斜度6度 潜航」

「水漏れをチェック」

「防水扉閉鎖 隔壁弁閉鎖」

「宜候」

「換気装置作動」(レバーがゴルフクラブのヘッド)

「水漏れなし」

「OK、防水扉を開けろ」

かたや総員が固唾を呑んで深度100フィートの艦体のきしみに耐えている間、
のんきにベッドでマッサージ器を使用しつつ朝食を運ばせるホールデン中尉。

シャーマンは部屋を急襲し、彼を叱責します。

「皆と一緒に任務に就かんか!」

翻訳はされていませんが、艦長はお小言のついでに

「君の制服は規則違反だぞ」

「あー、僕は制服をサックス5thアベニューで仕立ててるので・・
でもユニフォーム以外のことなら・・
ベッドでの朝ごはんも毎朝ってわけじゃありません。
夜明けに潜航すればちゃんと仕事してご覧に入れますよ」

それに対して艦長は漫画の冒頭のセリフを言うわけです。


トニー・カーチス(本名バーナード・シュワルツ)は
ユダヤ系の移民の息子で、1941年の真珠湾攻撃に続く開戦ののち、海軍に入隊、
実際に潜水母艦「プロテウス」(フルトン級)に乗っていました。

ホールデン中尉のように、海軍士官の制服で逆玉結婚をし、
富豪の娘に2千ドルの時計を買ってもらうために入隊したのではなく
他でもない潜水艦映画「デスティネーション・トーキョー」の
ケリー・グラントの演技に感銘を受けたからだったそうです。

彼は終戦後、プロテウスの甲板から降伏調印式を目撃しています。

そんなカーチスにとって、ケリー・グラントは「神」。
そもそもこの映画は、有名になったカーチスの、「デスティネーション」のような、
「グラントが潜望鏡を覗く映画」に一緒に出演したい、という希望の元に制作され、
彼はこの大俳優と共演することを心から楽しんでいたと言われています。

当時カーチスは「お熱いのがお好き」でスターダムにのしあがり、
人気絶頂の頃で、だからこそかつての夢を叶えることができたのでしょう。

ちなみに、カーチスは「お熱いの・・」で共演したマリリン・モンローと
関係があったことを、死の前年の2009年にカミングアウトしましたが、
それまでこのことを秘匿していたことについては、漢気(おとこぎ)を感じます。


さて、ホールデン中尉です。
こんな見かけだけの士官が調達(と言う名の窃盗)以外に何かの役に立つのか。
艦長ならずとも行く末に不安を感じずにはいられませんね。

というか、彼ならきっと何かをやらかすに違いありません。

続く。





Viewing all 2815 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>