前回に続き「軍と動物シリーズ」です。
【ミュール】
ミュールってあれよね、かかとを覆わないサンダルのことよね、と
女性なら思うわけですが、Muleという同じスペルで、こちらは
騾馬(雌馬と雄ロバを掛け合わせた雑種)のことです。
サンダルのミュールの語源は騾馬からきていたということ、というかアレが
騾馬の蹄みたいだからか、と愕然とするわけですが、その話はさておき。
騾馬はロバより賢く脚も早かったそうですが、馬と比べてどうかはわかりません。
画像の「ジョージワシントンの騾馬」という囲み記事ですが、
ワシントンの騾馬の父ロバは「ロイヤルギフト」という名前で、
スペイン国王からプレゼントされたというそれがどうした情報です。
プレゼントのロバをわざわざ雌馬と掛け合わせて騾馬を作っちゃったのか・・。
大変力が強く、重量のある荷物をご覧のような山間地で運ぶ時、
騾馬の存在は大変役に立ちました。
アメリカ軍は第一次世界大戦では船で30万等の騾馬を輸送したそうですが、
騾馬が乗っている船となると、ドイツ軍は最優先で攻撃しました。
いかに彼らが有益であるか知っていたからだそうです。
上の写真は第二次世界大戦のイタリアでの一コマだそうです。
ジープも戦車も、馬も通れない場所でも騾馬なら平気。
現在でもアメリカ軍はアフガニスタンで騾馬を投入しています。
「ハンビーより、ヘリより役に立つ」
から、だそうです。
【猫】
冒頭写真は朝鮮戦争での一コマ。
兵士が生まれたばかりで目の見えない子猫にミルクをやっています。
猫は主に軍艦で重要な役割を演じていたことが知られています。
ここでも以前「アンシンカブル・サム」(不沈のサム)としてお守りになった
軍艦猫についてお話ししたことがありましたが、特に船では昔から猫は
鼠を捕るため重宝されていました。
現在はどうか知りませんが、割と最近までロシア海軍の軍艦には一艦に一匹、
軍艦猫を雇っていましたし、日本でも猫、特にミケのオスは珍重されました。
一般に黒猫というのは魔女の使いとして忌み嫌われる傾向にあるヨーロッパですが、
(アメリカでもその傾向は強く、朝市で開催されていた猫のアダプティングで
”黒猫は引き取り手が少ないのでぜひもらってください”という張り紙を見ました)
セイラーたちはオカと違って特に黒猫を船のお守りとして歓迎したようです。
■ クリミア戦争中の1854年のことです。
イギリスとフランスの中隊はロシアの港を占拠しました。
しかし現地人が一切秘匿してしまったため、彼らは食べるものに困り始めます。
その時、「クリミアン・トム」として知られていた一匹の猫が彼らを案内して、
食べ物の隠してあるところに連れて行ってくれた、というのです。
おかげで彼らは生き延びることができ、感激してイギリスに連れて帰り、
軍籍を与えたということです。
■ 時は降って第二次世界大戦中。
イギリス海軍のHMS「アメジスト」乗組猫「エイブルシーキャット・サイモン」は
もともと中国の揚子江で負傷しているところを拾われ救われた猫でした。
傷の手当てをしてもらったサイモンは「アメジスト」に乗って彼の役割を
忠実に果たし、鼠をたくさんとってなんと正式にオナーメダルを授与されています。
彼が亡くなった時、彼の亡骸はたくさんのメダルとともに葬られました。
イギリス軍では勇敢な軍の動物に与えるための
「ディッキン・メダル」Dickin Medal
というものがあります。
メダルには
「We Also Serve 」(私たちも勤務します)
という言葉が刻まれています。(冒頭画像右上のメダル)
■ アメリカ軍の軍猫ハマー1等兵は、イラク戦争に従事しました。
兵士たちの貴重な食料を荒らす極悪鼠を次々と殺傷し、
兵士たちにとってよき友人でもあったこの猫を部隊は名誉隊員とし、
一人の兵士が彼の故郷のコロラドに連れて帰ったということです。
■ 鼠を捕ることと兵士の友になることのみならず、CIAは
冷戦時代に猫をスパイ作戦に投入しようとしたと言われています。
その作戦名は、
オペレーション・アコースティック・キティ。
1961年、CIAは猫の耳に超小型のマイク、尻尾にアンテナ、そして
体内にそれらのバッテリーを埋め込みました。
ってまじかよ。ひどいことするんじゃねーよ。
そしてその猫をソビエトの政府要人のいる建物の窓枠から忍び込ませ、
議会を盗み聞きさせたらいいんじゃまいか、というのが作戦の全容です。
5年間かかってトレーニングを行い、スパイ猫は準備を終了。
テストとしてまずワシントンのソ連から来た人々の多い地域に放ちました。
ところが、大変不幸なことに、猫は放出直後に
タクシーにひかれてしまいました。(-人-)ナムー
CIAが計算外だったのは、猫というものが気まぐれであちらに行けといっても
本猫がそう思わなければ決して行ってくれず、それのみならず基本的に
人間の命令を全くきかないという性質であることでした。
しかし、はっきり行ってあまりのCIAの認識の甘さには唖然とするばかりです。
5年の訓練期間中に一人くらいそのことに気づく関係者はいなかったのでしょうか。
アコースティックキティ作戦は1967年、正式に中止になり、
その後猫をスパイにする計画は二度と立てられていません。
ウクライナの国旗カラーのリボンを誇らしげに巻き、威嚇する戦車猫。
国を守る気概にあふれた精悍な表情をご覧ください(適当)
【さる】
長年、ある中国軍の航空基地では鳥に悩まされていました、
ちょうど基地のあるところが鳥の繁殖地だったのです。
昔から基地のあるところにわざわざ引っ越してきて繁殖し、基地騒音に対し
文句を垂れる馬鹿者というのが一定数生息することが我が日本でも認められています。
この場合は先住していたのは鳥さんたちで、後からやって来た航空基地は
筋からいうと(笑)文句をいうに値しないわけですが、
飛行場の近くを鳥がたくさん飛ぶとバードシューティングが頻繁に起こり、
最悪の場合は飛行機が墜落してしまうのでまあ仕方ありません。
これを重くみた中国軍は鳥の巣を徹底的に排除したり、カカシを置いたり、
花火をあげたりして対策しますが、効果はいまひとつ。
やってもやっても鳥は帰って来てしまっていました。
そう、中国軍の誇る秘密兵器を投入するまでは。
訓練を受けたマカク猿はホイッスルを吹けば木に登り、たちまち
巣を落としてしまいます。
しかも、その際匂いを残していくので、鳥が二度と帰ってこないのです。
さる軍曹(彼は特に階級はもらわなかったそうですが一応)のおかげで
基地付近から鳥は減少し、安心して飛行機を飛ばすことができるようになりました。
よかったですね。
【アレチネズミ】
イギリスのCIAに当たるMI5は1970年代、飛行機でやってくるテロリストを
訓練したネズミを使ってその嗅覚で識別することを考えました。
最初にそのアイデアを思いついたのはイスラエル防衛軍で、
空港のセキュリティチェックにネズミを入れたカゴを置いて、
扇風機でパッセンジャーの匂いを嗅がせるという方法をとりました。
アレチネズミの鋭敏な嗅覚がアドレナリンを噴出?させた人物を嗅ぎ分けると
ボタンを押すようにトレーニングしたのです。
いやこれ、ちょっと待って?
別の理由でアドレナリンを噴出させてる人だって結構いるんじゃないかと思うの。
テロリストはゲートをくぐる時に最大限緊張するに違いないから、ってことだと思うけど。
そして案の定( 笑 )
すぐにこの試みは失敗であることが判明しました。
空港のセキュリティゲートをくぐる時の一般人のストレスは
案外高く、それは潜在的テロリストレベルだったのです(´・ω・`)
つまりアレチネズミさんはひっきりなしにボタンを押し続けたか、
あまりの人々のアドレナリンを嗅ぎ分けるのに疲れてしまったか、
・・・とにかくイスラエル軍はこの計画を放棄しました。
MI5も諜報員ジェームス・ボンドから得たそれらの情報から解析を行い、
アレチネズミを空港に置くという計画を断念したのです。
【ブタ】
古代ローマでのブタの軍事活動というものは、極限まで飢えさせた彼らを
敵地に放ち、その食料となりそうなものを徹底的に食べさせることでした。
あるいは敵が採用する軍象に対抗する動物として採用されることもありました。
古代ローマでは軍象を使って攻撃を仕掛けてくることもありましたが、
これを迎え撃つ軍は攻撃の最前線に子豚をたくさん放つのです。
もちろんかわいそうな子豚ちゃんたちは次々と踏み潰されてしまうのですが、
不思議なことに、象軍団は象突猛進をやめ、踏みとどまってしまうだけでなく
引き返してしまうのでした。
実は巨大な体躯を持つ象は案外リスや子豚などを怖がる性質があるのです。
「あー、やべーなんか踏み潰したけどこれ何?何?
ちっちゃくて柔らかくて罪悪感半端ないんですけど」
という心情になるから・・かどうかは知りません。
近代になって、アメリカ軍はボディアーマーの耐性実験にブタを使っていますし、
(実験の後は皆でポークチョップなんだろうなあ)
イギリス軍ではブタを使って戦場における緊急手術のトレーニングを行います。
(訓練の後は皆でポークステーキなんだろうなあ)
これらの実験に対しても、動物愛護協会は廃止を申し入れているそうです。
どうせポークチョップになるんだから実験してもしなくても一緒だろうがよ!
と英米軍が彼らに言い返したかどうかは知りません。
【クマ】
第二次世界大戦時、ポーランド軍には「軍熊」がいたそうです。
階級は一等兵、名前は「ヴォイテク」(Wojtek)。
1943年イランに進駐したポーランド軍の兵隊さんが子熊だった彼を拾い、
餌を与えていたらすくすくと育ってこんなに大きくなりました。
ヴォイテクは人間とレスリングをしたり、泳いだりして遊びました。
大変賢かったようで、敬礼をすることもできたというのですが、
そればかりかシャワーの使い方を覚えてしまい、しかも彼がシャワーを使うと
水がなくなってしまうので、バスルームの鍵をかけなくてはならなかったそうです。
ある時彼は鍵を閉め忘れてシャワーを浴びている人のブースに忍び込み、
あろうことか彼の武器を盗み出したこともあり、これですっかり英雄になりました。
(本来なら怒られそうですが、どうも怒られたのは盗まれた兵隊さんだった模様)
部隊がヨーロッパに船で移動することになった時、彼らはヴォイテクを連れていく
唯一の方法は彼をソルジャーということにするしかないと、正式に彼に
ポーランド陸軍の軍籍を与え、階級とシリアルナンバーを与えました。
「ヴォイテク」という名前は
「スマイリング・ウォリアー」「戦いを楽しむ男」
という意味があるそうです。
イタリアのモンテカッシーノの戦いでは、ヴォイテクは武器運搬に従事しました。
戦後、無事に凱旋した部隊と共に、ヴォイテクはスコットランドのグラスゴーで
ポーランド軍の一員として凱旋行進を行なったと言われています。
その後、部隊は祖国に帰国することになったのですが、ヴォイテクだけは
イギリスに残ることになりました。
連れて帰ることができなかったのか、他の理由だったのかはわかりません。
スコットランドのエジンバラ動物園を引退後の住まいと決められた彼は、
そこで(多分)悠々自適の生活を送りました。
かつての戦友はしばしばプレゼントを持って彼に面会に来ていたそうです。
続く。