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観閲始まる〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

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平成30年海保観閲式にわたしが乗り込んだ巡視船「いず」は
「プップ〜〜〜」という出航合図とともに横浜の
第3管区海上保安本部の岸壁から出航いたしました。

出航時間は1200。
海保でもこれを「ヒトフタマルマル」というのかどうかは知りません。

出航するとすぐ、横浜のベイブリッジ下を通過することになります。
この頃には舫は皆大きなキャプスタンに巻き取られています。

甲板で作業している乗員の中には一人若い女性保安官がいて、
年配の乗員から作業後何か指導を受けているように見えました。

この灯台、ちゃんと名前がついています。

横浜外防波堤南燈台。

人がいますが、この防波堤は陸とは繋がっていないので、
燈台の管理者で、保守点検を行なっているものと思われます。

「いず」、ベイブリッジ下を通過中。
巡視船はわたしがここから出航した時に乗った「ひゅうが」ほど大きくないので、
通過の時にもさほど「ギリギリ感」はありません。

ところで海保の船にはこんなところ(船橋ど真ん中)に探照灯があるんですね。

ベイブリッジの下には通路があることを初めて知りました。
この通路をスカイプロムナードといい、写真右側の橋の下にある
スカイラウンジまでここを通っていくことができた時期があったのです。

横浜スカイウォーク

あった、というのは営業不振で2010年にはラウンジとともに
プロムナードの通行も廃止してしまったからだそうで・・。

残念、一度行ってみたかった、と思ったのですが、どうやら
来年あたり復活するという噂もあるそうです。

船内放送では、船が通過する際に現れる施設や構造物について、
観光案内のように詳しくアナウンスがされます。

向こうの近未来的?な建築は「横浜シンボルタワー」。
階下にある本牧船舶通航信号所より情報や信号を送り、
横浜港に出入りする船舶の交通整理をしています。

タワーは展望室や展望ラウンジがあるようです。
こちらから見るとドーナツの形のような部分、実は半分しかありません。

横浜港に入港する船は皆このブリッジ下を通過することになります。
海中に立てた標識灯?

もしかしたら海面が赤のゾーンに来ていたら大型船は
ブリッジをくぐれないとかそういう目印?

しばらく外にいましたが、わたしは行動海面に到達するまでの間
体を休めておこうと、先ほどチェックした休憩室にやって来ました。

実はこの日の気温は非常に蒸し暑く、出航するまでは服の中で
汗がぽたっと落ちるのを感じるくらい不快な湿度だったのに、
出航したらいきなりデッキは強い風に吹かれるという状態、
昨日から色々あってすっかり疲労困憊していたわたしは、
船内の、クーラーの効いた空間に座って仮眠をとることにしたのです。

モニターがあり、そこでは海保の活動を紹介するビデオと、
海保学校入学式における安倍首相の祝辞が繰り返し放映されていました。

同じ会議室の一隅では、海上保安庁へのリクルート説明が始まりました。

部屋に入ってブースを除くと、案内の保安官は喜んで?

「ぜひ知り合いの方に勧めてください」

とパンフやボールペンをくれました。
そのパンフレットによると、自衛隊の防大にあたる教育をし、
幹部職員を養成するのが広島県呉にある「海上保安大学校」。

4年間の教育の後、江田島の幹部学校にあたるのが
六ヶ月の専攻科と三ヶ月の研修科です。

これに対し、専門技術を持つ専門職を養成するのが舞鶴の海上保安学校。
保安大学は卒業したら三尉にあたる三等海上保安正からキャリアスタートし、
保安学校は一等海士にあたる三等海上保安士から始まります。

二等海上保安士が海士長、一等保安士が海曹という具合で、
海自とは幹部より下の階級分けが少ないみたいですね。

ちなみにこの時同時に配られたお知らせによると、8月末、
横浜港に練習船「こじま」が保安官志望の高校生などを対象に
海保大学の説明会と練習船内の見学を行う予定だそうです。

気がつけば、近くをPC01「まつなみ」が航行していました。

巡視船にしては上にたくさん積んでいる印象だなあと思ったら、
やはり貴賓室を備え迎賓艇としての機能を持つ、要人の輸送を行う船だとのこと。

パンフレットのどこを見ても「まつなみ」が参加すると書かれていません。
もしかしたら誰か偉い人をこっそりどこか(やしま?)に運んだ後だったとか。

ちなみにこの船、風の抵抗を多く受けるデザインなので操船は難しいそうです。

「まつなみ」が見えるころ、「いず」の後方を
一羽のカモメが追いかけるように飛んでいました。

「いず」の後部にピタリと付いて、一定の速度で飛んでいます。
あまりに真剣な様子なので、つい写真をいっぱい撮りました。

休憩室で柱にもたれて仮眠をとり、さて、そろそろ、と
下甲板後部デッキから観閲式等を見学することにしました。

折しも晴海から1時に出航した「やしま」「そうや」「だいせん」が、
こちらの航跡につこうとしているところでした。

4隻が単縦陣で観閲を行います。
観閲船は「やしま」。
ということは「いず」が先導船ということですか。

チケットをなくさなければあの後ろの「だいせん」に乗ってたんだなあ・・。
なんだか不思議な気分です。

この写真でよくわかりますが、海保の船は舷梯を全部片づけず、
折りたたむだけで舷側にぶら下げるようにしたまま航行するんですね。

三番船の「そうや」は名前からもわかるようにあの「宗谷」の後継船で、
「だいせん」「やしま」との形の違いが明白ですが、これは
海保の所有する巡視船の中では40歳と最も古い船だからです。

あの「宗谷」についで古く、海上保安庁向けに建造されたものとしては
初めてヘリを運用能力を有する巡視船でした。

また「宗谷」の後継ということで、巡視船の中では唯一、
砕氷船としての能力を備えていると言うことです。

「やしま」の観閲台をアップにしてみました。
胸に花飾りをつけた主賓とその横の海保長官まではっきり見えます。

この日は皇族のどなたかだと聞いた記憶がありますが、
この写真からではどなたかはわかりませんね。

甲板上には「いず」と同じように観覧用のパイプ椅子が並んでいますが、
はっきり言ってこの椅子に座って写真を撮るのは不可能です。

ところで、カモメ君の追跡はまだ続いていました。
このように別の飛翔体と一緒に写るような高さに上がってみたり・・・・・・、

そうかと思えばガダルカナルで対空砲火の中を飛ぶ一式陸攻のように
海面ギリギリを這うように飛んでみたり。

真正面からのカモメの顔、ちょっと面白いのでアップ。
どうしてこのカモメ君、こんな一生懸命ついて来てたんだろうなあ・・。

とかなんとかカモメで時間を潰していたら、観閲が始まりました。
受閲船隊、第一小隊の1番船は、先ほど横浜港で一足先に出航した
巡視船「あきつしま」。

広い後甲板を見てもわかるように、ヘリを2機搭載することができます。

2番船、「えりも」型巡視船 PL08「とさ」。
1000トン型巡視船で、もちろん高知からの参加です。

3番船、「くにがみ」型巡視船、PL13「もとぶ」。
「とさ」と同じ1000トン型巡視船ですが、フェンネルの数が一つ。

舷側には正装の保安官が観閲官に対し敬礼をしています。
で、この「海保式敬礼」、どことなく海自式とは違うように感じました。

どこがと言われても口では言えないのですが。
海自(出身)の方、どう思われます?

4番船、「くにがみ」型巡視船 PL84「ざんぱ」。

最初に見たとき「ざんぱ」って一体どこの地名?と思ったら、
沖縄県読谷村(よみたんそん)の残波岬なんだそうです。

この時、右側の「観閲船隊」に対し「受閲船隊」対面ですれ違うような陣形です。

第一小隊の最後に、ハデなのキター。
その少し前に体験航海で乗り組んだ「まきなみ」から東京湾で見た、
HL01 測量船「昭洋」です。

「昭洋」は本庁所属なので「東京」と書かれています。

なんだか盛り沢山に色々搭載していると思ったら、なんと
測量艇と船を合計4隻もダビッドに吊っているんですね。

赤いのが機動測量艇(昭洋1号艇)と特殊搭載艇「マンボウII」(昭洋2号艇)で、
このダビッドはミランダ式といいます。

「マンボウII」は活動中の海底火山近傍など、危険な海域では
遠隔操縦での無人運用も可能です。

同船は技術的に革新的な仕様を多く取り入れており、竣工時、

シップ・オブ・ザ・イヤー’98」

を受賞したそうです。

こんなのどうせ自衛艦はもらえないんだろ〜?
と思ってページを開いて見たら、なんと2009年に「しらせ」が受賞してました。

 

ところで、どうも海保の船の命名基準というのはよくわかりません。

特にわからないのが、ひらがな船名と漢字名が混在していることです。

測量船のHLクラスは「拓洋」「明洋」「天洋」など「洋」シリーズですが、
HSクラスの「はましお型」はまた平仮名。

「はましお」「いそしお」「うずしお」「おきしお」「いせしお」
「はやしお」のあとはいきなり海峡の名前になって「くるしま」。

なんでやねん。
船名に厳格な基準を設けていないからこうなるんでしょうか。

 

さて、第一小隊では比較的大型の巡視船がお目見えしましたが、
第二小隊は180トンクラスの巡視船が登場します。

 

続く。

 


「はたかぜ」登場〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

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海上保安庁観艦式は、横浜会場防災基地から出航した「いず」を先導として、
晴海埠頭から出航した「やしま」「そうや」「だいせん」が単縦陣になり、
受閲船隊、観閲船隊が向かい合わせに進行しながら行われます。

まず船艇の観閲式で、大型船が通り過ぎました。
続いては小型巡視船です。

ここからは第二小隊、1番船は銚子から来た
「らいざん」型巡視船、PS13「つくば」。

180トンクラスで乗員は15名となっています。
舷側で敬礼しているのは10名なので、5名で操船しているということです。

船首部分には「S」マークを隠さないように、Sがプリントされた
防舷クッションが標準装備されているのが海保流。

前甲板にはまるで海自の艦艇のような兵装らしきものが。

これ、RFS(Remote Firing System)遠隔射撃システムというもので、
海保が所有する射撃指揮システム(FCS)なのです。

「つくば」の船橋部分をアップにしてみると、ベイブリッジを通過する時に
探照灯と間違えた赤外線捜索監視装置があり、その前に見える、
アンテナの立っている装置がRFS光学方位盤です。




2番船は茨城から来た PS14「あかぎ」。

「海保の船の甲板は武器がない」というのはあくまでも大型船のことであり、
不審船対策に武装が必要な巡視船、巡視艇には全く当てはまりません。

先ほど出航した横浜の防災基地には、2001年に発生した

九州南西海域工作船事件

で海上保安庁の巡視船と交戦の末爆発、自沈した工作船が
引き揚げられて展示してありますが、その時の巡視艇「みずき」からの射撃は
3メートル以上の波のうねりがある中でも十分な命中精度を発揮したそうです。

もう一度「海保の敬礼」を。
全員敬礼していない方の腕を後ろに回しています。

海自は基本使っていない手は拳にしておくことが多く、
写真を撮る時にも膝に乗せる手は拳ですし、挙手の時もグーです。

海保は「手を見えないように後ろに回す」というわけですね。

3番船、徳島からやって来た同じ「らいざん」型 PS15「びざん」。

「らいざん」型は昔「びざん」がネームシップだったので、
「びざん型」という型名だったことがあります。

これも海保の船文化の不思議なところで、巡視艇は管区をまたいで転勤すると、
転勤地に伴って名前を変えてしまうのです。

例えば、PS-06は

「びざん」(徳島)→「ばんな」(石垣)→「らいざん」(福岡)

ということで現在福岡にいるため名前が「らいざん」になり、
PS-06がネームシップなので自動的に同型は「らいざん」型になるのです。

第二小隊の最後はPS35「ともり」、宮古島の所属です。

「ともり」は2年前から宮古島に配備を始めた「しもじ」型巡視船で、
自身も今年の2月28日に収益したばかりの新鋭船。

なぜ「しもじ」型を宮古島に集中配備させているかというと、それは
もちろん尖閣諸島防衛を見据えてのことです。

それを考えると、なぜ船端全面に防護プレートを張っているか思い当たりますね。
これは、脱着式の防護プレートで、同型は船体も本来のアルミ合金から
高張力鋼へと変わっています。

みなさん、かつて民主党政権が公開せず、一海保職員が流出させて、初めて
国民の知ることになった中国船衝突事件の映像を思い出してください。

当時の内閣府特命大臣だった福島瑞穂が、視聴した後、

「車が道路でちょっとコツンとぶつかるような、あてて逃げるという映像だ。
(挑発行為は)離れてるし、分からなかった」

と言い放った、あのビデオです。

実際はそんなものではなかったことは、流出したビデオを見れば明白で、
それがゆえに当時の民主党政権は中国政府に忖度し映像を非公開にしたのでしょう。

その後、仙谷由人官房長官は菅内閣の意を受けて検察に圧力をかけ、
船長を釈放させるという、法治国家にあるまじきブラック内閣ぶりを見せて
国民をドン引きさせてくれましたよね。

あー、思い出すだけで血圧が上がってきた。


宮古島に配備された最新鋭型巡視艇「しもじ型」全てに、この緩衝装置が
標準装備されているのは、中国船の体当たりのようなことが起こること、
そして、何より尖閣周辺で保安官が

強行接舷

して不審船に乗り移ることを想定してのことなのです。

なお、「ともり」始め「しもじ」型巡視船には、放水設備が装備されており、
この写真でもその装備を確認することができます。

続いて第3小隊の観閲が始まりました。
画面一杯の写真なので大きさの比較ができませんが、これは

35メートル型巡視艇「ふどう」(神戸)

でトン数でいうと125トンと、より小型になります。

23メートル型巡視艇 PC43「おきなみ」。
横浜を一足先に出航していった船です。

こちらも船室部分は防弾設備が施されています。

ちなみに巡視船と巡視艇の違いは、前者が

「法令の海上における励行、海難救助、海洋の汚染及び海上災害の防止、
海上における犯罪の予防及び鎮圧、海上における犯人の捜査及び逮捕
その他海上の安全の確保に関する事務に従事するもの」

後者が

「基地周辺海域における上記(巡視船)の事務に従事するもの」

となり、海上巡視か沿岸巡視の違い、という位置付けです。

さて、ここからは関係機関船艇のパレードとなります。
最初に現れたのは・・・もちろん、DDG-171「はたかぜ」。

観閲船の通過に伴い、舷側に並んだ自衛官たちが艦首側から順に
敬礼を行なっていくところが写真に写っていました。

この日の観閲式に参加した全ての艦艇の中で、最大級はPLH「やしま」、
5,259トンですが、「やしま」は「いず」の後ろを航走していることもあり、
わたしは「はたかぜ」の大きさにあらためて目を見張りました。

そしてこの存在感。

いろんな場所でわたしは護衛艦を含む自衛艦を見てきましたが、この日、
白と青の瀟洒なカラーの海保の船列に続く「はたかぜ」を見たときほど、
この「黒鐵(くろがね)の浮かべる城」を頼もしいと感じた瞬間はなかった気がします。

就役から32年が経過し、艦齢延伸を続けてきた「はたかぜ」に、流石に
退役が囁かれている、という噂もそう感じた理由の一つだったかもしれませんが。

 

 

 

そして何と言ってもこれ、海士のセーラー服ですよ。

海保の皆さんの活躍にもわたしは十分感謝と尊敬を払う国民ですが、
個人的な思い入れというのはここに来て如何ともし難く(笑)
頭の中で鳴り響くバーチャル行進曲「軍艦」とセーラー服の堵列に
激しく胸が高鳴るのを抑えることができなかったことを告白します。

ちなみに冒頭写真は、いつもわたしにイベント情報を送ってくださり、
ご自身も参加して写真の提供を許してくださるKさんが、
この翌日の観閲式で「だいせん」から撮った「はたかぜ」の雄姿です。

見てもお分かりのように、翌日は素晴らしい晴天でした。
写真を撮る立場からは全く羨ましいコンディションだったのですが、
とにかくこの日は海上は風が猛烈に強く、皆震え上がったということです。

パレードの2隻目、

漁業取締船 「はまなす」水産庁。

消防艇「みやこどり」 東京消防庁

しつこく「はたかぜ」の後ろ姿をカメラで追いかけてしまうわたし(笑)

信号旗は「RY」を揚げているのでしょうか。
そして「JSOZ」は「はたかぜ」のコールサインと見た。

例年外国の海上保安機関から、パレードに参加することになっているようです。
というわけで、ユナイテッドステイツから、

「USCGC アレックス・ヘイリー(WMEC-39)」

沿岸警備隊には、コーストガードアカデミーの見学のために、わざわざ
東海岸はコネチカット州のニューロンドンまで行ったことがあります。
ここでお話しするために、その歴史を調べてかなり詳しくなったつもりなので、
日本でこの白いカッター(沿岸警備隊の船の呼び方)を見ると、大変親近感が湧きます。

なにしろわたくし、自慢ではありませんが、

「センパーパラタス( SEMPER PARATUS)」

というコーストガードの公式歌も(歌詞を見れば)歌えちゃったりするもので。

それはともかく、さすがの「常に備えあり(センパーパラタス)」な皆さんも、
言っちゃーなんだが所詮アメリカ人、やっぱりカッターのサビはほったらかしかい。

 

搭載ヘリは赤一色、大変目立ちます。

ちなみに「アレックス・ヘイリー」の母港はアラスカだそうですが、
わざわざアラスカからやって来たんでしょうか。

それともたまたま第7艦隊に勤務でやって来ていた?

マストの大きな星条旗が実に美しいですね。
揚げられている信号旗は「NZPO」、当カッターのコールサインです。


船艇パレードの最後は横浜税関の監視船「みらい」と、
千葉県警察本部の警備艇「ぼうそう」。
なぜかぼんやりしていて単体の写真を撮り損ねました。

この写真の最後尾にいるグレーが「ぼうそう」、白い船が「みらい」です。

このまま全艦船向こうに行ってしまうのかー、と寂しく思っていたら、
とんでもない、今向こうを向いて航行している船のほとんどが、
この先でユーターンしてもう一回姿を見せてくれることになっていました。

船艇および護衛艦の観閲式は終わりましたが、実は

"YOU AIN'T SEEN NOTHIN' YET!"
=お楽しみはこれからだ!

・・・・・だったのです。

 

続く。


人命救助・防災訓練〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

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海保観閲式、艦艇の観閲が終了しました。
当ブログ的には延々とお話ししているようですが、実は船隊の
パレードが始まってから終了するまで7分しかかかっていません。

しかし進行は「ミリミリ」というわけではなく、幅を持たせてあり、
観閲が開始されたのはわたしのカメラの記録によると1414、
開始予定時間を14分も経過してからのことでした。

観閲に予定された12分のうち残りの8分で航空機の観閲が行われました。

今から観閲を受けるヘリが観閲船隊とまず逆行していきます。

この日観閲を受けたヘリは、シコルスキー76D、ベル412、
アグスターウェストランド139、
そしてユーロコプターのシュペル(スーパー)ピューマ225など。
どれも自衛隊では見たことのない機体です。

これはシコルスキー、函館所属の「くまたか」。

こちらがベル、広島の「せとづる」だと思います。
航空機に名前がついているのは海保ならではですね。

第5小隊の「ちゅらわし」。
なんとこれ、おフランスのあのダッソー・ファルコン900なんですぜ。

ビーチ350はもちろんアメリカだし、ボンバル300はカナダ、
羽田の「うみわし」はガルフストリームV、アグスタWLは英国とイタリア。

海保の航空機って全方位に気を遣っていろんな国から買ってるという印象です。

さて、ここからは放水展示が始まりました。
放水が可能な船艇が放水しながら受閲するというもの。

横浜で「いず」の一足先に出航していった「ひりゆう」がまず先頭に立ち、
「いず」の前で放水を開始しました。

続いてPC22巡視艇「はまぐも」が、なんと真っ赤な水を出しながら通過!


それにしても、この水、何で着色しているのか・・・食紅ってことはないだろうし。
・・と思ったら、本当に食紅でした。(あるサイトの報告による)

 

 

 

この「ひりゆう」さんですが、あの東日本大震災の時発生した
コスモ石油千葉製油所の火災の時に出動し、冷却放水を実施しています。

あの時、被災地に危険な任務を行うために出動していった関係機関船艇は
海保、海上自衛隊、消防庁を問わずたくさんいたわけですが、
この「ひりゆう」もその一隻だったというわけです。

あの爆発を伴う火災が鎮火したのは3月21日だったと言います。
「ひりゆう」の当時の乗員たちはその時この操舵室から
どんな景色を見、どんな気持ちで冷却放水を行っていたのでしょうか。

巡視艇「はまぐも」は毎分2,000l放水できる操舵室上の設備以外にも、
放水塔を備え、そこから毎分5,000リットルの水を放水することができます。

蛍光グリーンの水を三丁の放水ノズルから吹き出しながら行くのは
川崎市消防局所属の「第6川崎丸」。

赤い色は食紅で納得したのですが、この緑は一体?
と思ったらこれも、他の色もみんな食紅なんだそうです。
食紅ってこんな色に着色できるんだなあ・・・。

まあ、アメリカのデコレーションケーキには割とよく見る色ですけどね。

第6川崎丸は消防ポンプ2基を装備しており、放水量は
一基当たり毎分11,000リットルにもなります。

訓練海域に隣接する市川市消防局所属の消防艇「ちどり」は
なんとオレンジ色の水を放水しています。

4隻が色水を放水しながら航行するこの光景は、
実は海保の訓練展示ではお馴染みなんだそうです。

ところで、こちら見ていただけます?

Kさんからいただいた次の日の放水展示なんですが、
・・・・・・あれ?全部色水ではなく真っ白だ・・。

どこかから「海を汚す」とかなんとかクレームでも出たのかしら。

そしてヘリコプターの編隊飛行訓練展示となりました。

3機くらいづつヘリが編隊を組んで通り過ぎます。
前にいるのが「くまたか」、後ろが「せとづる」か「はなみどり」。

ヘリはこの日の天気では(当方の技術的な問題で)大変撮影が難しく、
失敗が多かったのですが、関係機関の訓練機などは全滅でしたorz

この編隊は赤っぽい機体なので、

「かもめ」東京消防庁 

「はまちどり」横浜市消防局 

「おおとり1号」千葉市消防局

の3機であろうと思われます。

ヘリ展示が終わった途端、「いず」は面舵で右に転舵を行いました。

受閲が予定海域の先端まで到達したため、Uターンし、
転舵しながら右舷側で行われる人命救助訓練を観覧するのです。

おお、いつの間に。
海面にオレンジの認識浮き輪とともにぷかぷか浮いている人が!

この日のために選ばれた「要救助者」役の職員さん。
お役目ご苦労様でございます。

と思ったら、これもいつの間にか向こうにボーボー燃えている船が!

シナリオによると、船はケミカルタンカー。
どう見ても「伊勢丸」というタグボートにしか見えないが?
などと言ってはいけません。

海上の人は、ケミカルタンカーで爆発が発生した際、
海中に転落し漂流しているという設定なのです。

ちなみにこちらがKさんにいただいた次の日の炎上中「伊勢丸」。

あー、いいなあ。
寒くても風が強くても、この天気で撮ってみたかった・・・。

火の前に人がいるのでびっくりです。

 航行中は炎が絶対に前方に来ないという前提で、
ガスバーナーのような発火装置を搭載しているのでしょうか。

「伊勢丸」・・・君は大変な仕事を引き受けたね。

そこに我らが海保の救難ヘリがやってきました。

向こうに「はたかぜ」の一部が見えます。

ヘリは海難現場の上空にピタリ!と停止しホバリングを行いました。

ちなみにこの時の受閲船体の陣形。
完璧に後方の3隻の姿が「いず」から見えるようになりました。

リペリング降下で救助隊員を海面に降ろしているのは「かみたか」です。

この懸垂下降を陸自では「リペリング」と呼ぶことについて、英語では

「Rappelling」

なので、正しくは「ラッペリング」だろう、と突っ込んだことがあります。

どう解釈して読んでもこのスペルが「リペリング」になりようがないので、
きっと最初に陸自の偉い人が間違えてそう表記してしまい、訂正しようがなくなって
現在に至る、という事情でもあるのかと穿ったことを書いたものですが、なんと、
陸自だけでなく海保でも「リペリング」が正式な名称として使われているようです。

それはともかく、そのリペリングで救難員が海面に達しました。

ヘリのダウンウォッシュが海面に円形の波を作ります。
救助員は要救助者の背中からロープを掛けています。

翌日の同じ瞬間を「だいせん」から。
向こうに見えている船は前日わたしが乗った「いず」です。

どうしてUターンを行いながら救助を見学したかがわかりました。
並列に並んだ状態では、後ろの船は海面の状況が全く見えなくなるからです。

カラビナで体をロープに固定した救助員は、ロープに引き揚げてもらいます。

この足ひれをつけている救助員が、いわゆる「海猿」な人なんでしょうか。

わたしは「いず」最後尾からこれを撮っています。
後方の「やしま」と「いず」との角度はほとんど90度?

訓練に見入る「やしま」船上の皆さん。
アンテナの前のヘルメットの三人はカメラクルーですね。

三番船の「そうや」もこんな角度で見ることができます。

「いず」は回頭を終えたので、四番船の「だいせん」と平行になりました。
先ほどのKさんの写真は、この時向こう側から撮られたものです。

救助はまだ続いています。
実はケミカルタンカーから転落した人はもう一人いました。
オレンジの発煙筒を炊いて、自分の位置を知らせています。

「はまちどり」からリペリング降下してくる救助員。

こんなこともできるよ!ということを見せるためか、
すごい角度をつけたロープを斜めに滑り降りていきます。

向こうのオレンジは先ほど救助した人のための目印。
救助された人を乗せた「かみたか」はすでに病院搬送のため離脱しています。

着水〜!

引き揚げの時もロープの角度がすごい。

無事二人目もヘリに収容することに成功しました。

さて、人も助けたことだし、次はボーボー燃えてるタグボート、
じゃなくてケミカルタンカーの消火に入らなくっちゃですね。

先ほど色水を出しながら楽しげに通り過ぎた「はまぐも」が
今度は本気と書いてマジと読む消火活動で別の顔を見せます。

・・・見せますよね?

ケミカルタンカーに接近する「はまぐも」。
いつだ?いつ放水を始めるんだ?

しかし・・・・

「この訓練では実際に放水して水をかけることはありません」

まあそうだよね。
タグボートの方も発火設備含めて船体に、火事でもないのに
毎分11,000リットルの水をかけられても困るわな。

というわけで、「ひりゆう」さんが、絶対に水のかからない距離をキープして
後ろをついていき、「はまぐも」は横を航行するだけ、ということに。

ノズルの角度をもう少し上げたら水届きそうだけどなあ・・・・。
ちょっとくらいかけたってまずくなくない?

 

続く。

 

 

テロ容疑船制圧訓練〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

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海上保安庁の観閲式に続く訓練展示、まず「人命救助」から始まりました。
海保の任務は「海の安全を守ること」ですが、同時に警察組織でもあるので、
次なる展示は「取り締まり」のための訓練です。

この写真もやはりKさんから頂いたものですが、使用許可をいいことに
ちゃっかり冒頭に持ってくるのだった。

しかしすごいなあ、「だいせん」からはこんな角度で見えたのか・・・。

その前に、先ほど海面から救出されたケミカルタンカーからの転落者を
ヘリコプターが洋上で巡視船に収容するため着艦を行います。

甲板に立ち着艦の指示を行う職員。
(つい隊員、と書いてしまいがちですが、よく考えたら彼らの所属は隊じゃない)
足を前後に開く立ち方一つとっても自衛隊とは違います。
こちらはダウンウォッシュで後ろによろめくことを警戒している感じ。

旗を持たず、(屮゜Д゜)屮カモーンという感じで誘導を行なっています。

着艦を行うのは「はまちどり」。
先ほど二人目の転落者を救助したヘリコプターです。

誘導員が⊂(^ω^)⊃ になっているので、これがおそらく最終着陸態勢。

海保の航空機には名前がついていますが、同じ「はまちどり」でも
1号と2号があったりしてオンリーワンの名称ではありません。
ちなみにこのヘリは「はまちどり2号」の方です。

着艦と同時に甲板でしゃがんで待機していた4名が、
救助者をヘリから降ろすために走って駆け寄っていきました。

4名で一人を手早く引き摺り下ろし、甲板で担架に乗せて運びます。
船橋の上階では放水ノズルのところに一人が配置しています。

全ては航行しながら行われ、搬送を終わったヘリはすぐに離船しました。

「とさ」とヘリコプターに我々が目を奪われている間に、船列に対して垂直に、
巡視船とゴムボートがすごい速さで近づいてきました。

なんだなんだ、悪いボートに巡視船が追われているのか?

追われているのはCL「はまかぜ」。
船底が完璧に見えているこの写真からもそのスピードがお分かりでしょう。

海賊のボートに追われる一般漁船という設定かな?

・・・と思ったら、左舷に海賊マークが。
なんと追われている方、「はまかぜ」が悪役だったのです。

このストーリーはですね。

まず今上空に見えている巡視ヘリが、「容疑船」を発見しました。
何をやらかしたか知りませんが、海賊マークをつけているくらいだから
麻薬や武器の密輸とか、密漁とかを常習的にやっている船なんでしょう。

そこで、連絡を受け、現場に急行してきた複合艇2隻が
容疑船の「周回規制」を行なおうとしている←イマココ、という状態です。

複合艇のうち一隻は赤の「とまれ  STOP」という旗を揚げています。
ここで大人しくそれを見て止まってくれる船は滅多にいないと思いますが。

で、この複合艇がすごいんだよ。

硬化ゴムボートなので波をボンボン跳ねながら急ハンドル切ったりするんだけど、
よくまあ乗ってる人がこぼれ落ちたりひっくり返ったりしないなと思うくらい。

何が凄いといって、この人たち訓練だけでなくて、時々
こういう捕り物を実際にやってるってことなんですよね。

例えば去年(平成29年度)海上保安庁が送致した海上犯罪は
船舶の無検査航行や定員超過などの法令違反こそ全体の44%ですが、
34%は密漁などで占められています。

国際犯罪組織が関与する密輸、密航を水際で阻止するため、
厳格な監視・取り締まりを実地している、その最前線に立つのが
この複合艇の乗員です。

このテロ対策訓練で複合艇に乗り込んでいるのは特別警備隊、
通称「トッケイ」。

訓練そのものを「高速機動連携訓練」と位置付けています。

逃走する容疑船の周りを、2隻の複合艇は円を描きながら追い詰め、
警告しながら(というか威嚇かな)足止めを試みます。

どうですかこの機動。
首都高をかっ飛ばして日頃お巡りさんに迷惑をかけているルーレット族の皆さん、
(最近は若者の車離れで希少種だそうですが)今からでも遅くない。
心を入れ替えて一から出直し海保に入り、厳しい訓練に耐え特警になれば、
思いっきり注目を浴びながら合法的に暴走ができるぞ!

おまけに国民からは感謝され、女性からはモテモテだ。
嘘だと思ったら、ちょっと検索してごらん?

「どうやったら海保の人と付き合えますか」

「どこで海保の人と知り合えますか」

こんな切実な女性の質問が山ほど見つかるから。
まあ、この傾向は本当のところ「海猿」の影響なんですが、
どちらにしてもかっこいいんだから細けえことは言いっこなしだ。

複合艇が不審船の周りをぐるぐる回っているうちに、
監視艇と警備艇が駆けつけてきましたよ。

いやーこれ、いくらなんでも追われてる方はかなり怖いよね。

この交差の瞬間を見よ。

そして向こうからは、「みやかぜ」「あおみ」「みらい」が接近中。
なんと横浜税関の「みらい」まで捕り物に加わるのか。

ところがですね。
こんな追い詰め方をしていながら、次の瞬間、

「容疑船、規制の間隙を突いて逃走」

んなアホな。
こんな周りをぐるぐるやられてて、どこから逃走するというの?

という気もしますが、とにかくそういうシナリオです。

ここまでがテロ容疑船捕捉・制圧訓練の第1段階です。
ここで複合艇は停船命令を下す役割を船艇に交代。

正面からやってくるのが警視庁の警備艇「あおみ」。

右側が「みやかぜ」、その向こうのグレーが
千葉県警本部の警備艇「暴走」じゃなくって「ぼうそう」です。

「ひりゆう」の姿が見えますが、ただ目立っているだけで
本訓練に参加しているわけではありませんので念のため。

 

この写真、アップにしてみると、右の複合艇の全員笑ってたりします。

「頑張ったけど間隙を突いて逃げられちゃったってよ〜」

とか?

「今日の走りもキレッキレだったっすね艇長!」

とか?

んなわけあるかーい!

逃げられたことになっているとはいえ、まだまだしつこく
周りをぐるぐるしている複合艇。

複合艇の上の様子がよくわかる写真。
操縦しているのは後ろで立っている人だと思いますが、
立ってる人はもちろん、全員シートベルトしてないように見えます。

こちらKさん写真。
もしかしたら複合艇、2隻固まってますか?

    逃走を続ける容疑船に対し、まず「みやかぜ」が警告を行います。
船体の警告は日本語で「停船せよ」になっていますが、相手は一向に止まりません。   もしかしたらこの容疑船、日本語が通じないんじゃないの? 簡体字かハングルで表示してあげたほうがいいと思う。  

それでは警告レベルをあげるしかあるまい。

というわけで、おおきく振りかぶって・・・・・・

えいやっ。

警告弾を投擲しました。

うーん、この飛距離では警告になるかどうか。
本当はもっと接近して投げるんだよね?

手投げでの警告弾にも応じないので、今度はヘリから同じものを投下。
空中の投擲された警告弾が見えますか?

 警告弾が容疑船の遥か頭上で炸裂!
うーん、これでは容疑船は警告されていることに気がつかない可能性も・・・。

本番ではもっと強力なのをどかーんってやるんですよね?

度重なる停船警告と監視網をかいくぐった、凄腕船長が操る容疑船。
見るからに怪しい男が銃を持って出てきました!

すげー。(棒)

一発で「みやかぜ」の船橋前に銃弾を命中させ、それが炸裂。
しかし、彼は日本国の警備組織がこの攻撃をもって

「専守防衛遵守済み」

となし、ここから先は

「やられたらやり返す」

つまりこれが正当防衛射撃開始の合図になることを、
知る由もなかったのである。(たぶんね)

ほーら言わんこっちゃない。
ここぞとばかりに巡視船から正当防衛射撃という名のフルボッコが始まりました。

同じ瞬間を後方から。

「みやかぜ」からは容赦無く正当防衛射撃が浴びせられます。
「停船せよ」という命令に従うまでそれは止まることはありません。

もし停船しなかったら、ついついオーバーキルで沈めてしまわないかって?

そんときゃそんときよ!

流石の海賊船も、オーバーキルだけはご勘弁。
というわけで、迫り来る全船艇の前に代表者が出てきて降参ポーズ。

「みやかぜ」船上には、保安官が三人、
武装して今にも強行接舷し乗り移る構えです。

ところで警視庁の船は、こういう時には制圧には参加しないんでしょうか。

あれ?

一瞬目を離した隙に、いつの間にか容疑船に保安官が移乗して
すでに容疑者を制圧してしまっている・・・・。

この時、アナウンスでは

「特警ではこのような場合に備え、厳しい移乗、制圧訓練を行なっています」

というような説明がされましたが、目を皿にして見ていても、
また写真をくまなく探しても、強行接舷はしていなかったと思います。


もしかしたら、この制圧している職員、容疑船の中から出てきてたりする?

まあ、観閲が行われ、船艇の列が巻き起こす波が高い中での接舷、
移乗には、とても限られた観閲時間内では収まらないくらい
時間もかかるし、また危険も多いということで省略されたのでしょう。

たとえていえば、テレビの料理番組で、

「そしてこれを煮込みます。1時間煮込んだものがこれです」

って出来上がった段階のものを出してくるようなものですね。

ちなみにこれがKさんの「だいせん」から見たお縄の瞬間。
すごいシャッターチャンス!

それに、この日はどうやら本当に移乗しての制圧をやっているっぽい。
前日と違って警備艇が強行接舷している様子です。
やっぱり日曜日は安倍総理が観覧していたからですかね。

そして海賊船は「はまかぜ」ではなく「きりかぜ」だったことがわかります。

というわけで、監視艇として参加した横浜税関の「みらい」。
訓練を終えて向きを変えました。

制圧された「はまかぜ」を先頭に、全参加船艇、これをもちまして退場です。

お疲れ様でした〜!パチパチ(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ


続く。

 

 

高機動訓練とフェアウェル(と宮古島まもる君)〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

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海保観閲式、訓練展示の最大の山場ともいえる「テロ制圧訓練」が終わりました。

わたしが写真を撮っていたのは、この甲板の最後尾から。
上級機種カメラ持ちの「リピーター」は画面右奥を最上席と定め、
ここから撮るために早朝から並んでいたそうです。

でも、テロ制圧訓練なんかは遠くて撮りにくかったと思うな。

わたしなど「いい写真」というより「自分がその時何を見たか」を
皆さんにお伝えできさえすればそれで十分と考えているので、
今回も乗艦が始まってからだいぶ経って乗り込み、
適当に場所を決めたことを全く後悔していません。

何を撮るにもいい場所なんて観閲式にははっきり言って存在しないのだから、
朝早くから並んで場所取りするってもしかしてあまり意味がないんじゃ?

と特にこの日は思ってしまいました。

でも、テロ制圧訓練の次の「高速機動連携訓練」は、
右舷側にいなくては何が何だかわかりませんでした。

これは我らが護衛艦「はたかぜ」がこのように我々と平行に逆行し・・・、

同時に海保のPL船隊「ざんぱ」「もとぶ」2隻が斜め角に突っ込んで来て、
2隻のPLの間に「はたかぜ」が割り込み、ホイッスルの合図で
3隻全艦船が同時に回頭するという連携機動です。

が、わたしの視界に入った時にはすでにこういう状態でした。 

高速機動連携訓練の第2段階、今度は小型巡視艇が進入し、
単縦陣で我々と反行。

右舷側には人垣ができていて、こんな光景しか見えません(涙)

「びざん」「あかぎ」「つくば」の小型巡視艇三隻は単縦陣で進み・・

一斉回頭して横一列に並びます。

この一見混乱したような状態から・・・

Uターン後ピタリと舳先を揃え、横一列に並びました。

このまま「いず」の右舷側に進み、そこで一斉に空砲射撃を行いました。

これをもって総合訓練展示は全て終了しました。
ふと見ると、先ほど出演した艦船が全て後方で回頭し、こちらに向かってきます。

そう、これから海保観閲式のフィナーレ、「フェアウェル」が始まるのです。

まず、今日大活躍だった「はまちどり」。
開けたドアから乗組員(多分さっき救出された人も)が手を振って通り過ぎました。

ここからが船艇の「フェアウェル」で、初参加のわたしは知りませんでしたが、
むしろここからがみんながお待ちかね!の楽しいパレードだったのです。

ところで皆さん、このYouTube一度くらいご覧になったことありますか?

過去の海保観閲式か訓練展示でのフェアウェルだと思うのですが、
職員が四人で踊る衝撃的な「会いたかった」ダンス。

海保ダンス ‐会いたかった(AKB48)‐

何がすごいって、救命胴衣なしで揺れる巡視艇の甲板でのこの踊りですよ。

最後にフル装備のダイバーが出てきて手を振りますが、
つまりこの海猿は、

「彼女ら(彼ら)が海に落ちるかもしれないこと」

を想定してセンパーパラタス、常に備えていたってことです。

例によってこのビデオ、海外の反応サイトでも公開されていましたが、
そこに、

「ImperialJapanNavy48を結成すれば?」

というコメントがあって、ちょっとウケました。

「JCG48」だけど?
などとマジレスするのは野暮だからやめておこう。

巡視艇「ふどう」。
あれ?なんか音楽が聴こえる・・・これはあの・・・・

「六甲颪」ではないか!

「ふどう」は神戸第5管区に所属する巡視艇、ということで、
全員が熱心なタイガースファンだということです。

タイガースファンでないと「ふどう」に乗れないのか、それとも
「ふどう」に乗るからタイガースファンになるのか。

それは彼らだけが知っています。

無駄にかっこよかった舳先の旗振りさん。

「おきなみ」は旧海軍駆逐艦「沖波」しか知りませんでしたが、
ちゃんと海保の船になっていたんですね。

第6管区、岡山県は水島の所属です。

「晴れの国岡山」を宣伝しております。

岡山といえば桃太郎、おそらく右側の着ぐるみは桃太郎だと思うのですが、
ピンクの髪の女子は一体だれ・・・?

頭にツノって・・あんた鬼だったんか〜〜い!

桃太郎、いつの間に宿敵鬼娘とこんなことに・・。
いや、それより犬は?猿は?キジは・・・・?

続いて東京都警視庁の巡視船「あおみ」。

すごくゆる〜い感じで警視庁の方達が帽振れしてます。

自衛隊とも海保とも違う佇まいは、やはりポリスマンというか刑事さんな感じ。
みなさん、海に落っこちないようにしっかり片手でバーを掴み、
腰から安全綱を後ろに結んでのご挨拶です。

よく見ると窓からピーポくんが手を振っておられる。
スーパーピーポくんに変身したら外に出られたんじゃないかな。

おまけ*警視庁公式動画より スーパーピーポくん

こちらは神奈川県警巡視艇「しょうなん」。

東京税関の巡視艇「あさひ」。

税関のイメージキャラクターカスタム君は、まん丸で見るからに
転落の危険がありそうな体型にも関わらず、こうして体を張って
外で手を振っているというのに、ピーポくんときたら・・・・。

宮古島第11管区巡視船「ともり」。
いつも尖閣諸島の巡視を行なっているのが第11管区。
南方の守りをいつもありがとうございます。

宮古島と伊良部島を結ぶ「伊良部大橋」の宣伝をしていますね。
今改めて地図を見たのですが、宮古島って、沖縄より向こうにあって
日本の本土より台湾の方が近いかも、という島じゃないですか。

まだ今年の2月末に就役したばかりの新しい巡視艇の上で職員が踊っているのは
宮古島の「クイチャー踊り」というものだと思われます。

そして、複合艇の上にいる人物、予告編でも気になっていたと思われますが・・・、

もしかしたらこの職員さん、
まぶたに目を描いてずっと目を閉じてますか?


ところで、宮古島まもるくんとは?


【宮古島まもる君】

宮古島まもる君は、沖縄県の宮古島警察署管内にあたる
宮古列島の道路などに設置されている警察官型人形の愛称である。
宮古まもる君(みやこまもるくん)と呼ばれることもある。
2016年現在19基が設置されており、全員が兄弟という設定である。(wiki)

ちなみに19兄弟の名前は

「すすむ君」「いさお君」「たかや君」「こうじ君」「りょうぞう君」
「まさお君」「かずき君」「たくま君」「ひとし君」「あつし君」
「きよし君」「いずる君」「まさかつ君」「てつや君」「まもる君」
「じゅんき君」「としお君」「いたる君」「つよし君」

まもる君って、長男じゃなかったんだ(ショック)

 

さらに余談ですが、まもる君とその兄弟は名誉の負傷により昇進しています。

2016年2月2日、某所交差点で乗用車同士の衝突事故が起きた際、
運悪く同所立番中だったまもる君が事故に巻き込まれました。

この事故で車にはねられたまもる君は重傷を負いましたが、
入院中、市長が黒糖持参で見舞いに訪れ、激励を行なっています。

さらに全快後、復職を果たしたまもる君に対し、日頃の立番勤務による
交通安全への貢献を高く評価されていることを考慮し、まもる君のみならず
19兄弟全員が、警視待遇巡査長から警視待遇巡査部長に昇任するという
特別措置が取られたのでした。

( ;∀;) イイハナシダナー


 


続く。

観閲式終わる〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

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前回「宮古島まもる君」の紹介で力尽きてしまった海保観閲式のフェアウェル、
気を取り直して続きと参りましょう。

やはり石垣第11管区の「ざんぱ」です。

「ざんぱ」の所属する部隊は尖閣警備専従部隊として
日夜最前線での警備警戒を続けています。

甲板では三線(さんしん)の演奏をしている人が二人、
あとはそれに合わせてエイサーを踊っていると思われます。

船尾で櫂を操ってる人がいますが・・・・何だろう。
沖縄古武道の演舞か、それとも「久松五勇士」の関係?

巡視船の船尾はいかに海面と近いか、この写真はよくわかります。
もしかしたら楕円形のスリットから甲板には海水が入りまくりかもしれません。

徳島第五管区の巡視艇「びざん 」。

そして徳島、とくればこれしかないでしょう。
職員総出での阿波踊り。

お揃いの浴衣を揃えてあるところが、彼らの本気度を表します。
例年海保のチームは実際の阿波踊りに参加しているのに違いありません。

フェアウェル最後は同じ第五管区でも高知から「とさ」。

高知の踊りといえば・・・当然「よさこい」ですね!
どんな踊りか全く知りませんが。

そして、甲板に見たことのあるあのお方が・・・・。

 りょ、龍馬さまあ〜〜!   だと一目でわかってしまうわけですが、ちょっとそのカツラは違くない?
龍馬は確かにロン毛だけど、こんなおばちゃんパーマじゃなかったぞ。   なぜかダイバーが横で腕を組んで睨みを利かせていますが、 この人も龍馬さまが海に転落しないように警戒しているのかしら。     ちなみに、バナーの「高知屋」は高知県のアンテナショップで、
東京にありながら高知県の産物が手に入るスーパーマーケットだとか。   海上保安庁、ご当地名産を案内するという役目も仰せつかってるんですね。      

そして、海保観閲式のフィナーレ、「フェアウェル」には、海自から唯一参加した
護衛艦「はたかぜ」もその姿を見せてくれました。

海保以外で唯一高速機動連携訓練に参加した「はたかぜ」です。


ところでみなさん、いきなりですが海保、海自の人たちは互いのことを
どう思ってるのか、そんなことを考えたことはありませんか?

もちろん、昔と違い、今は日本の国防という一点で互いに緊密に連携、
協力し合っているのだと我々国民は思いたいですが、実のところ
組織同士という点では、特に上のレベルでやはり色々と軋轢があるものらしい。

それは主に海自が防衛組織(ただし軍ではない)であり、海保が警察組織であることに
起因するものだそうで、具体的に何たるかは外部からは窺い知るよしもありませんが、
ただ一つ確かなのは、この齟齬の根本理由を辿って行くと、そこには自衛隊を
「軍隊ではない防衛組織」と定義付けている所の現行憲法に行き着くのだ、
と、わたしは中の人から聞き及びました。

まあしかし、そのようなことは両組織にとってあくまでも政治的な案件であり、
ほとんどの海自・海保の隊員職員の皆さんのあずかり知らぬことだと思われます。

自衛隊内部でも陸海空で色々ある(らしい)のですから、別組織で、しかも
任務に重なる部分も多い海自と海保ではそれなりに問題もありましょう。

と言い出しておいて無難にこの話題を収めてしまう小心なわたし(笑)

さて、この日も海自&海保の友好をアピールすべく、「はたかぜ」艦上では
フェアウェルを盛り上げるために、「制服ファッションショー」を見せてくれました。

まず、左から幹部、海曹、海士の常装第1種冬服。

海曹と海士の第1種夏服、それから第3種夏服。

ピクルス王子とパセリ嬢はどちらも階級は三尉です。
それから海上迷彩の作業服ですが、一般人でも買えます(笑)

この間某航空基地に行ったら、全員がこれを着ていてビビりました。
ブルーの作業服で震災の対応を行うと、一般人への認知度が低いため
自衛隊と思ってもらえず苦労するから、とそこの人は言ってました。

ちなみに、この海自迷彩、よくよく見ると錨のマークが隠れています。
どこかの基地公開で海自迷彩の人に出会ったら見せてもらってください。

ここからは特殊任務の制服。
一番左は、幹部が着ている作業服だと思いますが、もしかしたら
警衛の人かもしれません。
二人防火服が続き、最後にはダイバーがいます。

フェアウェルの列の向こう側でやたら張り切って水を撒いている「はまぐも」。
先ほどタンカーの消火を行うという設定の訓練で、
実際に放水できなかったストレスを発散すべく・・・

こちら「ひりゆう」もノズルを全てぐるんぐるん動かしながらの派手な放水です。
背景にはスカイツリーが見えます。

もし本日一番印象を残した船「シップ・オブ・ザ・デイ」を一つ挙げるなら、
それはこの消防船「ひりゆう」ではないかとわたしは思いました。

沿岸警備隊の「アレックス・ヘイリー」はフェアウェルを行いませんでした。

さて、フェアウェルが終われば、解散し、各港に舳先を向けます。
「やしま」「そうや」「だいせん」はいずれも晴海出航組なので、
われわれの「いず」だけが彼らと別れて取舵です。


横浜港を出港してから東京湾の行動海域で観閲船隊と合流するまで、
ピタリと後ろをついて護衛を行っていた「のげかぜ」くんが、
船隊を離れた途端、影のように寄り添ってきました。

往路航海中、船内で後ろを警備している「のげかぜ」について、

「皆様の安全のために警備を行なっておりますので、ご安心下さい」

と紹介されていました。
海自の艦だと転落者などが出た時に救助するために同乗している
ダイバー(海保では海猿)もこちらに乗っていたに違いありません。

わたしは船尾後ろ向きのデッキにずっといて、その姿を見ていましたが、
このナイトが「いず」の後ろを付いてくる様子を例によって擬人化し、
そのひたむきさに勝手に萌えておりました。

観閲船「やしま」の左舷サイドを今日初めて見ます。
船上の人たちは今だに皆右舷側を向いてそちらに集中しているようですが、
我が「いず」でも、観閲と訓練展示の時には皆が右舷に集中し、
船が傾くので気をつけて下さい、とアナウンスされました。

これは如何ともし難いので、もしかしたら手の空いた乗員は、
できるだけ左舷側に行かされていたのかもしれません。

 

同じく「そうや」の左舷。

わたしが当初乗るはずだった「だいせん」。
「だいせん」は舞鶴の船だそうですが、今(6月17日)調べたら、
観閲式が済んだ翌日の5月21日に晴海を出港してから、
関門海峡を回って舞鶴まで帰る途中で、現在位置鳥取県沖でした。

途中で海保基地に寄港することもあったのでしょうが、
舞鶴まで帰るのに一ヶ月もかかるものなんですね。

晴海に向かう3隻との距離はあっという間に離れていきます。

「アレックス・ヘイリー」は横須賀に向かっているらしく、
われわれと舳先は同じ方向に向けています。
しかし、すぐにその姿は見えなくなりました。

最後の挨拶のつもりか、全速力で飛んできて追い抜いていった「ともり」。
これからこの小さな体で宮古島まで帰るんですね。

巡視艇の舳先が切り裂く波飛沫の作る形の芸術的なこと。

皆さん、尖閣の守りをどうぞよろしくお願いします。



続く。

 

帰港〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

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本項制作時、大阪を震源とする地震がおきました。

被害については報道されているのでここでは重複を避けるとして、
陸海空自衛隊の出動部隊についてメモ程度ですがここに記しておきます。

 

陸上自衛隊第36普通科連隊(伊丹駐屯地)

海上自衛隊舞鶴地方総監部第24航空隊 

海上自衛隊第24航空隊(小松島)

海上自衛隊徳島教育群

海上自衛隊阪神基地隊

航空自衛隊第6航空団救難隊(小松)

各地方協力本部

 

各部隊は震災直後から出動要請を受け、災害派遣活動、
給水支援などを各地で行なっているということです。

海上保安庁も発災直後から第五管区の船艇が出動し、
沿岸部の被害について情報収拾を行ないました。

皆様、どうかよろしくお願いいたします。

 

さて、海保観閲式は無事に終わり、「いず」はアクアラインの換気塔である
「風の塔」のところまで帰ってきました。

アクアライン上空は、羽田空港のアプローチラインと重なります。

大型船の通行を妨げるからのみならず、このことが陸橋ではなく
海中に車専用道路を通すアクアライン建造の理由となったわけです。

航行中、航空機がほぼ途切れることなく現れては空港に吸い込まれていきます。

CL「にじかぜ」の乗員が手を振ってくれています。

テロ制圧訓練の時、「いず」「やしま」の前で「はまかぜ」が海賊船となって
展示を行いましたが、その時、はるか向こうの方、
「そうや」「だいせん」の前で、別働隊が同じ展示を行なっていました。

4隻の観閲船が一箇所でのあの訓練展示を見るのは不可能ですから、
二箇所で展示は行われ、「にじかぜ」は「そうや」「だいせん」の前で
海賊船役を努めたのだと思われます。

横を航行していた消防局の「よこはま」が、放水してお別れしてくれました。

 緑の水を出し切ってから帰ろうとしているのか(?)
川崎市消防局の第6川崎丸も、お別れの放水!

帰路出会った船も紹介しておきます。

シンガポール船籍のオイルタンカー「チャンピオンプリンセス」。
今調べたらシンガポールにいました。

扇島の製鉄工場向かいから巡視艇が近づいてきました。

第3管区川崎所属の巡視艇「たまかぜ」。

本日の行事に参加した巡視艇ではないので、おそらくこれは
通常任務遂行中であろうと思われます。

「はまぐも」も今日は放水展示で活躍しました。
最後の水を出し切り、満足して(たぶん)横浜に戻っていきます。

コンテナ貨物船「紫隆丸」。

シェイプが実にモダンです。
船名が漢字なので中華圏の船籍かなと思ったらやはり香港の船でした。

コイル状鋼板を積荷にしているそうです。

広島の貨物船「新生丸」。
船橋にはJFEのマークがあり、JFE物流株式会社の鋼材船として、
日本国内での鋼材輸送を行なっています。

そろそろ横浜港が近づいてきました。
入港を支援するタグボート「にしき丸」がいつの間にか併走しています。

ベイブリッジの下まで帰ってきました。

このスカイラウンジ(というのかどうか知りませんが)、
見れば見るほどすごいところにありますね。

船好きなら、ここからなら行き交う船を見ながら一日過ごせそうです。
営業している時には知らなかったので行かずじまいでしたが、
再オープンされたら行ってみようと思いました。


ところで皆さん、先ほどから写真がかなりまともになったと思いません?

これはですね。
風の塔を過ぎたあたりから、急激に空が晴れてきたのです。

横浜入港の頃には写真を撮るには絶好の光量となっており、

「せめてあと2時間早かったら・・・」

と悔しく思いました。
素人はいくら良いカメラを持っていても所詮晴れていてナンボ、なのです。

「にしき」さんがお仕事するために接近してきました。

押す仕事ではなく、舫をつないで文字通りの「タグ」を行なっています。

「あきつしま」も入港してきました。

早い時間に受閲を行なってから今までどこで何をしていたのでしょうか。

消防訓練で出演した消防艇「よこはま」も、これがベストショットです。

そして「ひりゆう」さんが堂々の入港です。
(なぜかいつも”さん”付けしてしまう)

それから相当の時間を経て(タグが仕事を始めてから30分後)、
下船が始まりました。

船体に備え付けになったままの舷梯を伸ばし、地上の台の上に設置。

自衛隊のように下にネットまでは張っていませんが、海保の船は
大型船でも舷側から岸壁までの距離が比較的近く、
舷梯も図のような方式で一般人にもそう危険なく降りることができます。

下では海保の方々が敬礼で見送ってくれます。

この日海保の職員さんを見ていて思ったのが、容儀規制に関しては
もしかしたら海自よりかなり緩いんではないだろうかということ。

この写真にもいますが、年配男性でも襟足にかぶるくらいの髪の長さだったり、
手前の若い職員さんのなど、まるでロックバンドのリーダーのような、
サイド刈り上げ後ろロングの斬新な髪型です。

こういうのもつまり「軍隊ではない組織」の柔らかめなところなのでしょう。

(まあそれをいうなら自衛隊も『軍隊ではない』ですがそれはさておき)

この日朝から一日お世話になった「いず」の船首をあらためて見ると、
錨の設置位置からして自衛艦とは違うのに気がつきます。

組織が違うと用途も目的も違い、したがって文化そのものも変わってくる、
ということを目で見て納得した1日といえるかもしれません。

向こうの岸壁にはPM36「おきつ」が入港していました。

このMはミディアム、つまり中型巡視船を意味します。
本日の訓練には参加していない船ですが、横浜の船ではなく、
同じ第3管区の清水から来ていました。

下船してから岸壁でこの日チケットをくださったNさんを見つけ、
(最初にはぐれて以来、初めて会うことができた)
ご挨拶をし、外に向かって歩き出す頃には「ひりゆう」、
「ひりゆう」の外側に「よど」がつけていました。

この写真を見て気がついたのですが、海保の船名は、右舷であっても
左から読むように表記してあるので、「よど」も決して「どよ」とならず、

「ターャジス」現象(具体的な例を挙げてすみません)

によりイラっとさせられずにすみます(´・ω・`)

横浜防災所を出てから、赤レンガ倉庫までやってきました。

実はこの日チケットをなくし急遽乗り込んだ「いず」で、ばったりと
知り合いに会ってしまい、これも運命かと盛り上がって、その知り合い、
知り合いの同行者と三人で中華街に夕ご飯を食べに行くことにしたのです。

疲れていたし三人でタクシーに乗っても良かったんですが、
誰いうともなく、バスにも乗らず、中華街まで歩き通しました。

あー、とても横浜らしい素敵な洋風の建物があるー(やる気なし)

知る人ぞ知る神奈川地本は中華街のほとんど中にあります。
その近くで見つけた「横浜最初の下水道管(輪切り)」。


総煉瓦造りですが、それでいびつながら円筒を作ってしまうというこの技術。

外国人居留地だったこの辺りでは、1869年(明治2年)から
下水のための陶管の埋設がはじめられ、1879年(明治12年)には
すでに居留地内には下水道が備わっていたということです。

最初は英国人土木技師が設計し、これが日本で初めての近代的下水道となりました。

その後、日本人の設計により、明治20年までに下水道の改造工事が実施され、
レンガ管の下水道が整備されました。

このレンガ管は1981年(昭和56年)近隣の山下町で発掘されたもので、
断面が卵形をしているので「卵形管」と呼ばれます。

この卵型管、今でも横浜中華街の南門通りでは現役で使用されているのだとか。

その中華街南門近くの中華寺には、ポケモンGO信者が集結してました。
この人だかりがポケモンGOであることは、たむろしている人たちの年齢層が
まちまちで、老若男女を問わないことですぐにわかります。

疲れていたのでその近くにあった小さな台湾料理の店に入って行くと、
お客はわたしたちだけ、土曜の夕方なのに最後まで誰も来ませんでした。

「いず」船内では業者が格納庫で売店を出しており、わたしは昼の休憩時に
お弁当を買って食べていたのですが、この時間には流石に空腹です。

台湾風と称する冷麺のようなものを取り、そのあとは三人で元町に行って
上島珈琲店でひとしきりおしゃべりをしてから帰りました。


「海保の出入港作業は(海自に比べて)あまりに遅い」

という感想を聞いたのもこのときです。


ともあれ、わたしにとって初めての海保体験は終わりました。

これまでご縁がなくてほとんどその概要すら漠としていた海保という組織に
これで少し理解の足がかりができたという気がしています。

海自との文化の違いや、その独自の空気などを垣間知地連だけでなく、
特に沿岸警備の最前線のために何が行われているかを目の当たりにしました。


次の日観閲式で安倍首相は、

「海上保安庁なくして海洋立国の将来はない。
これまで以上に多くの重要な使命を果たしていくことを期待している」

と当たり前のことを述べたそうですが、ここは挨拶の内容より
麻生氏以来、首相が海保の観閲を行なったのが実に6年ぶりだった、
ということに注目するべきでしょう。

この6年の間、特に民主党政権が海保に対して「何をしたか」を考えると、
その意味は非常に深い、とわたしは、尖閣のために配備された新鋭巡視艇が
訓練で見せた目の覚めるような駆動を思い出しながら考えていました。


 

海保観閲式シリーズ 終わり

 

 

ウミネコの蕪島と種差海岸〜青森・八戸訪問

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いろんな行事が相次いで、それについてお話しすることを敢えて優先したため、
ずいぶん昔のことになってしまいましたが、一泊二日の泊りがけで
秋田県八戸市を訪問したときの話をしようと思います。

この旅の目的は、八戸にある海上自衛隊基地への表敬訪問です。

まだ山麓には雪がうっすらと残っていますが、実は連休の後です。

秋田県には、もう遥か昔、息子が生まれる前にTOと旅行に来たきりです。
小岩井農場、十和田湖、温泉宿という王道の観光コースでした。

前回来た時には、そもそも東北新幹線も全通しておらず、
確か盛岡まで新幹線で来て、レンタカーで周遊したものです。

小さな車でうっかり八甲田山中にドライブに入ってしまい、霧が出て
思いっきり怖い思いをしました。

後からなんども

「夏車で走ってあんな恐ろしいところをよく雪中行軍なんかするよね」

と思い出しては身震いしたものです。
しかし今でも遭難した旧陸軍青森歩兵第5連隊と同じ名前を持つ
陸上自衛隊第5普通科連隊は、慰霊と訓練を兼ねて
雪中行軍ならぬスキー演習を八甲田山で行なっているそうです。

そのときの旅行でもう一つ印象深かった景色を、この初めて来る新幹線の駅
八戸駅(新八戸でないことに注意)に降り立って思い出しました。

「種差海岸・・・・・行きましたねえ」

「地震で被害があったって聞いたけど元どおりみたいね」

看板の下には種差海岸の前に「三陸復興国立公園」とあります。


わたしたちが八戸駅に降り立ったのは、基地訪問予定日の前日でした。

基地訪問に先立ち、八戸のポイント観光に連れて行ってくださるという
ありがたいお申し出をいただいたので、一日前乗りしたというわけです。

最初に連れて行っていただいたのは八戸駅から車で少し行ったところにある
食のアミューズメント施設、「八食市場」。

八戸観光に来た人たちが必ず訪れるという大きな市場です。
ずらりと並ぶ八戸ならではの海産物に圧倒されます。

ホヤは日本ではここ三陸地方でしか採れないらしいのですが、
また鮮度が落ちるのが早いので、ここ以外で店頭に並ぶことはありませんし、
またホッキ貝も北海道と青森でしか味わうことのできない海の幸です。

買ったばかりの食材を、七輪を借りて焼いて食べるコーナー。
これはいいですね。
今度来たらホタテやアワビを買ってやってみたい。

世の中にはカニというと目の色を変える人もいますが、
わたしは特に甲殻類には興味がないので、(というか食べるの面倒臭い)
毛ガニの値段を見ても実のところ高いのか安いのか判断できないのですが、
大きな毛ガニが1パイ6,000円・・これって安いですか?

そうそう、昔旅行で来た時にも旅館でいちご煮が出たんだった。

「どうしてイチゴ煮っていうんでしたっけ」

「なんだったですかね」

「前にも聞いて納得した覚えがあるけど忘れちゃった」

ウニとアワビの汁物のことで、イチゴに似てるからイチゴ煮。
案内してくれた方二人のうち一人は単身赴任なので、
缶詰で買ってよく食べるということでしたが、もう一人は

「わたしはイチゴ煮はあんまり・・・」

ちなみにお二方とも地元の生まれではありません。

「わざわざ一緒に食べるものでもないという気がします」

確かにウニもアワビも贅沢で、力技的料理で客人向けではありますが、
一緒に食べて単体より美味いのかというと、そうでもないかも・・・。

ここで、ムラサキウニを食べてみることにしました。

購入すると、トレイに半分に割ったウニの殻と、わさび、
醤油と小さなスプーンを付けてくれます。

通路のところどころに設置されたテーブルに座っていただきます。
もしもしTOさん、お醤油こぼしてますよ〜。

それにしても、このウニ、信じられないくらい美味でした。
大げさなようですがこの人生で一番美味しかったかもしれません。

殻付きの牡蠣が300円!

これはぜひ生をツルッとやってみたい。
わたしは生牡蠣が大好物なのですが、過去何度かあたったことがあり、
産地と新鮮さが保証されないと怖くて手が出せないのです。

でもここならきっと・・・。

市場の中にはお酒のコーナーもありました。
純米酒「どんべり」という名前にウケたので。

地酒を100円で試飲できる自動販売機がありました。
昔は無料で試飲も行なっていたのでしょうが、物が物だけに
試飲と称してちゃっかりしっかり飲んでしまう酒飲みさんが多く、
苦肉の策として試飲を有料にせざるを得なかったのでしょう。

ちなみに、案内してくださった方のオススメは「八仙」だそうです。

さて、八食センターの後は、蕪島というところに連れて来てもらいました。
蕪島には神社があり、この蕪嶋神社そのものがウミネコの繁殖地でもあります。

昔はこの蕪島部分だけが本当に島だったそうなのですが、
埋め立てて地続きにしてしまい、現在に至ります。

これが1922年ごろの蕪島。

1942年、内務省と海軍省に委託されて海軍が工事を行い、
蕪島自体を地続きにしてしまったというのです。

うーん、海軍がなぜこんな工事を?

横須賀の軍港は水路を掘って島を作ってしまうし、
追浜や呉は埋め立てて海を陸にしてしまうし、古来帝国海軍、
いろんなところの地形をドラスティックに変えた前科があるのだけど、
そのいずれにも防衛上の何かしらの理由があったはず。

横須賀も呉もその理由はよくわかるんですが、それでは蕪島はなぜ?

噂によると、神社の裏手の海に面した風穴に、

船艇の発着所があった

大砲など武器を備えていた

防空壕があった

ということですが、戦後、いち早く風穴は埋め立てられてしまい、
そこに何があったかは今でも謎になっています。

っていうか、調べればこんなのすぐわかるんじゃないの〜?

神社は修復工事中。
2015年11月5日未明の火事で神殿が焼失したので、現在は再建中です。

「原因はなんだったんですか」

「漏電ではないかと言われています」

八戸基地の自衛官の皆さんは、定期的にここの清掃をボランティアで行い、
自衛隊としても参拝をすることもあるそうです。

三陸海岸はウミネコの産地として国の天然記念物に指定されている場所が
何箇所かありますが、蕪島もその一つ。

後ろの岩がところどころ白いのは、ウミネコの糞です。

ここを歩く時に空爆を受ける可能性があるので、案内所の入り口には
ビニール傘が備え付けてありましたが、その時はその時、と思い、
手に取りませんでした。

もし命中していたら着替えもないのにどうするつもりだったんだろう、わたし。

ちなみに、この近くではウミネコの爆弾を再現した、

八戸うみねこバクダン

なるお菓子を土産物として売っており、TOがお土産に買っておりましたが、
職場の女子は

「ちょっとリアルすぎるかも」

と引き気味だったそうです。

止まれそうなところには全てウミネコが占領しているのが蕪島。

柵の向こう側の斜面はもっとたくさんいたはずです。

それにしても、カモメと似ているなあ。

5月の蕪島はウミネコと菜の花の絵になる取り合わせが見られます。

向こうから巣に使う材料を咥えたウミネコがやって来ました。

右脚に鑑識用のリングをはめています。

そういえば、メリメの「カルメン」原作では、カルメンは黄色い花
(フサアカシヤ)を咥えて踊る、という表現が出てきましたっけ。

こちらでは小さなウミネコ(右)が大きなのに向かって
文字通りニャーニャー鳴いて何かを訴えていました。

「・・・・可愛いですね」

案内の方がついつぶやいていましたが、子供のウミネコの声は
確かにとても可愛い。

「我輩は海猫である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
何でも標高17m、面積1.8ha、周囲800mの島(あとで知ったが世間では蕪島と言うらしい)
でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している」

というパロディがあるとかないとか。

ちなみにウミネコは一夫一婦制で、死ぬまで添い遂げるそうです。

ウミネコとカモメの違いを図解で説明していたので上げておきます。

くわ〜〜〜っ!

って、実はウミネコってとっても凶暴な鳥相なのね。
とにかく識別のポイントは目の周りの隈取りと嘴の赤です。

しかしこれだけ似ていて決してお互いが交わらないというのが不思議。

蕪島から後ろにある港の情景。
このおどろおどろしい佇まいの建物は、震災に耐えたわけですね。

この付近が津波に襲われる様子がちょうどyoutubeで見つかりました。

 

蕪島の鳥居のところまで水が来ているのが写っています。

震災当時の蕪島付近。
当時の観光案内所は流され、今のは再建されたものです。

この震災の時、高台にある八戸基地には人々が次々と避難してきて、
海自は同所にある陸自とともに震災対応を行いました。

これだけの津波に遭いながら、八戸の死者、行方不明者はともに1名でした。

白いウミネコの中を飛び回って大変目立っていたカラス。

わたしはこれを見ていて、参加したばかりの練習艦隊のレセプションで、
周りからほんのり遠巻きにされていた代議士HSK先生のことを思い出してしまい、
案内の方についその話を(ネタとして)してしまいました。

軽率だったとは思いますが反省はしていません。

次に連れて行っていただいたのが・・・なんと!
わたしたちが19年前に訪れた種差海岸でした。

海沿いにありながら青々とした芝のなだらかな坂が続く不思議な海岸。
いつまでも強い印象を残す特別な場所として記憶されていただけに感激もひとしおです。

そこに立つだけで浩然の気が養われ、心が洗われずにいられない、
自然の作り出したそんな場所があります。

種差海岸はその一つであるとわたしは思ってきましたが、
ここに設置された説明板で見た司馬遼太郎先生のお言葉は、
それを裏付けるもので、まさに我が意を得たりの感がありました。

曰く。

「むしろどこかの天体から人が来て
地球の美しさを教えてやらなければならない羽目になったとき、
一番にこの種差海岸に案内してやろうとおもったりした」

種差海岸は現在蕪島も含め「三陸復興公園」と呼ばれています。

さて、その後駅前のホテルにチェックインし、夜になってから
もう一度集合し、夕食を皆さんとご一緒しました。

「八戸一お洒落なところにご案内します」

と聞いていましたが、こりゃ確かにお洒落だわ。(棒)
掘り炬燵があって、個室でその気になればカラオケもできるぞ。

ところで、このお土産やさんの伝票入れの横で見て気になっていた
「八戸せんべい汁」ってなんなのかしら。

「それではせんべい汁を注文しましょう!」

鍋に南部せんべいを割って入れるのがせんべい汁。

汁じゃないじゃん?せんべい鍋じゃん?と思いましたが、
汁にせんべいを入れる「せんべい汁」も現存しており、
せんべいを入れた鍋も「せんべい汁」と呼ぶんだそうです。
これ八戸の鍋業界では基本なんだとか。

国立大学理系卒補給出身の幹部氏がその責任としてせっせとよそってくれる
このせんべい鍋、普通に鍋として美味でしたが、時間が経つと
せんべいがふにゃふにゃになってちょっと麩のような感じになります。

イチゴ煮ではないけど、なぜここにせんべいを入れる?というのが正直な感想。

「どうせ恵方巻みたいに”仕掛け人”がいるような名物なんでしょ?」

心が汚れているわたしはそんな風に勘ぐってみたのですが、
なんとこのせんべい汁、天保の飢饉の時に生まれ(なんでだ)
200年にわたって食べ継がれている立派な郷土料理だそうです。

これも郷土料理、ざんぎです。

「そういえばざんぎの念にたえないとか言いますよね」

「言いません」

「どうみても唐揚げですがこれは」

「唐揚げと何が違うんでしょうねー」

そこにいる誰一人として地元出身者ではないのでラチがあきません。
例によってTOがその場で調べたところ、

「下味付けの際に醤油やショウガ、ニンニクなどで味付けたもの」

「それ普通に唐揚げでしょ」

「粉・卵などを合わせ高温の油で揚げて施したもの」

「だからそれ唐揚げだって」

「明確な区別がない場合も多いようである」

なんだ、結局唐揚げのことをこの辺りで「ざんぎ」と言ってるだけ?
どなたかざんぎの定義をご存知でしたら教えてください。

楽しい一夜が終わり、明けて翌日。

これが新幹線の八戸駅前である。本当に何もない。

しかし、八戸というところは何を食べても美味しいのには驚きです。
昨日のいわゆるチェーン店の居酒屋ですら出てくるものすべて美味しかったし。

この日ホテルの宿泊費(安かった)に込みだったサービスの朝食もこの通り。
朝から鮮度が命であるイカのお刺身だなんて、さすがは八戸、漁業の町です。

 

さて、今日はこれから、海上自衛隊八戸航空基地にご案内いただき、
基地内部を見学させていただくことになっています。
お昼には基地内で食事もいただけるとか。

この調子だと八戸基地で頂く食事は無茶苦茶美味しいに違いない!
と本末転倒な期待に胸を膨らませるわたしでした。

 

続く。

 

 


P3-Cオライオン見学〜海上自衛隊八戸航空基地

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というわけで、青森県は八戸市に初めて新幹線でやってきたわたしたち。
八戸観光の後、地元の食材を使った美味しい料理に舌鼓を打ち、明けて翌朝。

約束の時間に、お迎えの車を運転してきた自衛官が海自迷彩の戦闘服
(って言ってもいいですか)を着て別人になっていたのに目を見張りました。
確かに昨日と同じ人なんだけど雰囲気が・・・制服マジックって、すごい(笑)

坂を登っていくと、住宅街に忽然と現れる航空基地の看板。

建物の正面玄関を入ったところに、司令部幹部と海曹長の顔写真があります。

左上から時計回りに群司令、主席幕僚、基地隊司令、整備補給隊司令、航空隊司令。
ちなみにこの日のお昼ご飯はこの方達といただきました。

隊のマークの一番左は、当基地隊所属機P3-Cのコールサイン、
「ODIN」(オーディン、北欧神話の戦いの神)を図柄化したのもの。

ちなみにオーディンというのは、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」では
神々の長、「ヴォータン」として登場します。

それはそれは立派な応接室に通されました。
呉地方総監部を除くと、今まで訪問した自衛隊基地で一番立派かもしれません。

後ろの墨痕も鮮やかな書をなんと読むのかは聞きそびれました。
碧・・・・なんだろう。志?馬?穹?

応接室に飾ってあった写真。
日本全国の海上自衛隊航空基地のスコードロンマークをつけたP3-Cが
八戸に集合し、1機ずつ並んだ二度とない歴史的な瞬間なんだそうです。

尾翼のマークには手前から1から8までの番号が付されていますが、
奥の3機は番号なしです。

 

しばらくそこで待機してから、今にして思えば時間きっちりに
わたしたちは見学に出発しました。

まずは会議室で、八戸基地についてのビデオ(撮影録音禁止)を
を鑑賞し、基地の歴史に始まって任務などについてを把握した後、
実機を見学という段取りです。

格納庫までマイクロバスで移動するとそこには、見学のための
P3ーCオライオンがわたしたちを待ち構えていたのでした。

わたしたちが到着するなり案内の掲示板が引き出されました。
せっかくだから、これもちゃんと紹介させていただきましょう。

製造会社の「ロッキード社」を見て今更ですがあっと思いました。

もともと日本は次期対潜哨戒機を国産で、と計画していたのにも関わらず、
田中角栄がハワイに外遊した途端アメリカから購入することを急に決め、
選定されたのがこのP3-Cでしたよね。

「ロッキード事件」ではロッキード社が田中と児玉誉士夫に
トライスターの選定をさせるため多額の献金をしていたといわれましたが、
実はこのP3-Cもこの経緯を見れば相当怪しい経緯で選定されたということです。

当時の防衛庁長官は中曽根康弘でしたが、次期対潜哨戒機を
国産開発ではなく輸入することに決まったと知らされた時、
中曽根はあからさまにがっかりしていたと伝えられます。

結局アメリカから直接有償援助された機体は最初の3機だけで、
あとは川崎重工業でノックダウン生産されたものが配備されました。


機体は非常に完成度が高く、ベストセラーになるほど安定していますし、
導入そのものは結果的にしてよかったのではないでしょうか(小並感)

わたしたちはこの日、この機体の内部も見学させてもらいました。
P3-Cの中に入る者はすべからく身分を明らかにすべしということで、
前もって名簿に記載する氏名は提出してあります。

さらにカメラはもちろん、携帯電話も全て持ち込み不可なので、
カメラは預かってもらい、電話はトレイの上に置いて搭乗しました。

驚いたのが、一緒に乗り込んだ群司令も携帯を没収?されていたことです。

中は撮影できないのでせめてもと外側の写真だけは撮りまくりました。
前輪の脚を収納してあるハッチ。

操縦席の後ろにある窓はバブルウィンドウになっていて、
顔を出して機体の下を見ることができます。

確かここにはTACOと言われる戦術士の席があったはず。

操縦士以外の航法員などは機体に対して横に座り、ご覧のように
窓が少ないので外が見えず、そのため酔うこともあるといいますが、
仕事がないときにはクルーは寝ていてもいいそうです。

機内には簡単なキッチンもありお湯を沸かすことくらいはできます。

エンジンは4基、左から順番に番号がついているので
これは4番エンジン(とプロペラ)ということになります。

1番ならびに2番エンジンとプロペラ。

P3-Cは上空に上がったら燃料の節約のために「ロイター」と呼ばれる
省エネ操縦を行いますが、海上自衛隊の場合、その時には外側の
1番と4番を停止すると決まっているのだそうです。

その時にはもちろんプロペラも止まるんですよね?

4基のエンジンのちょうど真下の位置に垂れてきたオイルを
受けるためのトレイが置いてあります。

ところで、この日わたしは海自基地や装備、艦艇を
TOと一緒に案内してもらうと必ず起こる、ある現象を体験しました。

それはこういうことです。

見学の当初、エスコートしてくださる自衛官は、まず皆間違いなく、
わたしではなくTOに向かって説明を行います。

決してわたしが無視されているというのではないのですが、
見学者の主体、つまり本当に興味があるのはは夫婦ならば夫であり、
奥方というのは付いてきただけで飛行機や船などに興味はあまりない、
というのが一般的なパターンであるらしく、当然のことながら、
説明者はまず夫であるTOに向かって話しかける形になります。

ところが、見学が進むに従って、夫の反応がほとんどないと言っていいほど
希薄なのに対し、女性であるわたしが喰いつかんばかりの熱心さなので、
次第に説明の方はあれ?という感じになってきます。

TOに言わせると

「興味がないわけではないのだが、あまりにも基礎的なことを
知らないので、疑問も湧いてこない」

ゆえにそのような反応になるそうですが。

そこで、わたしが妙にマニアックな質問をしたりします。

「この翼の先の黒い部分、どうして塗装してはいけないんですか」

写真でも見にくいですが、実際にもよくよく見なくてはわからない場所に、
「ノー・ペインティング」と書いてあるので聞いてみました。

「ここにセンサーが内蔵されているからです」

今回もこの質問あたりから潮目が変わったような気がします(笑)
つまり、解説をわたしに向かってもしてくれるようになったのです。

ソノブイを投下する投下孔。
この投下孔に手動で装着するそうで、ソノブイ本体はそんなに重くはないそうです。

機内の見学では、ソノブイの殻や、内部から投下する装置も見せてもらいました。

wikiに載ってるアメリカ軍の機体内部にあるソノブイラック。
値段は一本いくらかこの時にも聞いたけど、すっかり忘れました。
(回収できなくても勿体無い、というほどではなかった気がします)

やっぱり見学したらすぐにエントリ制作しないとダメですね。

コードが繋がっていますが、充電中だったかもしれません。

P3-Cを特徴付けているところのMADブーム、磁気探知装置です。
潜水艦が航行すると起こる地磁気の乱れを、これで探知するのです。

潜水艦の人がこれが空を飛んでいるのを見るだけでイヤーな気持ちになる、
というのは、こういうものとかああいうものとかを搭載しているからですね。

ところで、この潜水艦経験者のP3憎たらしいという証言、わたしはたまたま
何度か耳にする機会こそあったものの、P3の人から潜水艦をどう思っているのか
一度も聞いたことがないのですが、実際はどうなんでしょうか。

忌憚のないところをぜひ一度飛行機の方から伺ってみたいものです。

ここで、「ウェポン・ベイ」と呼ばれるハッチを開けるところを
実際に見せていただきました。

ウィーンと音を立ててドアが下に向かって開いていきます。
この中には魚雷を搭載する牽引装置が内蔵されているのです。

せっかく開けてもらったのに、下から見ることを思いつきませんでした。

ウェポン・ベイの下に入ってまず最初に赤いタグを下げています。

この赤いタグが下がっている小さなハッチには

「BOMB BAY DOOR SAFETY LOCK 」

とあり、ここを引き出して赤いタグが見えている限り、
人がいるのにドアが閉じてしまわないようになっているのです。

あー、これ、やっぱり下から見られるようにしてくれてたんだ・・。

ピトー管は機体の大きさの割に小さいですが、速度と高度が測定できればいいので無問題。

ヘリのピトー管は機首の両側、戦闘機は機首先端などにありますが、
P3-Cは機体下部両側に付いていたりします。

ウェポン・ベイ(注意書きによるとボム・ベイ)から突き出しているのは
「ブレードアンテナ」ちうやつだと思われます。

そういえば、ガンダムの「ツノ」ってあれ、ブレードアンテナなんですってね。
今調べていて初めて知った(笑)

ボム・ベイを開け閉めしてくれています。

格納庫の隅に、このようなコーナーがありました。

航空隊の安全実績を大きく貼り出し、その数字を心に刻むことで、
総員の任務に対する責任と自覚を一層深めるための試みです。

安全実績は一ヶ月ごとに書き換えられるらしく、この時には
5月1日現在の記録となっていますが、これによると

安全飛行時間 44万62130時間

地上安全日数6,255日

一般安全日数1323日

後者二つの定義を聞かなかったのが悔やまれますが、とにかく
案内くださった航空隊司令によると、当航空基地は

「開隊以来、飛行事故を一度も起こしていないのが誇りです」

飛行機のクルーはもちろんのこと、機体の整備や管制、基地整備、補給、
基地に関わる隊員全員がが自分の任務を確実に果たしてこその安全です。

 

 

 

私たちはこの後、基地内の各施設を説明を受けながら午前中一杯かけて
見学させていただきました。


続く。

空対艦ミサイル〜海上自衛隊八戸航空基地

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海上自衛隊八戸基地はP3-Cの航空基地です。

「八戸基地を見学してきました」

とパイロット出身の将官にご報告したところ、懐かしそうに、

「八戸はわたしがウィングマークを取った想い出の基地です」

 

格納庫で見学を終わった後、わたしたちは広大な基地内をマイクロバスで
順次見学して回ったのですが、その施設見学中、案内の方が

「彼は今パイロットの資格を取るためにここで修行してます」

すらりと長身で綺麗な面立ちをした隊員を指差して紹介しました。

P3-Cのパイロットになるには、高校卒業後適性試験を経て航空学生になり、
山口県下関市にある小月教育航空隊において基礎教育を受けたのち、
要員として機種を決定され、徳島の教育隊でTC-90を使った訓練を行います。

彼はここで現在P3-Cのコパイとして経験を(養成訓練)積んでいるわけです。

「おいくつですか」

「23です」

機長になれるのは早くて24からということですから、彼は後1年もすれば、
冒頭の海将のように、ここ八戸でウィングマークを取ることになるのでしょう。

「頑張ってください」

励ましの言葉をかけると、彼はにこりと微笑んで

「はい」

と頷きました。

一切写真は撮れませんでしたが、見学コースの中には、現在当基地を飛び立った
P3-Cがどこにいるのかモニターをしているデスクもありました。

「今どこにいるのか見せて頂いていいですか」

見ろとも言われていないのに好奇心からついモニターににじり寄るわたし(笑)

「ここです」

モニター員が指差したところは、ほぼ下北半島南側の海上でした。

東日本大震災が起こった平成23年3月11日にも、八戸航空基地からは
任務飛行のP3-Cが飛んでいましたが、発災から9分後の14:55、
当時の第2航空群司令は地上から発令し、その機体を直ちに
三陸沖に向かわせています。

震災の時の第二航空隊群の活動についてはこちら。

東日本大震災の活動

ここは正確には「八戸飛行場」が公称であり、海上自衛隊の飛行場ですが、
滑走路そのものは海自と滑走路を挟んで反対側にある陸上自衛隊八戸基地が
共同で運用しています。

1941年に陸軍の飛行場として開港し、戦後は進駐軍に摂取され、
1956年の撤退まで「キャンプ・ホーゲン(ハウゲン)」という名前になっていました。

日本に返還されてからは海自と陸自という現在の形になりましたが、
一時は三沢飛行場をアメリカ軍が(おそらくベトナム北爆の関係で)独占していたので、
追い出されていた空自と民間機がここから発着していた時期もあったそうです。

第二航空隊群の任務の一つに、「オホーツクの流氷観測」があります。
昭和35年に始まった流氷観測は、冬季における北海道周辺での船舶航行の
安全のために欠かせない任務で、気象庁からの依頼で行われています。

 

ところで冒頭画像は、格納庫でP3-Cを見学する前に撮った記念写真で、
左が第二航空隊群司令の海将補、右が第二航空隊司令一等海佐です。

この3月に着任した群司令の瀬戸海将補は、今回八戸の勤務は4度目。
右端の藤原一佐の現職である第二航空隊司令だった平成24年以来、
6年ぶりに八戸に帰ってきたということになります。

 

ちなみに海将補が二空司令だった時に、そのオホーツクの流氷観測に上がった
2機編成のP-3Cの編隊長(左席)として操縦する当時の産経新聞ニュース映像は、
youtubeで今でも見ることができます。

海上自衛隊P3C哨戒機 オホーツク海の流氷観測


この訪問時、わたしたちは、航空基地の司令官クラスの官舎前に停めた車で
司令をお待ちしたということがありました。

官舎は基地の一番外側、道路に面したところに位置しますが、敷地からは
直接基地の中に入っていける仕組み、つまり職住一体型で、何かあれば
夜中でも休みの日でも、次の瞬間現場に駆けつけることが可能です。

 

「起床時間より前に、P-3Cのエンジンを始動させる音で目が覚めるんです」

経験がないので想像でしかないのですが、あの独特の「キュイーン」という
金属音を含む響き、そしておそらくは航空燃料の匂いも漂ってくるのでしょう。

この言葉に、わたしはP-3C乗りの原点であり、故郷でもある
飛行基地に司令として帰ってきた自衛官の内心の高揚を見た気がしました。


さて、基地見学の続きと参りましょう。

格納庫には、まるで基地祭の時のように、魚雷などが解説付きで並んでいます。
この辺りで、わたしは、

「もしかしたら、わたしたち二人の見学のためにここまでしてくれているの?」

とむしろ不安になってきました(笑)

この日はただの表敬訪問というわけではなく、それなりにこちらも
一種の「仕事」を兼ねていたのですが、それにしてもたった二人のために、
格納庫のP-3Cも、内部見学のための動員もスケジューリングされている、
と考えると畏れ多さに身が縮む思いがしたものです。

 

この接遇に対して何か恩返しができるとすれば、それは・・・

ここで見たことを当ブログで少しでも多くの人たちに宣伝することだ!

そういう思いに至ったわたしは、わたしたちのために出してくれた説明の、
一枚の看板も無駄にせず、ブログネタにする気満々で写真を撮りまくりました。

一番左にあったのは、Mk46航空短魚雷だと思われます。


ご覧のように、艦艇からちゅどーん、P-3Cからフワフワ、
ヘリコプターからぼちゃんと落として、つまり潜水艦をやっつけます。

そもそも短魚雷そのものが対潜を目的に作られていますのでね。

この図ではP-3Cから投下された短魚雷はパラシュートを開いて海に落ち、
その後旋回して目標捜索を行い命中!となっていますが、
空中を自走する魚雷には(別バージョンかな)

「Blood hound」(血の猟犬)

という中二病好みのあだ名があると聞きました。
なるほどね。
血に飢えた猟犬のごとく、放たれた途端確実に相手を仕留めにかかる、
というわけだ。


ただ、これを落とされる潜水艦の方も、例えばアクティブ追尾に対しては
擬似気泡や高圧空気の放出(バブル)、パッシブ追尾に対しては、
雑音を発生させて音響的視野を撹乱したりして生存をはかります。

また潜水艦は、海中にダミーの航跡を作ったり、急加速、急旋回、
そして急潜航など、原初的な方法でも魚雷をかわすことが可能なので、
対潜魚雷は決して一撃必殺というわけではありません。

 


ところで潜水艦といえばここだけの話ですが、今回八戸基地への訪問に際し、
わたしたちは(あくまでもコンプライアンスに則ったものという前提で)
司令に軽い手土産をお持ちしようとしていました。

ある日、TOがわたしにこれなんかどうかな?と指し示した
ネットのページを見て、わたしはクラクラとめまいがしました。

「あのさあ・・・・」

「え、ダメかな?」

ダメもなにも、身に付けるものというアイテムだけでもアウトなのに、
どこの世界に潜水艦の形をしたネクタイピンのお土産をもらって
喜ぶP3C乗りがいると思っているのか。

TOの恐ろしいところは、冗談やウケ狙いでやっているのではなく、
心の底からそれが良かれと思っていたことです。

「海自の人だし、いいと思ったんだけど」

「ケンカ売ってると思われてもいいならどうぞ」

「(´・ω・`)」

結局無難に「消えモノ」になったことはいうまでもありません。 

これはこの下につけられていた説明によると「機雷」です。


名称が書いていないので調べたのですが、

67式150キロ対潜爆弾

ではないかと思われます。
爆弾でありながら、航空機で敷設する機雷にもなるということなんでしょうか。

真正面から撮ってみました。ハープーン・ミサイル。
Harpoonはマクドネル・ダグラス社の商品名で、捕鯨用の銛のことです。

空対艦のハープーンミサイルはAGM-84という型番です。

発射するときには大体の方向を入力すればその方向に向かって飛び、
最終的には自分でレーダーを作動させて目標艦船へと突入するという賢い奴です。

「亡国のイージス」では「うらかぜ」はこれで「いそかぜ」に撃沈されましたよね。
真田広之演じる先任伍長の仙石が、

「ハープーンかっ!」

と飛翔するミサイルを見て叫ぶシーンを覚えている方もおられるでしょうか。


これは説明要りませんね。
本体にでかでかと名前が書いてあります。

ASM-1C、91式空対艦誘導弾。

つまりここにある武器は、P3-Cが搭載し、攻撃に用いるものばかりです。
搭載については、先ほど開けて見せてもらったボム・ベイまたはウェポン・ベイではなく
翼の下のパイロンに牽引するようですね。

そもそもこの誘導弾は、P-3C専用に我が技研と三菱重工業が開発したもので、
誘導弾の翼の形など、全てオーダーメイドでぴったり合わせてあるとか。

ただし、自衛隊は、最初に空自のために作った

ASM-1 80式空対艦誘導弾

を基にして、陸海空の使用用途に合わせて少しずつ仕様を変えて運用しているので、
オーダーメイドというより「セミオーダー」「イージーオーダー」というべきかもしれませんが。

 

さて、P-3Cの搭載武器を見学したあと、わたしたちは
別の格納庫に連れていかれました。

格納庫の隅には関係者のロッカーが設置されています。

地面に荷物を置いておくと、カラスがやってきてやられてしまうそうです。
この敵ばかりには空対空戦を仕掛けるわけにもいきませんしね。

 

 

続く。

 

 

 

P-3Cエンジン部品換装作業を見る〜海上自衛隊八戸航空基地

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日本国自衛隊は、陸海空そのいずれもが航空機を持っています。

航空自衛隊はもちろん固定翼機、回転翼機のいずれもを、そして
陸自は陸上で展開するための回転翼機のみを所有しています。

これに対し回転翼機、飛行艇、そして固定翼機を保有するのが海自です。

飛行艇US-2は洋上着水して救難を行う固定翼機ですが、旧海軍時代の
二式大艇の流れを受け継ぐものなので、海自が運用するのはある意味当然でしょう。
回転翼機は艦(ふね)に乗せるのですから海自が所有するのが当たり前。

なぜ海自が運用しているのか素人にはわかりにくいのがP3-Cです。
もちろん、「対潜哨戒機」という本来の用途を知ればその意味は明白ですが、
近年海自では「対潜」の文字をを取って「哨戒機」としているとか何とか。

つまり、

「ASW:Anti Submarine Warfare aircraft 」

ではなく、

「MPA:Maritime patrol aircraft」

です。
これは決して反戦派への忖度などではなく、昔の潜水艦だけ相手にしてた頃に比べ、
高性能なレーダーや赤外線監視装置の導入で水上艦にも対応できるようになったこと、
洋上監視、捜索救難支援、軽貨物輸送、映像・電波情報収集、通信中継など、
任務の多目的化が進んだからだそうです。

 

八戸基地は海上自衛隊の基地でありながらポートはポートでも
エアポートなので、艦艇を持ちません。

「うちは、そのため気質的には空自に近いかもしれません」

この日訪問し、施設見学をした八戸基地で司令はこのように言いました。


海自と空自の気質の違いというのが具体的にはどんなものなのか、
わたしはここで説明できるほど内部に詳しくないのですが、
一般的に三自衛隊の傾向は

「用意周到 動脈硬化(頑迷固陋)」陸自

「伝統墨守 唯我独尊」海自

「勇猛果敢 支離滅裂」空自

とされており、このブログの読者の方々であれば、おそらく
海自についてはその所以について説明する必要もないでしょう。


旧陸軍を頑ななまでに否定して生まれたのが陸自、
航路啓開の任務をきっかけに旧海軍の組織とやり方を継承した海自。

陸海には旧軍に対する正反対の向き合い方があるわけですが、
そういったしがらみが全くなく、戦後ゼロからの出発となったのが
航空自衛隊です。

ただし、黎明期の空自には旧陸海軍の搭乗員が集まってきたため、
特に元士官同士で、それはそれは根の深い対立が起こりました。

ただでさえ戦時中反目し合っていたのが呉越同舟となったのですから、
その確執は想像に余りあります。

しかし、不幸中の幸いというのか、国内の旧軍飛行場は終戦後、全て
アメリカ軍はじめ連合軍に接収されていたこともあり、その流れで空自は
陸海どちらでもなく、アメリカ軍のやり方が主流になったと言えるかもしれません。

ただし、アメリカのエアフォースというのは戦後(47年)生まれ。
こちらは陸軍航空隊が主流になっていましたが、いかんせん歴史が浅く、
よく言えば因習にとらわれないリベラルな自由闊達さが、悪く言えば
言葉通り支離滅裂というかアナーキーな体質が醸成されたのでしょう。

かたや海自P-3C部隊のルーツをたどれば、航空偵察部隊の「彩雲」でしょうか。
しかし対潜哨戒機部隊となると、海軍には

東海(九州飛行機製作)

という幻の飛行機にその片鱗が見られるだけで、厳密な意味での
P-3C部隊のルーツは存在しないと言ってもいいのかもしれません。

つまり同じ海自でも水上艦と違い航空隊に「伝統墨守」は微妙に当てはまらないのです。


新生海上自衛隊の固定翼機部隊は、アメリカからの引退寸前の
お古飛行機をもらって運用することから始まりました。

最初に導入した対潜哨戒機は、「おおわし」と名付けられたアメリカのP2V-7で、
(現在鹿屋に機体が展示されて見ることができる)特筆すべきは、
この時最初の搭乗員となった海自隊員は、渡米して操縦訓練を行い、
向こうで機体を受け取ってきたということでしょう。

この時点で、海自固定翼部隊からは旧海軍のしがらみというのが
ほぼ払拭され体質的に生まれ変わった、とわたしは考えます。

つまり、群司令がおっしゃった「空自に近い空気」というのは、
単に「フネを扱わない」ということのみならず、アメリカの血
(しかもそのアメリカ空軍も新生で根無し草的体質だったりする)
を初期に導入したということにあるのではないかと洞察するものです。

その意味では、やはり最初の艦をアメリカで受け取ってきた潜水艦も、
例えば魚雷発射の時に「テー」ではなく「ファイアー」と号令するなど、
微妙に海軍とは別組織のかほりを身につけて今日に至るのではないか、
とわたしは思ったりしますが、そちらはあくまでも推測の域を出ません。



現群司令が前職だったとき、進水式や引き渡し式でお会いすると、

「私、飛行機なので、こういう式典って本当に珍しいんですよ」

と式典に出た地本の陸自隊員と全く同じことをおっしゃっていたのを思い出します。
司令の同期だという航空整備出身の海将補も、

「この配置(艦艇装備関係)になって生まれて初めて進水式を見た」

といっておられましたっけ。

ともあれ艦(ふな)乗りと飛行機乗りが存在する唯一の自衛隊が海自です。
そしてこれは素人にもわかりますが、両者は文化が違えば気質も違ってくるわけで、
もちろん彼我に対する基本的な知識の欠如といった問題も起こります。

そしてその話を裏付けるような、こんな笑い話?を司令ご自身から聞きました。

かつてトルコ駐在武官であったときのこと、おそらくですが、
艦艇の入港に関する連絡を電話で受けていたところ、相手が言った
「Pontoon」という単語がわからず、その意味を聞き返したのだそうです。

すると相手は大いに驚き、

「貴官ハ海軍士官ニアラザルヤ」

と(もちろん英語で)聞いてくるので、

「我航空士官ナリ」

と(もちろん英語で)答えたというお話。

 

 

さて、八戸航空基地見学に戻ります。

P-3Cの内部を見学し、操縦席に座らせてもらって、中の説明を受け、
搭載武器についても実物(ダミーかもしれませんが)を見せてもらい、
車で移動して別の格納庫にやって来ました。

そこには、翼のところに作業台を置いたP-3Cがいました。

「今からエンジンの部品交換をします。
部品を外して整備済みのものと交換する作業です」

脚立の上には合計三人の整備員が乗って折しも作業中。
これはもしかして、ものすごく貴重なシーンを見せてもらえるのでは・・・。

「しゃ、写真撮ってよろしいんでしょうか」

「大丈夫です」

そこで、大胆にも作業をしている台の真下まで近づいてみました。
3番エンジンです。

座っている二人が、ちょうど部品を外す作業を済ませ、取り外し中。
後ろの人は手を滑らせても部品が落下しないように牽引して支えているようです。

外した部品は右の人の脚の向こう側にあります。

左の人が外した部品を置く場所に手早く毛布を敷きました。
手前の人の体に遮られて見えませんが、二人で部品を毛布の上に移しています。

向こうの人の名札には「整備 検査」と書かれています。

そしてこちらには調整検査済み部品がスタンバイしています。
どこかで調整してから、台車でここまで運んで来た模様。

毛布に乗せた部品は、作業員二人を乗せたまま電動でウィーンと下げられました。
それを、同じ高さにあげられた台車の上に乗せて、こちらも電動で下に降ろします。

とにかく、手渡しで上から下に、という危険なことは絶対に行いません。

部品はこのような大きさなので、一人で持てないこともないと思うのですが、
黄色い木製の専用台の上に乗せて慎重の上にも慎重を期しています。

 

ところで、すごく基本的な疑問なのですが、
この部品って、なんなんでしょうか(爆)

そこで大胆にも外した後のエンジンマウントのなかをのぞいてみました。

毛布が敷いてある上の空間が、部品のあったところです。
前部は右側の中央にノズルのあるところにはめ、後部は
比較的太めの黒いチューブにつながるのだと思われます。

ということで、わからんなりにコンプレッサーでは?と推察してみました。

違ってたら大恥ですが、ここで恥をかくのはもう慣れっこなので平気です。
みなさん、ぜひ正解を教えていただきたく存じます。

わたしがエンジンルームの中を覗き込んでいる間に、無事
取り外した部品はこれから取り付けるもののところにたどり着きました。

奥が今取り外したもの、これから取り付ける部品は台の上です。

ところでですね。

わたしは、ちょうどわたしたちが車でここに到着したその時に、
換装作業が「ヤマ場」、つまりちょうど部品を外すところであったのが
あまりにもタイミングが良すぎる、と不審に思ったわけです。

こういうときの自衛隊がそれこそミリミリで物事を進めることを
今までの経験から知っていたので、もしかしたら、ここの整備の人たちが、
私たちの到着予定時間に合わせて準備をして、ちょうどここに来る時間に
ぴったり部品の取り外しを見せてくれたのでは?と考えました。

その後、高松での掃海隊殉職者追悼式に出席したわたしは、式前日の
「うらが」艦上でのレセプションで、固定翼操縦出身の呉地方総監に
このことを伺ってみました。

「あの作業って、わたしたちの到着に合わせて行われたんでしょうか」

「そうでしょうね」

「つまり、ちょうど外すところを見せるために?」

「そうです」

言下に肯定されて、またしても、

「わたしたち二人のために、そこまで・・・」

と恐縮するとともに、海上自衛隊おそるべし、と舌を巻きました。

このツールデスクにもびっくりさせられましたよ。

このデスクは蓋がそのまま天板になる仕組みで、特別に制作されたらしい、
ぴったり工具の形をした窪みにツールが整然と収まっています。

全ての工具が一覧でき、一つでも回収できていなければすぐにわかる仕組み。
作業が終わってデスクを片付けるときには、工具に不足がないか、
必ず点検を行うのだそうです。

「工具の置き忘れなどを防ぐための工夫です」

なるほど、あわてんぼうの外科医が患者のお腹に器具を置き忘れる如く、
エンジンルームの中に工具を置き忘れるというようなことがないようにですね。

また、航空機の場合、プロペラから異物を吸い込むことが重大なインシデントとなります。

コンコルドの事故のように、他の飛行機の破片をタイヤが踏んで破裂したことが
原因で墜落することだってあるので、アメリカ空母の甲板では、

「フォッド・ウォーク・ダウン」(FOD Walk Down)

といって、乗員が総出で端から端まで歩いて異物やゴミなどを拾う、
という作業がこの手の事故を避けるために行われたりしています。

Foreign Object Debris Walk-down On Supercarrier USS George H.W. Bush

小さなネジ一本もきっちり使用後は元に戻し、それを点検することで
この基地ではインシデントの原因を取り除いているのです。

デスクの下は棚になっていて、まず右端は先ほどの部品を
乗せて上げ下ろしするための木の台を収納する場所です。

作業で出たゴミは、可燃不燃、銅線、安全線に分別して
きっちりと缶に捨てることになっています。

これも格納庫内に異物を残さないための小さな工夫です。

 わたしたちが促されて次の見学のために歩き出したときには、
調整済みの部品を換装する作業に入っていました。

同じ格納庫の隅のショップでは、白い防護服を身につけた人たちが、
室内で行われている作業を外から見ている様子です。

彼らの作業姿と、室内が全てビニールで覆われているところを見ると、
中では塗装作業が行われていたものと思われます。

 

この写真に写っている柱に、安全標語があります。

「安全は心で流すな 鼻で守れ」

鼻で・・・いかにも現場ならではの経験から出たらしい言葉ですね。

 

続く。

 

 

 

 

航空警備隊 救難消防車〜海上自衛隊八戸航空隊

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さて、格納庫でP-3Cの機体と、エンジン部品換装の貴重な瞬間を
見せていただいた後は、航空隊基地に必須の消防施設です。

冒頭youtubeは、ここに装備されている消防車の放水の様子です。

この時に哨戒に出ている飛行機は2機だと思うのですが、
エプロンには見渡す限り2機しかP-3Cの姿はありません。

格納庫の中に2機いるのは確認しましたが、まさか全部で4機ってことはないでしょう。
2017年現在で、海自のP-3C保有機数は62機ということですが、
全国に航空基地は全部で六ヶ所にあるので、少なく見積もっても
10機くらいは保有しているはずですよね。

しかし、航空基地のページでも飛行機の保有数って明らかにしませんね。
何か軍事上の機密に属するんでしょうか。

海自の航空基地見学に訪れるのは下総2回を足すと3回目です。
下総でも、基地消防隊の消防車に乗せていただいたことがあります。

おお、消防車の下に一般人でも乗車できる脚台が用意されているぞ。

消防車の車庫に近づいていくと、最新型の救難消防車の横に、
消火活動の時に着る防炎服が立っていました。

隊員さんが消防服と寸分違わない立ち方をしているのは
偶然か、それとも、いつもこの消防服を着ているため、
消防服の「中の人」であることが常態化して、
ついつい普段からこのポーズを取らずにいられないのか。

この右側の消防服が、誰も入っていないのに(入ってませんよね)
どうしてこんな状態なのか、その理由はあとでわかりました。

消防車はこれも下総基地で見た

救難消防車 IB型  OSHKOSH

となります。
救難消防車、というのはイコール自衛隊所有のこのタイプであり、
航空事故に備えて空港に配備される化学消防車を意味します。

●水槽が大きい

●強力な放水の衝撃に耐えるため大型車

●広大な飛行場で速やかに展開する速力

●高い不整地走行能力

これらの条件を備えた車体で、これはアメリカのウィスコンシンに
本社がある「オシュコシュ」というメーカーのものを輸入しています。

オシュコシュ社について調べると、日本でこの「グローバルストライカー」
救難消防車を輸入しているのは陸自、としか書いていないのですが、
わたしは下総でも確かに同じタイプを見た記憶があります。

 

「オシュコシュ」というと、アメリカの子供服ブランドで、
向こうでは安いので息子によく買ったものだ、という話も確か
下総基地見学の後ここでした覚えがあるので、間違い無いでしょう。

 

車両の前面上部に放水ノズルがついています。

もちろん手で持ってホースから放水することもできます。

この隊員さんの制服は所属が「航空警備隊」となっています。
第二航空隊群の編成表を見ても「消防」という文字はありません。
八戸航空基地隊隷下の警備隊として消火部門を担当、という位置付けのようです。

ちなみに、この隊員さんが被っている八戸航空基地隊の隊帽は、
鍬形の立派な兜がモチーフです。

この後はグローバルストライカーの運転席に乗せてもらい、
気持ちの赴くままに放水をさせてもらいました。
(が、カメラを自分が持ったままだったので放水シーンはなしです)

この運転席に座って滑走路を見ると、ちょうど正面にポツンと
消防車が停まっているのが見えました。

滑走路にいつでも侵入できる場所で待機しているのです。

ところで、ふと疑問に思ったのですが、今この時、
消防車の中に誰か乗っているのでしょうか。

何か滑走路で事故が起こった時、人がもし乗っていなかったら、
人は建物から駆けつけることになり、ここに車を置いておく意味がありません。

ということは・・・やっぱり中に人が・・・。

例えばアメリカの空母では、「アラート」の状態になった時には、
カタパルトにつながった機体にはパイロットが乗り込んで、
コクピットの電源はいつもONにしたまま待機するそうです。

パイロットは1時間か2時間で交代するそうですが、アラートの間は
他の作業ができないので、そこでじっとしているしかありません。

カタパルト発進しないヘリコプターなどはいわゆるトラブルシューターという
係が機内でドアを閉め、こちらもじっとしています。

流石に寝るわけにはいかないので、横になって目を閉じるだけです。
これは人によっては「寝ている」と解釈される場合もあります。

 

何が言いたいかというと、もしこの滑走路で待機している消防車に
待機する人がいるなら、その人は飛行機のアプローチがあるまで、
「目を閉じてじっとしている」こともアリなのではないかということです。

ちなみに空母のトラブルシューターを買って出る人は「大変多い」そうです。

そんな推測はどうでもよろしい(笑)

次にこの救難消防車の設備について説明していただくことになりました。

「どうぞこちらからお入りください」

訓練では滑走路を走るだけなので、タイヤはとても綺麗です。
いや、たとえオフロードを走っても毎日ピカピカに磨き上げるのかな?

 まず、車体右側から。

車体後部から中を見せてもらいました。
椅子は跳ね上げ式になっていて、基地を出るような時にしか使わないようです。

自衛隊の消防部隊は、地域災害の時にも出動し消火を行う場合があります。

リール、ボンベ、ストレッチャー、ソリなどが整然と収納されています。

ちょっと「ソリなんですか?」と聞いただけで、全部引き出して見せてくれました。

ところで、先ほど乗った運転席に、こんな状態で防炎服が置かれていました。
これ、どういうことかわかります?

座席に乗り込み、席に座ると同時に、足を長靴に突っ込み、
上着とマスクも瞬時に付けられるようにスタンバイしているんです。

いやー、これは暑い(断言)

八戸の冬は厳しいらしいので、冬場の訓練はいいけど、夏は魔法瓶状態、
一度訓練で着用したら1キロくらいは体重が減っていそうです。

こちらも、整理整頓を異常なくらい旨とする海上自衛隊にしては、
まるで脱いだまま散らかした如く乱雑に捨て置かれているように見えますが、
これも、車両に乗るなり、ここに足を入れて次の瞬間ズボンを引き上げ、
防災服を身につけることができるような置き方をしているんですね。

これを見る限り、防災服のズボンは長靴と一体になっていることがわかります。

もう一度防災服(中の人なし)を見てみましょう。
ズボンが靴と一体型なので、こんな風に人の形を保って立っているんですね。

 

 この夜間消防訓練の映像は必見です。   皆が「みんな〜」のAAみたいになって、猛烈な火に立ち向かっております。   参考画像   USJで「バックドラフト」を見たことがある人なら、実際の経験がなくても
いかに火というのが恐ろしいか、お分かりだと思います。   上のyoutubeも、防災服をフル装備で身につけ、
その猛烈な炎に平常心で立ち向かっているように見えるとしたら、
それは恒常的な訓練の繰り返しの賜物なのに違いありません。       実際の消火訓練は、この飛行機を模した構造物で行われています。
この中に取り残された搭乗員を救出する、という説明が出てきたので、
実際にその搭乗員の役を誰かがするのか?とびっくりしたのですが、
映像を見ると、現場から担いで救出している隊員というのは、
この「中の人のいない防災服」でした。   これだけリアルだし適当に思いし燃えないので、救助訓練人形にもなるんですね。   防災服を担架に乗せて緊縛し、救急車に乗せて運ぶまで行いますが、
担架に乗せている女子隊員がつい笑っているように見えるのは気のせい?     こちらは従来型のタンク車。

  海上自衛隊も救急車を保有していることを改めて知りました。   自衛隊の救急隊員は、救急医療に必要な技能を持つスペシャリストです。 彼らは救急車積載器具取扱訓練やAEDを使用した心肺蘇生法訓練、
外因性・内因性救急シミュレーション訓練などを受けています。
大規模災害が起きると、航空基地所属の消防部隊はすぐさま現場に出動し、
他機関と連携・協力して人命救助に当たることを任務の一つとしています。       消防車庫には、このような出動ランプがあり、非常時には点灯するようになっています。   向こうに見えるのは管制塔です。
わたしたちはこの後、管制塔の見学を行いました。   今のうちにお断りしておきますが、管制塔に上る前に、わたしたちは
またしてもカメラと携帯電話を没収されたので、内部の写真はありません。         続く。  

地下指令室とZ (ズールー)時間〜海上自衛隊八戸航空基地

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八戸航空基地見学シリーズの途中ですが、ご報告しておきます。
当ブログで折に触れご紹介してきた呉地方総監の「愚直たれ」が
ついに全国ネット、しかもメジャーな番組で紹介されたそうです。

わたしでも知っている「王様のブランチ」。

ここでも食レポをさせていただいた「愚直たれ使用によるホットドッグ」を、
海自呉資料館(別名『てつのくじら館』)で出演者が食べるという企画です。

TOの職場の方がこの番組を見ていたところ、見覚えのある
池総監のお名前が出てきたので、写真に撮ってくださいました。

そういえば、何日か前に「愚直たれ」について書いたログが
閲覧数上位に上がっていて、はて?と思っていたところでした。

ちょうどこの時期に、P-3Cパイロットである池海将のことが話題になるなんて、
ちょっとした縁を感じます。

「ユーモア発動」というのは、海軍伝統の、

「ユーモアは一服の清涼剤である」

という言葉を引用して「愚直たれ」の由来を説明しているわけですが、
この池総監の表情と「ユーモア発動」のギャップがシュール・・。

レポーターのお嬢さん方、そのホットドッグを食べる時には、
手で持たず、ドック型のケースに乗せたまま食すんですよ〜!
池海将、注意して差し上げて!

こちらの海曹は広報のようですが、もしかしたら考案者?
もしどなたかこの番組をご覧になった方がおられたら教えてください。

 

 

さて、その池呉地方総監がウィングマークを取った八戸航空基地
訪問レポ、続きです。

 

航空機の火災発生時に備えて航空基地に常設されている
航空警備隊の消防設備を見学し終わった後、わたしたちは
カメラと携帯を預け、管制塔に上っていきました。

下総航空基地のもそうでしたが、管制塔のエレベーターは、なぜか
途中までしか行くことができません。
わたしの心象によると、エレベーターを降りてから、約3〜4階分は
(繰り返しますが心象ですので本当はどのくらいかわかりません)
階段を登っていかないと上に到達できないのです。

悟られないように息を整えながら(笑)管制室の説明を聞きました。

内部の光景は下総とほとんど同じで、いざという時のために
テレビも備えてありましたが、もちろん消してあります。

違うところがあるとすれば、下総には神棚があったことくらいでしょうか。

続いて「ベースオペレーション」という建物で、
哨戒に出ているP-3Cをモニターしているコーナーなどを見学しました。

この中は特にカメラを没収されることはありませんでしたが、
かといって写真を撮るのが憚られたので画像はありません。

前後は忘れましたが、車で基地の外周を回るというツァーもあり、
こちらはもちろんのこと写真禁止。

なぜかというと、八戸基地には旧軍施設時代からの壕があり、
そこは秘密の武器燃料庫となっているからです。

例えばこの写真に見られる妙に直線的な台地状の小山、
こんな感じで至る所に壕があります。

ご興味のある方は、グーグルマップで見てみてください。
(今のマップにはどうしたことか、F-2戦闘機が6機に写っています)
いかにも人工的な造形に盛られた部分が基地内に点在しているのがわかります。
これらの壕はおそらく防爆のため堅牢なシェルターでできており、
その周りに土嚢を積んで草を植え、もれなく緑で覆われています。

壕の周りは鉄柵で囲まれ、シェルターの入り口はて鉄扉で硬く閉ざされて、
何人たりとも突破することはできまいと思うくらい警備は厳重でした。

この見学で一番興味深かったのは、航空基地には実は
自衛艦のCICに相当するような地下指令室があったことです。

もちろん写真禁止で、わたしたちは靴のまま入れましたが、
出入りする隊員は必ず入り口でIDチェックの後靴を脱ぎ、
外部の埃を持ち込まないよう靴を履き替えて入室します。

その部屋は、わたしが今まで見てきた自衛隊のどこにも見たことがない、
あえていえば地球防衛軍の指揮発令所のような物々しさで、
そこでは、哨戒機の観測データの解析等が行われていました。

 

実は、わたしたちがここを訪れてしばらくしてから、統合幕僚本部から

6月5日(火)午後1時半頃、
海上自衛隊第1ミサイル艇隊所属「くまたか」(余市)及び
第2航空群所属「P-3C」(八戸)が、
宗谷岬の北約35kmの海域を西進するロシア海軍グリシャⅤ級小型フリゲート2隻
及びナヌチカⅢ級ミサイル護衛哨戒艇2隻の合計4隻を確認した。
その後、当該艦艇が宗谷海峡を西進し、日本海に向けて航行したことを確認した。

という発表があったわけですが、これをみた時、
その解析があの地下の部屋で行われたのか、と非常に感慨深かったです。

 

ところで、ここで説明を受けていてふと気になったのが、

「ズールー時間」

という言葉でした。
疑問に思ったらなんでも聞いてみずにはいられないわたし、

「どうして”Z"なんですか」

すると、説明の方、

「え・・・・と・・。調べておきます」

群司令、

「(説明できるのは)大事なことだよね」

 

後にお礼方々そのことについて改めて伺ってみると、

世界標準時が「Z」の理由ですが、Zは「0(ゼロ)」を意味しており、
Zから東に、Aから順番に指定され、日本は9番目の「i」となります。
JとO(オー)はi及び0(ゼロ)との錯誤を防ぐため指定されていません。

という返事が来ました.

なーるほどー!

「ズールータイム」というのは「軍事時間」です。
一般には「UTC」として「協定世界時と」言われています。

海自では時間を表す場合、このズールー時間に則り時刻の後に日本の時刻帯を付します。
例えば

14:46 i

のように。
グリニッジ天文台のある地域の世界標準時を「Z」とした場合、
それより9時間早いのが日本の時刻帯「i」です。

この際「z」の「ズールー」と同じく、「i」もフォネティックコードにより
「インディア」と呼称します。

自衛隊の人が上の時間をいう場合には、

「ヒトヨンヨンロク、インディア」

となるわけで、これは海自であれば艦船であろうが航空であろうが共通です。

前回「航空隊は海上部隊と文化が違う」ということについて少し書きましたが、
やはり突き詰めていくと航空隊も海自である限りその考え方、物の見方において

「海の上を活動の基軸としている」

のに間違いないのだと知った瞬間でした。

 

さて、みなさま、お待たせいたしました。

何を食べても美味しい食のパラダイス?八戸にある、海上自衛隊での喫食。
ゲストとしてお招きされ、昼食が予定されていると知ったときから
何を食べさせていただけるのか、ワクワクしていたのです。

用意された部屋は、司令官クラスが食事をする部屋で、
座る席にはちゃんと名札が置かれています。

前とわたしたちの横に居並ぶ基地の司令官の前には、
わたしたちに読めるように肩書きと名前が書かれた名札あり。

テーブルクロスは鮮やかな黄緑の布、迎賓室のような立派な椅子に座っての食事です。

これがこの日八戸基地で出されたお昼の御膳だ!

どうですか?みなさん、すごいでしょ。
メインはサケとマグロに三つ葉をふんだんにあしらった海鮮丼、
山菜の天ぷらはちゃんと天つゆが別に添えられています。
そして、お吸い物をご覧ください。

こ、これは・・・せんべい汁ではないか!

前日せんべいを入れて食する「せんべい鍋」初体験をし、
この日も八戸に200年以上伝わる(とはこの時には知りませんでしたが)
せんべい汁を、お澄ましバージョンで再び味わえるとは。

「せんべい汁」の定義は、味噌汁だろうがお澄ましだろうが、
鍋だろうが、とにかくせんべいを入れたものであることを知りました。

そして、写真からもおわかりいただけると思いますが、とにかく美味しかったです。


「海自は何を食べても美味しいですよね」

という話から、舞鶴の術科学校で料理の技術を習得した旧要員のレベルは高く、
退官後に大使館付きのコックになった人もいるという話を伺いました。

(陸自は隊員が交互で料理すると聞いたのもこの時です)

ところでこんな豪華なお昼ご飯は、わたしたちが客で、海将補はじめ
幹部の皆さんだけがいただけるのだろうか?とふと思ったのですが、
聞いてみたところ、この日の隊員のメニューも全く同じものなんだそうです。

テーブルの真ん中には、好みに合わせていろんな味付けができるように、
調味料がぎっしりと並んでいます。

とんかつソースと中濃ソースの使い分けができるってあたりが普通じゃない。
本当に海自というところは食へのこだわりがすごいと感じさせられます。


この会食では、幹部の皆さんからいろんな話を聞いたり、
参加したばかりの練習艦隊体験航海の話をこちらからしたりして、
あっという間に時間が過ぎていきました。

飛行基地とはいえ、練習艦隊の話なども普通に伝わってくるらしく、
晴海埠頭は今工事中らしい、という話題にもなったので、

「横須賀からタグが防眩物を運んできて回収していましたよ」

とその二日前に見たばかりのことをご報告すると、

「防眩物、という単語が普通の人の口から出るとは・・・」

と軽く呆れられたりしました。

 

また、こちらからは出身地や、防大かどうかなども伺ったりしましたが、
割合として一般大卒の幹部が多いと感じました。
ただ一人だけ、航空基地隊司令の二佐が「海上自衛隊生徒」出身でした。

「そういえば体験航海で乗った時の『あきづき』の艦長が生徒出身でした」

「同期かな・・・その艦長の名前覚えてますか」

「えー・・・・・(; ̄ー ̄A 」

鉄火お嬢さんとのメールにしょっちゅう出てきて覚えていたはずなのに、
最近記憶力の低下が激しく、とっさに出てきません。
同じ2佐なので司令の同級生であった可能性は高かったと思うのですが。

「私、海上自衛隊生徒のパンフの表紙になったことがあるんですよ」

そうおっしゃる基地隊司令の面影からは、未だにその写真における
紅顔の美少年ぶりがありありと眼に浮かぶようでした。


皆さんに出身地も聞いてみたのですが、やはり幹部に地元出身は少なく、
三重県、島根県、千葉県などなど。
ちなみに群司令の出身は北海道で、趣味はアイスホッケーだそうです。
スティックを持ちスケート靴姿の写真を見せていただきました。


ところで、八戸基地は、隊員の不祥事など、問題がほぼないのだそうです。
隊員のほとんどが地元出身であることに関係あるでしょうか。

「東北出身の兵隊は粘り強く黙々と任務を果たすので強い」

という俗説がありますが、東北人の真面目な気質も影響しているかもしれません。

その後、色々あって(詳しいことは割愛)基地を辞去する時間になりました。

左側に第二航空軍と八戸航空基地の、右側の門柱には
警務分遣隊、システム通信分遣隊、機動施設隊、そして、
第二航空修理隊の所在を示す表札がかかっています。

システム通信隊群は2002年に再編成されてこの名前になったばかりで、
(それまでは中央通信隊群)本部は市ヶ谷ですが、組織としては
大湊地方総監部からの分遣隊という形です。

なお、八戸基地ではつい最近(3月28日)、部隊が改変され、

第2整備補給隊に「機側整備隊」

八戸航空基地隊に「航空警備隊」

が新たに編成され発足したばかりだそうです。

「君にしかできないことが、ここにある」

八戸の若者諸君、八戸航空基地は職場としてもホワイトだし、ご飯は美味しいし、
君にしかできないことが必ずここにあるはずなので、ぜひ入隊をご検討ください。

青森地本に代わって当ブログ運営からもお願いしておきます。

さて、八戸駅まで送っていただき、予約した新幹線を待ちました。

東京行き「はやぶさ」が到着。

「はやぶさ」は東北新幹線最速の全席指定です。

実は今回、帰りだけですが、「はやぶさ」のグランクラスに乗ってみました。

グランクラスは飛行機で言うところのファーストクラスみたいなものですが、
せっかく滅多に来ることのない八戸に新幹線で行くことになったので、
一度は体験してみようと、TOが予約しておいてくれたのです。

座席はコクーンのようになっているので、思いっきり席を倒しても後ろの迷惑になりません。
流石にフルフラットにはならないようでしたが。

席に着くなり、専任のアテンダントがおしぼりと飲み物の注文を取りに来て、
車内で出る食事をいつ持ってくるか聞いてくれます。

食事は和食か洋食が選べ、飲み物はおかわり自由。(お酒もあり)

スリッパや毛布などのアメニティもあります。

サンドイッチを頼んだら、こんな感じでした。
わたしは食べませんでしたが、パウンドケーキなどのお菓子も出ます。

座席も広く楽ちんでしたが、問題は東京で新幹線を降りてから。

改札を出たらいきなり折悪く通勤ラッシュの在来線に乗ることになり、
気分はまるで魔法が解けたシンデレラのようでした(笑)

 

さて、と言うわけで、八戸訪問も終わりました。

大湊基地、そして空自の三沢基地、同じ八戸の陸自駐屯地とともに、
八戸基地は東北という防衛上の要所において海上を今日も淡々と守っています。

基地で働く人々がどのように航空基地の任務と向き合っているのか、
そして哨戒機を持つこの航空基地がどのように運営されているのか、
片鱗だけとはいえ垣間見ることができました。

この貴重な体験をする機会を与えてくださった第二航空群司令、
そして八戸基地の皆様に心からお礼を申し上げる次第です。

 

 

 

 

F-14トムキャットと映画「トップ・ガン」〜空母「ミッドウェイ」博物館

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 さて、久しぶりですが、空母「ミッドウェイ」の話題に戻ります。
ちょうど八戸航空基地の話題が終わった後ですが、「ミッドウェイ」も
艦内の説明を終わり、ちょうどフライトデッキに出てきたところ。

ここからの「ミッドウェイ」の話題は、フライトデッキに展示されている
多くの航空機に焦点を絞っていこうと思います。

艦載機といっても、実際に「ミッドウェイ」に艦載されていたものもあれば、
時期的に合わなかったり、また規格が違ったりで、
ここから発艦したことがない機体も多いですが、「ミッドウェイ」は
その存在価値を「海軍歴史博物館」と自認しているので、
集まってくる機体は拒まずきちんと展示し、紹介しているのです。


これから説明という時に結論めいたことをいうと、わたしはこの展示で
アメリカの底知れない軍事技術のある時期までの集大成を見た気がしました。

固定翼出身の元海将がよくおっしゃることですが、軍艦、特に空母は
その国の科学技術と海事文化の集大成です。

近い将来に、日本が空母を持つという計画が世界の軍事ウォッチャーの間で
関心を集めていますが、もしそれが「オンゴーイング情報収拾」の段階なら、
関係者は過去の遺産と決めつけず、ぜひ「ミッドウェイ」に脚を運び、
アメリカの空母文化というものをリサーチしていただきたいと思いました。

今までアメリカ国内でいろんな旧軍艦利用型博物館を見てきましたが、
展示が充実し、そして観客が多く、メインテナンスが行き届いているのは
いずれも空母で、西の「ミッドウェイ」、そして東では「イントレピッド」でした。

特に「ミッドウェイ」はサンディエゴという海軍のお膝元にあって、
海軍からの直接援助や、ベテラン含む一般の大口賛助が集まりやすいのが大きいでしょう。
艦内スペースを海軍関係のイベントにしょっちゅう解放し、退役した軍人たちが
何かと集まるコミュニティの役割をしていることも、隆盛の理由だと思います。


そしてその結果、いたるところに観覧者のための工夫が凝らされ、
さらに大人から子供まで、楽しく過ごせるアミューズメントパークとして
人々を惹きつけることに成功しています。


たとえばフライトデッキでは、この写真のように、あちらこちらに乗員の等身大の人形や
パネルがあり、かつての雰囲気を伝えると同時に、観客の目を楽しませ、
「インスタ映え」のお手伝いもしてくれます。

ここにいるのは「トムキャット」から降りてきたという設定の搭乗員。
平面パネルの写真は実際の現役空母乗組員を撮影したものらしいですが、
この立体模型の人にモデルはいるのでしょうか。

子供が「はえ〜〜」って感じでその威容に見とれていますが、
デパートのマネキンのように嘘くさいイケメンなどではなく、
ガタイはいいけど額が妙に後退しているあたり、実にリアルです。

Grumman F-14 トムキャット Tomcat 戦闘機

コクピットにちゃんと二人パイロットが搭乗しています。
写真を見て初めて気がつきました。
この二人は、実在のF-14パイロットをデディケート(顕彰)していて、
前席のパイロットには、

ジェイ・”スプーク”・テイクリー少佐
VF-114 コマンディング・オフィサー 1983−1984

後席には

テッド・”スラップショット”・カーター少佐
VF-114 コマンディング・オフィサー 1998-1999

とその下の窓枠にペイントされています。

「スプーク」は幽霊、「スラップショット」はホッケーのステイックの
小さくて力強いスイングによる速いシュートを意味する言葉で、
いずれもパイロットの「タックネーム」(あだ名)です。

ちなみに、映画「トップガン」の「マーヴェリック」「グース」
そして「アイスマン」などの名前も皆タックネームです。

この二人はいずれも114戦闘機部隊にいた司令官で、よく見ると
このトムキャットの尾翼には、部隊ニックネームの
「アアドバーク(aardvark)」(ツチブタ)のイラストが描かれています。

わたしツチブタを見たことがないので、調べてみました。

あー、確かに。
アリクイに似ていると思ったら、やはり主食はアリだそうです。

アフリカにしか生息しない動物なのに、なぜアメリカ海軍の航空隊が
シンボルにしているのかは謎です。


ところで、不思議に思ったのは、VF-114は1993年に閉隊しているのに、
後席の司令官の任期が1998〜1999となっていることです。

不思議に思ってこの”スラップショット”司令官の経歴を少し調べてみると、

ウォルター・E・カーター・Jr.

スラップショットというだけあって本当にアイスホッケーの選手でした。
確かに海軍のパイロットとして各飛行隊の司令を歴任していますが、

VF-114ではなくVA-14、トップハッター

の司令官であったらしい・・・・・

つまり結論を言うとこの機体のペイント、間違っているのです。

2018年現在、アナポリスのスクールヘッドであり、ヴァイス・アドミラルでもある
偉い人の経歴を間違ってこんなところに堂々と書いてあるって、これ、まずくない?

F-14の裏側に回ると、内蔵している20ミリ砲の部分が透明になっていました。

こちらのコクピットには、

デイブ・”ブッシュワッカー”・ビョーク(北欧系かな?)

ニール・”カウボーイ”・ザーブ

とネーミングされています。
ブッシュワッカーとは「藪を切り開く人」という感じでしょうか。


ところで先ほど「トップガン」の話が出ましたが、
トップガンといえば何と言っても主役はこのF-14ですよね!

とかなんとか言いながら、正直わたしはこの映画、劇場で見たわけでもなく、
マーヴェリックの搭乗機がなんであるかなど、全く興味もなければ
今日に至るまで、記憶の端っこにも引っ掛けていなかったわけですが。


この撮影で、制作側は海軍に2億円という機材使用料を払っています。
しかし、宣伝料という意味でお金を払ってもよかったのは、
むしろ海軍の方だったかもしれません。

ご存知の通りこの映画は大ヒットし、海軍は機材使用料で儲けたのみならず、
映画を観てその気になった若者を海軍に呼び込むための「〇〇者ホイホイ」を設け、
(〇〇には心に浮かんだ言葉をそのまま当てはめてください)
〇〇者を海軍に取り込みにかかったのです。

まさか映画館の出口で自分の人生を変えようなどという人がいるわけない、
と思ったあなた、アメリカ人を甘く見てはいけません。

映画を観た直後、文字通りホイホイと海軍に入る申し込みをした〇〇者は
海軍がホクホクするくらいたくさんいたと言いますから驚きます。


今度「空母いぶき」が実写映画化されるそうですが、映画館の外に
海上および航空自衛隊の地本がブースを出してはどうでしょう?(提案)


もちろん、皆マーヴェリックのようなパイロットに憧れて入隊したのですが、
実際全海軍の中のたった12人の超トップクラスエリートである
トップガンどころか、航空に行けた人がそのうち一人でもいたかどうか・・。


実はこの時海軍、制作にあたりペンタゴンとも協力して、映画をヒットさせ、
海軍への入隊増加につなげようと最初から目論んでいたということだったので、
全ては

「計画通り」

だったのです。

しかも海軍にとどまらず、ペンタゴンまでが映画制作に介入し、
制作段階から幾度となくチェックを入れてきたということですから、
「トップガン」って実は「国策映画」でもあったということなんですね。


単純なところで「トップガン」という言葉を世の中に広めたというだけでも
映画の効果は大で、わたしは思うのですが、空の専門を自認するエアフォースは
「トップガン」=「パイロット」を世界中に刷り込んだこの映画に対し、
面白くない、というか苦い顔をしていたのではなかったでしょうか。


ともかく「トップガン」はヒットしました。
繰り返しますがその一因に、このF14のかっこよさがあったに違いありません。

なんの機体を使っているのか全く興味がなかったわたしがいうのもなんですが、
最初に見たときもあれが戦闘機のカタチとして、非常に洗練されているというか、
見た目がとにかく美しいとなんとなく感じていた気がします。

なんでも

映画の「もう一つの主役」はF-14トムキャットである

というのが制作サイドの宣伝文句の一つだったそうですね。


トップガンつながりで今回知ったことですが、トム・クルーズの演じた
タックネーム「マーヴェリック」役には、当初、

ショーン・ペン、マシュー・モディーン、ニコラス・ケイジ、
ジョン・キューザック、マイケル・J・フォックス、トム・ハンクス

という俳優たちが候補に挙がっていたそうです。

誰がやっていてもヒットはしたと思いますが、一つ言えるのは誰がなっても
マーヴェリックのイメージはトム・クルーズとは随分変わっていたことです。

個人的には無理と知りつつマシュー・モディーンを推しますが(笑)。
まずニコラスとマイケルって、あんまり海軍のドライバーって感じしないんだよな。

マイケル・J・フォックスは当時まだ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の
イメージが強すぎてシリアス感に欠けたと思うし、ニコラスは陰気なところはいいけど
どちらかというと役柄的にグースのイメージだと思います。

そしてトム・ハンクスははっきりいって陸軍の制服しかイメージできません。
(感想は個人のものです)


ある英語の映画蘊蓄サイトによると、実際の撮影は、ジンバルを備えた操縦席を作り、
そのセットで行われたそうですが、それとは別に俳優は役作りのため
複座のF-14に搭乗させられ、その駆動を実際に体験することになりました。

出演者がトム・クルーズも含めてゲロゲロに酔ってしまった中、

「トップガンには見えない」

とわたしが酷評していた「ERのグリーン先生」こと、グース役の
アンソニー・エドワーズだけは、一度も吐かなかったということです。

うーん、この話を知ると、彼が一番トップガンらしい気がしてきた(いい加減)



撮影には実際の海軍パイロットを使っていたのだと思っていたのですが、
飛行シーンはスタントマンが行なっており、しかも映画撮影中に
機体が太平洋に墜落するという事故があり、結果スタントマンは亡くなっています。   その突っ込んだ機体というのはまさか本当のF-14だったのでしょうか。
だとすると映画会社はこの機体をどうやって弁償したのでしょう。    
さて、噂によると、トップガン2の制作は近々行われるようです。
なぜ今まで2の制作がなかったのかというと、トム・クルーズ本人が

「下手な続編でこの映画の評判を落としたくない」
という理由で、続編の制作権を買い取ってしまったからだそうです。
最近になってどういう心境の変化か、本人がその気になったため、
ついに待望の続編が誕生する運びになったわけですが、この作品で
トム・クルーズは前作の「マーヴェリック」のその後として登場し、
教官として女性パイロットを育てるというプロットだとか。
もうこの時点で話の筋が見えてしまう気がするのはわたしだけ?
ただ、前作で人気の高かった「アイスマン」」ヴァル・キルマーも
なんかの役で(海軍バーのマスターとかかな)出演するそうなので、
名悪役キャラ好きのわたしとしては、公開されたらぜひ観てみたいです。
もちろん「今回の主役」であるはずのF-18「ホーネット」にも
今度はちゃんと注目するつもり。
 

      続く。      

彼女が曳航される日〜空母「ミッドウェイ」博物館

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空母「ミッドウェイ」シリーズの続きですが、皆様にお断りがあります。

艦内の見学がすっかり終わったと思って甲板に出てしまい、
ハンガーデッキのF-14のお話に移ってしまったのですが、
なんと、まだデッキの下部分が終わっていませんでした。

航空機シリーズが始まると思って楽しみにしていた方がいたら
大変申し訳ないのですが、もう一度艦内に引き返していただきたいと思います。

どこまで戻っていただくかというと・・・そう、告知板のお知らせ。
各種案内を読んで、「ミッドウェイ」の乗員気分になったところの続きです。



というわけで、冒頭写真の檻のある窓口、ここは艦内郵便局になります、
現金の受け渡しをするので、このようになっているわけですが、
ここを使用する人が基本全員海軍軍人で、しかも乗組員に限られているというのに、
割と人を信用していない雰囲気が漂う設計という気がします。

基本どんな団体も、内部に対して性善説では対処しない、
というのは日本以外の国ではスタンダードなのかもしれません。

「ミッドウェイ」から送る小包の仕分けをしている人あり。
ここの責任者のCPO(勤続15〜17年)の制服がかかっています。

海軍に入って郵便一筋!みたいなチーフなんでしょうか。
ちなみに仕分けしている人はダンガリーを着ているので水兵さんです。

「Letters on the sand」という映画ポスターのようなものがありますが、
同名の歌「砂に書いたラブレター」しかヒットしませんでした。

読みにくい文字をなんとか解読してみると、郵便局の宣伝で、
「ハードカバーのパーソナルヒストリー」が作れるとかなんとか。
なぜ郵便局が個人伝記を作るのか内容に見当がつきません。

黒字以外はぼやけていて細部はわかりませんでした。

故郷に送る手紙、故郷からの手紙は海軍乗組員、特に「ミッドウェイ」のように
本国を離れた定係港に勤務する軍人にとっては何よりも嬉しいものです。

一体どんな経緯でここにあるのかはわかりませんが、横須賀時代に
乗員が家族からもらった手紙がここに飾ってありました。

これらのほとんどは横須賀や厚木から航行中の「ミッドウェイ」に出されたものです。

封筒を見ていただければわかりますが、切手が貼ってありません。
日本国内の基地からの郵便物は海軍の手で運ぶので切手がいらないのです。

ただしアメリカ本国からの郵便物には、国内郵送分(発送地から海軍基地まで)
の切手が必要となります。

ところでこの手紙や家族の写真など、乗員が送られたもののはずなのに
なぜこんなにたくさんここにあるのでしょう。

「ミッドウェイ」あてに届いたものの、受け取る人がいなくて、
大量に残されていた、とかいうのではないといいのですが。

 

ところで、「ミッドウェイ」は横須賀配備時代、一度も本国に帰りませんでした。

もちろん、乗員には異動がありますし、その間一度も家族に会えない人などいませんが、
いかに覚悟の上とはいえホームシックにかかるのが人間というものです。

今ではコンピュータがあり、SNSがあるので、当時ほどではないでしょうが、
「ミッドウェイ」現役時には皆数日に一度の「メールコール」を
心待ちにしたのだそうです。

郵便物が届けられるのは平均して数日に一度、運がいいと週2、3回、
「ミッドウェイ」がたとえ北アラビア海にいる時でも律儀に郵便物は届けられました。

郵便物は陸と空母の間を人員、物資、郵便を運んで行き来する輸送機、
「ミッドウェイ」の場合には固定翼機で運ばれてきます。

それは

C-2 (COD )

だったり、S-3(バイキング)

だったりします。
ちなみにバイキングは、ミス・ピギーと呼ばれていました。

ミス・ピギーといえば、「ザ・マペッツ」の豚の女優さんですが、
この「スターシステム」で、「セサミストリート」にも出演しています。

いわれてみればミス・ピギーっぽいノーズをしているような。

参考画像

郵便物が届く日は不定期ですが、前日の晩に配られる翌日の
フライトスケジュールのなかに、艦載機に混じってこの
「ミス・ピギー」やC-2が入っていると、郵便物が翌日には届くということで、
そのニュースはすぐにホームシックを患った乗員たちの知るところとなります。

 

そして翌日、いよいよ郵便物を搭載した機が到着しました。
こういうときにアナウンスするのはエア・ボスの役目です。

「今日のミス・ピギーは・・1500パウンドの郵便物で着艦!」

アナウンスでも「ミス・ピギー」って言っちゃうんだ(笑)
必ずその重さが発表されるのですが、それが重ければ重いほど、
比例して艦内に沸き起こる歓声は大きなものになります。

エア・ボスがもったいをつけて言うのももっともです。

ミス・ピギーとCODが両方同日に到着することもたまにあり、
そんなときにはもう艦内は大騒ぎの狂喜乱舞となります。

郵便物が到着すると、部隊ごとに仕分けが行われ、この写真にもある
「艦内郵便局」から

「メール・コール」

と言うアナウンスがあります。
すると、それぞれの部隊の郵便物担当者が郵便局までそれを取りに行き、
受け取った郵便物を今度はメインテナンス・コントロールまで運びます。

郵便物がメインテナンス・コントロールに着く頃は、すでに
それぞれのショップから一人ずつ、受け取りを待ち構えています。

ここで各ショップごとに仕分けされた郵便物は代表者に手渡され、
持ち帰られて送り主の元に届くというわけです。

 

郵便物搭載機が運んでくるのは手紙だけではなく、中でも「慰問品」は
皆が楽しみにしていました。

家族から個人的に送られてくるものもありますが、兵士の出身地の
町内会に相当する団体や教会が彼を励ますために送ってくる小包は

「ケアー・パッケージ」

といい、お菓子や雑誌、ローカル新聞などが詰まっています。
大の大人がお菓子しか入っていない故郷からの小包に大喜びするのは
きっとパッケージからは故郷の匂いでもしてくるのに違いありません。

この「ケアー・パッケージ」は特に1991年、湾岸戦争の頃は
アメリカ全土の見知らぬ人々が書いた何千通の励ましの手紙とともに
頻繁に送られてきたということです。

意外なことに「ミッドウェイ」艦内ではチューインガムは売っていないらしく、
ガムが入っているとありがたがられました。
かーちゃんの手作りクッキーなどは同室の皆で分け合います。

 

ところで、アメリカ本国に母港がある空母は、一般的には
「Deployment」(デプロイメント)と呼ばれる平均6ヶ月の長期航海が終わると、
次の長期航海は18ヶ月後となり、その間出航すらあまりしないのが普通です。

その間に出航するとすれば、それは艦の状態を調べたり調整するための航海、
そして長期航海が近づいてきたときに行う

CQ (Carrier Qualification )

つまり艦載機パイロットの離着艦訓練と資格取得のための航海で、
これはせいぜい二週間といったところです。

ところが、「ミッドウェイ」は横須賀を母港としていた時代、
18ヶ月の間に何回も出航していました。

我が海上自衛隊との訓練も何度か行なっていたわけですが、
当時が冷戦期間だったこともあって、日本海に出没するソ連艦を見張りに
しょっちゅう母港を留守にしていたということです。

しかし一番大きな理由は、日本政府との取り決めで、(地位協定?)

「ミッドウェイ」の一度の日本国内での停泊は30日以下にすること

となっていたから、という噂があります。

その結果、長期航海がない時も「ミッドウェイ」は一年の半分は
海に出ており、長期航海が終わっても1ヶ月で数週間の航海に出るといった具合。

「ロナルド・レーガン」がどうしているのかはわたしにはわかりませんが、
今でも30日以上の連続しての停泊を認められていないとしたら、
なんだかそれも随分ひどい話だなという気がしないでもありません。

 

冷戦時代、「ミッドウェイ」は日本にほとんどいなかったということですが、
それでは何をしていたのかというと、日本海に出かけていってはソ連軍と戯れていました。

当時のソ連空軍の最新鋭機はバックファイア爆撃機で、「ミッドウェイ」としては
ソ連軍を刺激してこいつが出てくるのを待ち構えていたのですが、
敵はせいぜい情報蒐集のための船を出してくるだけ。

しかもこの船、「ミッドウェイ」のあとをくっついてきてゴミを拾うのだそうです。

先日お話しした「深く静かに潜航せよ」で、ゴミに重石を入れたつもりが
日本軍に拾われて、乗員の名前まで知られていたというシーケンスがありましたが、
今時シュレッダーにかけない書類を捨てる海軍なんているわけないのに、
それでも熱心にくっついてきてせっせとゴミを拾うものだから、乗員は
かなり気持ちの悪い思いをしたということです。

それはともかく、ソ連軍が挑発に乗ってこなかった原因は、
この時期米軍側の暗号が解読されていたからかもしれません。

例えば海軍将校だったジョニー・ウォーカーなる人物は15年にわたって
ソ連側に暗号を渡していたと言われています。

ジョニー・ウォーカー氏死去 CNNニュース

 

時々はソ連軍もアクションを起こすことがあり、バックファイアではなく、
爆撃機ベアがなぜか「ミッドウェイ」にぶつかるのではないかと思われるほど
接近してきたときには、皆がカメラを持ち出し写真を撮って、
次の日には艦内にベアの写真が貼り出されていたということです。

アラートで発艦して行った艦載機部隊のパイロットはこれを見られなかったので
目撃者にベアーの話を子供のようにせがんでいたとか・・・。

 

このように、あまり日本にいなかったといわれる「ミッドウェイ」ですが、
こんな不思議な話が関係者の間に残されています。

1992年4月、サンディエゴで退役式を終えた「ミッドウェイ」は
ワシントン州のプレマートン海軍基地に曳航されることになりました。

出発の日、港を出てしばらくすると、
北に向かって曳航されていた「ミッドウェイ」が、
突然海流に逆らって、日本がある西の方向に向きを変え、
曳航しているタグボートからもどんどん離れていったのです。

「ミッドウェイ」はまっすぐの位置でロックされていたため、
方向が変わるなどということは全くありえないこと・・のはずでした。

タグボートの乗組員は慌ててスピードを下げ、その後、彼女は
元どおり、北に向きを変えて何事もなかったように曳航されていきました。

それは彼女があたかも何らかの意思を示したように見えたということです。



(参考 スコット・マクゴー 『ミッドウェイ・マジック』)

 

 

続く。

 

 


メタルショップと片腕の修理屋〜空母「ミッドウェイ」博物館

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さて、空母「ミッドウェイ」艦内探訪、いよいよ最後の部分になりました。
郵便局を過ぎると、機関室です。

はっきり言ってわたしが一番「お手上げ」なのがこの部分。
説明がなければ何を行うものか想像すらつきません。

この狭い部屋では部品を展示していましたが、実際にここで
このような部品の調整をした訳ではないと思います。

その心は狭過ぎるから。(という程度のことしかわからない)

部屋の外側には

「マシーン&メタルショップ」

と説明ガイドのための看板がありました。

ここで使われていた調整・修理のためのパーツのいろいろ。

「マシンゲージ」「スライドゲージ」「ホールゲージ」「プラナーゲージ」

何やらゲージ的なものばかりが集まっている訳ですが、これらも
何一つ用途が想像できません。
ゲージだから「測るもの」であるくらいはわかりますが。

あっ、「センターパンチ」これはわかる。穴あけ機ですよね。
それから「Tスクェア」ってバンド名、これから来てたの!?(衝撃)

マシーン&メタルショップというのは、船の動力そのものではなく、
艦内で必要なものを修理、あるいは調整、作製する部門だと思われます。

船に必要な部品を部品を海の上でも作ってしまえるこの施設、
時と場合によっては艦載機部隊の必要な部品も調達していたそうです。


今度はわたしに少しは何に使うのかわかる道具が出て来ました。
こちらも全体的にキーワードは「測るもの」ですよね!?

カリパス(calipers)なんて言葉、生まれて初めて知る訳ですが、
ものさしで測ることのできない内径や外径を測るための道具、
三日月のような「アウトサイド・マイクロメーター」なるものは

精密なねじ機構を使って、ねじの回転角に変位を置き換えることによって拡大し、
精密な長さの測定に用いる測定器。
ノギスよりも精度の高い測定に用いられる。 一般的なものは目盛は0.01mm。

だそうです。はえ〜。

手前の機械に「ミルウォーキー」とありますが、アメリカの工具メーカーです。
アメリカではしょうもないCMを懲りもせず出している企業というイメージ。

Milwaukee Tool Commercial - Very Funny

もう一丁。

funny ad for milwaukee tools

いずれも、「強力に回転する」ということを訴えたい模様。
同社は1924年に最初の軽量ドリル穴あけ機を発売して以来、
工具一筋のメーカーとして業界に君臨しています(多分)

工作室のドアには黄色に赤字で大きく

「プロフェッショナルとは」

いやしくも価値のあることは正しく行う価値があると
信じている人間のことである

(One who believes that if something is worth
doing its worth doing right.)

と書かれています。

If a thing's worth doing, it's worth doing well.
(いやしくも為すに足る事ならりっぱにやるだけの価値がある)

というイディオムをアレンジしたものだと思われます。

壁にペイントされている指矩とハンマーの組み合わせのマークは
海軍のレイティングで、

「 HULL TECHNICIAN 」(船体技術者)

を意味します。

船体技術者は、あらゆる種類の船舶構造物とその表面を
良好な状態に保つのに必要な金属作業を行います。
また、配管、小型ボートの修理、バラスト制御システムの運用と保守、
品質保証プログラムの管理を行っています。

そのために溶接、ろう付け、リベット締めまたはコーキングを行い、
放射線、超音波、および磁性粒子検査装置を使用して、船舶構造を検査、
金属の熱間および冷間成形における熱処理、
パイプの切断、ねじ込み、および組み立て、換気ダクトの修理、
金属、木材、ファイバーグラスボートの修復
断熱材の設置と修理など、多岐にわたる作業を任されています。

右側のマークは

「MACHINARY REPAIRMAN」(機械修理士)

です。

旋盤、フライス盤、ボーリング・ミル、グラインダ、パワー・ハック・ソー、
ドリル・プレス、その他の工作機械を操作して、
蒸発器、エアコンプレッサー、ポンプなどの交換部品を製造しています。
ウィンチやホイストの修理はも行います。

機械修理師は、基本的に部品を修理または製造することによって、
エンジニアを支援するというポジションです。

ちなみにこの屁はのデスク下部に設置されているのは

HITACHI Super Pair 200RP

という低圧配線用の遮断器で、このシリーズは現行です。
「ペア」という名前なのは二つセットで使用するからです。


 
金属を切断するための機械だと思います。

続いて、「SCULLERY」スカラリー、食器洗い場。
この単語のイメージはどちらかというと「邸宅に設置してある食器洗い場」だそうです。

食器だけでなく調理に使ったポットやフライパンなど調理器具全てを洗う場所です。
ここではトレイだけで毎日1万5千枚を処理していたということです。

この窓口に洗うものを置いていき、中に送り込むようになっていたようです。

海軍と我が海上自衛隊でもおなじみ、トレイが見えます。
呉の海自カレー・チャレンジでは、確か最高賞に自衛隊で使っているのと
全く同じこのトレイがもらえた記憶がありますが、今もやってるんでしょうか。

左の機械まで運べば自動洗浄が行われますが、ある程度までは人間が行います。
皆さんも自宅で食器洗い器を使うとき、ある程度予洗してから入れるでしょ?


ところで超私事ですが、我が家の食器洗い器がついに動かなくなりました。
キッチンに作りつけたビルトインタイプで、他の収納部分とと一体化となる
木製のドアが貼ってあり、何よりも超大型で便利なのですが、
いかんせん耐用年数が限界まできてしまったようです。

日本の家電事業からは撤退した BOSHの製品だったので

本社に電話すると、地元の修理業者を紹介されたのですが、案の定

「もう部品がないので修理できないんすよねー」

と頭から直らないと決めてかかっている様子。
それどころか

「新しいのに買い換えた方がいいと思いますが」

ってそれは直らないってことにして新品をを売りつけるつもりかい?

比べるつもりはないけど「ミッドウェイ」の上なら、どんなことがあっても
何があっても故障したものは直すし、部品がなければ作る、
少なくとも見もしないで直らないなんて言わないぞ?

たまたまこれを作成したその日にこんなことが起こったので、
ついついこんなことを考えてしまいました。

 

がしかし、流石の「ミッドウェイ」でも直せない機材もあります。
あまりに酷い事故が起こると、外部から人を呼んでこなくてはなりません。

「ミッドウェイ」では艦載機が発艦したとき、ショックを和らげるために付いていた
ウォーターポンプが破損したことで、左舷先端が吹っ飛んだことがあります。
しかも、その破片を、発艦した戦闘機のインテークが吸い込んでしまい、
(ファントムだと言われている)戦闘機は海に墜落、パイロットは
脱出するのに成功したものの、カタパルトは使用不可能になってしまいました。

多少のことならなんでも直すメタルショップも、これはちょっと無理、
ということでわざわざアメリカ本国から修理人を呼び寄せることになりました。

この時、「ミッドウェイ」はその修理人の噂で騒然となったといわれています。

なぜならその修理人は元海軍水兵で、現役時代「ミッドウェイ」の、
カタパルトの修理を専門に行っていたのですが、任務中に事故に遭い、
片腕を失っていたからでした。

数人の助手を使って作業する修理屋を皆遠巻きにして見守り、
中には写真を撮る人もいるという具合に、片腕のインパクトは凄かったようですが、
凄かったのはそれだけでなく、航行中に直すのは不可能だと思われたカタパルトを
結局この人は夜にも作業を続け、修復することに成功したということです。


ちなみに我が家の食器洗い機、直らないと言われては致し方なく、
取り替えを決意したのですが、取り付け工事の来る日、
念のため動かしてみたらなぜか正常に動き出しました。

つまり壊れていなかったことが判明したのですが、考えた末、
工事は中止することなく続行し、換装を決行しました。

ゼオライト乾燥システムを使っていて、前より若干パワーは落ちますが、
何と言っても音が静かで、使用する水の量が少なくて済むので、
結果論ですがもっと早く替えていればよかったと思っています。

 

続く。


参考:「空母ミッドウェイ アメリカ下士官の航海記」 J.スミス著

 

アンレップ、コンレップ、バートレップ〜空母「ミッドウェイ」博物館

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次のコーナーのテーマは「貨物」。
「ミッドウェイ」に運び込まれる荷物についてです。

まるでベンチのような木箱には

ROCKETS, HEAT. H.E.,3.5 INCH
M2BA2, w/ FUSE ANMFA2
QTY.4 

と記されています。

例えば乗員のみんなが食べる朝ごはん一つとっても、その材料は
どこから海軍基地に来るのでしょう、ということで流通ルートが記されています。

ワシントン・・・アップルゼリー、アップルジュース、ベーコン、梨、芋

オレゴン・・・チェダーチーズ、ミルク、玉ねぎ

カリフォルニア・・卵、オレンジ、オレンジジュース、マッシュルーム、砂糖

テキサス・・オレンジ、オレンジジュース

ミネソタ・・シリアル、オートミール、パンケーキミックス、塩

ヴァーモント・・・メープルシロップ

メイン・・・グレープジャム

ニューヨーク・ニュージャージー・・・クリーム、牛乳、砂糖

オハイオ・・・ベーコン、ハム、イチゴジャム

イリノイ・・シリアル

ウィスコンシン・・・チェダーチーズ

フロリダ・・・オレンジ、オレンジジュース

ネブラスカ・・・小麦粉

メキシコ・・・パプリカ、タバスコなど、バニラ

コスタリカ・・・パイナップル

コロンビア・・・コーヒー

オーストラリア・・・キウイ

ベトナム・・・・胡椒

カナダ・・・ブルーベリー、メープルシロップ

在外国米軍は基本現地ではなく、あくまでも内地から
乗員の食料をまかなっているということですね。

地位協定で決まっていることなのかもしれませんが、軍隊は基本
寄港先の外国との商取引を行わないということなのかもしれません。

これがいわゆるリラックスユニフォームでしょうか。
左の人が、すごく不自然な箱の持ち方をしているのが気になります。

白い箱が全部チキン、茶色い方は肉が入っています。

そういえば、アメリカの空母では毎日牛2頭だか3頭だかの肉が
消費されると聞いたことがあります。

左は肉、同じような箱ですが右側はほうれん草の缶詰です。
海軍とほうれん草の缶詰、というとポパイを思い出しますね。

コンテナを使って作ったモニターには、空母に食料品や武器など、
荷物が運び込まれる様子を写したビデオが流れています。

左の「垂直補給」というパネルは、補給の方法として、
ホバリングしたヘリから荷物を降ろしているところです。

一週間に一度行われる補給艦による物資の補給のことを、

UNREP (Underway Replenishment)

といいます。
自衛隊でなんと言っているのかわかりませんが、アメリカ海軍ではおそらく
「アンレップ」と略称で呼んでいるのだと思われます。

物資はヘリコプターによって運ばれてくることもあり、そちらは

VERTREP(Vertical Replenishment)

バートレップといいます。
ヘリ補給は垂直に行うのでヴァーチカル、海上補給は
航行中に行うので「進行中」を意味するアンダーウェイが使われるのです。

洋上補給が行われるということになると、

「UNREPの準備をせよ!」

というアナウンスが行われ、その頃には「ミッドウェイ」の右舷後方から
補給艦がだんだんと近づいてきています。

補給艦が「ミッドウェイ」の数十メートルの距離に近づき平行に並ぶと、
補給艦からロープが渡されますが、流石にサンドレッドを人間が投げることはせず、
銃のようなもので細いロープを撃つのだそうです。

そうなの?

掃海隊の訓練で掃海艇と掃海母艦を連結する作業を二回見たことがあるけど、
どちらもサンドレッドを手で投げて舫につなげていた覚えがあるけど・・・・

と思って調べたら、ニミッツの洋上補給が見つかりました。

 

まず、補給艦「レーニエ」が追いつくのではなく、「ニミッツ」が追いつくというか、
「レーニエ」が後ろに下がってくるような感じで平行になり、すぐさま
女性乗組員が(!)補給艦に向かって二発銃を撃っています。(1:05 )

 

この映像を見る限り、どちらも航行している二隻の船はかなり距離があります。
掃海母艦の時には掃海母艦が錨泊している状態で、掃海艇もギリ近づくことができ、
人間が投げても届くということだったんですね。

面白いと思ったのは、補給艦の舷側に「ニミッツ」に見えるように

「ウェルカム トゥ アロングサイド(横にようこそ)」

「レーニエ」 レジェンド・オブ・サービス

あなたは今年110番目のお客様です

と大きな看板を出していること。
補給に「ウェルカム」「お客様」という言葉を使うとはね。
もっとも英語の任務は「サービス」であり、サービスは「奉仕」ではあるけど、
サービス業と同義の意味もあるわけで。

補給艦に渡された舫を、屈強の男が数人で綱引きのように引っ張って、
スルスルと補給艦からパイプが伸び、液体の補給が始まります。

3:40になると、「レーニエ」の向こう側に一隻駆逐艦らしき船がやってきて、
右舷からも補給が行われるらしいことがわかります。
(どうでもいいけどこの駆逐艦がむちゃくちゃ汚い)

コンテナはフォークリフトで運んできた人が、四角く印をしたところに
ぴったりに降ろすと、上から持ち上げるリフトがスルスルと降りてくるので、
四人がかりで玉掛けしたコンテナが高い位置に持ち上げられると、
引力の法則によりそれが「ニミッツ」の甲板へと滑り降りるように到達します。

ダブル補給といえば、こんなのも見つかりました。

 

補給されているのは「ウィドベイ・アイランド」、補給艦が「ビッグホーン」、
向こう側で同時に補給を受けているのは強襲揚陸艦「ワスプ」です。

この映像では、オイルのホースを受け取る様子がよくわかります。

補給が行われている間の二隻の距離は20mといったところだそうですが、
補給の間の二隻のスピードは全く変わらず、距離も完璧に保たれます。

それだけにダブル・コンレップ(connected replenishment (CONREP) 
を行うのはかなりの技量を必要とすると思われます。

ところで、現役時代の「ミッドウェイ」では、洋上補給が始まると必ず
クリスタル・ゲイルの「We Must Believe in Magic」が流されたそうです。

 

We Must Believe In Magic - Crystal Gayle

どういう経緯でかは知りませんが、当時彼女は「ミッドウェイ」の

「名誉音楽士官」(ミッドウェイ・オナー・ミュージック・オフィサー)

に任命されて、正式に乗組員の名簿に乗っていたと言います。
なぜこの曲が選ばれていたかというと、それはもちろん「ミッドウェイ」が
「ミッドウェイ・マジック」だったからに決まっています。

でも、わたしはクリスタル・ゲイルといえば、やっぱこの曲が好きですね。
「瞳のささやき」。
本人のバージョンが載せられなかったのでローラ・フィジーでどうぞ。

 Don't Make My Brown Eyes Blue - Laura Fygi


さて、ヘリによる補給、VERTREPは補給艦の搭載ヘリ、H-46が
二機で行うのが普通で、しかもUNREPと同時進行することが多かったそうです。

U.S. Navy Underway Replenishment • CONREP & VERTREP

こちらは東シナ海における強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」の垂直補給。

補給艦の艦尾甲板に荷物をまとめておいて、その上にヘリが飛来すると、
2:39から見ていただければわかりますが、荷物を牽引する先が棒になっていて、
甲板の二人がその棒の先の輪をヘリに引っ掛け、運んでいくという具合。

これ、見ていただければわかりますが、本当に危険な作業です。

機体の下に入る時間をできるだけ少なく、仕事が終わったらすぐさま
ヘリの近くから離れているのがわかります。

この荷物は例えば空母だとフライトデッキの後方に次々と運び込まれ、
荷物はそれぞれの部隊から駆り出された主に下っ端が、バケツリレー方式で
フライトデッキから艦内まで列を作って移動させていきます。

なお、この時には空母側のヘリも補給作業が終了するまで近くを飛んでいます。
万が一人や物資が海に落ちた場合には適切な処置をするためです。

 

「ロケット」の入っていたコンテナには、
「危険・高性能火薬」の札が掛けられています。

右側から入ってくるおじさんは、中華系で、わたしにいきなり、

「あーゆーチャイニーズ?ジャパニーズ?コリアン?」

と問いかけてきて、日本人だというと、

「コニチワー」

と挨拶してくれました。

 

さて、荷物を運ぶ場面といえば、あとは入港した時でしょう。

長い航海を終えて横須賀に戻ってくると、各ショップから各自の荷物が
(お土産などで増えている)運び出され、「トライウォール」という
大きめの段ボール箱に詰め込まれ、フライトデッキから桟橋に降ろされます。

誰しも自分の部隊の荷物を早くフライトデッキまで運びたいので、
かつては熾烈な艦載機エレベーターの取り合いがあったそうですが、
何か問題があったのか「ミッドウェイ」では飛行隊の場合、

それぞれの隊長の階級の順に

場所取りができることになったそうです。
しかし、隊長の階級は皆中佐。
何を持って階級が上とするかというと、これが中佐に昇進した日が早い方が上。

しかし飛行隊長というのはせいぜい1年半から2年で転勤になるので、
毎回入港が近づくと、下の者は

「おい、あそこの隊長、最近XOからCOになったばかりだから
うちのスキッパーの方が上だよなあ」

とか

「うちの隊長の方があそこのより1ヶ月早く中佐になってるぞ。
ザマアミロ」

などという会話があっちこっちで聞かれます。
(空母ミッドウェイ)

ここで不思議に思ったのが「1ヶ月早く中佐になる」という言葉で、
自衛隊の場合は人事の昇進、移動は一年に何度、と時期が決まっているため、
二佐になる人は同じ日になるか、それまでの人事移動日になっているかだと思うのですが、
アメリカ海軍はそういうこともあるのでしょうか。


とにかくそんな具合に最初から順番がほぼ予想できるので、
入港前日になるとエレベーターで箱を運ぶ順番が発表され、
万歳三唱して(アメリカ人もするんだ)大急ぎで荷造りする部隊、
あるいは極度に落ち込んでだらだらする部隊と明暗が分かれる事になります。


「ミッドウェイ」が横須賀の岸壁に横付けになると、日本人の基地作業員が
二基のクレーンを動かして荷物を運び出します。

どの荷物から運ぼうかと物色している日本人作業員に向かって、
フライトデッキでオフロードの指揮をとることになっている若い士官は、
英語でペラペラっと

「へい、ユー、オフロードの順番は決まってるから、私の指示に従って
まずはこの部隊の荷物から降ろしてくれ」

などとまくしたてるのですが、残念なことに日本人は彼の英語を全く解せず、

「何言ってんだこのガイジンは」

という様子で互いに顔を見合わせるだけ。
すると士官はこりゃあかんわ、とやる気をなくし、

「スミマセンコレネ、コレ、プリーズ。
ネクスト、コレ。ドモアリガト」

などといいつつ現場放棄をして逃げていくのでした(笑)

そんな時には日本語の話せる乗組員がいる部隊が断然有利。
おじさんたちにマルボロなど渡しながら

「あいつらの部隊の前に、うちの部隊先にやってくんないかな?」

などとお願いすると、日本人作業員は日本語に喜んで、

「ああいいよ」

かわいそうなのは、荷下ろしのために一人ずつ部隊から残された
ペーペーの乗員で、何が起こっているかわからないうちに
自分とこの荷物がいつの間にか後回しにされているのでした。

 

さて、これで艦内は本当に全部見学を終わりました(と思います)。
もう一度甲板の航空機展示に戻ります。

続く。

 

ホエールと呼ばれた「スカイウォリアー」〜空母「ミッドウェイ」博物館

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空母「ミッドウェイ」の見学、メインデッキにあるギャレーやメス、
医療施設であるシックベイなどの乗員の生活空間などの見学を終わりました。

順路を進んでいくと、外側の階段に続いていました。
階段を登っていくとそこがハンガーデッキ階に当たるところです。

ハンガーデッキ階の高さに当たる踊り場に、ライフラフトが展示してありました。

Life Laft とは日本語で救命いかだです。

型番はMark 6 、25名用で、万が一「総員退艦」の号令がかかった時、
乗員の脱出のためにはこの筏が167隻用意されていました。

それはフライトデッキ(飛行甲板)の下に特別にマウントされていて、
人力で、あるいは自動的、海面に落下すると、もしくは
20フィート以上沈む前に放たれるしくみになっていました。

つまり、人力で海面に落とせなかったラフトは、たとえ船と一緒に沈んでも
6m沈むとそれだけが切り離され浮上することになっていたのです。

それはご覧のようなカプセルになっていて、自動的に展開する救命いかだ、
非常食、サバイバルキットが一式含まれており、要救助者が
救助されるまでの間、命をつなぐことができるようになっています。

子供が見ている写真の上にある茶色いのが救命いかだです。
これが広がって二十五人の男が乗ることができるのか?
と不思議になるくらい小さく収納されていますね。

それが一旦展開すると、この上の図のようになるのです。

膨らませるためのホースはもちろん、上部に覆いをすることもでき、
内部には電気を点灯することもできました。

レーダー探査にかかりやすいようなスクリーンが備えてあり、
どういう仕組みかはわかりませんが、錨まで下ろすことができます。

構造的には海から上がってきやすいように、下図右側に
「ボーディング・ハンドル」がついていて、これを掴めるようになっています。

8番と14番は食べ物と水。
喧嘩にならないように(多分)一人1パックずつになっています。

水をかい出すバケツ(一番左)、4番は鏡ですが、これは信号に使うためのもの。
6番はホイッスル。

映画「タイタニック」でロウ機関士のボートが救いに来た時、朦朧としながらも
ローズはボート漕ぎ手死体からホイッスルを取って吹き、助けを呼んでいましたね。

7番はサバイバル用の毛布ですが、とても薄いもののようです。
そして面白い!(本人たちには面白くもないですが)と思ったのが10番。

何とこれ、外からはわかりませんが

サバイバル・フィッシング・キット

つまり非常食を食い尽くしてもまだ助けが来なかった場合、
これで釣りをして飢えをしのいでくださいというわけです。

ファーストエイドのキットももちろんありますが、特に
12番は酔い止めの薬です。

空母の乗組員がいきなり筏で波に揺られたら酔うかもしれない、ってか?

そして13番は「シーダイマーカー」。
海に放り込むと一帯が蛍光緑に染められて上空からの認識を容易にします。

というわけで、もう至れり尽くせりなので、一度くらいはこの救命いかだでの
サバイバルを経験してみるのもいいかな?という気にさせてくれますね!

というのはもちろん冗談ですが、これらの同梱品や工夫などは、船の沈没と
海上での漂流を経験した人から意見を聞いて作られていると思われます。

ところで皆さん、昨年公開された映画「パシフィック・ウォー」ご覧になりました?

 どうして日本の配給会社はわざわざ「インディアナポリス」という原題を
こんなつまらん題に変えてしまったのかとわたしは大変不満ですが、
それはともかく、この映画、邦題の「パシフィック・ウォー」がいかに
内容からみてピントが外れているか、ってくらい、ストーリーが

「艦が撃沈されて海に漂流し、鮫の恐怖に怯えながら救出を待つ」

シーンに重きが置かれており、戦争映画というよりウェイトでいうと
パニック映画、サバイバル映画と呼ぶべきかもしれません。

(もちろん、わたしはそれは皮相的な見方であり、本質はやはり
戦争映画であると思っており、近々これについても書く予定です)

映画で沈没から逃れた「インディアナポリス」の乗員がつかまって
漂流する「ラフト」、これは周囲が浮きになっていて、
チェーンの張られたところに乗るという仕組みです。

確かにこれだと海水が入ってきて転覆する心配はないですが、
ずっと下半身が海に浸かりっぱなしというのは、大変な苦痛だと思われます。

Survivors of USS Indianapolis floating in rubber rafts at sea and being rescued 

この実際の映像には、1:12あたりに救出した後のラフトが固まって
浮いているのが映っています。

「インディアナポリス」はご存知のように帝国海軍の潜水艦伊58に魚雷を受け、
命中から沈没までわずか12分しかなかったということですので、
事後のマクヴェイ艦長に対する裁判でも問題になったように、
総員退艦の命令を聞かないまま現場で亡くなった乗員も多く、
海に放出されたラフトが取り合いになったという話はなかったようです。

しかし、このラフトのようにサバイバルキットが同梱されている、
などということも映画を見た限りではなかったようです。

ちなみに「インディアナポリス」の乗員は1,199名のうち約300名が攻撃で死亡し、
残り約900名のうち生還したのはわずか316名。

ほとんどは5日後に救助が完了するまで、救命ボートなしで海に浮かんでおり、
水、食料の欠乏、海上での体温の低下、これらからおこった幻覚症状、
気力の消耗などで亡くなりました。

この映画やディスカバリーチャンネル(多分”シャーク・ウィーク”という季節シリーズ)
など「インディアナポリス」沈没を扱った媒体でサメが演出として過剰に語られたため、
大多数がサメの襲撃の犠牲者になったかのように思われているようですが、
おもな原因は救助の遅れと体力的限界が死亡の原因だと言われています。

つまり、例えばこのようなラフトがあれば、「インディアナポリス」の
生存者は二倍くらいに増えていたかもしれないのです。

それにしてもこの映像の冒頭で「インディアナポリス」の出航シーンがあり、
舷側の乗員たちがくまなく映し出されていますが、その人々の
三人のうち二人はこの後亡くなったのだと思うと、観ていて切ないです。


さて、そこから階段をもう一階上がると、いよいよフライトデッキです。
「ミッドウェイ」はいつ行っても見学者が多く、どの写真にも人が
バッチリ写り込んでしまうのですが、いなくなるまで待っている時間もなく、
常におかまい無しに撮ってしまいました。

都合のいいことに、アメリカ人の夏場での野外におけるサングラス着用率は100パーセント。
ネットにアップするにあたって目隠しをする必要もないのでありがたいです。


それはともかく、デッキに出るとそこは艦尾側でした。
ここから航空機を見学していくことにします。

まず最初に遭遇するのはご覧の「スカイウォリアー」。

EKA-3 Skywarrior スカイウォリアーまたは”ホエール”
ダグラス・エアクラフトカンパニー

電子戦機であり「タンカー」であると説明があります。
この場合のタンカーは空中給油機と考えていいでしょう。
設計者はエド・ハイネマン。あーすごくこの名前聞いたことがある。

いかにもな感じのするユダヤ系技術者。

ちなみにハイネマンがグラマンで設計した飛行機は以下の通り。

SBDドーントレス 急降下爆撃機 A-20 ハボック 攻撃機 A-26 インベーダー 攻撃機 A-1 スカイレイダー 艦上攻撃機 A-3 スカイウォーリアー 艦上爆撃機 A-4 スカイホーク 艦上攻撃機 F3D スカイナイト 夜間戦闘機 F4D スカイレイ 艦上戦闘機 D-558-1D-558-2 実験機

やっぱりこの中の最高傑作はドーントレスとスカイホークでしょうかね。
よく聞くからという以外なんの根拠もなく言ってますが。


スカイウォリアーは空母で運用する飛行機としてはもっとも大型の機体で、
その大きさゆえ一般的には「ホエール」という呼び名があったそうです。


どうしてこの大きな機体を空母で運用しなければならなかったかというと、
当時の技術では小型の核爆弾を製造することができなかったからです。
この時代、米ソの航空機が核爆弾を積んであっちこっちウロウロしていたという話を
以前別の機会にお話ししたことがありましたが、「ホエール」もまた
その戦略爆撃機の一つとしてデザインされたため大きかったというわけです。

広い範囲のセンサーとジャマーを搭載した電子戦機の一つでしたが、
結局のところもっとも従事した任務は「フライング・ガスステーション」としての、
つまり空飛ぶガソリンスタンド、空中給油任務でした。

飛行中の航空機に飛びながら給油するのが空中給油で、
スカイウォリアーのバスケットボールのゴールのような給油ノーズを
給油する飛行機に連結して行いました。

The US Navy's twin jet A3 'Sky warrior' provides mid air refueling to the bombe...HD Stock Footage

あまり画質は良くありませんが、ベトナム戦争時代の給油シーンが見つかりましたので
貼っておきます。

ちなみに体は大きい割に、スカイウォリアーの定員は3名です。

この機体は「ミッドウェイ」で運用されていたようですね。
脚を格納するスペースが横についていて面白いのでアップで撮りました。

Belly landing NAS ATSUGI A-3B 胴体着陸Slide photograph Bu.147666


厚木でまだこの航空機が現役だった頃、胴体着陸したことがあったようです。
飛んでいるところも写っていますが、この脚格納庫に
きっちりと脚が収まっている(でもハッチは開いている)様子を
2:10あたりで見ることができます。

艦尾には乗組員の等身大パネルが設置されていました。
いたるところにこのような人が立っていて、セルフィーに活用されている模様。
アメリカも今日びは「インスタバエ」だらけです。

ちなみにこの写真に撮られている人はモデルなんかではありません。

現在もアメリカ海軍に勤務している、空母艦載機の搭乗員です。
特にかっこいい人を選んで写真を撮ったのだと思いますが、
このパイロットもガタイはもちろん、ブルース・ウィリス系のイケメンです。



これからは、ハンガーデッキに展示されている艦載機をご紹介していきます。
実は本当に自信のない分野で、またとんでもないことを書いてしまうかもしれませんが、
そこはそれ、どうかご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

<(_ _)>

 

続く。

 

F9F「クーガー」空中給油の長すぎるブーム〜空母「ミッドウェイ」博物館

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空母「ミッドウェイ」のハンガーデッキに展示されている航空機を
一つづつ懇切丁寧に紹介しています。

うおおっ、これはまたいかにも時代を感じさせるシェイプの飛行機。
艦載機として生まれた飛行機そのものといった翼の形をしているではありませんか。

 

Grumman F9F 「パンサー」Panther

グラマンの「猫一族」、パンサーです。
どこかで見たような気がするけど「イントレピッド」艦上だったかな?
と思って調べたら、その時に見たのは「クーガー」の方でした。

両者は似ていますがF9Fの「パンサー」に対し、主翼を後退翼にしたのが「クーガー」です。

にゃんと!

パンサー(下)とクーガーが一緒に飛んでいる写真をwikiで見つけました。
翼の形状だけが違うのがよくわかります。
ちなみにクーガーは、翼にエルロンが付いていない数少ない飛行機の一つです。


朝鮮戦争が起こった頃、空母艦載機として最初に採用されたジェット戦闘機で、
1947年に制式採用になってまだ3年の新型でしたが、空力設計においては
翼が直線的であるなど、明らかにライバル戦闘機には劣っているといわれていました。

ただ、その割には敵地深くもぐりこむように攻撃したり、敵地やあるいは
追い詰められた前線の部隊に即座に一発爆弾をお見舞いする、などといった
任務には大変優れていたため、戦闘機としてよりこちらで重宝されたといいます。

 

性能的にはあまり優れていない飛行機でも、
パイロットの腕で2世代分はカバーできる、ということを
我が空自のファントムパイロットがF-15相手に証明した

という話を最近どこかで読んだ覚えがあるわけですが、

参考:【下剋上】「ファントムII」は死なず 
   退役間近、空自「F-4EJ改」が「F-15J」をバンバン堕としているワケ 


「パンサー」にも同じ話があります。

朝鮮戦争時代、アメリカ海軍で初めてジェット機(MiG15)を撃墜したのは
実は「パンサー」初期型のF9F-2でした。

 

そういえば、わたしも、「イントレピッド」のクーガーを語るログで、
初期のパンサーに乗ってMiG15を撃墜したエイメン少佐とやらの写真を上げたんだったわ。

MiGを撃墜して帰ってきたエイメン少佐が、機嫌よく機体から降りてきてるシーンですが、
機体がまさにこのパンサーであることが星の位置からわかりますね。

 

上の写真は、英語サイトの「航空機今日は何の日」で見つけました。
これによると、撃墜されたMiGパイロットはミハイル・フョードロビッチ・グラチェフ大尉。

別名「日本やっつけ隊」であるサンダウナーズのドライバーであったエイメン少佐は、
「フィリピン・シー」より発進したF9F「パンサー」で、グラチェフ機に
20ミリ砲を四発撃ち込み、撃墜したとされています。

MiGが墜落するところは確認されていませんが、グラチェフ機は未帰還となったので、
被撃墜認定されたというものです。

F9F-8P 「クーガー」COUGAR

何ということでしょう、「ミッドウェイ」では「パンサー」の隣に、
後継型の「クーガー」も展示してあるじゃないですか。
サービス満点です。

しかし後継型と言いながら、こうしてみると翼だけでなく機体の形も全く別物ですね。
F9F-8P は写真偵察機バージョンで、おそらく撮影機材の関係でノーズを延長しているため、
少しシェイプが変わって見えるのかもしれません。知りませんが。

これによって同機は上空からの撮影が水平、垂直どちらからも可能になりました。


そしてつい先ほども書いたように、初期の「パンサー」を後退翼にしたのが「クーガー」です。
後退翼を採用した理由は、艦載機として翼がよりコンパクトにたためるからかな?

と素人のわたしなどは考えてしまいますが、もちろん目的は機能向上。
後退翼にすることで高亜音速〜遷音速領域での抵抗減少や臨界マッハ数を上げることができる、
つまりぶっちゃけ速くなるのです。

 

 

wiki

サイドワインダー・ミサイルを翼の下に装着した偵察型「クーガー」。
ノーズの下にカメラのためのカヌー型レドームがあり穴が開いているのが見えます。

写真偵察型の「クーガー」は全部で110機製作されました。

また「パンサー」と比べていただければ一目瞭然ですが、「クーガー」は
空中給油のためのブームを鼻面というかフロントから生やしているのが特徴です。
冷戦時代になって、空中給油の必要性を感じたアメリカ軍は、空中給油の方法を模索しましたが、
その段階で実験的にこのスタイルのブームをつけられたのが「クーガー」でした。

これは1950年台半ば、空中給油の実験を行なっているところで、
A3D-2「スカイウォリアー」が F9F-7「クーガー」に給油しています。

空中給油の方法には二種類あって、こちらはドローグと言う小さな漏斗のついた
給油パイプをタンカーが伸ばし、給油を受ける側はその漏斗にプローブを差し込む

ドローグ&プローブ方式

です。
この方法は小型機に限られます。
大型の飛行機への給油はもう一つの方法、直接相手の給油口にパイプを挿入する、

フライングブーム方式

で行われます。

フライングブーム方式でC-141に給油中のKC-10。
なるほど、どちらも大きいですね。

KC-10は空中給油と輸送の専門機で、愛称は「エクステンダー」。
その意味は「拡張するもの」。

何をエクステンドするかというと、そこはやっぱり

「給油する機体の滞空時間」

でしょう。

そう豪語するだけあって?KC-10は副給油装置として、小型機に給油できる
プローブ・アンド・ドローグ方式の給油装置1基も装備されています。

つまり、給油相手によってアタッチメントをつけ替えたりする必要がなく、
アメリカ軍の規格に準じた、いずれかの空中給油装置を持つ航空機であれば、
ほぼ全ての航空機に対して給油が可能となっているエクステンダーなのです。

ただし、ドローグとブームの両方式を同時に用いることは不可能だそうです。

大きな飛行機だと給油機から出されたプローブを受け取るのは難しいのかもしれません。
プローブ式で受ける方が小さいと、こんなに一度に給油ができます。

あー可愛い・・・・(萌)

クーガー正面から。

思わずかっこ悪っ!という言葉が出てしまうわけですが、
やっぱり後からつけたのでノーズが全体のシェイプをまずくしてるという感じ。

真正面からこうしてつくづく眺めると、やはりこういう改装を重ねた機体は
造形的にどこか無理があるという気がしてしまうんですね。

個人的意見ですが。

そして、空中給油が導入されようとしていた頃に、実験として
このような長〜い給油プローブをつけてみたものの、無駄に長すぎて、
タンカーから伸ばされる小さな傘をキャッチするのは結構チャレンジングだね、
という話になり(たぶんね)、いつの間にかそれ以降の給油プローブは
クランク型の短いものになっていったのではないかとわたしは想像します。

だいたいタンカーから出てくるあの傘を受け止めるのに、こんなに長い必要あります?


向こうに見えるのはおなじみ、

 Grumman A-6「イントルーダー」 Intruder 艦上攻撃機

戦闘機でも爆撃機でもなく、艦上攻撃機は地上、あるいは洋上の目標物を
爆撃するのが主任務です。

攻撃型のイントルーダーは「侵入者」という意味ですが、
この電子戦機型は、

プラウラ=「うろうろする人」

その後継型は、

グラウラー=「唸る人」

であるのはもうこのブログ的におなじみですね?

ところで、イントルーダー・プラウラー&グラウラーには、
他と見間違えようのない特徴的なツノがおでこに付いています。

これって、実は空中給油のための給油ノズルなんですよ。

 ツノを使用しての給油例。
スーパーホーネットから燃料を補給される「プラウラー」です。

それにしてもこれ、どうして小さい方が大きな方に給油をしてるんでしょうか。
そもそもホーネットが他の飛行機に給油することがあるとは知りませんでした。

しかしこうしてプラウラーの給油シーンを見ると、「クーガー」の
給油プローブの長さって、いかに意味がなかったかわかるような気がしますね。

給油のことだけ考えるならこの形が一番リーズナブルなんじゃないかしら。

ただしこのツノをデザイン的に了とするかどうかは全く別問題です。

この時ちょうど塗装をし直すか展示をやり直しているらしく、
足場が組まれ周りに近づけないようにロープが張ってありました。

「イントルーダー」は全天候型の攻撃機としてデザインされており、
ナビゲーション・コンピュータを、攻撃のために搭載していました。
そのおかげでベトナム戦争の時、北ベトナムの奥地に入り込む危険で複雑な任務にも
最適な選択を行い的確な攻撃で相手に効果的な打撃を与えることができたのです。

A-6は1990年代になって F/A-18 「ホーネット」が登場するまで 
中型爆撃機の主流として活躍し続けました。

その近くには同じツノ族の「プラウラー」もいました。

Grumman Aerospace EA-6B Prowler 

プラウラーは先ほども言ったように電子戦機で、「スカイナイト」
「スカイウォリアー」の後継機として1971年に置き換えられたものです。

ベトナム戦争からイラク、アフガニスタンまで、「プラウラー」も
後継のF/A-18ホーネットが登場するまで電子戦機の主流として広く配置されました。

ところで、今の戦闘機とかって空中給油のプローブはどうなってるの?
F/A-18ホーネット空中給油(KC-30A)・オーストラリア空軍 - F/A-18 Hornet Aerial Refueling, Australian Air Force
 
  今はプローブを内蔵して必要な時だけ出してくるんですね。
やっぱりブームが外に出てる必要ってなくね?長い必要はさらになくね?
ってことでこういう形に落ち着いたのかと。    
続く。

振り向けば、エアボス〜空母「ミッドウェイ」博物館

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空母「ミッドウェイ」の飛行甲板から見た艦載機エレベーターです。
前にもご紹介しましたが、「ミッドウェイ」博物館はエレベーターを
ハンガーデッキ階に固定して、カフェというか休憩所として解放しています。

ここで買ってきたパックのサンドウィッチやバーガーを食べながら
航空機やこの前の広場の巨大な「水兵とナースのキス」像、そして
眼前に広がるサンディエゴの眺望を楽しむこともできるのです。

左のほうに見えているブリッジで、右手全般に広がる島
コロナドと陸が繋がれています。

画面の右に行くと海軍基地が広がっています。
コロナド・ブリッジが開通するまでは、車のフェリーも操業していたようですが、
今ではフェリーは人間専用となって完全に住み分けができているようです。

ちなみにフェリー料金は4ドル75セント、所要時間は15分です。
本当に呉から江田島みたいな感覚ですね。

ところでこのエレベーター部分に展示されているのは

Douglas A-4 「スカイホーク」Skyhawk

で、今はもうない「黒騎士」とあだ名されたVA-23攻撃隊の飛行機です。
操縦しやすく、「ハイネマンのホットロッド」なんてあだ名もありました。

前回は空中給油のプローブの位置にやたらこだわってみたのですが、
その目で改めてこの機体を眺めると、

「ノーズから生やすのはイマイチなのでここに付けたんだな」

とつい考えてしまう場所にある給油プローブに目がいってしまいます。
クーガーの、ピノキオみたいにノーズから給油口が生えているのもなんですが、
だからと言ってこの場所も中途半端な気がしないでもありません。

映画「トップ・ガン」ではこれが仮想敵機を演じていましたね。

それからここでもお話しした「ライト・スタッフ」では、海軍出身の宇宙飛行士、
スコット・グレン演じるアラン・シェパードがこの「スカイホーク」で
空母に着艦するシーンが描かれていましたが、
彼が本当にスカイホークに乗ったかどうかはその経歴からは窺えません。

シェパードは海軍のテストパイロット出身宇宙飛行士で、彼がテストした機体は  

McDonnell F3H Demon Vought F-8 Crusader, Douglas F4D Skyray 

 Grumman F-11 Tiger  Vought F7U Cutlass   Douglas F5D Skylancer

カットラス試験の時にはスナップロールの時に機体が復元せず、
機体を立て直せなくてベイルアウトしています。

そういえばカットラスは「ガッツレス」(根性なし)という不名誉なあだ名以外に
「未亡人製造機」と呼ばれていたともいいますね。

また、スカイランサーのテストをしてこれが気に入らなかった彼は
上に無茶苦茶な報告を上げたため、海軍はこれを導入するのをやめて
代わりにF8Uクルセイダーを導入したという話があります。

サービス画像、アラン・シェパード海軍兵学校時代。

さあ、今日もフライトデッキに展示されている飛行機を見ていきます。

「ミッドウェイ」博物館は展示に工夫が行き届いており、さすがは
西海岸で最も人が訪れる展示艦であると感心しますね。
コクピットに座ることはできないと思いますが、上から見ることができます。

 North American T-2 「バックアイ」Buckeye

Tというからにはトレーニング、つまり練習機なのですが、空自が昔
採用していて「ブルーインパルス」にもなっていた三菱製のT-2と違い、
こちらはノースアメリカン社製の練習機です。

「バックアイ」というのは後ろに目がある人のことではなく(そらそうだ)
オハイオ州バックアイにあるノースアメリカンの工場で生産されたからです。

バックアイはトチノキのことで、オハイオは「トチノキ州」と呼ばれ、
またオハイオ州の人のことはそのものズバリ「バックアイ」といいます。
ついでに州立オハイオ大学のニックネームも「バックアイ」。

中・高等練習機として1990年代まで使われていましたが、その後

T-45 Goshawk「ゴスホーク」

に置き換えられて引退しました。
「ゴスホーク」はシェイプがT-4そっくりです。

wiki

艦上で給油中のゴスホークさん。
ゴスホーク=「オオタカ」というよりイルカっぽい。

North American A-5「ビジランティ」 Vigilante
爆撃機

unknownさん、お待たせいたしました(笑)

遠目に見てもまるでヒラメのようなうっすーい機体。
超音速爆撃機である「ビジランティ」は空中給油機も着艦フックも
空気抵抗を減らすため内蔵しています。

こんなでっかいのに乗員はたった2名、冷戦時代に核爆弾搭載用に、
先日お話しした「スカイウォリアー」の後継機として作られました。

こんな薄いのにどこに核を積むつもりだったのかというとここ。
インターナル・ボム・ベイ(内蔵爆弾格納室)といい、なるほど、
薄いが胴体が長いわけがこれを見るとよくわかります。

この図は、核爆弾を射出したという想定で、全体が4つに分かれていますが、
先端が「テイルコーン」、真ん中の二つが燃料タンク、一番後ろのが核爆弾です。

というわけでこの「ビジランティ」、導入後すぐに起こったキューバ危機では、

「アメリカも核攻撃は辞さない」

ということをアピールするため、フロリダに配備されたのでした。

 

冷戦時代、米ソはお互い核爆弾を航空機に積んでウロウロさせていました。

落ちたら一大事の核爆弾を、落ちる可能性がある飛行機に載せること自体、
はっきりいって素人目にも無謀としか言いようがありません。

実際チューレ空軍基地米軍機墜落事故を始め、この時代に、
表沙汰になっているもの、なっていないものを含め、アメリカは実際に
核を積んだ爆撃機を何機も(一説には30件以上の事故があったとか)
墜落させているといわれています。

しかし爆弾の小型化と戦略原潜がその代わりをすることになったせいもあって、
核の爆撃機搭載は(ソ連との協議もあり)自然に廃止の方向に動きました。

しかしそれをいうなら現代の原潜も

「核を積んでウロウロしている」

ことには間違いないのですが、なんというか、空を飛んでるのと
海底に貼り付いているのでは随分安全度も違う気がします。

 

ちなみに「ビジランティ」とは「自警団員」という意味です。
試しに自動翻訳にかけると「自衛隊」となりました(´・ω・`)
自警団員といっても自宅警備員という意味ではありませんので念のため。

 

その後「ビジランティ」は、戦略爆撃機構想が終焉したので
変換を行うことになったわけですが、いかんせん発想が特殊すぎました。

投下時はテイルコーンを切り離し、核爆弾をドローグガンで後方に射出するのですが、
この時、目標地点で空になった燃料タンクも一緒に射出する仕組みです。

しかし、カタパルトから射出すると、しばしば衝撃で燃料タンクが脱落したり、
また、ベイ内には1発の核爆弾しか搭載できない・・・・。

つまり爆撃機としては使えねーと判断され、どうなったかというと
その機体のでかさにも関わらず偵察機に生まれ変わったのでした。

・・というか、偵察機くらいにしか使い道がなかったんだと思います。

しかし転んでもだだでは起きないアメリカ海軍、核爆弾投下の際には
ウェポンベイだった部分に、偵察機本来の偵察用カメラだけでなく、
監視のための電子機器を一切合切内蔵するための「カヌー」と呼ばれる
フェアリング(空気抵抗を減らすためのエアロパーツ)をつけました。

写真機体下部に見えているのが「カヌー」です。

こちら、横から見た「カヌー」。

カヌーには電子偵察システム用のアンテナ、赤外線センサー、
そして側方監視レーダーなどが収納されていました。


「ビジランティ」の横に黄色い機械と紫の人がいます。
紫の人は通称「グレープス」という燃料補給隊。
燃料補給ができるのは「紫のシャツの人」だけです。

黄色い車はおそらく航空機の牽引車ではないかと思われます。
牽引を行うのはやはり黄色いシャツを着た「イエローシャツ」軍団です。

このタイプは陸上でも使われるのですが、空母にはもう一つ別の形の牽引車があり、
それは高さがわずか50センチくらいの小さな形をしていました。

牽引車の操縦のベテランになると「名人芸」並みのスキルを身につけていて、
航空機同士の間隔わずか数センチのところを、ものすごいスピードで
スルスルと引っ張ってしまうのだとか。

もちろん牽引していて航空機を何かにぶつけるなんて、ありえません。


ちなみに、牽引の時にはこの車がトー・バーという接続のためのバーで
牽引する航空機に取り憑くのですが、その間航空機のコクピットには
必ず人が乗っていなければなりません。

八戸基地の記事でも出てきましたが、「ブレーキ・ライダー」という役です。

ブレーキ・ライダーの役目は、例えば海が荒れていたり、あるいは
牽引車の重さが足りなくて、機体が滑ったり動いてしまったりした場合、
ブレーキをかけて機体の暴走を止めることです。

ただ、自分で操縦するならともかく、牽引車に引っ張られるコクピットに
ただ乗っているのは、パイロットでもない者にとって本当に怖いものだろうなと思います。

特に怖いのがエレベーターに乗る時。

機体はコクピットを外に向け、しかもヘリコプターなどは、
スキッドを端ギリギリに寄せてエレベーターを動かすため、その時
コクピットはパレットから完全に海の上に突き出した状態になります。

この時、海が荒れていたりすると、機体がもろに波をかぶることもあるので、
ただでさえ避けられがちな「ブレーキ・ライダー」、こんな日は誰もやりたがりません。

海に慣れ、艦を住処として、いつも任務をこなしている乗員にも
怖いものが存在するということは興味深いですね。

ちなみに、ただ一つ、率先してブレーキライダーを皆がやりたがるケースは、
先日もお話しした、アラートの際のコクピット乗りこみだけでした。

ただじっとして寝ていれば、じゃなくて目をつぶって待機していればいいからです。


余談ですが、かつての「ミッドウェイ」乗員の証言によると、その人が勤務中、
当時の「ミッドウェイ」のエアボスは、どういうわけか牽引車の操縦が好きで、
しょっちゅうフライトデッキに降りてきては(エアボスの勤務場所は艦橋)
「イエローシャツ」になりきって、艦載機を牽引するのが趣味という人でした。

彼は一般的なエアボスがそうであるように、戦時平時を問わず
「寝ない」人でしたが、エアボスにしては超気さくなタイプと評判で、
気さくに頼んでくるおじさんに気安く牽引を任せた何も知らない新入りを、
背中の「AIR BOSS」という文字でしょっちゅうビビらせていたそうです。

ただ黄シャツ軍団のベテランによると、くだんのエアボスの牽引は
いわゆる「下手の横好き」だったそうなので、おそらくエアボスでなかったら
とてもやらせてはもらえなかったかもしれません。

おそらくエアボスが牽引する機のブレーキライダーには、
部隊の「生贄」が乗らされるはめになったことでしょう(-人-)ナムー


 

続く。


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