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ビッグ・マミーたん萌え〜戦艦「マサチューセッツ」

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総火演のご報告が終わっていませんが、後段演習の前に
これも継続中の「マサチューセッツ」見学記を挟みます。 



ここまでで一応艦橋と甲板のハードは終了したので、
今日は艦内を展示室にした「ビッグ・マミー」関連展示などをご紹介します。

冒頭の巨大なアメリカ国旗は、”カサブランカ フラッグ” と彼らが呼ばれており、
「ビッグ・マミー」が1942年11月8日、「松明作戦」(operation torch)
に参加するため航行していたカサブランカ沖で、仏海軍の「ジャン・バール」と交戦した際
そのマストに翻っていた戦闘旗でした。



その時の使用例(手前)。
後ろ側のマストにも星条旗が揚がっていますが、それが、これ。

どちらも星は48個です。



前にも書きましたが、この戦闘で「マサチューセッツ」は枢軸国側から初めて攻撃され、
初めて16インチ主砲を放ち、初めて敵艦船に打撃を与えた戦艦となりました。



そのとき「ビッグ・マミー」と交戦した「ジャン・バール」は、
主砲砲弾と空母「レンジャー」艦載機の攻撃をまともに受け、こんな姿に。

たしかに艦首に浸水、電気系統に障害が発生し砲塔の旋回が不可能となったのですが、
アメリカ側が言うほどのダメージではなかったらしく、翌日の修理によって回復、
二日後の10日には重巡洋艦「オーガスタ」と交戦し主砲射撃を行っています。

「オーガスタ」は「ジャン・バール」が無力化されたと思い油断していたところ、
予想外の38cm砲弾を見舞われ、攻撃を中止し退却しているのですが、
アメリカ側の「マサチューセッツ」記述にはそこに触れてはいません(笑) 

周りに説明がなく(撮り忘れただけかもしれません)何かわからず。
砲弾の頭部分だと思うのですが、それにしては破損部分が綺麗すぎるような。



模型も至る所に見られました。
こちら「マサチューセッツ」記念コーナーに展示されていたウォーターライン模型です。



先ほどのより本格的な「マサチューセッツ」模型。
向こうにいるのは東洋系の中学生二人でした。



造船所で建造中の「マサチューセッツ」。
1939年に起工し、進水は1941年9月。
これは進水式を済ませて艤装の段階に入っているのではないかと思われます。
就役は1942年の5月12日となります。



彼女は就役した年の10月24日にメイン州カスコ湾を出港、
4日後に北アフリカ侵攻作戦に参加しました。
そのわずか10日後、カサブランカ沖でフランス軍艦「ジャン・バール」の
砲撃を受け、これに応戦して放ったのが、アメリカ軍艦として
最初に敵に向かって撃たれた砲弾となったのです。



はいそうでしたね。(投げやり)

「マサチューセッツ」はフランスと停船した後、一旦帰国して
そのあとは太平洋戦線に向かうための準備を行いました。

沖縄を筆頭に日本への直接攻撃を行うようになったのは
1945年には入ってからのことになります。



そしてあっという間に戦争は終わりました。

「WAR OVER」とあえて「IS」をなくしてドラマチックな効果をねらっていますが、
もちろん「War Is Over」が「戦争は終わった」であり、 
こういう時に使うのが正しい「War Is Over」の用法です。

わかりましたか?共産党下部組織シールズの皆さん。(あ、もう解散したのか)



「一旦交戦にいたれば激しい攻撃によって敵を掃討する。
それが我々にとっての栄光の全てだ」

うーん、かっこいいっすね(適当)

初代艦長ホワイティング大佐がカサブランカでの戦いの前に
「マサチューセッツ」乗組員全員に訓示したときのお言葉。

写真が撮られたのは1974年、「ビッグ・マミー」艦上です。
ホワイティング艦長はその後提督にまでなりました。



「ファーザー・ジョーみたいないい人には会ったことがない」

と「マサチューセッツ」では言われていたという従軍牧師。
こうやって写真が残されているくらいですから、よっぽどいい人だったのでしょう。(適当)



売店の倉庫だったと思います。
棚にはスナック菓子ばかり。



しかも当時の在庫がおそらく中に商品が入ったまま保存されています。
「リーズ」は今でもこのままのパッケージで売られていますし、
「ミルク・ダッズ」もまだあります。 

「 Oh Henry! 」はどう見ても「O・ヘンリー」のもじりだと思うのですが、
今ではネスレに吸収されて商品自体は無くなっているようです。 


「ペイデイ(給料日)」というのはどういう位置付けのバーでしょうね。
「給料日に買い込む」という感じでしょうか。



大変写真に撮りにくい透明ケースに囲まれていたテレグラフ。
「エンジンオーダーテレグラフ」(E.O.T)といい、艦橋から
船の変速の命令を出す(と書いてあるのでたぶん)ものです。

エンジンルームでは変速の際ベルが鳴りそれを知らせました。
その合図のベルが鳴ると、機関室では自分たちのEOTを命令と同じ速度に合わせます。

そのことから、彼らはこの命令のことを「ベル」と呼びました。
電子レンジにかけることを「チーンする」というのと同じノリですね。

たとえば命令が「flank」(最速のこと?)だとすると、彼らは
「Flank Bell がきたぞ」、などというわけです。
速度を増せ、という命令がきたら、ハンドルを三回動かすのですが、
このときにベルも三回鳴ることになります。
その結果プロペラがその分回転を増すわけですから、騒音もものすごいことになります。
敵に艦位を悟られるため、敵のいる海域では「フランクベル」は鳴らされませんでした。

この方式が使用されていたのはせいぜい1950年までで、現在のEOTは
電化、無線化、IT化されています。



説明なしにどーんと展示されていた舵輪。
まるで大航海時代の帆船の舵輪のようです。
(が、たぶん違うんだろうな)



この夏、見学した他の艦艇でも見た「ウィッシング・ウィル」。
wishing well 「よくなることを願う」に引っ掛けて、昔から
井戸に願い事をするという風習が英語圏にはあります。
井戸が命をつなぐ神聖な水の溜まり場である、ということもあるのですが、
なぜか軍艦の中で水もないのにこれをやってしまうのがアメリカ人。



おそらく昔はチェーンを吊るすのが目的のハッチだったと思うのですが、
それがセカンドデッキから底まで一直線、ということもあって、



このように公開しついでにお願い事をしてください、というわけ。
お金を放り込むようにしているのも、資金集めの一手段だと見た。



さて、少し前コメント欄で少し触れたのですが、
アメリカ海軍ではハッチやドアのレバーのことを「ドッグ」といいます。

子供向けに書かれているらしいこの説明書ですが、
ハッチやドアのレバーの名称について

「ある動物と同じ名前を持っていますが、なんでしょうか」

と、子供にもわかるように絵を描いた上で質問をしております。
答えは当然「ドッグ」なのですが、問題はその理由です。

こういう名称にありがちなのですが、伝わる理由はいくつかあり、

「ドアをこのレバーで締める仕組みが、犬が顎を閉じるのと同じだから」

「犬を飼うのはセキュリティのため、つまり犬=安全のため→レバーに”犬”」

 「レバーの形が犬の尻尾みたいだから」

うーん・・・全く説得力ありませんね。
どうでもいいことなので理由が分からなくなったと思われます。



戦艦には1800人以上の乗員が乗り組んでいるのですから、
その中には一人や二人、特別な技能に長けた者がいても不思議ではありません。
「ビッグ・マミー」にはウィリアム・キャンフィールドという「画伯」がいました。

彼が任務の合間に艦内生活を描いたスケッチを見る限り、素人にしてはうまい、
というレベルのような気がしないでもありませんが、ともかく
彼は司令官にその才能を認められて、司令部に「雇われ」、
作戦企画などの作成のためにその腕を振るったりしたそうです。 



海軍の発行している「艦隊雑誌」にそのことが書かれています。
戦後のキャンフィールド氏の写真を見ると、パイプをくわえた水兵は
自画像ではないのかというくらい似ていますね。

右下の写真は彼が上層部に雇われて仕事をしているところかと思われます。



ちょうどライトで光ってしまってタイトルが見えませんが、
「マサチューセッツ」を表すたくましい男性が「ファースト」「ラスト」
とかかれた砲弾をその腕に抱えています。

「ファースト」はカサブランカで「ジャン・バール」に撃ち込んだもの、
そして「ラスト」は終戦間近、日本で釜石に放った砲弾を意味しています。

乗員たちにとっても、あの戦争の最初と、そして最後に主砲が火を噴いたことを
不思議ではあるが大変名誉なことであったらしいことがわかります。

ちなみに、彼の後ろでは日本とドイツの艦船がビッグ・マミーの攻撃を受けて沈みかけ。
「ジャン・バール」はフランス海軍の艦船ですが、枢軸側だったため
フランスの旗ではなくあえてハーケンクロイツで表したようですね。



「艦これ」が世界最初に軍艦を女性に擬人化したコンテンツではありません。
昔から船は女性名詞で表されたため、とくに戦時中には自分の鑑を「萌化」して
あだ名をつけたり戯画を描いて楽しんだり、ということがとくにアメリカではありました。

というわけで、キャンフィールド絵師描くところの「ビッグマミーたん」。
アメリカ人の好みを反映して顔こそ日本のもののように童顔ではありませんが、
(これでは『たん』ではなく『さん』とか『さま』がぴったりくるような)
とにかく、首から下だけは体の線を強調した(というか、透けてるし)
セクシー路線のコスチュームに身を包んでいるあたり、コンセプトは同じ。

彼女が持っているのはショッピングカートではなく号笛、サイドパイプですが、
英語でこれを「Boatswaine whistle」といいます。
キャンフィールドが「Boatswaine's Mate 」、すなわち掌帆兵曹であったことと
この「アクセサリー」にはちょっと関係があるかもしれません。



「ビッグマミー」姉御、50歳になりました。
ということは、生れたのを進水式の時だとすると、1981年の作品ですか。

画像を検索してみると、どうもキャンフィールド2等兵曹は戦後
プロの画家(というか挿絵とか漫画の)になったようです。
その時には、艦内で余技で描いていた頃とは違いプロの絵になっています。
ちなみに彼女が首にかけているのはやはりサイドパイプで、
殊勲鑑として与えられた勲章を誇らしげにつけております。



説明がなかったのですが、これも他の媒体によるとキャンフィールドの作品だそうです。
プロになってから描かれたと思われるのですが、不思議なことに
画面の中心は帝国海軍の軍艦であり、火を噴きながらそこに突っ込んでいく戦闘機も
日の丸が翼に描かれているのです。

この状況をキャンフィールド画伯が本当に目撃したのか、それとも単に想像なのか、
なんの説明もなくただ飾られているだけの絵からは何も知る由がありません。

おそらくこれを飾った戦後の人々にもわからないのではないでしょうか。



続く。 

 


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