1年前の滞在の写真になりますが、サンフランシスコ空港近くの
サンマテオに「コヨーテポイント」というレクリエーションエリアがあり、
息子をキャンプに送り届けたあと、カメラを持って歩きにいきました。
公園は対岸にサンフランシスコ空港を望む海沿いにあり、長い砂浜を持ちます。
夏なのでビーチで遊ぶ人はいるかもしれませんが、立て札には
ライフガードはいないのであとはわかるな?と書いてあります。
砂浜を散歩する人。
海沿いにトレイル(小道)が整備されているので歩いて行くことにしました。
向かいに見えているのはオークランドです。
サンフランシスコは朝方厚い霧で覆われているのが普通ですが、
空港近くになると途端に霧が晴れてきます。
昔国際空港をどこに作るかが協議されたとき、人々が
霧のかからない都心から最も近い場所としてサンマテオを選んだのだろう、
と空港に向かう高速で急に霧が晴れるのをいつも見て思います。
この日朝、サンマテオは薄曇りでしたが、この天気が1日続くことはまずありません。
ここはちょうど空港滑走路の対岸にあたり、国際便が
最終着陸態勢を取って次々と着陸していくのが見えるポイントです。
今年は三脚持参で望遠レンズ投入して撮ってみようかな。
早速散歩開始。
アメリカでこういうところを歩くと、時々誰もいなくて怖いときがあります。
ここは州立公園なので、入り口で料金を支払う仕組み。
決して浮浪者などが入り込んでくることはないのですが、それでも
心のどこかで軽く緊張しながら歩いています。
まあここにはこんなものもあるので犯罪の発生する率は低いでしょう。
もし変な人がいても、大きな声で叫べば飛んできて、
訓練を兼ねてみんなで寄ってたかって犯人をやっつけてくれそうです。
文字通り根こそぎ倒れてしまった木もそのまま。
トレイルに沿って歩いて行ったとき、わたしの「ネイビーセンサー」が
いきなり激しく鳴り渡りました。
なぜこんなところに船の錨がっ・・・・?!
黒曜石でできているらしいベンチに書かれた文句をドキドキしながら読むと、
1775年に創立された「U.S Marchant Marine」とそのマリナーに捧ぐ、とあります。
寄付した人々の名前には「キャプテン」の冠を持つ人も。
マーチャント・マリーンというのは直訳すると「商船」。
商業船として米国内の海域・水域で運輸に携わっているものの総称ですが、
商船のほかタグボート、曳船、フェリー、遊覧船、ボートなど全てを指します。
しかし、アメリカ合衆国がいったん戦争となった場合、軍事に
その機動力始め要員を提供する、という任務を帯びる組織です。
モニュメントがあるここには、かつてその乗組員を養成する
「マーチャントマリーン・アカデミー」がありました。
この石碑には「カデットーミシップマン」(cadet-midshipman)とあり、
当校に学ぶ学生をそう称していたらしいことがわかるのですが、
「カデット」は普通陸軍、「ミシップマン」は海軍における士官候補生を指します。
ちなみに先日行ったコーストガード・アカデミーでは「カデット」でした。
この理由は、第1次世界大戦を経て1936年、議会が商船法(多分戦時法を踏まえたもの)
を承認した時、付随して創立され教育組織が
「Marchant marine cade corps」
という名称だったことからだと思われます。
商船アカデミーというのは日本だと「商船大学」となってしまいますが、
日本の商船大学に相当するのは、アメリカでは強いて言えば
「海事大学」(Maritime Academy)
ではないかと思われます。
その海事大学も、卒業すれば海軍や海兵隊に少尉として入隊することが可能ですが。
商船アカデミーは航海士か機関士の免許を取って卒業後、
マーチャントマリーン(米国保有商船隊)に任官する学校です。
錨を足元に置いたワシは「Salty the sea eagle」というマスコット。
この場合「ソルティ」が愛称となります。
学校のモットーは
「 DEEDS NOT WORDS」(言葉より行動を=不言実行)
卒業生によって作られたメモリアルゾーンのプレートの最後には
「HEAVE HO!」
フネ関係の方なら、もしかしたらこれが錨を巻くときの海の男の掛け声だとご存知でしょうか。
この碑は全ての戦争で失われたアカデミーの卒業生の魂を悼んでいます。
Bearingsというのは、おそらく「方位法」をもじっているのでしょう。
現在商船アカデミーはニューヨークのキングスポイントにあり、
通常キングスポイントというと、この学校を指します。
戦争が始まって、戦地への軍艦以外の多数投入が急がれることになった時、
アメリカ政府は、船員を大量に養成する必要にかられ、西海岸にも
学校を作ることにし、1942年、サンマテオ商船アカデミーが創立されました。
日本では民間船を船員ごと徴用し、商船学校出身の学徒士官を
船長にしたのですが、さすがにアメリカはやることが違います。
彼らを「ミシップマン」と呼び、かっこいい制服も制定しました。
若者の士気が服装に影響されるということをよく知っていますね。
アカデミーの訓練風景。
海事トレーニングだけでなく、自分たちの駐在する施設を自分たちで作ったそうです。
夜、真っ暗な海にボートで漕ぎ出すのもトレーニングの一環でした。
短い歴史のあいだにはこの海域に出没するサメを捕まえたこともあり、いまなら
夏の恒例番組、ディスカバリーチャンネルの「シャーク・ウィーク」で放映されて
大いに住民に感謝されるところですが、地元民の感謝を彼らが知ることはありませんでした。
そして一晩中ボートを漕ぎ続けるという訓練も・・・。
マーチャントアカデミー通常兵装。
例えば、特殊潜航艇「回天」が撃沈した油槽艦「ミシシネワ」などのように、
彼らが乗り組んだ輸送艦もまた、南洋にその多くが戦没していきました。
ここに写っている彼らのうち、サインのない候補生の多くは船と運命をともにしています。
アカデミーがここに発足したことを封じる当時のニュース。
いまモニュメントがあるところにはこんな地球儀があったようです。
バーリンゲームというのはコヨーテポイントのある隣町です。
船を買ための資金調達のために、ここで彼らがかっこよく行進を行い、
国民に国債を買ってもらうというデモンストレーションのお知らせ。
かつての学校の配置図。
港としてこの時整備されていた部分は、いまヨットハーバーです。
警察学校以外には自然科学館があり、子供たちの夏のキャンプ場となっています。
学校ができるまでは放置されていたコヨーテポイントは、学校ができて以来
整備されて美しいポイントに変わったということを自慢しております。
自艦が撃沈された時に海に飛び込む訓練(たぶん)。
みなさん鼻を押さえております。
どこの団体にも一人はいる、絵の上手い人による漫画。
いくら「微笑みを絶やさず」といわれても、こういう場合は嫌だよね。
(交換してもらう方は)
無事トレーニングを終了して、サンマテオを去る候補生。
マーチャントマリーンに任官することも、海軍や海兵隊に任官することも、
もちろん民間に就職することも彼らには可能です。
かつて彼が海へと続く未来に向かって歩いていった道は、今ではわたしのように
自然を楽しみにやってくる来園者や、バイカーのためのトレイルとなっています。
コヨーテポイントのアメリカ合衆国マーチャント・マリーン・アカデミーが
終戦を受けてここでの役割を永遠に終えたのは、1946年のことでした。