ボストンの偉大な歴史遺産であり、観光資源であり、
またアメリカの象徴でもある帆船「コンスティチューション」。
1度目の訪問時には甲板下は公開されていなかったのですが、
わたしは「改修中なのでそんなものだろう」と思い、
来年の夏にでもまた来てみよう、と考えていました。
明日はボストンを離れるという日、息子をキャンプからピックアップし、
ルイーズランチで記念すべきお昼を食べてから、まっすぐボストンに向かいました。
フリーウェイは渋滞もなくスムーズで、3時にはボストン着。
レンタカーを返すまで時間があったのでどこかに行こうという話になったとき
「コンスティチューションっていう帆船がチャールズタウンにあるんだけど」
とわたしが家族に提案して2度目の見学が実現しました。
前回は曇っていて肌寒く、長袖を着ていても震え上がりましたが、
この日は晴天の、しかも湿度の高い1日。
観光客も皆半ズボンにサングラス、女性はノースリーブ、男性は
野球帽にサンダルや運動靴といった、
「夏のアメリカ人観光客・スターターパック」
に身を固めております。
参考画像
わたしたちもこのセキュリティチェックの列に並びました。
この写真で左側に見えている「コンスティチューション」の乗員に
並んでいる観光客が話しかけていたのを横で聞いていたのですが、
彼はなんと
「ここに配属される2週間前までブートキャンプにいた」
と言っているではないですか。
つまり、新兵さんとして海軍で言うところのリクルートトレーニングを受けた、
ということなのですが、口語的に彼はそれを「ブートキャンプ」と説明したわけです。
新兵訓練というとわたしたちは「ハートマン軍曹」を思い出すわけですが、
海軍だって兵隊を育てるわけだからそれは似たり寄ったりのはず。
その「地獄のブートキャンプ」を終わった彼が、
「はい君、初の任地はコンスティチューションね」
と言われて、は?と目が点になってしまったことが想像できます。
「コンスティチューション」の使命は海軍の歴史と象徴としてのこの船を
後世に伝えるスポークスマンです。
ですから、海軍のセーラー服ではなく、上下白に胸元バンダナ、といった
1812年当時の水兵コスプレ(プレイじゃないか)をするわけです。
「コンスティチューション」乗員
司令官を始め幹部3人は当時の士官のいでたち。
新兵さんの赴任地としては「は?」かもしれませんが、艦長にとっては少し違うようです。
当艦、America's Ship of State といわれる特別な船で、
艦長の名前はこの未来永劫アメリカに残す予定の艦内の金のプレートに刻まれ、
これも未来永劫残っていくのですから、やはり名誉職という位置付けなのでしょう。
「アメリカの艦艇にしては手入れが行き届いている」というご指摘がありましたが、
乗員たちの主な仕事が「艦内掃除」であるならそれも当然でしょう。
機械を一切用いない「軍艦」なので、それらのメンテナンスにかかる時間は全て
もやいをさばいたり、帆を張ったり降ろしたりの訓練、そして掃除に費やされるのです。
それに艦長の任期はせいぜい2年、他の乗員も頻繁に転勤しますから、
長い海軍人生の少しの時間でもこの歴史的帆船で過ごすことは
彼らにとっても貴重な経験ともいえるのではないでしょうか。
(決してずっとだったら嫌だろう、と言っているわけではありません)
この間より修復工事が進捗しておりました。
甲板に乗り込むためのラッタルと並行して、黄色い何かが
甲板から岸壁に渡してかけられています。
なんと荷物を滑り落とすための滑り台でした。
いや、まさか人が降りるためではないですよね?
見れば見るほどがっつりと足場を組んで、かなり大掛かりな修復であるのがわかります。
「コンスティチューション」がこの前に修理されたのは1996年で、これが44年ぶり。
今回は22年ぶりで、かなり修復の間隔を狭めてきているようです。
22年前とは修復技術にもかなり進歩の点で違いがあるのに違いありません。
塗装も腐食を抑える塗料が日進月歩で開発されているとか。
クレーンも、今ではクレーン車で岸壁ぎりぎりに設置することができます。
これは足場を組む機材を下ろすためのクレーンだと思われます。
そういえば、前回来てから約10日経っていましたが、足場が前より増えている気がしました。
向こうに見えているガントリークレーン、かなりの年代物に見えます。
この写真、結構貴重な修理過程ですよね。
主にウォーターラインより下の舳先部分の木材を取り替えているわけです。
破損した部分なども思い切りよく廃材にして作り直してしまうようですね。
「ミスティック・シーポート」もそうですが、こういう国の補助がある限り、
帆船の修復・造船技術は決して絶えることなく残っていくことができるわけで、
本当にその点アメリカという国は先進国であると羨ましく思います。
見れば見るほど横須賀のドックに似ている、ここチャールズタウンシップヤードの
第1ドライドック。(できた時期はこちらが80年ほど早い)
地図を見るとたくさんドックがあるような形をしていますが、実際に
ドライドックとなっていたのは、第1とその後できた第2だけだったそうです。
ここはアメリカ最古のドライドックですが、それでは世界最古はどこかというと、
やはり海洋王国イングランドのポーツマスに1495年にできたものだそうです。
チャールズタウン・ネイビーシップヤードは1800年に開設されましたが、
その12年後、アメリカにとって歴史的に重要な戦いが起こりました。
アメリカ人もだいたいのことは学校で習うのでしょうが、
やはりよく実際はよく知らない人が多いらしく、
コンスティチューション博物館には展示入り口にこんなことが書かれていました。
「誰が何のために戦ったのか、もしあまり詳しく知らないのだとしたら、
ここはまさにそういうあなたのためにある場所です。
さあ、それではこの忘れられた1812年の戦争と
コンスティチューションを知る旅のために、
帆を張る準備をしましょう」
アメリカ人でもこんなものですから、おそらく日本人は米英戦争といわれても
まったく知識がないか名前だけ知っている程度でしょう。(わたし含め)
そこでさくっと説明しておくと、この戦争は、新天地を巡って
アメリカとイギリスがアメリカ大陸各地の取り合いをしたんですな。
といってもそこはそれ、頭のいい白人様同士ですから、
米英はお互い先住民族(インディアン)を使って代理戦争をさせたりしたわけです。
戦争したり独立した割に米英の仲がそんなに悪くないのは、そのせいかな?(嫌味)
なんてリアリティのある海戦中の情景でしょうか。
ここにはこんなことが書かれています。
ここは1812年です。
あなたは戦うことを約束されたコンスティチューションの水兵です。
あなたの船は咆哮する大砲に激しく震え、煙の輪が目にしみて視界を奪い、
恐怖の涙は喉を伝い・・・しかしあなたは戦い続けねばなりません。
そして「皆は一人のために、一人は皆のために」という標語。
この二枚の「コンスティチューション」は、いずれも英国海軍との戦いで
勝利を収めて凱旋してきた彼女の姿を描いたものです。
当時の英国海軍は、世界で最も強大な力を持っていました。
500もの軍艦を保有しており、たった16隻の船しか持たない
まだ出来たばかりのアメリカ海軍とは桁違いです。
その駆け出しの海軍が世界最強の英国軍艦に勝つなど、誰も予想できなかった快挙でした。
1812年の海戦で、コンスティチューションは星条旗を揚げていました。
このシンボルはアメリカ人に
"Feel And Act For One Nation"(一つの国家のために感じ行動する)
の気概を象徴するものとして受け入れられていきます。
前回説明しましたが、なぜ彼女のあだ名が
「オールド・アイアンサイズ」になったかが書かれています。
1812年、HMS「ゲリエール」との海戦で、
その堅牢なオークの船腹が敵の弾を跳ね返したため、
”Huzza,her sides are made of iron!"
(やった!彼女の腹はまるで鉄で出来てるぜ!)
と言われたことがそのあだ名の起源です。
コンスティチューションの船体設計図断面です。
コンスティチューション博物館には、
「昔の人はどうやってこういう帆船を設計していたのか?」
ということをレクチャーするコーナーがありました。
船のカーブをフリーハンズで描くのはまず無理です。
というわけで、18世紀から船体のデザインには、
まずカーブを木で作り、それで図面を描くという方法が取られました。
作図している手が当時の衣装を着ているというのが凝ってます。
右側の木片はジョサイア・フォックスという設計士が実際に使用した
定規で、これを「ドラウティング・カーブス」と呼びます。
「コンスティチューション」の設計をしたジョシュア・ハンプレイズの使った
ドラウティング・カーブスいろいろ。
手前のカーブが白黒なのは、パーツがバラバラにできるようになっていて、
各断面を図に描くことができるような工夫だそうです。
このコーナーには画面上で船が設計できるモニターもありました。
さて、現在修復中の「コンスティチューション」。
木造の帆船なので、修復するには船体を部分的に取り替えていきます。
それでは新しい木材に取り替えて出た廃材というのはどうするのかというと、
はい、「コンスティチューション・グッズ」の出来上がり。
宝石箱や飾り物、わけのわからないもの(8番)などなど。
実は何を隠そう、わたくしこの廃材で作ったボールペンを記念に買いました。
(冒頭写真)
おそらく前回の修復の時に出た廃材なので、少なくともその前の80年間は
コンスティチューションの一部であったことは間違いないのだろうと思います。
木造船の修復は、つまりそのたびに記念グッズを作ることができるわけで、
それが維持費を生むというメリットもあるのです。
ある意味「永久機関」ですが、いつの間にかその船体は
当時とは全く別の材質(もの)に変わっていくということでもあります。
こうして改めてみると、結構広範囲を取り替えてしまうんですね。
この部分だけでどれくらいのペンができるんだろう(棒)
ちなみにペンは1本60ドルくらいで、持ってみるとズシリと重みがあります。
歴史のとか比喩的な意味ではなく、純粋に重量的な意味で。
彼女が「アイアンサイズ」(鋼鉄の船腹)と呼ばれたわけがよくわかります。
続く。