さて、戦艦「マサチューセッツ」の見学も機関室までやってきました。
つまり、艦内のファシリティについてはとりあえずここで
全てを回ることができたといってもいいかもしれません。
現在地の右手の一段低い部分が機関室ということになり、
その右手がターレットの下部にあったバーベットとなります。
(おさらい)
今から艦尾に向かってこのフロアを進んでいくわけです。
「バルコニー」のあったバーベットがドーナツ状です。
前後のバーベットをつなぐ細い廊下を進んでいるわけですが、
面白いことにこの廊下は
「ブロードウェイ」
と呼ばれていました。
この廊下によって機関室と弾薬庫、そして戦闘時の負傷者の
応急手当する「バトル・ドレッシング・ステーション」。
そのようなものをつなぐ役割であり、一度ことが起これば
もっとも混雑する通りであることからこう呼ばれていたそうです。
アイオワ級戦艦のブロードウェイはこの二倍の幅があったそうです。
そのバトルドレッシングステーションの扉。
透明の板で中が見えるようにしてありますが、
もちろん当時はそうだったわけではありません。
前にも説明したことがありますが、戦闘中に重傷を負い、
シック・ベイ(医務室)まで連れていくのが困難な戦闘員を
ここに一時的に収容して応急手当てをするところです。
戦闘中にはハッチを閉じていました。
さて、このあたりにはかつては兵員用のバンク(ベッド)が
コンパートメントごとに並んでいたところだと思われますが、
今は展示に必要な部分を残し、ほかは装備の展示が行われています。
「演習のためにマーク30弾頭をつけたマーク14」とあります。
サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフで、潜水艦を見学した時、
このMK14が展示されていましたが、当時の潜水艦が搭載していた
平均的な魚雷がこれだったと言われています。
改良するまでは不具合が多く、開戦当初はで日本側の艦船が
「魚雷が命中していたけど爆発しなかった」
という例を多々報告していましたが、最終的には弾頭につける炸薬を
変えることによって、日本側は潜水艦の攻撃に苦しめられることになりました。
この魚雷は演習用に主砲、対空用であったMk30を弾頭につけたもので、
演習用ですから浅い深度を、目標の下を通過するように撃って
あとで回収してまた使っていました。
このころの演習用魚雷は、弾頭に圧縮空気とテレスコープを仕込んであり、
最終的には浮いて回収しやすいように設計されていました。
それで全てが回収されたわけではなく、1980年にはニューポートで
第一次世界大戦時の魚雷が発見され、ゴートアイランドにある海軍の
魚雷ステーションで処理されています。
フリッツX radio control爆弾
どうですか皆さん。このいわゆる中二病的な素敵な響き。
「フリッツX」は第二次世界大戦中にドイツが開発した誘導爆弾です。
それにしてもアメリカでドイツの武器をにお目にかかろうとは。
フリッツXの誘導方式は目視誘導で、母機(主にDo217が使用された)から
5,000m~8,000mという高高度で投下されるものでした。
母機はそのままスロットルを戻し、着弾時には目標の真上にいられるようにします。
このとき照準手は母機に据え付けられている爆撃照準機でフリッツXを追尾します。
ところでwikiで初めて知ったのですが、1943年、イタリアが枢軸国の中で
真っ先に降参した時、イタリア海軍がとっとと連合国に投降を始めたので、
怒ったドイツ海軍は、このフリッツXで戦艦「ローマ」を撃沈してしまったとか。
同型艦「イタリア」も、これによって大破させられたといい、
しかもこれがフリッツXの最初の敵への攻撃になりました。
敵じゃないのに。
フリッツXの精密度は、スペック上は誤差60cmとなっていましたが、
あくまでもそれは計算上で、実際は個人の腕に頼るところが大きかった、
ということなので、このときにはヘタリアに対する怒りのパワーが
砲撃の精度をあげた、としか思えません(笑)
フリッツXを投下するには、航空機は目標の真上を低速で飛ばねばならず、
そのため母機の消耗が激しいと言う理由で計画は中止されましたが、
戦争末期になると、ルフトバッフェが軍艦の艦橋に向けて投弾するために
また使われだしたといいます。
まあ、というかドイツも物資不足だったので、
せっかく作ったから使っちゃえ、っていうことだったのかも。
AN-M58穿孔爆弾
なぜかはわかりませんが、wikiがポーランド語だけでした(笑)
鉄筋コンクリートを破壊するのが主目的の軽量爆弾です。
AN-Mark 41
シリンダー方式の対潜爆弾で、艦上から投下されました。
これも冒頭写真も機雷です。
機雷というのはある意味もっともコストパフォーマンスのよい武器です。
ほかの武器が、相手に遭遇したときにしか使えないのに対し、
こちらは前もって仕掛けておくことができるからです。
しかも、一旦仕掛けたら作動するまで見つけられないのが普通でした。
ところで、英語の機雷すなわち「MINE」という言葉は
「掘る人」を意味する「MINER」が語源となっています。
「炭鉱夫」という意味ではありません。
この話は初めて知ったのですが、大変面白かったので書いておきます。
中世ヨーロッパでは、城壁で囲まれた城の内部に攻め込むとき、
こんな方法が使われることがありました。
「マイナー」と呼ばれる土堀り係が、まず城壁の真下まで土中トンネルを作ります。
そして、城壁の真下まで掘り進んで来たら、トンネルが崩れないように、
木のつっかえ棒を城壁の下端を支えるようにしては設置します。
そして、その後、マイナーたちはつっかえ棒が燃えるように火をつけ、
一目散に掘ってきたトンネルを戻って脱出するのです。
火をつけたつっかえ棒が焼け落ちると、同時に、支えてあった城壁が
バランスを崩して掘ったトンネルの穴に崩れ落ちます。
そこで、城壁の外側で待機していた軍団が、崩れた城壁から城内に侵入、
あとは門衛と戦って中から扉を開けるという戦法でした。
この「マイナー」は作戦の「秘密兵器」と言われ、何もないはずの地面が
いきなり壁とともに崩れ落ちるような仕掛けをつくることから、
土中に埋めて敵が踏むと爆発する爆弾を「マイン」と呼ぶことになったのです。
(にしても、これ何ヶ月単位の計画だったのか・・・)
機雷が最初に実戦で使用されたのはクリミア戦争でのことです。
このときに機雷の製造・設置を請け負ったのは、スウェーデンのノーベル家で。
後にダイナマイトを発明するアルフレッド・ノーベルもこの製造に関わっています。
第一次世界大戦のときには破壊力のアップした土中機雷が開発され、
フランスのメシーヌで最初に使われましたが、これは爆発すると
ロンドンまでその轟音が聞こえるほどだったそうです。
その頃から各国海軍が海中に仕掛ける機雷を使っていました。
最初に磁器感応機雷を使ったのも、やはりドイツ海軍でした。
それをパラシュートにつけ、イギリスに投下しています。
かたやロイヤルエアフォースは、テムズ河などにこれを設置し、
河を遡ってくる敵に備えました。
今でも言われることですが、機雷の単価は大変安価なものなので、
潜水艦、船、航空機から各国は自国の防衛の要となる河口や港の外に
これを撒き、戦争が進むにつれ機能もまた進化していったのです。
それに伴い、自軍や友軍の船舶が機雷のエリアを航行できるように、
一定の時間がすぎると無効化する装置も開発されました。
また、機雷作動前に航行する船舶の数をカウントして一定の隻数のみが
安全に通過できるという仕組みも開発されています。
ここにあった説明によると、第二次世界大戦中の機雷には
Drifting Mines(浮遊機雷)海面に浮いている
Ground Mines(沈底機雷)海底に置かれる
Moored Mines(係維機雷)糸でつないで海中に浮遊させる(Mk6)
という種類があり、そして、「コントロール・マインズ」として、
沈底機雷は一般的に敵の艦船が航行すると思われる港への入り口の
浅い海底に設置されることが多かった
ニューヨーク港にも非常にソフィスティケートされた
コントロール機雷が敷設されていた
こういった海の機雷は太平洋の島々でコントロール機雷として
日本軍によって使用されていた
とあります。
まるでアメリカは自衛目的以外に機雷を使わなかったみたいな言い方ですな。
まあ、脛に傷みたいなものなので触れたくないのかもしれませんが、
日本を機雷で封鎖し、それによって戦後日本が大変苦しめられた
「飢餓作戦ーオペレーション・スタベーション」について
これっぽっちも触れないのはいささかアンフェアじゃないかね?
ちなみに飢餓作戦について、英語のwikiではこう記します。
飢餓作戦で敷設された機雷は自動的に無効化されるはずだったが、
その回路は全てにおいて作動したというわけではない。
日本近海における掃海には大変時間がかかり、結局その掃海任務は
海上自衛隊が最終的に請け負うことになった。
うーん・・・・
なんか、まるでアメリカが機雷の除去をやったorやろうとしたみたいじゃない?
それともこう?
俺ら悪くないもんね!
機雷を1万発撒いたけど、無効化する仕組みだったもんね!
民間船が(引き揚げ船も)触雷して人がいっぱい死んだけど、
無効化の装置が壊れてたのかも、ってか壊れてたんだよね!
それにそれ、もしかしたら日本軍が設置したやつかもしれないし!
って感じですかわかりません><
ついでにこの部分の日本側の記述も挙げておきますと、
アメリカ軍は第二次世界大戦での日本本土の攻撃において機雷を
戦略目的に使用し、(中略)「飢餓作戦」では、のべ1,200機のB-29によって
計1万発の沈底機雷を日本近海の海上交通路に投下した。
米軍の狙い通りに港湾や海峡で船舶の被害が増大し、
日本の海上物流は麻痺状態となった。
日本側は飢餓作戦による機雷の掃海に20年以上を費やす事態となった。
逆に日本海軍は、機雷作戦による積極的戦果を求めず、
敷設した例はそれほど多くない。
となっております。
特に説明がありませんでした。
16インチ法にしては寸法が短い気がしますが・・。
後ろの壁はバーベットのためカーブを描いています。
艦橋より艦尾側の砲塔の外殻であるバーベットが見えています。
斜めの構造物は、「オールorナッシング装甲」のページでも
お話をした、強度を強めた部分であろうと思われます。
棚のように使われていますね。
ベアリングや巨大なナットなどのパーツ置き場。
構造物がすっかり整理棚として利用されております。
ちょっと足元が悪いですけどね。
Mark 87 演習用砲弾
上の魚雷に下の弾頭のような物を搭載したってことでしょうか。
ここの説明によると、演習用の砲弾には火薬ではなく
水や湿った土を入れて実際の重さに近づけました。
命中したかどうかを判定するために、煙の信号が発せられたそうです。
さて、もう少しだけ、艦内を案内していきたいと思います。
続く。