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”いで軍艦に乗り組みて”〜平成28年度自衛隊音楽まつり

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平成28年度自衛隊音楽まつり、第2章のテーマは

「秋の音〜躍動と創造の響き〜」

です。
今年は4章に夏から始まり春で終わる四季のテーマを冠しました。
聴いている間は取り立てて季節のことは意識しませんでしたし、
それでいうと第3章の自衛太鼓がなんで「冬」なんだと思いますが、
毎年毎年例年にないテーマを考えなくてはいけない企画の大変さに免じて
その辺のツッコミはしないことにします。

それでいうと「秋」の出だしがなぜ防大儀仗隊なのかについては、
秋に行われる防大の開校記念祭の「棒倒し」の写真とともに、

「知略と戦略、実践力を結集した集団の力を要する」

ことがドリル演奏との共通点であると結びつけていました。
わたしがこのとき注目したのは、棒倒しが

「戦前、旧日本軍の諸学校においても行われていた」

とあえて説明されていたことでした。
一昔前なら明らかに”旧軍残渣”であるこの競技の由来を
わざわざ「軍」と明確に説明することはなかったでしょう。

いよいよファンシードリルの始まりです。
防大の冬服の上着に、夏服のズボンを合わせた独特の制服は、
肩からかけた白いベルトと飾緒とのマッチングも素晴らしく、
まるで機械仕掛けの兵隊さんの人形のような学生たちの姿は
ことに中高年の女性のハートをわしづかみにするようです。

 

わたしの後ろにいたおばちゃん軍団も、彼らが出てきたときから
嘆声と歓声を抑えることのできない興奮状態に。

一回目、シャッタースピード調整に失敗して銃が消えてしまったので(笑)
今回は1/60で撮ってみました。
完璧に止まってしまわず、しかし動きを残した感じで撮れました。

このポーズのときには後ろのリズム隊も同じ姿勢をしています。

去年に続いてドラムメジャーは4学年の指原呂城生徒が務めます。

去年のファンシードリルをニコニコ動画で見たのですが、
ドラムメジャーの名前が「サシハラロッキ」とコールされた途端、

「ロッキ?」「ロッキー?」「ロッキー!」

のコメントの嵐になったものです。

儀仗隊のドラムメジャーは文字通りドラムを叩く人。
指原生徒の入隊動機は

「1年の時の同部屋の3年生に連れられて」

だとか。
彼にとって最後の音楽まつりのということになりますが、 
満足のいくステージとなったでしょうか。 

右側から順番に銃を片手回ししていくドリル。

ちなみにこちら失敗したバージョン。銃が全く消え失せています(笑)

一番左の隊員が敬礼をしつつ長回し。
後ろのおばちゃんたちの声援がひときわ熱狂的になりました。

 

左から順番に銃を空中で一回転させるドリル。
肘はあまり上げないようにと言われているんですね。

銃を投げ上げて片膝をついて座って静止。
これも見ていると左から右まで一瞬です。
写真に撮ってみると、右から左までがまるで分解写真のよう。

そしてクライマックス、指揮者の銃くぐり。
2列に向かい合ったその中央を、互いに投げ渡される銃の中、
指揮者がまっすぐ歩んでいくという実にかっこいいドリルです。

 

これを見ても、銃を同じスピード、同じ角度で正確に向かいに投げるのは
よほどの訓練を積んだ結果ならではだろうという気がします。
まるで絵に描いたように銃が中央で綺麗にクロスしています。 

 

ほとんど失敗だった1回目の撮影ですが、一枚だけ
空砲発射とともにライトが消された瞬間を撮ることができました。

実際に空砲を撃つのは真ん中の三人だけみたいですね。

というわけで防大儀仗隊ファンシードリル、
当たり前のようにノーミスで終わりました。

指揮は第4学年の宮川大司学生です。

最近、防衛に関わる話題で頻繁にその名を聞くインド。

トランプ大統領当選を受けて、安倍政権は中国を取り囲む
日米露の同盟に加え(それにしても米露が共通の敵を得るとは)
インドを重要視しており、 それを受けて安倍首相はアジアの盟友である
インドのモディ首相とすでに8回目となる日印首脳会談を行いました。

この音楽まつりの頃にも、安倍首相が会談において

「インド太平洋地域と世界の平和と繁栄を、
日本とインドが手を携え、主導していく」

と呼び掛け、モディ氏も

「私たちのパートナーシップは豊かで力強い」

と応じたというニュースが流れていました。

というわけで(だと思うのですが)インド軍楽隊の登場です。
赤と黒の制服、団扇のような飾りのついた帽子が華やかです。

"Call of the heart"という楽曲はおそらくインドの曲でしょう。
軍楽隊としての活動に日本のようなドリル演奏を取り入れていないらしく、
ステップを踏んだりフォーメーションを変えたり、ということはしません。

後半は歌手がヒンドゥー語で歌唱を披露。

実は、同行者の知り合いがその前日見に行って、インド軍楽隊のことを

「 なんか・・・・もしかしたら楽器があまり上等じゃないのかも」

と言っていたそうです。
友好のためのお祭りのゲストバンドを批評するのは気が引けますが、
個人的なテクニックが一定のレベルに達していない人が多かった、
というのがわたしの正直な感想です。

もちろん日本の吹奏楽のレベルは裾野の異常な広さもあって大変高いので、
それと比べるのは酷というものかもしれません。

さらに曲の構成そのものも、

「いや、そこで終わるなよ」

とおもわず突っ込んでしまう不思議なエンディングでした。
まあいい悪いではなく、西洋音楽の取り入れ方、消化の仕方が
まったくこの国では違う、ということなんだろうと思います。

さらにいうと、彼らの音楽からはトルコ軍楽隊の「メフテル」、
(有名なのは「ジェッディン・デデン」 'Ceddin Deden'祖父も父も)
この素朴でしかし勇壮な響きを想起させる民族的な香りがしました。 

隊長のアシュック・クマール少佐の敬礼は手のひら外向き。
イギリスの植民地だっただけに敬礼もイギリス式です。

この手のひらを外に向けるやり方は、かつての騎士が
武器を所持していないことを王に示すための動作に由来すると言われています。

それはともかく、インド軍楽隊の演奏はテーマの「秋」ガン無視でした。
そもそもインドの人は秋って何?それおいしいの?状態なのかも。

さて!(と姿勢を正す)

陸自の「抜刀隊」がピッコロ独奏で始まったように、
行進曲「軍艦」もハープの柔らかな音色で始まります。

ただし「軍艦」は必ず最後に行うことが決まっているため、
ここではイントロ風に一部が演奏されるだけ。
その音色に波の音が重なって、いよいよ海上自衛隊東京音楽隊の登場です。 

これも例年のしきたりとして、東京音楽隊のバナーに続き、
カラーガードが海上自衛隊側を中心として歩んできます。

ちなみにこの時のフォーメーションは船を象っています。

両脇の白とブルーがカラーガード旗、ブルーが東京音楽隊旗、
そして紫のは女性部隊の旗です。



続いて東京音楽隊精鋭のドラム部隊のドリル演奏。
自分の右にいる人のドラムを叩いてみたり・・・
(一番左の人は叩く真似だけ)

写真に撮ってみると隣のスネアを叩いていたりします。

敬礼!

プログラムにはオータムファンタジーとなっていますが、これは
テーマを「秋」と決められてしまったためのオリジナル。(たぶん)

 

東京音楽隊が今年選んだのは「われは海の子」。
この曲については、以前一稿を割いてお話ししたことがあります。

歌が始まった時、胸がぎゅっとするくらいの緊張が走りました。
戦後のGHQによる思想統制に伴って日本全土を吹き荒れた
自主規制の嵐によって、すっかりないことになってしまったこの曲の、
あの幻の7番をこの日は歌うつもりなのだと瞬時に悟ったからです。

まずは三宅由佳莉3等海曹がハープの優雅な伴奏に乗り、
ソフトで伸びやかな声で一番を歌います。

我は海の子白浪の

さわぐいそべの松原に

煙たなびくとまやこそ

我がなつかしき住家なれ。




東京音楽隊ホルン奏者、川上良司1等海曹が「煙」の部分から
低音のオブリガードで絡んできます。

「宇宙戦艦ヤマト」の歌唱で音楽まつりに出演したこともあり、
一部世間では「「ヤマト歌い」として有名な「歌手」です。
(ご本人はそんなことはないとおっしゃていましたがそんなことはないと思います) 

1番の歌が終わると、転調してアップテンポになり、
ドリル演奏がカラーガードも加えて行われます。
ドラムメジャーは指揮者の反対側で「裏指揮」をする役目。

ちょっとしたことですが、この部分はコードも代理和音を使って
雰囲気を緊迫感あるものに変えていました。

その間舞台の両袖に退場した歌手は、正帽を着用して待機しています。

何年か前の音楽まつりで、やはり同じ川上・三宅コンビの歌唱による
「海をゆく」をやったことがありますが、その時のように
正帽を目深にかぶり、表情を引き締めての2番です。

三宅三曹の真後ろに、8月末に樋口隊長と共に横須賀音楽隊から
東京音楽隊に移籍したばかりの目黒渚2曹がピッコロを演奏しています。
ちょうどツーショットになるようにトリミングしてみました(笑)

 

そして武道館に響き渡る「我は海の子」の最終段。

この曲についてのことどもは、拙ブログの記事に書き尽くしたつもりです。
もしご存知なければぜひご一読をお願いしたいと思います。 

我は海の子〜我は護らん海の国 

歌い方、所作、声の調子まで凜とした2番の歌唱が終わりました。
川上1曹の上げた左手が自衛官式で握った拳であったのが印象的です。 

この曲を取り上げたとき、すでに退官したある自衛官が

”われわれ海上自衛官は、この曲の7番がどんな歌詞であるか、
夙(つと)に先輩から教えられていました。 ”

というメールを下さったのでした。

ただ故郷の海辺の情景を想う歌だと思っているほとんどの日本人と違い、
これが海に生まれ、 海に育って、海の国を護るために軍艦に乗って海に出て征く
海軍軍人の歌であると、多くの海上自衛官は知っているというのです。

今回、幻の7番を初めて聞いた方は、その中の少なくない人数が、
国防という任務に粛々と、かつ真摯に取り組む海上自衛官たちの
強い決意と覚悟を、この選曲から感じ取ったに違いありません。



力強い「われは海の子」のエンディングは「軍艦」につながっていきました。
いつもと全く同じ錨のフォーメーション、いつもと同じ行進曲の響き。

しかし、「いで軍艦に乗り組みて」という言霊の未だ漂う武道館に響き渡る
「軍艦」の調べは、いつもよりさらに力強く、そして頼もしく感じられたのです。


今回の音楽まつりを聴きに行かれた、やはり元自衛官の方が、
わたしにこんなメールを送ってこられました。


昨日、自衛隊音楽祭りに行って来ましたが、初めて「我は海の子」の七番を聞きました。

いで大船を乘出して
我は拾はん海の富。
いで軍艦に乘組みて
我は護らん海の國。

もう一度、生まれて来ても、自衛隊に入りたいと思いました。
 

 

続く。

 


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