この映画のクライマックスである演奏会のトリを飾るのは、
「我らがテナー」、藤原義江歌う「愛国行進曲」。
うちで引いている有線放送には「軍歌・戦時歌謡」というチャンネルがあり、
聞いていると、このチャンネルで流れる「愛国行進曲」は
まさにこの「音楽大進軍」のときの録音であったことが判明しました。
さて、その藤原義江に演奏会の依頼を頼むときがやってきました。
表札でそれを表すという安易な演出。
戦中の日本にもこんな一般家庭があったんですねえ。
ところで、このときロッパの持っている音楽家リストには
「藤原義江 同夫人」
と書かれています。
ちなみにこれは映画上の設定で、藤原義江は、浅草オペラの下積み時代に
取り立ててくれた年上のソプラノ歌手と離婚して1930年には
2番目の妻(医師夫人だった宮下あき)と再婚していました。
宮下あきは歌手ではありません。
♪ マリア・マリ 若原春江
こちら藤原家のお手伝いさんと言う設定で、宝塚出身の歌手であり
女優でもある若原春江が庭に水をやりながら歌うシーン。
藤原夫妻の居場所を追って、汽車に乗るロッパと渡辺。
ここは箱根駅であろうと思われます。
ここでも社長令嬢のコネがものをいいます。
そしてここは山中牧場。
なぜか牛に囲まれて夫人(と言う設定の滝田菊江)と
♪ トスカ 愛の二重唱
を絶唱する藤原義江(笑)
滝田菊江という歌手は藤原歌劇団でも歌い、
この映画では妻と言う設定ですが、わずか38歳で夭逝しました。
この間、渡辺はわざと牛にぶつかって牛に怒られたりします。
ついでに牛を避けて抱き合うロッパと社長令嬢の写真まで激写。
会社でその写真が面白おかしく閲覧されているのを見て
唖然とする栄子と同僚の女性。
このあとこれをなじってロッパをひっぱたくシーンは検閲でカットされました。
こちら、指揮者岡倉に2度目の依頼に来た二人ですが、
またしても謎のデブ岸井が紹介状の依頼をしに来ていてバッティング。
二人は岸井が岡倉のマネージャー(英語が使えないため支配人と言っている)
と信じて疑わず、断らない彼を酒で懐柔して
もうすっかり全員に出演を取り付けたつもりになってしまいました。
新聞記事から岡倉のスケジュールを知り、ついでにマネージャーだと
思っていた岸井がにせものであることに気づいた二人、
逃げるデブを追いかけて、丸の内へ。
当時の東京駅付近の映像が人々とともに映し出されます。
ここは明治屋前。
明治生命ビルのお堀端とか・・・、
森永製菓ということは芝まで走ってきたのか・・・。
東京駅前はこんな広場でした。
さりげなく企業の前を走って宣伝をしております。
ここは三菱電機のビルだった模様。
東京駅丸の内側。
今工事中の部分ですね。(ここずっと工事してるけど何作ってるんだろう)
そしてなぜか汽車に乗って・・・・えええ?
なぜ汽車の中で捕まえない、と思うのですが、とにかく
一行は追いつ追われつしてなんとこんなところにやってきました。
藍壺という滝だそうですが、どこのかまではわかりません。
彼らのからみは実際にこの滝の上で行われました。
ちょっとこれはすごすぎる。
いやー、昔の役者は命張ってるわ(笑)
ロッパはこの危険なロケに怒り心頭であったとか。
とにかく、もみあううちに岸井が岩場に落ち、それを助けに行こうとして
ロッパも渡辺も滝壺に落ちてしまいます。
普通の人なら、死にます。
こちら演奏会場。
右のほうには最初の映画タイトルだった「音楽大夜会」という文字が。
辻久子のタイトルは「天才少女提琴奏者」とあります。
こちら滝壺三人組。
三人とも滝に落ちるも誰かに助けてもらったようです。
滝壺に落ちて骨折だけで済んだロッパ、頭の怪我の渡辺、
そして顔に絆創膏を貼っただけの岸井。
骨折だけなのに連絡もせず、演奏会場にも姿を見せないので、
皆が心配する中、
スポンサーの佐伯社長が
「南方慰問演奏会壮行演奏会を始めます」
え、ということはこの人たち全員南方に実際に行くってこと?
そりゃー無理だろう。と今更驚いてみる。
♪ イゴール公 ボロディン
この人たち全員が南方に行くなんて、絶対無理(断言)
とにかく演奏会は指揮者抜きで始まってしまいました。
それなのに、ロッパの彼女、栄子が、この後に及んで
岡倉の家に出演のお願いに行ったりしてるんですよ・・・。
そして当たり前ですがマネージャーに「今から演奏旅行なので」と断られます。
しかしあきらめない。だから演奏会は始まってるんだと何度言ったら(略)
姉に続いて最終兵器の子供が岡倉に直談判のため突撃していきます。
中村メイコ演じる栄子の妹、のりこ。
不思議なことにこの兄妹は、どうみても30台後半の兄、
20代の妹・栄子、末の妹が小学校2年生だったりします。
サザエさんの磯野一家もそうですが、昔ってこんな風にきょうだいの年が
離れていたウチも多かったのでしょうか。
なんと、岡倉先生、この演奏会の依頼が自分に来ていたことを
今の今まで知りませんでした(爆)
「普段なら出てあげるんだけど」
「いやん、いやん、いやだあ」
「先生ダメなの?どうしてもダメなの?」
中村メイコは「天才子役」と言われていたと聞いたことがありますが、
こうしてみると単なるこまっしゃくれたガキ、いやなんでもない。
そうこうしているあいだにもプログラムは進み、
平岡養一の
♪ チャルダッシュ舞曲
実はこの演奏を聴いてすげー、と思ってしまったわけですが、
実際にもこの平岡養一という奏者は日本人で初めてカーネギーホールに
出演したという有名な人だったりします。
チャルダッシュ -シロフォン(木琴)ソロ 陸上自衛隊東部方面音楽隊
同じ曲を陸自のソリストが演奏していましたので聴いてみてください。
長くて聞いてられない、という方は2:10から。
メイコ、送ってあげるという手を振りほどいて拗ねモード。
これは計算してますわ。
「・・・・(俺なんか悪いことしたっけ)」
椅子の背中を指でツンツンしながらクネクネしていたかと思うと、
本当に涙をこぼしてマジ泣き。
子供が泣いたからといってなんとかなるはずがないのだけど、
なんとかなってしまう、なぜってここは優しい世界。
岡倉はまんまと演技にほだされて汽車を遅らせ、演奏会に駆けつけることにします。
多分これ、日本版「オーケストラの少女」ってことににしたかったんだろうな。
一曲指揮するためだけにメイコを伴ってステージに駆けつける岡倉。
なぜかいつの間にかお色直ししているメイコ(笑)
あざといさすがは天才子役あざとい。
実はこの指揮者には、当初山田耕筰の出演が予定されていました。
劇中の岡倉ではありませんが、山田は撮影の時中国に視察旅行に行っており、
出演の返事がもらえず、仕方なく指揮者だけが俳優ということになったそうです。
そしてなんと岡倉、出会ったばかりのメイコをステージで歌わせます。
「ただいまからのりこさんと、のりこさんの共栄圏のお友達のために、
私の作りました小品を私の伴奏でのりこさんに歌ってもらいます」
ってこれが
♪ 夕焼け小焼け
だったりするんですよ。
「夕焼け小焼け」の作者、草川信はこのころまだ存命でしたから、
了解を得てそういうことにしたのでしょうか。
のりこの真心に打たれて出演することになった、と岡倉が説明するのを
ラジオで聞いて驚いてからわずか5分後。(いや3分か)
怪我をして絶対安静だったロッパたち一行は会場にやってきて
片隅で演奏を立ったまま見守ることにしたようです。
そんなに早く来れるなら最初から来いよ、と思ったのはわたしだけでしょうか。
そして藤原義江、滝田菊江のソロによる「愛国行進曲」。
指揮はもちろんのこと岡倉です。
さて、せっかく当代一流の音楽家に出演を仰ぎ、作りようによっては
これが音楽映画の最高峰になる可能性もあったというのに、
無粋で芸術の”げ”のも理解できない頭カチコチのお上の検閲に遭い、
結果としては全くの駄作となり映画史に残ることもなかったこの映画。
もともとは南方の戦線にまさにこの映画のように慰問のために
出来上がったフィルムを送るという目的であったのに、
やれ軟弱だとかやれ感傷的だと、あっちこっちに検閲のカットを入れまくり、
その結果、
● 「湖畔の宿」を歌うシーン
● タンゴ「碧空」
● 「荒城の月」ブギウギアレンジ
● 灰田勝彦の歌
などが無情にも消されました。
また、
「渡辺篤が慌てて靴を履いて家に上がりこむシーン」
「舞踊学校のシーン全て」
「女性がベッドに入るシーン」
「栄子がロッパの頬を平手打ちするシーン」
「キャバレー・酒場シーン」
なども、いろいろ連想させるなどの理由でカット。
こんなにされてはあらすじも表現もへったくれもなかろう、
と言うくらいの国の干渉ぶりで、事実、結果は惨憺たる有様に。
しかも、結局この映画に漂う「アメリカ臭」が嫌われて、(どこがだ)
戦地の慰問に送られるということは結局一度もなかったといいます。
どうしてこれが戦争映画なのか。
「戦争映画コレクション」として送付されてきたときには思いましたが、
これはある意味、「戦争に蹂躙された映画」としてこのジャンルに入れられるべき
立派な戦争映画なのでは、と見終わって思ったわたしでした。