さて、いよいよ戦艦「マサチューセッツ」見学最終回です。
戦艦のファシリティについてはこれで全部を網羅しましたが、
まだ特別展示が残っていますので、またいずれ、
他の艦艇見学の合間にお話しできればと思います。
さて、冒頭写真は艦内に説明なく展示してあった
割れた砲弾らしきもので、何かわからなかったのですが、
最後に撮った一連の写真にそれがわかる鍵がありました。
すべてを見終わって甲板に出てきたときにとった写真です。
ここにも同じような千切れた砲弾の先みたいなのがある!
実はこれ、「マサチューセッツ」が大戦当初に砲弾を撃ったという
あの「カサブランカ海戦」のときの砲弾らしいのです。
1942年11月8日、戦艦「マサチューセッツ」は「松明作戦」
(Operation Torch)に参加し、北アフリカのカサブランカ、
揚陸の一つの目的であるフランス領モロッコ近海に艦隊として配されていました。
ドイツ占領後もヴィシー政権が保持していたアルジェを、連合軍は
独軍よりも先に確保するため、またリビアの独・伊軍を挟撃するために、
フランス植民地のアルジェリアとモロッコに3方面から上陸して、
アフリカ北東部を制圧下に置く作戦です。
6:45、「マサチューセッツ」はフランス海軍の「ジャン・バール」から
砲撃を受け反撃を行った、とこの展示では説明されていますが、
アメリカ媒体ではないカサブランカ海海戦の経緯によると、
米戦艦マサチューセッツ、重巡ウィチタ、タスカルーサ、駆逐艦4隻が
沖合から接近して砲撃を加えるとカサブランカ西部のエルハンク砲台が応戦。
未完成の仏戦艦ジャン・バールも砲撃を返す。
となっているのです。
”先に撃ってこられたから反撃した”って、嘘じゃーん(笑)
だいたい「ジャン・バール」は艤装中で、まだ4分の3しかできておらず、
常識で考えてもそんなフネが戦艦に先に攻撃するわけないと思うのですが、
とにかくアメリカ側の記述にはこのことは一切書かれていません。
この写真のゴマ粒みたいなの一つ一つが16インチ砲です。
第1砲を撃った7:04から16分後の7:20には「マサチューセッツ」は
16インチ砲5発を命中させ、「ジャン・バール」は完全に沈黙した。
これもアメリカ側(というかここの)記述です。
案の定、この辺もアメリカの印象操作が入っていて、現実は
仏軍機の攻撃で347の上陸用舟艇の半分が撃破され、
結局上陸することができた米軍は8,000弱であった。
日没までに戦艦ジャン・バールの砲塔は修理された。
エルハンク砲台も健在だった。
そして仏軍潜水艦はなお5隻が米艦隊を狙っていた。
ってことなんで、もちろんカサブランカは結果陥落したんですけど、
とにかくアメリカ側、とくにマサチューセッツが思っていたほど
相手に対して決定的なダメージを与えたわけではなかったようです。
まあ、どちらにしても艤装中だったわけだし、当然のことながら
「ジャン・バール」の乗員も全員が乗っていたわけではなく、
被害も30名程度です。(あれ、やっぱり結構多い?)
Operation Torch-The invasion of North Africa
こちらアメリカ側からの映像。カサブランカ海戦は4:24から。
艦上で馬跳びしている水兵さんたちも見所ですが、
それより「マサチューセッツ」の砲撃が「ジャンバール」に命中、
炎上するところが映像に残されています。
映画カメラマンが乗ってたってことですよね。
「マサチューセッツ」、「ビッグ・マミー」の16インチ砲弾。
この海戦のとき、796回主砲は火を噴いたということです。
(そのうちの5発しか当たらなかったということになりますね。
戦艦の砲撃の命中率低っ)
「オペレーション・トーチ」ののとき、巡洋艦隊司令として
旗艦「マサチューセッツ」に座乗していた RADM、ロバート・ギッフェンが、
「ジェントルメン、覚えておいてくれたまえ。
これらの大砲が歴史を作るのだ」
とここぞとばかりに語っております。
ちなみにこの提督の「ここぞ発言」はいっぱいあって、
”Let them heve it!" (やつらにやらせろ!)
そして、
"Pour it on THEM!" (やつらに降り注いでやれ!)
砲弾が彼の頭のすぐ横をかすめていったときに、
「 もし爆撃に”上陸”されたら、おれは真っ先に天国で
トロイのヘレンにデートを申し込むために並ぶぜ!」
この洒落がいまいちよくわからないのですが、まあ提督なりに
いつか言ってやろうと手ぐすね引いてたのかもしれません。
「ジャン・バール」が右舷に受けた砲弾の弾跡。
甲板から6階下まで到達しています。(右は5階)
これだけ損害を受けても廃艦にならずに修復できたのは、弾薬庫とか
そういう致命的なところに当たらなかったためでしょう。
弾痕跡の写真。
海軍が被害を検証するために回収してきた発射体の弾頭。
冒頭写真のもおそらくその一つでしょう。
つまり本物です。
この小さなかけらは乗組員が拾ってキープしていたもの。
「マサチューセッツ」が展示鑑になったとき寄付されました。
これが説明がなく何かわかりません。
別の角度から。これなんでしょうか。
さて、1944年という年にビッグ・マミーに起こったことです。
■ マーシャル諸島クェゼリンで被弾。
艦長は「大当たりだね!」(You hit the jackpot) と一言。
■ 2月16日 チャールズ・エインスワース中尉がトラック諸島で
キングフィッシャー水上機による敵地での救助により空軍殊勲賞を受ける。
■ 5月19から7月15まで、オーバーホールのために帰国。
クルーは「休暇をたっぷりと楽しんだ」ということです。
日本とはすでに余裕が違う。余裕が。
ちなみにデート中の水兵さんの絵もあのキャンフィールド画伯で、
「乗組員のビル・キャンフィールドは戦後人気漫画家になりました」
■ 8〜10月 フィリピン、台湾、沖縄を爆撃。
12月 台風に初めて遭遇。
これってもしかして、あの、ハルゼー・マケインコンビの(嫌な予感)
使い慣れないPhotoshopなので切り抜きが雑なのはお許しを。
「8」と書かれた部分には5インチ砲が備えてあります。
どこかで見たことのある水兵さんが、
「砲がマッチ棒みたいだ」とか言ってますね。
黒字の1番の部分がデリックです。
「スポッティング・プレーン」と呼ばれていたようです。
水上機をここから海面におろし発進させるのです。
先ほどのアインスワース中尉も「マサチューセッツ」が搭載していた
三機のヴォート製キングフィッシャーのパイロットでした。
水上機は撃墜された飛行機のパイロットの救出に大活躍しました。
白地の5番には無線室(三つのうちの一つ)がありました。
戦争中は安全のために長波は使われませんでしたが、
短波による交信は艦隊の中で頻繁に行われました。
写真は、同じ艦隊の別の船のクルーに、ニミッツと握手したことを
自慢している通信員、ジョセフ・ライリーくん。
■ 3月 誰それがパイロット誰それを救出(適当)
4月 カミカゼ特攻機3機を撃墜する
■ 6月 台風に見舞われ煙突のところまで波が来る
■ 7〜8月 日本本土の楽器会社と釜石の製鉄所を爆撃
これが大戦最後の砲撃となる
この6月の台風って、やっぱりあれですよね?
「マケインとハルゼーのコンビ」によるしかも二回目の大チョンボ。
台風に突っ込んでまたしても大被害を艦隊が被ったという・・。
それと、この「楽器会社」ってヤマハとかカワイとかのことですか?
カワイがプロペラを作っていたのは知っていますが、
なぜわざわざ「楽器工場」を砲撃したのか・・・・・・?
特攻についてはこう書かれています。
連合軍の優勢に押された日本は、新しい、そして野蛮な戦法、
カミカゼを選ばざるを得なくなった。
この自殺飛行機を操縦していたのは若い未熟なパイロットたちで、
連合軍の艦艇に体当たりするのを命と引き換えの「名誉」とした。
まあ、アメリカから見るとそういうことなんでしょうね。
釜石の製鉄所を攻撃したことを言っているようです。
海軍旗はどこで見つけたのか(棒)
今、ebayなんかでこういう戦利品が売買されたりしていますが、
中には出征兵士に送る個人的な名前の書かれた寄せ書きなどもあるそうです。
こういうのって不謹慎という考えはない・・・んだろうなきっと。
この説明には「戦艦」についてこう書かれています。
かつて青い海の巨人である戦艦は、敵を目前に
砲を撃ち合い決闘をするために作られた
しかし、(そのような戦いのチャンスがないわけではなかったが)
そういった会敵はもう起こることはなかった
あの大戦では戦艦の戦略的価値は、100マイル向こうの敵を
航空機で攻撃できる空母が現れてから影の薄いものとなった
しかし戦艦がその存在価値を失ったわけではない
その驚くべき攻撃のための武装は、要塞化された沿岸の基地を叩き、
そして空襲からその空母を守るものだった
これは他のいかなる鑑にもとって代わることができない
戦艦「マサチューセッツ」シリーズ 終わり