マサチューセッツはフォールウォーターにある世界最大の
戦艦展示を誇るバトルシップコーブ。
戦艦「マサチューセッツ」についてようやく全部をご紹介し終わったので、
その他の艦についてお話ししていくことにします。
昔海軍の軍港であり「マサチューセッツ」がかつて母港であった
まさにその岸壁にに展示艦となって「マサチューセッツ」は永久展示されているのですが、
その周りにもいくつかの海軍艦が取り囲むように浮かんでいます。
さあ、それでは左奥に「マサチューセッツ」のそびえ立つ艦橋を見ながら、
潜水艦の甲板から繋げたラッタルを今から渡り、
「ヒデンゼー」に乗艦して行くことにいたしましょう。
おっと、その前に。
ミサイルコルベット艦、というのはあまり耳に馴染みのない艦種です。
わたしなどコルベットと聞いても車しか思い浮かばなかったりするわけですが、
帆船時代には沿岸部のパトロールをする小型の三本マストの船をこう称していました。
「コルベット」という言葉も、もともとはフランス海軍の命名によるものなのです。
定義としては「フリゲート艦より一回り小さく、一層の砲甲板を持つ」とされ、
あの「咸臨丸」もコルベット艦にカテゴライズされます。
時代が下って第二次世界大戦以降になると、イギリス・カナダ・イタリアにおいて、
「機雷掃海や対潜水艦用の艦艇として開発された小型の艦」を
コルベットと称していました。
なかでもイギリス海軍の「フラワー」級(やっぱり英海軍の船って名前が変だ)
コルベット艦は、大西洋において30隻以上のUボートを撃沈しています。
変な名前といえば、ちょっとだけ寄り道ですが、ソ連海軍には
「ポチ型コルベット」(Poti class corvette)
なるかわいい名前のクラスが存在しました。
対潜用の武器は搭載していたものの、対空用が貧弱なため、
航空機に対してはほとんど防御力がないフネと言われていました。
それでもどういうわけか(大人の事情で?)66隻も生産されたそうです。
ただしソ連海軍の名誉のために言っておくと、「ポチ」はあくまでも
NATOのchord name、つまり敵側の認識のために付けられたもので、
ソ連での名称は
「204号計画型小型対潜艦」
だったそうです。
しかしソ連海軍も面白くない名前をつけるもんだね。
ここでふと興味を持って、ざっと現在のロシア艦艇の名前を見てみたところ、
941U型、タイフーン型(Typhoon)
ドミトリイ・ドンスコーイ(824 Dmitriy Donskoy、1981年)
あの「ごみ取り権助」がいつの間にか復活しているのに気づきました。
こいつはめでたい権助どん。
もう一つ寄り道ついでに、「ドンスコーイ」は「ドン川の」という意味で、
「ドン川で武功を立てたイワン1世の孫」( 1350年- 1389年)のことです。
閑話休題。
さて、ここに来られる皆さんのほとんどはすでにご存知でしょうが、
アメリカ海軍はその歴史上コルベット艦を造ったことはありません。
なのになぜここにあるのかといいますと。
まずこの妙なシェイプの艦尾に書かれた艦名をご覧ください。
この字体を眺めていただくと、これがドイツの「亀の甲文字」であることが
わかる方にはお分かりいただけるかと思います。
この「亀の甲文字」をわたしがなぜ知ったかというと、
ヒットラーとナチスドイツについての本を読んだときに
「ドイツ人にとってヒットラーの功績は二つある。
一つはアウトバーンの建造、もうひとつは亀の甲文字の廃止だった」
という一文が強烈な印象を残したからでした。
亀の甲文字はドイツ語ではフラクトゥーアといい、1941年に
マルティン・ボルマンがユダヤ色排斥の一環として
「フラクトゥーアはユダヤの字体(ユーデンレッテン)である」
と言う理由で亀の甲を公文書から廃止するまで使われていました。
この艦名であるHIDDENSEEをそうと知るまでは何の疑いもなく
「ヒドゥンシー」と読んでいたわたしですが、これはドイツ読みせねばならず、
したがって「ヒデンゼー」と発音するのです。
亀の甲文字は、いまでは装飾用の字体として残っているだけですが、
センスと学のあるバトルシップコーブの学芸員?は、
「ヒデンゼー」の文字を彼女の出身地であるドイツにちなんだのでしょう。
実際には「ヒデンゼー」が竣工したのは1985年、しかも持ち主は東ドイツ。
つまりまったくボルマンの廃止令以前のドイツとは関係ないんですけどね。(爆)
さて、とりあえず後甲板に立ってみましょうか。
多分対空用の銃だったんだろうなー、と想像されるような
「何か」がその痕跡だけを残してあります。
ここにあったとされるのは、
9К32 «Стрела-2»。
正式な読み方は
ヂェーヴャチ・カー・トリーッツァヂ・ドヴァー(ストリラー・ドヴァー)
って全然ドイツ語じゃねーし。
なんとこの通称ストレラという歩兵用のミサイル(MANPADS)、
ソ連で開発されたものだったりします。
なぜか。
それはこの船がロシア製だったからでした(再爆)
東ドイツ人民海軍は、
1241RÄ型対艦ミサイルコルベット(Flugkörperkorvetten der Projekt 1241 RÄ)
(えー、一応「ラー」型でいいんですかね?)
この2番艦を ロシア共和国ルィービンスクのヴィーンペル設計局に発注し、
そこで造られたので、このようなことになっているわけです。
しかし、ロシア人も気が利かないっていうのか、顧客がドイツ人なのに
まったく言語をわかりやすくしようとする気配りがないというね。
人民海軍の皆さんも運用にあたってはさぞ苦労されたと思われます。
当初この船は東ドイツの英雄であった人物の名をとって、
「ルードルフ・エーゲルホーファー(Rudolf Egelhofer)」
という名前で運用されていました。
しかし、彼女が就役してわずか5年後、ベルリンの壁は崩壊し(再々爆)、
東西ドイツは統一されてしまいます。
このとき、東西ドイツ軍の装備がどうなったか興味は尽きませんが、
とにかくルードルフ(略)の同型艦はすべて除籍扱いになり、
ルードルフ(略)だけが除籍を免れて、統一したドイツ軍に籍を移しました。
しかしさすがに共産党の英雄の名前をそのまま使うわけにいかないので、
彼女は名前を「ヒデンゼー」に改称させられました。
ヒデンゼーとはバルト海に浮かぶ面積わずか19キロ平方メートルの
小さな小さな島の名前です。
ついでに「ラー」型もその際「ミサイルコルベット艦」と艦種変更しました。
艦橋というものはなく、構造物の上には
実に妙な形の機関砲が見て取れます。
ここには外付けの階段を上っていくことができます。
おそらくアメリカではここでしか見ることのできない
ソ連の艦載機関砲システムAK-630。
砲口を見ていただければ分かりますが、 30mm口径
6砲身のガトリング砲を使用した全自動システムです。
CIWSシステムとしてはもっとも初期に開発されたものだとか。
こんな隣接したところに2基並んでいるというのも
奇異な感じがしますが、とりあえずは旋回角360度、
仰角は-12度〜+88度を確保してはいたようです。
独島クラスに積んだ韓国海軍のゴールキーパーは、
艦尾に積んだヘリコプターを撃つ設計仕様になっているそうですが、
こちらは腐ってもロシア人の設計なのでそれはありえません。
ちなみに独島はこれを直すお金がないので、とりあえず
ヘリコプターをゴールキーパーのすぐ下に置いて対策しているそうです。
艦尾にヘリを置けないヘリ搭載艦って一体。
ていうか、ブラックホーク、錆止めをしてなくて載せられないんじゃなかったのか。
後ろの方にあるクレーンを中心に撮ってみました。
いうまでもありませんが、これはまったく「ヒデンゼー」とは関係ありません。
この赤い二つの丸、説明がなかったのですが、
もしかしたらAK-60のレーダーかなと思ったり。
一応せっかくなので頂上を征服してみました。
艦尾にアメリカの旗をちゃっかり掲げていますが、彼女が米海軍籍だったことはありません。
「ヒデンゼー」が除籍を逃れたのは、西ドイツが調査をするためでした。
ドイツ海軍では名前まで変えておいて、運用するつもりはさらさらなかったようです。
しかも、西ドイツ海軍に籍があったのはたった半年。
半年ですべてを調査し終わったのかどうかわかりませんが、彼女は
その後ドイツ軍を除籍となり、今度はアメリカに移譲されました。
これもアメリカが敵であるソ連の武器を調査するためだったのです。
というわけで、彼女は1991年にドイツからここにやってきました。
その流転の果て、ここで静かに余生を送っているのです。
さて、それでは艦内に降りて行ってみましょう。
居住区も司令室も、甲板より下の階にあります。
まるで梯子のようにほぼ垂直の階段を下りていきます。
続く。