さて、潜水艦「ライオンフィッシュ」見学、最終回です。
いままで見た潜水艦の内部は、前後に魚雷発射管、コニングタワー下に
ジャイロコンパスや操舵のあるコントロールルームがあって、士官用の区画は前方、
下士官兵の食堂はタワーよりも後方、にあるというのが共通していました。
狭い潜水艦内ならどこが上も下もなさそうなものですが、これが決まっているのは
おそらくですが、
「士官の居住区は少しでもエンジンから遠いところに置く」
という理由によるものではないかと思いました。
下士官兵はクルーズ・メスという食堂以外には居住区はなく、
バンクというベッドがまとめられている区画で寝起きするか、
あるいは魚雷発射管室の棚のベッドがもらえるかなのですが、
その場所は必ずエンジンと隣接しているようです。
メスの次の部屋は何もありませんでした。
もともとはここにバンクが所狭しと吊られ、ほとんどの兵が
寝起きしていたはずの場所ですが、現在はご覧のように、
例えば元サブマリナーの同窓会があったり、レクチャーが行われたり、
そういう場所として利用されているように見えます。
しかし、そこに唯一当時のままに残されている装備がありました。
はい、アイスクリームマシンです。
一瞬ウォータークーラーかと思いました。
おそらく当時は上部にサーバーが設置されていたのでしょう。
アメリカ人のアイスクリーム好きについてはこのブログでも
何度となく取り上げてきましたが、「パンパニト」にも別のタイプの
マシンがあり、ここにも・・・。
前回「アメリカ海軍の艦艇にとってのチャプレン(従軍牧師)は
日本海軍艦艇にとっての神棚と同じかもしれない」と仮定しましたが、
もしかしたら神棚に相当するのはアイスクリームマシンではないか?
という気がしてきました。
敵の艦船を沈めて興奮のアイス。
魚雷を躱されて悔しさをぶつけ合うアイス。
パイロットを救出して、あるいは捕虜を生け捕りにしてご褒美のアイス。
敵の攻撃により友を失い、彼を偲んでアイス。
故郷のパーラーを思い出して、恋人とのデートを思い出してアイス。
良きにつけ悪しきにつけ、嬉しい時も悲しい時も、暑い時にはもちろん
もしかしたら寒い時にも、おそらく彼らは何かと理由をつけては
アイスクリームマシンの前に列を作ったのではないかと思われます。
ね?ここまでくれば宗教みたいなものでしょ?
続いては洗面所。
といっても、潜水艦の乗員が哨戒中ここで毎日髭を剃れたか、
というとそれはとんでもない話でした。
人間の尊厳としてせめて毎日歯は磨くことができたのだと思いたいですが、
とにかくこのころの潜水艦は、水を作ることができなかったので、
特に男性ばかりの空間ではものすごいことになったと思われます。
後ろに洗濯機もありますが、果たして哨戒中にこんなものが使えたのか。
ところで昔から潜水艦に女性を乗せないことになっている理由は
「狭くて浴室やトイレを分けられない」
「同じく狭くて居住区を分けられずプライバシーが確保できない」
「水が制限されるので衛生面で女性には過酷であるから」
だと言われてきたのですが、原子力潜水艦を持つアメリカ海軍では
かなり昔からフェミ団体に後押しされた政治家が圧力をかけてきて、
潜水艦に女性将兵を乗せるという試みが検討されてきました。
現場からはかなりの反発があったと言いますが、そこはアメリカ、
勢いとノリで押し切って、女性サブマリナーが誕生しました。
いろいろを乗り越えて、潜水艦が女性に門戸じゃなくてハッチを解放したのは
2010年で、この時に43名の女性士官が潜水艦配置されています。
彼女らは専門の「潜水艦勤務士官」のコースを修了した後、
バージニア級の潜水艦にそれぞれ着任しました。
さらにはUSS「ミシガン」SSGN-727は、2016年(ということはもうすでに?)
女性下士官を乗せる最初の潜水艦になることが決まっています。
英国海軍にもこんなニュースも。
2年前のニュースですね。
フランス海軍にも女性サブマリナーはいるようです。
各国がこうやって一見悪条件で現場からの反発も大きく、
さらにトラブルとなりやすそうな女性の配置を進めるかというと、
人権問題よりもむしろ「人材確保」(優秀な)という面が大きいとか。
昔と違って潜水艦勤務の環境がましになり、危険も力仕事もなければ、
女性を乗せることはむしろいいことだと考えられているようです。
いずれにしても、このころの潜水艦と我が海上自衛隊では全く考えられません。
水兵たちのバンクの隣がエンジンルームです。
通路を挟んで両側にあるのがエンジンそのもの。
フェアバンクス-モース社が1943年から米海軍の
潜水艦専用に供給しており、当時の潜水艦ほとんどすべてが
同社のエンジンを搭載していたと言われています。
同社はもともと風車を作っていましたが、回るものつながりで
そのうちエンジン製造にも進出し、メジャーになり、潜水艦用に開発された
ディーゼルエンジンはことに評価されています。
現在も同社のエンジンはホイッドビー・アイランド級ドック型揚陸艦や
サン・アントニオ級ドック型輸送揚陸艦の水陸両用の船に使用されているほか、
アメリカ沿岸警備隊のカッターでも使用されています。
F-M社のこのタイプを「対向ピストンエンジン」といいます。
英語ではそのままopposed-piston engineで、
1気筒に対して2個のピストンが対向して備えられ、燃焼室を共有するものです。
エンジンの一部がスケルトン仕様になって展示されています。
なのに急いでいたのと暑さでぼーっとしていて、詳しく写真を撮りそこないました。
対向ピストン機関とはこのようなものです。
上で回転している車輪の吸入口から空気と燃料を混ぜます。
上の写真で見えているのはクランクの部分ではないかと思いますが、
詳しく写真を撮らなかったのでわかりません。
しかも今気づいたのですが、この展示にはボタンがついていて、
そこをぽちっとすると説明が聞けたというのに・・・。
ちなみにこちらもF-M社の対向ピストンエンジンを搭載した
潜水艦「パンパニト」のエンジンルーム。
いわゆる「マニューバリング・ルーム」。
エンジンルームに隣接していて、各種操作機械や、あるいは
メイン・プロピュルージョン・コントロールシステムがあります。
写真上部のドラムには「バルブ」と記されています。
メインエンジンの排気バルブではないかと思われます。
エンジンルームは「メイン」と「アフター」とが続いてありますが、
メインの方がエンジン、ジェネレーター2基ずつなのに対し、こちらは
それに加えて排気バルブ、補助エンジンなどもあります。
ちなみにゴミ箱は現役の模様。
アフターエンジンルームのメインエンジン。
メインモーターはここにあります。
「バラオ」級のモーターは4基搭載されていました。
トイレは狭いですが、左側にいざ!というときにつかまれるような
安全用の手すりが配置されています。
用足し中に転がり落ちるなんてシャレになりません。
マニューバリングルームのマニューバリングスタンド。
潜水艦の2つのプロペラを動かすのは4つのモーターで、
ここと直結しています。
潜水艦が水上を航走するときにはその電力は4つのジェネレーターを通じて
4つのディーゼルエンジンから生み出されますが、潜航のときにはそれは
蓄電されたものを使うしかないのです。
電池は浮上しているときに充電されます。
ジェネレータの出力をコントロールするパネル下部のレバー。
このパーツはGEの製品でした。
というわけで、最後尾の後部魚雷発射室までやってきました。
前部と同じく、魚雷発射管に近づくことができないように柵があるので、
間からカメラを入れて撮りました。
やり方を知っているとハッチを開けることもできるので、
ツィッターやインスタグラムに、魚雷発射管に入って顔だけ出している
写真をあげるような不埒ものが出てきかねないってことでしょうか。
あまり事例はないですが、潜水艦内で死者が出た場合には
魚雷発射管から外に放出して水葬したときいたことがあります。
そこで思い出すのが、ドイツからU-boatで日本に帰国する途中
ドイツが降伏してしまったため、艦内で自決した二人の技術中佐の話です。
1945年、アウシュビッツとキールのトロイメライ
このエントリで語った二人の海軍軍人は、いずれも
Uボートが連合軍の手に落ちる前に、魚雷発射管から海中へと、
ドイツ海軍の手によってその遺体を水葬に付されました。
24本ストアしてあったという魚雷が、ローディングするためのラックに乗せられて
展示されています。
今でもNATOでは魚雷は21インチつまり533mmが規格となっていますが、
それはもともとこのころの魚雷の規格が21インチだったからです。
「ライオンフィッシュ」に搭載されたのは同じバラオ級の「パンパニト」が
搭載していたMk14ではないかと思われます・
こちらにMk14とは明らかに形の違う魚雷が2本ありますが、
こちらは1945年には主流となっていたMk16だと思われます。
魚雷は推進のために内部に内燃機関を持ちますが、このタイプは
機関への酸素供給にあたって、従来の空気室を用いる方法ではなく、
液体の過酸化水素水を化学反応させ発生した酸素を用いています。
このとき同時に水蒸気も発生することから、これらを利用し、
燃焼及びタービンへの蒸気供給を行雨という仕組みです。
この仕組みのおかげで酸素携行量が増え、Mk14より航続距離が倍以上に伸び、
空気を用いた場合と異なり窒素排出も無いため航跡が薄く、
発見されにくくなりました。
また、ジグザグ航行などのパターン航行もできるようになりました。
昔はこの上部が魚雷を積み込むためのハッチだったと思われます。
今は階段をつけてここから出入りができるようになっています。
上の写真を改めて見て、魚雷の中身を見せるために
わざわざ外側を外して展示してあったのに気付きました。
この時もちろんこれらが見えていたはずなのに、どうして至近距離で
写真を撮っておかなかったのか・・・・。
さらには魚雷の上に魚雷の爆発の仕組みなどの説明があります。
今にして思うと、この時には時間がないのと暑いのでモノを考える
力がかなり低下していたからだと思うのですが、
潜水艦内で酸素不足っていうのも関係していたんじゃないかな。(嘘)
でも、こうやって外に出てきた時に少しほっとしたのも事実。
きっと酸素供給システムなんて作動させていないでしょうしね。
さて、これで潜水艦「ライオンフィッシュ」の見学は終わりましたが、
バトルシップコーブにはもう一つの記念艦があります。