息子の学校で週末ジュニア・プロムが行われました。
最初は行かないと言っていた息子も、友達が出席をするからとその気になり、
決まった後は早くからスーツとシャツ、ネクタイを選ぶのを手伝わされました。
年齢的にいつ何があってもいいようにと毎年夏にアメリカに行くたびに
ノードストロームでジュニア用のダークスーツを一式買い続けていたのが
ここに来て初めて役に立ったという感じです。
当日は学校から早く帰ってきて、シャツとスーツにアイロンをかけ、
「髪の毛セットするの手伝って」
と言われてドライヤーとヘアクリームを駆使して髪を仕上げてやり、
彼の友人三人を車で拾って会場まで連れて行くという大役を果たしました。
近所の待ち合わせ場所に待機している彼らは、皆スーツにタイ、
短髪の子はハードジェルでツンツンに固めて、気合入りまくりです。
車のなかでは、息子が選んだ「ララランド」の曲を一人がふざけて歌い、
警察のバリケードで渋滞していると、
「誰かVIPがプロム来るんじゃね?」
「プーチンの娘とか」
「いや、イバンカだろ」
などと言っては大笑い。
箸が転んでもおかしい年頃は女の子の専売特許ではありません。
会場になっている結婚式場に到着すると、ちらほらいるドレスで着飾った
同級生の女の子をみながら、彼らは気もそぞろで車を降りて行きました。
男の子でこれなんだから、もし息子でなく娘だったら、
ドレス選びからヘアやメイク、ネイルに到るまで、
さぞかし大変だったんだろうなあ・・。
すっかり大人っぽく見える同級生たちと車を降りて行く息子の姿に、
彼もすっかりお年頃になったんだなあと感慨深かった夕べでした。
さて、本題です。
わたしはいくつかの防衛団体に名前を連ねており、
名刺はおかげで肩書きだけは賑やかなのですが、この日、
そのうち一つの団体の年一度の総会があったので参加しました。
昼1時から二次会まで入れると夜9時までという長丁場で、
前半は会計監査など、思わずあくびが出てしまう苦行()でしたが、
まあなんとか最後まで気力を持ちこたえることができてよかったです。
この団体の理念は
「国防思想の普及」
「英霊の顕彰及び殉職自衛隊員の慰霊」
「歴史及び伝統文化の継承助長」
その延長上に、
「自主憲法の制定成立」
があります。
殉職隊員の慰霊ということが会の理念に謳われているだけあって、
この日名目を変えて三つの会合が持たれたのですが、その度に、
先の大戦での戦死者とともに殉職隊員への黙祷が行われました。
特にこの日は、緊急搬送の必要な病人を収容するために飛び立った陸自のLR-2が
北海道の山中に墜落して4人の隊員が殉職されたばかりで、
そのことに言及されてからの黙祷となりました。
会員の最年長者で大東亜戦争ではニューギニアの戦いから帰還された方です。
毎年のように「遺言だと思って」とお話しされますが、まだまだお元気なのがすごい。
政府による特に自分の戦友が多く眠る南方での遺骨収集事業について
それを法制化して進めることを強く要望して来られました。
メモも見ないで戦死者数とまだ現地で眠っている英霊の柱の数をスラスラと挙げ、
宇土議員がこれを法制化するため尽力したことへの謝意を示されました。
「102歳です」
とおっしゃった時には、場内が驚きと賞賛の声でざわめきました。
さて、総会の後には、政治家、自衛隊幹部を迎えての懇親会が行われました。
江田島、呉での自衛隊関係の式典では必ず顔を出される寺田稔先生。
防衛省の官僚時代「大和ミュージアム」の創立に大変尽力されたということを聞き、
それ以来会合でお会いするたびにすり寄っているわたしです(笑)
ところでみなさん、寺田先生の後ろにおられるこの方、ご存知ですよね?!
先日民進党を離党した話題の長島昭久先生です〜!
新年の賀詞交換会にも参加されており、その時
「民進党議員はこの団体の会合には呼ばれても滅多に来ない」
「保守を任じて憲法改正を進める長島議員だからこそ参加できた」
と書いたのですが、あれから今日までの間に離党という決断をされた同議員。
これまでは「借りてきた猫状態」だった保守系防衛団体の会合で、何を語るのか。
「晴れて堂々とこの会に出席することができるようになりました!」
会場はこの言葉にどっと湧きました。
長島氏の離党についてはあれこれと世間の意見は喧しく、
「ならなぜ今まで民進なんかにいた」
「民主党にいた時点で全く評価できない」
などという向きもあるようですが、やはり数式のように答えの出ることではなく、
しがらみやら流れやら、考慮すべき点があまりにも多すぎて、
これでも民進の醜態を散々見せつけられて限界が来なければ、
さらに氏の決断は先送りされていただろうとわたしは思っているくらいです。
ともあれ、しがらみを吹っ切って自分が「あるべき位置」から
政治家として物を言うことのできるようになった氏の表情は殊の外明るく、
それを迎える周りの政治家や会員諸氏にも、暖かい歓迎の意が感じられました。
自民党の財務副大臣、木原稔衆議院議員。
森友関係の質疑では随分と大変だったようでお疲れ様です。
小田原潔衆議院議員。
長島議員が
「同じ東京都21区でぶつかる先生とは、党は違えど志を同じくする政治家として」
などと言っていました。
つまり、選挙があれば直接対決する二人な訳ですが、そこは大人の政治家同士、
和気藹々と交流しておられました。
佐藤正久議員。
遺骨収集事業については佐藤議員も活動しておられます。
フォリピンでの遺骨収集事業も行うことができるようになったので、
すぐにではないが近年中に実現すると言うことを述べられました。
何期か後の海上自衛隊遠洋練習航海の寄港先がフィリピンとなり、
護衛艦がご遺骨を祖国に連れて帰るのもそう先のことではないかもしれません。
つい先日お会いしたばかり、宇都隆史議員。
乾杯の発声は我らが統幕長、河野克俊海将。
どこで言われているのかは存じませんが、「ドラえもん」というあだ名もあるとか。
ドラえもん的かどうかはわかりませんが、統幕長という大任を背負っているにもかかわらず、
威圧感も尊大ぶる風はもちろん、政治家のような巧んだ様子もなく、とにかく
全人格的な明るさが後光に指しているかに見えるような方だといつも思います。
河野統幕長は先の陸自連絡機墜落の報についても述べられ、
「皆様にはご心配をおかけいたしました」
と挨拶されました。
自衛隊のトップの立場としては当然のご挨拶だったのだと思いますが、
何よりも彼らの冥福を悼む立場のコメントをあえて控えられたことに、
わたしは今の自衛隊の世間に対する立ち位置を見るようで、却って心が痛みました。
本会合には陸幕長の岡部俊哉陸将、空幕長の杉山良行空将も見えました。
陸海には馴染みがありますが、空将をお見かけするのは初めてです。
杉山空将は戦闘機パイロット出身で 、F-4EJに乗っておられたとか。
「ファントム無頼」の真っ只中世代と言うわけですね。
左の陸自出身の会員の方とお話ししていたら河野統幕長が来られたので、
しばしお話をさせていただきました。
わたしとしては、いつかお聞きしてみたかった話題をこの機会に切り出してみました。
「『あおざくら』のインタビュー、読ませていただきました」
今話題の防大生青春漫画?「あおざくら」の第3巻には、特別企画として
河野統幕長のロングインタビューが、
”23万人の自衛官のトップに立つ男、
防衛大で培ったリーダーシップについて語る!”
と言うタイトルで掲載されているのです。
「あおざくらって何ですか」
元陸自の会員さんは全くご存知でない様子。
「防衛大学校の生徒が主人公なんですよ・・・。
あれは・・もう2年になったんだったかな」
「いえ、まだ1年生ですね。校友会活動が決まったところまでです」
「その第3巻に」
「河野さんが登場されてるんですか」
(だったら面白いですが)
「いえ、巻末にインタビュー記事が載ったんですよ」
二人でなぜか説明をすることに。
ご存知ない方のために説明しておくと、河野氏は
●旧海軍の機関士官で戦後海上自衛官だった父親の期待により海自に入った
●不器用なたちで苦労したし指導も厳しくされた。
自分は人並みになるために人の2倍、3倍努力しなければならないと思った
●人生どうにもならないこともあるが、逆に人の助けによって
どう転ぶかわからないのだから皆も諦めてはいけない
ということを防大時代の「劣等生」だった立場から述べておられます。
「あのインタビューを読んで、俺もできるかも、と元気付けられた
学生や隊員って、多かったんじゃないかと思います」
と申し上げると、意外なくらいまっすぐ(というかぶっちゃけ嬉しそうに)
「そう思われますか」
と返事が帰ってきて、わたしは少し驚きました。
階級という名の序列が退官までつきまとう自衛官人生というのは、
特に上昇志向のある者にとっては、ある意味一生過酷なレースともいえます。
それだけに、クラスヘッドとして賞状をもらうようなスタートを切った者にしか
その望みはない、と思うと早々に挫折感を味わう者もいるでしょう。
しかし、あのインタビューで、何しろ「23万人のトップ」が
伝説の天才や秀才ではなく、むしろ不器用な人間だったということを知って、
俺も努力したらもしかしたら、と思った者が少しでもいたなら、
統幕長にとっても本望というものに違いありません。
さて、会合は続いていましたが、所属団体支部の二次会があったため、
和食レストランに移動しました。
そこで地元地本を経験し、現在はこちらの勤務になっていたり、
退官後こちらで就職していたり、という防衛省&自衛隊関係者と合流。
現在幹部学校勤務の海自の二佐は、お料理が出るたびにiPhoneで撮り、
即座にインスタグラムに挙げておられます。
「今アップしてるんですか」
「はい、この瞬間世界中でもう見られてます」
「自衛官だってことは公表してないんですか」
「自衛隊に関わるものは全く上げませんから」
見れば、全てがお花とグルメの写真でした。
もう一人の方は、元陸自で戦車隊だったという方。
現場の自衛官として10式戦車を作るのに携わってもおられます。
「ヒトマル式乗せてあげますよ、って言われていたのに、
忙しいからと言って延び延びにしていたら退官してしまって」
と残念そうな会長。
うーん、その頃わたしがいたら、何が何でも強力に決行していたのに。
この日のお昼を食べずに総会に出て、お腹が空いた状態で
懇親会に出たため、ついいつになく真剣に料理を食べてしまい、
せっかくの天ぷら(一人一皿)が食べられませんでした。
車で来ていたわたし以外は日本酒をガンガンやっていたので、終わる頃には
会長はじめ、戦車長も、防衛省も、文筆業も全員がろれつが回らない状態。
飲まない人間が嫌われるのは、こういう時に一人醒めて、酔っている他人を
ああ酔ってるなーという目で見てしまうからなんだろうな、と思いつつ(笑)
そんな辛党の人たちを尻目にお店の人に、
「なんかデザートありますか」
「料理人手作りのわらび餅がありますが」
「(文筆業に)食べます?・・じゃ女性二人にわらび餅」
すると前の戦車長が
「なんで女性限定なんですかッ!」
とか言い出したため、結局全員がうす甘いわらび餅でシメをしました。
辛党ってお酒の時甘いもの食べないんだと思ってたよ。
この陸自の方が、実はわたしも存じ上げているある海将の防大同期でした。
「あいつは偉いですよ。昔から有名人でした。
学生時代なんて、遊ぶことと女の子のことしか考えてないのが普通なのに、
学生のくせに一人自費で『ライフ』の英語版を取り寄せて読んどるんです」
「当時からタダモノではなかった・・・?」
「早くから自分は自衛隊の上に立った時どうするか考えてるような人物でした」
「お仕事を拝見していても、常に立ち止まらず変革を厭わない方という気はしますね」
河野統幕長の「あおざくら」のインタビューをみて安心した人は、
「劣等生」と「統幕長」の間に何があったか、つまり河野氏がどれくらい努力したか、
ということも少し、というか真面目に考えてみるのもいいかもしれません。
統幕長の経歴などをみると、確かに自衛隊のトップになるのには運が必要だと思いますが、
そもそもある程度のステージに上がっていないと運に選ばれることも決してないわけで。
つまりステージに上がるには そこに上げるための「才能」「努力」
「あるいはそのどちらも」が必要となるということです。
シンデレラストーリーは自衛隊には決して起こり得ないということのようです。