さて、練習艦隊の乗員と艦長が全て乗艦し、出航準備が整いました。
テントの下の来賓客の前にアテンドの隊員が呼びにやってきて、
それから初めて皆は岸壁の「かしま」艦首側に設けられた
「お見送りゾーン」に三々五々移動を始めました。
赤絨毯には政治家と元高級幹部の顔が見えます。
冬の間はネイビーブルー、季節が変わって今回は白い帽子着用で
現れた元海将がこの写真にも写っておられますが、この方の帽子愛用は
こういう時に「帽振れ」するためではないかと勝手に推察しております。
国会議員と海幕長、横須賀地方総監は特に高いお立ち台の上に。
小林鷹之防衛大臣政務官と一緒に立っているのは、
つい先日地球防衛協会(仮名)の総会に顔を出していた、
長島議員と同じ選挙区の小田原衆議院議員です。
この日は小田原議員も祝辞を述べられましたが、それによると
小田原議員は自衛官の息子で幼い日を官舎で過ごした、ということでした。
経歴を拝見すると「北海道などを転々」ということなので、おそらく
ご尊父は陸上自衛官だったのではなかったかと推察されます。
「幼心に父親の姿をかっこいいなあと思っていました」
という小田原議員自身は東大に進み、MSやGSなど大手証券会社を経て議員になりました。
「偉い招待客」、自衛官の中でも将補以上は赤絨毯の上に。
その他一般ピーポーは結局どこにいても構わないみたいなので、
わたしはそれをいいことにうろうろしてました。
外国海軍の軍人さんたちは、エスコートの自衛官に自分の立つ場所を探してもらっています。
地面に名札をつけてそこにきっちり立てなんて、さすがは細かいことで有名な日本のネイビーだぜ!
と思ったかどうかはわかりません。
「かしま」の甲板は出航作業で、もやいを捌いている真っ最中なので、
実習幹部はこの時まだ艦橋側の舷側で二列になって待機しています。
一人だけトーンの違う白い制服の人がいますが、これはおそらく海保の方。
海保の夏の制服はどちらかというとクリーム色に近い白です。
ところで、岸壁が自分の立つ場所を探す人でざわざわしている間にも
・・・・・「志村~!うしろ、うしろ~!」
気がつけば「はるさめ」の姿は岸壁を離れ、遠くに行ってしまっていました。
いつのまに出航したのか・・・・・。
「はるさめ」の艦首に立っているのは全て海士と海曹たち。
昨年の練習艦隊では、帰りに僚艦に乗って帰ってきた実習幹部もいましたが、
出航がとりあえず全員「かしま」に乗ってすることになっているのかもしれません。
「はるさめ」の上にも綺麗に登舷礼ができています。
夏の登舷礼式は、自衛官の白い制服によって一層華々しい眺めです。
甲板からはもやいを引き揚げる作業が着々と行われています。
こんな巨大な船の出航作業も、一人一人の乗員たちの確実で敏速な動きによって、
見ている限りはまるで早回しのようにスムーズに進んでいきます。
練習艦隊の艦船にはこのように白い幕を張るのだと知りました。
船にとって礼装をしているということなんでしょうか。
その白い幕越しに一人姿を見せた眞鍋司令官。
司令官を表す黄色い双眼鏡ストラップによって遠くからでも目立ちます。
下を見て微笑んでおられるようですが、もしかしたらその視線の先には
ご家族でもおられるのでしょうか。
もやいを捌いて出航作業真っ只中の海曹・海士の姿を激写する写真班。
彼らも半年間の航海を共にし、記録を止めるという重大な任務を負っています。
この写真左側のサングラスヒゲの外国人男性は、確かチリ共和国の全権大使、
フェリペ閣下という方だったような気がします。(名前はうろ覚え)
江田島の幹部候補生学校卒業式で、クラスヘッドに賞状を渡していました。
岸壁では皆が帽子を降り出していますが、ここで舷側をご覧ください。
二列の後列に並んで待機していた実習幹部に向かって、海曹が
前甲板舷側に移動するように支持している姿が写っています。
岸壁は帽振れしているんですが、艦上の実習幹部は・・・あれ?
帽振ってないし。
「はるさめ」も帽子を振らずに行ってしまったし、もしかしたら練習艦隊、
帽振れはされても自分たちは帽振らないということなんでしょうか。
今まで何度か練習艦隊の出航を見ましたが、そういえば実習幹部が
帽子を振っているのを見た覚えがないような・・・・(愕然)
そ、それともこの後もう一度わたしが見ていない間に帽振れしたんですか?
ここは操舵艦橋の一階上だと思うのですが、一般の出航では
艦長は操舵室の横の艦橋デッキにいるのが普通だった記憶があります。
艦橋デッキから見送りを受ける実習幹部も何人かいるようです。
赤ストラップは艦長、そして青は船務長だと思われます。
前甲板の舷側には大急ぎで登舷礼の整列をする実習幹部の姿がありました。
こうして見ると、並ぶ位置の目印を確認しているのがわかりますね。
気持ち小走りで整列を行います。
彼らの顔に微笑みが見えるのは、壮途への期待と高揚からでしょうか。
それとも岸壁に自分に向かって手を振る家族の姿を認めたのでしょうか。
ところでテントでわたしの後ろにいた招待客が、海自について全く知識のないらしい
隣の女性に、目の前で起こっていることを逐一説明してあげていたのですが、彼が
「練習艦隊に参加する隊員も、今から半年は日本に帰ってきません。
例えば自分の彼氏が行ってしまうとしたら、どうですか?」
と尋ねたとき、それに対して女性が
「わたしはそんな覚悟は全くないので、多分海上自衛官とお付き合いはできません」
と妙にきっぱりと答えていたのが印象的でした。
まあただ、若い時はともかく、年季の入った夫婦になると、
「たまに合うくらいの方が何かと夫婦はうまくいく」
という達観した意見もあるくらいですから、一概にそれがネックだとは思いませんが。
それに、幹部の中には
「遠航でお金が貯まったから結婚しよう」
というのがプロポーズの言葉だったという人もいるという噂ですし(笑)
出航とともに、今一度「軍艦」の演奏が艦上と岸壁で同時に始まりました。
これは海自音楽隊ならではの「船の上と下で二つの音楽隊同時演奏」です。
二人の指揮者は全く動きをシンクロさせているので視覚的には同時ですが、
聴いている方は、艦体が岸壁から離れていくに従って両者の音がずれていき、
結局全く同じ速さの軍艦が時間差で聴こえてくるということになります。
しかしこれも朝の軍港での喇叭と同じで、それもまた出航の風情というものです。
「軍艦」が終わると、艦上の練習艦隊音楽隊が「海をゆく」を演奏し始めました。
練習艦隊出航における音楽隊の選曲は、いつもだいたい同じような感じです。
必ず「日の丸行進曲」が演奏されるのですが、これはもしかしたら
旧海軍の練習艦隊出航の時からの慣習ではないでしょうか。
どこにもそういったことが書かれていないので単なる想像ですが。
いつのまにか、「かしま」の艦体は岸壁を離れていました。
「かしま」独特のオランダ坂は、長い練習遠洋航海の間、乗員が甲板で
全周を回るランニングができるように設計されました。
その斜め部分に立つ実習幹部たち。
今回この甲板の上で晴海と横須賀、二回にわたり艦上レセプションが行われましたが、
「かしま」は各地でこのような催しを行うことを前提に設計されているので、
後甲板を全て覆う天蓋は、ワンタッチ(かどうか知りませんが)引き込み式だそうです。
「はるさめ」はすでに軍港の出口に向かって艦首を向けています。
この日岸壁にお見送りに来ているのは、実習幹部の家族だけではありません。
当然、「かしま」「はるさめ」の乗組員、ヘリの航空要員の家族もいます。
「はるさめ」側の岸壁には、隊員の妻らしい女性がたくさん。
いくつかベビーカーも見えます。
大きな自衛艦旗などを振っているのが実習幹部の家族グループとは違う雰囲気です。
先ほどの話ではありませんが、若い夫婦にとって夫の半年不在の意味は重く、
ベビーカーの我が子が歩く瞬間を見ることができないかもしれないのはもちろん、
妻の出産に立ち会えないこともあるという話も聞きます。
それが海上自衛官の宿命とはいえ、彼ら自身にも、ご家族の方々にも敬意を表します。
「かしま」艦尾には女性実習幹部が並んでいます。
今年の実習幹部190名のうち、女性は15名です。
現在自衛隊全体で女性の割合は5パーセントと言われており、自衛隊では今後
この数字をを10パーセントに持っていくことが目的と聴いたことがあります。
それを考えると、海自は少し女性の割合が多くなっているのでしょうか。
190名のうち一人は、タイ王国からの留学生です。
この写真では、九人の女性実習幹部と男性実習幹部の間に立っています。
彼の階級は当然ですが「海軍少尉」となります。
「かしま」の艦体が湾口を目指し向きを変えていくのを眺めていると、
わたしの横に知り合いの元海自の方が近寄って来て挨拶をしました。
「これから車で観音崎まで行って、岬からお見送りするんですよ」
そうそう、そういえば横須賀地方総監部の中に入らずに、ヴェルニー公園から写真を撮り、
あるいは観音崎で待ち構えて通過する練習艦隊を撮るファンがいると聴いたことが・・。
今日、せっかく車で来ることができたのだから、わたしも観音崎行ってみようかな。
そうと決まったら、まだ岸壁に人が残っていて、来賓の車が動き出さないうちに
一刻も早くここを出なくちゃ!
続く。