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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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掃海隊殉職者追悼式〜「ぶんご」艦上レセプション

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金刀比羅宮での「慰霊祭」と立て付けが終わりました。
そこからまた再び車の置いてある「神椿」まで階段を登ります。

高橋由一記念館の手前に青銅の灯篭があるのですが、この中腹に
龍が巻きついています。

掃海隊群のマークは、このように龍が機雷を掴んでいるデザイン。
慰霊碑のすぐ近くに龍がいるのも何かのご縁でしょうか。

帰りに厩舎前の広場で神馬を馬子が散歩させているのを発見しました。
長い尻尾は神の馬らしく、流して先をカットしてあります。

「月琴号」というそうですが、実物は写真ほど真っ白ではありません。
・・・・フォトショかな?

運動のために綱をつけてぐるぐる歩くだけで、何かを地面に見つけ立ち止まると、
たちどころに馬子に結構手荒に叱責されていました。
神馬とはいえ、別に畏れ敬ってもらえるわけではないようです。

その横にあった奉納のプロペラ。
船のプロペラ、しかも大型船のサイズでとにかく巨大です。

寄贈したのは今治プロペラという会社だそうです。

ところであとでiPhoneをチェックしてみたところ、この日一日の歩行数は
1万2千681歩、距離にして7.8km、登った階段数は36階となっていました。

そのまま車で高松まで戻り、わたしはホテルにチェックイン。
部屋からは「ぶんご」が見えます。
予約の時に「できれば海の見える部屋を」とリクエストしたおかげでしょうか。

「ぶんご」後甲板には紅白の幕が確認できます。

部屋は角部屋で二方向が窓です。
ここに連泊できればよかったのですが、残念ながらこの夜だけでした。

部屋に帰って1時間あったので、シャワーを浴びて着替えてから現地には車で行きました。
埠頭にはレセプション招待で入っていく人の他に、船を見るために来た人たちが結構います。

入り口のデスクで受付をすると、皆胸につける名札をもらいます。
会場にはもうすでにたくさんの人たちがいて、すっかり盛り上がっていました。

「ぶんご」の甲板はとにかく広いので、天幕以外のところは露天のビアガーデン状態。
「かしま」とは違い広々としており、テーブルや椅子も設けられています。

さらには甲板に公開用の機雷が置いてあったりします。

先ほどまで「命を捨てて」をやっていたのとおそらく同じ音楽隊員が、
ここでは渋めのジャズ、 "There Will Never Be Another You"とか
”黒いオルフェ” "C ジャム ブルース”などといった曲を演奏していました。

みなさん、この方ご存知ですよね?
わたしはテレビを持っていないので話に聞いて初めて知ったのですが、
コメンテーターとして今やテレビで見ない日はない、といわれる
伊藤俊幸元呉地方総監・海将。

わたしが呉地方総監部に表敬訪問した時には、かつて広報であった頃のことを
楽しくお話くださった伊藤元海将ですが、退官後の人生も同じ広報畑。

わたしの知っている人は伊藤氏の出ている時だけテレビをつけるというくらい、
本音のコメントが受けているという話です。

名刺をいただいたら、そのうち一枚は裏が「特典付き」になっていて、
例えば大和ミュージアムはそれを見せるとタダ、というもの。
そのため、何枚も所望する人もいました(笑)

なんでも呉の観光と深く関わっておられるが故の”ご利益”だということです。

「呉でお会いした時の印象と今のご活躍に全く違和感がなくて・・・。
今みたいなご活躍をされるのも当然だと思ってました」

と申し上げると、

「またまたー、お上手なんだから」(〃'∇'〃)ゝ

と照れておられました。

海自で供されるお酒の升は普通木肌のものですが、「ぶんご」は塗り風です。

去年も驚きましたが、今年はまた一層パワーアップしたVIPテーブルの飾り彫りコーナー。
庭園を模した超大作です。

なぜか赤い鶴、リアリズムを追求した水面を泳ぐ錦鯉、そして欄干の橋。
そして今年の新機軸は、水戻ししたはるさめをブルーで色付けした滝の水流れ!

「ぶんご」給養の方々、ブラボーでございます。

宴たけなわには呉地方総監池海将の挨拶が行われました。

呉地方総監の数ある任務の中でも、掃海隊殉職者慰霊祭と追悼式は、
特に重要で大切なものではないかと想像します。

昨年度の追悼式も掃海隊群司令であった湯浅海将補。
これが最後の艦上レセプションになります。

司会アナウンスの女性の横に立っているのは、追悼式で司会を務めた二佐。
「ふゆづき」の引き渡し式の時、「ふゆづき」副長だった方です。

折しもその頃、「ぶんご」甲板から眺める瀬戸内の島々の間に、
夕日が沈んで行きました。

甲板の上から落日に見入る人。(誰か知りません)

海上自衛隊では、夕日が沈むのをのんびり眺める人はおりません。
なぜなら、この時に自衛艦旗の降下が行われるからです。

降下は海曹と海士の二人で行うことになっていて、この日は女性海士が当直でした。

えーと・・・これは何をなさっているんでしょうか。
とにかく楽しそうで何よりです。

陸自の人は知りませんが、海自の三人は艇長と隊司令という重職の方々です。

ラッパ隊の前に立つ士官の号令一下、喇叭譜「君が代」が始まりました。
海曹と海士、二人で旗を降ろします。

例によって、「ぶんご」の後ろに繋留している「あいしま」「いずしま」の後甲板からも
少しずれたタイミングで「君が代」のラッパが聞こえてきます。

左の「あいしま」では素早いタイミングで艦首旗を降ろします。
ネイバル・ジャックと呼ばれる艦首旗は、日中の停泊時に掲揚されます。

旗のおろし方は、手を大きく回すようにして、紐を引きます。
夕焼けとなり、あたりが暗くなって艦飾の電燈が色づいてきました。

この日は日差しは初夏のものでしたが、風がひんやりとして日陰は涼しく、
立て付けや予行の間も、比較的快適に過ごすことができました。
しかしこの頃になると、日が落ちて猛烈に気温が下がってきます。
船の甲板の上なので、海から吹き上げる風も強くて寒くなってきました。

それなのに((T_T)蒸し暑かった去年の記憶から、わたしはよりによって
肩の出た半袖のドレスを選択したため、会う人会う人に開口一番

「寒くないですか・・・?」

と聞かれる羽目になりました。
百人くらいに聞かれた気がします。

パーティでお腹がいっぱいになるようでは仕事人として失格である。

誰が言ったかは知りませんが、仕事人でないわたしはとりあえずカレーだけいつも食べることにしています。
「ぶんごカレー」はひき肉の中辛でした。

レセプションには東京から元将官の偉い人たちもやってきます。
水交会のおじさまたちもほとんどがOBですし、現役自衛官は気が抜けません。

「あーちみちみ、しっかりやっとるかね」

「は、ははー閣下!」

・・・みたいな?(あくまで想像です)

というわけで、いつのまにか「蛍の光」が鳴りだしました。
これを聞くと我々は何やら落ち着かない気分になって、会場を出ることになります。

舷側には舷門まで乗組員が立って、一人一人に挨拶をしてくれます。
写真は「ザ・先任伍長」みたいな貫禄の先任伍長の手を握りに行く元偉い人。

もうすぐ海将が退艦する予定なので、お迎えの車がやってきています。


さて、わたしはカレーとお刺身くらいはいただきましたが、
カメラマンのミカさん(仮名)は写真を撮っていて一口も食べず。

この日、久しぶりにお会いした元偉い人(←階級は忖度により秘す)が
わたしも一口も食べておりません、と端正な様子でおっしゃるので、
なぜか偉い人、わたし、ミカさん(仮名)、という超シュールなメンバーで、

うどんを食べに行くことになりました。

なぜうどんになったかというと、ここがうどん県だったからで、
「何か食べる」ということになったとき、他の選択肢を思いつかなかったのです。


そこでラッタルを降りたところにいた地元地本の方に教えてもらい、
わたしの車で「鶴丸」というお店に行きました。

偉い人は

「味がわからない時には基本である釜揚げを食べればよろしい」

とごもっともな正論通り釜揚げうどんを、そしてわたしは、さっき少しとはいえ
カレーを食べたのにもかかわらず、又してもカレーうどんを取りました。

さすが「蛇口をひねるとうどんが出てくる県」だけのことはあって、
このカレーうどん、カレーうどんのくせにコシがあってツルツルです。

うどんの後、ミカさん(仮名)がおでんをせっせと取ってきてくれて、
わたしも少しいただきましたが、三人でこれだけ食べたのに3600円、
というのには思わず安っ!とつぶやいてしまいました。

 

この時に中の人だった偉い人に伺った話は、それはそれは面白く、
全部ここに書けないのが残念なくらいですが、駐在武官だった任地での話や
ローカルジョークに、わたしたちは時間が経つのも忘れて盛り上がりました。

わたしとしては一番興味深かったのが、

「掃海隊に近々女性艇長が登場する」

という情報でした。

掃海隊には艇長を訓練する専門課程があります。
例えば今回高松に寄港していた掃海艇のうち一隻は、その過程を終えて
艇長として最初の勤務、という人が乗っています。
現在、この教育課程に女性隊員がいるのだそうです。

隊員にすら一人もいなかった女性が、なぜいきなり艇長になれるのか?

今回初めて知って驚いたその理由とは「居住区域の問題」です。

潜水艦もそうですが、居住区が狭い掃海艇は、男女の居住区を分ける余裕がなく、
主にプライバシーの問題が女性の進出を阻んできました。

かといって掃海畑に女性がいないわけではなく、「ぶんご」など広い掃海母艦には
今回の写真を見てもおわかりのように多くの女性隊員が勤務しています。

ここで発想の転換といいますか、

「艇長であれば個室が与えられる」

つまり、女性が掃海艇に乗るには艇長になればいいのです。
というか、女性が掃海艇に乗るには艇長になるしかないのです。

艇長の育成過程に進んだ女性隊員は、掃海母艦出身で掃海についてはすでに
経験を積んでいるということですが、ただでさえ荒っぽく、厳しい現場であり、
海自で一番過酷と言われるEOD(水中処分員)を含む掃海艇を女性が指揮することを
肝心の掃海隊員がどう捉えているのか、気になるところです。

 

さて、明日はいよいよ追悼式です。

 

続く。

 



 

 


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