調達艦、除籍艦のリストを見つけました。
本年度に除籍になる掃海艦艇は、今回お伝えしている
掃海艦「はちじょう」一隻だけとなりますが、ただし来年に就役予定の
「あわじ」型掃海艦「ひらど」
が今年進水を行い、ことしの調達にカウントされることになるので、
掃海艦艇の総数は23隻のまま変わらない予定です。
ここで今後10年の掃海艦艇の調達&除籍情報を書いておきます。
(ただし、お節介船屋さんのご指摘を受けて改めて中期防衛力整備計画の資料を見たところ、
掃海艦艇の増減には触れられておらず、護衛艦6隻、潜水艦5隻、その他5隻としか
記載されていなかったので、以下資料が防衛大綱からの引用でないことをお断りしておきます。
資料の確実性については、引き続き調査していきますので、とりあえずこのまま掲載します)
17年度 【掃海艦艇23+1-1】 就役:ひらど(除籍:はちじょう)
18年度 【掃海艦艇24-3】 就役:なし(除籍:くめじま すがしま のとじま)
19年度 【掃海艦艇21-1】 就役:なし(除籍:つのしま)
20年度 【掃海艦艇23+1-3】就役:29MSO(除籍:ゆげしま ながしま なおしま)
21年度 【掃海艦艇21+1-1】就役:30MSO(除籍:とよしま)
22年度 【掃海艦艇21+1-2】就役:31MSO?(除籍:うくしま いずしま)
23年度 【掃海艦艇20+1-1】就役:32MSO?(除籍:あいしま)
24年度 【掃海艦艇20-2】 就役:(除籍:あおしま みやじま)
この間、高松で乗った「つのしま」も、隣にいた「あいしま」も、
何年かの間には除籍することが決まっているわけですね。
掃海艦艇の寿命は、一般的に掃海艦、及び掃海管制艇で24年、
掃海艇ではそれより大幅に短い20年となっているようです。
FRP素材になって寿命が延びたと思っていたのですが、思ったより
掃海艇の予想寿命が短いのに少しビックリです。
この表を見て気がつくのが、調達予定とされているのが、
退役していくのが全て掃海艇なのに対し、「?」の部分も含めて
全てが MSO、掃海「艦」であることです。
これは、これからの機雷掃海は掃海艦が主流になっていくと考えていいのでしょうか。
この資料によると、今後の10年で掃海艦艇はこれまでの上限25隻から、
7隻も減少の18隻体制になっていくとのことです。
これは掃海という業務そのものの規模が縮小するということなのか、
艦艇一隻の掃海能力が向上したということなのか。
(この部分の数字については、中期防衛力整備計画のP31に記載)
ところでついでに、皆さんも興味をお持ちだと思うので、この際
護衛艦の調達と除籍計画についても転載しておきます。
2017年度 【護衛艦46+1 】 就役:あさひ(除籍:なし)
2018年度 【護衛艦47+1】 就役:26DD(除籍:なし)
2019年度 【護衛艦48+1-2 】 就役:27DDG(除籍:やまゆき まつゆき)
2020年度 【護衛艦47+1-3 】 就役:28DDG(除籍:せとゆき あさゆき しらゆき)
2021年度 【護衛艦45+2 】就役:30DX×2(除籍:なし)
2022年度 【護衛艦47+2 】就役:31DX×2(除籍:なし)
2023年度 【護衛艦49+2 】就役:32DX×2(除籍:なし)
2024年度 【護衛艦51+2-1】就役:33DX×2(除籍:はたかぜ)
いかがでしょうか。これからわかることは、掃海艦艇の縮小に反比例するように護衛艦数は増し、
現在の基本47隻体制から54隻までの増加を目標としているということです。
こちらも一般的な寿命を書いておくと、「はつゆき」型が34年、
それ以外が39年ということになっております。
少し時間を戻して、艦番号塗りつぶし作業の時に見守っている人々。
ほぼ全員がカメラ持ちでしたが、そんなにたくさん残っているわけではありません。
さて、艦番号の塗りつぶし作業が終わりました。
いきなり生気を抜かれたが如くの姿になってしまった(と感じる)「はちじょう」が
いよいよ最後に岸壁を離れる瞬間が近づいてきています。
燃料がほぼない状態で、岸壁から繋留地点まで引かれた「はちじょう」は
解体業者に引き取られる日まで、わずかな時間を港内で過ごしますが、
岸壁をそれで塞ぐわけにはいかないので、どこか邪魔にならないところに繋ぐようです。
確認はしていませんが、おそらく投錨せずに繋留するのでしょう。
前回ご紹介した横須賀海軍カレー本舗さんは、解体される前になんとか
木製の艦体の一部を欲しいものだとおっしゃっていましたが、それは
もはや自衛艦籍のなくなった艦のことなので、自衛隊ではなく、そのあとの
解体業者との話になってくるはずです。
最後の木造製掃海艦の木の一部、ぜひこの世に残して欲しいものですが・・。
オレンジのカポックをつけた港湾業務の隊員たちがその準備中。
操舵室の上とかに立ってる人がいますが何をしているんだろう。
左舷側にはもう曳船がスタンバイしているようです。
先ほどまで艦名と艦番号の塗装作業を行なっていた隊員たちが、
番号がなくなった艦体の前で最後に集合写真を撮っていました。
撮っているのはミカさん(仮名)ですが、彼女に自分の携帯を渡して撮ってもらっています。
彼らの後ろの艦上では作業が進み、杭から舫が外されつつあります。
舳先から出ている舫の先には、女性隊員が確認のためか舫を外すためか、
(こちらは違うことがあとで判明)立っています。
向こうに立っている男性は、初回にもお話しした最初の木造製掃海艦である
「やえやま」の初代艦長を勤めた方で、昨年その「やえやま」が除籍になった日も
やはりこの同じ岸壁から、その最後の姿を見送ったと聞きました。
初代艦長は、ほとんどの来賓や関係者がいなくなってからも岸壁に立ち続け、
さらには全員で基地をでた後にも、フェンスの外から、引かれていく
最後の「やえやま」型掃海艦、「はちじょう」の艦影を見つめておられました。
まるで少しでも長くその姿を記憶にとどめようとするかのように。
艦上の曳航準備が整い、ついに最後の舫が放たれる時がやってきました。
塗装作業をした「はちじょう」乗組員が、それを行います。
この舫を外せば、残る陸との繋がりは艦首の一本だけになります。
「はちじょう」が最後に陸とつながっていた絆を放つ作業。
出航する時にはいつも艦上にいた乗組員にとって、岸壁から「はちじょう」の舫を外すのは
もしかしたら最初で最後のことだったかもしれません。
艦上の作業員は日常の任務としてそれを行なっているという様子でしたが、
地上から舫を離した隊員の左手に、わたしは万感の過る一瞬を見た気がしました。
そして最後の舫を乗組員二人で一緒に取り、同時に手離した瞬間。
さほど大きくない掃海艦(しかも燃料も機材も外した状態)は、
タグボートの索たった一本で軽々と岸壁を離れ、動き出しました。
艦上の人たちは繋留地点に到着したら・・・あれ?どうやって戻るんだろう。
1、タグボートに縄ばしごで乗り移る
2、輸送船がお迎えに行く
3、最後の力を振り絞って「はちじょう」が救命ボートを下ろす
4、泳いで帰る
あー、最後まで見ていればよかった。
ペンキを塗っていた人数からさらに減って、この3名が最後に舫を離しました。
正式に決まった儀礼ではないと思いますが、「はちじょう」を見送るようです。
もう自衛艦籍になく、艦名も艦番号も消された今、これは「はちじょう」ではなく、
そうであったところの除籍艦ですので、艦上からもなんの挨拶もありません。
見ている三人も、会話しながらとリラックスした佇まいです。
岸壁を離れてすぐ、敬礼しながらの記念写真を撮ってもらう一人。
「敬礼なしでも撮ってね」
こうしてこの日、わたしは掃海艦「はちじょう」の最後を見届けました。
最後に、元掃海隊指揮官だった方のメールの一部をご紹介して終わりたいと思います。
自衛艦は、艦旗を掲揚し、乗員が乗り組むことにより命を与えられ、
そして旗を降ろし、乗員が去るときに命を閉じるように感じます。
船の乗組員になることは、飛行機や車を操縦したり、乗り降りすることとは、
かなり違う次元のことだと思います。
宇宙船と同じく、そこは命のカプセルのように、外界から独立して自己完結する世界です。
海の上で勤務する者にとって、最大の“敵”は、海であり、大自然です。
陸棲生物である人間が、海で生活するのですから、当然です。
そうした感覚が、海軍軍人をして、国籍を問わず、敵味方を問わず、
「Blue Mafia」という信条の絆や、独特の共通した雰囲気や
面差しが生まれるのではないかと思います。
「スマートで、目先が利いて、几帳面で、負けじ魂」を持っていることは、
海の怖さを知り、海と共に生きるための知恵であると思います。
終わり。