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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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初夏の味覚・鮎料理と明王院の太鼓回し

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表題とは関係ないのですが、息子が今学校で募集したボランティアに参加していて、
その写真が引率者から送られてきたのでちょっとご紹介します。

場所はカンボジア。
プロジェクトは現地の家族のために家を建てること。

一週間で、しかも経験のない青少年が作る家というのも驚きですが、
ボランティアに家を建てて欲しいと申し込む人もいるのだそうです。

作業はリヤカーで建材を運ぶところから。

現地の大工さん?に作り方を指導されながら。

窓がつきました。
ガラスをはめるのか、網戸かはわかりません。

日中の作業の合間には、現地の人々との交流活動が持たれたようです。
説明はありませんでしたが、古老の知恵を知る会、みたいな?

地元学校への慰問もあり、すっかり仲良くなって最終日には泣いてしまう子もいるとか。

しかも家は予定より一日早く落成したとか・・・。
落成祝いに新居をデコレーションし、家族に引き渡し。
家を受け取る家族は祖父母と息子夫婦と孫という構成だそうです。
男たちは畑を耕して糧を得ているものの、貧しくて家を建てられませんでした。

ボランティアは今週で終わり、息子は羽田に帰国してきますが、話を聞くのが楽しみです。

 

さて本題、初夏の味覚、鮎を楽しむために京都に行ってまいりました。

まず前日夜、とある小料理屋が企画した「蛍を見ながらハモ鍋」のお席に。
坪庭に130匹の蛍を放つために前もって客から「蛍基金」を募り、
窓に乱舞する蛍を見ながらお酒と鍋をいただくという企画です。

水を打つたびに蛍の光が窓の外を乱舞する様子は大変風情がありました。

「こんなに一生懸命光っても、メスはこの中に1匹もいないんだよね」

「・・・で、目的を果たせないまま・・・」

「なんで蛍すぐ死んでしまうん?」

「そのセリフは禁止!」

その晩は市内のホテルに泊まりました。
ホテルの前にあった元小学校。
廃校になってしまった後も、趣のある校舎は市民のコミュニティの場として、
企画展を行うスペースやカフェになっているそうです。

校庭では盆踊り大会も行われるとか。

向かいの幼稚園跡では清掃局が資源物の回収を行っていました。

さて、この日は朝からレンタカーで郊外に遠出することになっています。
四条の角にあるレストラン菊水の建物、角の窓が昔は鏡だったんですよねー。

この日借りたのはアウディ。
国産の小型車に比べると、随分出足が鈍いなという印象でしたが、
京都の小路を走る時に威力を発揮しました。

で、市内を走ったのですが、京都ナンバー、特にタクシーの運転マナーがひどい。

関東ではウィンカーを出したらたいていの車は前に入れてくれますが、
京都の車は逆にスピードを出して、間に入れまいと前の車との距離を詰めるわけ。

右折するために車線変更しようとして3台の車にそれを立て続けにやられ、
こちらはウィンカーを出す車を普通に前に入れていたら、
先導してくれるはずの地元の人の車とあっという間にはぐれてしまいました。

まあナビがあったのでなんてことないんですけどね。

目的地となる料亭の横には神社があり、そこの境内に車を止めました。

これが本日鮎をいただく予定の料亭「比良山荘」でございます。
料亭の前の溝には清流といってもいい綺麗な水の流れが走っていました。

夏は鮎、秋は松茸、冬は熊料理がここの売り。

まずは冷たいジュンサイの一品が出されました。

「あの人ジュンサイみたいな人ですね、っていうことがあるらしいですね」

「してその心は」

「捉えどころのないというか、ようわからん人というか」

「少なくとも褒め言葉ではないね」

八寸では”なれ鮨”、筍や梅の蜜煮など。
右下は鯉こくの卵部分でしたが、これが意外なくらい鯉という感じがしませんでした。

ハモの焼き物(焦げ目が香ばしくてまた美味しい)と鯉の洗い。
弾力があり噛み応えのある刺身でした。

そしていよいよみなさんお待ちかねの鮎。

箱の蓋をとると、竹の木片を燻す煙が立ち上り、皆は一斉に歓声をあげました。

一人3匹づつ、と言われて、皆熱いうちに我先にと箸を延ばします。
実はこの前の晩の蛍ナイトでも鮎が出されたのですが、うちのTOは頭を残し、
女将さんに

「鮎の頭残すなんて勿体無い!」

と怒られ、わたしが彼女に

「明日の鮎では頭も食べるように、ちゃんと見張っておきます」

と、とりなしたという前振りがありました。
しかし、ここにきて鮎の頭を残すなんてことは、罰当たり以前に
本当に鮎を食べたことにすらならないのだと、彼も実感したようです。

鮎は器と趣向を変えて次々と出てきます。

頭から齧る鮎は、ほろ苦さはあっても、さっきまで清流を泳いでいたため、
コケ臭いなどということは全くあり得ません。

ひたすら清浄で、パリッとした皮の下に馥郁たる香りの柔らかな白身があり、
それらの食感も手伝ってえも言われぬ至福の味わいです。

同行した同好の士は、わたしたち夫婦をのぞいて全員が日本酒をガンガン飲みながら
盛んにうまいうまいと口の端に乗せながら鮎を楽しみました。

メンバーはその業界では誰でも知っている IT関係の会社の社長とその社員や、
Nのつく銀行から民間に出向し京都生活をエンジョイしている人などで、
つまりやたら口の肥えた美味しいもの好きの飲兵衛さんばかりだったのですが、
その人たちが一様にボキャ貧となって(笑)ひたすら鮎にかぶりついています。

結局、一人が大ぶりの鮎を7匹ずつ食べたことになるのですが、
誰も多いといったり残したりしませんでした。

そしてメインイベントというべき、シメの鮎ご飯登場。
板さんが直接土鍋を持ってきてくれます。

焦げ目がついているので後から乗せたものかもしれません。
ご飯には炊き込んだような味がついていました。

頭と尻尾を取ってしまい、(ご飯には頭は入れない方がいいらしい)
身だけをご飯に混ぜ込んでいただきます。

お味噌汁は鯉こく。
お汁の表面に脂が浮かぶほど、脂が乗っている身はとにかく甘かったです。
ご飯の美味しさは言わずもがな。

デザートがまた一風変わっていました。
木の芽の味のアイスクリームの上に、甘みのない道明寺を乗せて一緒にいただきます。
赤い実は山いちご。

部屋の床の間には、清流を泳ぐ鮎の姿が描かれた額がかけられていました。

掛け軸の下にはガラスの熊さん。
これはこの比良山荘の冬の名物が、熊肉の料理であることからです。

「クマー?」(AA略)

最初に聞いた時にはびっくりしましたが、冬眠前の熊は美味しいらしいですね。
ここでは熊鍋のことを「月鍋」(月の輪熊の月)と称するそうです。
この辺りの熊は害獣でもあるので、肉や漢方薬の(胃とか)材料にするために
年間に決められた数を捕獲することが許されています。

同行の方々はこういった味覚を求めて、年に何度もここに足を運ぶのだとか。

 

食後は一同で近隣の神社仏閣に足を向けてみました。
まずこの料亭の隣の「神主(じしゅ)神社」。

狛犬さんの苔むし方が神社の古さを物語っております。

案内によると、貞観(じょうがん)元年、つまり859年の創建だということで、
なんと1158年前にできたことになります。

貞観というと富士山が噴火し、貞観の大地震が起こったという頃ですね。

この社殿は文亀2年(1502)の建立ということですが、重要文化財と言いながら
祭礼が行われている様子がなく、神殿も舞台も虫食いだらけになっていました。

「こんなので大丈夫なんかね」

「保存しようってつもりが全く感じられませんね」

ここで神楽などしようものなら、床を踏み抜くか、天井が落ちてきても不思議ではないような・・。

近くの渓流には足を水につけたり、山菜採りをしている人たちがいました。
この川は琵琶湖に向かって流れていく上流にあたります。

話を聞いた時はなんとなく京都だと思い込んでいたのですが、実は滋賀だったのです。

地主神社はこの奥にある「明王院」の鎮守だということで、
ここにもお参りさせていただくことに。

寺の鎮守が神社って、普通のことなんでしょうか。

手水を使おうとして体長2mくらいの蛇がいたのでびっくり。
どうも蛇は水を飲みにきていたようです。

「蛇は不動明王の使いだっていうね」

そういえばここは「明王院」・・・・。

本堂にもその周辺にも人の姿はなく、見学者は照明のスイッチを自分で点けます。

歴史ある寺院らしく奉納されたされた古くからの板絵を見ることができます。
右側の色褪せた合戦の絵は延長か延喜か・・・。
とにかく、鎧をつけた武士が合戦をしていた頃に奉納されたもの。

右で鬼と相撲取りが首に縄をつけて引き合いをしている絵は、
万治2年(1659)に奉納されました。

左は安政2年(1855)、京都の井筒屋小兵衛という人の奉納。
美術品のように保存をする気もないらしく、掛けっぱなしにするうちに
次第に描かれた絵が消えてしまった右側の額は、人々の服装から平安時代のものです。

これもほとんど消えかけていますが、天保15年(1844)の寄進。
元号が変わる頃、変わった直後に行われた奉納が多いのですが、気のせいでしょうか。

本堂の片隅に、時間があれば写経を行ないお納めください、というコーナーがありました。
ただし、持って帰らないように、とのことです。

本堂の床が、こういう無数の傷跡のようなもので覆われているのに気づきました。
まるで鎌倉彫の表面みたいです。

明王院は「葛川太鼓回し」という儀式を行うことで有名なのだそうです。

太鼓をとにかくぐるぐる回すのですが、太鼓の胴を床に付けてはいけないとか。
よくわかりませんが、回すだけ回したら上にお坊さんが乗って床に飛び降りるらしいです。

回廊の外側に太鼓回しに使う太鼓が収納してありました。

隣のラック?には回しすぎて縁が破れた御用済みの太鼓が。
きっと歴史のある(太鼓回しの初代太鼓とか)ものに違いありません。

なんのために太鼓を回すのか?

というとそれは修行のためらしいです。
なぜそれが太鼓でなくてはいけないのか、とか、
太鼓とは叩いて音を出すものだと思うのだけど、なぜ叩かず回すのかとか、
疑問をいい出したらキリがないのですが、そういうことも含め、地元には
理由については詳しい話は伝えられていないようです。

わたしとしては最初にやりだした人の単なる思いつきだった、に1和同開珎。


無理やり最初の話題にこじつけると、息子の学校のボランティアにも特に理由はありません。
そこに助けを求めている人がいるから、わざわざ飛行機でカンボジアまで行き、
一週間を費やして家を建てる意味があるのです。たぶん。

というわけで、初夏の鮎を楽しんだついでに、比叡山の僧の
伝統の荒行(ってか奇習)を知ることになった小旅行でした。

 

 

 

 

 

 


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