「セーラム」は終戦直前に建造が始まり、その企画は第二次世界大戦、
特に対日本戦を想定して造られた最後の重巡だったことはお話ししました。
なので、戦後の戦闘指揮所、CICは当初は置かれておらず、その代わり
艦橋に戦闘指揮所である所の「タクティカルプロット」「フラッグプロット」
が置かれていたということをこれまで説明してきました。
が、戦後は戦闘形態と戦闘艦の思想の変化に伴い、CIC(戦闘指揮所)がおかれました。
メインデッキの地図のどこを探しても CICがないので途方に暮れてしまいましたが、
写真だけがあるところを見ると、機材は現在では一切持ち出されてしまったのでしょう。
アナログコンピュータ、航跡装置、レーダーレピータ、航空、海上レーダー、
プロッティングボードなど、CICに必要な機器がわかりやすく写真でまとめられています。
この「セーラム」全体が軍装備を展示するアーカイブであること、
全ての武器は非活性化されていることが書かれています。
艦内は飲食禁止(食堂以外は)であり、展示に触らないこと、とあり、
ちゃんと警報システムが作動していることが警告されています。
「オフィサーズ・カントリー」と彼らが称していた通り、この一帯はまさにオフィサーのナワバリ。
その一角に「フォト・ラブ」 があります。
艦の写真班が撮った写真を現像したり、あるいは手持ちのフィルムをここに出せば
現像してもらえたのかもしれません。
カメラ博物館にありそうなカメラ類がぞんざいに飾ってありました。
一番右は8ミリ映写機でしょうかね。
インスタントカメラって、ポラロイドカメラのことですか?
ポラロイドというのも会社の名前で、「ホッチキス」というように
会社名が名詞になってしまった例のようですが。
コダック社がポラロイドの一強独占を崩しインスタントカメラに参入したのは
1976年のことらしいので、 その頃にはもうとっくに引退していた
「セーラム」では現役時代使われたことのなかったカメラが飾ってあることになります。
ホワイトボードなどというものがない時代には、紙の上にプラスチック板を貼り、
マジックインキで掲示板の書き込みをしていたようです。
「1958年10月22日」という設定で、映画の上映予定と、オペレーターが
それぞれの上映場所に対して書かれています。
セカンドデッキで映画が上映されるのは全部で8箇所もあり、
シックベイでも行われることもあったようです。
映画の題名は「カウボーイ」とか「カフェ・エンパイア」とか、
本当にそんな映画あったの?と思うようなものが適当に書かれています。
アメリカ合衆国では、海軍に理解のある大統領であったルーズベルトの誕生日、
10月27日となっていたのですが、1949年に国防総省の指示により、
合衆国海軍は海軍記念日そのものを取りやめ、5月の第3土曜日を軍隊記念日として
(Armed Forces Day)を祝うようになったそうです。
ここに書かれている「ネイビーデイ」はやはり10月27日のことでしょう。
民間団体などは、その後も引き続きこの日に海軍記念日の祝賀行事を行っているそうです。
我が日本は、日本海大戦に勝利した5月27日を海軍記念日としていましたが、
戦後にはなくなりました。
海上自衛隊における掃海隊の殉職者慰霊式は、非公式ではありますが5月27日を期して
毎年5月の最終金曜日が式執行日、翌日土曜が遺族を招いての追悼式と決められています。
何年に一度か、27日が金曜になる日が巡ってくるわけですが、
最近では2011年、2016年がそうで、この次が2022年となります。
隣のオフィスにはかつて映画上映に使われていた器具が置いてありました。
Navy motion picture exchange special services
というのを調べてみると、1919年に結成された海軍内の組織で、
艦隊に娯楽のための映画を提供することを行なっています。
映画が海の上では何よりの楽しみであったことからきているのですが、
おそらくこれは、インターネットで誰でも映画が見られるようになった現在では
違った形になっているのではないかと思われます。
オープンリールの映画フィルムのパッケージには
「LAST OF THE DOGMEN」
という1995年の映画のタイトルが書かれています。
最後の犬男たち・・・・って?
LAST OF THE DOGMEN TRAILER
テーマがアメリカの少数民族なので日本公開もされていないようですが
なかなか面白そう。
別の映画上映を行なっているところにはカセットビデオ用の「オンキョー」、
DVD用のソニー(右)が。
この掲示板にはその日の映画上映予定が書かれています。
夏休みのせいか「ディスピカブルミー2」を(邦題知りません)やるようで、
ミニオンのケビンが・・・(可愛い)
”The Finest Hours” は邦題「ザ・ブリザード」。
相変わらず邦題のセンスがいまいちですが、ここに
「我がセーラムが出演します」
と書いているので見てみました。
映画『ザ・ブリザード』特別映像
いやー、みなさん、これなかなかいい映画でしたですよ。
沿岸警備隊の4人の男が、タンカーが二隻、別の場所で真っ二つに裂けてしまうような
ブリザードの中、上司に命令されてボートで救出に行くの。
もう絶対ハードモード、まず無理ゲーという波の逆巻く海、
チューブの中を波乗りみたいにボートを滑らせて、しかも波を被り
羅針盤を海に落っことした後も引き返さず、
半分に折れた「ペンドルトン号」の残り半分の生存者を助けに行くのです。
しかも、ボートの上に残りの生存者を30人くらいてんこ盛りにして、
帰りも羅針盤なしで母港にたどり着こうとするわけ。
この話、ニューロンドンの沿岸警備隊アカデミーで資料を見たような覚えがあるなあ。
で、半分に折れた「ペンドルトン」の内部の撮影に、「セーラム」の機関室とか
艦内が使われているというわけです。
それから、ボードの右上に
「NEW RAPID FIRE NAVAL GUNS」
とあり8インチ砲と3インチ砲が火を噴く映像を映画で見ましょう、
というのがあります。
昼間は森閑として人気がない艦内ですが、夜は色々と賑わい、
地域の人々の憩いの場所となっている模様。
「セーラム」は冒頭にもお話しした通り、「最後の重巡洋艦」。
細部は当時としても古色蒼然としたオールドスタイルであった訳ですが、
それがために、こんな映画に出演したことがあります。
BATTLE OF RIVER PLATE PART 5
「リバープレートの戦い」というのは「ラ・プラタ沖海戦」のこと。
第二次世界大戦中の1939年12月13日にラプラタ川河口の沖で起きたもので、
開戦以来大西洋、インド洋で通商破壊を行っていたドイツのドイッチュラント級装甲艦
「アドミラル・グラーフ・シュペー」がイギリスの巡洋艦3隻と交戦し、戦闘後、
損傷を受けたアドミラル・グラーフ・シュペーは中立国ウルグアイに入港し、自沈。
そのさらに2日後、ラングスドルフ艦長はドイツ帝国海軍旗(ナチス旗ではなかった)
を体に巻いて自決したと言われています。
日本人の我々にはあまり知られていない海戦ではありますが、
とりあえず映画は「戦艦シュペー号の最後」とかいう題で、
日本でも見ることができるようです。
前置きが長くなりましたが、この映画で
ドイツの重巡洋艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」を演じているのが、
なんとこの重巡「セーラム」なんですねー。
映画が制作されたのが1956年ですから、「セーラム」は現役バリバリです。
しかしながら、このころ実際アメリカでは冷戦構造の真っ只中で、
アメリカはソ連の大陸弾道ミサイルの開発に怯え、原子力潜水艦の開発を進め・・・、
つまりこのころの戦闘には大鑑巨砲の彼女はほぼ存在意義さえ失われていたのです。
戦闘艦としてあまりにオールドスタイルであった「セーラム」にとって、
ドイツの重巡に扮してその動く姿をフィルムにとどめることは、
退役前彼女の最後の花道であったのかとも思われますが、戦後は戦後で
「ザ・ブリザード」のような映画にも使われており、
その存在は戦争映画関連にとっては大変貴重なものとなっていると言えます。
続く。