メキシコ海軍練習帆船「クアウテモク」見学記、続きです。
それにしても「クアウテモク」とは変わった名前だと思われませんか?
これはアステカ王朝第11代目の君主、
クアウテモク・トラトアニ (1495年頃 - 1525年2月28日)
のファーストネームから取られたものです。
昔、スペイン人の陥る「イスパノフォビア」について一項を記したことがあります。
このブログの後半で「ジパノフオビアについても書くつもりだ」とあるのは、
『この時はそう思っていたが、その後諸事情によって考えがまとまらなかった』
と理解の上、生温かくスルーしていただきたいと思います。
それはともかく、この真ん中辺にちらっと書いてある、
1521年にスペインがアステカ王国を滅ぼした、という件ですが、
この時アステカの王として君臨しており、スペインと戦ったものの敗北し、
最後の君主になってしまったのがクアウテモクだったのです。
三ヶ月に及ぶ戦いののち、攻め込まれて城が落ち、敵将であるコルテスと
対峙したクアウテモクがコルテスの短刀を指さして『殺せ』と言ったにもかかわらず、
コルテスは彼を殺さず、勇者として讃え、手をさしのべました。
しかしその後、アステカに黄金が眠る場所があると知ると、コルテスは彼を拷問にかけ、
その場所を吐かせたうえで、反乱を企てたとして絞首刑にしてしまいました。
(もしかしたらゲーム「大航海時代V」をしている人はよくご存知かもしれません)
ともかく、メキシコではこのクアウテモクは国民的大英雄となっている人物です。
最後の最後まで勇敢に戦った悲劇の民族的英雄、という位置づけでしょうか。
さて、その英雄の名前が、上甲板の上にある木製の、これはおそらく索などの用具入れ、
兼ベンチにも金の文字で刻まれております。
横から見ると観音開きに左右対称の豪華家具調。(家具といえば家具だけど)
甲板掃除のためのモップなども入ってそうですね。
船端の排水溝になっている部分に舵輪のマークのステンシル。
電灯艦飾の電球らしきものが見えます。
帆船の電灯艦飾、見てみたかった・・・・。
チェストの反対側には舵輪がありますが、昨日していない装飾のようにも見えます。
ビナクルも雰囲気を出すための飾りでしょうか。
自衛隊ではみたことがないロープの並べ方。
こちらのロープの並べ方は少しぞんざいかな。
舵輪はメインデッキにももう一つありました。
こちらは本物っぽい。
ヒスパニック系らしい女の子が写っていますが、現地には
噂を聞きつけて訪れた東京在住のメキシコ人らしい人が結構いました。
寄港歓迎の式典ではメキシコ大使が出席して彼らを激励したようです。
アッパーデッキの右舷側角に、座り心地の良さそうな椅子がありました。
帆船の場合一般の船の艦橋に当たるのはおそらく前方の二階デッキだと思うので、
これは後甲板見張り用の椅子ではないかと思われます。
帆船が航走するとき、ここに座って風を受けるのはさぞ爽快でしょう。
メインデッキの構造物天井部分。
明かり取りの丸窓は、檻状の枠で防護されていますが、それも皆真鍮。
細部まで素材に気を使った美しいエクステリアです。
「クアウテモク」は1981年に建造され、すでに36年が経過していますが、
木製の船は案外劣化が遅いのか、それともしょっちゅう改装を行うのか、
とてもそんなに古い船には見えませんでした。
不思議なことにメインデッキの前部構造物後ろに錨があります。
ここから海に投錨できるとは思えないし、いわゆる飾りというやつでしょうか。
信号旗の「1」を意味する旗はもしかしたら日本に敬意を評しているのかな。
しかしそれだと横の「8」の意味がわからない・・・。
そういえば今は無きディズニーシーの「ストームライダー」では、
信号旗「1」を目の前にかすめて飛ぶという日本に対する「サービス」がありましたね。
うーん、なんかとても「和」のテイスト。
昔の日本の農夫が天秤棒で担いでいたのと同じような桶です。
甲板掃除の時に使われるバケツまでが木製なんて、徹底しすぎ。
船首側の甲板上部構造物、内部は厨房になります。
そういえば、ボストンティーパーティ事件に参加した船(復元)でも、
ちょうどこの部分が小さいキッチンになっていました。
壁には星が7つ飾られていますが、その下にある
"MENCIONES HONORIFICAS"(言及・引用)
の意味がよくわかりません。
無理やりスペイン語の翻訳にかけてみると、どうやらアメリカ海軍の
『HEEEEE』に相当する軍隊のメリットであるらしいことがわかりました。
キッチンの入り口になぜかグラインダーが。
ミルクを常温でこんなところに置いておいて大丈夫なんだろうか。
ちなみにこの右手奥では、シマシマ服の水兵さんが、外まで聞こえるくらい
元気よく歌を歌いながらキッチンのお仕事をしておられました。
ラティーノって基本陽気です。
これはレーダー?
しかし、遠目には近代的な装備は全く目立ちません。
あっ!FURUNOだ!
こんなところに我が日本企業の技術が・・・・・。(感激)
帆船を操作するにはとてつもなくたくさんの索を操ることになりますが、
船首側の上部甲板の床にもフェアリーダー(と呼ぶのかどうか知りません)
が、しかも実に美しく甲板の木目のアクセントとして配置されていました。
もし自衛隊であれば、こういうものに人がつまづかないように、突起物として
黄色と黒のシールか赤いリボンをつけてしまうところですが、基本そういうのは
日本だけの慣習らしく、メキシコ海軍が一般公開に際して何か特別に
配慮をしているというような様子は全くありませんでした。
諸注意は甲板に書いておいたから(英語とスペイン語で)もう十分、という感じです。
これが船首部分。
ネットが貼ってあるということは、何か用事で先まで行くこともあるんだ・・・。
まあそうですよね、この先にまで帆を張るわけですから。
ちなみに海が大荒れになると、この部分はこうなります。
こえええ〜!
船首部分からふ甲板全体をみるとこんな感じです。
右側に見えているのは有明通りの通る晴海大橋です。
メキシコ海軍のHPをみると、「クアウテモク」が晴海に入港した時の写真が
すでにアップされていて、船員がこのマストに綺麗に立っている様子も見ることができます。
ここにもメキシカンな人発見。
体格がいいし、もしかしたら休暇中の乗組員かもしれません。
ところで、一応見張りのために立っている海軍軍曹ですが、人目もはばからず
熱心にスマホをいじっております。
しかも彼だけではなく(笑)士官(真ん中)もみんなスマホ。
迷彩服の軍曹だけは熱心にお仕事しておりましたが。
一応彼には「写真撮っていい?」と聞いて撮らせてもらいました。
海上自衛隊ではほぼありえないこの光景。
こういうのがもしかしたら今時の海軍なのね、と思ったのですが、
一つここで思い出したことがあります。
メキシコでは南部の州でこの二日前、マグニチュード8越えの大地震が起こり、
大変な被害があったというニュースです。
わたしにこの情報を送ってくださったKさんなど、
「地震のことがあるので気を遣ってどうも行くつもりになれない」
とおっしゃっていたくらいでした。
来てみると特にそのようなことが起こったことを示すものは何もなく、
皆の求めに応じてにこやかに写真に収まるなど、悲壮な様子はありませんでしたが、
メキシコシティでもかなりの揺れを完治したという地震で、被害が増大しているので
彼らも気が気ではなかったのではないでしょうか。
その地方出身の乗員がいたかもしれませんし、家族や知り合いの情報を得るために
皆がスマホで情報をチェックしていたとも考えられます。
ちなみに「クアウテモク」の乗員数は234名。乗員の平均年齢は24歳です。
「ARMADA DE MEXICO」はメキシコ海軍を意味します。
というわけで一通り甲板を見学し終わり、ラッタルから退出です。
ラッタルの角にまで名前が刻まれているという豪華版。
出入りのラッタルはここ一つなので、両側にボランティアの人(日本人)がいて、
交通整理までやっておられました。
基本メキシコ海軍さんはそういうことまでやらないようです。
岸壁から船首部分を撮ってみました。
しょっちゅう屋形船が近づいてきて観光客に帆船を近くで見せるサービスを実施。
白地に「CUAUHTEMOC」の文字の深い緑が美しい。
この緑は、昔ながらの船首につけられたフィギュアヘッドの像が
身につけているマントなどの色と同じです。
このフィギュアヘッドが誰かは、最初から読んでくださった方にはもうおわかりですね。
満艦飾の信号旗はメインマストから艦首に向かって
4-D-C-1-L-E-5-U-X-9-F-S-回答-Y-J-3-R-N-7-W-V-2
とするのが自衛隊のやり方らしいのですが、これ明らかに違いますよね。
英語のウィキ「ドレッシング・オーバーオール」を調べて見ると、
「ドレッシング・ライン」の旗の順番は国によって違う
と書いてあるので、これがメキシコ海軍式の満艦飾なのでしょう。
しかし、これは国際的に共通として、
外国訪問中満艦飾を行う場合、メインマストに相手国の国旗を揚げる
というプロトコルがあります。
この写真の帆と帆の間に、日の丸が見えているのがおわかりでしょうか。
さて、というところで「クアウテモク」の見学を終え、わたしは同じ岸壁を
後方に進んで行きました。
メキシコ海軍からのゲストを迎えるために、日本国はホストシップとして
海上自衛隊の「おおなみ」を晴海に派遣し、この日はそちらの公開も行なっていたのです。
それでは、いざ「おおなみ」へ!
続く。