入間基地には、陸海空全自衛隊の航空施設を点検して回る点検飛行機を
所有する部隊、フライトチェッカー・スコードロンが存在します。
赤と白の「チェッカー」フラッグをシンボルにした、文字通りのチェッカーズ、
全国の自衛隊の航空保安施設及び航空交通管制施設の点検を行なうのが任務です。
点検機は二種類。
まず大型がこのYS-11FCです。
正式にはこの飛行機を
「飛行検査用航空機」Flight Inspection Aircraft
と称します、
飛行検査用航空機は国土交通省によって定められた
航空保安施設等の機能あるいは航空路等について定期的に行う検査
を日常業務として行うもので、自衛隊の場合は全国にある
43の飛行場にある165箇所の点検対象航空施設を
YS-11FC 2機、
U-125 2機
の計4機で点検して回っているということになります。
もちろん新しく航空施設を増設した場合の点検、飛行場の運用を始めるときの点検、
あるいは航空機の離陸又は着陸のための飛行の方式の設定や、
航空機の航行の安全に関する検査又は調査を行います。
YS-11は戦後初めて日本が開発した飛行機で、日航も全日空も、
旅客機として使用しているので、自衛隊機といえども大変馴染み深いのですが、
点検機ってこんなに大きくないといけないものなんですね?
つまり、旅客機で人員を搭載する部分には点検用の機械が、みっちりと積まれていると。
タキシングしているフライトチェッカー機、まるで首輪のように
胴に(首か?)赤い線を巻いていますが、これには白い文字で
「プロペラ」
と書かれ、そのラインをさす矢印には「危険」とあります。
ブレード事故を防ぐため危険を喚起しているんですね。
また、フライトインスペクター機体は視認性の高い赤と白で塗装されています。
こちらがU-125点検機。
同型の U-125Aはやはり空自で救難捜索機として運用されていますが、
こちらは
戦闘捜索救難(Combat Search and Rescue:CSAR)
を想定しているので、視認性の低いブルー塗装です。
ちなみに戦闘捜索救難とは、戦時下において、前線、もしくは
敵の勢力圏内に不時着した航空機の乗員を救出することを指し、
通常は特殊部隊が乗り込んで任務にあたります。
空自は戦闘捜索を主眼にしていないので、単に救難隊が運用しているはずです。
ところでわたしは、今年の飛行点検隊のデモを見ながら、去年の入間で
このチェッカーズを見た記憶がないのにふと気がつきました。
そういえばブログにも書いた覚えがないなあと思っていたのですが、
調べたら、去年は地上展示だけで、飛行はしなかったことがわかりました。
同年4月6日に九州でU-125が墜落した事故を受けての中止だったようです。
その時には赤白塗装のT-4が浜松から参加してレッドドルフィンとして
シルバー部隊の飛行に文字通り色を添えたのですが、今にして思えば
同じ赤白機体はチェッカーズの分も引き受けて頑張っていたのかもしれません。
この事故は飛行点検隊所属のU-125点検機が、飛行点検業務のため訪れた
海上自衛隊鹿屋航空基地付近で作業中消息を絶ち、その後の捜索で、
機体が御嶽の山岳地帯で、墜落しているのが見つかり、
機長 3等空佐(46歳)
副機長 1等空尉(34歳)
機上無線員 准空尉(54歳)3等空曹(27歳)
機上整備員 空曹長(43歳)2等空曹(34歳)
の計6名全員が死亡していたというものです。
衝撃的な事故でしたが、点検機が墜落した原因については
「U-125は戦闘機のように高速で飛ぶこともなく、
整備もしやすい機体なので、なぜ事故が起こったのかわからない」
などという声が上がっていたということです。
約4ヶ月後、事故調査委員会は
「事故機機長が飛行点検経路上の山の標高を誤認識し、また事故機副操縦士も
その誤認識に気付かなかったこと、高度を変更した以降、雲に接近して、
または入って視界が遮られる状況になっていたこと、
GPWS(対 地接近警報装置)が作動しているにもかかわらず適切な対応をとらなかった」
として危機回避できなかった機長と副操縦士の責任を厳しく断じました。
さらに、調査報告では、
事故に至った背景には、不十分な監督指導があった
とその原因について言及しています。
事故機の機長は東日本大震災発生当時ブルーインパルスの編隊長でした。
活動停止していたブルーが飛行を再開した際にはメディアへの露出も多く、
それだけに殉職は大きなショックを内外に与えました。
ところで、技術的にも人格的にも評価の高いベテランがなぜ状況を誤認識したのか。
報道によると、鹿屋付近を知悉している海自のパイロットが、
事故原因をこのように推測しています。
「墜落現場近くは高い山が連なっており、雲が発生しやすい。
おそらく事故機は、一度入った雲を抜けた先に山肌が急に現れたため、
回避行動が間に合わなかったのだろう」
全国各地の馴染みのない基地にも点検のために飛来する点検航空隊ですが、
この難しい鹿屋の地形に不案内だったことが事故原因に繋がったということでしょう。
事故後、殉職した隊員には旭日単光章が授与されましたが、
機長と副操縦士には昔の勲六等に相当するこの勲章叙勲は行われませんでした。
事故原因が二人のミスにあったと判断されたことを受けての措置でしょうか。
空自側が判断することだから仕方がないこととはいえ、割り切れない気持ちが残ります。
YS-11とU-125は、同時にタキシングを始め、YSが先にテイクオフ、
続いてU-125があとを追うように機敏に滑走路を飛び立ちます。
空中で合流し、2機並んで会場を左から右にパスしていきます。
それから1機ずつパスして、意外な駆動性を見せてくれます。
よく考えたら、いやよく考えなくても、この YS-11は旅客機と同じタイプ。
もし乗客を積んでこんな動きをしたら、機内では阿鼻叫喚となること間違いなしです。
機体は正確には YS-11FCと称し、FCとはフライトチェックを意味します。
偵察機のようにカメラの窓が開いていたりするのかと思いアップにしてみました。
カメラかどうかはわかりませんが、赤い首輪?と垂直に
検査装置と関係のありそうなものが装着してあります。
旅客機と同じ大きさのYS-11FCには検査装置、計器着陸装置、通信装置、
グラフィックレコーダー、機上録音機、信号観測用オシロスコープなどの
無線機材が搭載されています。
例えばこのT−4の後ろに見えているチェックの建物、これも
フライトチェッカーの点検対象のはずです。
(実はこれがなんなのか未だによくわかってないんですが)
フライトチェッカーが点検するのは、例えばグライドパス。
計器着陸装置(ILS)のうち、航空機に電波を発射し、適切な降下経路へ誘導する装置です。
これがちゃんと作動していなければ、飛行機は計器飛行で着陸することができません。
また、航法支援施設から出される電波を頼りに長距離の航路を間違いなく飛ぶために、
その電波が正確に出ているかどうかを確認しなければなりません。
そのために、観測機器を積んだ点検飛行機を実際に飛ばして、測定を行うのです。
デモフライトが行われている間、アナウンスで
「今何々の点検を行なっています」
というようなことを言っていたと思いますが、もちろん我々には
普通に飛んでいるだけにしか見えません。
昨年の不幸な事故を受けて前年度の展示飛行を控えていた飛行点検隊ですが、
2年ぶりに、こうして雲ひとつない蒼天の空に高く舞い上がりました。
彼らフライトチェッカーズは、失われた仲間と彼らが乗っていたU-125機を悼み、
祈りを捧げるような気持ちでこの時入間の空を飛翔していたかもしれません。
わたしがそう確信したのは、2年前の同航空祭の当ブログエントリ中、
その時に展示飛行を行った飛行点検隊の、U-125を写したこの写真を見た時です。
機体番号、043。
2年前、入間航空祭で展示飛行を行ったこの写真の機体は、
5ヶ月後の4月6日、御嶽での事故に遭遇します。
もしかしたら、この時に操縦桿を握っていた正副操縦士も、
他のクルーも、遭難したその同じメンバーだったのかもしれません。
飛行点検隊には特に高い技量を持つパイロットが配備されるといいます。
点検飛行には、検査の正確な結果を得るため、正確で緻密な操縦が要求されるからで、
それこそ殉職した機長のように、ブルーインパルス出身の、しかも編隊長というような
前職をもつベテランが操縦を行ってきました。
それだけに、この事故によって彼らが失われてしまったことは無念でなりません。
無念といえば、例年行われていた UH60J救難ヘリコプターの
リペリング降下とストレッチャーによる負傷者引き揚げといった
デモンストレーションも今年は行われませんでした。
これももちろん、先月18日に墜落したと思われる同機の事故を受けてのことです。
この事故も、U-125と同じく、緊急事態が起きたことを知らせることがないまま
レーダーから突然機影が消え、消息を絶ったのち墜落が確認されました。
さらに当日の飛行前点検や消息を絶つ5分前の交信内容に全く異常はなく、
短時間に何らかのトラブルが起き通信する間も無く墜落したとみられています。
ということは今回の事故も操縦ミス(というか判断ミス)の可能性があるのでしょうか。
自衛隊に限って「人心の弛み」があったとは考えにくいですが、
先月の百里基地のF−4出火といい、不可抗力の事故ではなさそうなのが気になります。
事故調査の結果を真摯に受け止め、精密に解析した上で、少しでも事故を減らすため、
さらなる安全対策の改善に繋げていってほしいものだと切に思います。
続く。