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イギリス海軍対ドイツ海軍〜模型展「世界の巡洋艦」

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1日で終わるかと思っていた模型展「世界の巡洋艦」のご紹介ですが、
いざ始めてみると案の定色々とお話ししたいことが出てきてしまい、
何日かに分けることになりました。

というわけで今日は展覧会のタイトルと同じ「世界の巡洋艦」です。

さて、それでは世界の巡洋艦、まずは御大キングダムから参りましょう。

イギリス海軍の
蒸気フリゲート艦「ユーライアラス」(Euryalus)。

日本に縁のある船で、あの「生麦事件」が起きてから横浜に来て、
薩英戦争(1863)と馬関戦争(1864)に参加しています。

余談ですが、この長州藩と英米蘭仏の連合国との間に起きた馬関戦争で、
17歳の「ユーライアラス」乗組の水兵、ダンカン・ボイズが戦功を挙げ
ビクトリア勲章を授与されました。

しかしダンカン君、戦後になって海軍基地の門限に遅れて戻り、
基地内に塀を乗り越えて侵入し海軍を懲戒除隊されてしまいました。

ダンカン・ボイズ

彼はその後重度のアルコール依存症とそれに伴う精神衰弱に陥り、
静養先のニュージーランドで家屋の2階窓から飛び降り、
22歳という若さで死んでしまったということです。合掌。

「帝国海軍がボカチンしてやりました巡洋艦」が・・・。

巡洋戦艦「レパルス」(左二つ)。

巡洋戦艦というのは、イギリスが生んだ「さらに攻撃力を増した巡洋艦」で、
巡洋艦の拘束性と戦艦と同等の大口径砲を併せ持った強力な軍艦という位置付けです。

だからこそ、民族的に見下していた日本人にこの「レパルス」と戦艦
「プリンス・オブ・ウェールズ」をボカチンされたチャーチルは
ショックであうあうあー状態になってしまったわけですね。

巡洋戦艦という概念は英国とそれから日本海軍だけが採用したもので、
両国合わせて7隻しかこの世に生まれていません。

この写真で「レパルス」の右側にある2隻、「レナウン」もその一つ。
イギリス海軍はこれに「フッド」を加えた3隻で、日本側はおなじみ

「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」

の計4隻が巡洋戦艦となります。
「フッド」はドイツ海軍の「ビスマルク」に撃沈されたので、
この中で生き残ったのは「レナウン」(有名という意味)だけでした。

こちらもヒズマジェスティーズシップの

航空巡洋艦「フューリアス」。

wikiには「世界初の空母」ってあるんですが、これほんと?

もちろん、この模型の頃は改装前の航空巡洋艦時代ですが。
甲板にはその頃搭載していたソッピース・キャメルらしい姿が見えます。

スキージャンプ台みたいになっている後甲板から離艦するのだと思いますが、
それでは着艦はどうしていたんだろう、と気になりませんか?

はい、こうしておりました。

流石に艦橋に突っ込む恐れがある後甲板へのアプローチをするのではなく、
なんと、艦首側前甲板に海に向かって降りていたようです。
このころの飛行機が二枚羽で推力がそんなになかったことと、
着艦の際には船を航行させてスピードを相殺していたのかもしれません。

しかし見る限りアレスティング・フックやワイヤーはまだなく、
乗員が総出で駆け寄っているところを見ると、飛行機を

手でつかんで止めたのではないか

という疑いが・・・・・・。
というか、実際に手で機体を捕まえている人がいますね。

いやー、これ、海に落ちる飛行機は後を立たなかったと思う。

イギリス海軍にとっては「悪者退治」みたいな位置付け?

海戦シリーズ展示としてイギリス隊ドイツ海軍の「ラ・プラタ沖海戦」がありました。

ドイツ海軍の装甲艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」と同型艦
「ドイッチュランド」は、神出鬼没、通商破壊をしまくっていましたが、
イギリス海軍はこれを叩くため、捜索部隊を結成。

「アキリーズ」「エイジャックス」「カンバーランド」「エクゼター」

からなる「G部隊」はAGSをラ・プラタ沖で捕捉し、挟撃による壊滅を図りました。

 

「アドミラル・グラーフ・シュペー」は英国海軍の「エグゼター」に砲撃、
「エグゼター」は大きな損害を負いましたが、G部隊のハーウッド准将は
駆逐艦上がりだったシュペーのハンス・ラングスドルフ大佐より一枚上手でした。

海戦の結果、「アドミラル・グラーフ・シュペー」は大きな損害を負い、
ウルグアイに逃走しますが、イギリスから手が回っていて修理ができず、
結局自沈されることになりました。

ラングスドルフ大佐は、その後アルゼンチンで拳銃による自殺を行いました。

「このような状況におかれた時、名誉を重んじる指揮官なら
艦と運命を共にする。それが当然の決断だ。

私は、部下の身の安全を確保することに奔走していたために、
決断を先延ばしにしていた」

という遺書が夫人に残されていたそうです。合掌。

海軍力でイギリスに劣るドイツ海軍の船には

「イギリス海軍の船と交戦しないように」

という指令が出ていたにも関わらず、戦闘を行なったとして、
ヒトラーはラングスドルフを非難しましたが、おそらく
親衛隊ではなかったラングスドルフが死の際、ナチス旗ではなく
ドイツ海軍旗を体に巻いていたことが気に入らなかったのかもしれません。


なお、「アドミラル・グラーフ・シュペー」に傷を負わされた
「エクゼター」は、のちに我が帝国海軍にスラバヤ沖海戦で撃沈されています。

この時に大本営は、

「『アドミラル・グラーフ・シュペー』の仇を取った」

と発表したということです。

HMS「アレトゥーサ」。

アレトゥーサはギリシャ神話のニンフの名前で、ストーカーから逃げるため
アルテミスの力で水に変えられたという「アレトゥーサ湖」伝説を持ちます。

「アレトゥーサ」級巡洋艦は、

「ガラテア」「ペネロペ」(海の女神)「アウロラ」(暁の女神)

のギリシャ神話シリーズ四姉妹で構成されます。

飛行機を搭載している部分を拡大してみました。

下から見た本級のタイプシップ「パース」級の水上機施設。
「アレトゥーサ」搭載のものは旋回式のカタパルトだそうです。

イギリスといえば無敵艦隊を倒した、無敵艦隊というと「インビンシブル」。
というわけで、ある意味もっともイギリスらしい?名前である
巡洋戦艦「インビンシブル」(Invincible)(右から2番め)と
その改良型巡洋戦艦「インディファティガブル」(Indefatigable/不屈)。

「インヴィンシブル」級はネームシップの「無敵」に対して2番艦、

HMS「インドミタブル」(Indomitable/不屈)

3番艦、

HMS 「インフレキシブル」 (Inflexible/融通がきかない)

全て「不屈」を表す、「IN-不」で始まるシリーズです。
「インヴィンシブル」は

世界初の巡洋戦艦(戦闘巡洋艦)

として鳴り物入りで誕生し、「巡洋艦より早く、戦艦のように強い」を
謳ってこの象徴的な名前を与えられたのですが、色々と残念な設計ミスがあり、
爆風を避けるために砲を撃つたびに艦内に入らなければならなかったり、
巡洋艦同士で撃ち合った場合、艦尾が丸裸同然で脆弱だったり、
中でも一番の問題は、

主機関が弾薬庫に挟まれていた

ということで、この結果、ユトランド沖海戦で、「インヴィンシブル」は
主砲弾が砲塔を貫通した瞬間、誘爆のため艦隊が真っ二つに割れ、
ぽっきりと折れて轟沈してしまっています。

乗組員1032名のうち、生存者はわずか6名でした。

ちょうどワシントン軍縮条約が締結され、「インドミダブル」
「インディファティガブル」はそれで廃艦になり、
「インフレキシブル」も陳腐化して同時期にスクラップになっています。

こういうのをなんていうんだっけ・・・名前負け?

 

それでは「ラ・プラタ」でイギリスと戦ったドイツの巡洋艦と参りましょう。

手前、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」。

ドイツの軍艦というのは名前がたまらなくかっこいいので、きっと
その界隈では、萌え化されているだろうなと思ったらやっぱり
「艦これ」にいましたよ。

プリンツ・オイゲン(ちゃん)

「プリンツ」というからには王子のことなんだろうなとは前から思っていましたが、
今回初めて調べてみたところ、

オイゲン・フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリグナン

というオーストリアの軍人さんでした。

「プリンツ」は日本で言うところの「ハンカチ〜」とか「はにかみ〜」とか
「海の〜」(笑)のような、アイドルやミスコンの男版のような意味は全くなく、
単純に「公子」という位を表す言葉です。

オイゲン公

「プリンツ・オイゲン」のイメージが変わった!どうしてくれる!
という方、オイゲン公の独創的なカツラに免じてお許しください。

「プリンツ・オイゲン」の水上機搭載部分もアップにしておきます。

彼女は我が帝国海軍の「雪風」と同じく、「幸運艦」と呼ばれています。
イギリス軍とのバトルで一度は操縦不能になるも、あとは航空攻撃でも
命中弾を受けず、僚艦とぶつかっても相手ほど被害も受けず、きわめつけは
アメリカ軍に戦後摂取されて、名前を

「プリンツ・ユージーン」(笑)

と英語読みされ、ビキニ島の原爆標的艦となったのですが、結局
二回の実験にも沈まず、曳航される途中でマーシャル諸島のクェゼリン環礁に座礁し、
今でもそこに放置されています。

念のためグーグルマップで調べてみたら、観光地?になっていました(笑)

装甲巡洋艦「シャルンホルスト」

なんて名前も実に厨二心をくすぐりますよね。
少なくとも

装甲巡洋艦「マンマス」

なんて言うのよりもかっこいいのは確か。

装甲巡洋艦というのは「装甲を施した巡洋艦」のことです。
ただ、「インヴィンシブル」がそうだったように、攻撃力を上げても
巡洋艦というスピードを重視した艦体において防御力は致命的に弱く、
どうなるかというと、同級で撃ち合った時に当たった方が負ける、
という素人にもわかる結果となったのでした。

ところで、このテーブルは、ドイツとイギリス海軍の間で行われた

「フォークランド沖海戦」

の参加艦艇が展示されています。

第一次世界大戦中に英領フォークランド沖に攻め入った

マキシミリアン・フォン・シュペー中将

率いるドイツ東洋艦隊が、イギリス軍の迎撃を受けて敗北した海戦で、

旗艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」「ライプツィヒ」
「ニュルンベルグ」は撃沈、唯一残った「ドレスデン」も自沈

とドイツ側の完敗に終わっています。

イギリス海軍「カーマニア」(Carmania )

ドイツ帝国海軍「カップ・トラファルガー」(Cup Trafalgar)。

どちらも戦時に武装していた「武装商船」「仮装巡洋艦」です。
客船だった「カップ・トラファルガー」は砲艦から10.5cm砲2門と
3.7cm砲6門が移され、仮装巡洋艦B (Hilfskreuzer B) となって
通商破壊作戦に従事していました。

ドイツの船なのに英語で、しかも「トラファルガー」が使われているのは、
これがハンブルグー南アメリカ航路の客船だったからです。

「カーマニア」も4.7インチの砲 8門を搭載しており、2隻は
武装商船同士としてたまたま遭遇したものです。

戦闘に際し「カーマニア」が警告弾を発射、それに対し、
「カップ・トラファルガー」はドイツ軍艦旗を掲揚して戦闘が始まりました。

相手の喫水線付近に砲撃を集中した「カーマニア」と、船橋を集中攻撃した
「カップ・トラファルガー」の戦いは、「カーマニア」に軍配が上がり、
「カップ・トラファルガー」は転覆し、沈没しました。

 

というわけで今日ご紹介してきた英独海戦は、ことごとく
イギリス海軍の勝利に終わったことになります。

やっぱりイギリス海軍、腐っても「無敵艦隊の敵」の末裔ってことかもしれません。

 

続く。

 

 


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