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ミュージカル「ハミルトン」と「ベアー」の殊勲〜沿岸警備隊博物館

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Ten Minutes of Hamilton Clips

コネチカット州のテムズ川。
イギリス人がここに入植し、祖国ロンドンを思い出すために、
ニューロンドンという街に流れる川をそのように名付けました。

独立戦争中にはここに海軍の作戦基地があり、19世紀になってからは
捕鯨の拠点になるなど、良質の港として海上交通の重要な拠点となりました。

このブログでも度々お話ししているアメリカ海軍の潜水艦のふるさとグロトンは、
このテムズ川を挟んで対岸にあります。

ニューロンドン側には、アメリカ沿岸警備隊、コーストガードの士官養成校、
コーストガードアカデミーがあるのです。


グラウンドでちょうど行われていた訓練や、ロビーに飾ってあった
カッターと呼ばれるコーストガードの船、そして慰霊碑など、
少しここでもお話ししたのですが、今日は博物館展示についてご紹介します。

私はコーストガーズマンだ

私は合衆国国民に奉仕する

私は彼らを守る(protect )

私は彼らを守る  (defend)

私は彼らを守る  (save )

私は彼らの盾になる

彼らのためにわたしは常に備える(semper paratus)

私はコーストガードの真髄に生きる

私はコーストガーズマンであることを誇りにする

我々はアメリカ合衆国コーストガードである

 

2011年と言いますから割と最近定められたというエトス(団体の慣習)
がエントランスに大きく掲げてあります。

ところで、冒頭youtube、なんだと思います?

独立戦争後に初代財務長官となったアレクサンダー・ハミルトンをテーマにした
ブロードウェイで今人気のミュージカル「ハミルトン」です。

つい先日、MKが自分のiPhoneを車内で再生し始めた時のこと。

MKはわたしと違い、ラップやトランスも大好き少年なので、最初は
またラップかー、と思いつつなんとなく聞き流していました。

すると「アレキサンダーハミルトーン」と確かに聴こえてくるのです。
思わずMKに

「もしかしたら・・アレキサンダーハミルトンって言ってる?」

「言ってるよ。ハミルトンっていうミュージカルの曲だし」

「はー、アメリカではミュージカルになるような人なのか・・」

アメリカ人には日本人にとっての坂本龍馬くらいの歴史的人物なんですね。

ただし日本人でこの名前を知っている人はあまりいないため、
このミュージカルも日本で取り上げられることはないに違いありません。


さて、そのハミルトンの偉業というのはアメリカの税収を立て直したことです。

独立戦争の後のアメリカは、収入源を関税と酒税に頼っていました。
この説明にも、

アメリカは独立戦争後、大変脆弱な状態でした。
独立の燃えるような興奮は、いきなり冷たい現実に直面します。
建国の父も空っぽの歳費で政府を創建せねばなりませんでした。
それどころか戦争で70万ドルの借金が残っています。

政治的独立を確保するためには財政的な独立をせねばなりませんが、
駆け出しのアメリカ経済は途方もないプレッシャー下にありました。
頼みの綱の植民地経済も、商船が弱体化してしまっているので動きません。
さらには生産業もまだ未熟で、国内には輸入品ばかりが溢れている状態でした。

と書いてあります。

それはともかく、当時関税の徴収というのは国家の大きな課題であったわけです。

そこで外国とアメリカの商品、そして船舶に関税とトン数による税金を掛けて
税収にすることを天才ハミルトンは考え出しました。

つまりこれによって税収と国内産業の保護を一気に推し進めようとしたのです。

そこでハミルトンは議会に10隻のカッターを購入することを要求し、その乗員である、
80人の成人男性と20人の子供からなる艦隊に関税と税金をかけました。

その「税収(を目的とした)カッター部隊」が沿岸警備隊の元祖であり、
そのための養成学校も「税収カッター養成学校」とそのものズバリの名前でした。


 

さて、ハミルトンが作ったカッター部隊の目的は税収、そして密輸を取り締まることです。
当時はこんなもので武装した海賊がうようよしていて、輸送船を襲いました。

アメリカとしては、不法に我が国の大事な通商船から物資が奪われることは
国家の財政危機にも繋がるとして、カッター部隊に警備をさせました。

最初にカッター部隊が海賊を阻止することに成功したのは1793年、
チェサピーク湾で「ディリジェンス」という船でした。

1819年にはフロリダで、ジャン・ラ・ファルジという海賊の船「ブラボー」と
「ルイジアナ」「アラバマ」という税収カッター部隊の船が対峙し、
カッター部隊はファルジの船に乗り移って一対一の戦闘を行い、
最終的には彼らの根城を殲滅してアメリカの領土にしています。


海軍は税収カッター部隊の設立に大変前向きでした。
海軍の船が苦手な湾岸線の浅瀬での活動を税収カッター部隊に任せ、
その部分での海軍の任務はそのままカッター部隊が引き受けることになります。

なお、カッター部隊が初めて戦争で殊勲賞を獲得したのは1812年、
「ビジランテ」がイギリスの私掠船を捕獲した戦功によるものでした。

手縫いのアメリカ国旗は1795年、ハミルトンが提案した税収カッター部隊の
士官第一号となったホープリー・イートンHopely Yeatonが製作し、
その船に掲げられていたものだそうです。

イートンさん。
なんかこんな人今でもいるよね。

USRC ハリエット・レーン(1858−1962)。

最初の税収カッター(RC)とはこのようなものでした。
ハリエット・レーンとは合衆国第15代大統領ジェームス・ブキャナンの姪で、
生涯独身だったブキャナンのファーストレディ役を務めた女性です。

その髪型や服装が国民に注目され、真似をされるほどのファッションリーダーで、
彼女の名「ハリエット』を生まれた女児につけることが流行ったというくらい
カリスマ的人気があった彼女ですが、税収カッター部隊は
彼女の名前をつけたカッター「ハリエット」を、を沿岸警備隊になった後も、
三代にわたって(もちろん現在も)保有しています。

写真のカッターは、南北戦争が勃発すると合衆国海軍(北軍)に移管され、
この艦上から南北戦争における海軍最初の砲撃が行なわれました。

2代目は1926年に就役し、1946年に退役しています。

同じく3代目のカッターは、USCGC Harriet Lane (WMEC-903) で、
1984年5月に就役し、2014年現在、現役で運用されています。

1855年ごろの税収カッターに乗り込んでいた部隊の皆さん。

「これらのみすぼらしく質素な男たちは孤独な砂上の住人である。
そしてもっとも危険な海に横たわる今にも差し迫った危機の上に
彼ら自身の手で命をつなぎとめるのだ。

しかしなんのために?

祖国と彼らの愛する人々、他を生かすため
(That others might live)であることは間違いない」

南北戦争の後も、国家は税収カッターサービスを
増大する外敵からの防衛のため、
そして人命救助のため使い続けました。

1960年代になって、組織は改変され、税収カッターサービスは
近代的な沿岸警備隊へと生まれ変わることになります。

1897年には最初の電動ジェネレーターを搭載したカッターが何隻か
ライフセービングサービス、救難隊に導入され、1899年には
無線も導入され始めましたが、基本救難隊は、このような
オールでボートを漕いで救難活動を行っていました。

1897年、税収カッター部隊のジャービス中尉、バートホフ大尉、コール軍医は、
レスキュー隊の3人と400頭のトナカイを率いて、アラスカで氷に閉じ込められた
8隻の捕鯨船の乗員265人のために食物や必要なものを届けました。

ポートランドを11月29日に出航したカッター「ベアー」は12月16日アラスカに到着、
そこから1500マイルのツンドラ地帯をマイナス40度の低温の中、
3ヶ月かかって走破、382頭を現地に残しまた3ヶ月かけて帰投しました。

現地の住民から手に入れた記念品。

右側の籠や人形なども現地調達の記念品です。

税収カッター部隊の活動範囲はベーリング海にも及びました。
アザラシの皮でできた服を身につけた現地の子供達。

ダールグレン・ボートハウザー砲。

米西戦争の間、アメリカは小艇からも銃撃可能な小さな銃を必要としました。
それらは湾岸線で上陸してくる敵を掃討するためにも必要でした。

1849年、ダールグレン社は滑空式ボート用ハウザーを開発し、
ランチやカッターに装備が始まります。

この24lbsハウザーは特に税収カッターのために製作されました。

おそらくネイティブインディアンの名付けた地名からきたのでしょう。
Quonchonontaugはコノーチョントと発音するロードアイランドの地名で、
ニューロンドンよりケープコッドよりにある港町です。

ガラスケースの上部にあるのはこの街にあった沿岸警備隊のステーションの看板。

ラクロスのラケット見たいなのは、スノーシューズ、カンジキです。
これで、先ほどお話しした雪中救助隊が3ヶ月の行軍を行ったのです。

400頭のトナカイはソリを引いてくれなかったので(T_T)
彼らは3ヶ月、氷点下40度の中をこれで歩き続けました。

潜水服のヘルメットのようなビナクルも雪中行軍救助隊「ベア」の装備。

フロックコートはデイビッド・ジャービス中尉が着ていたもの。

左上のライフルは船から岸にラインを渡すために使用されました。
そのロープに救出用ブイを通すためです。


創立と同時に、これまで海軍がやっていた沿岸での救助をすることを
使命として活動してきた税収カッター部隊ですが、この「ベアー」の殊勲は、
その後の沿岸警備隊にとって目標とすべき大きなモニュメントとなったのです。

 

続く。



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