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クリーンシャツ・ワードルーム〜空母「ミッドウェイ」博物館

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 「ミッドウェイ」には4500人もの人が生活するため、いくつも
飲食をする施設があります。

艦長や艦隊司令などが食事をする個室の他には将校が食事をする「ワードルーム」。

チーフ(E-7,8,9 )が食事をする「チーフズ・メス」。

そして、E-1からE-6の兵員食堂を「メス・デッキ」とか「ギャレー」と呼びます。
ギャレーは二ヶ所あって、これらの「区分け」は厳密です。

階級の上下を問わず、正式に招待されない限り、それぞれの階級の食堂以外に
立ち入ることは許されていません。

前にも言いましたが、例外は、「殿上人」である艦長が水兵の士気を高めるため、
そして彼らの「雰囲気」をチェックするため、そして親睦を深める?ために
ギャレーにふらりと現れて食事をすることがあるくらいです。

さらに、若い士官は時々ギャレーでの食事を義務付けられていていたそうですが、
彼らは例外なく水兵と会話するわけでもなく、黙々と食べて、
シートに何やらコメントを書き込んで出て行く、といった具合だったようです。

前回までギャレーをご紹介してきましたが、今日はワードルーム、
すなわち士官用の食堂を見ていきましょう。

海自の士官用食堂などもテーブルリネンはブルーでしたが、
ここは椅子も一つづつ肘掛けが付いているお揃いのカラーです。

シルバーがちゃんとセットされていて、金線の入った食器がセッティング。
毎日こんなきちんとしたテーブルで食事をしていたんでしょうか。

これはセルフサービスなどではなく、ちゃんと給仕がサーブするテーブルですね。

と思ったら当時の食事風景の写真がありました。
ちゃんと給仕がお皿をサーブしています。

これを見てお分かりのように、士官は全員白人、
給仕がそれ以外の、ほとんどがヒスパニックかアジア系です。

食事が終わっても、彼らは自分で食器を片付けたりする必要はありません。

「ジョン・デ・ブランの想い出のために」

デ・ブラン氏は「ミッドウェイ」のボードメンバーで、本艦の博物館化に
大いに寄与した人物であったようです。

写真の子供は子供時代のデ・ブラン氏で、一緒に写っている彼の父親、
アーネスト・デブラン大尉は「ミッドウェイ」でダメコンの士官でした。

写真は1945年、このワードルームで行われたクリスマスパーティでの一枚です。

一緒に写っている男の子はその後父と同じ道を歩んだでしょうか。

映画鑑賞もこの部屋で行われていたんですね。

CDで映画が手軽に見られる時代ではないので、
かなりの数の嵩張るフィルムを持ち込んでいたものと思われます。

ラックの下には巨大なフィルム缶が積み重ねてあります。

逆から見た映写機。
操作はシンプル。走行、止める、早送り、巻き戻し、ボリューム、以上。

映写機のメーカーは(ミシンの)シンガー社です。

前にも書きましたが、シンガー社は戦争中各国と武器製造の契約をしてたため、
ノルデン照準器やガーランド銃なども作っていた会社です。
戦後、特に1960年代から多角化に舵を切って生き残りました。

電卓など作っていたことは知っていましたが、映写機もあったんですね。

 

ジュースクーラーやウォーターサーバーなど。
この辺りはギャレーと同じカフェテリア方式です。

唐突に壁に飾ってあった扇子。
彼らがどこで手に入れたのかはわかりませんが、和風というより中国風です。

この部屋は

The 'Clean Shirt' Wardroom

と呼ばれていました。
このワードルームを使用するとき、士官は必ず制服(作業服ではない)を着用したので、
「クリーン・シャツ・ワードルーム」と呼ばれることになったのです。

兵員食堂と違って、士官はワードルームでの食事をその都度支払らうことになっています。
その分を貯めておいて時々スペシャルメニューを奮発する、というのも可でした。

先ほどのブースは、士官たちが支払いをするための会計係が座っていたんですね。

ワードルームは食事だけでなく、ミーティングや映画鑑賞にも使われました。

ワードルームでは銀器が用意されていました。

これは重巡洋艦「トレド」CA133で実際に使用されていた銀器一式です。
「トレド」は1945年の5月、第二次世界大戦の終わり頃就役し、
終戦後は日本で占領政策に従事したということです。

銀器はお金がかかるだけでなく、いつも手入れをしていなければならない
「執事泣かせの」食器なので、ご予算はもちろん精神的にも余裕があったということです。

 

各プレートはトレドの名前と海軍のマーク、所縁の地が刻まれています。
このお皿はトレド美術館、他はトレド大学に教会など。

パンチボウルもゴージャス。

現地の説明によると、こういう意匠も日本風を意識しているのだそうです。
障子を透かして桜を見るような壁照明、なかなかモダンジャパネスクって感じ。

何しろ「ミッドウェイ」は十八年間日本に勤務していて、その間
一度も母国に帰ったことがなかったのです。

しかし、「ミッドウェイ」での日本勤務を経験した海軍軍人は、
上は将官から若い水兵まで、例外なく皆が日本を大好きになったそうです。

その理由は、日本人のもてなしの精神であり、あるときは市井の人々の親切であり、
他にはない魅力的な文化などでありましたが、特に海軍軍人として、
日本と触れ合う窓口となる海上自衛隊の人々、そして在日米軍基地で働く人々の
ずば抜けた技術、能力、ならび仕事に対するプライドには感嘆させられた、
と、かつての司令官が語っています。


「砂漠の嵐作戦」における「ミッドウェイ」の勇姿。
このとき「ミッドウェイ」の母港は横須賀で、最後の出撃となりました。

湾岸戦争開戦翌日の1991年1月16日に「レンジャー」とともにペルシャ湾に入り、
航空攻撃を行ったのが、「ミッドウェイ」の名実ともに最後の戦争です。

母港の横須賀には戦争終了後の3月11日に戻り、同年8月に「インディペンデンス」に
横須賀での後任を譲り、よく年引退しています。

 

海軍士官がこのようにいちいちシルバーでちゃんとサーブされた食事をする意味は、
自分たちが特権階級であることを自覚させるため・・・というより、
士官のアラマホシキ姿を目指す「ジェントルマン教育」の一環という説があります。

望むと望まざるに関わらず、海軍士官というのは海軍の顔、
場合によっては国の代表として振舞わなくてはならなくなる時がやってきますから、
テーブルマナー一つとっても普段からの慣れが必要というわけです。

日々の生活が「ナイフ・アンド・フォーク・スクール」なんですね。

こちらではやはりアジア系の乗員がテーブルセッティング中。

ナプキンまでブルーです。
重厚な椅子カバーまでかけられたダイニングチェアの背中には、
座る人の階級と名前を入れるようになっています。

この部屋にも大きな扇子がありますが、そもそ巨大な扇子を壁掛けにするって、
どちらかというと中国の文化で、日本人はやりませんよね。

日本では扇子は扇子立てに立てて飾るものです。

ここにも日本勤務の証、テーブルの上にはさりげなくキッコーマンの卓上瓶が!

兵員食堂の住人だった元乗員によると、「ミッドウェイ」の食事は
ギャレーであっても決して悪くなく、むしろ美味しいほうだったそうなので、
ワードルームはさらに美味しいものが出ていたのではないかと思われます。


「将校連中が食事から戻ってくると、皆腹回りが目立って大きくなっていて、
しばらくの間動きが鈍い。
椅子に座ったまま立ち上がる気配も見せない。
やはり美味いものを食っているのだろう」

(J. スミス 空母ミッドウェイ アメリカ海軍下士官の航海記)

それでも仕事はハードなので、さしものアメリカ人でも太る人は滅多にいなかったそうです。
しかし食べ物はいくらでも食べられてしかも無料なので、中には食べすぎて太る人も。

船では太り過ぎを測る基準に「緊急用のハッチを潜れるかどうか」というのがあり、
このハッチに体がつっかえるレベルになると、イエローカードが出され、
ある一定期間までに体重が落とせないと、海軍から(船からではない)追い出されます。

 

なぜか扉が和風の引き戸・・・・
きっと横須賀で改装したなこれは。

ここがワードルームのキッチンです。
サーブ方式なのでギャレーのコックとは違う苦労があったと思われます。

何かをしているようで何もしていないキッチンのクルー(笑)

ここに入るときには・・・何をカバーするのかな?
頭?口?靴?

’チーフは我々に食べ物を提供することを誇りに思えと言っていたよ。
「その気持ちが食事を作るんだ」ってね。’ E.C. ロンゾン 1972

彼はフィリピン系ですね。

鳥の丸焼きに山盛りのフルーツ。
サンクスギビングのご馳走かもしれません。

”ホリデイの食事はまさにご馳走だった。
海上勤務で同じような食べ物が続いたあとは特に感動したね”

”食器洗い場は、もう暑くてうるさくて信じられないくらいだった。
汚れた食器が次々とやって来て永遠に終わらないような気がしたよ”

”我々の食事は兵員にサーブされるものよりいつもいいものだった。
そうなったのは食事代を直接個人が支払うようになってからさ”

L.ジャクソン 1978

ワードルーム士官のお話です。
そうでない時代には大したものではなかった、と・・・。

ここからはオフィサーズ・メス。
ここも呼び名は違いますが士官専用食堂です。

45年間サービスを続けて来たこと、全てのアメリカ海軍の中で
ここがもっとも「ファイネスト」なワードルームであると書かれています。

こちらは士官たちが普通に食事をする日常的な食堂でしょう。
流石の士官も毎日ワードルームでナイフとフォークの持ち方を練習するほど
暇ではなかったと思われます。

左から

「ホワイトミルク」

「ホワイトミルク」

「チョコレートミルク」!!!!

コーヒーディスペンサー。

「ミッドウェイ」がサンディエゴで展示されるようになって見に行った
元乗員によると、このような設備は当時と全く変わっておらず、
間違いなく実際に使っていたものがそのままなどが残されているということです。

アイスクリーム・ディスペンサー?

アメリカにいると、学校やプレイルームなどではしょっちゅう
「ピザナイト」「アイスクリームソーシャル」などという
食べ物を餌に?した社交に参加する(させられる)ことになるのですが、
軍艦といえどもその傾向に変わりはなく、「ミッドウェイ」でも
「ピザ食べ放題」「アイスクリーム食べ放題」などという
イベントがしょっちゅう行われていたということです。

デザートがいつでも食べられる専用の回転ケース。
やはりこういうものは士官食堂にしか見ることはできません。

今日のデザートはチェリーパイとアップルパイです。
でかい(白目)

アメリカ人の作るパイの甘さを知っているわたしは、
こういうの見ただけで全力でごめんなさいしてしまいます。

朝食用のトースターとシリアルボックスディスペンサーもあります。

士官室にはソフトドリンクが取り放題のアイスケースまであります。
ウェルチのフルーツジュースやV-8などがありますが、
かつてはコーラやスプライトが主流だったと思われます。

士官もメスでは朝食は兵員と同じように並んでサーブしてもらう、
カフェテリア方式です。

ベーコン2スライスで86カロリー、ハム2スライス116カロリーなど、
なぜかカロリーが明記してあります。

「カロリーが同じならば何を食べても太りやすさ、やせやすさは同じ」

だから健康のためにはカロリーを抑えないと、という
いわゆるカロリー神話が全盛であった頃だったってことですね。

ちなみに現在では

「カロリーと脂肪を制限するよりも、糖質を制限するほうが減量効果は高い」

という「糖質制限」がダイエットの主流になっているようですが、
その説にも異論が出始めているようで・・・・(笑)


「ミッドウェイ」の士官さんたちは、カロリー計算なんてするくらいなら
甘いパイや炭酸飲料を控えるだけで十分ダイエットできたんじゃないかな。

 


続く。

 

 

 

 


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