毎年5月の最終週末には、高松の金毘羅宮にある
掃海隊殉職者慰霊碑の前で、戦後日本の近海における掃海活動に従事し、
殉職した七十九柱の御霊を追悼する殉職者追悼式が行われます。
わたしは、前日の立て付けに続き前夜掃海母艦で行われる艦上レセプション、
そして追悼式に今年も参加して参りました。
これらの参加記についてはまた例によって最初からお伝えしていこうと思いますが、
今日はとにかく、そういったこととは全く別に、この追悼式において
ある野党議員があからさまな場の政治利用を行なったことを糾弾しておきます。
この追悼式が行われる香川県選出の議員といえば、今一番有名なのが
玉木雄一郎議員ではないでしょうか。
なぜ有名かについては今更わたしがここでわざわざ書かずとも、
ネット媒体で情報を得ることのできる皆さんはよくご存知でしょう。
玉木議員は、昨年、香川県の議員として掃海殉職者追悼式に招かれ、
そこで追悼の辞を述べています。
当時、国会もメディアも安倍首相を糾弾するもりかけ報道の真っ最中で、
(今もそうだというのが全く情けないとしか言いようがありませんが)
連日の「疑惑は深まった」報道によって政権支持率が下がったことをもって、
バカなジャーナリストが、
「社会が安倍政権に制裁を加えている」
などとブログに嬉々として書くような状況でした。
この追悼式で玉木議員の名前がアナウンスされた時、少なくともわたし自身、
穏やかならぬどことか、内心反発しながらその追悼の辞に聞き入ったものです。
しかし、玉木議員の追悼の辞は(秘書が書いたものだとは思いますが)
戦後日本において自らの身を尊い任務に準じた掃海隊員たちに対して
哀惜の意を表す、ごく常識的かつ真っ当な形をなしていました。
(それは冒頭に挙げた電報の内容に近かったと記憶します)
玉木議員はその前日の艦上レセプションには姿を見せていません。
わたしは帰化人のHSK議員について、自衛隊を後援するような人たちが集まる会に
よくぞまあノコノコとやってきて周りの白い目に耐えられるものだ、と
折に触れて書いていますが、HSK議員に対して白眼視しながら何も言わない人たちも、
もしあの頃の玉木議員を目の前にしたら、きっと一言言わずにはいられなかったでしょう。
当時、玉木議員は香川獣医師会から献金を受けた途端、それまでの
「獣医師が不足しています。政府を挙げて早急な対応が必要です」
という意見を180度翻し、香川での大学新設を阻止する旨発言していたことが
ネット上ではすでに明らかになっていたのですから。
そんな場では、例えば自衛隊を退官して一般人となったお歴々、
例えば「北の馬鹿者が」とスピーチでも言い放ってしまうような元将官なら、
とっちゃん坊やの玉木議員などひと睨みして、ぐさりと何か一言いいそうですし、
わたしですら、もし目の当たりにしたら言ってしまいそうです。
「獣医師会から百万もらって忖度したって本当ですかあ?」
とか、
「辻本さんの件、逃げも隠れもしないって言ってたのにどうなったんですか?」
とか、
「お友達というだけで疑われるなら親族ならもっと怪しいですよね」
とか。
思うに、玉木議員という人は、そう言われても仕方がないことを百も承知で、
政治家としてのしがらみ上、平気なふりをしてそれをやっているのでしょう。
しかも、それが特大ブーメランとなって返ってくることを、これも重々承知の上で、
首相の「疑惑」を追求している(させられている?)わけですよ。
これら一連の流れも、本人は内心困ったことになったなあと思ってるはずですから、
それを非難されるに違いない自分の支持団体以外、アウェーの集まりになど、
いかに面の皮が厚くても、怖くて出てこられないに違いありません。
辛うじて出席できるのは、自衛官が立場上そんな様子をおくびにも出さず、
自分を国会議員として丁重に扱ってくれる追悼式などの式典だけ、となります。
しかしまあ、今にして思えば、それでも真っ当な追悼の辞を述べた玉木議員は、
まだしも人として、なけなしの良心を持つ部類であったと言えるのかもしれません。
さて、今年最初に追悼の辞を述べたのは、自民党の大野敬太郎議員です。
第三次安倍内閣から防衛大臣政務官を務めているので当然でしょう。
大野議員は前日の「うらが」でのパーティで、何を勘違いしたのか
「このようなおめでたい席に」
と言ってしまったらしく、怒っていた人もいましたが(笑)レセプション後の
「うらが」の視察には熱心だったらしく、長時間外に出てきませんでした。
(なぜ知っているかというと外で待っていたからです)
翌日の追悼式で、大野議員は
「8月15日の終戦を、のちに掃海隊員となった当時の海軍軍人たちが
どのような気持ちで迎えたか、その心情を思うに余りある」
という感じで追悼の辞をはじめました。
そして、隊員たちが「機雷の漂う死の海」であった日本近海を啓くという
尊い仕事を成し遂げ、その結果殉職したことについて、
「その死は無念ではあっても、任務を果たしたことに悔いはなかったと信じます」
というようなことを言い切った時、わたしは思わず顔をあげました。
「国のために死することを賛美するのはまかりならん」
という戦後の自虐史観が、特に公人の口を永らく塞いできたのですが、
特に最近、若い政治家を中心に、そのタブーが一枚一枚薄皮を剥ぐように
なくなってきたのをちょうど感じていたからです。
追悼の辞は、その後、掃海隊群司令、呉水交会会長、自治体の長と続きました。
どの追悼の辞も、戦後の日本に敢然と「掃海魂」をもって困難に立ち向かい、
日本の海を啓開したことに対する賛辞、命をかけたことに対する哀惜の誠を述べ、
そして、彼らの磨き上げた掃海技術が、その後世界も絶賛するレベルとなって、
ペルシャ湾の掃海で信頼を寄せられたことを讃えるものばかりでした。
そして、満を辞して(嘘)現れたのが、希望の党の小川淳也議員です。
・・・あ、失礼しました、希望の党じゃなくて無所属だったようです。
落選して希望の党で比例復活したのに、希望をお出になったのね( ゚д゚)、ペッ
ところで、追悼式から帰って来た翌日、わたしは関西の知人から
「某野党議員の追悼の辞が面白かったらしいですね。
お聞きでしたら記事が楽しみです(^o^)」
というメッセージを受け取りました。
その方によると、
「昨晩の関西水交会の懇親会で聞きました」
ということですので、午前中高松で追悼式に参加し、その後
関西水交会に出席した人からこの噂が広まったようです。
やはり小川議員の挨拶が、自衛隊支援団体に出るような方々の間で、
眉を顰められていた(あるいは面白がられていた)ことを知り、
わたしは妙な安堵?を感じずにはいられなかったわけですが、
ここで安心している場合ではありません。
「しっかり広めてください٩( 'ω' )و」
というその方のお言葉通り、ここにできるだけその内容を記しておこうと思います。
まず、紹介され、霊名簿の前に進み出た小川議員は、何も持たず、
書いたものを見ずに澱みなくしゃべり始めました。
まずそこで、わたしは「?」と思ったのです。
若い議員にとって、掃海隊殉職は自分が生まれる前のことでもあり、
歴史的な経緯や実際にどんなことがあったかを全く知らないのですから、
誠実に追悼の意を表そうとすればするほど、間違ったことを言わないように
数字などをきちんと調べた上、文書にして読むのが正しい姿勢というものでしょう。
現に、小川議員以外の全員が、掃海隊について誰よりもよく知っているはずの
掃海隊群司令や水交会の会長ですら、紙に書かれた式辞を読み上げていました。
読み上げた追悼の辞は、そのあと霊前に供えることにもなるのですから、
その意味でも紙に書くのが追悼の意味に適っているとも言えます。
それではまず、小川議員がなぜ何も見ずに追悼の辞を述べることができたのか。
理由は簡単です。
小川議員は、
「掃海隊員が戦後、上の命令によって殉職した」
という形骸的な事実だけを念頭に、あとはほぼ一般論で、
空虚で白々しく、しかも我田引水の、
自分の政局に立った主張に沿って補強するためだけの言辞を
追悼の辞にすり替えてしまったからです。
それは追悼の辞という名前を借りた、 政治演説でした。
演説は、ごく一般的な始まり方をしましたが、とってつけたように
小川議員がいきなり、
「掃海隊員が殉職したのは、上層部の命令によるものだった」
ということを言い出したとき、わたしは思わず小さな声で
「は?」
とつぶやきました。
式典の最中なのでこの時も写真を撮らないことにしていたのですが、
後からこれを録音しておかなかったことを心から悔やんだものです。
一字一句を再現できないのは大変残念ですが、ある意味
忘れようもない強烈な言葉を使って小川議員が言いたかったことは、
「上層部が横暴(ホントーににそういった)だと人が死ぬ」
「今の日本はどうでしょうか。上層部が(以下略)」
「上層部の横暴・身勝手(ホントーにそういった)を許してはならない」
(強調するために明朝体にフォントを変えてみました)
「この人、一体何をいってるんですかね♯」
わたしが隣の防衛団体会長にささやきますと、会長は黙ってペンを出し、
紙に
「野党議員」(強調するために明朝体以下略)
と書きました。
いやだから、これが支持率視力検査並みの腐れ野党議員なのはわかってますよ。
問題は、戦後掃海任務を上層部(つまり日本)から命令された苦役と決めつけ、
その死を日本政府の横暴の犠牲であるということにしてしまったことであり、
それ以上にタチが悪いのは、小川議員は、戦後日本の文字通り復興の第一歩となった
掃海という国を救う事業に、なんの共感も、理解も、一顧足りとも与えないまま、
「上層部」「横暴、驕り」
という言い方で安倍政権と森友、加計問題を暗に(というかわかるように)
当てこすって見せたということです。
そして何より卑怯だと思うのは、誰にも反論される恐れのない追悼式で、
自分の言いたいことだけを言いはなち、意気揚々とその場を去ったことです。
案の定、そのあとの食事会に小川議員が姿を見せることはありませんでした。
つまり言い逃げです。
お利口さんな小川議員のことですから、そこにいた人々がほぼ全員、
自分と野党、ことに最近のもりかけ問題については、野党側を非難していることを
百も承知の上だったとわたしは思っています。
関西在住の方のメールの返事には、
「小川淳也、追悼の辞までモリカケかよ( ゚д゚)、ペッ」
さらに、「広めてください」の返事最後には
「追悼式を政治利用するな!( `д´)、ペッペッペッ」
と書いたわたし。
確かにその時にはそう思っていましたが、政治利用というのは
当たっているようで少し違っていて、つまり小川議員があの場でやらかしたのは、
そこにいる人たちに自分の政治理念(もりかけとはいえ)を暗に訴え、
共感を得ることではなく、自分に反感を持っているに違いない政権側議員と
それを支持する人々、つまり明らかな「自分の敵」に対して行なった
単なる鬱憤ばらしだったのではないか。
この項を製作しながら考えた結果、そう思っています。
鬱憤ばらしに過ぎないと考えれば、関西水交会でどなたかが言ったように
こちらもその政治家らしからぬ稚気じみた言動を面白がってやるだけのことですし、
さらにいえば、掃海隊追悼式はこんなことで何の毀損も受けておりません。
我々にできることは、このような議員に対しては次回の選挙で
民意を突きつけ、政治の場から退いていただくことだろうと思います。