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立て付け〜平成三十年度 掃海隊殉職者追悼式 於 金刀比羅宮

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さて、金刀比羅宮の一角にある掃海隊殉職者の慰霊碑前で、
明日執り行われる予定の追悼式の立て付けが行われています。

前回「建て付け」か「立て付け」かふと疑問に思ったと書いたところ、
エントリがアップされてすぐ、元自衛官から一言

「立て付けなり」

というメールをいただきました。


そこで調べてみたところ、この「立て付け」という言葉、
「建て付け」、つまり会場の設営という意味ではなく、式典など
行事の前に一通り本番の予定を実施するという海軍用語なのだそうです。

つまり海上自衛隊が海軍から引き継いだ言葉の一つらしいのですね。


「立て付け」とは、本番通りに通して予行演習をおこなうことで不具合を洗い出す、
といういかにも海軍らしい慣習ですが、これさえすれば本番は完璧、
というものではもちろんありません。

いかに慎重に前日立て付けを行なっても、たとえば

引き渡し式で授与すべき自衛艦旗がない!

というようなことが起こってしまうのをわたしは実際に目撃しています。

ちなみにあの件をブログにアップしてから、合計三人の元自衛官から、

「実はわたしの現役時代にも似たようなことが・・・・」

と全く個別に打ち明けられました。
長い自衛官生活で、皆、それかそれに近いことを一度くらいは経験しているのです。

いかに組織として完璧を期しても所詮は人間のすることですから、
何かの弾みで事故は起こるということなのでしょう。

これは自衛隊だからとか、戦後だからというのではなく、
きっと海軍時代にも色々とあったはずだとわたしは思っています。

根拠はありませんが。

これが掃海隊殉職者の顕彰碑です。
この碑については以前も書きましたが、掃海任務で殉職された七九柱の名前が
刻まれており、刻まれた文字は吉田茂の揮毫によるものです。

会場ではリハーサルのリハーサルが続いています。
最後の国旗降下に入りました。

国旗降下に対し儀仗隊入場。
上衣がセーラー服でない以外は本番と同じスタイルで行います。

国旗を扱う時、それがリハーサルであろうが、リハーサルのリハーサルであろうが、
自衛官は必ず国旗に対して正対し敬礼を行います。

この時には本殿を参拝していた呉地方総監や掃海隊群司令は到着しておらず、
時々「総監の現在位置」を知らせる報が入ってきていました。

リハのリハでの内容について、その場にいる自衛官の間で協議が始まりました。

特に儀仗隊については実に入念に調整を行います。
儀仗隊長は三尉。

先日二尉が約30名の指揮官であることを「まきなみ」での体験航海のログで
書きましたが、その法則でいうと、三尉はまさにこの儀仗隊の
10名程度を指揮する指揮官である、ということかと思います。

つまり防大を卒業したばかりの幹部は、いきなり10名程度の部下を持つということですね。


それから、この写真で海士の着ている制服の襟が、

「セーラー服ではないのにセーラーカラーのようなデザイン」

であることに気がつきました。
開襟なのですが、どことなくセーラーカラーを思わせる形になっています。

学生時代にセーラー服を着ていた女子として言わせて貰うと、
セーラーカラーって、あれ、結構それだけで暑いもんなんですよ。
そこだけ布が二重になっているわけですからね。
たかが布一枚ですが、日本の夏には結構な意味を持ってきます。

わたしはこの時防暑用にキャンバス地のサマーハットをかぶり、
虫除けのつもりで白っぽい薄手の長袖の上着を着ていたのですが、
テントの下で写真を撮っていると、暑くて暑くて、ミカさんに

「どうしたんですか、顔真っ赤ですよ」

と心配されてしまいました。

この第二種制服には、夏の過酷な炎天下で日常の任務に当たる海士たちに
ちょっとでも負担を軽くしようというデザイナーの意図が見えます。

アイロンがけの手間もこれならかなり軽減できるでしょうし。

慰霊碑前の広場の一角には、前にも書きましたが江田島兵学校の桜があります。
兵学校出身の殉職者のために江田島から運んできて植えたものと思われますが、
この桜についての由来などは今に至るまでわかっていません。

そこに本殿への参拝を済ませた呉地方総監と掃海隊群司令が来場。
執行者立ち会いのもとで「立て付けの本番」が始まりました。

呉地方総監などの「役割札」を胸にかけた自衛官が本番通りに動き出しました。

地方総監も副官も、本人がいるのにどうして代役を使うかというと、
立て付けというのは「本人の練習」のためというより、全体的な進行に対する
問題点の洗い出しを目標としているからだと思われます。

入場に続き国旗掲揚。
儀仗隊は国旗を頂点とする三角形を作るような位置に整列します。

捧げ銃は「銃の敬礼」。
着剣した銃で行います。

捧げ銃が終わると、銃の台座を地面につけて右手で銃を軽く支え、
左手で剣を外し、腰のホルダーに装着します。

手首の角度や手の添え方、銃を置く場所、全てがピシリと揃っていますね。
ここにくるまでに何度も練習を重ねているからこそです。

わたしは本番には慰霊祭に参列するという立場で来賓席に座るので、
残念ながら弔銃発射の瞬間を写真に撮ることはできません。

だからこそ前日の立て付けに参加しているわけなので、チャンスはこの時だけ。

「前に出てもいいと思います?」

ミカさんに小さい声で聞いて、行くなら今ですよといわれ、前方に回り込みました。

弔銃発射に先立ち、隊長が慰霊碑前の霊名簿、七九柱に向かって敬礼を行います。

儀仗隊は海士ばかりで構成されますが、一番端に一人海曹が立つ決まりのようです。
リハーサルなので、幹部役の自衛官は敬礼をしますが、遺族役(右側)は行いません。

それにしても、この海曹の腕の惚れ惚れするような筋肉を見よ。

空砲を撃つ瞬間銃口から見える炎がちょうど写りました。
兼ねてからわたしはこの弔銃発射、全員ではなく、何人かしか
実際に撃っていないのではないかと思っています。

もし9名が全員空砲を撃ったら発射音はこんなものでは済まないでしょうから。
確かめようがないのでそれが正しいかどうかは謎のままですが。

発射が終わり、銃を傾けて持ち直します。

退場。
銃の台座には「うらが」と通し番号が打ってあり、
彼らが列の順番どおりの番号の振られた銃を持っていることがわかります。

続いて、慰霊演奏のリハーサルが始まりました。
ここで、追悼式始まって以来初めての試みが行われることを知りました。
例年演奏だけの「掃海隊員の歌」に、今年は歌が加わるのです。

指揮者でもある呉音楽隊副隊長が、イントロを指揮すると同時に
指揮棒をマイクに持ち替えて、朗々と一番を歌い上げました。

確かに、この「掃海隊員の歌」、メロディだけではあまり意味がないと感じる人もいて、
カメラマンのミカさんなど兼ねてから「歌も歌えばいいのに」と言っていたとか。

わたしもこの時無骨な男性の声で歌われてこその歌詞であると感じ、
この演出?に心から感嘆した次第です。

追悼演奏では、「掃海隊員の歌」の他、「軍艦」「海ゆかば」などが演奏される予定のようでした。
少なくともこの時はそうなっていたと思われます(伏線)

 

立て付けが終了後、呉地方総監池海将や総務課長、管理部長、そして
呉音楽隊長(演奏されないのに監督のために来られていたようです)と
ご挨拶をする機会がありました。

音楽隊長に、先日の練習艦隊出航の時、呉音楽隊のコンマスだったクラリネット奏者が
「かしま」に乗って出航していくのを目撃した、という話や、
わたしが見てきた呉音楽隊の色々について、気が付いたことなどをお話ししたところ、

「・・・・詳しいですね」

とびっくりされました。
まー、東音、横音、呉音についてはちょっとした追っかけみたいなもんですし。

ところでこの時、池海将を通じてとても嬉しいプレゼントをいただきました。
呉音楽隊新作CD、「HOMAGE」です。

八木澤教司氏の作品集であるこのCD、タイトルの『オマージュ〜海の守り詩』は、
呉音楽隊創設60周年記念に委嘱された作品で、儀礼曲「海のさきもり」を曲中に取り入れ、
同曲に対するオマージュが込めてあります。

昨年の自衛隊記念日に行われた呉での式典でも演奏されました。

「オマージュ」〜 海の守り詩/八木澤教司 作曲

このCDの解説のブックレット、曲目解説、ソリスト紹介などが後半には
英語翻訳されて掲載してあるのが目を引きます。

練習艦隊に乗り組んだ同隊クラリネット奏者の小村一曹が、世界の寄港地で配るためではないか、
と思ったのですがいかがなものでしょうか。

そして国旗降下が行われ、立て付けはここに終了いたしました。


この後は高松港に係留した「うらが」艦上で行われる
レセプションへの出席をすることになっています。

 

続く。

 

 

 


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