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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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「うらが」艦上レセプション@高松港〜平成三十年度 掃海殉職者追悼式

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金毘羅宮で次の日に行われる掃海殉職者追悼式の立て付けが終了しました。

立て付け終了後、執行者呉地方総監、掃海隊群司令ら幹部が
信仰について司会役の総務課長らと問題点の洗い直しをしています。

なんか無駄にかっこいい。

その後、車で1時間かけ、高松市内のホテルにチェックインしました。

今年もシングルの予約取れなかったので、仕方なくツインをツイン料金で取りました。
チェックインの時にフロントで「一人で泊まる」というと、フロントマンが
なぜか二枚あった朝食券を一枚引っ込めようとするので、

「いえ!それはいただきます」

と強く言い切り、二枚もらって一枚をミカさんに献上いたしました。
こちとら二人分払ってるんだから当然の権利よね。

着替えと帰って寝るだけの部屋ですが、ベッドが二つあると、
遠慮なくそのうち一つにモノをぶちまけていくことができたので便利でした。

今年はお城跡側の部屋です。

約1時間半でチェックインと着替えを済ませ、高松港に突撃。
今年の艦上レセプションは「うらが」で行われます。

「うらが」さんには、かつて日向灘の訓練でもお会いしています。
掃海隊の機雷除去訓練を見学するために「えのしま」に乗った時ですが、
昼ごはんを「うらが」でいただくために「えのしま」を接舷しようとしたら、
その日は大変波が高く、舷梯を架けることがどうしてもできませんでした。

当時の掃海隊群司令、岡海将補が「うらが」の舷側に立って、ハンドマイクで
接舷を断念することを謝っておられるのを見たのがまるで昨日のことのようです。

岡司令はその後退官され、お食事をご一緒する機会は永遠に失われました。

岸壁埠頭に座って、しみじみと「うらが」舳先を眺めている女性。

もう乗艦が始まっていたので、入って行きました。
わーい、みんながにこやかにお迎えしてくれてるー。

高松港埠頭にあるレストラン「ミケイラ」には去年お昼ご飯を食べに訪れました。
景色もいいし味もおすすめです。

レセプションに訪れた客は、必ず会場入り口で呉地方総監と
掃海隊群司令にご挨拶をさせていただきます。

着物の女性は、わたしの知り合いの防衛団体会長が最近スカウトしてきた会員。
着付けの先生だそうです。

お料理にはサランラップがかかっているので、大阪の時のように
開始前から人が食べ始めるということにはなりません。

なるほど、これから大阪でのレセプションではこうすればいいのでは・・。

格納庫の壁には「うらが」と掃海隊についての知識を周知していただくため、
わかりやすい説明のパネルが掲げられています。

「うらが」のエンブレム、かんむり座のモチーフが
命名の元となった浦賀水道の走水神社に祀られている日本武尊の
冠伝説にちなんでいることはここで初めて知りました。

開始前、甲板後部から。
甲板の広い掃海母艦でのレセプションは、「かしま」艦上のように
芋の子洗う状態には決してなりません。

その広いスペースを利用して、甲板には機雷も展示されています。
これは係維式機雷K-13で、この台座ごと海に沈めると、
ツノのある機雷部分だけが係維、つまり糸に繋がれて海面付近まで浮き上がり、
赤いツノに航行する艦船が接触すると爆発する、という仕組みです。

係維機雷のうち「磁気機雷」かもしれません。

「うらが」の後ろには阪神基地隊からやってきた「あいしま」「つのしま」がいます。
今年も去年のように日曜には体験航海が行われたのでしょう。

レセプションが始まり、偉い人の挨拶が行われました。

指揮執行官の呉地方総監。
手前の男性は掃海殉職者のご遺族です。

レセプションの雰囲気を軽快な音楽で盛り上げるのは呉音楽隊メンバー。
バンド名は「マリーンナイツ(海の騎士)」です。

ボーカルも加わり、「スィート・メモリーズ」などを素敵な歌声で聞かせます。

途中で「YMCA」が演奏されたのですが、周りがほぼ全員と言っていいほど、
その直前に亡くなった西城秀樹について話題にしていました。

ある年代以上の人たちにとってはヒデキは関心の有る無しに関わらず
歌手にとどまらないアイドルの象徴みたいなものでしたからね。

マリーン・ナイツがこの曲を選んだことにも感心しました。

自衛艦に乗ったらカレーを食べずして何かを食べたとは言えません。
というわけで、「うらが」カレー初体験です。

カレーをよそっている人を写真に撮ろうとしたら、彼は
ピタリ!とおたまを止めて、シャッターを切るまでポーズしてくれました。

というわけでこれが「うらが」カレー。
黒いスパイスのような粒が見えることからも想像できるように、
かなりのスパイシーカレーでした。
具は・・・ビーフだったと思いますが美味しかったことしか記憶にありません。

とかなんとか会場を回遊しているうちに、自衛艦旗降下の時間になりました。
降下を行う乗員が5分前から旗竿の前で静止して時を待ちます。

じか〜〜ん!

同時に電飾が灯ります。

♪ ドーソードドミー ドーソードドミー ミミソー ミミソー
ミードミソーソー ミードドドー♪

ソーソソソーソ ミードーミードー ソーソソソーソー ミードーミードー
(最初に戻って♪で終わる)

この日は女性乗員が風で竿に巻きついた旗を外していました。

「あいしま」「いずしま」でも同じように降下が行われていたはずですが、
喇叭の音はそちらからは聞こえてきませんでした。

母艦の喇叭を聴きながら行なっていたのかもしれません。

降下終了。

灯りが点くと同時に、闇が一層濃く降りてきたように感じます。

レセプション会場にも電灯が灯るとより華やいだ雰囲気が漂います。

この日、わたしは会場でいろんな方と初めてご挨拶をさせていただきました。

自称「オールド・セイラー」氏。
地元の郷土作家。
江田島に生まれ育ち、幹部学校のことならなんでも知っているという方。
某防衛団体の会長にスカウトされて会員になった着物の先生。
掃海隊が高松港にくると必ず駆けつけてくるという熱心なファン。

「オールド・セイラー」氏はこう書けば当ブログ読者なら自衛隊関係の方ならずとも
きっと誰かわかる、東日本大震災の時の海自出動部隊指揮官だった方です。

後は掃海隊の司令官クラスの方々。

なんどもお会いしてすっかり顔なじみになった掃海隊司令が
もうすぐ転勤されると聞いたときは少しさみしい思いをしました。

開始から約1時間、めぼしい食べ物はほぼ食い尽くされた模様。

気がつけば高松港の玉藻防波堤灯台、通称赤灯台が赤く光っています。
世界初総ガラス張りの灯台で、内部に灯りがともると全体が赤く光ります。

本州と高松を結ぶコミューター、四国フェリーの「しょうどしま丸」。
緑のうどんの絵の下には「うどん県」と書かれています。

屋台はカレーの他には天ぷらと焼き鳥。
焼き鳥は割と早くに終了してしまったので、天ぷらを無くなる前に
一つ食べておこうと思ったら、前に並んでいた方が、

「ほらあんた食べなさい」

と順番を譲ってくれ、それでは、とエビ天一ついただきました。
ちなみに天ぷら屋さんの後ろにいる男性は、かの

「北の馬鹿者が」

の元司令です。

楽しんでいるうちに蛍の光が鳴りだしたので素直に退出。

地面のテントは明日行われる地元地本の広報ブースです。
掃海艇での体験航海の他にも、陸自が乗り物を持ってくるのかもしれません。

舷側に立つ自衛官は、一人一人に

「ありがとうございました」

と声をかけて見送ってくれます。

掃海母艦は大きいので、舷梯が長くて比較的急です。

わたしはこの日長いスカートを履いていたので、階段を上る時には
裾を踏まないように持って歩いたのですが、下りでは手すりを持つので手が使えず、
結果的に裾で階段を掃き清めながら降りていくことになりました。

帰って洗濯すればいいや、と思いながら構わず降りていたら、後ろの自衛官
(しかも帽子にカレー付き)がご丁寧にも声をかけてくださいました。

「裾・・・・持ちましょうか」

海軍軍人って、皆さんジェントルマン。

だがそれだけは断る。

岸壁に降りてからも、ここでまず呉地方総監が降りてくるのを待ち、
写真を撮るというミカさんに付き合って長時間立っていました。

防衛政務官の艦内見学が長引いて出てくるのに時間がかかり、
おまけに地方総監の退出シーンの撮影に失敗するし・・・

どう失敗したかというと、この大きさでしかお見せできないくらい。

電飾で彩られた掃海艇兄弟を撮りに行きました。

わたしたちの前をついさっきまで制服だった掃海隊司令らが、
私服に着替えて汗をかきながら通り過ぎていきます。

「風呂入ってきたんで暑いです」

この時に聞いたのですが、掃海艇などは司令とか艦長が一番にバスを使うため、
偉い人が早く入ってやらないと皆が入れないのだそうですね。

最後に「うらが」の電飾を撮りに艦首のところに行きました。

ところでこの写真を見てちょっとゾッとしました。
舳先のところにいるの、もしかしてさっき見た女の人でわ((((;゚Д゚)))))))

正面から。
「いずも」の時のように三脚もミラーアップ機能も使っていませんが、
埠頭のブイにカメラを乗せて固定して撮りました。

ミカさんに聞いたところによると、後ろの掃海艇二隻のマストの赤と青のライトは
通常点灯しない(だったっけ)ものなんだそうです。

海面に映る電飾が美しいですね。
わたしにとって最後に見る「うらが」に別れを告げ、埠頭を後にしました。

レセプション中枝豆一個しか食べていない、と豪語するミカさんのために、
(逆になぜ一個だけを食べることになったのか、むしろそちらが不思議)
去年地元の人に教えてもらって、ミカさん、わたし、そして元海将の三人という
シュールな取り合わせでうどんを食べに行った、「鶴丸」に再び。

わたしも、パーティではあまり食べていなかったので、さっぱりした梅うどんは
美味しくいただけましたが、それより朝早かったため眠気と戦うのが大変でした。

 

さて、一夜明ければ、いよいよ掃海隊殉職者追悼式です。

 

続く。

 




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