本年度の海保観閲式、チケットをゴミと一緒に捨ててしまうという
情けないミスをおかしながらも、捨てる神あれば拾う神あり、
(今回捨てたのは自分ですけど)なんとかチケットを手に入れて、
横浜港から巡視船「いず」に乗り込んだわたしです。
この甲板はもらった案内図によると「船首楼甲板」と言います。
この言葉も、海自の艦では聞いたことがありません。
構造物の真ん中を通る廊下には、「いず」関わったの活動が写真で紹介されています。
(左上)有珠山噴火災害
(左下)三宅島噴火災害
宮城県沖地震(左から2番目上下)
中越沖地震、
東日本大震災、
伊豆大島土砂災害救援
の他、不審船の発見や、沖ノ鳥島工事作業員が死亡行方不明になった際、
海南対応を行ったなど。
21年10月には、転覆した第一幸福丸の船内から
海難救助を行うなどの活動も行いました。
この廊下の向こう側は、医務室となっています。
災害派遣されるので、広くて設備の充実した医務室を持っているのです。
これは手術台と酸素吸入器、気管内吸入装置などですが、
手術台は二台あり、同時に2名をケアする事も可能です。
廊下から中を覗き込み、「見学してもよろしいですか」と聞くと、
「どうぞどうぞ!」(本当にこう言った)
とドクターが超フレンドリーな雰囲気で招き入れて下さいました。
ドクターは東京都下で開業しておられる内科医で、海保の非常勤医師。
観閲式のようなイベントには必ず船医として乗り組んでおられるそうです。
お爺様も海保船医でいらしたということで「爺孫二代」海保船乗組だとか。
海上保安庁は自衛隊のように独自の医師養成組織を持たないので、
非常勤で医師を採用(週1日とか)しているんですね。
非常勤医師の募集要項を見つけたのですが、時給は2,260~5,020円で、
資格はもちろん「日本国籍を所有する者に限る」となっていました。
海自の「かしま」に当たる訓練保安士練習船「こじま」では、遠洋航海の際、
その都度乗り組む医務官を募集しています。
海保の遠洋航海も海外に行きますが、期間は三ヶ月ほどとなります。
ドクターの隣は国家資格をもつ救急救命士であろうと思われます。
ベッドも二台。
ここで二人重症患者を寝かせられるのは当然ですが、「いず」は大災害の時
多数の人員を収容することができる作りとなっていて、たとえば
船にしては妙に広い廊下も、いざとなったらずらっと人を寝かせるためだそうです。
これは蒸気湯沸かし器。
ここで手術や処置を行うことになった時、大量に必要となるお湯を沸かします。
医務室には廊下からも外側のデッキからも入れるように
ドアが二箇所に設けられています。
とてもにこやかで明るいドクター、聞くとなんでも答えていただけました。
内科が専門だということだったので、
「必要な場合は手術もなさるんですよね」
と伺うと、歯科治療以外はなんでもします、とのことでした。
船医というのはいわば総合専門医でないと務まりません。
出航直後、ドクターはおそらく船内をくまなく歩いて、
酔い止めがいるかどうか皆にコールして回っておられました。
ダイジェストでもお話しした、「ひりゆう」が動き出しました。
この面妖なバランスの船体、放水専門の「ひりゆう」くん、
訓練参加船として一足先に行動海面に出発です。
船内を一通り見終わって(というかそんなに見てまわるほど公開されてない)
とりあえずは船首楼甲板で船首の様子を偵察、じゃなくて確認。
うーん、違う。自衛艦とは景色が全く違います。
大きなウィンチ、キャプスタン、出入港作業のための機械類が
所狭しと並んでいる甲板。
そうか、自衛艦と違い、海保の船はここに武器を置く必要がないんだ。
当たり前のようですが、これは目からウロコの発見でした。
甲板が腰くらいの高さの囲いに囲まれているというのも、考えたら
自衛艦とは設計思想が全く違うからです。
艦そのものが武器として機能する自衛艦は、たとえば甲板が無人になり
CIWSやVLSを発射することを前提に設計されているわけですから。
こちらが商船や一般の船に近い、というより自衛艦というものが
いかに特殊であったかに、此の期に及んで初めて気がつきました。
水陸両用バスの観光客は、皆こちらの写真を撮っています。
昔ロイヤルパークホテルに泊まった時、真下の海でこのバスが航海訓練しているのを
ずっと部屋から見て楽しんだことがあります。
こんな機会でもないとお見せすることはまずないと思われますので、
その時の写真をここで無理やりアップします。
一台が先生、一台が生徒らしいです。
生徒バス、これから上陸の実地練習を行います。
先生「よし、行け!」
生徒「はいっ!」
「我レ突入セリ」
上陸ランプには進入のための目印の杭の間を通らなくてはなりません。
上から見ていると楽そうですが、実際に運転している者にとっては
針の穴を潜るような気分なのに違いありません。知らんけど。
はい、無事に上陸〜。
この時に練習していた運転手がこの時のバスの運転手と同じ人だったりして。
続いてPC43、巡視艇「おきなみ」が出航していきました。
「おきなみ」は第6管区水島(倉敷)所属、
この3月に就役したばかりのピッカピカの新造艇です。
前日に横浜にきて一泊してからの出航でしょう。
こちらも「前乗り」組、神戸から来たPC55「ふどう」。
自分のためにもう一度書いておくと、PCは「パトロールクラフト」。
「いず」などのPLはパトロールベッセルのラージを意味します。
「ふどう」は「よど」型の巡視艇です。
一体命名基準はなんだろう、と思って同型艇を調べてみると
ことびき、なち、りゅうおう、ぬのびき、りゅうせい、
たかたき、あおたき、みのお・・・・
これは間違いなく命名基準は「滝の名前」でしょう!
甲板での作業がよく見えるように、構造物を一階上に上がりました。
折しも出航作業のため人がたくさん出て来ています。
柵から乗り出して手すりを掴み、外を確認しながら
舫の引き揚げを・・・あれ?こちらは舫のある方じゃない・・・。
甲板全部を使って張り巡らされた舫は、大きな巻き上げ機で
巻き上げられているのが目で確認できます。
海自は舫を掴んで皆で走って引っ張ったり、着岸の前には
サンドレッドを投げたりして(それは海保も同じかもしれませんが)
体を使う場面が多いと感じるのに、観艦式や一般公開で甲板の運要員は皆、
「準正装」というべき制服を着込むのが普通です。
しかし海保はカポックにヘルメット、といかにも作業員そのもののスタイルです。
その時個人所有のボートが物珍しそうに横を駆け抜けました。
いや、ご自慢のボートを観閲式の一般客に見せびらかしに来たのかな?
もちろん海保も、岸壁と船体の間を監視するなど、
人間にしかできない作業ばかりです。
「いず」には子供の姿がたくさんありましたが、いずれもお揃いの
制服を着て、海洋少年団とかシースカウトではないかと思われました。
今回、海保観閲式に参加した人たちの口から、全く別々にわたしは
「(海自と比べて)出航まで作業に時間がかかりすぎる」
という辛口の批評を聞きました。
もしそうなのだとしたら、逆説のようですが、ほとんどを手でやってしまうのと、
機械に多くを任せるやり方の違いに起因するのかもしれない、いう気がします。
わたしが決定的な違いを感じたのは、海保の出航作業が文字通り
「作業」だとしたら、海自のそれは「儀式」と呼ぶに相応しく、
「定形」を踏まえて行なっているように見えることです。
儀式に見えるのは、海軍伝統を継承していることからくる印象、
と言ってしまえばそれまでですが、いかに海上自衛隊といえども
徒らに因習を墨守する意図でやっている訳ではないでしょう。
海自が出入港作業をほとんど海軍時代と変わらぬ方法で行なっているわけは、
おそらく、彼らが乗っているのが海軍時代とおなじ「軍艦」だからです。
古より干戈を交えた時代を経て代々受け継がれ、研ぎ澄まされてきた作業は、
恐ろしく合理的で、武器を搭載することが第一義の甲板で行うことを考えれば、
これが最良の方法であり、それがゆえに変える理由もないのでしょう。
かたや、船の甲板を埋め尽くす機械で舫を処理する海保のやり方は、
安全で確実な出入港のために考えられた最善の手段であり、むしろこちらが
「普通」なのだということを、わたしは眼下の光景を見ながら思っていました。
岸壁で出航の見送りをする予定の海保職員たち。
整列はしていますが、待ちポーズは様々です。
巻き取られる舫を当分になるようキャプスタンに巻きつける職員。
船端から下を確認するために乗り出すため足を乗せる台、
その際手で掴む手すりも最初から装備されています。
そして出航。船体が岸壁から大きく離れだしました。
海保はラッパではなく、こんな合図で出航をします。
海上保安庁巡視船 船内達し事項 『出港用意!』
「ぷっぷー」
「出航」「出航用意」
それから舫を外すようにアナウンスがあります。
海保も「帽振れ」を行います。
この時の姿勢も特に厳密には決められてはいない模様。
腕を下ろしている人あり、後ろに回している人あり、
足の開き方もまちまちでフリーダムな雰囲気です。
あかちゃん含む家族と一緒のところで帽振れしていた職員。
出航作業を岸壁で行なっていた人たちは帽振れではなく「手触れ」です。
さて、海上保安庁観閲式および訓練に向かう我らが巡視船「いず」、
いよいよ横浜を出航しました。
続く。