文京区シビックセンターで行われた航空機模型クラブの展覧会に行きました。
前回巡洋艦模型展を教えてくれた方の情報です。
文京区といえば、渡米前に住んでいた町であり、シビックセンターの
市役所で結婚届を出し、我が家の本籍地のある懐かしの場所。
行くたびに後楽園のプールに息子を連れて通ったことや、
日本に進出して最初にできたころ、ワクワクしながら通った
日仏学館の近くのスターバックスや、桜の季節の播磨坂の想い出が蘇ります。
この展覧会、この模型クラブが創立65周年記念ということで
ソリッドモデル(木を削って形をつくる模型)がテーマです。
会場は文京区シビックセンターの貸し出しスペースで、行ってみると
思ったより小さなスペースなのに軽く驚きますが、
模型展というのは、いかに小さなスペースであってもその中にいると、
なぜか無限の広がりを感じるのはホビーショーや前回の模型店で経験済み。
意識するとしないに関わらず、縮小された模型を見るとき、自分自身も
いつの間にか「小さき者」となって、その視点で観ていることがその理由でしょうか。
というような御託はともかく、力作をご紹介していきます。
今回は全部が航空機ということで、まずは黎明期の飛行機から。
サンマテオのヒラー航空博物館で人力飛行機についての展示を見て、
ここでもご紹介したことがありますが、これはその前、
オットー・リリエンタールのグライダー。
なんというか、飛行機以前のスタイルです。
リリエンタールという人は、生涯2000回くらいの滑空実験をしたと言いますが、
こんな危なっかしいもので、しかも防具もつけず、よく怪我しなかったな、
と思ったら、やっぱり墜落して脊椎を損傷して亡くなっていました。
(-人-)
先ほどのページの下半分に、二宮忠八のことが書いてあります。
その忠八さんの発明した「玉虫型飛行機」。
二宮さんが陸軍に動力付き飛行機を採用してもらっていたら、
航空の歴史が変わっていたかもしれません。
デュモン「14ーbis」
こんなの絶対飛ばないよね。と思ってふと見ると。
ちゃんと滑空している写真があるじゃないですか。
すげー!こんなの今時作って飛ばす人がいたんだ!と思ったのですが、
この写真、後から合成だとわかりました。
まあ写真は偽物ですが、実際にも高さ6m上空を200m滑空した模様。
アルベルト・サントス=デュモンはいわゆる理想家で、飛行コンクールで
得た賞金を、そのまま慈善事業に寄付するといった「いい人」でした。
そんな人だったので、飛行機の発明が即座に兵器利用されたことに失望し、
飛行家として拠点としていたフランスから祖国ブラジルに帰ってしまいます。
もちろんそこでも事情は同じ。
世界中の軍隊がこの新兵器を取り入れることをトレンドにしていましたからね。
祖国に帰った彼はそこで飛行機を兵器利用するな!という提言を行いましたが、
黙殺され、またしても失望した末、ホテルで首を吊って自殺してしまいます(-人-)
今回わたしが一番驚いたのは、カルティエのアイコン的時計、
「サントス」が、この人の名前から取られていたということです。
彼がフランスに住んでいた時、宝石商ルイ・カルティエに飛行用に
時計を注文したことがあり、そのデザインを元にしているのだとか。
ご本人もファッションリーダー的存在で、トレードマークはハイカラー。
空飛ぶ伊達男の異名を取ったデュモンのお洒落番長ぶり・・・納得。
ちなみに彼は59歳で亡くなるまで生涯独身でした。
ALBERTO SANTOS-DUMONT - BRAZIL'S FATHER OF FLIGHT
彼の生涯が非常にわかりやすい英語で解説されていますので、
興味のある方はご覧ください。
デュモンは絶望して死んでしまいましたが、彼の考え方は残念なことに
世界的な流れからいうとごくごく少数派で、時代はこの新発明を
軍事利用することでどんどん発展させ昇華させていきます。
なんと、こんな飛行機同士ですでに空中戦が行われていたくらいです。
青島攻略で日本機と戦ったという、
もちろんドイツ軍の飛行機です。
すっかり忘れていましたが、日本とドイツって第一次世界大戦では敵同士、
青島ではビスマルク要塞を陥落して日本が勝ったりしてたんですね。
この戦争で初めて軍隊に飛行機を投入することになった日本は、
これも海軍初の水上機母艦「若宮」を建造し、水上艇である
でルンプラータウベと空中戦を行いましたが、駆動性の点では
タウべの圧勝で、はっきりいって勝負にもならなかったそうです。
加山雄三の映画「青島要塞爆撃命令」ではちょっと違っていた気もしますが。
その横になんとブラックバードSR-71Aがいました。
ソリッドモデルというのは木型をまず成型して、その上にアルミとか
塗料とかでコーティングするわけですが、この方はケント紙使用。
しかもこの説明によると、「ソリッドモデルとは違う」?
工程について聞くのを忘れたのですが、これはもしかしたら
ソリッドとは違い、中空なんでしょうか。
わたしは実際に、カリフォルニアのマーセド近くにある無名の航空博物館、
キャッスル航空博物館でこの実物を見ているわけですが、
実際のブラックバードの機体は色が禿げてまさにこんな質感でした。
こういうクラブで模型を作る方というのは、ネットでいろんな角度の写真を集め、
公開されている設計図や、とにかくあらゆる資料から設計を起こすので、
売られているキットを買ってきて作る、というのとは次元の違う「趣味」です。
このブラックバードを作った方も、機体の下部はどんな写真にも写っておらず、
アメリカに住んでいる人にスミソニアンまで行って写真を撮ってきてもらった、
とおっしゃっていました。
こちらも同じ方の作品、ケント紙による海軍の「景雲」。
模型の楽しいところは、実際には存在しなかった飛行機や、試作機を
あたかも存在するかのように再現できることでしょう。
この「景雲」も偵察機として試作された機体です。
当時の日本機には画期的な形をしているのがわたしにもわかります。
景雲、昭和20年の5月と敗戦色濃くなったころ試作されました。
なんと、日本はこの時期三菱が開発したジェットエンジンを
この機体に積もうとしていた、というのにはびっくりしました。
試作の段階で1機目は排気タービンを装着しなかったせいか、
10分間飛ぶか飛ばないうちにエンジン内で火災が起きて失敗。
その後空襲で破壊され、2機目を作っているうちに終戦になったそうです。
さて、わたしのように飛行機に興味がないわけではないが、そこに
まつわるヒストリーや物語があればなおよし、というような、
模型作りの門外漢にとっては、同じ展示でもこのような演出があると
おっ、と目を輝かせて見入ってしまうものです。
本作品展のテーマは「大空を駆け巡る『夢』」ということで、
作り手の「こんなものを作って見たい」という夢が形になったものだそうです。
それでいうと、この作り手さんは、「ジーメンス シュケルト D IV」の
半分がスケルトンになった写真を見て「作りたい」と思ったのだとか。
陸軍将校が飛行将校(パイロット)と地図を見ながら、爆撃地点を
打ち合わせ中、というストーリーで、制作者によると、
「パイロットなので少し背が低いんです」
あーなるほど!
人体は模型を買ってきてあちらこちらアレンジをしているそうです。
わたしが他の作品を見ていると、制作者が戻って来られて、
それまで中身を見せるために外していたプロペラを付けてくれました。
(わたしが一眼レフのカメラを持っていたので、取材かと思い、
戻って来られたということです。きっとがっかりさせたことでしょう)
例えばエンジンのディティールも、金属片を丸くくりぬいたりして、
おそるべき再現度となっています。
足下の石などは、水槽に使う小石を選んできたり。
前から見て気づいたのですが、機体の下にはオイル受けのバケツがあります。
この制作者の作品第一号はにゃんと、(猫戦闘機だけに)クーガーでした。
クーガーについてエントリをアップしたばかりだったのでちょっと嬉しかったです。
ところで、このクーガーさん、尻尾がありませんが?
こちらがこの模型の完成直前のお姿。
「落として壊してしまったんです」
にゃんと〜!
説明によると、
「機体にアルミ板を貼りながらキャノピーをヒートプレスしているところで
作品は高い棚から落る」(原文ママ)
なんか達観しきったようなこの表現、たまりませんわ。
同じ人の二作目、
И-153 イー・ストー・ピヂスャート・トリー チャイカ
チャイカはカモメという意味です。
そういえば「わたしはカモメ」というソ連の女性飛行士のセリフがありましたね。
実際は「わたしはカモメ」はチェホフの戯曲のセリフで、本人
(ワレンチナ・テレシコワ)が言ったのは単に
「ヤー・チャイカ」(こちらチャイカ)
だったとか。
今調べたらテレシコワ女史って81歳でまだご存命でした。
それはともかく、わたしがこの模型に食いついたのも人体付きだったから(笑)
毛皮のブーツとか、思いっきり雰囲気出てます。
不時着してしまって「うーむ、ここはどこ?」みたいな?
なんとこの飛行機「ノモンハン事件」で日本軍の九七式と空戦してます。
ただし複葉機のI-153は、日本軍の九七式にはかなりの苦戦をしたようです。
同時にソ連軍が投入したI-16と九七式はほぼ互角でしたが、
結局は搭乗員の質で勝る日本軍の圧倒的な勝利となりました。
白い機体の汚れ具合とかがもうリアリティありまくり。
やはり同じ人の一際目を惹くロケット的航空機、ポゴ。
アメリカ海軍、空母の上のスペース節約のためにこんなものを作っておりました。
U.S.A. Air News - Pogo Plane In Flight (1954)
ロケットのように垂直に離陸して、普通に飛んで、また垂直で着陸してしまう、みたいな。
確かに画期的でこれがうまくいけば、着艦はしやすいと思うけど、それじゃ
着艦した後どうやってハンガーデッキに格納するんですか?
と瞬時に疑問が生まれてきてしまいます。
実際はそれ以前の、
「着陸するときにパイロットが地面を見ることができない」
という理由で、計画は中止、試験機だけで終わってしまいました。
着陸を見る限り、コクピットは上しか見えておらず、バックミラーでもないと無理だったでしょう。
しかも、スピードも出ない(亜音速以下)のでなんの使い道もなさそうだと。
でもなんだかネーミングといい、飛んでいる姿といい、夢がありますよね。
何と言っても、アメリカも航空大国になる過程において、結構
おバカなことを試してはやっぱりダメじゃん、というような無駄な失敗を
やらかしてる証拠がこれ、という気がします。
本展覧会のテーマでいうと、大空を駆け巡る「夢」の最たるもの。
その夢も、その前に「荒唐無稽な」とつけてもいいような・・・
いや、真面目に実現確実!と思ってやってたのならすみません<(_ _)>
まあなんだ、愛すべきヒコーキ馬鹿野郎たちに乾杯(笑)
ソリッド模型展シリーズ、もう少し続けます。