文京シビックセンターで行われたソリッドモデルの作品展、続きです。
一口にモデラーといっても、このソリッドモデルを作る人たちは、
ほとんどゼロから、素材やその加工法を自分で編み出して創るという、
気の遠くなりそうな創造の果てにこの境地に至っておられることがわかりました。
ソリッドモデルというのはいわばマニュアルというものがないらしいのです。
日本では飛行機が武器となって使用されるようになると、識別のために
木で作ったソリッドモデルを「實體模型」と称して軍が主導し作っていました。
この實體模型製作はモックアップ製作の技術にもつながることから、
戦後は模型製作そのものが禁止されていたこともあったそうです。
いわゆる模型会社のキット模型というのはそれらの普及型で、
模型というと本来はこちらを指します。
その製作過程は、資料、材料の準備、加工、塗装、部品の製作、
組み上げという手順を踏む。
市販の図面の一部には断面形状まで描かれているものもあるが、
信頼できる資料がない場合には、図面と写真から正しい断面形状を読み取り、
再現するには高い能力と経験が必要である。
また、航空機ではエンジンや爆弾などの外部に装備される武装を除き、
複数の種類の機体で共通に使用される装備はほとんど無いため、
小物の部品までほとんど全て自作する必要がある。
とWikipediaにもしっかりと書いてあります。
ちび丸艦隊シリーズの「雪風」をもらったくらいでオロオロして、
人に制作を押し付けるわたしなど、7回生まれ変わっても到達できない境地です。
模型会社のキットによるプラモデルはあらかじめ詳細なモールドが施され、
誰が作っても正確なアウトラインを再現できるのですが、
それでもソリッドモデルに留まったモデラーというのは、つまりは
規制のキットでは物足りない、という種類の人たちだったわけです。
例えば、この日の会場で制作を実際にしておられる人がいました。
この方に限らず、制作途中の作品について伺うと、全員が全員、
「ここをどうしようか考えてるんですよ」
と悩みながら制作しているらしいことをおっしゃいます。
ソリッドモデルが何か予備知識なしでいきなり行ったわたしにも、
そういった皆さんの言葉から、
「これはどうやらなんの決まりもなく、ただ想像力を駆使して、
ゼロから作り上げていくとんでもないモノらしい」
と察しがついてきました。
この方が今削っている木片は、飛行機の躯体になります。
削りかすが少し見えていますが、考えながらやっているので、
サクサクと進むというものでもなさそうです。
「ここに来て、作業、進みました?」
と恐る恐る聞いてみると
「全く進んでません」
そうなんだろうなあ。
ちなみにこの方がこれから作ろうとしているのは、
イギリスの戦闘機というと、スピットファイアくらいしか知らないわたしは、
どちらが会社名なのかも調べるまで見当もつきませんでした。
こういう、マイナーな(マイナーですよね?)飛行機を選ぶというのも
ソリッド・モデラーの傾向ではないかという気がします。
この日会場で、作品出品者同士が
「そういえば今回零戦がないね」
という会話をしていたのを聞いてそれを確信したのですが。
「これは水上艇ですね」
船底のシェイプからそうではないかと推察し尋ねてみると正解。
なんと、こちらも制作途中だそうです。
期限のない延大な趣味ならでは、気分次第で作業をする模様。
このモデラーの作品はもちろん実物が展示されていますが、
後ろにあった写真に注目してみました。
どれもよく見ないと合成とはわからないくらいよくできています。
このアメリカ軍機のブルーですが、この方曰く、
「自分で考えたオリジナルの色を使っている」
とのことです。
とにかくモデラー歴は軽く60年はいってそうなベテランでした。
もしかしたら「キットは物足りなくてソリッドに止まった」
という人たちのお一人だったのかもしれません。
カナダ空軍のF-104(スターファイター)だと思われます。
(この方は模型に一切説明をつけない主義のようでした)
スターファイターといえば、映画「ライト・スタッフ」で、チャック・イェーガーが
テスト飛行で墜落させていましたっけね。
あの映画にはチャック本人も一介のオヤジ役で出演していましたが、
テスト飛行でスターファイターを壊したというのは創作だそうです。
ちなみに、F-104にも「未亡人製造機」のあだ名はあったそうで、
割と最近、ドイツでは、
「スターファイター 未亡人製造機と呼ばれたF-104」
というタイトルのテレビ番組が制作されたとか・・。
この飛行機によって文字通り未亡人に製造された奥さんが、
ロッキード社を相手取って訴訟を起こすという内容だそうで、
エンディングにはこの飛行機によって殉職した116名の名前が
『今日まで責任の所在は明らかにされていない』
という言葉とともにずらずらと出てくるんだそうです。((((;゚Д゚)))))))
今にして思えば自衛隊もこれを使っていたことがあったのか・・。
しかしこうしてみると、空自の人たちが
「三菱鉛筆」
と呼んでいた訳がよくわかります。
また、こんな名称もあったと製作者が。
「”最後の有人戦闘機”なんて言われてました」
というかこのブログでも書いたことがあったんだっけ。
あれは静浜基地の空自の博物館を見た時のエントリだったかな。
「でも全く違いましたけどね」
そうそう、あれは日本でそう呼ばれていただけで、つまり英語の
「ultimate manned fighter」
あるいは
「Missile With A Man In It」
を意訳した結果という説らしいですね。
日本では真剣に、航空機がミサイルを積む時代はもうすぐ終わり、
と考えていたので、この英文を曲げて解釈してしまったのかも。
ちな、これを選定するときに
「乗ってみなければわからない」
と言い放ち、アメリカに赴いたのは当時の空幕長源田実ですが、
決定後、これを日本に運んだのは
だったそうです。
尾翼のスコードロンマークが・・・・(笑)
「本当にこんなマークだったんですか?」
「そうだったみたいです」
「トランプがついてるんです」
と指し示して教えてくれた王立空軍の飛行機。
名前も聞いたけど5秒後に忘れました(´-ω-`)
ポーカー・・・じゃなくてホーカーだったかな・・いや・・。
冒頭写真のパンナム機を始め、ビールの缶を素材に使っているモデラーの作品。
TWAの旅客機、というと、つい最近見たトム・クルーズの主演映画、
「バリー・シール アメリカを嵌めた男」(原題 The American Made)
で、「TWAのパイロット」という台詞を耳に留めたのですが、
トランスワールド航空のことだったんですね。
TWAは2001年に廃止されました。
この機体は当時最新鋭だった「スーパー・コンスティレーション」です。
ハワード・ヒューズが開発を推し進めた旅客機で、その美しいフォルムから
「レシプロ大型旅客機の最高傑作」として現在も数機が保存され、
イベントなどで飛行し人気となっているということです。
コンスティレーションのコーナーにあった「プロペラの削り方」。
ねじれとか完璧に再現されているんですが、これすごくない?
案外日本の軍用機が少ない、と感じるソリッドモデル展ですが、
この方は「月光」を、しかも二機制作しておられました。
「厚木にいた飛行機ですか?」
「そうです」
見ると、ちゃんと「斜め銃」が再現されてるじゃありませんか。
話には聞いていたけど、斜め銃というのがどのように設置されていたか
初めてちゃんとわかりました。
聞いたところ、やはり銃は20ミリだったそうです。
ハッチが空いているので、ここの銃撃手が乗るのだと思い、
「銃手は一人ですか?」
と聞いてみると、なんとパイロットが操縦席から銃撃するのだそうです。
つまり、これはB29のような大きな飛行機の下を航過しながら、
パイロットが狙いをつけて銃を発射するのですって。
「効果はあったんでしたっけ」
「何機か落としてます」
はえ〜そうだったのか。小園さんやるじゃん。
今ちょっと調べたら、スミソニアンにも横須賀の月光があるそうですね。
スミソニアン・・・・今年行ってみようかな( ̄+ー ̄)
銃撃手がおらず、パイロットが銃撃を行う、という話をしていると、
隣のブースのモデラーさんが
「え、そうだったの。知らなかった」
と話に加わって来られました。
月光製作者は、わたしたちに機体をひっくり返して見せてくれました。
すると、そこには
「斜め下銃」
が!!!
具体的にどんな風に斜めに突き出していたのかわかったのもですが、
思っていたより兵器として成果があったことをここで初めて聞いて、
なぜかちょっと嬉しくなってしまったわたしでした。
続く。