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MiGマスター・クルセイダー〜空母「ミッドウェイ」博物館

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もう一度空母「ミッドウェイ」フライトデッキ上の航空機紹介に戻ります。

ご覧のように、艦橋をバックにしたナイスな角度で写真が撮れる位置に、

Vought F-8 「クルセーダー」Crusader 

があります。

アラメダ旧海軍基地跡に展示繋留してある空母「ホーネット」上で
初めてこの飛行機にお目にかかった時以来、この名作機について
その誕生がチャンス・ヴォート社の「救世軍」となったことなど、
色々とお話したきたものです。

クルセーダーに何かしら歴史的な意味があるとすれば、それはこれが
世界最初の音速艦上戦闘機であったことでしょう。

「ミッドウェイ」から発進しようとしている2機のF-8。
どちらもカタパルトから発進するためのワイヤーが下部に見えていますね。
当時「ミッドウェイ」のカタパルトはパワーアップしたばかりでした。

F-8が「ミッドウェイ」にいるということは、これはベトナム戦争の頃です。
このころの「ミッドウェイ」戦闘機隊は

F-4B(ファントムII)戦闘飛行隊
F-8C/D(クルセイダー)戦闘飛行隊

だった、と過去の自分のブログに書いてありました(笑)

ただ、「ミッドウェイ」の場合、ファントム部隊のMiGバスターぶりが凄すぎて、
同じ時期に「ミッドウェイ」から発進して戦闘をしていたF-8部隊は
残念ながら少し霞んでしまったのか、検索しても記述が出てきません。

 

記録によると、最初に北ベトナム軍のMiGと戦ったF-8はUSS「ハンコック」
搭載部隊のクルセーダー部隊でしたが、この時の対戦はMiG17の勝利でした。

ファントムIIが爆撃と戦闘機どちらの機能も持ち、空対空ミサイルを
空戦に使うことができたので、ドッグファイトの時代は終わりを告げ、
相手に接近することなくミサイルを放つファントムIIの戦闘スタイルが
対空戦闘の主流になる、と当時の専門家たちは予測していました。

しかし、北ベトナムでMiGとクルセイダーとの間で繰り広げられた
空戦の結果を見る限り、少なくともドッグファイトの能力からいって
F-8はMiGと互角に戦うことができる当時の最高の戦闘機だったと言えます。

搭載されていた20ミリ機銃のみによる勝利こそありませんでしたが、
機敏性に優れた機体を持つF-8のパイロットたちは対MiG戦で結果を出しました。

今の戦闘機のシェイプから見るとあまりに牧歌的すぎて(失礼)
この航空機が超音速ジェットだったというのがなんとなく不思議な気がしますが、
それはともかく、ベトナム戦争中MiGを撃墜したF-8搭乗員の名簿を貼っておきます。

CDR Harold L. Marr VF-211 MiG-17 12 June 1966
LT Eugene J. Chancy VF-211 MiG-17 21 June 1966
LTJG Philip V. Vampatella VF-211 MiG-17 21 June 1966
CDR Richard M. Bellinger VF-162 MiG-21 9 October 1966
CDR Marshall O. Wright VF-211 MiG-17 1 May 1967
CDR Paul H. Speer VF-211 MiG-17 19 May 1967
LTJG Joseph M. Shea VF-211 MiG-17 19 May 1967
LCDR Bobby C. Lee VF-24 MiG-17 19 May 1967
LT Phillip R. Wood VF-24 MiG-17 19 May 1967
LCDR Marion H. Isaacks VF-24 MiG-17 21 July 1967
LCDR Robert L. Kirkwood VF-24 MiG-17 21 July 1967
LCDR Ray G. Hubbard, Jr. VF-211 MiG-17 21 July 1967
LT Richard E. Wyman VF-162 MiG-17 14 December 1967
CDR Lowell R. Myers VF-51 MiG-21 26 June 1968
LCDR John B. Nichols VF-191 MiG-17 9 July 1968
CDR Guy Cane VF-53 MiG-17 29 July 1968
LT Norman K. McCoy, Jr. VF-51 MiG-21 1 August 1968
LT Anthony J. Nargi VF-111 MiG-21 19 September 1968
LT Gerald D. Tucker VF-211 MiG-17
(pilot ejected before combat 22 April 1972)

ドッグファイトで21機という結果。
自分で以前書いておいてすっかり忘れていましたが、クルセイダーは
対MiGでキルレシオ8対1という成績を上げており、

「MiGマスター」

と渾名されていたんでした。

ただしブルーのマーキング、タッカー大尉はMiG17を撃墜したことになっていますが、
・・パイロットは戦闘の前に脱出した・・・?

パイロットが脱出したからにはMiGは撃たなくても落ちたわけですよね。
それがどうしてタッカー大尉の撃墜記録になるのかが謎です。

そういえば、あの戦記小説「大空のサムライ」の中で、主人公の
坂井三郎氏をモデルとした撃墜王坂井三郎が
(色々と大人になった今ではこんな風にしか思えなくなりました)

「対戦する前にパラシュートで逃げてしまった敵がいたけど、
これって撃墜記録になるんでしょうか?」

と上官(笹井中尉)に尋ねるシーンがありましたっけね。
これはこのパターンをそのまま地で行ったケースのようですが、
撃墜記録は一応対峙したというかそれを見ていたとタッカー大尉に付きました。

本人はかなり微妙だっただろうなあ。

ちなみに、ベトナム戦争中の海軍パイロットのエース(5機撃墜)は

デューク・カニンガム大佐

ウィリアム・P ・ドリストル大佐

の二人のF-4パイロットです。

左から二番目(カニンガム)と三番目(ドリストル)。
手に持っているのはF-8 の模型?

ベトナム戦争中生まれた5人のエースのうち、3人が空軍で2人が海軍でした。
そのうち4人はエースの資格を満たす5機撃墜記録を持っています。

唯一空軍のチャールズ・デベルブ大佐だけが6機撃墜の記録を持っていますが、
これは5機目を撃墜した同日にもう1機撃墜したからで、アメリカ軍では
5機撃墜してエースになったら自動的に名誉除隊することになっていて、
5機以上の撃墜は本来記録としてあり得ないのだそうです。

 そして黄色いラインで印をつけた「MiGマスター」の名前を今一度見てください。

展示機のコクピットに乗っている人物のヘルメット、この、
もし一部韓国人が見たら発狂するというホットな旭日旗柄は、他でもない、

VF-111  SAN DOWNERS「サン・ダウナーズ」

のクルセイダーであることを意味しています。
黄色でマークしたトニー・ナージ大尉は、サンダウナーズが
空母「イントレピッド」艦載部隊であった時、サイドワインダーでMiGを撃墜しています。


当ブログで、「イントレピッド」見学についてアップした記事で
このナージ中尉について書いた直後、東から移動してサンフランシスコで
アラメダに繋留されている空母「ホーネット」の見学をしたのですが、
その艦橋見学ツァーの解説をしていたベテランが元クルセイダー乗りでした。

そこで彼に二人になった時、

「もしかしたらアントニー・ナージ大尉って知ってます?」

と聞いたらなんとびっくり、ご当人と一緒に勤務したことがあり、
向こうもびっくりしたでしょうがこちらも驚いたということがありました。

こらこらおっさん、サイドワインダーを手で触るんじゃない。

機体上部、可変翼の付け根上に「サンダウナーズ」と文字があるのがお分かりでしょうか。
ちなみにこの可変翼ですが、折りたたみ式になっています。

翼はこのまま上に跳ね上げる形。
着艦してタキシングしながらすでに翼を畳んでいるせっかちさんです。

そういえば某エリア88という漫画では、風間真さんが飛行中に翼を畳んで
敵の罠を突破するシーンがありましたっけね。

もちろん飛行中に翼を畳むことはできないのですが、その逆、
F-8のパイロットが翼を広げ忘れたまま飛び立った、というのは

少なくとも7−8回!!

本当にあったと報告されています。
そのうち1960年の例は、空中で翼が伸びていないことに気がついたパイロットが
 (#`Д´)ノノ えーい!と次々燃料を捨て、24分後無事に帰還したというものでした

この時の離陸写真。確かに翼がない(笑)

翼は空中で伸ばせないので、気がついたら一刻も早く帰るしかないのですが、
搭乗員の技量のせいか、F-8の機能が優れているせいか、
翼を伸ばし忘れて飛び立った飛行機で墜落した機は一機もなかったそうです。

機体に記された3人の軍人の名前は、いずれもベトナム戦争で戦死した
「ミッドウェイ」艦上機時代のクルセイダーパイロットのものです。

リン中佐

ドイル・リン(DOYLE W. LYNN )中佐は、サンダウナー、
VF-111のパイロットで、北爆が始まった1965年5月27日、
「ミッドウェイ」から出撃をし、撃墜されました。
パラシュートは目撃されず、遺体も見つかりませんでした。

ラ・ヘイ中佐

ジェームズ・ラ・ヘイ(JAMES D.LA HAYE )中佐は、同年5月8日、
北ベトナムの沿岸で乗っていたG-8が撃墜され、機体は海に墜落、
パラシュートは開かず、戦死しました。

ゴラホン中尉

ジーン・ゴラホン(GENE R. GOLLAHON)中尉は、
「ブラック・フライデー」と言われた海軍飛行隊最悪の日、
北ベトナム軍の地対空ミサイル (SAM)に撃墜された
3人のパイロットのうちの一人でした。

撃墜された彼のF8は地上で爆発し、パラシュートは認められませんでした。
彼の遺体は9年後の1974年、本国に返還されています。

「ミッドウェイ」時代のサンダウナーズの戦死者はこの三機のみとなります。

そして1966年の6月から7月までに北ベトナムで12回行われた空戦で、
クルセイダー全体の損失率はMiG17の4機に対して2機。
ベトナム戦争を通してのキルレシオは19:3で、これは全アメリカ軍の
機体の中でベストの数字だということです。

この19機の内訳はMiG-17が16機、MiG-21が3機。

そしてこれも戦争にはありがちなことですが、アメリカ側の記録によると
ベトナム戦争中空戦で失われたF-8はわずか3機であり、
その他すべての撃墜は対空砲によるものだとなっていて、
VPAF(ベトナム人民空軍)側の主張は11機の F-8をMiGが撃墜した、
というものだそうです。

ベトナム戦争の間に170機のF-8クルセーダーが喪失しましたが、
そのほとんどが地対空砲によるものか、あるいは事故によるものです。

F-8は当時の陸上機をも凌ぐ高性能を誇りました。
例えば同じエンジンを搭載した空軍のF-100戦闘機の最高速度はマッハ1.3、
本機はマッハ1.7と、エンジンの性能が最大限に生かされています。

これはエアインテークの上から前方に突き出したコーン状の機首が、
偶然ショックコーン(エアインテークの手前で空気の衝撃を吸収する)
の役目を果たすことになったからだということです。

偶然って・・・じゃ何のためにわざわざこの変な形にしたのよ。

 

続く。

 

 


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