今回のアメリカ滞在、次なる目的地はペンシルバニア州ピッツバーグです。
ニューヨークとシカゴの中間くらいにあって、比較的五大湖の一つ
エリー湖に近いという位置にあり、昔は鉄鋼の街として有名でした。
空港で車を借りて市街に向かう途中、もう廃線になっているらしい
汽車の鉄橋の下を潜り抜けました。
ピッツバーグが造船業を最初にして鉄鋼産業を発展させたのは
1800年代初頭だといいます。
もしかしたらこの鉄橋も当時できたものかもしれません。
ピッツバーグというところは渓谷が多いので橋が446箇所にあるそうです。
この街を訪れた最大の目的は大学見学です。
ピッツバーグは大学の街でもあり、特に鉄鋼王と言われた
カーネギーが作ったこの大学が有名です。
アメリカの大学設備はどこも広い敷地にあらゆる目的に応じた施設があるのが普通で、
この大学も広いキャンパスに体育館ほどの大きさのジムがあり、それだけでなく
室内で楽しめるスカッシュのコートばかりの階があって圧倒されました。
キャンパスの一隅で目を引いた変なモニュメント。
なんかこんなコンセプトのアート、岡山の三井造船近くで見たなあ。
まあ、なんというか自己満足ですわ。
説明によると、
「評判が悪く、皆の顰蹙を買っている」
とのことです。
工科系の大学ですが、実は案外有名なのが同大学の演劇科。
そのレベルは世界でもトップレベルと言われているということです。
「ピアノ・レッスン」で聾唖の主人公を演じたホリー・ハンター、
「ヒーローズ」のサイラーを演じたザッカリー・クイントのほか、
アメリカでは有名な俳優が多数ここの卒業生です。
なんだか変な柵が見えてきました。
「これがこの大学二つ目の顰蹙です」
アメリカの大学にありがちな「受け継がれている変な風習」。
ザ・カットと呼ばれるこの柵は、昔はカーネギー工科大学と女子大を分けるものでしたが、
いつの間にか、在校生によって毎日(夜中や日の出前)塗り替えられ、ギネスブックにも
「もっとも頻繁に塗り替えられた柵」
として載っている「ネタ」になってしまいました。
この写真だと大変な分厚い柵のように見えますが、本体は細いもので、
その厚みのほとんどがペンキによるものだそうです。
ちなみに2006年のフェンス。こんなにスマートです。
どうやら日本人の先輩が書いたらしく、富士山にスイカ、祭りの団扇、
「富士ひとつ うずみのこして 若葉かな」
の句。(達筆)
ちょっと日本語が喋れるくらいのアメリカ人には理解できないと思うがどうか。
この建物が建てられたのはまだカーネギーが存命の頃。
内部は坂に沿って長い傾斜の廊下になっており、その両側に教室。
「大学を作った時、もし経営が失敗したら鉄鋼工場にしようと思ったようです」
傾斜になっていると引力を利用したラインができたということなんでしょうか。
まあ、ここが一度も工場に転用されることがなくて何よりです。
その当時の工学部ではこんなことをやっていました。
1906年、レンガ積み。
1910年、はんだ付け?
1920年、鉄鋼成型?
なんだか工学部というより工場でやってることって感じ・・・。
ちなみに創立は1900年、当時は「技術学校」と言っていました。
さすが鉄鋼王の作った校舎だけあって、スチールで補強された柱や廊下のアーチ、
丈夫そうなのは半端ありません。
そしてこれが「第三の顰蹙」なんだそうです(笑)
この学校を卒業した中国人の実業家だかなんだかの銅像で、
比較的歴史の浅い大学のせいか、権威的なものを嫌い基本銅像がない
(学校創立者の銅像すらない)この大学のキャンパスに、
札束で頰をひっぱたくようにして無理やり自分のを建てさせたのだとか。
まあ、これは説明してくれた人によると、と言っておきましょう。
キャンパスには、新旧取り混ぜてあらゆるタイプの建築がありますが、
中にはビル・ゲイツが寄贈したコンピュータ工学の建物もあるそうです。
続いて、研究室を見学させてもらいました。
まず、ドローンでのチェックシステムを研究しているゼミ。
日本の会社からの研究員がおられました。
この他にも、ブロック工法で作られた船舶の船殻を、
非破壊検査するロボットを日本の造船会社と共同で研究しているところで
詳しい映画を見せてもらいましたが、企業秘密なので公開不可です。
このドローンの実物大。
河川の突堤などのひび割れを無人でチェックするという研究でした。
3Dプリンターの特殊な成型機械。
DENSOのロゴがあります。
ここで成型しているのはこういうもの・・・ですが何に使うかは秘密。
移動の時にバナナの研究をしている人発見。
と思ったら娘と遊んでるだけのお父さんでした。
学校の課題を手伝ってるのかな?
この2倍の大きさの部屋いっぱいに工作機械が並びます。
この右側に並ぶ機械はシャープ製だったりします。
今の3Dプリンタで、人の顔の皮が作れるという話をしていて、ふと、
「ミッションインポッシブルみたいですね」
というと、まさにあれだそうです。
あれほど短時間で作れるかどうかはともかく、あのようなものを作ることは
今の技術的に全く不可能ではないというお話でした。はえ〜〜。
この研究室では、工学と医学をコラボしたテーマの研究が中心です。
例えばこれ、英語では「クラブフット」(蟹足)と言っていましたが、
日本語で言うところの先天性内反足を矯正するための器具なのです。
先天性内反足を矯正するには、夜寝る時に器具をつけて少しずつ足を
ねじって動かしていくというやり方があるのですが、その器具の開発には、
このように骨の模型にさらに透明の筋肉をかぶせた模型を使って
実際に動かしていくということを行います。
なんのことはないリサイクル用の紙置き場(笑)
さっきの足の模型のように、骨の形にほとんど筋肉と同じ感触の
透明の樹脂をかぶせ、さらに皮膚をかぶせてあります。
人体のパーツ模型があちこちにゴロゴロしてます。
足型を作るための原型を切り出したもの。
お花を挿す給水スポンジのオアシスみたいな材質ですかね。
医療現場でトレーニングに使うための模型も研究しています。
例えば太って脂肪の多い人が多いアメリカでは静脈を探しにくいので、
こういうのの「太った人バージョン」で針を刺して練習したりします。
脊椎の湾曲に対して矯正を行う器具。
こういうのを見ていてふと、
「脊髄液を取る時にする脊椎穿刺の練習用なんてないんですか」
と聞いてみると、それは聞いたことがない、という返事でした。
この大学には医学部はないのですが、冒頭写真の、ギネスブックに載っている
「世界で一番古くて高い建物」
を持つ同市内の大学の医学部や、イエール大の医者と提携して
研究を行うことが多いという話でした。
「特に脳外科医とかになると、エリート意識が高くて
『プリンス』みたいな人が多く、やりにくいことも多い」
というのはここだけの話です。
日本でも脳外科医や心臓外科医が、という話をよく聞きますが
これって世界的な傾向だったのね。
最後に見せてもらったのが教授の部屋。
日本の大学、例えば東京にある私学大学の教授室の4倍くらい広い部屋でした。
ここでも一連のスライドを見せていただいて、息子の参考にさせていただきました。
というところで学校の見学はおしまい。
今日は教授のお宅での夕食にご招待されています。
ピッツバーグの街並みは、イギリス風の建物が連なる、古き良きアメリカという感じです。
教授のお宅は山手にあるのですが、車で坂を上っていくと、どんどん家が立派になり、
そして家と家の感覚がとてつもなく広くなっていくのでした。
到着。
外側から見ても素敵ですが、中は吹き抜けの居間に客用ダイニング、
裏の森に向かってテラス兼サンルームを備えた日本規格で言う所の豪邸でした。
「今日はテラスでバーベキューをする予定だったのに、
雨が降ってしまったので予定変更です」
バーベキューになれば、活躍するのは一家の主人である教授のはずだったのですが。
(アメリカの家庭では、バーベキューは男の仕事、と決まっています)
夕食が終わってアメリカ人の家庭を訪問した時の恒例「ハウスツァー」が始まりました。
客間その2にいくと、古いアップライトピアノが置いてあったので、
急遽わたしと息子さんのセッションが始まってしまいました。
彼は学校のジャズクラブでトランペットをやっていますが、ヴォーカルも得意で、
好きなアーティストはチェット・ベイカーだということです。
「Ain't Misbehavin’」「La mer」「Don't Get Around Much Anymore」
などの歌とトランペットにわたしがピアノで参加。
レパートリーのコード譜は前もってiPadに打ち込んであるので、
彼はわたしの伴奏のためにそれを即座に出してくれます。
さすがは今時の高校生。
ところで、この写真はその後のハウスツァーで地下室に行った時、
彼が楽器コレクションを見せてくれているところです。
高校生がフリューゲルホーンを含め4本も楽器を持っているなんて、
贅沢すぎないか?と日本の人なら思うかもしれませんが、
彼は状態のいい中古を上手に安くebayで探してくるのだそうです。
そういえば我が家の息子も、学校のドミトリーのルームメイトを、
フェイスブックか何かで条件をつけて募集して、感性の合いそうな同居者を
早々に見つけていたことに驚かされたばかりです。
今時の学生には、アナログ時代に学生生活を送った旧人類には想像もつかない、
ネットを媒介とした情報処理の方法があり、ごく自然にそれを活用しています。
この息子くんは音楽だけでなく絵も得意で、この地下室(総鏡張りのスタジオが隅にあって、
そこだけでも10畳くらいの広さがあった。前の住人がジムにしていたらしい)
に、プロ用の天板に傾斜のつけられる机を設置してそこで絵を描いているそうです。
車でホテルに送っていただく車の中、
「クリエイティブなお子さんをお持ちで将来が楽しみですね」
というと、父親である教授は
「わたしとしては科学者になって欲しいのですが」
と実に世間一般の親らしい希望を漏らしておられました、