息子が入寮した次の日、大学のオリエンテーションが始まりました。
オリエンテーションはこの大学のホールで、朝早くから行われます。
日本の市民会館の大ホールくらいの規模ですが、実はここは小ホール。
同じ建物に大ホールもあり、東京のオペラシティと同じくらいです。
ここで、学生生活に関わる各部門のディレクターによるレクチャーが
午前中いっぱい使って行われました。
学生生活一般、健康、安全、経済・・。
安全についてはスクールポリスのヘッドが、
「我々は万が一学校内で銃撃事件が起こった時の訓練も受けています」
学内をスクールポリスのパトカーが四六時中パトロールしており、
彼らはFBIとの連携を常にとっているということでした。
健康について、特にマインドの問題は専門のセラピストを設け、
LGBTQの問題についても対処しているというのですが、
「はて、L(レスビアン)G(ゲイ)B(バイセクシャル)
T(トランスジェンダー)はよく聞くけどQって何?」
と思い、家に帰ってから調べてみると、Qとは
Queer or
Questioning
クイアとは同性愛者を含むセクシャルマイノリティーの総称で、
とにかく「大多数の外にあるもの」という定義でしょうか。
はっきりとはしないが「クエスチョンズ」でもあるように、
ぼんやりとしたマイノリティという意味かもしれませんがわかりません。
この写真は、ボランティアであるソフォモア(二回生のこと)四人が
一つの質問に1分以内で答えていく20問、というコーナー。
「授業をスキップしたことがありますか?はい最初の人」
「イエス、アイムギルティ、バット・・・」
「はい次の人」(ドッと笑いが起こる)
骨折したとか、よほどの理由があれば仕方ありませんが、
一回でも授業を休むとリカバーするのが大変だ、ということです。
代返なんてことはアメリカの大学には起こりえません。
困るのは本人ですし、そんな犯罪行為に誰も手を貸してくれません。
また、1時間の授業に対し最低2時間から4時間のホームワークが必要だとか。
ちなみに、学業についてのレクチャーで、
「この学校に入ってきた皆さんのお子さん方は、ほぼ全員がハイスクールの
上位10%におり、その多くが首席か次席だったという優秀な生徒ばかりで、
しかもSATの成績、特に数学は満点で入ってきている人の方が多いのです!」
といきなり親たちの親ばか心をくすぐりまくった後に、
「しかし、皆が優秀なので、そんな生徒が
最初の試験でBとかCの成績を取ってショックを受けます」
あー、それは知ってますよ。
戦前の日本で、地元では神童とか天才とか言われていた青年が、
海軍兵学校のハンモックナンバーでいきなり最下位になってしまい、
ショックを受けるという話みたいなもんですね。
「それでメンタルを壊してしまう生徒も少なくありません」
日本のノーベル賞受賞科学者の息子がMITに入ったものの、
入学してすぐに自室で自殺していた(しかも一週間気付かれなかった)
という痛ましい話があったのをご存知の方もおられるでしょう。
彼の場合はいきなり英語の環境に放り込まれたことも原因かもしれませんが、
アメリカ人学生でも学業についていけずに自殺する、という事件は
名門校ほど頻繁に起こるというのが定説です。
学校としては自殺されるのは一番困りますから、なんとしてでも
そうなる前に専門家に相談してくれ、と声を大にして言いたいところでしょう。
「よくあるコミニュケーション」としてディレクターと学生の間で
ちょっとした寸劇が行われました。
1、男子学生と母親 2、女子学生と父親 3、単位を落としそうだと報告するメール
1と2はも日本でもありそうなやりとりでしたが、最後は、
「お父さんお母さん、落ち着いて聞いてね。
わたし、実はボーイフレンドの子供を妊娠してしまったの。
彼にはちょっと病気があるけど大丈夫、産んで育てるわ」
と言った後に、
「今のは嘘。ちょっと脅かしただけ。
わたしは妊娠どころかまだボーイフレンドもいないから安心して。
でもね、一つ単位を落としそうなの・・・」
親に、なーんだ、そんなことか、と思わせるためのテクニック紹介?でした。
アメリカの大学は専攻を途中で変えることができます。
つまり入学した時には何をするのか決まっていない学生もいますが、
一旦選んでから変えるのよりはギリギリまで迷うのもありらしいですね。
このガイダンスは、専攻を決めるにあたって、というテーマ。
また別の部屋で行われた学生への質問など。
驚いたのは、こんなステージを持つ小ホールが別のところにもあったことです。
この調子では、他にも後いくつかホールがありそうです。
この日はランチもディナーも申し込んで学校で食べることにしました。
ディナーは学校の一部にある「アラムナイ・ハウス」つまり
卒業生同窓会クラブのソーシャルルームで行われることになっていました。
この建物は学校の横にあった、いったい築何年?という古い家。
軽く150年くらいは経ってそうです。
大学のあちこちには、歴史に名を残した卒業生を讃えるコーナーがあります。
海軍士官の姿をした写真を見つけて目を輝かせて近づいていくと、
海軍にいた時代があった科学者でした。
アラムナイセンターにあった卒業生コーナー。
装甲艦、USS「モニター」の本がありますが、写真を撮り忘れたので
卒業生がこれを作ったのか、それとも海底から発見したのかわかりません。
右側は軍用航空機の開発者で、コンベアのB-58ハスラーなども手がけた
卒業生の紹介として本が飾ってあります。
アポロ計画時代、NASAのトップをしていた卒業生もいたようです。
なんと!あのリバティシップを大戦中740隻作り、効率性の点で
海軍と造船の現場に大変な効率性をもたらした人が卒業生にいました。
この他、シービーズで指揮をとった土木工学専攻の卒業生もいるなど、
軍事研究にも多数の卒業生が関わっていることがわかりました。
サラダとチキン、白身魚のビュッフェがこの日のディナー。
同じテーブルになった人たちと話しながら食事するのですが、
わたしたちの隣に座った男性は、なんとコロラドから、三日かけて
車で馬を乗せてここまでやってきた、と語り驚かされました。
なんでも彼の姪がどうしても愛馬を連れてきてほしい、と頼んだからだとか。
近隣の乗馬クラブに預けたりするつもりなんでしょうか。
それにしても、アメリカの金持ちはやることが豪快だわ。
息子と最後にこの食堂でランチを食べました。
冒頭写真の建物の内部がこれです。
外側は思いっきりロマンチックなのに、中は普通のダイニング。
入り口で8ドル払えば中で好きなだけ食べても構いません。
もちろん時間制限もありません。
学内を歩いていて東部の学校だなと思った貼り紙。
「建物の外側を歩くと上から雪が落ちてきて危険ですから
必ず内側を歩いてください」
さて、オリエンテーションも二日目になり、いよいよ最後です。
オリエンテーションの最後は親と子が一緒に受けることになり、
ロビーでコーヒーを飲んでいると、「よお」といって息子が近づいて来ましたが、
あとはずっと同級生と楽しそうに話をしていました。
もう友達になったのかしら。
ロビーには栄養について専門知識を持つ栄養士がアドバイスをするコーナーや、
学生専用銀行のコーナー、そして・・・・
なぜか海軍のコーナーがありました。
せっかくなのでパンフレットだけもらってきました。
まだ詳しく読んでいないのでわかりませんが、ちらっと見たところ、
海軍が月々2,000ドルくらいを出資するバカロレアディグリーで、
工学系大学で原子力や医学につながるバイオロジーなどを勉強し、
卒業後、海軍の原子力エンジニアや軍医、航空士官、軍艦乗組、
そして原子力潜水艦の乗組になってくれんかね、というブースのようです。
どちらにしてもアメリカ市民でないとダメらしいですが。
海軍のブースには三人もいましたが、陸軍と空軍は
テーブルが用意されていただけで誰も来ていませんでした。
いよいよクロージングセレモニーの始まりです。
それにしてもたかが一つの大学のホールなのに、この立派なこと。
セレモニーではディレクターの一人が今年の入学生の「優秀さ」について語り、
去年の入学生がこの一年どんな学生生活を送ったか、学生が製作したビデオを放映したあと、
スクールソングを皆で歌っておしまい。
息子の部屋には後から思いついたものを買って来て放り込みました。
他の生徒たちは今日が本格的な引越しです。
前の車が荷物を降ろし終わるまで、後ろは動けません。
近隣から来ている彼らは、荷物をバラバラで持って来ているのが特徴。
スーツケースなど一切持たず、ハンガーにかかった服を持ち込む男子学生もいました。
皆が買ったばかりの電子レンジ、掃除機、温熱器、
コーヒーポットやダイソンなどの箱を抱えています。
オリエンテーションのレクチャーではこんなことを言っていました。
自分たちで何もかもやろうとせず、ましてや子供を
「ダチョウ」のように何かあった時に殻に閉じこもらせず、
できるだけ我々を信頼して外部の専門家を頼ってください。
ただでさえ、大学というのは最低でも週32〜36時間の
勉強をしないと単位が取れないので、95パーセントの学生が
大変な思いをして時間を捻出しているのです。
だそうです。
アメリカの大学は入るより出るほうが難しいとはよく聞きますが、
とにかく皆猛烈に勉強させられるようですね。
親としては、私の子供は親元を離れて大丈夫かしら、と心配になるものですが、
そんな時に決して「爆撃型」「ヘリ攻撃(バラマキ)型」ペアレンツにならないで、
とこの講師は語りました。
愛情の爆撃、心配のヘリ攻撃、何れにしても大人になりかかっている
彼らには、負担にしかならないのは事実です。
わたしは皆さんも薄々お分かりの通り、興味の対象が子供にだけ向いている
ボミングマザーだったことはないという自信はありますが、
(ボムはボムでも本当の爆撃関係にこそ興味があるので、と言うのは冗談)
それでも息子からすれば、自分を信じていないと思われるような心配や小言が
疎ましく思われることだってなかったわけではないでしょう。
そんな点からいうと、親元から離れての学生生活は、子供の側にとっては
誰でも持つ「親の煩わしさ」からの解放であることは間違いありません。
逆に、離れて初めて気づく親の有難さに気づく機会であるとも言えます。
親にすればそうであってほしい、といいますか。
週一度程度のスカイプ、用事がある時のメール、せいぜいメッセージと、
この時代ならではの便利なツールを活用して適度なコンタクトを取りつつ、
遠い日本から保護者の務めを果たしていこうと思います。
息子が自分の人生を親の助けなく歩いていけるようになる日まで。