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NTDS (海軍戦略情報システム)〜空母「ミッドウェイ」博物館

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艦載機を見ながらフライトデッキを時計回りに周り、
艦橋までやって来たのでそこから中に入ったら、ハンガーデッキの階に
フラッグ・オフィサー(将官)アイランドがありました。

さらに進んでいきます。

説明がないのでわかりませんが、「制限区域」として
許可された者以外の立ち入りを厳しく禁じている部屋がありました。

中にはタイプを打っている人が一人だけ。

艦隊司令の執務室が近いことから、情報処理室ではないかと思われます。

艦隊司令部の執務室の一つではないかと思われます。
後ろの壁全面に地図が貼られていますが・・・、

 

左はバグダッドの市街図、右はペルシャ湾の地図です。
向こう岸がイラン、こちらの上に突き出した半島がカタールとなります。

ところで、MKが卒業してすぐ、音楽を洗濯していた生徒のグループで
音楽ツァーと称して学校からウィーンに行ったのですが、
飛行機代を安く上げるために、なんとカタール航空を使ってドーハまで行き、
そこで乗り換えをしました。

まさにこの地図の半島の先っちょでトランジットしたわけですが、
わたしなどいつまでもこのころのイメージが抜けないので、
カタール航空?ドーハ?大丈夫なの?とつい心配になったものです。

ちなみに帰ってきた息子に聞くと、

「空港は全然普通、とにかくカタール航空最高!」

でした。
全席が丁重に扱われるらしく、異常にサービスが良かったそうです。

  誰か偉い人のフライトジャケットが永久展示してありました。
キャップを見る限り艦隊司令官の(少将)もののようです。 ワッペンを見て行くと、胸に   第7艦隊 第70ー77機動部隊   「砂漠の嵐」航行記念   ちなみに現在のCTF70は司令部を「ロナルド・レーガン」に置きます。
「砂漠の嵐」とは、空母「ミッドウェイ」「アメリカ」「ルーズベルト」
そして「レンジャー」の4隻で示威行動として行った作戦をいいます。   そして左腕には、     下は、「ミッドウェイ」が横須賀を去るときの記念じゃないですか?!
「LAST MAGIC」 1973−1991 SAYONARA GOOD BYE   とあります。(ちゃんと撮っておけば良かった)

  艦隊司令部のコマンドルームはここにありました。
窓がない部屋にステイタスを表す機器がずらりと並びます。     この頃の実際のステイタスが残されています。
空母「ミッドウェイ」「レンジャー」、原子力空母である
CVN「ルーズベルト」。   ミサイル巡洋艦であるCG(guided-missile cruiser)「バンカーヒル」、
「レイテ・ガルフ」「プリンストン」「フォード」。 強襲揚陸艦にはLPH 「オキナワ」というのがありますが、これは
「イオージマ」級の2番艦で、3番艦は「ガダルカナル」です。 (どうも『日本と戦った戦地シリーズ』らしいですね)   そしてLCC「ブルーリッジ」の下を見てください。 あるでしょ?   戦艦 BB「ミズーリ」   が。
いやー、この当時ミズーリを知っている人はびっくりだったんだろうなあ。
  「ミズーリ」は朝鮮戦争の後予備役入りをして展示艦になっていたのですが、
先日もお話しした海軍の「600隻艦隊構想」によって   33年ぶりに現役に復帰   し、ここに名前があるというわけです。
いくら「数のうち」とはいえ、下手したら一つの艦が進水してから
退役するまでと同じ時間現役を離れている船を引っ張り出してくるとは。   前回も言いましたが、この600隻艦隊構想でモスボールから復活したのは   「アイオワ」「ウィスコンシン」「ミズーリ」「ニュージャージー」   の4隻。
そのうち「アイオワ」はその功績を称えるため(だと思います)、
ソ連が崩壊してその必要がなくなり今度こそ現役引退した際、
ロスアンジェルスで博物館展示されることになり、今もそこにいます。   実はですね。
わたくし、今回しっかりと「アイオワ」も見学してまいりましたので、
「ミッドウェイ」シリーズ終了後にまたお話ししたいと思います。   このボードには「ウィスコンシン」の名前も見えます。     このコンソールの説明がありました。   NTDS (NAVAL TACTICAL DATA SYSTEM )   海軍戦略データシステムは、コンピュータ化した情報処理システム。
1900年代においては、初めて軍艦や航空機に搭載されたものです。  

その開発のきっかけはなんと、日本軍が戦争末期に行った特別攻撃でした。

特攻がアメリカ海軍にもたらしたものは精神的な破綻だけではありません。
空からの攻撃に対する軍艦の対処能力はレシプロエンジン機に対しても
ギリギリ限界であり、より高速のジェット機が同様の攻撃をかけてきた場合、
システムの破綻は不可避であることを何より思い知ったのです。

 

そこでアメリカ海軍は艦対空ミサイル、ターター、テリア、タロスの
「3Tファミリー」を開発し、その一方、攻撃手段に対して指令をあたえる
「頭」の情報処理能力の向上も求められていた。

特攻機の迎撃にあたっても、問題となったのは攻撃能力というよりむしろ
情報処理能力だったのです。

前にも書いたことがありますが、情報を統合処理する戦闘情報センター (CIC)
をもってしても、「紙と人と声」に頼っている限り、同時に処理できる目標は
せいぜい12機程度が限界で、20機の目標に対しては、完全に破綻することが
イギリス海軍の実験によってわかってしまったのです。

 

そこで情報の処理を自動化することにしました。
まずアナログコンピュータによる

武器管制システム (WDS)

続いてデジタルコンピュータ使用による

半自動式防空管制組織 (SAGE)

続いて

海軍戦術情報処理システム (NTDS)

各艦が同様の情報処理システムをもち、これらをデータリンクによって連接することで、
艦隊全体の防空を統合することができるようになりました。

モックアップで運用の訓練を行なっているところ。
上で見張っている人の机が事務机なのと電話の形が和みますね。

NTDSというのは一言で言うと、

「コンピュータを本格的にCICに持ち込む」

と言う時代の先端をいくという革新的なものでした。
しかし、探知情報の入力や目標割り当てはマニュアル式で、
自動化といっても案外人の手が必要だったので
現場での評判は必ずしもよくなかったということです。

しかし、大東亜戦争の日本軍の攻撃から生まれたNTDSは
ベトナム戦争における北爆で大きな進展を遂げることになります。

E-2の空中戦術情報システム (Airborne Tactical Data System, ATDS)と
連接されたNTDSは、攻撃機の管制において多大な効果が得られたのです。

この実戦経験からソフトウェアの開発も進められ、対空戦のみならず
のちには対潜戦、対水上戦にも対応するようにシステムは発展します。

コンソールの上には「IFF」敵味方判別のためのアイコンがあります。

洋上目標 NTDS ship blue.PNG NTDS ship red.PNG NTDS ship yellow.PNG NTDS ship green.PNG 航空目標 NTDS air blue.PNG NTDS air red.PNG NTDS air yellow.PNG NTDS air green.PNG ミサイル NTDS msl blue.PNG NTDS msl red.PNG     ヘリコプター NTDS helo blue.PNG NTDS helo red.PNG   NTDS helo green.PNG 潜水艦 NTDS sub blue.PNG NTDS sub red.PNG NTDS sub yellow.PNG   魚雷 NTDS torp blue.PNG NTDS torp red.PNG     地上目標 NTDS grnd blue.PNG NTDS grnd red.PNG   NTDS grnd green.PNG

自動化されたといってもこういうのを書き込むのも人だし・・・。

CV61 の「レンジャー」とCV41「ミッドウェイ」の
艦載部隊とそのコールサインが書かれています。

なになに、 VA185のイントルーダー部隊「ナイトホークス」は
コールサインが「Maverick」(一匹狼)だって?

「ミッドウェイ」と「ミズーリ」「ウィスコンシン」は同じユニットでした。

さて、コンピュータ付きのCIC、NTDCを通り過ぎると、
次に表れたのは通信関係の施設です。

 

 

続く。

 

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