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伝説の黒い鳥 SR-71 ブラックバード〜スミソニアン航空宇宙博物館

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スミソニアン博物館別館ことスティーブン・F・ウドヴァー-ヘイジーセンターに
入っていって最初に皆が目を奪われるのが、SR-71、ブラックバードです。

制作したのはロッキード社。

はて、そういえば、博物館に入っていってエントランスを進んで行くと、
そこに「ボーイング航空機ハンガー」とサインがあったはずなのに、
最初に出てくるのがピッツとヴォートとカーティス、そしてロッキード。

一つもボーイングなんてないんですが?

と不思議に思うわけですが、これはつまりこのハンガーそのものに
ボーイングが出資するなりして名前をつける権利を買ったのかもしれません。



ブラックバードは見るからに尋常でないスピードが出そうなイメージですが、
マッハ3の超音速で、しかも高高度飛行をする為に生まれた機体です。

戦略爆撃機として核を搭載するために計画された「ビジランティ」が、
冷戦が終わったので偵察機になった、というのを、わたくし、物知らずのため
無茶扱いしてしまいましたが、偵察機というのは速ければ速いほど、そして
高ければ高く飛べるほど都合がいいので、機体は大きいことは強みにもなるのです。

さて、前回も書いたように、「ブラックバード」はエントランスをまっすぐ進むと、
階段の降り口から真下に冒頭写真のように展示されています。

この黒い鳥が放つただならぬオーラに心奪われぬ者はおそらくいないでしょう。

以前、キャッスル航空基地跡にある航空博物館で、博物館の外、
誰も他に人のいないところに無造作に放置してある機体を見たのが、
わたしとブラックバードの最初の遭遇となりました。

感激して写真をそれなりに撮りまくり、ここでもご紹介しましたが、
所詮地面に置いてあるのを人の背の高さで見るしかない展示では、
いまいちその全容をお伝えすることができずもどかしい思いをしたものです。


が、さすがはスミソニアン、わかっていらっしゃる。
ブラックバードは上から見てこそ、その姿形に心から感動できるというもの。

ブラックバードに限らずとも、全ての航空機を、地上目線と上空からの目線、
両方で見ることができるのは、航空博物館多しと雖もここだけではないでしょうか。

SR-71はここの目玉の一つなので、展示の仕方も効果的です。
この特殊な形の航空機の機体に合わせて、床にライティングのための照明を取り付け、
こうすることで、黒い機体の下部も鮮明に見ることができるというわけです。

機体の横にもあるようですが、二階デッキから見る人のためにも説明がありました。

歴史的に見ても、グローバルに操作され、敵航空基地にとって完璧に
ノーマークであった偵察機はSR-71をおいて他にないと言えましょう。

完璧にノーマーク、これはこの機体に追求されたステルス性によるものです。

まず、この機体の色。
ブラックバードの名の通り黒ですが、黒は黒でもなんというか、
全体的にザラザラした、粉っぽい感じを受けると思いませんか?

この粉っぽさの原因は、塗料に含まれた鉄粉です。
フェライト系ステンレスというのは腐食しにくく、
かつ強磁性があり、放熱効果をもたらします。

この強磁性と機体の表面の鋸状、そして独特のヌメッとした外見は
レーダー電波を乱反射させる効果のために開発されました。

内側に傾いた垂直尾翼、機首のチャイン(船舶用語で張り出し、ボートの形)
なども、ステルス性を高めるための工夫の一つでした。

また、機体のどこを取っても曲面だけで構成されており、
かつ薄くて平たい形状をしているので、レーダーに発見されにくくなります。

エンジンの噴射煙もレーダー反射するので、ブラックバードは、
燃料に噴射炎を抑える添加剤を加える、という徹底ぶりで、
当時としては画期的なステルス性を誇りました。

ブラックバードが沖縄に配備され、ハブ(蛇のあれ)というあだ名で
現地の人たちに呼ばれていた頃、しばしばブラックバードは
離陸してすぐに那覇空港のレーダーシステムから消失しました。

とはいえ、全く姿を消してしまうというわけでもないので、
ソ連からは結構な回数地対空ミサイル施設からレーダーロックされ、
実際にも4000発以上のミサイル攻撃を受けていますが、その運用期間、
ブラックバードは一機も被害を受けず、かすり傷一つ負いませんでした。

コクピットからミサイル攻撃を受けたあるパイロットは、
SR-71の速さと高さに追いつかず、遥か下方で爆発をするミサイルを見て、

「爆発というより縮小しているように見えた」

と語っています。

世界最速のジェット推進機として、ブラックバードの性能とオペレーション実績は、
冷戦時代の航空技術の頂点に達したといっていいでしょう。

ほとんどの航空機が、コストの関係で熱にさらされる部分だけしか
チタンを使用していないのに対し、SR-71は85%チタンです。
マッハ3で飛ぶと飛行機は高熱にさらされるからです。

ちなみに速度マッハ3というのが公称ですが、パイロットはしばしばこの
『スレッド(橇、ブラックバードの内輪の愛称』の限界を試し、
マッハ3.5までは出るということが確認されています。

 

ロッキード社は、機体のコストを抑えるために、より低い温度で
機体の素材を柔らかく合成する技術を開発することに成功し、
このことは会社の素材技術を大幅に発展させる結果になりました。

それだけではありません。
1機1機手作りするための専用の工具・製造工程をまず研究開発し、
その他にも耐熱燃料、オイル、油圧フルード(油圧駆動液)・・・。

全てが40機のブラックバードのためだけにゼロから開発されました。


飛行機がマッハ3で飛ぶと、飛行機はひどい高温に晒され、
翼の前縁は300℃に達しますが、その際、
ブラックバードの柔らかい機体は数インチは膨張したそうです。

熱された機体を冷却するのは、チャインのチタン表面の後ろ側で
燃料を循環させるという方法で行いました。
チタンが熱を持つので放熱効果のあるフェライト系の塗料が使われたというわけです。

継ぎ目の境界部にはゴム糊のようなシーラント(封止剤)が使われましたが、
ブラックバードの機体がマッハ3で飛んで一旦膨張してしまうと、
駐機しているときはもちろん、亜音速で飛ぶときも継ぎ目から燃料が漏れました。

しかももう一つ厄介なことに、チタンを溶接した継ぎ目部分は塩素に弱く、
機体を洗浄するのには蒸留水でないとだめだというのです。

つまりブラックバード、マッハ3で飛んでいる以外はずっと垂れ流し。
名実ともに実に不気味な飛行機だったということです(ごめん)。

というか、マッハ3で飛んでいる時がブラックバードの「本当の姿」で、
その他は仮の姿だった、ということができるかもしれません。

wiki

ここでブラックバードのコクピットをどうぞ。
後ろの背景から、スミソニアン別館のこの機体だとわかりますね。

ブラックバードはタンデム式で、あの大きな機体に定員2名です。
数だけ考えればコスパが悪すぎますが、悪いどころか、この二人には
育成のために莫大な国家予算が惜しげもなく注ぎ込まれていたので
費用対効果はまさしくプライスレスだったと言えます。

前席がパイロット、功績がフライトエンジニアで、操縦席と後席の距離は1.2m。
後席のエンジニアはカメラ、ラジオ、電子ジャミング機を操作します。

ブラックバードはたった40機しか製造されず、
このコクピットに座って操縦した者は史上33人しかいません。

あれ、数が足りないけど、一人で2機操縦した人がいたのかな?

ブラックバードの近くに、SR-71乗員のフライトスーツが展示されています。
コクピットは与圧されていますが、それでも高高度すぎるので、
乗員は加えて高度与圧スーツを身につける必要がありました。

万が一、機外に射出されることになった時のためでもありますが、
ブラックバードでベイルアウトなんて、どっちにしても助からなさそう。

ブラックバードはNASAでも研究のために所持していましたが、
そのスーツはまるでNASAの宇宙飛行士の着るようなものです。

スーツを一人で着ることはできず、着用には必ず介助を必要とし、
シートベルトすらも自分で付けることはできません。

しかも、着脱の際、急減圧が起こると、体外の空気の減圧により気泡が生じ、
血液の流れが阻害される潜水病と同じ「空気塞栓」が起こる可能性があるので、
潜水艇に乗り込む時にも同じようなことをしますが、SR-71乗員は
搭乗前に充分な時間を掛けて100%の純酸素を呼吸し、
血液中の窒素を追い出してからスーツを着用しました。

前にも書きましたが、一人で脱ぎ着できないスーツなので、
当然ながら生理的な問題はおむつで解決するしかありませんでした。

大戦中に「それ」を処理する管を機体に備えていたP-40の話をしたばかりですが、
アメリカの知恵を結集したこれだけの高性能の航空機であっても、
その問題を解決することには無関心だということです。

ただ、ブラックバードに乗組むような優れた人たちが、
生理的なサイクルを意思でコントロールできないはずはありません。

何十時間も飛ぶ飛行機ではないのだし、その問題なかった・・・・はず。

ブラックバードの乗員には特別なフライトスーツが与えられていました。
第1戦略偵察隊と名付けられたSRー71は、カリフォルニアにある
ビール航空基地から最初の飛行を行っています。

ご存知と思いますが一応言及しておくと、SRとは、

strategic reconnaissance(戦略偵察)

の頭文字で、空軍参謀総長だったあのカーチス・ルメイが、それまでの

reconnaissance/strike (偵察爆撃)=RS

という案を退けて命名したという経緯があります。

機体の形がプリントされたオリジナルスカーフ、胸には
「TOM ALISON」の名前とウィングマークも誇らしく。

トム・アリソン氏は、SR-71のオンライン・ミュージアムで、
講演会を行った1999年現在のお姿を見ることができます。

USAF Col. Tom Alison, SR-71 pilot

ちなみに現役時代のコロネル・アリソン。

ちょっとウケたのは、SR-71オンライン博物館のアドレスが

www.habu.org

であることです。

ブラックバードが最初に配備されたのは、沖縄の嘉手納基地でした。
米軍基地から飛び立つ異様な黒い飛行機を、地元の人が

「ハブ」

と呼んでいたという話は、おそらく彼らをひどく喜ばせたのでしょう。

SR-71は、嘉手納基地から北ベトナム、ラオスなどに週1-2回飛び、
偵察任務を行っていました。

ベトナム戦争が激化した1972年にはほぼ連日運用されていたといいます。

しかし、これだけ特殊性を持つ金食い虫(というか鳥)のブラックバードは、
アメリカ議会の槍玉に上がり、仕分けの対象になって実戦での運用から引退します。
この頃、人工衛星がそれに変わる偵察手段として主流になっていたことも、
ブラックバードの必要性に疑問が持たれる理由となりました。

その後、ブラックバードは1NASAで各種研究に使用されていましたが、
1998年に正式に退役が決まり、1999年10月9日最後の記念飛行が行われました。

この時、アポロ計画の時の「フライ・ミー・トゥーザ・ムーン」の向こうを張って、
NASAと海軍の関係者が

「バイバイ・ブラックバード」

を歌ったり演奏したかどうかは定かではありません(笑)

Julie London - Bye Bye Blackbird

ブラックバードの元パイロットはこのように「スレッド」を賞賛します。

「敵ミサイル、ミグ戦闘機を一機残らず振り切って、
我々をいつも無事祖国まで連れ帰ってくれた。
有人飛行開始から100年、これほどの名機はほかにない」


ところで朗報です。

ブラックバードを世に出したロッキード社の一部門であるスカンク・ワークスは、
現在、マッハ6で飛ぶSR-72を開発中で、完成は2030年になるという話です。

マッハ6って、これ、人間が乗る必要ある?なんて言っちゃおしまいか。


SR-72もやはりブラックバードの名を受け継ぐどうかはわかりませんが、
(今度は”ハブ”なんていいんじゃないかな)
何れにしても次世代の伝説の誕生を楽しみに待ちたいと思います。

 

続く。

 

 


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