東海岸から西に移動し、サンディエゴの街を一人で楽しんでいます。
このホテルを選んだのは、ホテルグループのメンバーであるからけでなく
ウォーターフロントにあって「ミッドウェイ」まで歩いて行ける距離にあるから。
向かいの敷地は去年工事中でしたが、今年はもうホテルが完成して営業しています。
去年家族で夜、「ミッドウェイ」の電飾を眺めながらアイスクリームを食べた場所には
大きなソファと、炎のでるテーブルが新しく設置されていました。
table fire で検索すると、いろんな商品が出てきます。
前のホテルにもあったし、この一年で流行しているようですね。
さて、沿岸警備隊基地で折り返し、帰り道でこんなものを見てしまいました。
サンディエゴの海沿いには、携帯を持っていればスキャンして使える方式の
自転車や脚蹴り式スクーターが普通に置いてあります。
使用していないのでわかりませんが、時間が決まっていて、
それを過ぎたら動かなくなるとか言う仕組みなのでしょう。
まあ、自分のものにできないので盗っても意味がないのです。
ただ、押して動かすことだけはできるらしく、一度自分の荷物を載せて
自転車を押しているホームレスを見ましたし、こんな風に
重たいのをわざわざ持ち上げて使えなくしてしまう人も存在します。
こんな風に、ステーションでないところに放置する人もいるし・・。
ところで、控えめに写真を撮ったのでわかりにくいですが、
赤いシャツの人はベンチに座ったホームレスになにやらお説教してます。
横を通りかかったとき、
「That's the reason I told you so.」
と聴こえてきたのでそう思ったのですが、もう少し歩くと、
別のホームレスとこの人の連れらしい人が話しているのを見ました。
おそらく彼らはボランティア団体で、ホームレスの人たちに
シェルターに戻るように説得しにきたのではないかと思われました。
ところで、わたしがサンディエゴに滞在することにした理由は
「ミッドウェイ」だけでなく、ここから1時間ほど行ったところに
アメリカに住んでいた時代からの友人と会うためです。
彼女とその夫がサンクレメンテに2年前買ったという、
「海の見える丘の家」に始めてお邪魔してきました。
眺めを遮らないようにベランダの柵は透明です。
リタイアメントした人がこういうところに住みたがるらしく、
隣人のほとんどは老人で、前の住人も奥さんに先立たれ、
ホームに入ったため空きになったということでした。
「近所に、若いときNASAにいて、アポロ13の打ち上げに関わった、
っていうお爺さんがいるんだけど、とてもそんな風に見えない」
羨ましいと思うのはこういう家が普通の人にも買えること。
彼女とは夏アメリカに行くたびに会い、お互いの娘息子の話に始まって、
アメリカや日本の現状や政治問題にも話がおよび、いつも話題がつきませんが、
今回先ほどのホームレスが話題になりました。
「いくらシェルターを用意しても、出てきてしまう人が多いんだって」
「ドロップアウトした人には人間関係がわずらわしかったりするのかな」
彼女によるとサンフランシスコではホームレスが激増していて、
学校の通学路でドラッグをしていたりするそうです。
とはいえわたしも、そういう光景を17年前に都市部で見ましたけどね。
どうやって充電しているのか、携帯を持っている人もいるし、
彼女の妹はホームレスにコーヒーを買ってやったところ、
「人工甘味料じゃなくて砂糖にしてくれ、不味いから」
と言われて呆れた、という話をしていました。
ホームレスを「好きでやっている」人が増えたという感じです。
帰ろうとしたら、彼女の夫が会社から帰ってきました。
「すごい!ポルシェ買ったの?」
「うん・・休みの日は4時間くらいかけて洗車してる」
彼女の夫は日本でも有名なゲームを出している会社の
ビジュアルアーティストをしています。
理想の家に念願の車、22歳の時に移民してきたという彼の
夢(ドリーム)が今にして叶った、というところでしょうか。
さて、サンディエゴの散歩に戻ります。
前には気づかなかったフィギュアヘッドに注目してみました。
さすが映画でイギリス海軍の軍艦を演じただけあって、
女神は剣を持ち兜を身につけています。
こちら「スター・オブ・インディア」のフィギュアヘッド。
この女神もアラスカに行ったのでしょうか。
さて、埠頭の散歩はもう一日、今度は前回と逆に行くことにしました。
ホテルを出て左側、「ミッドウェイ」の方向に歩いていくと、
なんといきなり陸軍の迷彩服姿を目撃!
風景を撮るふりして写真を撮っていると、なおも二人登場。
これは・・・この辺りに軍施設があって出勤してきたんだな。
と思って彼らが歩いて行った方向を探してみると、ありました。
しかし陸軍じゃなくて海軍のオフィスが。
やっぱり海軍で連絡係をしたりする陸軍の人かしら。
「ミッドウェイ」を右手に見ながら歩いていきます。
向こうに見えているのは「セオドア・ルーズベルト」。
「ミッドウェイ」を通り過ぎてすぐ、左手にモニュメントが現れました。
十万にも及ぶ水兵たちが第二次世界大戦で海での戦いに赴いた
おそらくアメリカ合衆国がもっとも一丸となった出来事だったといえよう
これらの若きアメリカ国民は、それぞれの希望や願望を顧みず
家族も、故郷も、仕事も全て投げ捨てて彼らの祖国を守り、
彼らの信じるもののために自らを犠牲として戦った
USS「サンディエゴ」(CL53)の乗員は
歴史的な困難において勝利を納めるために戦った
全ての人々をここに記憶する
モニュメントそのものは「サンディエゴ」の碑、となっています。
何枚かのパネルのように建てられた石碑には、そのうち1枚に
軽巡「サンディエゴ」のスペックと艦歴が記されています。
壁の4面には戦いに斃れた若い水兵たちの名前が刻まれていました。
地面には第二次世界大戦で戦場となった太平洋の戦場名が記されています。
コロナド側の対岸の眺め。
一番右は「カール・ヴィンソン」で、これはホテルからも見えましたが・・、
こちらまで歩いてきて初めて見えてきた給油艦は、
「ヘンリー・J・カイザー」級の14番艦、「グアタルーペ」。
給油専門艦というのがさすがアメリカ海軍です。
あまり見たことがない給油パイプの配列なので拡大してみました。
なんでこんなにたくさんホースがあるんだろう。
「グアタルーペ」に艦尾を向けて繋留してあるのも給油艦で、
T-AO-202の「ユーコン」です。
ロック・バランシングというのはそれだけでアートになっています。
ここにあるのは素人のお遊びですが、プロになると
ものすごいバランスで石を積んでしまいます。
海で亡くなった民間船船員たちの慰霊のために建てられた碑。
・・・・なんですが、なぜ部分的に濡れているのか。
「セオドア」の艦首がこんなに見えてくるところまで歩いてきました。
前方には朝もやでかすかに曇るコロナド・ブリッジが。
到着時飛行機から見た工廠はここをまっすぐ行ったところにあります。
遠目からもそのクリーム色の艦体で民間船だとわかります。
Dole atlantic という名前の通り、
バナナやパイナップルを作って売っている会社の所有コンテナ船ですね。
写真を撮ってから三日後の今、船の位置を調べてみると、
サンディエゴを出航してメキシコ沖を南下していました。
ドール・アトランティックはバハマ船籍です。
C-Tractor というのはタグボートだそうです。
日本の民間や海自のタグより大きいので調べるまでタグだと思いませんでした。
わーい!海軍の哨戒ヘリだ!
全く朝早くから(7時すぎ)ご苦労様なことであるのう。
我が海上自衛隊でも運用しているSH-60の米軍型「シーホーク」だと思われます。
今度は海軍の哨戒艇が現れました。
沿岸のパトロールは一人で行うようです。
どうでもいいけどものすごくラフな格好で任務を行うものですね。
沿岸でダイバー二人を使って何かしている船に近づいて
臨検・・・までいきませんが、チェックをしているようです。
特に問題はなかったようで、哨戒艇はすぐに離れていきました。
この後も観察していると、哨戒艇の乗員は時々虫網みたいなので
海面からしょっちゅう何かを拾い上げているのが見えました。
ゴミ拾いしているんじゃないとしたら、不審物検査かな。
ドールの船の手前で折り返し、帰ってくると
「ミッドウェイ」がこんな風に見えます。
水兵さんの頭に鳩が止まっていてなんかお間抜け(笑)
タイムズスクエアのキスの像は、正確には
「UNCONDITIONAL SURRENDER STATUE」(無条件降伏の像)
っていうんですよ。
誰か知らんがセンスのない名前をつけるものだと思いました。
「ミッドウェイ」の艦尾側は、できるだけ近くから見られるように
木製のデッキを後から増設したようです。
ここを歩いていて、朝日に照らされた「ミッドウェイ」の艦体が
激しくデコボコしているのに気がつきました。
まるで障子みたいですね。
補修していない部分は経年劣化でこうなってしまっているのでしょう。
さて、というわけでサンディエゴの海沿いを二日にわたって歩き、
海軍の街の眺めを堪能しました。
部屋に帰ってテレビを見ていたら、なんとあのトニー・ベネット大先生が、
ダイアナ・クラールと「Nice Work IF You Can Get It」を歌っていました。
トニー・ベネットってそういえばまだ生きてたのね。
最近はレディ・ガガやマイケル・ブーブレなど、実力派とデュエットすることで
いうてはなんですが年齢による声の衰えをカバーしてきた感がありますが、
今回もダイアナとアルバムを出したのでテレビ出演となったようです。
正直この時のスタジオ生演奏も、声の質の残念な感じはぬぐえませんでした。
もちろん92歳と思えば立って歌ってるだけですごいんですけどね。
最後に。
「ジャパニーズ・ビリオネアが付き旅行を計画」というニュース。
ジャパニーズビリオネア、Maezawaとしか言わないので、
あとでネットのニュースを見るまでZOZOタウンの社長だとわかりませんでした。
実はZOZOタウンが何かもわたしはこの時まで知らなかったんですが。
スタジオでは
「どうですか?この話」
「いやー、夢があっていいですねー」
などと話し合っていましたが、かすかに呆れているような、
揶揄するような・・・・、何で稼いだか知らんがなんで今月旅行なのよ?
みたいな調子がが含まれているような気がしたのは
きっとわたしだけではないと思います。