東海岸での滞在を終わり、西海岸に移動しました。
息子の入学をアシストする仕事が終わったら実はもう用事はないのですが、
そこはそれ、せっかく行くのだから色々見学もしてきたいわたしとしては、
サンフランシスコの前に無理くりサンディエゴ訪問の予定を入れました。
アメリカ国内の移動、特に大陸横断は飛行機代が高いのですが、
幸い今回はユナイテッドのポイントだけで
ボストンーサンディエゴーサンフランシスコ
の移動代が皆まかなえてしまう上、カードのポイントが溜まって
去年泊まったミッドウェイ近くのホテルがそれもポイントで泊まれます。
今回も窓際の席を取ったので、これを見ることができました。
ネバダ砂漠の真ん中に作られた人口ファーム、センターピボットです。
なぜ丸いかというと、中心からスプリンクラーが時計の針のように回って
全体に散水しているからです。
地下水をくみ上げて砂漠に農地を作ってしまう、というのは、
誰が考えたかは知らないけど、さすがアメリカ人、という感じです。
一つの円が大きいもので直径1kmはあるらしいのですが、
おそらくこれらを管理しているのは一つの会社かまたは一つの農家。
拡大してよく見ると、円の外側に家があります。
日本の農家とは同じ農業とは思えないほどの違い。
たとえて言えば家内制手工業とプラントという感じでしょうか。
たまたま窓を開けたら、前に移動した時と同じフィヨルド?みたいな地域が見えました。
グランドキャニオンの少し北、ユタとアリゾナ州の州境にある
パウエル湖から出ている河の支線だと前に調べた時にわかりました。
全体的に赤いですが、「赤い河の谷間」という歌にも歌われた
「メサ」が連なっている地域だからです。
メサがあるこの地域に溜まった水はこのような湖の形を作り上げるのです。
ローガン空港を飛び立って6時間、西海岸に到着です。
サンフランシスコ空港近くの塩田が見えてきました。
夏場雨が少ないこの地域では長年この古来からの方法で塩を作っていますが、
蒸発の過程で、海水の塩分の濃度がだんだんと高くなってくると、
この手前のように緑からだんだん赤くなってくるのだそうです。
というわけでサンフランシスコに到着。
時間の関係で、サンディエゴに行くのにサンフランシスコで
乗り換えをしなければいけない便しかなかったのです。
窓から外を見ていると、脱出シュートみたいなものが
飛行機に乗り込むための移動しきゲートから出ているのに気がつきました。
まさか本当に非常時脱出用?
と思ったら、飛行機に載せる荷物をここに放り投げて滑り落としていました。
まじかよ。
アメリカの国内便は小さいので、手荷物でも乗り込む寸前に預けたりしますが、
まさか、パソコンの入ったトランクも、こんなことして積み込んでたの?
軽くショックを受けつつ、それでも投げ落としていたのが
(比喩表現ではなく本当に投げていた)数個だったので、
もしかしたらギリギリにきた人の荷物かもしれないと思い直しました。
そうであってくれ。
というわけでサンフランシスコを離陸。
本当の?雲の下に、サンフランシスコ名物にもなっている
霧を降らせる冷たい雲が二重に出ているところが見られました。
この雲の向こう側は太平洋となりますが、この地域はいつも
このようなクリームのような雲がかかっています。
サンフランシスコからサンディエゴまでは1時間半くらいで到着です。
海軍基地が見えてきました!
これは飛行機が空港を通り過ぎてから海軍基地を左に見る位置で
旋回するため太平洋が左に見えるのです。
画面上方に見えているのは、本土から海軍基地のある
コロナドに伸びている長い砂州で、これを右側に行くと基地です。
思いっきりズームしてみました。
自衛隊のヘリ搭載型護衛艦のようなのが2隻見えます。
苦労してアイランドの文字を読み取ってみたところ、
これらは強襲揚陸艦で、向こうから
LHD-4 「ボクサー」USS Boxer
であることがかろうじてわかりました。
「アメリカ」は「アメリカ」型のネームシップ、
「ボクサー」は「ワスプ」級強襲揚陸艦の4番艦となります。
うおおおおこれは・・・・!
真ん中辺に見えるのって、これ、
なんじゃないですか?
こちらはドックで新造艦建造中と思われ。
一番右など、完璧に覆いで形をわからないようにしてあります。
確かに上空からは丸見えですので。
右から4隻目も「サン・アントニオ」級かな?
サンディエゴ基地には「サンディエゴ」以外に4隻も同級がいます。
飛行機は左に旋回し、滑走路へのアプローチを始めました。
最近までお話ししてきたサンディエゴ海事博物館の帆船や、
「ミッドウェイ」がこんな角度で見えます。
今回前半はヒルトン系のキッチン付きホテル、「ホームスイート」。
地名を「ホテルサークル」といって、今まで何もなかったところを
切り開いて各社ホテルを建て「ホテル村」となっている一角にあります。
ここもほぼ新築で、インテリアもセンスがいいし、ロビーラウンジには
ご覧のような中庭が繋がっていて、今流行りの「テーブルファイヤー」が楽しめます。
この大きなチェス盤は、たまーに真剣に勝負している人がいましたが、
ほとんどは子供の遊び場になっていました。
週2回くらいは「ソーシャルナイト」といって、ロビーラウンジで
ちょっとした食べ物屋飲み物が出されるのも共通。
こんなにお得感がありながら、5つ星の半額くらいのお値段で泊まれるのが
キッチン付きスイートのありがたいところです。
朝食付きも売り物ですが、どこに行っても所詮アメリカなので、
卵料理にポテト・ベーコン、パンケーキなどにフルーツ、ヨーグルトだけ。
野菜はなぜか絶対に出てきません。
三日後、去年泊まった「ミッドウェイ」近くのホテルに移動しました。
チェックインの時に、
「実は去年もこのホテルに泊まったんです」
と言うと、ウェルカムバック!といってアップグレードしてくれました。
カードのポイント利用で取ったホテルなのに、なんか申し訳ない。
「高層階と低いところとどっちがいい?」
と聞かれたので、
「ハイヤー・イズ・ベター!」
と言って15階にアサインしてもらいました。
窓からは「スター・オブ・インディア」と空港が見えます。
そして・・・・。
また逢いに来たよ、ミッドウェイ。
コロナドの岸壁には去年と同じ「カール・ヴィンソン」が。
その隣に「セオドア・ルーズベルト」がいるのも同じ。
艦体のあちらこちらに白い「バンデージ」をつけて修理中です。
次の朝。
6時に起きて外を見てみたら、埠頭沿いの道はたくさん人が歩いたり
自転車で通ったりするトレイルになっていたので、わたしも歩くことにしました。
アメリカについてから、毎日1万歩から多い時で2万歩歩いています。
航空博物館や買い物、モールに行くだけでもたくさん歩くことになるので、
アメリカに行くとわたしは体の調子がとてもよくなるのです。
景色のいい道が近くにないホテルでは、ジムのトレッドミルを利用します。
さすがサンディエゴは海軍の街だけあって、
GIフィルムフェスティバルなどと言うものを街ぐるみでやってしまう。
「スター・オブ・インディア」の帆が朝日を受けて。
こちらは映画「マスター・アンド・コマンダー」で使われた帆船。
後ろにはソ連の潜水艦もいます。
海事博物館の展示の中心となっている蒸気船「バークレー」で
弦楽四重奏の奏でるハイドンを聴きましょう、という企画。
カクテルも出るようです。
特等席は50ドルで、日本の感覚だとこれでも安いですが、
学生と軍人はなんと10ドル。
アメリカでは普通にミリタリーサービスに就いている人は優遇されていて、
例えば飛行機などでもプライオリティシートの前に搭乗することができます。
ここでもお話しした実験潜水艦「ドルフィン」には、
WORLD'S MOST DEEPEST SUBMARINE
(世界で最も深く潜水した潜水艦)
と看板がありました。
あれ?こんなのあったっけ・・・?
去年も一昨年も気づきませんでした。
PCF 816
PCFとは「パトロール・クラフト・ファースト」のことで、
ベトナム戦争で哨戒を行った時には「スウィフト・ボート」と呼ばれていました。
このボートは一度アメリカ海軍からマルタ海軍に貸与されていたのですが、
マルタからサンディエゴの博物館に寄贈されて今日に至ります。
PCF-816, Vietnam Riverine boat passes USS Ronald Reagan, Oiler, and pleasure craft on San Diego Bay.
かつてメコン川を哨戒していたボートが元気にサンディエゴ湾を航行しています。
さらに海沿いを歩いていきます。
この辺りには個人がヨットを繋留するヨットハーバーがあります。
ここは向かいのコロナドが防波堤の役目をするため、
全く波がない、ハーバーには最適の場所となっているのです。
ヨット越しに空母が見える、これがサンディエゴ。
歩いていくと、沿岸警備隊の飛行隊基地が現れます。
ゴミが散らかり放題ですが、この辺にはホームレスも多く、
彼らの生活の残渣がそこここに散乱しているのです。
気候が穏やかで街が豊かだと、当然のようにホームレスが集まってきて
観光地でも御構い無しに、いやだからこそ住み着いてしまうんですね。
緑のボックスに落書きをしたのも彼らだと思うのですが、
”UFCK”
ってなんだよ・・・(笑)
結構文盲の人も多いっていうからなあ・・・。
U.S. COAST GUARD SECTO SAN DIEGO
セクトって新左翼か?と思ったら、単にSECTORの「R」が
白く塗られていて見えなくなっているだけでした。
コーストガードは、所在地の前に「セクター」をつけて、
陸上のオペレーション基地を、
「コーストガード・セクター・サンフランシスコ」
などと称します。
何か有名なカッター(コーストガードの艦船)のスクリューかと思ったら、
横のプレートには非常にわかりにくい亀の甲文字で
「 SEMPER PARATUS ALWAYS READY」(常に備えあり)
という沿岸警備隊のモットーに挟まれて、
1790年に始まった歴史が200年目を迎えた1990年、
この間に沿岸警備隊で任務に就いた人々を讃えるために、
このモニュメントが作られた、と言うことが書いてありました。
わたしはこの日ここでちょうど30分歩いたので、折り返すことにして、
ホテルに帰り、この日は3度目になる「ミッドウェイ」見学に出かけました。
続く。