Quantcast
Channel: ネイビーブルーに恋をして
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

ポイント・ボニータのメンデル砲台〜サンフランシスコ・ゴールデンゲートパーク

$
0
0

ナイキミサイル・サイトを出発し、わたしはとにかく
ゴールデンゲートパークの一つのポイントにもなっている
崖沿いのドライブウェイを走っていくことにしました。

昔、そこから一本道の一方通行になる手前で引き返してしまい、
ちょっと後悔していたこともあり、一人で行ってみることにしたのです。

よく人に「よくどこにでも車で出かけられるね」と、
特に女性からいわれるわたしですが、進んで止まる機能が付いているなら
ニューヨークのど真ん中だろうがアラスカだろうが、道のあるところは
どこだって車があれば出かけていきます。

崖沿いの一本道だって、観光地ならなんてことはありません。

今回もロス在住の女性から、サンフランシスコの中心街とか、
東京で運転するなんてすごい、と感心されてしまったのですが、
わたしにいわせれば、ニューヨークに乗り入れる時の高速車線移動や
霧の八甲田山中と比べれば、大抵の都心なんて全く恐るに足らずです。

ちなみにそんなわたしが唯一運転しながら死ぬほど怖かったのが、
モントリオールからの帰り、スノータイヤも履いていないのに
雪の高速を延々と走らねばならず、大型車が通り過ぎるたびに
フロントガラスに大量の雪氷をぶつけられたときでした。

さて、それでは崖沿いに走るシーニックドライブウェイに突入します。

道は狭いですが、中国のみたいに舗装していない崖道というわけではなく、
アメリカには珍しく、低いとはいえガードレールもついています。

後ろから車が来ないので、停止して写真を撮ることもできました。

霧が濃いと、流石の観光客もこちらではなく、
左側のブリッジに戻る道を選んでしまうようです。

海沿いの道からいきなり左側にバッテリー、砲台跡が現れました。
砲台には手前にまるでパーキングのようなスペースがあるので、
ここに車を停めてみることにしました。

階段を上がってみる。

ここは「バッテリー・ラスボーン(Rathbone)」といい、
1905年に建造され、1948年に廃止されました。

グーグルマップによる上空から見たラスボーン砲台。
左から#1から#4まで番号が打たれており、
わたしが車を停めたのは#2砲台だったと思います。

M1900という高速砲がマウントされており、
山の斜面に乗せるのではなく、くり抜く形で設置したのは
反撃を受けた時の防御のためです。

その名前は1812年にカナダで亡くなった米陸軍砲兵隊の
サミュエル・ラスボーンから取られました。

砲台の上からは崖の斜面まで行くことができます。
日本なら崖沿いに柵を作ってしまうところですが、
ここではもし落ちたとしても「自分が悪い」で終わってしまいます。

ベンチから3mも行くと、そこは崖です。

時間があればこんなベンチに座って海を見るのもいいかもしれません。
ただし大抵ここは猛烈に風が強くて寒いです。

わたしが近寄れるのはせいぜいここまで。



砲座と砲座の間は繋がっているところもあります。
ここは通路だったと思いますが、向こう側には
パウダールーム(火薬室)や貯蔵室などに使用されていました。

ちゃんと独立した建物のトイレも設置されていたそうです。

バッテリーの名前は「ラスボーン・マッキンドー」になっています。

ラスボーン命名から100年経って第一次世界大戦の時、フランスで戦死した
兵士、マッキンドーの名前を砲台に残そうということになったものの、
いくら100年前の人とはいえラスボーンの名前を消してしまうのも如何なものか、
ということで#1 と2をラスボーン、残りをマッキンドーということにしました。

第二次世界大戦中は、

「砲台はゴールデンゲートの外側に設置された地雷によって守られていた」

と書かれています。
ここから最終的に砲が撤去されたのは1948年になってからでした。

さて、さらにそこからコンツェルマンロードという一本道を
どんどん岬に向かって走って行くと、車で行ける一番端っこに、
面妖な構造物がありました。

なんの説明もないので何に使われたのかさっぱりわかりません。
全集周りを回って見ましたが、どこからも出入りしたり
何かを出し入れするような場所が見つからないのです。

ちなみにこれがグーグルマップの画像。
世界共通で同じような字を書く落書き隊の餌食になっております。

さて、そこからは車で進めないので、適当に周りを歩いてみることにしました。

赤土の道を歩いていくと、立派な?砲台跡が現れました。
これは

 Battery Mendel

といい、サンフランシスコ、ソーサリートの西端を守る位置にあり、
これまで見たどのバッテリーよりも建物の点で大掛かりです。

今までのバッテリーの名前が基本戦死した兵士だったのに、

 George H Mendel ジョージ・H・メンデル大佐

という比較的高位の技術将校の名前が附されています。

メンデル砲台の前に立つと見える景色がこれ。
向かいにもバッテリーが一つ見えますね。

これはバッテリー・ウォラース(Wallace)といい、同じ大きさの
砲台がもう少し右に設置してあるそうです。

手前の山のせいでここからは一つしか見えませんでした。

ここも自由に立ち入りできる模様。
「off-limits」と書かれた印の下の鉄の扉は錆びて
もういたるところに穴が開いています。

リンク先を見ていただければわかりますが、これが作られたのは
1905年、つまり100年経つと金属はこうなるのです。

ここはおそらく弾薬庫かあるいは火薬庫だったのでしょう。

階段を上がってみると、砲台跡が現れました。

はて、ここにどんな砲がどうやって設置されていたんだろう。

答えはリンク先にもあった、これ。
砲撃するときだけ砲がスィング式で持ち上がる仕組みです。
しかしここに設置するくらいだから大きかったんだろうな。

と思ったら写真発見。

おそらくわたしの写真と全く同じところで撮られたものです。
ベツレヘム・スチール・カンパニー製のM1895A4、
12インチ・ブリーチ・ローディング・ライフルである、
と説明には書いてありました。

構造物の見張り所だったらしい部分に上がって行くことにしました。

横長の見張り窓にはガラスなどが嵌っていた形跡はありません。
もっとも100年経っているので元がどうだったかは想像するしかありませんが。

ところで・・・・あれ?

左側にこのブログでもお話ししたことのある「あれ」が。

キルロイがここにいた!(笑)

「キルロイ・ワズ・ヒア」のミームと落書きについては
もしご興味がありましたらこの過去ログ後半部分をお読みください。

「キルロイはここにいた」〜重巡洋艦「セーラム」

一番高いところにも上がってみました。

この木の階段はあとで観光客用に付けられたのだと思います。

砲台の最上階に上がると、そこは地面と繋がっています。
フラフラ歩いて行く人が結構いたのか、アメリカには珍しく
これ以上は崖に近づけないように柵が設置してありました。

もう一つの見張り台にはロナルドさんの名前の落書き入り。

歴史の遺跡に落書きをするなよなー。

ここがソーサリート側の最西端となります。
海の向こうは日本。

サンフランシスコの高地でよくみる鮮やかな色の草が崖を覆っています。

ゴールデンゲートブリッジの方向を振り向いたところ。

砲台をら元来た道を戻るところにあった空気抜きの土管付きの小山。

グーグルアースで確認すると、見えないところに建物跡がありました。
おそらく、この建物から入って行く土中は火薬庫になっていたのでしょう。

先ほどの二つの土まんじゅうから先端に行くとそこに灯台があります。
灯台はゴールデンゲート海峡を通る船の航行の安全のために
1855年に作られてそれ以来ずっと稼働しています。

「カリフォルニアにゴールドラッシュでやって来た人たち、
太平洋やフィリピンに戦いに向かう海軍の艦隊、
そしてアメリカにやってくる何万人もの移民たち・・・。
灯台はずっとここにあってサンフランシスコの歴史を見てきました」

かつて、この岬からは海難救助隊の船が漕ぎ出していました。

そういえば、もう少し灯台側に歩いて行った道から見えた桟橋の遺跡。
これはかつて海難救助船のステーションだったのではないでしょうか。

今ではこの場所には人が陸から立ち寄るすべもありません。

ちなみに紫の丸が、この看板の設置してあった場所です。
先日お話したナイキミサイルサイトも実はこのすぐ近くになります。

さすがアメリカ、こんなところでも携帯が使えるスポットが
ちゃんと用意されていました。

ここから先には歩いて行くことしかできません。

道も舗装されていませんが、なぜかこんなところにもベンチがあります。
灯台のための電気を送るための電柱があります。

灯台のあるところに行くにはこの橋を渡ります。
岩をくりぬいたトンネルにはなぜか扉があって、
灯台に行くにはそこをくぐり抜けねばなりませんが、
トンネルがオープンしているのは日曜の12時半から3時半までのみ。

この日も扉が閉まっていて、灯台にいる人のであろう車が
扉の前に停まっていました。

この写真に写っているゲイカップルは扉の前まで行ってみたようです。

トンネルをくぐって行く人に対して、

「我々の遺産と自然環境を守るため、
とるのは写真だけ、残すのは足跡だけにしてください。
全ての自然の、そして文化遺産を未来に残しましょう」

と注意書きがありました。

ふと崖の上の方を見ると、一部真っ赤な部分が。
先ほどの植物がここにだけ生えているのでしょうか。
それとも・・?

改めて最西端からブリッジを眺める。

ところであんなところに家と庭がありますね。

ズームして見てびっくり。
建物の柵の中に鹿がいっぱいいるではないですか。
別の日にここに来た時、ジャッカルも見たので、もしかして
これは鹿を保護するセンターか何かかな。

解像度すげー!
改めて28−300mmのレンズの優秀さを知りました。

一方通行なので、サンフランシスコ方面に帰ろうとすると道は一つしかありません。
さっき通ったナイキサイトの崖の上の陸軍砲兵部隊の隊舎跡を見ながら、
ゴールデンゲートのポイント・ボニータを後にしました。

 

続く。

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>