サンディエゴの「ミッドウェイ」シリーズ、再開です。
2016年と17年、続いて見学をして、ようやく艦橋を残す
全部を見学することができました。
サンディエゴでの用事が終わって、ようやく見学の時間が取れることになり、
わたしは今度こそ一人で思う存分「ミッドウェイ」に浸ろうとホテルを出ました。
グーグルでは「ホテルから6分」とありますが、ご覧のような広場ができているので
実際には3分くらいの感じです。
この道は「ブロードウェイ・ピア」につながるのでブロードウェイと言いますが、
名前の由来はニューヨークのではなく、直接は軍艦の中の、
食堂などにつながる交通の多い通路をこう呼ぶからではないかと思います。
だって、隣が「ネイビー・ピア」なんですからね。
ネイビー・ピアからは各種軍港めぐりの遊覧船や、向かいのコロナドと
こちらを繋いでいるフェリーが発着します。
コロナドにはブリッジで行くことができますが、大回りなので
こちらを通勤に使う海軍の人も多いでしょう。
江田島の第一術科学校を海軍基地と考えた場合、早瀬大橋に相当するのが
コロナド・ブリッジと考えていただくとわかりやすいです。
しかし考えれば考えるほど、コロナドと江田島は似ています。
「ADMIRAL HORNBLOWER」・・・・
しばらくこの船名を見ていて、
「なぜわたしこの名前を知っているんだろう・・・・」
お節介船屋さんに教えていただいたこれでした。
ホーンブロワーは平民にも関わらず、最終的には
アドミラル、元帥になり、男爵位まで授けられています。
ちなみに本場イギリスでテレビシリーズ化された時、
ホーンブロワーの役は「ファンタスティック4」のゴム人間役、いや
「タイタニック」でロウ航海士役をしたヨアン・グリフィズでした。
これ合ってるような気がする。観てみたいなあ。
さーて、今年もやってきたよ「ミッドウェイ」。
アプローチまで、重複になることも多いけど我慢してください。
艦尾には「ファンテイル・カフェ」というカフェがあって、
ちょうどこの写真でもパラソルが見えています。
「ファンテイル」とは扇型の鳥の尾のことです。
さて、エントランスに向かいましょう、と歩き出して、ふと
左手に人の姿を見たような気がして振り返ると・・・・・。
こんなところで語らう水兵さん二人の仲睦まじい姿あり。
配慮して白人とアフリカ系のマネキンです。
最初の年は家族とジョアンナが一緒だったので、立ち止まることもなく
気づきもしなかったのですが、ここに人形がいるのをこの瞬間に初めて知りました。
左の白人は口ひげをは生やしていて、名前が「CRISTOPH」
である事まで望遠レンズでわかってしまうのだった。
手前に貼られた「COMAR」というシールはよくわからないのですが、
この部分に出資した会社ではないかと思われます。
ネットで調べたのですが同名の会社があまりに多くて、どの会社かわかりません。
USS MIDWAY CV-41と書かれたところがハンガーデッキにつながる入り口です。
まな板みたいなデッキからはこれでもかと艦体に繋留がかけられて固定されています。
入館するための階段に貼ってあったバナー。
現役時代、登舷礼を行っている「ミッドウェイ」の雄姿です。
艦首の「鼻面」部分に飾りがついている気がしますね。
海に向かって突き出すように出ている二つの滑り台みたいなのは、
現在柵で囲われているので先まで降りることができます。
艦首に一列になって立っているのは海兵隊員たち。
「ミッドウェイ」を守るのは俺たち、といいたげに最前列を固めています。
見ていると「錨を上げて」が聞こえてきそうです。
前にもご紹介しましたが、画質がいい写真をもう一度あげておきます。
カラーと白黒写真が対になって「今昔」を表すという趣向です。
「今」の男の子が甲板で発進ポーズを一緒に取っているのは
写真ではわかりませんが、実は甲板に常設してある人形なのです。
このことも実際に甲板に上がった今年初めて知りました。
一番右のシューターが発進させているのは「グラウラー」(かプラウラー)ですね。
トラクターでコンテナを積み込んでいる現場に遭遇しました。
こちらの「はたらくくるま」のメーカーは「キャタピラー」という
アメリカ本社の多国籍企業の製品であることが多いです。
これも今回改めて知ったのですが、わたしたちが普通
「キャタピラー」
と呼んでいるところの履帯は実は「ホッチキス」や「セロテープ」
「エスカレーター」「宅急便」「パーソナルコンピュータ」と同じく、
一般名詞化している商品名で、その心はキャタピラー社が作ったからです。
ついでに「宅急便」はヤマト運輸が登録した名称で、一般名称は「宅配便」。
「エスカレーター」はオーティス社の製品名で、1925年に権利を放棄し一般名称になりました。
そして「パーソナルコンピュータ」という言葉を作ったのはスティーブ・ジョブズです。
艦載機用のエレベータを昇降させず、コンテナを持ち上げるんだ・・・。
エレベータが固定されているのはハンガーデッキ階で、ここには
各種カフェや売店がありますから、商品の補充などでしょっちゅう
コンテナによる運搬を行うのでしょう。
チケット売り場の付近から見上げてみました。
「ミッドウェイ」の受けた功労章は
白文字に影付のE 武器・戦術・作戦遂行等において最高評価
黄色のE 水上艦の安全優秀賞
緑のE 水上艦戦闘情報センター優秀賞
赤のDC ダメージコントロール優秀賞
緑のC コミュニケーション部門優秀賞
白の舵輪 ナビゲーション優秀賞
となります。
ただしこれらの賞は毎年更新なので、前年度受賞しても翌年
条件を満たさなければ剥奪され、消さねばなりません。
よくEの下に何本も線が引いてあったりするのを見ますが、これは
毎年受賞した場合、線を描き足していった形跡です。
「ミッドウェイ」は現役艦ではないのでこれらの賞は無効のはずですが、
やはりアメリカの軍艦としてここが何もなしなのはかっこ悪い、という理由で
(多分ですけど)取ったことのあるマークを再現したのではないでしょうか。
あくまでも想像なので、違ってたらごめんなさい。
前も同じような写真をお見せしたかと思いますが、もう一度。
ここをくぐると、横須賀の「三笠」のラッタルを上がる時と同様、
どこからともなく号笛の音が聴こえてきます。
水兵さんがホヒーホーと吹鳴するボースンズコール、そして
海軍士官の敬礼は乗艦するあなたに送られているもの、という設定です。
通路から左手を見るとこのような眺めとなります。
出っ張りの「1」は艦載機のエレベーター番号でしょうか。
そこからは大きなクレーン・デリックが見えますが、かつては
これがボートを海面に降ろすのに使われたのだと思われます。
エントランスの前に時鐘があります。
拡大してみると無数の傷が年月を感じさせます。
1945年の就役以来退役までの50年間、一貫して使われてきた時鐘です。
エントランスを入ったところについては以前もご紹介しましたが、
今年はパネルもちゃんと撮影してきましたよ。
「ミッドウェイ」の甲板は一度大改修して現在の形になっています。
上が1955年に行われた改装まで。
まな板を乗せたようなまっすぐな甲板から、下の現在の形、
アングルド・フライト・デッキを採用したものに変更されました。
このアングルド・デッキを採用した最初の空母になったようです。
去年は気づかなかった、あるいはなかった「頻繁な風」作戦の展示が!
ベトナム戦争の撤退の時に人命のために海にヘリをぽんぽん捨てた、あれですよあれ。
モニターでは作戦の時に現役だったベテランが思い出を語っていますが、
モニター下部に当時の「ミッドウェイ」艦長だった
ローレンス・チェンバーズ(Lawrence Chambers)1929〜
の写真が見えます。
この人が、北ベトナム軍の軍人とその家族の乗った軽飛行機の着艦を
許可したというわけですが、実はチャンバース中佐、
アフリカ系アメリカ人で初めて海軍空母の司令官となった人物でもあります。
確かにアフリカ系の顔ですが、目の色とかに白人種の遺伝子が見えます。
チャンバースはその後中将まで昇進しています。
昔から同じフネに載せてきた関係で、アフリカ系に対する差別は陸ほどではない、
という(陸軍はセグレゲート、つまり部隊を分けていた)海軍ですが、
それでも黒人が白人部隊を率いるようになったのはかなり最近のことです。
前に撮ったのと違う角度で、「頻繁な風作戦」の時「ミッドウェイ」に
着陸を要請した北ベトナム軍の軽飛行機を撮ると、新しい発見がありました。
なんと、ベトナム人パイロットブワン軍曹とと女性(奥さん)の姿が!
ちゃんとマネキンを乗せて再現していたんですね。
「ミッドウェイ」については、まだまだ「行きつ戻りつ」
新しく気づいたことを加えながらお話しするつもりですので、
どうかのんびりお付き合いください。
続く。