1964年、航空自衛隊の全面協力のもとに製作されたパイロットものです。
昔DVDが発売になってすぐに買って観たのですが、その時には
それほどとも思わなかったこの映画のツッコミどころに
今回大いに笑わせていただきました。
それだけ当社比で自衛隊についての理解と知識が増えたってことでしょう。
ストーリーのしょうもなさはさておき、当時の自衛隊基地や
航空機の実写映像が見られるある意味お宝映画です。
さて、映画は、とても制限時速などなさそうな農道をバイクでぶっ飛ばす、
三橋達也扮する新任の隊長を、警官が捕まえるところから始まります。
「あんた今何キロ出してた?」
「1200キロ」
「せんにひゃっきろ〜?」
かのように、全く面白くもおかしくもない滑りまくりのギャグ満載。
脚本があの須崎勝彌であることを考えると納得です。
まずタイトルロールの最初に、各支援団体名がずらずらと出てきます。
浜松北基地 第一航空団
千歳基地 第二航空団
小牧基地 第三航空団
清水浜基地 第十五飛行教育団
輸送航空団
保安管制気象団
航空救難群
第一術科学校 第20課学校
特別飛行研究班 ブルーインパルス
ブルー・インパルスの正式名は、発足時は「空中機動研究班」で、
その後この「特別飛行研究班」となり、現在は「戦技研究班」となっています。
さて、三橋が隊長として赴任してきたのは、「タイガー部隊」というニックネームの戦闘機班。
三上一尉、(佐藤充)小村二尉、佐々二尉、風間三尉の四名は、
技量が高く「選ばれしエリートパイロット」という設定ですが、
破天荒な三上のせいで「荒くれ者」と呼ばれています。
うーん・・戦後自衛隊における「荒くれ者」とは。
「おいみんな、調子はどうだ」
「爽快爽快!」
「大いにハッスルしとります」
「それならいっちょいこうか!レッツゴー!」
「地球を蹴っ飛ばすぞ!」
「音速突破ー!」
そして宙返りしたりコルクスクリューや上むき空中開花を行なったり。
このあたり、ブルーインパルス(この少し前に結成)の全面協力によって
ここぞと戦技が披露されます。
ってか自衛隊がこんなふざけた態度で訓練するか!といきなりツッコミ全開です。
「地球を蹴っ飛ばす」
というのは三上の決め台詞なのですが、当方ついうっかり、
冒頭のイラストで
「地球をぶっ飛ばす」
と書いてしまいました。
でも直すのが面倒なのでそのままにしときます<(_ _)>
それから、しょっぱなからBGMがものすごくヘンです。
なんかいかにも素人が思いつきで作ったようなヘンなメロディで、
個人的には最後までこれにはもやっとさせられっぱなしでした。
こちらレコードをかけてパイロットの皆様の帰りをお待ちする食堂の看板娘。
「チキンフライにサーモンステーキ、コーンスープの取り合わせで
皆様のお帰りをお待ちしております。オールパイロット、グッドラック、オーバー」
どうやらこの娘(星由里子)、パイロットしか眼中になさそうです。
きっとこの空自の食堂で働いているのも、パイロット狙いでしょう。
努力の甲斐あってアフターはパイロット4人に囲まれて女王様気分を満喫しています。
小村(夏木陽介)と佐々の二人をメロメロにさせることに成功し、
彼らを張り合わせて今どちらにするか吟味しているところです。
しかしこの宴会、制服を着たまま浜辺でピクニック、しかも「デカンショ節」って・・。
いくらなんでも昭和30年代にこの海軍のレスみたいなノリは如何なものか。
と思ったら脚本は須崎勝彌でした。
散々訓練ではしゃぎ、ゲラゲラ笑いながら飛行機から降りてきた4人の前に、
いきなり新任の隊長が立ちふさがりました。
「どうだった今日のフライトは」
「まあまあっすね」
「ふざけるな!
平気で制限空域はオーバーする、燃料ギリギリで滑り込んできて得意になる、
見世物小屋の芸人根性もいいところだ」
「あのーちょっと伺いますがどなた様でしょうか」
二佐の制服を着た人に向かってどなた様って・・。
というか、こんな自衛官がいるかー!
と思ったら脚本は須崎勝彌でした。
三橋隊長は、着任早々基地司令から
「F-104に乗ることのできるF-86のパイロットがは1000人に一人」
と脅かされ、これではいかん!と鬼隊長になるつもりで張り切っているのですが、
1000人に一人って・・・86Fのパイロットってそんなにいる?
この映画に空自が全面協力した背景には、導入間近だったF-104を宣伝し、
世間に広く知らしめるという思惑が絡んでいたようで、こんなセリフも飛び出します。
「とにかく人間が乗る最後の戦闘機とまで言われているんです」
これはF-104が当初「最後の有人飛行機」と呼ばれていたことをいうのですが、
実はこのような呼び方をしていたのは日本だけで、今ではこれは
「The Ultimate Manned Fighter 」(究極の有人戦闘機)
の誤訳だとされていますね。
(というか、どう見ても『最後の』という意味はないんですが)
ともあれ、このキャッチフレーズ、もしかしたら当時の航空自衛隊が
宣伝のためにあえて曲訳したんじゃないかとわたしは疑ってます(笑)
タイガー部隊なので、彼らは互いのタックネームを「タイガ−1」から4と名乗っており、
ヘルメットには中華風味の虎の絵が描いてあって、
「フライングタイガースか?」
とツッコんでしまったわけですが、まんざらこの映画とフライングタイガースは
無関係でもないのです。
彼らが乗ることになっているF-104は実はこの映画公開の1962年当時、
まだ日本に導入されていませんでした。
前年度の1961年、
フライング・タイガー・ライン(フライングタイガースの残党が作った会社)
のCL-44で
空輸されてきているのです。
さて、鬼隊長がそのタイガースを率いて最初に行なった訓練飛行で事故発生。
風間三尉の飛行機がきりもみ状態に入ってしまったのです。
隊長は舵をニュートラルに入れるように叫びますが風間テンパって聞く耳持たず。
そうこうするうちキャノピーが吹き飛ばされ、操縦桿から風間の手が離れた途端、
ギアはニュートラルに入ってあら不思議、機は立ち直りました。
(´・ω・`)ショボーンとする風間。
ベイルアウトを命ずるべきだったのにそれをせず、
風間を危険な目に合わせた、と隊長に食ってかかる三上。
ベイルアウトというのは最後の手段。
機体を失い当人も無傷ではすまないのでどちらが安全かは微妙ですが、
三上を「反抗キャラ」にするため、あえてこんなことを言わせています。
そんなある日、食堂でアイスクリームを食べようとしていた隊員たちの耳に
突如新型機F-104の爆音が聴こえてきました。
アイスを配っていた食堂従業員由紀は皆が自分を放ったらかして出て行ったので
ほっぺたを膨らませてブンむくれ。というかなんなんだよこの女。
と思ったら脚本は須崎(略)
滑走路を失踪してくる「人間が乗る最後の戦闘機」(笑)
ちなみにこの時の音楽もすごく変です。
どうヘンかというと、メロディの起承転結が無茶苦茶。
音楽の基礎が全くできていない人が作ったとしか思えません。
基地中の隊員が集まってくる中、F-104から颯爽と降り立ったのは・・・・
平田満(様)ではありませんか!
久しぶりなので紹介しておくと、平田満(様)は陸軍士官学校卒、
戦後は東京大学に学ばれその後俳優になったという経歴で、
デビュー当時から軍医といえば平田、平田といえば軍医、というくらい、
何かとインテリな軍人の役を演じてきた俳優さんです。
今回は、千歳基地でF-104部隊の教官をする予定の潮三佐役。
そしてここでもF-104のマニアックな紹介が台本に挿入されております。
潮三佐、物珍しげに翼を触っている佐々二尉をいきなり
「あぶなーい!」
と突き飛ばし、
「なまくらな刀よりよっぽど切れるからな!」
翼を触っている人を突き飛ばす方がずっと危ないと思うがどうか。
F-104の主翼は、超音速飛行のために極限までに薄く設計されたため(O.41mm)
作業員の安全対策として翼には保護材を設置せねばならなくなったといわれています。
ちなみに実際にはこの映画が製作されていた当時、まだF-104は導入段階で
国内でノックダウン生産が開始されていた時期に相当します。
ということは、平田満(様)が乗ってきたこのスターファイターは
最初にフライングタイガースの残党が運んできたアメリカ製の3機のどれか、
ということになります。
さて、場面は代わり、自衛隊主催の夏祭りで、恋敵同士のパイロット二人に伴奏をさせ、
ヘンな歌(与三郎さん怒る気持ちはわかるけどゆすりたかりはご法度よ以下略
とかいう歌詞)を得意げに歌う食堂の娘。
左側の演目には「流行歌」と書かれています。
歌詞でググってみると、畠山みどりの「ちょうど時間となりました」で、
映画公開時のヒット曲だったようです。
三上は、風間が隊長の家に行って連れてきた娘(酒井和歌子)に
「あたし好きだわ三上さんみたいな人」
「三上さんもあたしのこと好きなんでしょ」
とか初対面で言われてあっけに取られます。
酒井和歌子はデビューしたばかりで、この時役柄と同じ15歳です。
15歳の娘がいうセリフか?と思いますが須崎作品なので仕方ありません。
風間のスランプは続いていました。
次の訓練飛行でまたもやめまいを起こし・・・
これがその時の風間の心象風景(笑)
ついにテイクオフもできなくなってしまったのです。
ところが機附長(中丸忠雄)がパイロットに不安を与えるのはメカニックのせいだ!
とあさっての解釈をして皆に説教を始めたので、たまりかねた風間は
「怖かったんです!」
とカミングアウトしてしまいました。
さて、飛べなくなったパイロットをどうするか。
幹部会議の席で、短絡思考の三上が
「隊長じゃダメだから、わたしになんとかさせてください」
としゃしゃり出てきました。
またこういう三上に対し、藤田進の基地司令、
「それではお手並み拝見しよう」
とか実際にはありえないことを言いだすんだな。
ちなみにこの映画の撮影が行われたある空自基地の司令は、かつて海軍時代に
エースと呼ばれたこともあるようなパイロット出身の自衛官だったそうですが、
この時の藤田のことを、
「司令室に座っている藤田さんはわたしなどよりずっと貫禄があって圧倒された」
と述懐しています。
教育係を買って出た三上、何をするかというと、後部座席に乗って後ろからヤイヤイ騒ぐだけ。
三日という期限内になんとかしようと焦って、
「どうしてお前はそうダメなやつになっちまったんだ。しばらく考えとけ」
一番言ってはいけなそうなことを言いまくるものだから、
案の定耐えきれなくなった風間は、パイロットを辞めると宣言してしまいました。
辞めたパイロットに食わす飯はねえ!ということなのか(笑)
空自基地はその日から風間の食事を差し止めにしてしまいました。
上からもう風間の食事は作らなくてもいい、と言われたので
食堂の一従業員に過ぎない由紀がその通りにしたら、今度は小村が
一従業員に過ぎない彼女を怒鳴りつけにやってきます。
「パイロットの皆様空から無事に帰ってどうかわたしの食事を食べてください?
まるで天使みたいなこと言って自分でさっさと食事を引っ込める。冗談じゃねーよ」
食堂の一従業員に対し八つ当たりもいいところですし、何言ってるかわかりませんが、
脚本が須崎勝彌なのでわたしは全く驚きません。
激怒した小村は隊長と司令に風間を辞めさせるな!と食ってかかります。
だから辞めさせられたんじゃないってばー。
仕方ない、こうなったらわしがなんとかしちゃる。
と隊長が後部座席に乗ってご指導ご鞭撻を行うことにしました。
仕様機は昔懐かしの練習機、ノースアメリカンT-6 テキサンです。
全編に登場する管制の英語が実に本物っぽい。
これもしかしたら本物の自衛官だったんじゃないでしょうか。
で、隊長、何をするかというと、
「自信をつけてやる」
と言い残して後部座席から飛び降りてしまいました。
しばらく操縦していてふと後ろに誰もいないのに気づく風間。
あれ?俺操縦できてるじゃね?ってか?
あのさー。
子供の自転車の稽古じゃないんだから・・・。
しかも落下傘降下した際骨折するという。
お断りしておきますが、二等空佐です。
あまりの展開に呆然とする基地のみなさん。
でも、なぜか風間はこれで完璧に立ち直り、ちゃんと操縦できるようになるのです。
調子こいて着陸せずタッチアンドゴーでもう一回テイクオフしていく風間。
タイガースの残りの三人は追いかけていって合流し、大空を縦横に駆け巡ります。
ちょっとフリーダムすぎませんかね。いくら空自でも。
そして、航空自衛隊はここぞと編隊飛行シーンを投入してきます。
まずは富士山をバックに、全国の名所案内の始まり始まり。
いつの間にか飛行機が86Fに変わっていることは言いっこなしだ。
富士山の噴火口を見せるというサービスぶり。
日本アルプス。
槍ヶ岳。
神戸。
画像上部に見えているのは、当時まだ埋め立て工事中だった現六甲アイランドです。
瀬戸内海。
この後、関門海峡や阿蘇山まで行ってしまうタイガー部隊でした。
後半に続く。