さて、それでは改めて幹部候補生学校卒業式についてお話しします。
ただし、その前日からのツァー行程については、練習艦隊関連記事が
すんでからということで。
バスが幹部候補生学校前に到着しました。
運転手さんが左折できなくて困っています。
学校の看板と一緒に撮影をするのに列を作る卒業生と家族、
その人たちにクラクションを鳴らすのを躊躇ったからでした。
しばらく待っていると、警衛の自衛官が飛んできて、
とりあえず車道から彼らを退けてくれました。
バスでこの門を入っていくのもよく考えたら初めての経験です。
この日わたしにとってもここは「裏門」で、結局
表桟橋から江田島を離れていくことになったので、この時が実質
ここを通過した最後となりました。
前回二階の貴賓室を見学した時に入った「お車寄」のある入り口には、
今日は本当の来賓がくるので人員が配置されています。
バスに乗ったまま赤煉瓦の生徒館前に来るのも初めての経験。
生徒館前の砂には、候補生たちが最後に甲板清掃でつけた目立ての跡が
まだつけられて間も無いので、完璧に残っています。
赤煉瓦正面でバスを降りて誘導されながら歩いていくと、
入り口右側に人々が列を作っていたわけがわかりました。
皆この看板の前で記念写真を撮っているのです。
前回言い忘れましたが、この看板は、
「最後の海軍兵学校生徒」
となった皇族出身の久邇邦夫氏の揮毫によるものです。
赤煉瓦の生徒館、正面入り口から入って右手にあるドアに
「当直室」とあるのに気がつきました。
当直士官らの待機場となっているのだと思われます。
ホールで赤いリボンを配られました。(名前入り)
「ほー、これをつけるのかね」
と覗き込んでいるのは、自民党の議員先生です。
「これが同期の桜と呼ばれています」
その後、「同期の桜」が元々は「二輪の桜」という題名だったことなど
その桜を目の前にしながら術科学校副校長の説明を受けました。
桜の右側の無粋な電気室は、議員先生のシルエットで隠れました(笑)
前回も今回の説明でも全く触れられませんでしたが、赤煉瓦を出てすぐ、
術科学校との間の道沿いにあの天一号作戦で散華した伊藤整一海軍大将(最終)
の東京の自宅の庭から移植した「父子桜」があります。
ご存知のように、航空士官だった伊藤中将の息子は、掩護機に乗って
父の最期を見送ってから三週間後、特攻隊として出撃戦死しました。
構内いたるところに見られる候補生が家族を案内しているの図。
ここで学ぶのが1年であり、入学の時にはおそらくこのように
家族を案内することなどなかったでしょうから、家族にとっては
息子娘に案内してもらう最初で最後の構内ツァーということになるのでしょう。
この後は教育参考館の見学でした。
参考館前を作業服でランニングする一団あり。
ランニングが目的ではなく、単に移動していたのでしょうか。
教育参考館見学の後、いわゆる「第3グラウンド」と呼ばれる候補生の住居棟前の
このグラウンドを見ながら大講堂に向かいました。
「UW」ご安航を祈るの信号が右側に、そして左には
Z旗が見えます。
赤煉瓦後ろにあるこれも大変古い建物は、どうも現在使われていないようです。
前回の見学の時にも、
「古い建物ですが、歴史的な価値はないと判断されたので取り壊します」
と聞きました。
わたしのように、海軍兵学校時代に生徒が実際に使用していたものなら
それだけで歴史的な価値があるのでは?と思うのは少数派かもしれません。
こちらは昔から倉庫のように使われてきた建物ですが、
それでもレンガでできているので、先ほどの校舎より
価値があるということのようです。
大講堂の前に来ると、このような列ができていたので驚きました。
これから海幕長が入来するのですが、それを全員でお迎えし、
儀式を全員で見学するというわけです。
わたしが過去に見た卒業式では、海幕長の巡閲などは
見たい人、たまたまそこにいる人だけが見学しており、
赤煉瓦前でごくひっそりと行われていたのですが、今年は
このような粛然としたセレモニーとして行うことにしたようです。
しかし、一生に一度の卒業式となる候補生にとっては、
海幕長到着の儀礼に立ち会うのが筋というものでしょう。
わたしたちは大講堂前で待機するように言われました。
呉音楽隊も身じろぎもせず待機しています。
流石にスーザホンはギリギリまで地面に置いてもいいようです。
待っていると、車から幹部候補生学校長、南 孝宜海将補が位置に着きました。
右側は幹部候補生学校副校長です。
ところで皆さん、この儀仗隊をみて何かに気がつきませんか?
全員が金線入りの帽子、よく見ると袖には錨に金線。
そう、この儀仗隊は今日卒業する幹部候補生の部隊なのです。
ということは儀仗隊に選ばれた候補生は、この日のために
儀仗の訓練も受けていたということになります。
ということは、こうして海幕長が巡閲を行うことの意味とは、
今日任官する候補生達の練度を閲兵(兵じゃないけど)する、
ということになります。
いつからこのようになったのかはわかりませんが、形式的に
今まで行われてきた儀仗に深い意味が加わったとも言えます。
幹部候補生による、任官前の最後の儀仗が終了。
一部の候補生からなる儀仗隊だけでは不公平なので(多分)、海幕長は
全員の前を歩き、こちらの巡閲もちゃんと行います。
なるほど、そういう意味があったのか!
(とその時には気づかなかったことに今更感動するわたしである)
この後、卒業式開始まで少し時間があったので、
赤煉瓦の二階で待機休憩となりました。
ところで、赤煉瓦の倉庫の左に小山があり、
そこに登っていく石段があったのですが、これが何かわかりません。
案内してくださっていた海将補に伺うと、ご存知ないとのことで、
副校長に聞いてくださったのですが、こちらも「わかりません」。
副校長は近くにいた若い幹部に聞いていましたが、やっぱり
『知りません』とのことで、いまだに謎です。
ここが八芳園なのだと思っていたのですが、違うのかな。
教室でお茶などいただきながら休憩していると、
別口で参加されていた来賓の知人の方が訪問してこられました。
自衛隊に真に貢献しているというのはこういう方のことだと
いつもその献身的な活動を仰ぎ見ているN先生。
今年もN先生の教え子が三人も候補生学校を卒業したということです。
そのかたが無私の心で長年続けておられる活動には
足元にも及ばないわたしたち夫婦ですが、そんなわたしたちにN先生は
「ご夫妻の自衛隊への貢献に敬服いたします」
などと暖かい言葉をかけてくださるのでした。
大講堂に案内されたあとは自分の名前が書かれた椅子に座り、
開式を待ちます。
まだモードスイッチがオフ状態の卒業生たちを前に
何か注意事項を与えている二人が俗にいう「赤鬼&青鬼」、
学生隊幹事付と(あれ?監事じゃないんだ)いう指導係です。
どうも式の間は手を膝に置くようにとか言っているようですね。
本日の式次第。
特筆すべきは2番目に行われたこの日の国歌斉唱です。
自衛官がいる席で君が代を歌うと彼らの声の響くのによく驚かされますが、
国防にその身を捧げる覚悟を決めた彼らの歌声は、朗々と、決然として、
この長い歴史を持つ江田島の大講堂に響き渡りました。
いろんな団体の会合で国歌を斉唱する機会が多いわたしにとっても、
それは身が震えるほどに感動的でした。
国歌斉唱後、卒業証書の授与が行われました。
二人の読み上げ係が、慎重に、決して間違えないように
各卒業生の名前を朗々と読み上げていきます。
人の声が効果的に響くことを目的に設計された建物で、
これだけ広くとも肉声で隅々まで声が届くため、ここでは
昔から一切増幅装置が使われたことがありません。
証書を受け取る時、卒業生は校長の差し出す証書をまっすぐに腕を伸ばし、
校長の腕と自分の腕が直線にして受け取ります。
そして、その症状を垂直に立て、右手で左側に端を折って重ね、
その賞状の端を右手で抑えるようにして左脇に抱えます。
見ているとその動作は誰もが熟練の域に達しているようで、
おそらくこの日のためにかなり練習を重ねたのかと思われました。
壇上の候補生が全員階段を上りきった瞬間、次の一列が同時に立ち上がり、
行進して階段を上る列の後ろに着きます。
そして、前回の訪問で見た「白い二本の筋」を壇上の床に刻んでいくのです。
彼らの袖には細い線に錨の「候補生マーク」が。
これが候補生として彼らが行う最後の「任務」となります。
続く。