幹部候補生学校卒業式に伴う研修会ツァーで、呉にある
海上自衛隊呉史料館、(通称てつのくじら、略称てつくじ)の見学をしました。
海上自衛隊発足前からの掃海の歴史とペルシャ湾掃海など
史料館の掃海コーナーが終わると、そこからは潜水艦展示です。
終戦後、海上自衛隊が初めて所有した潜水艦はアメリカ製、しかも
対日戦で使われたガトー級潜水艦「ミンゴ」でした。
海上自衛隊はこれを「くろしお」と名付け、これを一号艦として
潜水艦隊の今に至る歴史が始まります。
「くろしお」については何度もここで取り上げていますが、
受け取りに当たっては自衛官がアメリカの「潜水艦のふるさと」である
ニューロンドンのグロトンの潜水学校で訓練を受け、その後
サンディエゴで艦体を受け取り、日本まで回航してきました。
受け取りとあまり変わらない時期に海自は国産一号(川崎)の
「おやしお」の発注を済ませており、いわば「くろしお」は
それまでのつなぎというか、訓練のために取得したようなものですが、
その後艦体は我が国の潜水艦開発の研究に存分に利用されました。
その受取証書がここに飾ってありました。
何回も来ているのに、これに気づいたのは初めてです。
前回から今回までの間に「くろしお」(ミンゴ)について
何度かお話しし知識にしっかりインプットされたからでしょう。
ちなみに今回wikiを見てみたら、かつて当ブログで取り上げた映画、
『潜水艦イ−57降伏せず』『太平洋の翼』の潜水艦シーンには
「くろしお」が使われていたと知りました。
潜水艦内部のベッドを体験できるコーナー。
ちゃんと靴を脱いで寝ている人が二人もいました。
このベッドも本物の潜水艦の装備だと思いますがどうでしょうか。
注意書きとして、ベッドにはうつ伏せで頭から入り、
出るときもうつ伏せになってから、とあります。
潜水艦は狭い空間なので極限の省スペース収納です。
テーブルは滑り止めのために端が高くなっています。
潜水艦内の食事は1日に4回です。
狭くて暗くて暑くて臭くて、とにかく過酷な環境となると
他に楽しみがないということから、乗員の食事に寄せる期待は大きく、
それだけに美味しくて工夫を凝らした料理が出されるそうです。
ただ、実際に潜水艦乗員から聞いたところによると、狭いだけに
消費カロリーが摂取量を下回る傾向にあるので、それだけ
サブマリナーは陸上でのトレーニングを一生懸命行うことになります。
予算的にいって一般的に水上艦艇の食事は陸上勤務より優遇されていて、
20〜25%くらい高額なんだそうですが、中でも潜水艦は
水上艦艇の中でも一人当たりの予算が高いんだとか。
ここには朝6時からの朝食と中間食の模型が展示していますが、
中間食とは夕方6時の「夕方の食事」であり、「夕食」と呼ぶものは
潜水艦では深夜0時に出る食事のことをいいます。
この理由は潜水艦の勤務形態にあります。
潜水艦出向中は、常に一定数が艦を動かさなくてはならないので、
乗員はグループに分かれて6時間勤務、12時間休憩を繰り返します。
地上の昼夜には全く関係なく生活をするこの勤務形態は、
出航中だけとはいえ、バイオリズム的にいうとかなり変則なので、
それだけでも体力的に過酷です。
こういう変則シフトのため、一日4回食事が出されるのですが、
全員が三度三度じゃなくて四度四度のご飯を全部食べる訳ではありません。
冒頭写真の紳士が見ているのはこのドルフィンマークです。
今回カメラが前と変わったので全部を一面に収めることができました。
我が潜水艦隊のドルフィンマークはなぜか右側の真ん中あたりです。
サブマリナーを表すドルフィンマークは、その名の通り、
どこの国もイルカをあしらっているものが多いですが、パキスタンやチリ、
ロシア、フランス、ポーランド、スペイン、ドイツなど、特にヨーロッパは
イルカではなく潜水艦そのものをあしらったデザインです。
日本は戦後の潜水艦技術をアメリカに学んだ経歴があるので、
アメリカ式の「ドルフィン」を踏襲したのだろうと思われます。
日本のところにひっそりと一つ紛れている桜に潜水艦のマークは
帝国海軍潜水隊のものであろうかと思われます。
海自の「ドルフィン」がアメリカ由来のものであることを証明しています。
ちなみにイルカも潜水艦もあしらっていないマークは中国海軍のもの。
イルカでなく世界で唯一人魚をあしらっているのがアメリカの、
あの横須賀(のドブ板通りのどこかのお店)で作ったという
『DBFディーゼルボートフォーエバー』バージョン
だけとなります。
このバッジについては、映画「イン・ザ・ネイビー」の
の章に詳しいので興味がおありの方は後半の説明をご覧ください。
海中航走偵察をする「リーマス」のことを質問した掃海隊出身の方に、
これも海中航走する偵察機器の類ではないのですか?とお聞きしたところ、
「潜水艦搭載の72式魚雷です」
・・・黄色くて長細かったのでついそうかなと思ったんだい!
でもよく見れば大きさが全然違いますし、多分これは
見学の時にやっていたように二人では持てません。てか重さ300Kgだし。
72式魚雷は昭和40〜50年代に就役した「うずしお」型、
「ゆうしお」型に搭載されていました。
ここにあるということは「あきしお」に搭載されていたものでしょう。
無人の対潜哨戒機としてアメリカ軍の駆逐艦が搭載していた
『QH-50 DASH』をここで見ることができます。
アメリカの「バトルシップ・コーブ」で駆逐艦「ジョセフ・P・ケネディ」を見学した時、
後部甲板がDASHを乗せるためのものであったことから知りました。
「ケネディ」は小型の駆逐艦でしたが、友人ヘリは無理でも
このDASHを搭載することで対潜戦が行えると考えられたのです。
この展示は、DASHが魚雷を二本搭載し潜水艦を攻撃できる状態です。
搭載されているエンジンはポルシェ社のもので、信頼はあったようですが、
どうにも事故が多く、アメリカでは7年で運用中止になりました。
ところが、自衛隊では操縦する人が皆器用なせいか(笑)
本国アメリカよりずっと重用され続けていたと言います。
アメリカで生産中止されても10年間は現役でしたが、
部品が調達できなくなったところで退役しました。
もし部品の問題がなければ、その後も使っていたに違いありません。
DASHが置いてあるところから外に出ると、「てつのくじら 」の出入口があります。
かつては喫水線だったあたりに出入口を穿って出入りできるようにしました。
「あきしお」だったてつのくじら、今付いているスクリューはダミーです。
館内に入ると、前と少し様子が違っていました。
右手にガラスケースが置かれ、中には潜水艦の名前入りキャップ(カレー付き)
が並んでいます。
「おやしお」「みちしお」「なるしお」「もちしお」
「そうりゅう」「ずいりゅう」、そしてアメリカ海軍原潜の
「コネチカット」「シーウルフ」。
第30代幕僚長、杉本正彦氏が当記念館に寄贈したものだそうです。
おそらく氏がその立場上、贈呈された想い出のキャップでしょうか。
「あきしお」進水記念のしおり(進水式に参加するともらえる)、
また、「あきしお」を海から引き上げてここに据え付けた時、
記念に配られたらしいテレフォンカード(時代を感じる)もあります。
潜水艦の竣工記念にベルトが配られるというのは初めて知りました。
こちらは杉本氏が海幕長時代に贈呈されたものらしいですね。
ちなみに川崎や三菱での潜水艦の進水式・引き渡し式に行くと、
必ずそこに潜水艦出身の杉本氏をお見かけします。
さて、前も書きましたが、この「てつのくじら 」
最初に出てくるのがトイレ。そしてシャワー室。
入り口のなかった艦体の横っ腹に穴を開けたらそこがトイレだったので
仕方がないことながら、博物館的にこれはどんなものだろう、と
前にも書いたことがありましたが、そうか!
それで入ってすぐのスペースに杉本元海幕長の贈呈品コーナーを作ったのかも。
ここにある施設は士官用です。
流石に護衛艦や掃海母艦と違い、艦長も自分専用の浴室はありませんし、
そもそもバスタブというものは備えられておりません。
ロシア海軍の潜水艦「タイフーン」くらいなら浴槽も余裕かもしれませんが、
ただロシア人はお風呂に浸かる慣習はなさそうだなあ。
あ、それでお風呂の代わりにプールがあるのか!←実話
続く。