間に八戸基地訪問の話を挟みましたが、幹部候補生学校卒業式の際の
研修ツァーとそれに伴う行事についてお話しします。
海上自衛隊呉史料館、通称「てつのくじら 」見学で、「あきしお」だった
「てつのくじら 」の内部を見学して出てくると、写真展示フロアがあります。
昨年夏の水害における自衛隊の災害派遣活動がパネルで示されていました。
「学生派遣」とは、江田島の幹部学校、第1術科学校の学生たちも
災害現場で様々な支援作業に当たったということです。
給水支援で出動したのはYDT 04 、水中処分母船です。
潜水作業を行う水中処分隊を支援する船で、再圧チャンバーも装備しています。
水害で避難している人たちのために呉音楽隊による慰問演奏が行われました。
呉地方隊の造修補給所貯油所には警備犬を訓練する施設があります。
施設を守る役目を持つ犬は空自にもいますが、国際救助犬連盟の
資格を持つ犬がいるのは三自衛隊で海自だけなのだそうです。
救助資格を持つジャーマンシェパードの「金剛丸」は、
東日本大震災で創作活動に投入されましたが、衰弱死しました。
靖国神社の「忠犬の碑」に祀られている同じ名前の「金剛丸」は、
満州事変で敵陣に突進し、弾を受けて戦士したそうですが、
この「金剛丸」にも殉職相当として功章の首輪が与えられました。
西日本の豪雨災害にも救助犬は派遣され、活躍しています。
ちなみに、「妙見丸」「金剛丸」という犬の名前は、
「あきしお」の中に展示されていたキャップなどを贈呈した
杉本元海幕長が呉地方総監時代に命名したということです。
「てつのくじら 」「あきしお」の艦首をみる形で、
双眼鏡が外に向かって備え付けられていました。
なんどもここに来ましたが、初めて気がつきました。
なんと、伊ー400の双眼鏡だと書いてあります。
なぜここに?って感じですが、呉工廠に置き去りにされていたんでしょうか。
こちらは第二次世界大戦中のアメリカの潜水艦が装備していた双眼鏡だそうです。
アメリカの潜水艦って、もしかして「ミンゴ」のことですか?
と思ったらその通りでした。
第二次世界大戦中のアメリカの潜水艦をもらってきて、
戦後海上自衛隊の第一号潜水艦にしたわけですからね。
この日米双眼鏡で今の呉港を眺めてみるのも一興かと思われます。
「てつのくじら 」併設のレストランはもう閉店していました。
ここでどうやら新作らしいメニュー発見。
潜水艦玉子砲なるこのメニュー、潜水艦をかたどったオムライス?
ちょこんと乗っかった半熟卵がより一層潜水艦に・・・似てねーよ!
まあでもデミグラスソースの海に浮かぶ玉子の潜水艦オムライス、
ちょっと食べてみたい気がします。
見学が終わってバスでホテルに戻り、夕刻からは
海幕長招待者対象のパーティが行われました。
明日が卒業式というのにその日の晩は低気圧が近づいてきていましたが、
杉本呉地方総監はこのパーティで壇上に立ち、
「わたしが強力なてるてる坊主を作ってなんとかしてみせます!」
と豪語したため、奇跡的に雨は明け方に止み、翌日は快晴でした。
(それを卒業式の祝辞で米軍中将が取り上げたこともご報告しましたね)
退官され、この時が最後の江田島での卒業式となった村川海幕長。
ちなみにこのパーティに出席されていてその後転勤された方に表敬訪問した際、
「あの卒業式の時にはもう辞令は出ていたんですか」
と伺うと、まだ出ておらず全く知らなかった、ということでした。
流石に海幕長はご存知だったと思うのですがどうだったのでしょう。
幹部候補生学校長のご挨拶。
「明日の卒業式、ある瞬間から皆が号令なしで一斉に行動します」
などと「卒業式のみどころ」を説明しておられます。
左前の席には米軍や大使などが固まっており、右は政治家など、
わたしたちは名刺を持って配り歩く感じのパーティでもないので、
その中で顔見知りの一術校長に奥さんとの馴れ初めを聞いたり、
練習艦隊の艦長などと楽しく話している間にあっという間に御開きとなりました。
練習艦隊司令と各艦長も一人ずつご挨拶。
後列左端の川田一佐は「すずつき」の艦長、その前は第8艦隊司令本村一佐です。
皆さんご存知のように、航空学生を乗せた「すずつき」は江田島出航後、
練習航海に向かい、今回中国で行われた観艦式に参加して、
堂々と旭日旗を翻して海上自衛隊の存在をアピールしてくれました。
ニュースによると、付随して行われた艦艇見学では、「すずつき」に
五千人もの見学者が訪れ、ロシア艦と人気を争ったということです。
あっという間に御開きの時間になりました。
テーブルの上の食べ物が全く無くなっていないのにご注目ください(笑)
海幕長は出口に立ち、一人ずつお見送りしてくださいました。
パーティの間、海幕長は副官を連れて会場を回っておられたのですが、
挨拶をしている人が何者か完璧にわかっている前提で話しかけてこられます。
しばらく会話を続けていると、後ろから副官が、わたしたちにはわからないような
目だけのサインを出したタイミングで「それでは」と引き上げていくのでした。
「あれ全部副官が仕切ってるんじゃないかな」
とわたしたちは後で言い合いました。
一般的に、のちに司令官となるような人は
若い時に副官配置で司令官のあり方を学ぶようですね。
海幕長の副官配置になるひとはさぞ優秀なんだろうなあ、と思って、
ある元海将に伺ってみたら、やっぱり海幕長副官を経験したことがあるとのことでした。
さて、パーティでは話ばかりしていてほとんど何も食べられなかったので、
わたしとTOは自衛官御用達の居酒屋「利根」に出撃。
なんとここにはまだ前呉地方総監の「愚直たれ」メニューがありました。
歴代「とね」艦長の写真がずっと残されている「利根」ですから、
きっと愚直たれも永久保存版メニューになるのかもしれません。
何と言っても美味しいんですよこれが。
三つの「あ」より。
「あざむかない蒸し鶏」と「あきらめないサラダ」、愚直たれ添え。
そして「あなどらない揚げ盛り」愚直たれ添え。
蒸し鶏とサラダに愚直たれはよく合います。
ネームシップ?「とね」カレーは、
ちゃんと「とね」艦長に認定書をもらっております。
このカレーも小さいのを一つ頼んでみました。
甘口でまったりしていて、少々お子様向けではありますが、
わたしは辛さにおいてはほぼ子供の舌なのでこれくらいが好きです。
このポスターを見る限り、呉氏を盛り上げるプロジェクトも順調のような気がします。
というわけで長々語ってきた幹部候補生学校卒業式に伴う
研修ツァーとパーティについて、終わります。
ご招待くださいました海上自衛隊関係者の皆さまに深く御礼を申し上げます。