アメリカ陸軍士官学校、ウェストポイントの見学記です。
見学コースはバスで広い構内をまずチャペル、そしてグラウンドまで
案内の人の説明を聴きながらやってきました。
その中で、
「勉強がついていけなくて辞めざるを得なかったり、
自分の意思で中途退学した場合、莫大な費用を返還しなければならない」
という話がありました。
ウェストポイントでは最下位の成績のことを「ゴート」といって、
毎年華々しく名前が発表されるいう羞恥プレイがあるのですが、
ゴートは最下位とはいってもとりあえず卒業できたわけですから、
ついていけなくて辞めた人(結構多い)と比べれば「偉い」のです。
どちらかというと、退学させられずに最下位になるのは至難の技かも。
そのため、ゴートは卒業生全員から1ドルずつの
これ以上ない暖かい?施しを受けることができます。
(卒業生は1000人はいるので、ちょっとしたお金持ちになれます)
しかし、途中で辞めて行く者には冷たい、しかしそれが国が経営する
軍学校というものです。
我が日本国の士官学校である防衛大学校は、2012年から任官辞退者に
250万円、任官6年以内の自主退官者からも年数に応じて償還金という名で
返還を求めるということになっています。
ところで、成績最下位ドンケツが「ゴート」と呼ばれる理由なんですが、
わたしは、ライバル校である海軍士官学校アナポリスのマスコットがヤギ、
「ビル・ザ・ゴート」であることと関係あるのでは?と思ってます。
そのアナポリスの最下位成績者ですが、やはり華々しく名前が公表され、
こちらは「アンカーマン⚓︎」というそうで(笑)
バスは広大なグラウンドの通路にやってきました。
これはきっと名のある軍人さん。
と思って調べてみたら、
ジョン・セジウィック少将(1813−1864)
うーん、日本人には全くあずかり知らぬ名前であったわ。
何をした人かというと、南北戦争で弾が飛んでくる中歩き回り、
「そんなふうに弾から逃げる諸君らが恥ずかしい。
彼らはこの距離では象でも当てることはできないだろう」
といった数秒後に左目の下に弾丸を受けて死んだ人です。
弾に当たりさえしなければ豪傑の英雄譚で終わったのに・・・。
ちなみに、銅像の靴の後ろの拍車を夜中、誰にも見られずに回すと
何かいいことがあるという噂もあるそうです。
ま、候補生にとっていいことなんて、落第しないくらいしか考えられませんが。
さて、セジウィック少将の向こう側のサークルはなんなのかな?
え・・・?もしかしたら皆ゴルフやってます?
こりゃ驚いた、ウェストポイントは体育の時間にゴルフをするのね。
まあ確かに構内にゴルフ場があったりするわけですから、
体育の時間に基礎を叩き込んだら、コースに出ることもあるのかもしれない。
しかし士官候補生の体育のゴルフ、かなり本気っぽい気がします。
もしかしたら将来政治家になって、まかり間違って大統領になったりして、
日本の首相との外交で必要になるという場面もあるかもしれないですから、
基礎をやっておいて損はないかもしれません。
ところで、グラウンドの向こうの国旗が半旗になっていますが、
これはマケイン・ジュニアが亡くなったことに対する弔意だと思います。
亡くなった人の位に応じて、半旗を揚げる期間は決まっているらしいですが、
軍学校はそれとは関係なく長期間に亘って行っているように思われました。
授業でゴルフをやるということは、全員の分のクラブなりなんなりがあるってことです。
それも、ちゃんと校庭にホールが設けてあるわけですから。
彼らが練習をしているのはサッカーグラウンドです。
グラウンドはもちろん、それ以外のところまできれいに芝が敷かれています。
業者による手入れを行なっていないとこんなきれいになりません。
さて、こちらでは体育の授業でサッカーが行われています。
体が資本の陸軍ですから、サッカーの授業なんて遊びみたいなもの。
やっぱり楽しいのか、彼らの表情は授業だというのにやたら明るい。
よく見たら女子生徒がいるではないですか。
体格がほぼ男性と同格なので、髪の毛が長くなければ気づきません。
皆でたくさんのボールを蹴りあって、試合でもないしこれは楽しそう^^
さて、前回もお話ししたウェストポイントの人気者、体育教官だった
マーティ・マー軍曹を描いた映画「長い灰色の線」には、
1913年に行われたという実際のフットボールの試合が登場します。
ウェストポイントの相手はノートルダム大。
「まるで教会みたいな名前だな」
とマーティたちはすっかり勝つ気。
教会みたいも何も、キリスト教系大学なんです。
ノートルダムの応援バンドは尼僧の指揮する小学生だったりします。
確かに前半は勝っていたのですが、後半になって、
相手が予想外の「フォワードパス」という戦法を使ってきたので、
ウェストポイントは35対15で大敗を喫してしまいました。(実話)
しかしこのころのフットボールの装備って・・・・。
(´・ω・`)ショボーンとするウェストポイントチーム。
コーチは、今日のゲームは新しいタイプのものだったことを告げ、
さらにこう言います。
「士官として出陣する時戦場では予想外の事態が続出するものと肝に銘じよ」💢
Notre Dame vs. Army 1913 - The Game
フットボールのことを知らないので、映画を見ても、何が新しくて
どう変わった戦法に出られたのか全くわからないままなのですが、
検索したところ、この試合はカレッジフットボールの歴史を変えたというくらい
画期的なものだったらしいことがわかりました。
youtubeの最後には、試合後に相手の検討を称え合う両校のコーチの手紙とともに、
それ以降アーミーvsノートルダムがゴールデンゲームとなったとも紹介されています。
ところでこのパスがなぜここまで意表を突く作戦で、歴史的なものになったのか、
どなたかお分かりの方、素人にもわかるように教えていただけませんでしょうか。
こんな昔風の(でもアメリカにはよくあるタイプの)家を見ました。
建物の前には、
「ビート・ネイビーハウス」
とあるではありませんか(笑)
スポーツの試合における海軍アナポリスとのライバル意識は、
「ビートネイビー!」が寝言にも出てくるくらいカデット(士官候補生)の
脳髄に叩き込まれるという話を以前もさせていただいたことがあります。
Go Army! Beat Navy!〜アメリカ陸軍士官学校ウェストポイント
相手のマスコットを深夜盗み出したり、人質がスパイをしたり、
シャレにならない両者の相克があるわけですが、はてさて、
この「ビートネイビーハウス」って何?
検索してみると、
「チェックイン4時、チェックアウト11時」
なんとベッドアンドブレックファーストではないですか。
ビルディング109、ビートネイビーハウスにようこそ!
陸軍を象徴するという意味で重要な役割をする歴史的ホテルです。
各スウィートルームは最近新しく改装された共用のフルキッチンにアクセス可能です。
(HPより)
なんと!誰でも泊まれたりするのかしら。
例えば「ビートアーミー」関係の人でも。
ビートネイビーハウスの隣にあった家。
もしかしたらこれもホテルの一つかもしれません。
実はこの家、「長い灰色の線」に登場しています。
映画を見ていて気がつきました。
なんと、マーティ・マー軍曹がメアリー・オドネルと結婚し、住んでいた家という設定です。
実際には二人は別のところに住んでいたということですが、
撮影が行われたのはまさにここだったのです。
この家は映画の最後のシーンにも出てきました。
30年ウェストポイントに務め、慕われたマーティのために、
ウェストポイントではその退職の日、分列行進を行います。
「誰のための分列行進です?」
「きみだよ。候補生たちが君のために行進をしたいと申し出たのだ」
呆然と感動しつつ長き灰色の線を見るマーティの目にはいつの間にか涙が・・。
真ん中は学校長、一番右の人も手袋で目をぬぐっています。
戦争で死んだマーティの教え子の妻とその息子。
息子も第二次世界大戦で南方に出征しましたが、
名誉の負傷で帰国しました。
「皆に見せたかったな」
「いいえ、みんなここに来ているわ」
マーティの目には見えていました。
自分を引き上げてくれた体育教師のキーラー大尉が。
出征を見送り、そのまま帰って来なかった彼の教え子たちが。
そして、この家で静かに息を引き取っていった妻のメアリーオドネルが。
分列行進の音楽はアイリッシュ風のメロディの行進曲から、
「マイティー・マー」の歌に代わり、最後には「オウルド・ロング・サイン」になります。
ちなみに、映画の撮影は行われましたが、妻メアリーが息を引き取ったのも
ここではなく、当時二人が住んでいた家のポーチだったということです。
続く。