空母「ミッドウェイ」、フライトデッキの一階下にある、
搭乗員の控え室展示、三番目のドアにやってきました。
AD/A1 スカイレイダー
A-4 スカイホーク
A-7 コルセアII
とその搭乗員に関する展示室ですが、わたしは
NAVY/MARINE LIGHT ATTACK
という表示に気がつきました。
はて、「ライトアタック」=軽攻撃とは?
調べてみると文字通り軽い飛行機での攻撃のことですが、
(それでは「重い攻撃」はあるのかな?)英語のwikiを検索してみると、
Light Attackは「武装偵察」=Armed Reconnaissanceと並べて
LAAR(軽航空機での武装偵察)
と四文字の言葉で表すことがわかりました。
ところでみなさん、コルセアIIのデビューについてですが、
アメリカ軍でスカイホークの後継機を選定する段階で浮上した
「VAL 計画」 Heavier-than-air, Attack, Light competition
がそのきっかけになっていることをぜひ覚えてください。
「ヘヴィアーザンエアー」とは空気より比重が重いという意味ですが、
これは
「空気より少し重いけどとにかく軽い飛行機」
という意味で、コンペティションとついていることからもお分かりのように
このときアメリカ軍は次世代軽飛行機選定に先駆けてコンペを行なったのです。
しかしてこのときのアメリカ軍の要求条件はとは次のようなものでした。
「スカイホークの二倍の武器を搭載でき、
かつ艦載機として空母から発進することができること、
沿岸から最大で520~610kmの内陸部まで進出でき、
地上部隊を支援することができる」
その結果、各社からは以下の通り、
LTV(ヴォート)F-8 クルセイダーの胴体短縮型V-461A-6
ダグラス A-4の発展型A4D-6
ノースアメリカン FJ-4 フューリーの発展型
グラマン イントルーダー艦上攻撃機の簡略化型
といった既存の機体の軽量化した案が出てきましたが、
最終的に採用されたのがLTV社案で、クルセイダーの短縮型。
これがのちの
A-7 コルセアII
となったというわけです。
ですからこのライトアタックという称号は、コルセアII以前の
スカイレイダーとスカイホークには当てはまらないということになりますが、
いずれも軽量であったことからこのように括っているのでしょう。
スカイホークはあのエド・ハイネマンが、
「軽量、小型、空力的洗練を追求すれば自ずと高性能が得られる」
とのコンセプトに基づき、海軍側の見込んだ機体重量14tの
半分に満たない6.7tという小型かつ軽量な機体に仕上げた(wiki)
ことから、典型的な「ライトアタック」と呼んで差し支えないでしょうしね。
さて、それではドアの中に入っていきましょう。
長い廊下が搭乗員控え室に繋がっています。
かつてスカイレイダーの航空隊が「ミッドウェイ」艦上から展開していた
1958年8月から1959年3月までのメンバーの名前が書かれています。
10年ほど前、かつての乗員からなる協会が制作して寄付しました。
スカイホーク協会も展示に協力しました。
廊下を少し行くと。搭乗員のロッカールームが現れました。
フル装備のパイロットがスタンバイ(冒頭写真)しています。
昔、岩国の海兵隊基地で、わたしはホーネットドライバーのブラッドに
まさにこんな感じの搭乗員控え室に入らせてもらったことがあります。
息子はほんものの耐圧スーツとヘルメットを付けてもらい、興奮気味でした。
無理かもしれませんが、自衛隊がもしここまですれば、
青少年の志願者が少しは増えるのではないかという気もします。
この部屋は「レディルーム3」と名付けられています。
かつて実際に使われていたレディルームの椅子を、これまた
海軍航空隊に実在したパイロットの名前入りの椅子を設えました。
椅子にはメンバーの名前が背中に、タックネームが背もたれの上部に、
大きくパッチされています。
中央に見えている「マイク・エストシン」は1967年4月26日、
空母「タイコンデロガ」から発進して火力発電所の攻撃に向かう途中、
地対空ミサイルの攻撃を受けて乗っていたスカイホークが撃墜されました。
当初彼のウィングマンの撃墜報告に基づいて戦死扱いになっていたところ、
ハノイから実は彼は捕虜になっている、という報告が上げられました。
しかしその後24年も経った1993年になって、やはりそれは間違いで、
彼が撃墜されていたということがようやく明らかになったのです。
気の毒だったのは被撃墜を認定した列機のジョン・ニコルスでした。
彼は実に四半世紀の間というもの、自分が撃墜認定を誤って、救助任務を行わず、
そのためエストシンを見殺しにしたと思い込んで罪悪感に苛まれていたそうです。
エストシンは死後大尉に昇進し、ネイビークロスやフライングクロス、
パープルハートなどの各種勲章を授与されています。
ニコルスにとってわずかによかったことがあるとすれば、生きているうちに
自分があの時エストシンを見殺しにしたのではなかったと知ったことでしょう。
彼の左席の緑のカバーには名前とともに例の「POW MIA」という字が見えます。
エストシンは違いましたが、これは捕虜になった(POW )あるいは
ミッシングインアクション(MIA)未帰還となったパイロットのことです。
当時のアメリカはまだ公の場で喫煙することが許されており、
「ミッドウェイ」でもハンガーデッキ、フライトデッキ、そして
廊下以外では基本どこでも喫煙することができたので、
ブリーフィングルームのチェアにも灰皿が付いていたりします。
Fighting red cocks というのは現在はF/A-18Fスーパーホーネットの戦隊で、
ベトナム戦争時代はスカイホークとコルセアIIに乗っていました。
トレードマークはロードアイランドの戦う赤い雄鶏で、コールサインは
「ビーフ」と「ビーフ・イーター」を交互に繰り返すというものだそうです(笑)
デザイン的にはイケてませんが、艦上で目立つためのテープが貼られた
この派手なつなぎが着艦誘導係の基本スタイルです。
わたしは勝手に「うちわマン」と呼んでいるのですが、
(多分ラインマンとかいうのだと思う)着艦の際に目で見る誘導を行う係です。
かつての艦載機部隊パイロットの私物が記念として展示されています。
ヘルメットなどはおそらくアメリカ軍でも返却することになっているのだと思います
ヘルメット左の「サバイバルラジオ」は防水仕様になっています。
紙バインダーに挟まれているのは通信記号の色々。時代ですね。
A-4のコクピットにあったガンサイト。
これだけ単独で作られています。
これらの所有者であるかつてのA-4乗りオーウェン・ウィッテン氏が
2008年に亡くなったとき、家族がここに寄付した遺品のようです。
写真上段は現役時代のウィッテン氏。
コルセアII、スカイレイダー、スカイホーク「ライトアタック戦隊」の
スコードロンが使用していたオリジナルカップ。
真ん中のコーヒーサーバーは彼らにとって懐かしいものに違いありません。
このケースは海兵隊戦闘機隊の展示です。
説明ではいきなり、
「海兵隊航空隊は(海軍とは)違う!」
として、彼らの任務は
「陸海の攻撃隊をサポートするためにそこにいること」
一言で言うと「クローズ・エア・サポート」です。
帆船時代に船に乗り込み警備を行っていた頃から海兵隊の存在意義は変わっていません。
スコット・マクゴーの「USSミッドウェイ アメリカの盾」の付記には、
「ミッドウェイ」就役から退役までの亡くなった乗員名簿がありますが、
ここにあるのは海軍と海兵隊の軽戦闘機パイロットの殉職者名簿です。
付記にはMIA(ミッシングインアクション)とされている死亡理由が、
ここではさらに細かくこんな記号で表されています。
AAA=Antai-Aircraht Artillery 敵機の銃撃
SAM=Surface- To-Air Missle 対空ミサイル
MiG=Enemy Aircraft MiGに撃墜された
A/C=Aircraft 航空機
DAP=Died As Pow 捕虜になり死亡
その他、事故などの原因を列記していきます。
Own Ordnance 搭載武器の自爆でしょうか。
Collosion 衝突
Fall / Deck Fall デッキから、またはデッキへの転落事故
Sea Inpact 海に墜落
Catapurt Mishap カタパルト事故
Landing Mishap 着艦時の事故
Terrain わかりません。機位を失い帰還できなかったか?
Malfunction 機体不具合
Unknown 実はこれが非常に多い
先ほどのスコット・マクゴーの名簿には、パイロットだけでなく
死亡乗員の名前とその死因が掲載されています。
死亡原因ではないですが、日本滞在中に病気で亡くなったらしく
「横須賀海軍病院」と書かれた人もいます。
切ないのは、ほんの時々「溺死」とか「オートアクシデント」があること。
艦上の車の事故とは、すなわち牽引車によるものではないのでしょうか。
ところで、湾岸戦争に参加した1990年代の殉職者理由には、
Flying Squad Fire
というのがありますが、もしかしてスカッドミサイルにやられた?
聖書の一節が書かれた写真盾は、「ミッドウェイ」乗員だった
アムサー・エドガー・セス・ムーア・ジュニアさんの家族が、
「ロスト・アト・シー」つまり海に落ちて行方不明になった際、おそらく
捜索に当たった第56戦隊に、彼の死後10年を記念し贈られたものです。
殉職パイロット名簿の下段にはこんな言葉が書かれています。
主よ、偉大な空の高みを飛んだ男たちを守り給え
嵐の闇の夜も、朝の光さす時もともに座し給え
嗚呼、我らの祈りを空に消えていった男たちに聞かせ給え
続く。