「ミッドウェイ」の搭乗員控え室、レディルームを利用した展示を
三部屋観たあと、こんなコーナーに出てきました。
トップガンコーナーです。
字の下にあるのが何かはこれを見終わったらわかることになっています。
1968年、ベトナム戦争で、海軍航空隊の搭乗員は、空戦記録において
キル・トゥ・ロス・レシオ(キルレシオ、撃墜対被撃墜比率)
2:1という数字しかあげられませんでした。
朝鮮戦争で12:1だった圧倒的な数字がここまで落ち込んだ理由は
空戦となった時、ミサイル万能論の時流に乗って機関砲を搭載していない
アメリカ海軍の航空機が、旧式のMiG17の機関砲にやられたことにありました。
この結果を重く見た海軍は、ミサイルのあり方を見直すとともに、
CNO(チーフ・オブ・ネイバル・オペレーション)は、
フランク・オルト大佐に報告書を提出させました。
世に言う「オルト・レポート」です。
オルト・レポート。
レポートの主眼は、空対空ミサイルの能力についての研究でした。
仕様通りに設計および製造された高品質の製品が提供されているか 海上および陸上の航空隊の戦闘機ミサイルは最適の状態で稼働しているか 戦闘員はミサイルシステムの能力を完全に理解し活用しているか 空対空ミサイルシステムの修理は万全であるかこのレポートから浮かび上がってきた問題点の解決策として、海軍は
ネイビー・ファイター・ウェポンズ・スクール
つまり「トップガン」を設立することを決定したのです。
当時F-4ファントムIIの訓練を行なっていたVF-121を「たたき台」にして
カリフォルニアのミラマー基地にトップガンが誕生したのは、
1969年3月3日、奇しくも日本ではひな祭りの日でした。関係ないか。
トップガンの生みの親、オルト大尉。
英語で調べても、彼の経歴は「トップガンを創設した」と言うことしか触れられておらず、
つまり特にこの人が軍人として秀でていたというわけではなさそうです。
たまたまその配置にいて、命じられた仕事を真面目にやり(オルトレポート)
その結果から対処法を考えたところ、(トップガン創設)それが大当たりしたと。
そんな気がします。
右側のを愚直に翻訳しておくと、
-レーダーで互いにコンタクトを取る
-角度 待ち伏せ
-太陽を利用する
-相互協力
-コミニュケーション
-素早く一人の敵(ボギー)をやる(KILL)
その他
-合流後#2を見失う
-#1がエネルギーを放出する
-タイマンでの空戦
-#1のむき出しのテイルパイプを攻撃
-燃料の状態
後半がどうもよくわからないんですが、おそらく
戦闘機パイロットならわかってしまうのでしょう。
トップガンの目的は空戦のマニューバや戦法そのテクニックなどを
ごく限られた優秀な搭乗員に教え、それを全体に広めることでした。
そのためトップガンはソ連軍のMiG -17や21のペイントをした
戦闘機を使って、空戦の訓練を行なっていました。
トップガンは、航空隊で最も優秀とされる搭乗員が選ばれました。
厳しい訓練を終え、卒業して元の部隊に戻ると、彼らは自らが教官となり、
自分の得た技術を部隊に伝え、全体の技術の向上をはかったのです。
これを聞いて、わたしは途端に思い出したことがあります。
自衛隊音楽まつりにおける、自衛太鼓の練習方法です(笑)
各部隊から一人、代表を太鼓の総本山である北海道の駐屯地に送り、
彼が学んできたことは彼が教官となって自分の部隊に伝授し、
そして全員がその技術を自分のものにしていく。
そうか・・・自衛太鼓は「トップガン方式」だったんだ・・・。
空戦における操縦の範囲とは、として、
通信やトラッキングなどの設備との関係を図で示しています。
最初の頃(1970年初頭)のトップガンのみなさんです。
後列真ん中のツナギを着た無帽の人物がオルトだと思われます。
前の四人はいかにもできそうな雰囲気の人ばかり。
右から二番目がマーベリック、一番左がアイスマンってとこですかね。
ちなみに当ブログでもちょっと煽ってみた「トップガン2」は、
なんとマーベリックが乗るのが今更のF-15だったため、
「なんでF35じゃないんだよ!」
と主にアメリカ海軍と空軍(と海兵隊)の間で騒然となってるらしい(笑)
ベトナム戦争時代のトップガンは、時代を感じさせるヒゲと長いもみ上げスタイル。
MiGを撃墜したトップガン、ヴィック・コワルスキ大尉(左)とジム・ワイズ中尉。
クリント・イーストウッド監督の「グラン・トリノ」で、イーストウッドは、
ベトナム帰還兵だったコワルスキーを演じましたが、この名前など
彼からとったのではないかとふと思いました。
こちらヒゲのないコワルスキとワイズ。
どちらが撃墜直後の写真かはわかりません。
二人がMiGを撃墜したのは、1973年1月12日のことでした。
1990年代にミラマーからネバダのファロン基地に移るまで使われていた
訓練支援用のコンソール。
このディスプレイを見ながら模擬空戦にあれこれとご指導するわけです。
今表示されているのは1980年代のある日レコーディングされた訓練です。
2005年にキュービックディフェンスアプリケーション社が寄付し、
それをきっかけにこの「トップガンコーナー」が作られたということのようです。
一番右は実際のコンソール使用中。
真ん中はブリーフィング中。
左の壁には敵機のシルエットが脳髄に刻まれるように描かれています。
1990年代にミラマーから移転したネバダ・ファロンのトップガン講義中。
これがファロンの海軍戦闘機兵器学校、トップガンのエントランスです。
アドバーサリー(敵役)F-18ホーネットを務めるトップガン。
キュービック社が提供したコーナーですので、でかでかと宣伝を。
モニターにはトップガンの歴史ビデオを放映していました。
ジョン・リーマンは共和党の議員で、レーガン政権下の海軍省長官でした。
老いたる「ミッドウェイ」を生き返らせて現場復帰させるという
「600艦隊構想」
を推し進めたのは実はこの人です。
ちなみに潜水艦建造の不具合を記載した書類を偽装したという件で、
あのハイマン・リッコーヴァーに引導を渡したのもこの人です。
海軍省長官としては異例の若さ(当時39歳)だったリーマン、
おそらくこの時にはトップガンの視察にミラマーに訪れたのでしょう。
もみ上げから見て(笑)ベトナム戦争時代の「ミッドウェイ」艦上戦闘機で
MiGを撃墜したとかそういうパイロットだと思います。
「ポッド」の中身がわかるように展示されています。
ポッドとは、飛行機に搭載する様々な目的の計器を収める入れ物で、
デジタル・プロセッサー・ユニット(DPU)
デジタル・インターフェース・ユニット(DIU)
パワーサプライ・ユニット(PSU)
トランスポンダー・ユニット
エア・データ・センサー(ADS)
などの種類があります。(説明略)
ポッドを調整製作する拠点はユマの海兵隊基地内にありました。
ポッドもキュービック社の寄贈したもののようです。
右の説明には、ミラマーからファロンに移転した理由が書いてあります。
新しいコマンド「ストライクU」と呼ばれる海軍航空機開発システムがトップガン、
そして「TOPDOME」空母早期警戒武器学校と同居することになったからとかなんとか。
トップガンが去った後のミラマーは海兵隊航空基地となりました。
近年、キュービック社のICADSというソフトウェアによって、
戦闘訓練計画を作成しアップロードすると同時に結果を示すことができます。
ビデオスクリーンから双方のラップトップで、情報を共有することができるのです。
部屋の大きさほどのコンソールが必要だった時代からIT化時代を経て、
もはやポッドはジェット戦闘機の翼の下から姿を消しました。
ステルス性のあるF-35のような最新の航空機の武器は全て内蔵され、
昔ポッドを翼に搭載していた姿は完璧に過去のものになりました。
もっとも先端の航空機用情報システムは小さなモジュールユニットとなり、
いとも簡単に航空機の内部に装備することができるようになっています。
アメリカ軍の軍事技術の発展とともに変わっていく訓練の姿。
キュービックディフェンスアプリケーションは、これからも
戦闘機パイロットがそのミッションに必要とする製品の供給と、
皆様が無事におうちに帰れるよう、粉骨砕身努力いたします。
最後はキュービック社のあからさまな会社宣伝でした(笑)